もし体長1mほどのアリが知性を持っていたら   作:二度見屋

30 / 31
第29話

ステラ大陸の海岸線に降り注いだのは、パルト皇国が誇る「魔導弓」による光の豪雨であった。

一本の矢が着弾するごとに、地面は爆ぜ、漆黒の甲殻を持ったクロノスたちが文字通り弾け飛び、虚空を舞う。魔人たちの身体能力は凄まじく、個としての武勇を極めた彼らにとって、数に頼るだけの「虫」は、排除すべき害獣の域を出なかった。

 

しかし、戦場に異様な光景が広がる。

クロノスたちは、執拗な攻撃に、反撃を試みようとはしなかった。仲間が打ち抜かれ、その体液が砂浜を染めても、彼らはただ機械的な正確さで、回収可能な「資源」――破壊された個体のパーツや、わずかに持ち出した装備品――を拾い上げ、整然と鉄装甲船へと撤退を始めたのである。

 

「ははは! 見ろ、あの無様な姿を! 我が皇国の武威に触れ、魔物の分際で恐れをなしたか!」

 

海岸に立つ将軍は、剣を鞘に収め、水平線の彼方へ逃げ去る三隻の船を指差して笑った。

周囲を固める魔人の戦士たちからも、嘲笑の声が上がる。

「臆病者どもめ。あんな鉄の塊に乗って現れたから何事かと思えば、ただの腰抜けの群れではないか」

 

彼らにとって、背を見せて逃げる者は、もはや強者ではない。ステラ大陸を武力で統一し、数多の強敵を屠ってきた彼らの自尊心は、この「奇妙な来訪者」を、戦う価値すらない取るに足らない存在として記録した。

 

だが、パルト皇国の人々が勝利の酒宴に酔いしれていたその間も、アルカナ大陸へ届いた電信信号は、クロノスという巨大な脳細胞の中で、極めて冷静な「再計算」を完了させていた。

 

『第一段階:接触完了。対象の武力指数、防衛反応、言語障壁を確認。初期交渉は不可能と断定。第二段階:武力による市場開拓、および「規格」の強制的導入へと移行する』

 

数ヶ月後。

ステラ大陸の沿岸警備兵が目にしたのは、悪夢のような光景であった。

 

水平線のすべてが、真っ黒な煙で塗り潰されていた。

数隻ではない。数十、数百。鋼鉄の鱗を纏い、内燃機関の重低音を響かせる、アルカナ大陸の工業力の結晶――「重装甲艦隊」が、海を埋め尽くして押し寄せてきたのである。

 

船を操るのは、狂信的なまでに目を輝かせたクロノス教の信者たち。そして甲板に隙間なく並んでいるのは、数ヶ月前の調査個体とは似ても似つかぬ、戦闘に特化して「最適化」された鎧を纏うクロノスの戦闘歩兵群であった。

 

パルト皇国は、即座に全軍を動員した。

「不愉快な虫どもが! 数を揃えれば勝てると思っているのか!」

将軍の号令と共に、魔人たちの精鋭が魔法を解き放つ。空は炎と雷に包まれ、クロノスの軍勢は上陸のたびに万単位の損害を出した。

 

しかし、戦いは数週間、数ヶ月、数年と続くにつれ、魔人たちの心に「理解を超えた絶望」が浸透し始めた。

 

クロノスの軍勢には、終わりの兆しがなかった。

一万を斬り伏せれば、翌日には十万が補充される。十万を焼き払えば、百万が何事も無かったかのように帰ってくる。一つの拠点を奪還しても、背後の森には数日で巨大な換気塔が建設され、地中から無限に「労働者」と「兵士」が湧き出してくる。

パルト皇国の戦士たちは、戦えば戦うほど、自分たちが、今まで自分たちが相手にしてきたような「敵国」と戦っているのではなく、止めることのできない「自然現象」や「大規模な工事」に巻き込まれているのだという錯覚に陥った。

 

クロノスは略奪を行わなかった。彼らは占領した土地に、即座に測量を行い、石炭や石油の採掘権を宣言し、アルカナ大陸と同じ「統一規格」の標識を立てた。

戦いの最中でさえ、彼らは淡々と線路を敷き、通信網を張り巡らせる。

魔人の村が陥落すれば、翌日にはクロノス教の伝道師が「食料」を携えて現れ、戸惑う魔人の子供たちに、自分たちの神がどれほど慈悲深いかを、共通言語を介さずとも伝わる「物理的な豊かさ」で示し始めた。

 

2年が経過した頃、パルト皇国の屋台骨は、外側からの攻撃ではなく、内側からの「飽和」によって崩れ始めた。

物流を遮断され、土地と国民をクロノスに「管理」され、彼らはクロノスが持ち込んだ、圧倒的に安価で効率的な「規格品」の利便性に抗えなくなっていた。

 

個としての武勇が、億を越える無機質な合理性に、すり潰されていく。

誇り高き魔人の皇帝は、ついに自らの玉座の間で、目の前に置かれた一枚のパルプ紙を見つめることとなった。

そこに記されていたのは、アルカナ大陸の共通言語ではなく、パルト皇国の言語に翻訳された、冷徹な「停戦の申し出」を告げる文書であった。

 

皇帝の前に並ぶのは、白装束の信者たちと、その背後で静かに大顎を鳴らすクロノスの指揮個体。

「……我らパルト皇国は、これ以上の無益な流血を望まぬ」

皇帝の唇から漏れたのは、事実上の降伏宣言であった。

 

「貴公らの言う『規格』とやらを受け入れよう。その代わり、我が民の誇りまでは奪わないと約束しろ」

 

それを聞き届けたクロノスの個体がカチカチと短く音を立てる。

パルト皇国の言語と、クロノスの扱うモールス信号を学んだ伝道師は、微笑んで首を振った。

「神、すなわちクロノス様は、誇りなどという不確かなものを奪うためのコストは支払いませぬ。ただ、すべてを効率化し、最適化するだけです。……陛下、おめでとうございます。今日からステラ大陸もまた、偉大なる秩序の一部となるのです」

 

誇り高き魔人の帝国は、剣を折ったのではない。

ただ、抗いようのない「豊かさ」と「効率」という名の漆黒の津波に、静かに飲み込まれていったのである。

ステラ大陸の空に、アルカナ大陸と同じ、黒い煙を吐き出す巨大な換気塔が、次々と建設され始めた。

 




次回、最終話です。
本日13時に投稿予定。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。