影武者転生異常あり!~俺は悪役令嬢の影武者なんだ…誰が何と言おうが影武者なんだ!だから脇役でいさせろや! 作:三流二式
授業も終り、放課後の人影もまばらな1階廊下を、ツナギを着た大柄な男が荷物を担ぎながら、酷く窮屈そうに歩いていた。
「クソったれめ。新人だからってこき使いやがって……」
男、ヤマネコは、一緒に派遣されてきた上司の老人に向けて、毒づいた。
というのも、ヤマネコは日雇いのアルバイトとして潜入し、首尾よく学園に入り込むことに成功したはいいものの、彼に付けられた付き添いはとんでもないロクデナシであった。
時間通りにやって来たヤマネコに対し、この老人は5分も遅れてのこのこと集合場所にやって来た。その事に対して謝罪も無し。何事もなく自己紹介と簡潔な仕事の説明を行い、それで終わりだ。
「今日一日だけの付き合いだが、よろしくな、ニイちゃん!」
にこやかな握手と共に、老人はそう言った。しかし、ねばついた笑みの奥。細められた目には嘲りだけが浮かんでおり、彼が日雇いというものを見下しているのが見え見えだった。その上口では愛想の良い事を言っているが、何でもかんでもに理由をつけて、仕事を彼に押し付けた。曰く、何事も経験だそうだ。
そんなこんなで、ヤマネコは現在相当に鬱憤が腹の中でたまっていた。
時刻は16時を回った所。学生たちはとうの昔に窮屈で退屈な教室から抜け出し、抑圧の鬱憤を晴らすかの如く町の方々に散っていた。
自分の脇を抜けていく彼らを、ヤマネコは酷く羨ましそうに見つめていた。
(ウチのガキ共もそうだが、子供ってのは気楽で羨ましいぜ……)
ヤマネコはしみじみそう思ったが、直後に彼の脳裏に閃くのは、家の中で怪獣めいて暴れる娘と息子。そしてそれをなぜ注意しなかったのかと叱責を延々と続ける口やかましい女房の声。
ヤマネコはうんざりと顔をしかめた。
「お疲れさまでぇ~す!」
「おう、お疲れ」
部活のユニフォームを着た学生がすれ違いざまにかけてきた労いに、ヤマネコは顰め面を引っ込め、愛想よく笑みを浮かべながら手を振って応じた。
「全く、ガキンチョ共はこんなに気前良い奴ばっかだってのに、あのオヤジめ……」
学生たちの気配が感知範囲から消え去ったのを確認すると、ヤマネコはそれまで浮かべていた笑みを消し、元の不機嫌そうな顔でぶつくさと呪詛を吐いた。
「オラどけどけ!」
「「わはははは!」」
「ン―ッ! ン―ッ!」
その脇を、何かを担いだガラの悪そうな女子高生3人組が、疾風めいた速度で走り去っていった。
ヤマネコは目をしばたき、ぐるりと首を巡らせた。
「おいおいおい、物騒だな……」
ヤマネコは小さくなってゆく監視対象たちの背を見つめながら、顎に手を当てて沈思黙考した。
(どうする? 監視は放課後までって言われちゃいるが、さすがにあのまま見過ごすなんてのはできねーし。まいったな……)
そんな時である。
「お疲れ様です!」
声が聞こえた方向へ顔を向けると、制服をかっちりと着こなした長い黒髪をポニーテールにまとめた少女が立っていた。その腕には風紀員の腕章。ヤマネコはピンときた。
「あぁ、ありがとな。ところで、ちょいと君に頼みたいことがあるんだが、構わんかね?」
■
「テメェこら!」
人気の無い校舎裏に、少女の怒号が響き渡った。
声の主は高木炎。泡沫学園の支配者。彼女は今、怒り狂っていた。矛先は彼女と対照的に覇気も存在感も無い、薄幸そうな雰囲気を放つ、小さな少女であった。
「あわあわあわ」
詰められている少女、久留井は、炎の怒気に当てられて口元を戦慄かせた。大型の肉食獣に追い詰められた小動物のような物だ。残された道はせめて苦痛を長引かせない様に無抵抗でいることだけである。
「あ? 何だその面は?」
眉間に皺を寄せて凄む炎は左手を掲げた。たちまち力が働き、勢いよく開かれた手の中に棒状の物体が吸い寄せられてきた。鉄パイプである。
「何か言えや、おら!」
炎は久留井に向け、やおら鉄パイプを振り下ろした。振り下ろされた鉄パイプは彼女の真横の壁に叩きつけられた。ガツン、と鈍い音が響き、壁に罅が生じた。
「ひっ」
久留井はびくりと肩を震わせ、遂には壁を背にずるずるとへたり込んでしまった。
取り巻きはにやにやと笑いながら事の有様を見守っていたが、その額には隠しようもない冷汗が滲んでいた。彼女たちは炎のそばに侍る事を許されているが、特段に仲がいいという訳ではない。単に払いのける理由が無いというだけの関係である。
気まぐれがいつまで続くか分からないが、それが冷めれば何時でも炎はこの二人を目の前の得物同様に嬲り潰す事に、いささかの躊躇いは無いだろう。
故に彼女たちは必死であった。兎にも角にも矛先を誰かしらに向けなければならない。自分たちがその大きな牙で噛み千切られない様に。その爪で引き裂かれない様に。いつか来る酷いしっぺ返しの影におびえながら。彼女たちは贄を捧げ続けるのだ。
「立てよ、おい!」
「ほらほら、早くしないとどうなるか分かんないよ~?」
取り巻きたちは率先して
「……フン」
