影武者転生異常あり!~俺は悪役令嬢の影武者なんだ…誰が何と言おうが影武者なんだ!だから脇役でいさせろや! 作:三流二式
ぐいっと腹を裏側から引っ張られるかのような感覚、とでもいうのか。それとも洗濯機の中に放り込まれたぬいぐるみか。汚れ塗れという意味でならば、後者は実に正しい。洗い流せるならば洗い流したいものである。
ともかく形容しがたい感覚が、体を包む。
視界は真っ黒で、聴覚はごぉおおお、とまるで間近で滝が落ちてるかのような轟音が聞こえるだけで、意味のある音は何一つ聞こえない。
だがそれは一瞬の出来事で、強い光が視界一杯に広がったかと思えば、俺は雪が降り積もった一面の銀世界の只中にポツンと突っ立っていた。
「──────」
俺は目をしばたき、頭上を見る。空には雲一つない晴天が何処までも広がっており、お天道様は、どこぞで起こった喧騒などまるで知らないとばかりにただそこにあり、遍く愛と温もりを惜しみなく振りまいていた。
上げていた顔を戻し、正面を見る。白。
次いで右を見る。白。
その後に左を見る。白。
最後に背後を振り返った。白。
白、白、白。右を見ても左を見ても、白一色。太陽の光を受けて、目が痛くなるほどの光を放つ白が、どこまでも続いていた。
静寂だ。辺りに動く気配はなく、遥か彼方に至るまで、白い地平が広がるばかりで、めぼしいものは何も無かった。
思うに、死者の国とはこのような光景なのではないか。そう思えるほどに、空気は死に絶え、凍り付いていた。
動く者は無く、命の気配は無く。ただ己だけがここにいた。世界が自分一人だけになったかのような錯覚すら覚えた。それほどまでに、ここには何も無かった。
「……はっ」
口から声が漏れた。吐き出された声とともに、白い息が吐き出され、上へ上へと上り、霞んで消えた。
「はっは……」
声は止まらない。発作のように、突発的に。腹の底にたまったものを吐き出すかのように、形容しがたいエネルギーに突き動かされたかのように。
「はーっはっはっはっは!」
俺は握りこぶしを固く握り、両手を高々と掲げ、笑った。大笑いだ。これほどまでに感情的に笑ったのは、この世界に生まれてから初めての事だった。
「自由!」
「自由!!」
「自由!!!」
「
聖なる叫びを叫び、叫ぶ!
「
福音を謳う! 歓喜に突き動かされて!
「
感謝! 圧倒的なまでの感謝を、世界へ!
「ひーっひっひっひ!!!」
天地万物、遍く全てへ向けて感謝の叫びを終えると、俺は腹を抱えて笑った。堪え切れずに仰向けに倒れ込み、笑い、笑う!
雪でスーツが汚れるが、構いやしなかった。どうせもう二度と着ることが無い物なのだ。だったらいくら汚したところで、だから何だってんだ?
「ダッハハハハハハハハハ!!!」
笑いこける。気のすむまで。延々と。解放。絶頂。抱腹爆裂。抑えなくて良いという究極の解放が、抑圧の鎖を破壊し、踏みにじり、勝利を高らかに宣言するかのように、俺の笑みを止めさせない。止めるつもりも無かった。
「うけけけけけ!」
両手を広げ、完全なる脱力。雲一つ無い青く澄み渡る空を、見上げる。その際どこかの誰かの瞳の色が思い起こされたが、振り捨て、記憶の堆積物の山に放り込み、鎖で雁字搦めにし、井戸の底に落とし、蓋をし、要石を乗せて封印する。もう思い出す必要のない記憶である。
都合の悪い記憶はすべからく忘れるか、見て見ぬふりをするのが一番だ。人はそうやって都合よく世界を改変し、記憶を改変し、認識を歪めて生きてゆく。
あれもこれも。どれもこれも。失恋の記憶。死別の記憶。別れの記憶。破壊の記憶。あんな事、こんな事。胸いっぱいの誰かの愛も。悲しみも喜びも。
記憶にだって消費期限はある。使い倒し、いつかしか味のしなく待った記憶は捨てる意外に道はなく、かといって完全に消し去る事は出来ないから、深く掘った井戸の中に放り込むしかない。
とはいえ、そうやって何でもかんでも記憶の井戸の底へ捨て続ければ、いずれは溢れ出し、過去が自分を殺すだろう。
必要なのは選別すること。何が不要で何を残しておくべきか、きちんと考えて捨てることだ。
結局俺たちは誰かの力を借りなければ生きてはいけない脆弱な存在ではあるが、それはそれとして
