影武者転生異常あり!~俺は悪役令嬢の影武者なんだ…誰が何と言おうが影武者なんだ!だから脇役でいさせろや! 作:三流二式
「はあ……はあ……はあ……!」
「「ギョゴゴ~ッ!」」
走った。走った。恐ろしいものから。恐ろしい状況から。
逃げた。逃げた。恐ろしいものから。理解の出来ない状況から
訳が分からなかった。どうして自分がここにいるのか? あの恐ろしい怪物たちは一体何なのか?
目まぐるしい状況の変化は、私に一瞬だって理解する時間を与えてはくれなかった。
何時だってそうだった。お父さんとお母さんがいなくなった時も。テレビ取材の人が押し寄せてきた時も。伯父さん伯母さんの家にお世話になる事になった時も。引っ越さなくちゃいけなくなった時も。与一ちゃんとのお別れの時も。■■■との戦いのときも。あの人が私達を庇って■■■しまった時も。
(あれ?)
私は思わずはっとなった。明らかに今考えることではない事なのに、それでも私は考えることを止められなかった。
戦いってなに? 庇うってなに?
この記憶は一体なに? 知らない。分からない。この記憶は過去の記憶? それとも未来?
分からない。分からない!
怖い……怖いよ!
「はあ……はあ……!」
分からない! 分からない! ここはどこなの!? この記憶は何なの!? 私っていったい何なの!?
何も分からない! 知らない! 怖い!
「~~~~~~だれかたすけてぇ!」
怖ろしい出来事に理解が追いつかなくって、心の中がぐちゃぐちゃになって、もう何も考えられなくなった私は、思わず叫んでしまった。
でも、どうせ無駄だと、私はすぐに悟った。だって、今までだって、一度として、この叫びが聞き届けられたことなんてなかったのだから。
だから、私は口を閉じて、ただがむしゃらに足を動かした。叫んだところで無駄だから。訴えたところで誰も聞き届けてなどくれないから。
だったら自分だけで何とかするしかないじゃない!
そう思って。恐ろしさに突き動かされながら、ただ只管に逃げた。逃げ続けた。恐ろしい怪物たちは相も変わらず私を執拗につけ狙い、どれだけ小さな隙間を縫って出ても、必ず同じ数の、同じ姿の怪物たちがいつの間にか背後にいて、やはり私を狙って追いかけてくるのだ。
色々な場所を駆けた。コンクリートの上。あるいはこの世のものとは思えない草花が生える草原。あるいは深い森の中。あるいは洞窟の中。
世界は瞬きするごとに変わり、何時しか私は延々と続く砂浜の上を走っていた。背後からは決して途切れない怪物たちの息遣いが、すぐ後ろで聞こえた。
もうだめだ。そう思いかけていた。どれだけ逃げても、隠れても。怪物たちは追ってきた。諦めが胸の内に居座り、決して消えることはない。体力も、もう尽きようとしていた。
そして、とうとう走れなくなって、膝に手を当てて息を整えて、そして顔を上げて──────。
昔から良く見る夢があるの。
気が付くと無限の色彩が広がる空間の中にいて、私は沸騰する不定形の何かを見下ろしているの。
不定形の物体は常に増殖と分裂を繰り返していて、かと思えばまた一つに集合し、収縮し、また分裂と増殖を繰り返す。繰り返し。永遠に。何度も何度も。
怖ろしくて悍ましくて、でもどこか神秘的で目が離せないもの。
不定形のものの周りにはたくさんの影がいて、その姿かたちは千差万別。鱗を持つモノ。渦巻角を持つモノ。沢山の腕を持つモノ。山のような巨体を持つモノ──―。
とにかくたくさんの影たちが、不定形の何かを中心に輪になって、太鼓や笛を吹きならしながら、踊っている。
今まで聞いてきたどんな曲とも違う、知らない旋律。見た事も無い踊り。それなのに、どこか懐かしい感じがする。初めて聞いたはずなのに、どこか既視感があるの。
影が打ち鳴らす野蛮な太鼓。ガラス窓越しのようにどこかくぐもって聞こえる、金切り声の様なフルートの音色。
それはきっと、本来ならば不愉快なもののはずなのだと思う。普通の人が聞いたら、おかしくなってしまうという確信が、私にはあった。
そんな、『不愉快な曲』に耳を澄ませて聞き入っていると、決まってそのタイミングで、中心の不定形なモノが何か言葉を発している事に気が付くの。
ごにょごにょと、不明瞭で、無限に捲し立てられる言葉の羅列。きっとそこに意味など無いとは分かっている。それなのに、聞き耳を立ててしまう事を止められない。
そして、私はどんどん不定形なモノへと近づいて行く。光に吸い寄せられる、蛾のように。ふらふら、ふらふらと。踊り狂う影たちの合間を縫って。誰も私を咎めない。止める者はいない。
でも、何時も後一歩という所で、肩に手がかかる。
振り返ると、そこにいるのは影と同じように不明瞭な、
悪魔は何も言わず、ただ黙って、私の前に立っている。顔は朧で、どんな表情をしているのかは分からないのだけれども。
それでも、どこか微笑んでいるように思えるのは、私の願望なのかな?
