もし体長1mほどのアリが知性を持っていたら   作:二度見屋

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第6話

森の静寂の中、ガストンは喉の渇きを堪えながら、目の前の黒い塊を凝視していた。

相手は声を発しない。当然だ、虫に声帯などあるはずがない。ガストンが放った言葉も、彼らにとってはただの「空気の震え」に過ぎないのだろう。

 

(……焦るな。こいつらは俺の『言葉』を理解しちゃいない。だが、この『文字』……この記号に意味があることは分かっているはずだ)

 

ガストンは、熟練冒険者としての意地を振り絞った。ここで逃げ出せば、この異常な知性の正体は永遠に闇の中だ。それに…この対話から奴らの情報が抜き出せれば、今度こそギルドの戦力でこいつらの討伐に打って出れるだけの証拠が手に入るかもしれない。

彼はゆっくりと腰を下ろし、剣を膝の上に横たえた。「戦う意志はない」というポーズを崩さず、空いた右手で地面の柔らかな土を指差した。

 

アリが刻んだ記号。

ガストンは、その横に自分の指で、アマルティア国の公用語を一つ、大きく刻んだ。

 

『ヒト』

 

ガストンは自分自身を指差し、次に地面の文字を指差した。

アリの複眼が、ガストンの指の動きを追って微かに揺れる。アリたちは、この二足個体が発する「音」それと彼が描く「図形」に意味が宿っていることを再確認していた。

 

一際大きな働きアリが、再び前へ出た。

そのアリは、ガストンが描いた『ヒト』という文字をじっと見つめた後、そのすぐ横に、自らが生み出した記号――キラーアントの「文字」を刻んだ。

 

それは、アリたちが自らの種族を指すために定義した『我ら』という記号だった。

アリは自分の頭部を叩き、次にその記号を叩く。

 

「……なるほど。お前らは自分たちのことを、そう呼ぶのか…」

ガストンは、互いの「名」を交換したのだと理解した。

 

対話は、気の遠くなるような速度で進んだ。

ガストンは地面に円を描き、その中に自分一人の記号を置くことで『一人』を示し、複数の円を描くことで『群れ』を示した。

対してアリ側も、自らの『群れ』と数に相当する数字をガストンに示した。

 

困ったのは数の進法が違うことによる数え方の違いだった。

アマルティア国含め、この世界の人類も基本的に十進法を用いた数字を扱うのに対して、キラーアント達の発明した数字は七進法…そのまま数の記号を対応させることは出来なかった。

しかしキラーアント達はその差を冷静に分析して早々に『十進法』の概念を理解した。(ガストンは首を傾げていたが)

 

(解析:二足個体『ガストン』は、情報の開示に積極的である。……だが、彼が描く『群れ』の規模と、防壁の大きさには論理的な乖離がある。……人類という種は、我らが想像する以上に巨大な『群れ』を形成している可能性がある)

 

ガストンは、アリたちが時折、数匹で触角を激しく打ち合わせる様子を見て戦慄した。

彼らはガストンから得た断片的な情報を、その場で共有し、推論を重ねているのだ。その学習速度は、人間の子供の比ではない。

 

「(こいつら、俺から『人類という種』がどれほどの規模なのか、どんな性質なのかを探ってやがる……。俺がたった一人でここに来たことで、人類全体が俺のように『群れから外れて動く』ものだと思わせちまってるのか?)」

 

ガストンは、アリたちが人類を「容易に排除できる小規模な群れ」だと誤認しないよう、慎重に記号を選んだ。アマルティアの街、そこに住む20万の民、そして王が率いる軍勢。それらを抽象的な図形として土の上に広げていく。

 

それを見るアリたちの反応は、静かだった。

彼らはまだ、人類の文明の深さを計りかねている。だが、目の前の老いた個体が、自分たちと同じように「論理」を用いて交渉を試みているという事実に、かつてない警戒を強めていた。

 

泥を纏った黒い軍勢と、一人の老冒険者。

文字と図形だけで紡がれる、あまりに静かな情報戦。

ガストンは、自分が人類の代表として、とんでもない怪物と契約を結ぼうとしているのではないかという、底冷えする恐怖に包まれていた。

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