影武者転生異常あり!~俺は悪役令嬢の影武者なんだ…誰が何と言おうが影武者なんだ!だから脇役でいさせろや! 作:三流二式
「……」
「……」
俺は千歳と目が合ったまま動けなかった。蛇に睨まれた蛙、というほどではないが、ともかく動けなかった。俺の体を縛る力の名は後ろめたさ、それと、これから先のプランを全くと言っていいほど考えて無かったゆえの思考停止の2つ。
気まずい沈黙が流れた。
千歳は瞬きもせず、ただ俺の顔をじっと見つめていた。俺も動けないので、必然的に千歳の顔を見る破目になる。
千歳の整った顔は、特に目元が酷いことになっていた。化粧は涙と汗で崩れており、口元はよだれでてかっていた。(これは普通にぐうすか眠ってただけ)
深い青色の瞳は、しかし充血しているにも拘らず依然として美しく、照明の光を反射してどこか神秘的にさえ見えた。
全く、元より優れた奴というのは弱っている姿でさえ様になるものだ。これが長い間一緒にいたからそのように見えるからか、それとも誰から見てもそう見えるのかは分からない。
ただ一つ言えることは、俺なんかよりも何十倍も、彼女は素晴らしく、まだまだいくらでも巻き返しが出来るという事だ。
千歳の瞳には何の感情も浮かんでいない。というのも、呆然自失とかそういう大仰な状態ではなく、どちらかと言えば未だ微睡みと正気の境目で意識を揺蕩わせているとか、言ってしまえばそういう状態なのだろう。
現実と夢の狭間に揺れる瞳を見つめていると、ふと、そういえば初めて会った時もこんな風にじっと見られたな、と半ば現実逃避気味に過去に思いを巡らせる。
過去の、幼く、打ちひしがれていた千歳と、今の熟し、打ちひしがれた千歳。
こうして見てみると、
彼女はあの頃と何も変わっていない。悪化こそしていないが、成長もしていない。相も変わらず打ちひしがれた、小さな子供のままだった。
俺と千歳。完成された、閉ざされた囲いの中、俺は彼女を必要とせず、彼女だけが一方的に俺だけに縋りつき、歪み、ねじくれた関係のままここまで来た。
俺はこのまま一方的に手を放し、犬たちに何もかもを押し付けて一足先に囲いの外へと足抜けしようとしていたのだが、運命という名の狩人は、のこのこ巣穴から出てきた得物を、決して逃しはしない。
狡猾な狩人の仕掛けた罠にまんまと嵌った野良犬は、目を白黒させて手足をばたつかせる。
間抜けな犬に顔を近づけて、
おっと、まだまだこれからだぜ? こっから面白くなるんだ。抜けるだなんて言ってくれるな。お前にそんな権利は無いんだからな。思いあがるなよ。負け犬の分際で。
「──────」
次第に千歳の目の焦点が合ってきた。パチパチと目をしばたき、きょろきょろと目だけを動かして周囲を窺い、それから視線を俺に合わせる。
深い青色の瞳。揺蕩っていた意識は浮上し、空白だった感情の器が、徐々に満たされてゆく。
「……」
千歳は顔を上げて、両手を動かし、ぎこちない動作で這うように俺の上へのしかかり、そして、震える手で、俺の顔に触れた。
頬に手を添え、次に鼻、耳を撫で、前髪をかき上げて額に手を当てる。一頻り顔を触り終えると、両手で頬を挟んだ。
千歳はそのまま、顔を近づける。息がかかる程の距離で、再び俺たちは見つめ合った。いつかのあの時のように。
青い、青い瞳。深海を彷彿とさせる、底知れない闇を孕んだ深い青色の瞳。
彼女の瞳からは、俺はいったいどのように映っているのだろうか。年上の兄か。それとも姉か。父か。母か。あるいは自らを誑かす悪魔か何か。
瞳に映る己の姿を見て、俺は何とはなしにそう思った。
震える唇で、千歳がかすれた声で何事か言った。
「ち」
「うそつき!!!」
聞き返そうとした俺の声は、爆発したかのような糾弾にかき消されて吹き飛んだ。
糾弾は狙いすまされて放たれた矢の如く俺の胸に突き立ち、貫通した。
火山の噴火の様な激情の発露だった。ここまで強い感情を見せる千歳を見たのは久方ぶりであった。遡って見てもっとも古い記憶は闇を植え付けられた直後だった。あの日から6年。千歳がずっと胸の内に秘めていた誰にも明かさなかった思いが、今日、俺が血を流して倒れた事で遂に曝け出された。
「うそつき! うそつき!」
千歳は喚きながら俺の胸に飛び込んできた。
「うそつき! ずっといっしょっていった! ぜったいいなくならないっていった! うそつき! ばか! きらい!」
俺の体を掻き抱き、胸に顔を押し付け、千歳はびーびー泣いた。
「きらい! おまえなんかだいっきらい! うえーん!」
「──────」
喚き散らしながら泣き叫ぶ千歳を抱きしめ返し、頭を撫でながら天を仰ぐ。
あぁ、なぜ我の歩み進むべく道はこんなにも艱難辛苦に満ち満ちているのであろうか。どうして下り坂しかないのか? 茨に肉を削られ、亡者に足を取られ、霧が視界を覆いつくし、一寸先どころか
たまには上り坂を上らせてくれてもいいだろう。それとも、俺はそれにすら値しないような大罪人だとでもいうのか。
不幸な事は、いついかなる時も連鎖爆発する化学反応のごとし。千歳の慟哭をきっかけに、周囲で眠りこけていた犬たちが次々に目を覚ましていった。