さっきまで無我夢中で近づこうとしていた不定形なモノへの執着は、すでに雲散していた。代わりに、何が何でもあの悪魔に触れようとして手を伸ばすのだけれど、そこで夢は唐突に覚め、私は現実に引き戻される。
いつもなら、それで終わり。でも、今日はそうじゃなかった。
夢には続きがあった。とびっきりの悪夢。恐ろしい怪物に永遠と負いかけられる怖ろしい夢。その続き。
顔を上げた先に、悪魔がいた。そうだ悪魔だ。悪魔に決まっている。
だって。こんなにきれいな人が。この世界に。いるはずが無いもの。
まるで雲一つ無いときの空の様に抜けるような青い髪を腰まで伸ばし、大人っぽいスーツをピシッと着こなした、大人の
そして何よりその目。まるで深海の底のような、深い青色の瞳。そしてその瞳の中心で渦を巻く
私は悪魔の瞳に渦を巻く何かに魅入られて、目が離せなかった。
でも、そんな風に止まっていたら、当然追いかけていた者たちが追いついてくるのは当然で、3体の怪物たちが私の背後に現れた。
「ひっ」
そして現れたそれらに私は飛び上がり、尻もちをついて後退った。
「「ギョギョギョ~!」」
怪物たちは倒れた私に一斉に飛び掛かろうとして、それで、悪魔が私と怪物との間に割って入って、先頭にいた怪物を瞬く間にやっつけてしまった。
「「ギョギョッ!?」」
仲間がやられて後退る怪物を前に、悪魔は気にも留めずに私の方へ振り向いて、口を開いた。
「ここからは、少々見苦しい光景となります。なので、どうか、目を閉じ、耳を塞いでいてくださいね?」
まるで鈴の音の様な軽やかな声が、その口から放たれた。放たれた声は窓から吹き込んだ微風の様にするりと私の耳の中に入り込み、胸の中へとしみこんでいきました。
私は言われた通りにしました。目を閉じ、耳をふさぎ、その場にしゃがみこんだ。そしてその時、頭に何かが乗せられました。
(──────)
ほんの一瞬。ほんの刹那。それが悪魔の手であるという事は、すぐに分かりました。乗せられた個所から、じんわりと熱のような物が染み込み、全身に波及して、私の体の震えは、いつの間にか消えていました。
あれだけ心を支配していた恐怖は、影も形もありませんでした。
そのすぐ後です。私の頭を、とんとんと優しく突く感触がしたのは。
私はぱっと目を開け、立ち上がりました。悪魔の顔がドアップで写りました。
「ひゃあっ!?」
私はまた尻もちをついてしまいました。ですが、後退りはしません。その必要が無いからです。
「おや、驚かせてしまいましたね。これは失礼しました」
驚く私に、悪魔は謝りながら、そっと手を差し伸べてきました。
「あ、えっと……どうも……」
差し出された手を、おずおずと握り返し、立ち上がるのを手伝われながら、立ち上がる。
「災難でしたね」
「は、はい……ありがとうございました……」
私の服についた砂をぱんぱんと払いながら、悪魔は苦笑した、どきりとした。あらゆる仕草が様になっていた。
「さて、落ち着いて話をしたいところですが、どうもそういう風にはいかないようです」
「え、どうして──―」
それから先を言わずとも分かった。あの悍ましい声が、遠くから再び聞こえてきたからだ。しかも、今度は3つどころではない。もっとたくさんの声だった。
「先ずは移動しましょう」
「……」
私は一も二も無く頷いた。
「よろしい。では、手を」
そう言って再び悪魔は手を差し伸べてきた。私はすぐさまその手を握りしめた。
悪魔は微笑み、握り返し、私の歩幅に合わせてゆっくりと歩を進めた。
さく、さく、さく。砂浜に足跡を付けながら、私達は移動を始めた。
声が遠ざかる。恐怖が遠ざかる。この地に立って初めて、恐怖以外の感情が心を満たした。