アマルティア国の東に広がる「迷いの森」。現実世界の北海道ほどの広さを誇るその樹海は、方位磁石を狂わせる魔物たちの魔力残渣と、変わり映えのしない方向感覚を失わせる平坦な立地と、似たような植生が広大に続く事から人類にとっては容易に立ち入れぬ迷宮となっていた。だが、その外縁部——防壁から数時間の距離であれば、熟練の冒険者にとっては日銭を稼ぐための作業場に過ぎない。
「……おいガストン、このあたり、妙に倒木が少なくないか?それにこの切り株を見てみろよ。何かが齧ったように切り倒されてる」
只人の少女リィンが、不自然に切り倒された木を見て眉をひそめた。彼女の隣では、長身で耳の尖った森人のフィオナが、杖を構えながら周囲の魔力残渣を探っている。
チームのリーダーである只人の熟練冒険者ガストンがリィンに答えるように話し始めた
「何か妙だな…ここまでこの森に潜ったのは2年ぶりだが、前と比べてずっと静かになってるように感じる…ここ数年でどうやら生態系が変わったのかもしれないな。木を切り倒してるって事はステラビーバー(体長2メートルほどのビーバーに似た森に住む3級の魔物、発達した前歯で木を齧り折って巣の材料にする)が居るかもしれん。警戒を怠るな。」
ガストンは愛用の鉄剣の鞘を握り直しながらそう仕切るとさらに森の奥へと進んで行った。
それから数分後、一行は信じられないものを目にした。
「……何よ、あれ。キラーアント!?」
リィンが息を呑み、大樹の陰に身を隠した。
キラーアントは人類にとって「厄介な害虫」程度の存在として認識されている。
単独では3級程度の魔物で尾部から発射される酸性の分泌液以外、特筆することはないが群れになると4級程度の危険性になり冒険者単独では遅れを取ることになることが多い魔物だ。
さらに厄介なのは「キラーアントは周辺の獲物を食べ尽くして生態系を変えてしまう」ということである。
そのため、見つけ次第優先して駆除依頼が出されることの多い魔物だ。
だが…そんな事前知識を凌駕するような光景が彼らの目の前には広がっていた
そこには、二十匹ほどのキラーアントが集まって作業をしていた。だが、その様子はガストンが知る「本能で動く魔物」のそれとは、あまりにかけ離れていた。
アリたちは、巨大な倒木を囲んでいた。数匹のアリが、岩盤をも砕く発達した大顎を精密な工具のように使い、倒木を「運びやすい一定の長さ」に正確に切り分けている。切り出された材木は、別の一団が整然と一箇所に集めていた。
それは無秩序な食害ではなく、明らかに目的を持った「資材調達」の光景だった。
「信じられない。あいつら、木を切り出しているわ……」
フィオナが、その光景を解析しようと目を凝らす。
「魔力が感じられない。魔法じゃない……なのに、どうしてあんなに正確に、役割を分担して動けるの?」
知性を持たない魔物であっても原始的な魔法を扱うものはいる。(例えばドラゴンが吐く炎は魔法によるものだと研究で明らかにされている)
だがキラーアントは元来魔法を扱わない種族で、このキラーアント達の持つ知性に関しても、そこに魔法や魔力は一切関与していない。正に遺伝子の悪戯とでも言うべき存在が彼らキラーアントだった。
その時、一匹の個体が、削り出した木の板に顎を押し当て、奇妙な「点と線」を刻み込んでいるのが見えた。
「ガストンさん、あのアリ……何か書いてる?」
「馬鹿な。魔物が文字を扱うはずが——」
その瞬間、ガストンの足元で乾いた枝が折れた。
「パキリ」という、あまりに小さな音が、森の静寂に波紋を広げる。
二十匹のアリの動きが、一斉に止まった。
二十組の複眼が、一斉にガストンたちの潜む茂みへと向けられる。
(観測:未確認の動体。……形状、二足直立。……外殻(衣服)の硬度は低。……中央の個体、鋭利な銀色の延長部位を保持)
アリ側にとって、それは「人類」という種との、真の意味でのファーストコンタクトであった。彼らにとって目の前の生物は、未知の生態を持つ「新種の獲物候補」に過ぎない。
