クロスオーバーの予定は今の所ないです。
それは、彼女がウェンティと別れた直後だった。
「一年に一度だけの儀式がもうすぐ始まるって! 蛍、急がないと!」
「うん、行こうパイモン!」
モンドを襲った風魔龍は落ち着きを取り戻し平和が戻ったが、その直後のファデュイによる奇襲によって、バルバトスから『神の心』は奪われてしまった。
ファデュイ、その組織を暗躍させているスネージナヤ、そしてその国を治めている氷神。
不穏な気配は感じつつも、次の七神────岩神に逢うため、『迎仙儀式』が行われる璃月へ、モンドの隣国へと向かおうとしていた。
清泉町を通り過ぎ、アカツキワイナリーが見下ろせる位置に差し掛かった時。
「んん? あれはなんだ? 流れ星? にしては……」
「え? ……あれって……」
たまたま振り返ったパイモンが『それ』を見付け、空を指差した。
青空を縦断し、真っ直ぐ落ちてくる一筋の光。
よく見る白い光線などではなく、そして何処かで見たような青白い二つの光でもなく────
────異常な程に、赤黒い。
そして────それはそのまま、二人から見て北東の大地へと墜ちた。
巻き上がった土煙も異様に紅い。
そして、そんな感想を互いに交わすような間もなく、距離からしても届く筈のないの暴風が、旅人とパイモンを襲う。
「ぐうっ!?」
「な、なんだこれ!?」
璃月へ向かうため、『風立ちの地』から西に向かっていた蛍達にすら届く、異常な暴風。
その目も開けられない強く紅い風は、一瞬にして通り過ぎていき、目蓋を開けられるようになって残っていたのは、爆炎のように輝く紅い土煙が立ち昇るだけだった。
「い……今のは、一体何だ? あそこからここまで余波が及ぶなんて、おかしくないか?」
「……気になる。落下したのは、『囁きの森』横の高台みたい」
「見に行くのか? 『迎仙儀式』はどうするんだ?」
「見に行くだけ。それに……」
────さっきの風は、何処か懐かしく感じて、それでいて、不吉な予感がする風だった。
その考えを言葉にすることなく、蛍は走り出した。
「おっ、おい! 蛍、オイラを置いて行くな!」
璃月へ向かう前に、確認しなければならない。そんな悪い予感がする。
道中、いつもよりも騒いでいるような声が、自由の都を横切る際に聴こえてくる。
璃月へ向かおうとしてより遠い位置に居た蛍ですら、耐える姿勢を構えていないと、吹き飛んでしまいそうな余波だ。
彼女たちが居た位置よりも落下地点に近いこのモンド城にも、その影響はより強く及んでいる筈だ。
このいつもと違う騒ぎ声は、あの赤黒い爆風に対する反応に間違いない。
────早く落下地点に行かなければ、先を越されてしまう……!
蛍の脳裏に、そんな焦りが生まれる。
何故、落下地点に行かなければいけないのか?
何故、先を越されてしまってはいけないのか?
その疑問への答えは、何処にも見出すことができない。
パイモンが、落下地点を見るのと同時に、自身を見て気にかけているのも分かっている。
いつもらしくないと思っているのか、それとも、このよく分からない焦りと予感を、横で飛んでいる彼女も感じているのか。
……分からない。
分からないけれども、今向かっている先には、『何か』が待っている────そう、感じる。
そして辿り着いた先は、酷い有様だった。
未だに巻き上がった赤黒い粉塵は周囲を漂っていて、何処かその光景には邪気を感じさせる。
そしてその中央────隕石のような赤黒い光が落下した地点は大きく陥没していて、その周囲は人の身長以上に隆起している。
赤黒い粉塵が辺りに広がっているが、何かが燃えている様子もなければ、火の元素反応が何処かに起きている様子もない。
墜落の衝撃からか、周囲に岩の元素粒子が少し舞っていること、それと残留している赤黒い何かを除けば────いつもそよ風が止むことのない吹いている、モンドの日常の光景と、あまり変わらない。
逆に言えば、その赤黒い粒子のようなものに、強い違和感を覚える。
近くまで来たところで、その異常な光景に一瞬足が止まる。
けれども、やはり何が墜ちてきたのかが非常に気になる。
傾いた岩盤を登りながら、後ろを追って飛んでいるパイモンに振り返りながら声を掛ける。
彼女はこの光景に興味を示しつつも、不安気に周囲を見渡していた。
「パイモン。登っている間、何が墜ちてたか見てくれる?」