恐るべき魔の手が伸びるのは、まさにそんな時だ。
絞め殺されたくなければ、完全にすべてを手放さない事だ。常に緊張感が持てるような重しを、最低でも一つ懐に忍ばせておく。緩んだ身を引き締めるなにかがあれば、少なからず
だが忘れてはいけない。結局の所この世は目に見えぬ罠に満ち溢れていて、それを踏むかどうかは運次第という事だ。
例えしがらみから解放されたとはいえ、調教しきった
ゆめゆめ忘れるなかれ。地獄を抜け出したとしても、人生というものは基本的に坂道なのだ。ちょっとでも躓けば、たちまち転げ落ちてゆくであろう。
「ヘッハハハハハハハハハハ!!!」
笑。
「ウハハハハハハハハハハ!!!」
笑。
「ア゛ァ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛……………………ていうか寒い!」
さむい。
「さむ。え、なにこれ。さむ。すげ~さむ。ていうかさむ。サム・ステイサム」
唐突に全てが冷めた。それまで感じていた熱狂は、すでにいずこかへ去っていた。後に残るのは、全てのケツを拭かされる俺一人だけ。
雪が体温で溶け、ぐしょぐしょの体を引きずり起こし、体を削り取るんじゃないかと思うほどの寒気に身を震わせながら正面を見る。白。
次いで右を見る。白。
その後に左を見る。白。
最後に背後を振り返った。白。
白、白、白。右を見ても左を見ても、白一色。太陽の光を受けて、目が痛くなるほどの光を放つ白が、どこまでも続いていた。
そこに感慨は無い。さっきまで世界の全てがきらめいて見えていたというのに、今じゃただ目が痛いだけで、不快感しか残っていない。
我々人間は認識の生き物だ。思い込めば熱砂の大陸であろうが極寒の死の大地だろうが住めば都。されど認識一つ変わればこの様だ。
「……帰るか」
ホーム・スイート・ホーム。結局一番いいのは我が家のベッドの中で、次に良いのは人んちに勝手に上がり込んで好き勝手に整えた空間だ。
一面の銀世界? 何も聞こえない死者の国の如き静寂?
くそ食らえだ。
俺は生きている。生者の国で死者の国の真似事がしたいんならご自由にどうぞ。どうせ死の果てに国なんかなく、あるのは無限に巡る生き地獄だ。
これこそまさに
空を睨み、鼻を鳴らしていると、正面からびゅう、と強い風が吹いた。平坦に整えた世界に立つ、不純な命を凍り付かせようとするかのように、強い風は執拗に吹きすさんだ。
この世界は私の物だ。風が唸り、吠える。
不敬であるぞ、たかが人間が。
俺は肩を竦めた。
どれだけ考えたところで、死んだ後の事なんかわかりゃしない。死んだところで本当に死ぬのか? 死んだ後に生き返るのかなんて、死んだときにしか分からない。
俺の今の生も、結局の所その一側面ってだけ。
箱の中に猫がいるかどうかなんて、開けてみなければ分からない。
生と死の先の事を考えるのは、そういうのが好きな奴にやらせとけばいい。俺は今を生きるので精一杯で、明日の事どころか今この瞬間の事しか目に入らない。
先の事をああでもない、こうでもないと、長々と考える奴を尊敬するよ、本当に。
頭を振るい、俺は全身の力を抜いた。完全なる脱力。それこそまさに死者のように、完璧なまでに体から力を抜く。風は満足がいったように、どこかへと去っていた。
再び静寂に満ちた世界で、俺は案山子のように突っ立っていた。
「シッ──────」
それから一気に力を爆発させた。強烈に踏み込む。周囲の雪が舞い散り、吹き飛んだ。
が、それも一瞬で過ぎ去り、全ての景色が瞬く間の過ぎ去ってゆく。
場所が分からないから、目印になりそうなものが見えるまでただひたすら駆けた。
白が消えたかと思えば、足元は揺らめく冴えた青に。それもすぐに過ぎ、一面の砂色が広がり、またもや青が広がり、次に爽やかな黄緑色が広がった。
摩天楼が彼方に見える。傾いた塔が見えた。遥か彼方まで見える長城が見えた。この星で一番高い山が見えた。
沢山の景色が目の端にちらついたかと思えば、瞬く間に過ぎ去ってゆく。全ては夢のようであった。
浮かび、消え、また浮かび、そして消える。
全部夢なんじゃないか?
