影武者転生異常あり!~俺は悪役令嬢の影武者なんだ…誰が何と言おうが影武者なんだ!だから脇役でいさせろや! 作:三流二式
光差さぬ真っ暗な天井はどこか深海の如く、あるいは別世界の如く、こことは違うどこか知らないところの様に映った。
目が覚めてまず初めに感じた事は、酷い倦怠感だった。体が鉛のように重い。
冷房が効いていないせいか、酷く蒸し暑い。汗ばんだ体が気持ち悪い。今すぐにでも風呂に入って全てを洗い流したかった。何もかも。汗と、体に付着した体液と、記憶の何もかもを。忌々しい人生も一緒に洗い流せたら、これ以上俺から何も言えることはない。
動こうとした。酷使された体は時間外労働に対して抗議するかのように頑として動こうとしない。
このわからず屋め。
そう叱りつけてみるや、いきり立ってシュプレヒコールを連呼していた体はたちまち主導権を明け渡した。
ふん、どうだ。俺は確実に自分の体を支配しつつある。だが、そこで油断してはいけない。どれだけ屈服させ、理解したとしても、体というのは油断した傍からすぐさまこちらを裏切って来る。ゆめゆめ忘れるなかれ。真の敵はいつだって自分自身なのだから。
動かすのすら億劫な体を、難儀して動かし、横を見る。闇の中にあってなお白く華奢な裸体が目に入った。たちまち目を背けようとしたが、くたびれた体は動くことに否定的だった。
乱雑に脱ぎ散らされた衣服。いろいろな体液が付着して乱れたシーツ。背を向けて規則正しい寝息を立てて眠る萌の白い肌。視界に映る何もかもが、とても現実の出来事とは思えなかった。
生きてきた中で、こうしたことはしばしば起きた。あまりにも現実的すぎて、あまりにも非現実的に思えてしまう事が。
((このガキ、適当に脱がしやがって……これどうやって誤魔化せばいいんだ……))
脳味噌がある程度現実を受け入れられるようになってくると、懸念すべきことが水中で藻掻く者の口から出てくる気砲のように次から次へと浮かび上がる。
うんざりする。現実とはこういうことだ。夢見心地でなんかいられない。
溜め息を吐く。それで萌が身動ぎして凍り付いたが、それはそれだけの事だった。ほっと胸をなでおろす。
((風呂入ってこよ……))
とにかく今は何よりも体を洗い流したかった。頭から冷たいシャワーを浴びれば煮え立ち、沸き立った思考も多少なりとも使い物になる事だろう。元々の脳味噌が糞の役にも立たない事は、この際無視した。
しかし、俺は自分の体の策謀に気が付かなかった。気が付いたのは全てが手遅れになった瞬間であった。
床に足をついた瞬間、まるで今生まれ落ちた四足獣の如くその身は横たわっていた。
((っっっ!?!?!?!?))
目を白黒させてばたつく俺。体は言った。
だから言ったろう? お前は俺の事を理解したつもりなんだろうが、そんなのは間違いだ。お前が俺を理解しているんじゃない。俺がお前を理解してるのさ。お前のする事なんか全部お見通し。ご愁傷様。
嘲り笑う声が、体の奥底から湧きたつ泥のように木霊した。
((ふざけるなふざけるなっ!))
熱とは別の汗が頬を伝って落ちる。今の音は明らかに萌の耳にも聞こえていたはずだ。事実ベッドの上で身動ぎする気配があった。
難儀して背後を見る。上半身を持ち上げた萌が夢見心地で音の出所を探り、そして俺の方を見た。夢の中で揺蕩う瞳と、俺の焦りに満ちた視線が交わった。
「……」
萌は何も言わなかった。ただ、熱に浮かされた様に上の空の顔は上気し、怖ろしい程の妖しさを纏っていた。とても普段の萌から想像もできない様変わり具合である。素面の萌にも見せてやりたかった。
「……」
萌は四つん這いでゆっくりと這い進み、ベッドから降り、俺を押して仰向けの姿勢に持っていった。何もかもが曝け出されている。しかし羞恥よりも焦りの方がずっと勝っていた。というかこの程度で羞恥するほどやわじゃない。もっと酷い事をされたことだってあるのだ。今更これしきの事で恥ずかしがるなど。
そんな事はどうでもいい。とにかく止めさせなければ、取り返しのつかない事になる事は必須。
もう遅いわい。
内側からの声。
俺の下腹部に跨る一糸まとわぬ萌は、とてもこの世の者とは思えない。常世より這い出た淫魔か、あるいは微笑みの天使か。
萌はゆっくりと顔を近づけてきた。熱っぽい吐息が顔にかかる。蕩けた瞳は今や夢うつつではなく何か別のものを宿しており──────。
((こいつ正気かっ!?))