張り付けた笑みを浮かべつ取り巻き二人と、それらに抱えられた久留井とを一瞥し、炎は鼻を鳴らした。表面上は彼女は怒り狂って見せているが、その実内面は驚くほどに冷え切っていた。
炎は悲惨な家庭環境で育った。父はロクデナシ。母親はムシケラ。仕事にあぶれ、酒を飲んでは世界を呪いながら母を、時に炎をしこたまぶっ飛ばした父。
母は事が済むまで蹲ってじっと耐えしのび、父が満足してどこかへ行くと、それまでの鬱憤を全て炎に叩き込んだ。
『私はあの人のために。あんたは私のために生きてるの。死ぬなんて、許さない』
首つり縄を握りしめた炎に向けて、母が言った言葉であった。虚ろ色に濁った死んだ瞳。
(あぁそうか……)
炎は理解した。
媚び諂う二つの顔。怯え切った小さく哀れな犠牲者。その姿に、父に殴られて床に突っ伏し、涙を流して嗚咽を漏らし、世界を呪う己の姿を幻視した。
(こいつらは昔のアタシで、アタシは父か……)
炎は一人合点し、燃えるような怒りの表情を向け、ガラス玉のように濁った瞳で久留井を見下ろし、その脳天に向け、鉄パイプを振り下ろした。
その時であった。鉄パイプが赤熱し、あっという間に溶け落ちたのは。
「ッ!?」
異変を感じた時、炎はすでに鉄パイプを手放していた。
「やあやあ、暴力は駄目だぞ炎
「その声!」
声が耳に入るなり、炎は心底鬱陶しそうに顔を歪めると、うんざりとしている事を隠しもしないで声の方向へと顔を向けた。久留井たちもそれに続いた。
そこには野暮ったい黒髪を七三分けにし、黒い眼鏡をかけた冴えない男子学生が立っていた。
「こ──────」
彼は何かを言おうとしたが、背後から近づいて来た新たなるエントリー者に蹴飛ばされて、言い切る事も出来ずに無様に地面を転がった。
「グワーッ!?」
「不良取り締まり重点!」
新たに現れたのは、制服をかっちりと着こなした、長い黒髪をポニーテールにまとめた女学生であった。その腕には風紀委員の腕章が誇らし気に巻かれていた。
「親切な情報提供者からの頼みで来てみれば、やはりお前か高木炎!」
「ありがとうございます!?」
蹴飛ばした男子学生を踏みしだきながら、少女は炎に向けて啖呵を切った。
「また面倒なのが来たな」
炎は忌々しそうに吐き捨てた。
「お前ら全員御縄に──────」
いきり立った少女は、自らの周りに力場を作り出した。このまま全て『風』で吹き飛ばし、気絶したところを捉えるつもりだった。その顔が凍り付いた。
少女は取り巻き二人。正確に言えば二人に両肩を押さえられている久留井を凝視していた。久留井もまた同様に少女を見つめ返していた。そこには恐怖の欠片も無い。ただ純粋な驚愕だけがあった。
「久留井……?」
「与一ちゃん……?」
互いの名を呟く小さな声が交わされた。場の空気が変わった。
(何だこいつら。知り合いか?)
完全に二人だけの世界に入り込んだ久留井と少女を視界に収めながら、炎は空気の変化を訝った。
久留井は口を開こうとしたが、無粋な声が遮った。
「食べるゲロ」
全員が声がした方向に目を向け、それから目を丸くした。取り巻きの片方の真横の壁に『歪』が生じており、その中心から禿頭の男の頭が生えていたからだ。
「食べるゲロ」
男は繰り返した。
「何を?」
と、取り巻き。
「きみ」
ハゲ。
「え?」
取り巻きが呆けた声を発した。
「食べちゃう」
ハゲ頭の男は簡潔に言い放ち、それからやおら口を開けた。口は限界までこじ開けられ、限界を超えてなおこじ開けられ、まるで深海魚めいた大口を瞬時に構成すると、呆気にとられた取り巻きの頭を齧りつきにかかった。
「食べ──────アギャッ」
だが鋭い牙が取り巻きの頭をえぐり取る寸前に、その口が凍り付いた。
「「え?」」
呆気にとられて硬直する少女たちの前に、一人の少女が姿を現す。
「『歪』の気配を感じてきてみれば、面白い状況ね」
「一ノ瀬……!」
現れた歩は炎をつまらなそうに一瞥すると、『歪』の中心から顔を出す禿げ頭を睨みつけた。その目に憎悪に炎が燃え上がった。
「痛いゲロ」
「そう。なら、痛くない様にしてあげる」
ハゲ頭は無感情に言った。いつの間にか破壊された口は修復されており、再び顎を形成し、歩の頭を抉り取りにいく。歩は全く物おじせずにそれをかわすと、手の中に氷の槍を作り出し、ハゲ頭に向けて思い切り突き立てようと振りかぶった。
「よせ、お嬢ちゃん!」
その背後に焦燥に満ちた叫び声が聞こえた。しかし、少々遅かったようだ。
ハゲ頭のど真ん中に、氷の槍が付き立てられた。
その瞬間、凄まじい耳鳴りに襲われたかと思えば、彼女たちの足元の地面がガラガラと崩れ落ちたではないか。
「なッ!?」
歩は驚愕に目を見開き、足元を見た。見つめ返すのは土の地面ではなく、底の見えない虚ろであった。
「わ、わあ!?」
「久留井!」
ばたつく久留井の手を、少女が、与一が咄嗟に手を伸ばし、掴み、手繰り寄せ、その小さな体を抱き止めて庇った。
落ちてゆく、落ちてゆく。体だけでなく意識までもが黒い闇の中に落ちていく。
薄れゆく意識の中、彼女が最後に見たのは、霜の煙を放つ、大きな虎の影であった。