影武者転生異常あり!~俺は悪役令嬢の影武者なんだ…誰が何と言おうが影武者なんだ!だから脇役でいさせろや!   作:三流二式

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『怪我の光明』

「──────んぇ」

 

 

 薄れていた意識が、徐々に目覚めてゆく感覚。

 

 

 ゆっくりと眼を開ける。ぼやけた視界は徐々に鮮明になり、見知った天井が視界に広がった。

 

 

 目をしばたく。脳裏に立ち込めていたクリーム色の濃霧が瞬く間に消えてゆく。クリアになった視界と思考に、動き始めた体の各機能より齎された情報の波が雪崩を打った。

 

 

「おう、生きてたか」

 

 

 鈴の音のような声が、覚醒したての鼓膜を震わせた。目を向ける。鑑写しのような顔を不機嫌そうに歪めた千歳が、読んでいた文庫本をぱたんと閉じてこちらへと顔を向けた。

 

 

「おはようございます」

「ふん、元気な事だな」

 

 

 パイプ椅子から立ち上がり、ベッドの傍らに立つと、千歳は腰に手を当てて俺を見下ろす。

 

 

「よくもまあ幹部とタイマン張って生き延びたものだ。運が良いのか悪いのか」

 

 

 呆れたように首を振り、またぞろ見下ろしながら睨みつける。

 

 

「ふふっ、皆さまの声援のおかげですかね。思いを力に、なんて」

「思っても無い事を抜かすな、この馬鹿」

 

 

 千歳はにべもなく言った。

 

 

「これで短期間で幹部が3人も滅ぼされたわけだ。お前も謀が上手くいってさぞご満悦だろうな。えぇ?」

「((んな訳ねーだろクソガキ))さあてどうでしょうね?」

 

 

 内心の苛立ちをおくびにも出さず、俺は適当に言ってお茶を濁した。千歳は疑わし気に半目となったが、頭不を振り、それ以上何も言わなかった。こいつも長い付き合いだ。こういう時の俺がはっきりとモノを言わない事くらい理解している。

 

 

「そうか、ならば私はもう行く。お前と違って忙しい身なのでな。お前は精々ミノムシめいて無様に包まっていろ」

 

 

 見れば千歳は制服姿である。時計に目をやると、時刻は午前10時30分を回った所だった。

 

 

「……遅刻ですよ?」

「私が何も手を打ってないと思ったか? メイドに身内の見舞いで遅れると連絡させてある。これでお咎め無しだ」

 

 

 得意げな笑みを浮かべる千歳に口を開きかけるが、止めた。言った所で聞く耳は持たないだろうし、何よりもうすでに彼女は自分の足で立って歩ける。俺の存在など、すでに不要となっていた。

 

 

 10年以上の付き合いである。自立し、自らの手で切り開いてゆく千歳に、なんとなく寂しい気持ちが──────。

 

 

「無いな」

「……? 何か言ったか?」

 

 

 独り言に反応した千歳が振り向くが、俺はただ曖昧に笑って煙に巻いた。千歳は怪訝そうに眉根を寄せたものの、それはそれだけの事だった。踵を返し、振り返りもせずに部屋を出て行った。

 

 

「つまりいつ消えてもいいと」

 

 

 本心だった。これでもはや俺は何の憂いも無くこのくそったれな三文芝居から降りる事が出来る。それが確信できた。だったらあのふざけた決闘騒ぎも、まんざら悪いものではなかったのかもしれない。

 

 

 災いが反転し幸福へと変わった。

 

 

 冷え切った心に。ほんの少しだけ熱が灯る。碌でも無い時間に終止符が打たれると思うとうれしくてたまらない。

 

 

 暗闇の中、遥か彼方で小さな光が生じた。辿り着くには今まで以上の艱難辛苦が待つであろう。だが、何の事があろうか。今までは光すら見えなかったのだ。か細く、頼りない光であろうとも、目指すには十分に過ぎる。

 

 

「おうこら。寝起きで大企業の一人娘との逢瀬たぁいい身分だな。えぇ?」

「おはようございます。くたびれ切った割には良い寝覚めです」

 

 

 入れ替わるように入ってきたニンゲンドックへ、先手を打って声をかけた。

 

 

「けっ」

 

 

 ニンゲンドックはじろりと睨みつけると、鼻を鳴らして俺の顔をぺたぺたと触った。

 

 

「問題なし。あれだけの大怪我を負っていた半死人が大した回復力だ」

「私が眠ってからどれだけの時間が経ちましたか?」

「あぁ?」

 

 

 頭をガリガリと掻きながらニンゲンドックは面倒臭げにカレンダーを見る。

 

 

「3日」

「は?」

「3日だ3日。お前が意識を失ってから3日だ馬鹿野郎」

 

 

 俺は目をしばたいた。ニンゲンドックはせせら笑った。

 

 

「ここは巣の中のお前の休憩室だ」

「……」

 

 

 にやにやと底意地の悪い笑みを浮かべながら、ニンゲンドックは滔々と語る。

 

 

「で、リビングにゃあイヌッころ共がお前の目覚めを今か今かと待ってる訳だ。お座りをして行儀良くな」

「……」

 

 

 ニンゲンドックはそれはもう楽しそうに声を上ずらせる。苛立ちが募る。顔には出さない。ニンゲンドックは爆笑した。

 

 

「そういう訳だ。骨は拾っておいてやるよ。じゃあな!」

 

 

 バシバシと肩を叩き、源蔵はゲラゲラ笑いながら立ち去った。

 

 

 部屋の中に束の間の静寂が流れた。心地の良い静寂であった。

 

 

