もし体長1mほどのアリが知性を持っていたら   作:二度見屋

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第28話

大陸全土が「クロノス」という名の巨大な演算回路に組み込まれてから、久しい。

今ではクロノスたちが実質的な統治を行うこの大陸は、クロノス教の拡散と共に、かつての諸国の境界を越えた統合体として「アルカナ大陸」という新たな名で呼ばれるようになっていた。

 

窒素固定技術の確立と石油エネルギーの導入、電気による通信技術を用いた、より効率的な群れの管理により、クロノスの個体数は幾何級数的に増大を続けていた。地下に広がる大空洞も、整備された地上の拠点も、もはや飽和状態にある。

生存圏の拡張は、彼らにとって生存戦略上の不可避な「次の一手」であった。

 

アルカナ大陸の東端、スリカンスの港から、三隻の巨大な鉄装甲船が出航した。

船を動かしているのは、漆黒の甲殻を持ったアリたちではない。操舵室に立ち、複雑な計器を操り、内燃機関を管理しているのは、ミリトンモスの糸で紡がれた、絹のような白装束を纏う「クロノス教」の熱狂的な信者たちである。

どれほど知能を高めたクロノスであっても、アリの肉体構造では繊細なレバー操作や操船の微調整には限界があった。ゆえに彼らは、自らを「神の指先」と任ずる熱心な人間たちをその役割に充てたのだ。

船の中央、最も安全な区画には、数十の遠征個体群を統率するクロノスの「指揮個体」が鎮座し、常にモールス信号による指示を船内に響かせていた。

 

数週間に及ぶ航海の末、艦隊は未知の陸影を捉えた。「ステラ大陸」。

そこは、アルカナ大陸の人類たちが初めて目にする、武の理が支配する大地であった。

 

艦隊がステラ大陸へと近付いた時、それを迎え撃つべく海岸線に現れたのは、浅黒い肌と尖った耳を持つ、異質の人類種――「魔人」の軍勢であった。

 

彼らは、その武力によって広大なステラ大陸を統一した「パルト皇国」アルカナ大陸の人類種とは系譜を別とする魔人と呼ばれる人類種の住まう超大国。

その精鋭たちであった。

 

彼らは指が四本しかないその手で、魔力が脈打つ豪奢な武具を握りしめ、黄金の瞳で鉄の巨獣を見据えていた。

 

「……何だ、あの化け物のような船は。帆もなく、煙を吐き、山のような質量で進んでくる」

 

守備隊を率いるパルト皇国の将軍は、目の前の光景に困惑を隠せなかった。

だが、彼をさらに驚かせたのは、船から降りてきた「軍勢」の姿であった。

整然と、一糸乱れぬ隊列を組み、機械的な正確さで行進する漆黒のキラーアントたち。魔物特有の凶暴性や乱雑さは微塵もなく、そこにあるのはただ、薄気味悪いほどの「知性と統率」であった。

 

「……魔物の群れが、兵法に従って動いているというのか? 馬鹿な……」

 

武勇を重んじ、個の強さを誇りとする魔人たちにとって、知能を持つ虫の軍勢という存在は、理解の範疇を超えた不気味なノイズであった。

 

クロノス側は、即座に「計算」を開始した。

彼らにとって、この魔人という種は排除すべき敵ではない。アルカナ大陸の人類種たちがそうであったように、自分たちの経済システムの一部として組み込み、安定した資源供給源へと「最適化」すべき資産であった。

 

クロノスの指揮個体が大顎を打ち鳴らし、規則正しいタップ音が放たれる。それを傍らに控えていたクロノス教の伝道師が聞き取り、即座に魔人たちへ向けて叫んだ。

 

「ステラ大陸の同胞よ、恐れることはない! 我らは偉大なる地神クロノスの使徒である! 貴殿らの持つ豊かな資源と、我らの叡智を交換しようではないか!」

 

伝道師は、アルカナ大陸で使われている共通言語を精一杯に張り上げた。

しかし、返ってきたのは沈黙と、引き絞られる弓の音であった。

 

アルカナ大陸とステラ大陸は、全く別の発展を遂げた社会文化が形作られていた。そのため双方の言語体系は完全に乖離していた。

魔人たちにとって、伝道師の言葉は「奇妙な咆哮」にしか聞こえず、ましてや足元でカチカチと音を鳴らす巨大な虫が「交渉」を求めているなど、想像だにできなかった。

 

魔人の将軍は、剣を抜き放ち、大気を震わせるほどの魔力を込めた。

「言葉は不要だ。不気味な虫の化け物どもよ、我がパルト皇国の土を踏んだことを、地獄で後悔するがいい!」

 

魔人たちの咆哮と共に、魔法によって強化された矢の雨がクロノスの陣営へと降り注ぐ。

クロノス教の信者たちが悲鳴を上げる中、クロノスの個体群は淡々と、しかし即座にその陣形を「対・魔人戦」へとシフトさせた。

 

『交渉:失敗。言語障壁によるコミュニケーション不能と判断。現状の最適解を、暫定的な「武力による資源制圧」に移行する』

 

クロノスの冷徹な意思が、電信機を通じて艦隊全体へと共有され、その情報が、魔力によって増幅された電波に乗って、遠く離れたアルカナ大陸へと伝わった。

 

ステラ大陸の荒野で、誇り高き「武勇の帝国」と、一切の情動を排した「漆黒の合理主義」が、ついに激突しようとしていた。

 




魔人
アルカナ大陸とは別の、ステラ大陸と呼ばれる大陸に住む人類種、知能はアルカナ大陸に住む只人や森人や獣人と変わらないが、魔力や身体能力は森人や獣人よりも優れ、個々人の戦闘能力が高く、魔物等級換算で言うなら4級に相当する。(単独で訓練を積んだアルカナ大陸の兵士数人に匹敵)
武勇を重んじる種族で、ステラ大陸にパルト皇国という一大帝国を築き上げ、ステラ大陸を統一している。
肌は浅黒く、耳が尖っており、手足の指が4本しかないのが特徴。寿命や繁殖能力は現実世界の人間と変わらない。
アルカナ大陸の人類種とは系譜が全く異なり、魔力残渣に対して、先天的な耐性を持つため、実はアルカナ大陸の定義に則るなら、彼らは「魔物」に分類される
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