障子くんが雄英に合格できたのは   作:へびのあし

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5、ハッピーエンディング

 

 

「こんにちは。よろしくね〜、目蔵くん。」

「いえ。こちらこそよろしくお願いします。」

 

 雨森草太。

 彼が雄英高校受験の引率者を引き受けてくれた。

 格闘技の先生は残念ながら予定が合わず、「無念じゃ!」と叫んで「あなた何歳のつもりなんですか。」と突っ込まれていたそうだ。ちなみに彼は三十二歳。けっこう若い天才肌型の人だ。「三十二歳じゃ!」「だからあなた何歳の……」と延々とボケとツッコミが続いたとか。

 

 

 それはともかく。

 

 障子は、都会があまりにも故郷の村と違うので、びっくりしていた。

 

 見た目がいかつく、明らかに人間の格好とは言えない姿の障子。しかし彼が電車などの公共交通機関を利用しても、ほとんどそれを気にする目はなかった。

 好奇の視線、大きな体格で場所を取ることに対する多少の迷惑そうな視線はあっても、あからさまに「触るんじゃねえ!」などと怒鳴ってくる大人はどこにもいない。それが新鮮で、不思議な感覚だった。

 

「さっぱりしてるでしょ〜、都会って。」

「……はい。」

「いいところだよ。お気楽で。ほら、たとえばだけどさあ、お隣さんに誰が引っ越してきたってお構いなし。どうせ転勤ですぐ引っ越すしーみたいなこと言って、近所の挨拶回りとかサボっちゃってる人もたくさんいてさ。それでも誰もなんも言わない。」

「それは、すごいですね。」

「そうでしょ〜そうでしょ〜。」

 

 雨森草太は、とても優しい人だった。

 そしてどうやら、都会に来たことで随分と明るくなったらしい。

 村の人が噂していた彼の性格と、彼の現在の性格には、だいぶ乖離があるように思えた。

 

 草太との移動は楽しかった。

 彼は試験直前で緊張する障子を、その明るい会話で爽やかに励ましてくれた。

 きみと同じくらいの年齢の息子がいてね、とか、そいつが反抗期に突入したせいで家中が白髪だらけになってね、とか、よく意味のわからないことも交えながら楽しく語ってくれた。とりあえず、彼の家は今日も平和らしい。

 

 

「それじゃ、グッドラック!頑張ってね〜。」

 

 雄英の門が見えてきたところで、草太とはいったんの別れを告げた。

 ここからは、自分一人の戦いだ。

 バイバイと手を振る彼を、障子はもう振り返らない。

 

 華やかに飾り付けられた大きな門。否が応でも人生の転機を連想させるそれを見上げて、障子はフッと息を吐いた。

 

 一歩、踏み出す。

 

 それは、彼がいつか触手ヒーロー『テンタコル』と成る、その土台となった学び舎。

 英雄を育てる特別な高校へ足を踏み入れた、第一歩だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……嫌な思い出を数えるより。たった一つでも、この姿で良かった思い出に縋りたいんだ。」

 

 迫害された過去は消えない。

 口元には今も生々しい傷跡が残っている。

 

 けれど。

 

 障子が自分の過去(オリジン)を語り終えた時、クラスメイトは誰も引いたりしなかった。

 うわーんと泣きそうになりながら真っ先に飛び込んできたのは、電気ビリビリの上鳴電気と硬質化ガチガチの切島鋭児郎、そして酸でじゅわじゅわの芦戸三奈だった。

 

「“たった一つ”とかやめて……マジでえ!」

「これからいっぱいつくろおよお!もぉお!!」

「ぼくらとさぁ!良い思い出をさぁー!」

 

 みんなが次々に、障子の大きな複製腕の中に飛び込んでくる。

 布団にくるまるように、膜で繋がった腕の中へ飛び込んでくる。

 カエル少女の蛙吹梅雨、ブドウ(もぎもぎ)の峰田実、動物とおしゃべりできる口田甲司 。

 

 クラス一のマスコットに見えてその実一番肝が据わっていると評判の蛙吹が「ぬくいの知ってるの。」と、いっそのこと淡白なくらいの口調でマイペースに言う。

 そういえば、体育祭の時に騎馬戦をやった時、障子の腕で騎手ごと全部包みこむ作戦をとったことがあった。だから蛙吹と峰田は、すでに複製腕の中に入った経験がある。あれは結局決勝に上れなかったが、なかなか面白かった。はちまきを巻いた騎手をすっぽり覆って隠すという、ヒーロー科でなければ絶対に見られない光景。