 だが、扉の奥からどたどたとした足音と喧しい喚き声が聞こえたかと思えば、けたたましい音を立てて扉が蹴破られた。

 

 

「「うおぉおおお!」」

 

 

 こちらが何か言う間もなく、犬どもは我先にと飛びついてきた。

 

 

「おいコラあたしの方が早かったぞ! とっとと離れやがれ!」

 

 

 チワワが他の犬たちを怒鳴りつける。

 

 

「ふざけたこと抜かすな。俺の方が速かったに決まってんだろうが、こら!」

 

 

 ポメラニアンが素を取り繕う事すら放棄してチワワを引き剥がしにかかる。

 

 

「お疲れ様ですボス。本当にすごかったです」

 

 

 シバイヌが俺の頭を掻き抱いて撫でまわした。豊満な胸で顔が埋まり、シバイヌのつけている香水の香りとわずかに香る汗のにおいが鼻腔一杯に広がる。思わずむせたが、シバイヌは放すどころかますます抱く力を強めた。

 

 

「……」

 

 

 レトリバーは腕にしがみ付き、無言である。シバイヌの胸の中から辛うじて見えるのは、瞳孔がかっぴらかれた目を見開き、一切の瞬きなしに見つめられる瞳である。

 

 

「う゛わ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ん゛生゛き゛て゛る゛よ゛ぉ゛!!!」

 

 

 プードルが俺の下腹部に顔を埋めておいおい泣いた。

 

 

 動こうとした。だが怪我は完治してはいるものの、極度の疲労で碌に体が動かない。声を発しようにもシバイヌの胸が顔に押し付けられているので声すらも発せられない。

 

 

 だから俺は犬たちが落ち着くまでの間ただ黙ってされるがままにされた。解放されたのは、俺の目が覚めてからたっぷり1時間後の事であった。

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 嵐が去った後、俺はただ一人車いすの上に拘束されて巣の中に放置されていた。

 

 

 というのも、犬どもはやんややんやと騒ぎ立てたかと思えば、そろってどっかへと行ってしまった。なんでも祝勝会を開くとか何とかで色々と物を買うためだそうだ。

 

 

 まず間違いなく長くなるであろう買い物に、俺はまだ疲れてるからと同行を拒否した。渋々、本当に渋々といった形で犬どもは俺を連れて行かず、代わりにここから出ることを禁じ、その上あの忌々しい車いすを引っ張り出してきてがちがちに拘束しやがった。

 

 

「はあ……」

 

 

 一人である。思えば自由時間で一人というのも随分と久しぶりの様な気がする。大抵誰かしらの何かしらに付き合わされていたから、この時間はとても落ち着いて体を休める事が出来た。

 

 

 だが、そういう時に限って邪魔が入るものだ。ドアが開く音がして、そちらを見ると丁度トサケンが焼酎の一升瓶を抱えて入ってきたところだった。

 

 

「よう、目が覚めたか」

 

 

 どっかりと隣に座り、コップを二つ置き、焼酎をじょぼじょぼと注いだ。

 

 

「ほれ」

「……」

 

 

 差し出された片割れととトサケンの顔を交互に目を向け、おずおずと差し出されたそれを手に取る。

 

 

「一足早い祝勝祝いだ」

 

 

 トサケンは俺のコップと軽くぶつけ、ぐっと飲みほした。俺も遅れて口をつける。

 

 

 安口の芋焼酎だ。それほど上等なものではない。ただ、今の俺にはそれで充分であった。その安っぽさで、俺は十分なのだ。

 

 

「もう9年か。早いもんだな」

「えぇ」

 

 

 出会った日の事を思い出しているのか、トサケンの顔は酷く遠かった。

 

 

「お前と初めて会った時の事は昨日のように思い出せる。それまでの俺ぁただ流れる時間に身を任せるだけの負け犬だった。だが、お前と出会って、止まっていた時が流れ始めたんだ」

 

 

 ぐっと飲みほし、叩きつけるようにグラスを置く。

 

 

「そっからはあっという間だった。みみ子を鍛え、自分も鍛え直して、あれやってこれやって」

 

 

 自分で注ぎ足し、自分で飲み干したみみ蔵は、古箪笥の中からものを引っ張り出してあれこれ懐かしんでいる、ごくごく普通の老人のようだった。

 

 

「悪くない時間だった。残された時間をこんなにも素晴らしい記憶で彩りつけられるなら、悔いは無い」

「……」

 

 

 注がれる眼差しは、まさしく孫を見る祖父のそれだった。純粋な好意を向けられて、何だかむず痒くなって顔を逸らすと、みみ蔵は唸るように笑った。本当にうれしい時、みみ蔵は犬の唸り声のような笑い方をする。

 

 

「随分と遠くまで来た。お前はこれからどこへ行く?」

 

 

 鮮やかな緑色の瞳が向けられる。何百年と大地に根を張った巨木の様な威厳を纏った視線にさらされ、俺は一時目を閉じて、想う。

 

 

 脳裏に浮かぶのは誕生してから5年間の、知っているが知らない記憶。

 

 

 あれが俺の帰るべき場所。取るに足らないちっぽけな平穏。吹けば飛ぶような小さな群衆の中で、吹けば飛ぶような人生を歩む。

 

 

 それが良い。それ以上は何も望まない。非日常はもうたくさんだ。

 

 

「……さあ、どこまででしょうね。私にもわかりません」

「言うと思ったぜ」

 

 

 俺の嘘を、みみ蔵は信じたのだろうか。それはきっと本人にしか分からない。呵々と笑う老人の腹の底を思いながら、注ぎ足された芋焼酎に口をつけた。

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