司令官役の個体が、短く大顎を打ち合わせた。次の瞬間、資材を運んでいたアリたちが即座に資材を放り出し、扇状に広がってガストンたちの逃げ道を塞ぎにかかった。
「来るぞ! 構えろ!」
ガストンが鉄剣を抜き放つ。
襲いかかってきたのは、本能に任せた突撃ではなかった。二匹のアリが正面から注意を惹きつけ、その隙に別の三匹が左右から、死角を突くように回り込んでくる。
この連携は、キラーアント達がこの森で狩りを行う中で確立した戦法だった。
後ろに指揮官役のアリが控えて全体を見回しながら大顎を打ち鳴らすことで他のアリが1つの生き物のように連携を行うのだ。
「っ、この野郎!」
ガストンが踏み込み、鋭い一閃を放つ。
鉄剣はアリのキチン質の外殻を切り裂いた。だが、斬られたアリは逃げなかった。大顎でガストンの剣を強引に挟み込み、その動きを数秒だけ拘束したのだ。
「……ッ!? 捨て身で動きを止めやがった!」
直後、後方に控えていた三匹が同時に尾部を持ち上げた。
酸性の液体が射出される。キラーアントについて知識のあったガストンは即座に回避したが、その酸は彼だけを狙ったものではなかった。一発はガストンへ放たれ(間一髪で避けた)。もう一発は魔法を使おうと妙な動作(キラーアントからすると)をしていたフィオナへ。そして最後の一発は、冒険者たち全員に降りかかるように上方に広範囲に放たれた。
「ッ!させない!」
すかさずフィオナが発動寸前だった魔法を風に変更して自らと上に向かって振りかけられた酸を吹き飛ばした。
「クソッ!こいつら連携して追い詰めてきやがる!」
群れによる波状攻撃。ガストンが知るキラーアントの「酸」は、ただ獲物を溶かそうとする無秩序な噴射だったはずだ。だが目の前の連中は、酸を「遠距離武器」として、明確な戦術意図を持って運用していた。
フィオナがさらに続けて風の魔法を放ち、一匹のアリを吹き飛ばすが、残された個体は動じない。それどころか、魔法の軌道と発動までの「溜め」を凝視し、情報を共有していた。
(事象観測:不可視の圧力放射。……特定動作(杖の掲示)に伴い発生。……発生源の部位(腕)を破壊し、事象を無効化せよ)
キラーアント達も森に住む魔物達との戦闘で魔法という不可思議な現象については認識している。
そしてそれが厄介故に、それに対する対策も万全であった。
すなわち…大技となる魔法を準備させる間を与えず波状攻撃で攻め立てる。
「ダメだ、ガストンさん! 連携が早すぎるわ! 魔法の隙間を狙って動いてる!」
ガストンは悟った。あの奥で悠々と顎を打ち鳴らし続けている個体が「指揮官」に相当するのだろう。
これではまるで統率された軍隊か何かではないか。
個々の能力は3級程度…群れで4級と言われるキラーアントでも、この「軍隊としての意志」が合わさった時…それがどれ程の脅威になるか…
このまま続ければ勝てる勝てないは置いても無傷では居られない。
回復薬や回復魔法という便利な物があるわけではないこの世界でこの状況で戦闘を続行するのはリスクが高すぎるとガストンは判断した。
「リィン、閃光石を投げろ! フィオナ、風で煙幕を張れ! 走るぞ!」
冒険者へ支給品として配られている閃光石(魔力を含んだ鉱石、希少だがその有用性ゆえに様々な用途に使用される。脆く、地面などに投げつけると簡単に砕けて強い閃光を発する)をリィンが懐から取り出して地面へと叩きつけた。
眩い光が森を包み、アリたちの複眼が一瞬停止する。その間に、三人の冒険者は無我夢中でアマルティア国の防壁へと向かって駆け出した。
しばらくして、視力を取り戻したキラーアント達は仲間達の安否確認を行ってから作業を再開した。
しかし…ガストン達は忘れていた。キラーアント達は嗅覚に優れる種族だということを…
ガストン達を追うように指示された1匹のキラーアントが後を追っている事に彼らは気付くことがなかった。