影武者転生異常あり!~俺は悪役令嬢の影武者なんだ…誰が何と言おうが影武者なんだ!だから脇役でいさせろや! 作:三流二式
「はっ……はっ……!」
息を切らせて、走る。時折つんのめりながらも、それでも前に進むことを止めはしない。
……どうして私は、こんな。まるで、逃げるように走っているのだろう?
確かにあの男の人には驚かされた。怖いとも思った。しかし、あの男の人は優しかった。下心なんかない。純粋に私の事を心配してくれていた。
なのに、私は礼の一つも言わず、
醜い。それ以前に情けないにもほどがある。
しかし、いつもなら囚われるであろう自己嫌悪を押しのけて、頭の中に疑念がよぎる。
この酷い忌避感は何? 何をそこまで恐れているの?
──────分かっているくせに。
胸の奥底から、嘲り笑う声が這い上がり、頭の中で反響した。
(……分からないからこんなに苦しんでしょっ!)
頭を振るって声を振り払う。しかし、声が残した悪意はしつこくこびり付き、離れる事はない。
そして、一度ドツボにはまれば、ふとした拍子に抜け出せない限り、やることなすこと全て裏目に出る。私はそれを良く知っている。何せ今まで散々経験してきたことだから。
なにかに躓いて、私は無様に転倒した。
「痛ったぁ~……」
「ハロー!」
痛みに呻きながら、身を起こしている時に、私の背中に声が投げかけられた。私は身を起こした姿勢で硬直した。その声は今一番聞きたくない声であったからだ。
震えながら首を巡らせ、声の方向へと顔を向ける。案の定、嫌らしい笑みを浮かべた『
「え、あ……ど、どうして……」
「あ? どうして?」
高木さんは心底不思議そうに小首をかしげ、それからせせら笑った。
「馬鹿? そうやって倒れてんのが答えじゃん。いちいち言わせんなよ」
「察しワルっ!」
「ウケる!」
取り巻きの二人も便乗して嘲り笑う。
「……ッ」
私は咄嗟に周りに助けを求めるように見まわすが、まばらにいた生徒たちはさっと目を逸らすか、足早に去ってゆくかの二通り。私を助けるという選択肢はないみたいだった。
我ながら馬鹿なことをしたと思う。
山吹色の髪をたなびかせ、誰彼構わず噛みつく狂犬。腕っぷしも強く、今年入学してきた一年生の中で、まず間違いなく一番強いと断言できるのが彼女だ。……強さで地位が決まる時代でもあるまいに、時代錯誤の勘違い女子。いい迷惑だ。本当に。
しかしその腕っぷしの強さは先輩方、を通り越して先生すらも手を焼ており、噛みつかれた時の火消しや関わった時のデメリットを考慮してかノータッチ。学生は言わずもがな。そしてそれは学園史上最悪と言われていた3年生の『代野大』を下したことによって、決定的となった。
実際彼女はほぼ野放し状態。好んで手出しする者は
「で、いつまでそんなカッコでいる訳?」
「え?」
高木さんに言われて、私は現実へと思考を引き戻された。四つん這いの格好で硬直。傍から見たら、きっと犬みたい。
「わ、わわ……」
急速に羞恥心が膨れ上がってゆく。慌てて立とうとしたのだが。
「あーいい、いい。アタシが立たせてやるよ!」
私を制し、高木さんは掌御向けてきた。その瞬間、見えない力でぐんと引っ張られ、気が付けば私は彼女に胸倉を掴みあげられていた。
彼女の異能『引斥力』の力だ。その名が示すとおり、彼女は遠く離れたものを手を使わずに引き寄せる事が出来、逆に好きなように弾き飛ばす事が出来る。
この力を使って彼女は代野大をお手玉の様に弾き続け、全治数か月物の大怪我を負わせた。その話は今でも語り草で、日に日に誇張されゆく話を聞く度に、私は身の震えを押さえる事が出来なかった。
「お前さ、なんかアタシのこと舐めてない? あ?」
目を眇めた高木さんの顔が間近まで迫る。もはや声すら発する事が出来ない私は、ただ只管に首を横に振って否定の意思を伝える意外に出来ない。
