影武者転生異常あり!~俺は悪役令嬢の影武者なんだ…誰が何と言おうが影武者なんだ!だから脇役でいさせろや! 作:三流二式
暗夜は上の空であった。暗夜だけでなく績も、軌陸も。
朝起きて、通学路で会っても互いに軽い挨拶のみで、それ以降口を閉じたまま話すことも無く登校し、授業中も(いつも大して聞いているわけではないが)窓の外を眺めるだけ。
昼食も一人で取った。いつもなら績とみみ子、時折軌陸やエミリーと集まってやいのやいの言いながら取っていたものだが、今日は一人だ。
そして、気が付けば暗夜は一人家路についていた。
暗夜は目をしばたいた。左を見る。いつもならいるはずの績はいない。右を見る。いつもなら喧しくてかなわないみみ子がいない。
暗夜ははたと立ち止まった。
いつもなら!
何という事だろうか。暗夜は愕然とした。
いつの間にか自分の中で彼女たちがいる事が当たり前のようになっていた。
こんなふうに一人でいる事は、随分と久しぶりだった。暗夜は過去を思う。
産まれた時から父も母もおらず、ずっと祖父と二人で暮らしてきた。厳格で厳しく、いつも怒鳴りつけてはぶん殴ってくる、そんな、昔気質の雷親父だった。
『そんな腰の入っ取らん一撃でこの世を渡れると思うか!!!』
『何たる惰弱的発想! 異能が無いお主など、誰が相手にするものか! それでもなお繋がりが欲しいか! ならば剣を取れ! お主の力で、勝ち取って見せろ!!!』
『スマートフォン!? ついに文明の毒に侵され始めたか!!! 何じゃと! わしに勝ったら買ってもらう、とな!? 抜かせ小僧! お主如き至らぬ腕前の小僧一匹に後れを取るワシでは無いわ!!!』
文句を言えばぶん殴られ、あれが欲しいと言えば勝ち取って見せろとぶっ飛ばされ、来る日も来る日も剣を振らされた。
手にまめができる程振らされ、顔を腫らして登校したのも一度や二度ではきかない。
異能が無く、そんな風にみっともない体でいる奴など、格好の的でしかない。誰も彼もがこぞって暗夜を馬鹿にした。父と母がいない事も、その傾向に拍車をかけた。
無邪気で残酷な悪意の中、しかしそれでも暗夜が歪まずに真っすぐ育ったのは、忌々しいことに祖父の存在であった。
というよりも、歪む暇が無かったというべきか。
弱みをいえば殴られ、恨み言をいえばそんな下らん事を言っている暇があったら剣を振れと怒鳴られた。
はじめの内は憎悪しかなかった。意味も分からず頭ごなしに強くなれとしか言わない祖父に、殺意すら湧いた。
しかし、今日こそぶっ殺してやると息巻いて忍び足で祖父のいるであろう仏間の衾をそっと開け、中の祖父の様子を窺ったその時から、自分の中にあった祖父への憎悪はたちまちの内に引っ込んだ。
祖父は仏壇を前に胡坐を組み、項垂れていた。項垂れる祖父は、今まで見た事が無い程くたびれ切り、弱り切っていた。
背後から見ているため、その表情は分らないが、あの時祖父は、もしかすると、泣いていたのかもしれない。
暗夜には父はいない。母もいない。どうしてかと、暗夜は何度も祖父に問うた。しかし、帰ってくる言葉はいつも死んだ、というそっけない答えだけ。
『父と母の事が知りたい? ……まだ、早い。お主が、そうさな、もう少し大人になったら、そう……話してやるわい』
案の定ばれた暗夜はまたぶっ飛ばされると踏んでいたが、しかし予想とは裏腹に、頭に拳骨が落ちることは無く、代わりにのせられたごつごつした掌の感触。そして、いつもとは違う、答え。いつもとは違う、弱り切り、すり切れたかすれ声。
されるがままに撫でられ、言われるがままに祖父の言葉を耳に傾けながら、暗夜は、祖父がまるで、老人みたいだ、と思った。
その日を境に日常が変わる事も無く、暗夜は変わらず恨み言や弱音を吐き、祖父は変わらず怒鳴りつけ、ぶっ飛ばした。
しかし、暗夜は祖父を恨むことが無くなった。代わりに、自分は何者なのか、と考えるようになった。
『ワシはもう死ぬ。最後に話してくことがある。ええか暗夜。お前の母親はな───』
そして月日は経ち、高校への入学も決まったある日の夜。
暗夜は祖父の部屋で正座していた。正座し、もうじきその命を終える祖父の言葉を一言も逃すまいと、全神経を傾けていた。
彼の娘、母の好きだったこと。好きな音楽の事。嫌いなものの事。幼少期の思い出。大人になり、教団の白い者として戦いの日々の事。功績を見求められ、かつての自分と同じ光の者として名誉ある騎士となった事。