 クラスメイトもびっくりしてくれたようで、内心楽しかった。

 蛙吹がしているのも、あの時の話だろう。

 複製腕の中の温かさは、寒いと冬眠モードに入る彼女にとってきっと居心地がよかったのだ。

 

 ……そう思った時、思い出した。

 

————きみは、温かい。

 

 掠れたような、あの時の彼の声。

 昔々、幼かった頃の自分では想像だにしなかったほど。花泥は傷ついては涙を流す、とても弱い大人だった。

 

————きみのような人が、いたならば。

————私がまだ、幼い子供だった頃に。きみのような人がいたならば。

 

 すらりと美しい妖精を見るように、ただ見上げるばかりだった対象は。

 その頃にはすでに、障子が見下ろすばかりの小さな人間だった。

 

————異形を見た目で判断することの愚かさに……もっと早く気づいていたに、違いなかったのに。

 

 この体に生まれたことで得たいい思い出を、と言われれば。

 障子は迷わず、川で救った少女の話を出すだろう。

 そう。それが、たった一つ。

 村の中での、たった一つの良かった思い出。

 

 当然のこと、もう一人。少女のことを思い返せば、勝手に脳裏に浮かんでくる姿があるのだけれど。

 

 花泥星太郎。

 しかし彼との出会いは、“いい思い出”とは少々異なる立ち位置にあり、決して幸せな記憶の象徴ではない。

 

 

 ……むしろ。

 

 うなされる彼を助け起こそうとして、反射的に手が伸びた時。ビクンと跳ねるように避けられたあの時のことを、障子は二度と忘れないだろう。

 私なんかよりきみはずっとできた人だ、と呪文のように繰り返しながら、それでも障子の体を不浄と認識してしまう自己矛盾に誰より苦しむあの人の姿を、障子は生涯記憶し続けるに違いない。

 

 辛い思い出が多かった。

 穏やかに過ごす日常の一幕でも、花泥はほとんど障子と目を合わせようとしなかった。

 まるで何かを恐れるように。

 腫れ物を触るかのようなぎこちなさが、彼らの日々にずっと存在していた。

 

 

 ……それが、今や、どうだろう。

 

 

 “ヒーロー科の優秀な生徒は、性格もいいやつが多い“

 

 誰が言ったか知らないが、けっこう真実だと思う。

 

 中には入学早々『クソを下水で煮込んだような性格』なんて評されてキレた生徒もいらっしゃるが、それも含めてヒーロー科の賑やかさと包容力が表れている。

 

 微塵の躊躇もなく、みんな障子と仲良くなった。

 

 「タコって……エロいよね。」とよくわからないことを言ってきた峰田にも、純粋に驚かされたのを覚えている。

 複製腕がタコの触手みたいだ、というのは自分でも思っていた。

 ただ、それを差別するでもなく、変に気を使って褒めるような発言をするわけでもなく。

 エロいよね……などと、己の欲望に実に忠実な言葉を放つ自由さ、その清々しさにびっくりした。

 

 後で障子の迫害の過去を知って、彼はものすごい勢いで謝ってきたが。

 しかし障子自身、本当に気にしていなかった。

 タコやイカは好きだ。

 それにたとえられたとして、そこに悪意がないならば、むしろ嬉しいくらいだ。

 

 

【絶対に他人を頼りなさい。きみはできるだけ早くこの村を出るべきだ。そのために頼れる全てを頼るんだ。】

 

 あの時、あんなに花泥が必死だったのは、このためか。

 今、障子はそう思っていた。

 

 できるだけ早く村を出ろ。ここにはお前の居場所はない。あるとするなら、それはヒーロー養成学校の中だ。彼は必死になって、そういうことを伝えたがっていた。

 花泥は、自身に障子の悲劇を吹き飛ばすだけのエネルギーがないことを悟っていた。

 だからなんとかして、彼により良い出会いを提供としようとしたのだろう。

 

 ……不器用なやり方。だが、彼なりに頑張った結果なのだ。

 