チワワがパチパチと目をしばたきながら声の出所へ首を巡らし、目を眇め、驚いた猫のように跳ね起き、こっちを指さす。
「おあー!? もう起きてんじゃん!」
「あぁ? ……あっ!」
「わあ!」
「……ギリっ」
「生きてる? 生きてるー!?」
「ダッハハこのガキうははこのクソガキ!」
チワワが、ポメラニアンが、シバイヌが、レトリバーが、プードルが、トサケンが、続々と俺に引っ付いてきて、俺はあっという間に犬ども包み込まれるように纏わりつかれた。
気分はさながら、ミツバチに包み込まれたスズメバチのよう。もみくちゃにされ、全方位から言葉の洪水を浴びせかけられ、静寂に満ちた室内たたちまち音に満ち溢れた。
「全くあんたって人はさー!」
「すぐそうやって自分の事を蔑ろにすんの嫌いだって俺言ったよなー!」
「もー私のどから手が出るほどビックリしちゃったよ~!」
「あんた馬鹿なんじゃないの!? あんた馬鹿なんじゃないの!?」
「へ、平気? 平気なんですか!? 私の幻覚とかじゃないですよね!?」
「おらガキ! テメーコラ! ジジイより先に死にかけてんじゃねーぞ!」
この時ほど自分が聖徳太子でなかったことを感謝したことは無い。犬どもの怒鳴り声を正確に理解しなくていいのは、この世界で俺に与えられた数少ない特権に違いない。
「えぇ、えぇ。生きてます。ここにいます。ですので安心してください。まだ死ぬ予定はありませんから」
「「……」」
愛想笑いでそう言う俺に、犬ども全員が目を眇めた。シバイヌすらもだ。何なんだ。
「まーともかく大事になってなくって良かったぜ」
「全てが変わるとか言ってましたよね? まさかこの事っすか? 所属がひっくり返るっつう。そういう事? もーあんたはそういう天変地異染みたこと平気でやるよな。あんたは平気なんだろうけど、付き合わさせられるウチらの事も考えて欲しーんですけど~? ど~?」
左右の肩に顎を乗せ、チワワとポメラニアンが攻めるように俺をじろりと睨んだ。
「……そのとおりです。いやーうまくいってよかったです。しっぱいするとはみじんもおもっていませんでしたが、からだをはるつごうじょうふそくのじたいはいくらでもおこりますからねー」
2人を交互に見ながら、俺はいけしゃあしゃあとのたまった。
上手くいってよかった? 失敗するとは微塵も思っていなかった?
こんな状況になるなど微塵も疑ってなかった俺は、生き残ったプランなど考えもせず、この後のバカンスに思いを馳せていた。
捕らぬ狸の皮算用とはその通りで、手に入りもしない夢に思いを馳せた人間の末路など、考えるまでも無く決まっていた。
つまり思考を放棄し、夢想に思いを馳せた時点で俺がこうなるのは必然だったわけだ。
ゴール前につるされたニンジンを齧るのは、まだまだ当分先のようだった。
「でも、本当に生きててよかったです。聞いた話によれば肺を引っこ抜かれたそうですね? 大丈夫ですか? まだ痛みますか?」
「はん! リリー、気にするだけ無駄よ。どうせこいつ何とも思っていないんだから。いい気味よ!」
心配するシバイヌをよそに、レトリバーはぷいっとそっぽを向いた。……目元に滲んだ涙の事は、この際追求しない事にした。
と、その時ドアが開かれる音がして、ニンゲンドックがずかずかと無遠慮に入ってきた。
「おう。ニンゲンドック。どうした。なんか用か?」
「どうしたもこうしたもあるか。また教団共が暴れてやがんだよ」
トサケンを睨みながらニンゲンドックは備え付けのテレビをつけ、今ライブ中継で映し出されるニュースを俺たちに見せつけた。
『そ、速報です! 闇の者と思わしき不審人物が街中で暴れ回っており、付近には教団所属と思わしき黒フードの人物が多数見受けられており──────』
ニュースレポーターが分裂した虫に襲われ、悲鳴を上げながら毟られてゆくショッキングな映像が俺たちの目に飛び込んだ。
レポーターを毟り終えた虫たちが一か所に集まり、二足歩行のバッタへと姿を変え、そして膨大な光に飲まれ、それを機にブツンと映像は途絶えた。
「と、そういう訳だ」
テレビの電源を切り、肩を竦めながらニンゲンドックは言った。
「なるほど、そういう事だな」
トサケンは立ち上がった。
「まあそうなるんだろうねぇ~」
プードルは呆れながらも、祖父の後をついて行く。
「知ってた知ってた」
「おら行くぞ」
「はいはい」
うんざりと首を振りながらチワワが、俺にべったりと縋りつくレトリバーを引き剥がしながらポメラニアンが、渋々といった様子のレトリバーがそれに続いた。
「ボス」
シバイヌが俺に手を差し出した。
「……そうですね。行きましょうか」
泣き疲れて寝てしまった千歳をベッドに寝かせ、その頭を一撫でしてから、俺はシバイヌの手を取り、立ち上がった。
「ニンゲンドック」
「分かった分かった。嬢ちゃんは寝かせてやるから、とっとと行ってこい。虫は嫌いなんだ」
ウエー、と吐く真似をしながら、ニンゲンドックは手を振った。
俺は頷き、黒炎で全身を覆った。
「では行きますか」
黒炎を払い、黒いスーツに身を包んだ俺は、犬を率いて外へ出た。