祖父は母の全てを教えてくれた。しかし、父の事は教えてくれなかった。いや、もしかしたら伝えようとしていたのかもしれない。しかし、祖父にはもう時間が無かった。
伝えたいことは無限にあるのに、時間が、命がそれを許してくれない。だから、祖父は選び抜いた。父の事を伝える代わりに、愛を伝えた。
『ワシは碌な親じゃなかった。お前が泣いた時にはしこたまぶっ飛ばし、辛いと思った日にはただ剣を振る事だけを命じた。ワシはどうしようもない奴じゃった。恨んでおるじゃろう? 当然じゃ。お前にはその権利がある』
じゃが、と祖父は涙をこぼしながら、絞り出すような声で、言う。
『お前にいくら恨まれても構わない。墓に唾を吐いたってお前には許される。だが、これだけは覚えてくれ。烏滸がましいかもしれんが、これだけは』
暗夜を見つめ、祖父は言った。
『お前を愛していた。例え心が〝闇〟に沈もうと、何者に成り果てようとも、ワシはお前を愛する』
そして、最後に自分の部屋の押し入れに父の事に関する物を全て押し込んであると伝えたのち、祖父はついに力尽き、動かなくなった。
暗夜は泣かなかった。ただ、終始穏やかな顔で祖父の話を聞いていた。
祖父が事切れた後色々とごたつき、全てが終わった後でも、彼は祖父の部屋の押し入れを開くことは無かった。
その理由は、暗夜はまだ自分が大人であると、どうしても思えなかったからだ。
だから、大人になるために、暗夜はいろんな厄介ごとに首を突っ込んだ。生傷が絶えない日々だったが、後悔はなかった。
高校生になってもそれは変わらず、怖ろしい教団の手先との戦いでも、暗夜は決して背を向けなかった。頼もしい仲間も出来た。績、みみ子、軌陸、エミリー。
恋もした。町で会った素敵な大人のおねーさん、『犬飼一二』、『リリー・ライトニング』、『斎藤綾子』の3人。どれも一目惚れしたその日の内に玉砕したが、それもまた人生。暗夜に後悔は無かった。
このまま充実した生活を続ければ、いつか自分は大人になれるだろう。そう高を括っていた。
その矢先に、彼の前に、絶望は姿を現した。
何の変哲もない黒い者。そうとしか思えなかった。しかし。蓋を開けてみれば見事なまでの完敗であった。
驕っていた。連勝続きで天狗になっていた。自分は強いのだと。そんなことは無い。世の中には自分より強い者などいくらでもいるのだ。かつての祖父のような者たちが。
公園のベンチで項垂れていると、不意に、首筋にひやりとした感触が当てられた。
弾かれたように顔を上げる。
「よぉー、クソガキ。随分しょぼくれてんじゃん?」
「こんばんは~」
いつかのおねーさん、犬飼一二とリリー・ライトニングがそこにいた。
■
「なるほど。要は負けたことが悔しい訳だ」
「……まあ、そうだな」
手渡された缶ジュースをちびちびやりながら、暗夜は力無く答える。
「
目を眇める一二の視線を努めて無視し、リリーは持論を語る。
「生きてるなら、すか?」
「そうだよ。一度負けちゃったくらいで、君の今までの積み重ねがすべて否定されるとは、私にはどうしても思えないの。だって君はいつでも必死だったもん。それが否定されるなんて、そんなの間違ってるよ」
「そうそう」
と一二。
「おいガキ。おねーさんが良い事教えといてやる。命あっての物種。生きてりゃあ反撃の機会もある」
暗夜の肩をバシバシと叩きながら、一二は言った。
「負けた? それがどうした。お前は生きてんだ。だったら次だ。次、お前はどうしたい?」
「俺は」
指を突きつけられ、暗夜は自然と握り締められた拳に目をやった。
「何だ。お前の体は答えを出してるみたいだぜ? で、どうなの?」
「俺は……俺は!」
暗夜は勢いよく顔を上げた。その瞳には、力強い光が宿っていた。
「ふざけた奴はぶっ飛ばす! そうだぜ! 俺は生きてる! 負けちまった? はん! 喧嘩に負けたことは何度もある! ジジイにボロクソにされた事なんてしょっちゅうよ! 何でえ、よく考えりゃあ大したことじゃねーじゃねーか!」
「何だこいつ」
「ふふっ」
急に立ち上がり、地団駄を踏みながら捲し立てる暗夜を一二は冷めた目で見つめ、リリーは可愛い年下の友達の再起に柔らかく微笑んだ。
「うぉおおおおおおお!!!」
雄たけびを上げながら去って行く暗夜の背を見つめながら、一二は肩を竦めて、一言。
「これで任務完了か?」
「後は他の人たちの出来次第だね」
「違いねぇ」
空になった缶をゴミ箱に放り投げ、一二はあくびをした。放られた缶はガコーンと音をたててゴミ箱の中へ吸い込まれるように入っていった。