(ありがとうございます。)

 

 障子は心の中で、静かに花泥に頭を下げた。

 

 決して、いい思い出では、なかった。

 けれど。彼との出会いが、今の障子を形作っている。

 

 

————今の自分が享受している幸せを。全ての異形に等しくわけてやりたい。

 

 雄英の友人たちと出会って、そう思うようになった。

 過去は変わらない。嫌なことは忘れられない。しかし、少なくとも。障子は今……幸せだった。

 

 

(……そういえば。今も、一人暮らしをするための資金は花泥さんが出してくれている。)

 

 雄英の支援金制度を利用していることはもちろんだが、両親に出せない不足分を彼が補っている。というか、むしろかなりの額の余剰が出ている。そんなに送らなくて大丈夫だと伝えたくても、自分があの村へ手紙を出すことの無意味さを知っているからこそ、その選択肢が取れていない。感謝してもしきれない彼に、障子は何を返せるのだろうか。

 

 手紙のやり取りもなく。

 電話のやり取りもなく。

 ただ、銀行口座に細々としたお金だけが振り込まれ続けるだけの関係。

 

 障子は静かに、天井を見上げる。

 

 彼は今、どうしているのだろうと。

 ふとした時に、思い出す。

 

 あの人も同じだったらいいなと、心の中で少し思いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人と関わることが、ずっと怖かった。

 新しい人と会うたび自分の印象を操作している実感が津波のように襲いかかってくる。恐怖と自己嫌悪に呑まれそうになる。

 でも、嫌われたくなくて。

 好かれたくて。

 みんなの理想の人でいたくて。

 

 ……だから。

 

 村の社会は小さい。

 濃密だけど、範囲が狭く、限定されている。

 この世界から出なければ、毎日何百人もの知らない人とすれ違うこともないし、満員の乗り物の中で常に周囲に気を使う必要もない。

 

 結局のところ、花泥にとって。村が一番居心地のいい場所だったのだ。

 

 最高ではなくとも、最悪ではない。

 障子にとっての地獄は、花泥にとっての揺籠のような場所だった。

 

「……ふう。」

 

 花泥星太郎は、ポケットに手を突っ込んで空を見る。

 

 そう。

 まさに揺籠だ。

 赤ん坊が眠る小さなおくるみ。そんな場所だった。

 

 “自分は一体何をしている?“……などと。そんな風に思い詰めていたこともあったけれど。その答えは簡単だった。

 “何もしていなかった”

 自分は眠っていたのだ。ただの赤ちゃんのように。

 

(……情けなかったな。)

 

 障子目蔵という少年と触れ合って、ようやくわかってきたことがあった。

 目標を持つことの大切さ。自分にできることを探すことの尊さ。目を醒ますことの難しさと、それを乗り越えた時の幸福————

 

 自分は大人でありながら、子供である障子に、すでに何万歩も出遅れていた。

 

 でも。

 まだ……遅くない。

 

 

 ボロボロになった街路で、立ち止まる。

 ガタガタに壊れかけたヒーロー社会。不信と不満が燻り、あちらこちらで火の手が上がる、終末世界の如き日本。

 障子たちヒーローが手を尽くして努力しながらも、この事態の進行を止めることは叶わなかった。

 

 人、人、人。

 

 花泥は、この小さな街全体を見回す。

 

 ゆきかう人びとの表情は暗い。

 治安が悪くなると……そして未来への希望が持てなくなると、人の顔はこうなるのか。

 

 息を吸って、吐く。

 

————個性を武器にしろ。

 

 前を向く。

 

————条件を絞れ。ギリギリに定められた枠の中での100%を目指せ。

 

 まっすぐに歩き出す。

 

————個性を、自分の目的のために使うんだ。

 

 

「……みなさん。」

 

 胸を張れ。冴え冴えと染み渡る自信と安心を、届けるために。

 

「先日、この街に派遣されました。臨時教員の花泥です。」

 

 人が通り過ぎながら、ちらりとこちらを確認するように目をやる。

 その見知らぬ人びとの顔の一つ一つを、まっすぐに見てゆく。

 

「私は今、避難所での初等・中等教育を任されております。」

 