「ええぇ、攻撃されたりしないか……?」
「もし隕石なら高く売れるかも」
「そ、それどころじゃない気がするぞ……」
もし、いつものパイモンならば、この一声だけで率先して向かってくれていたかもしれない。
そして、いつもならば、この最高の仲間に偵察・斥候を頼むことなどしなかっただろう。
二人のどちらもが平常ではなく、何処か極度に緊張していた。
「────ええっ!?」
そうして、いつも隣に浮かぶ案内役は、『何か』を見付けてしまった。
驚きの声を上げるパイモンの様子を見て、残りの距離を一気にジャンプして登り切り、円環状に隆起した岩の頂点に到達した所で、仲間と同じ光景を目の当たりにした。
────クレーターの中央、未だ赤黒い粒子が舞う窪地の中心に、『少女』が倒れている。
紺色の民族風の衣装を纏った黒髪の少女が、仰向けに大の字で倒れている。
「な、なぁ、蛍? アレが……彼女が、落下してきたモノなのか?」
パイモンがそう訊いてくる。
その少女の周囲には、他に落下してきたような物体は見当たらない。
それに、二人は隆起した山の頂点から眺めているが、その位置から何処をどう見てもクレーターの窪みや円形の中央は、少女の胴体部分を指し示している。
もし、あの赤黒い一筋の光の正体が、彼女なのだとしたら、あの高さ、速さで墜ちてきて、無事で居られる筈がない。
少なくとも、もし人間なのだとしたら、人の形を保っていられる筈がない。
異様な流星、墜落の衝撃波、そして、未だに周囲を漂う謎の赤黒い粒子、そして極め付きの謎の少女と、何から何まで異常を訴えてくる。
警戒すべき────どう見てもそう判断するしかない。
だが、旅人は気付いてしまった。
横たわる彼女の口元、喉、胸の動き────呼吸をしていることに。
彼女は生きている。
その判断が出来た瞬間に、彼女は頂点から飛び降りて、クレーターの中央へ走り出していた。
「え、お、おいっ、蛍っ!?」
「まだ生きてる!!」
「い、生きてるって、行き倒れてるとはまた状況が違うんだぞ!?」
パイモンの怒声にも似た叫びに耳を貸すこともなく、旅人は少女の元へと駆け寄っていく。
彼女に近付けば、更に奇妙な点に気が付いていく。
少女の服や肌には土埃など、落下時のものであろう汚れが付いていた。
だが────傷、血の跡、出血は何処にも見当たらない。
身体の何処かが捻れていたり、折れ曲がったりという様子もない。
細い手の先にある指には力が入っている様子もなく、緩やかに投げ出されている。
衣装の裾から覗く両足は履物のない素足で、土汚れは付いているものの、爪が割れた様子や傷付いた痕は何処にもない。
民族風の衣装は全身が暗い紺色で帯は黒く、はだけている様子もなければ、汚れている様子はあっても、裂かれていたり破れていたりするような傷はない。
何処か赤みがある黒髪は肩で切り揃えられていて、その髪も土で多少汚れてはいるが、清潔に手入れされているように見受けられる。
呼吸は非常に緩やかで、ここがクレーターの中心で落下直後という異常な光景が広がっていなければ、もしかしなくとも野外で寝ているだけにも見えていたかもしれない。
────いや、正真正銘、少女は寝ているだけなのかもしれない。
近付いただけ、それほど倒れている少女が落ち着いているのが分かる。
「お、おい! どうするんだよ……?」
追い付いたパイモンがそう声を掛けてくる。
起こすつもりなのか、そう言っているのだろうと予測した所で、旅人の動きが止まる。
確かに、起こしてどうするつもりなのだろうか?
これから、璃月へ向かって岩神へと相対する予定だった。
もしここで助け起こしてしまえば、恐らくモンド城へと案内することになるだろう。
数日、いや、もしかするとそれ以上の時間を掛けて、この人────人のようなものを調べることになるかもしれない。
家族を探し出すため。
その手掛かりのために、璃月へ向かう筈だったのに。
『迎仙儀式』はすぐにでも行われるかもしれない状態だというのに。
手を伸ばせば、すぐ触れる位置に少女は眠っている。
それだけ、彼女に近付いてしまった。
璃月へ向かう道中の、殆どを引き返してきてしまった。
あの赤黒い何かが、天から墜落してきた時に感じた予兆は、果たして彼女のことだったのか?
今感じているこの感覚は、大事な物と引き換えにしてまで、引き寄せるべきものなのか?