時間の感覚が曖昧になり、浮ついた脳裏に、ふとそんな疑問が滔々と湧いた。
今までの酷い停滞も。恐ろしい光景も。醜い憎悪も。降り注ぐ死線も。何もかもが。酷く長い悪夢だったんじゃないかと、何とはなしに思った。
馬鹿馬鹿しい事この上ない。全ては現実で。全ては否定しようのない自分の中の一側面だ。
それでも、この光景を見ていると、そんな事を考えてしまうのを止められない。
それでもいいと思った。だって、それだって自分の否定しようのない一側面だ。だったら無理に否定なんかしなくったっていいんじゃないかな。違うかい?
気が付けば、俺は日本に足を踏み入れていて、東京の某所にある辺鄙な場所に立っている安アパートの地下に無断で独断で作った空間の中にいた。
勝手知ったるという足取りで中を進む。狭い空間だから、目的の物にすぐに手が届いた。
それはシリンダー状のカプセルであった。大きさは大体成人男性が何とか入り込める程度のサイズで、継ぎ接ぎだらけの機械はところどころ配線が剥き出しになっていて、まるで解体された人体みたいだった。
どっかの医療団体が作っているという医療カプセル、の予備部品を一日一個ずつくすね、設計図の写しの通りに組み立てた代物。それがこいつだ。
見た目はあれだが、設計図通りに組み立てたから一応は作動する。機能はそこらへんから攫ってきたカスを放り込んで実証済みだ。当然証拠は
服を脱いで全裸になり、スイッチを入れ、中に入り込む。
まるで棺桶の中だ。狭い空間の中で、俺はそう思った。
やがて蓋は閉じられ、シューッと音を立てて催眠作用のある霧が散布され始めた。
強烈な睡魔と心地良さ。抗わず、目を閉じる。積もり積もった疲れが、開放感が、たちまちのうちに全てを飲み込んだ。
■
チン、とレンジが完了を告げるような音がして、意識は目覚めた。唐突に目が覚めた割には、すこぶる寝覚めが良い。体が軽い。生まれ変わったかのようだ。
俺の目覚めに反応して、蓋は勝手に開いた。
素足のままペタペタと外へ出る。外はひんやりとしていた。そこで、そういえば最終決戦が終わったと同時に年をまたいだんだったなと、何とはなしに思い出した。
装置の傍らには籠が置いてあり、中には野暮ったいジャージが入れてあった。数日前に、自分で用意した物だった。
手早く身に着け、スリッパを履き、すぐ手前にあったはしごへと手をかけ、上ってゆく。
上った先の蓋を開ければ、そこはアパートの端っこの部屋のリビングであった。すぐ真横には蓋を隠すための箪笥があり、蓋をして再び元の位置へと戻す。
隠蔽はこれで完了だ。そしてイミテーションという存在の役目はこれにて終了となった。
お疲れさまでした。14年もの間ご苦労様。二度と出てくるんじゃねえぞクソが。
感謝の言葉を胸の内で告げると、俺はテーブルへと視線を移す。そこには山と積まれた漫画やゲーム。そして録画したDVDが積まれてあった。
「さーて、どれから手を付けようか」
腕を組み、じっくりと吟味する。長い時間をかけ、順番を決め、そして冷蔵庫からコーラを取り出し、ぐびぐびと飲む。シュワッとした炭酸が、喉を焼き尽くす。
頭の悪い砂糖味。幸せとはこういうことだ。
「じゃあ、君に決めた!」
一つのカセットに手を伸ばし、ゲーム機本体へとセットする。
「えぇい邪魔だ!」
空になったペットボトルが俺の手を離れ、放物線を描いて飛んで行き、ゴミ箱の中へと吸い込まれるように入っていった。
スカッとするような音が鳴った。
それと同時に窓の外から強烈な光が差し込んで、何事かと思って画面から目を離すと、隠れていた太陽がこんにちわしていた。
「──────はっ」
鼻で笑い、カレンダーを見る。
1月1日。今日は元日。1年の始まり。
ファンファーレが、画面から鳴り響く。
顔を戻す。最新作の一つ前のゲームのオープニングムービーが終わった瞬間であった。画面には『Start New Game』の文字。
俺はためらわずにボタンを押した。