 わかっている。

 感じる。

 いきなり街角で演説を始めるような人間は、不信と好奇の目に晒されるのがオチである。

 一日を生き延びるのに精一杯の人びとにとっては特に、マトモなことを言うやつなんてただの暇人か偽善者にしか見えないだろう。

 

 ……しかし。

 

「今さら学問などやっている場合ではないと考える方が多いのは承知の上で、申し上げます。」

 

 深く息を吸い込む。

 そして、大きな声を出した。

 

「こんな真っ暗な世界になってしまった今こそ、教育が重要です! 現在学校に通えていない方々は多くいらっしゃるはずです! 避難所に暮らしていない方々も含め、私たちはあらゆるお困りの方々を受け入れます! 高校教員免許を取得している担当者も約二名が在中しているため、ぜひ高校生以上の方も空き時間にいらっしゃってください!」

 

 やってみせる。

 信頼させろ。

 安心を届けろ。

 この人ともっと喋りたい、一緒に過ごしたい、ついて行きたいと思わせてみろ。

 

 できるできないを論ずる必要もない。

 “できる”

 自分になら、これができる。絶対に。

 

「日曜日には、応急手当て講座も開講しています! 年齢関係なく、興味のある方はぜひいらっしゃってください! 臨時教員担当一同、心待ちにしております!」

 

 声を張る。

 聴衆が花泥の声を綺麗だと思っている。

 花泥の顔も美しいと思っている。

 大変な世の中なのに、あの人は誠実に頑張っているなと思ってくれる。

 

……じゃあ、私も。

……俺も、もう少し。もう少しくらいは。

……そうだよ。希望を持とう。

 

 聴衆の心の声が、さざめきとなって空気を揺らしてゆく。その微妙な空気を、花泥星太郎は感じている。

 

……あんなに頑張っている人がいるんだから、私たちだって。

 

 人びとの目に、光が宿る。

 とても小さな、けれど確かな、光。

 

 微笑みが浮かぶ。

 

 一輪の花のように。救われたものの、確かな笑顔。

 

 

(……俺は、北極星。)

 

 

 小さな街の片隅で、今日も花泥は語り続ける。

 

 

(みなを導く力を持って生まれた、優しい光。)

 

 空を見上げる。

 そして今も世界のどこかで生きている彼に向かって、心の内で語りかける。

 

 

 見ているかい、障子くん。

 きみはとっくの昔からヒーローで。

 きみ自身が預かり知らないところで、こうして人を救っている。

 

 誇りなさい。

 ヒーロー。

 

 きみの命は宝箱のように美しい。

 

 俺にとって。きみは奇跡。

 きみとの出会いが全てを変えてくれた。

 

 勇気と希望。

 絶対に折れない心と優しい思いやり。

 ああ、きみの願いは、目標は。いつか必ず叶うはず。

 

 

 ……だって、そうだろう。

 

 

 

 

 

 触手ヒーローテンタコルは、誰よりかっこいいヒーローだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花泥星太郎。

 

瓦解した日本社会で、各地を巡って教育復興に貢献した人物。

ずば抜けた頭脳とカリスマ性を備え、どの地域でも崇拝的な支持を得た。

「きみはその気になれば総理大臣にもなれる。」と同僚に言われた際、わずかに微笑んで「私は子供たちを導く、夜空の北極星のような存在であり続けたいのです。」と返したエピソードは、最も有名なものである。

 

個性を聞かれるたび『イケメン』と答えていたのは、果たして真実なのか、それとも存外お茶目なところがあった彼のジョークだったのか。

 

彼の人となりが僅かでも違えば、手のつけられない新興宗教が発足していたと噂される「イケメンカリスマ教師」。

その全容は、いまだ謎に包まれたままである。

 

 

 

 

 

 

 

 

(完)

 

 







これにて本編完結です。
蛇足を削っていったら削りすぎて鱗がなくなりツルツルの紐ができあがった!みたいなコンパクトな物語になりましたが、障子も花泥も一応のハッピーエンドに着地できたのでよしとします。

たぶん、番外編をちょっと載せます。
もし書く気力があったら、ifにも手を出してみたいなぁ……できるかなぁ……とも思っています。

学んで成長するには最悪の環境すぎるあの村から、障子くんはどうやって雄英高校に……?という妄想から出発した話ですが、ここまで読んで下さった方の暇つぶしになってくれたら嬉しいです。

ありがとうございました。


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