正気を疑う俺の声を萌が覆い尽くす。蕩ける様な口づけ。燃える様な下腹部。繋がる。萌の体は熱かったが、中はもっと熱かった。
白濁した思考は、ある時を境に真っ黒になった。
■
セックスとはコミュニケーションである、とは誰の言葉だったか。
誰が言ったかはともかく、俺はその言葉に同意する。
その通りだと思う。セックスはコミュニケーションだ。コミュニケーションの手段にまで
元より性交渉とは何のためだ? 快楽? コミュニケーションの手段?
馬鹿かと思う。もともとセックスは繁殖の目的のためのものだ。太古の昔、我らの先祖はその他の動物と同じく繁殖することこそが最上の目的であった。そこに愛やその他の感情が入り込む余地などありはしなかったはずだ。
繁殖とは生き残ること。生き残ることとは次の命にバトンを繋ぎ、新たなる進化を促させて環境に適応するための、一つの儀式の様な物だった。
しかし、文明が発達するにつれわざわざ進化せずとも、適応しなくても作り出した道具で環境に対応できるようになった。なってしまった。
そうなってしまったらもうおしまいだ。
元々進化を促すための行為の代替を、愚かな人類は終ぞ作り出す事が出来なかった。
だから我々は快楽や愛といった代替品でその穴を埋め立てることしかできなかったのだ。
ずっと昔から連綿と続く進化の儀式を自らの手で閉ざしてしまった人間に残ったのは、進化から取り残された悲哀と快楽といった肥大化してしまった欲望だけ。
最早我らは進化の道を自らの手で閉ざしてしまった。であるのならば、いっそ快感を受け入れてしまった方が、よほど利口に思える。
で、快楽と愛というものは全く同じものでしかないので、どっちかを否定する事はその実どちらも否定する事になる。
さらに今の時代じゃ金を払えばそのどちらも手に入れられる事が出来る。スマホ一台あれば世界中のどこの誰ともつながる事が可能となったのだ。こんなに素晴らしい時代も無い。
愛は金で買える。快楽は金で買える。
それなのに、どいつもこいつも真実の愛とは何か? 快楽に耽る事はよくない事だ等なんだのと。
お前らは馬鹿か? そもそもが代用品でしかないのに、そこに真実も糞もあるものか。
眼を開け、見たくもない現実を直視する。鉛を通り越して鉄の塊になったかのように体が重い。体が動かない。しかしそれは疲労だけではなかった。萌が絡みつくように抱き着いているのだ。
((暑い……))
むしゃぶりつきたくなり様な光景も、この不快感の前では何の意味もなさない。とにかくシャワーを浴びたい。俺の頭を占めるのはそれだけであった。
萌を難儀して引き剥がし、今度こそ音をたてないように床に落ち、這う這うの体で風呂の中へと入り込んだ俺は壁に手をつき、シャワーのノブを捻り、冷水を全身に浴びる。
刺すように冷たい冷水が、ほてった体と沸き立つ思考を冷やす。
俺にとってのセックスとは快楽の発散か、あるいは武器の一つでしかなかった。行為に及ぶ相手はその時その時で変わり、同じ奴が相手と言っても自我を破壊された給士人形共だ。交わされる感情のやり取りなど望むべくもない。
基本的に今もそれは変わらない。メイドどもとはもう長い事御無沙汰だが、あんな陰気な連中と行為に及ぶだなんて頼まれたって御免である。
だが、よりにもよって知った顔とそういう行為に及んでしまった場合、どのように接すればいいのだろうか?
俺にとっては今までとさして変わらない。今まで通り終わりまで付き合ってもらえればいい。それだけだ。その時が来るまでに仲良くできれば、それに越したことはない。だが彼女の中ではどうだろうか?
考えなければいけない事。取らなければいけない手段。部下との距離感。それに伴う不和の調停。
やらなければならない事は山済みで、考えなければならない事は降り注ぐ雨のごとし。
ノブを締めて水を止め、水滴を払って風呂を出た。