視界がぼやける。涙によって。
取り巻きの嘲笑が反響する。集中する好機と怯えの視線。
涙を流しながら、私の中にある感情は恐怖、羞恥、そして怒り。様々な感情が渦を巻き、ぐちゃぐちゃになった頭の中は何も考えられない。
ぼやけた視界の中で、高木さんと取り巻きたちが何か言っている。ミキサーでかき混ぜられた野菜みたいにどろどろの思考は、それらの一切合切の理解を拒んだ。それでいいと思った。どうせ、聞き取るに値しない、下らない事なのだから。
「──────!」
高木さんは釣り上げた私をゆさゆさとゆすりながら何事か喚いている。何の反応もしない私に苛立っているようだった。
(あ、これはいよいよまずいかもしれない)
そう思った時、不意に圧力が消失し、私は重力に従って真っすぐに落ちていった。
「痛っ!?」
ドスンと尻もちをついた私は痛むお尻を押さえながら、先程のものとは質を異にする涙を払って、高木さんを見上げた。
高木さんはもう私を見ていなかった。私の背後を苦い顔で凝視しながら、私を掴んでいた右手を庇うように摩っていた。私は目をしばたたいた。彼女の右手は凍り付いていた。
(氷? という事は……)
私は後ろを見た。
「朝っぱらから早々に元気な事ね、高木炎」
「テメェ『一ノ瀬』……ッ!」
濃紺色の長い髪を腰まで伸ばした、人形のように表情の無い少女『一ノ瀬歩』さんが、その雰囲気と表情に相応しい凍り付いた声で、高木さんを見つめていた。
彼女の姿を見るなり、遠巻きに見守っていたやじ馬たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。取り巻きも便乗して背を向けて逃げ去っていた。しかし、彼女たちを攻める者はいない。誰も『氷点下の女王』の怒りなど買いたくないのだ。
「ご挨拶じゃん『風紀委員長』サマ。不用意な異能の行使は校則違反だぜ」
「それは貴女にも当てはまることよ問題児。それと、私は委員長権限で特例で許されるわ」
「「……」」
私を挟んで睨み合う両者。互いの感情がぶつかり合い、その間が陽炎のように滲んで見えた。その最中にいる私は堪ったものではない。生きた心地がしない。速くいなくなって欲しい。高木さんも、一ノ瀬さんも。両方とも。
「私は貴女と違って暇じゃないのよ、高木炎。保健室で凍りつけにした問題児の解凍作業をしなくちゃいけないの。抵抗するなり逃げるなり、早く判断して」
「はっ、もうすぐホームルームの時間だぜ? 今更急いだって遅いんじゃないの?」
「貴女と一緒にしないで未熟者。今からやれば十分間に合うわ」
「……くそっ」
睨み合うこと数秒。高木さんは捨て台詞を残し、肩を怒らせて去っていった。私は動けなかった。去り際に残した高木さんの怒りに満ちた一瞥に、足がすくんでしまったのだ。
「……」
高木さんが去っていった方向をしばらくのあいだ見つめていた一ノ瀬さんは、やがてゆっくりと踵を返し、去った。私は動けなかった。去り際に残した彼女の虫か何かを見るような冷たい一瞥に震えあがってしまったからだ。
「もう、なんなのよぉ……」
誰もいなくなった伽藍洞の廊下のど真ん中でへたり込んだ私は、震え声で一人呟き、目元を払って、震える足腰に鞭打って、よろよろとふらつく足で、どうにか教室にたどり着いた。ホームルームまで時間ギリギリ。
(まったく、今日は最低な日だ……)
程なくして先生がやって来て始まったホームルーム。教壇に立った先生の話を聞き流しながら、私は心からそう思った。
しかし、これが長く続く最悪な日の、ほんのほんのさわりでしかなかった事に、程なくして私は気が付くことになる。
事の始まりは、放課後の校舎裏。高木炎とその取り巻きに連れ去られた時に生じた、思いがけない再会からだった。