……分からない。
「おい、蛍?」
パニックを起こしかけている旅人に気付き、パイモンが覗き込んでくる。
いつの間にか足元に動いていた視線を上げて、心配しているパイモンに視線を合わせようとした所で────
【────……う……?】
『少女』は、遂に目覚めてしまった。
「っ……目が覚めたのか!? 大丈夫か?」
パイモンが率先して、その『少女』に声を掛ける。
きっと、案内役の彼女にも不安を感じる要素が幾つもあっただろうと思う。
それでも、ここで目覚めかけるこの『少女』を見捨てて、早急に立ち去ることを選ばないのは、パイモンの生来の性格と、それと蛍が少なくとも助けようと動いていたからだと、そう思う。
横で飛ぶ彼女の言葉・行動で、今後の動きの指針は決まった。
悪い予感だったとしても……少なくとも今は、目の前の少女は助けたい。
より近付き、『少女』の身体に触ろうとした所で、彼女の瞼が開く。
瞳は赤く、髪とはまるで逆のように、何処か黒さを感じさせる。
起きたばかりだからか、ユラユラと不規則に動き続ける視線は、その内にパイモンを注視し始め、そしてゆっくりと彼女は口を開いた。
【……妖、精……?】
「ん? 今なんて言った? テイワット共通語、じゃないのか?」
「……え?」
パイモンには、その言語が聴き取れなかった。
しかし────蛍には、聞き覚えのある言語の単語に聴こえた。
【……あなたは、誰?】
「うーん? ……やっぱり、テイワットの言語じゃないみたいだ。ヒルチャール語、でもないようだな……?」
【何を……言っているの? ここは……?】
パイモンには、彼女の言語は完全に通じていない。
向こうもそれを察し始めているのか、揺れる視界を抑えようと頭に手を当てながら、非常にゆっくりと起き上がろうとして、────結局、力が入らずに身体を何とか起こすだけで、結局動きが止まってしまった。
「おい、辛いのか……? 大丈夫か?」
【う……一体、ここはどこ……?】
それはつまり、────この世界ではない、異世界の言語であるということ。
そして、蛍がいつか訪れた事のある、何処かの世界の住人が使う、言語だったということ。
【ここは、テイワット────あなたのお名前は?】
【え……?】
蛍のその問い掛けによって、今度こそ、しっかりと少女の視線が定まった。
「え? ええぇ!? 蛍、お前、言葉が分かる、というか喋れるのか!?」
パイモンが大きく慌てている。
それと同時に、目の前の少女も大きく驚いているのが分かる。
表情、顔の動きは、普通の人間と変わらなさそうな雰囲気だ。
中性的なその顔、瞳が大きく見開かれてしまっている。
立ち上がろうとしていた事も忘れてしまったかのように、地面に座ったままの彼女のその姿は、呆然という表現がしっくり来るほどで、
だから、蛍は何となしに、彼女に手を差し伸べてしまった。
差し出された右の手に視線を動かし、それからもう一度、蛍の顔を見直して、
ゆっくりと左手を蛍の右手に重ねて、互いに人間の温かさを感じ、握り返して、
互いに力を込めて、名も聞けていない彼女を引き立たせようとして、
────思い切り、その彼女に突き飛ばされた。
「ぐっ……!?」
「え、ほっ、蛍!?」
突然のことにパイモンは驚きつつも、蛍の腕ごと思い切り突き飛ばした少女から慌てて距離を取り、相方の無事を確認する。
少女を警戒しつつも蛍に駆け寄ってみれば、その相棒も片手剣を取り出し、立ち上がって臨戦態勢に入っている。
蛍を突き飛ばした彼女も、後転しながら体勢を立て直して警戒している。
ただ、二人の警戒先は、互いの少女に対して、ではなかった。
「────旅人さん。ボクは、君に『迎仙儀式』を逃さないように、って言ったつもりなんだけどな」
クレーターの盛り上がった一山の上に、新たに矢を番えて、少女に向けて弓の照準を合わせている、吟遊詩人が居た。
蛍は彼の姿を確認して剣を降ろしたが、その片手剣を仕舞うことはしなかった。
ゆっくりと振り返り、こちらを見ずに少年を警戒し続ける少女を通り越し、そして、地面に突き立った矢を見付ける。
先程、少女に突き飛ばされなかったら────矢は少女と蛍の、どちらかに当たっていたかもしれない。
地面に突き刺さった矢は、先程まで自分達が居た位置の直線状にあった。
あの瞬間、蛍が気付く前に、墜ちてきた少女はウェンティに気付いていた。
矢が放たれたあの一瞬の間に攻撃に気付いて視線を横に動かし、矢を視認して即座に蛍を突き飛ばして、自分は後ろに転がって矢を回避した。
ウェンティに気付くことさえ出来なかった自分に比べて……あの少女は事前に気付いて、私を突き飛ばして守ってくれた。
彼女は、正直に言えば、怪しい。
間違いなく、テイワットに住む住人ではない。
この世界の言葉は通じないし、隕石のようにこの世界に墜ちてきた。
けれども、今、瞬時に助けてくれたこと。
この落下跡に辿り着く前に感じた予感。
彼女は『異界の旅人』であろうこと。
少なくとも────今、彼女は『敵』ではない。
「待って、ウェンティ」
「そうだぞ、吟遊野郎! なんでお前がオイラたちに撃つんだ!?」
「……パイモン、それに旅人さん。その子から離れた方が良い」
その少年は、パイモンの問いに答えることなく、敵意を隠すこともなく、少女に照準を合わせ続けている。
張り詰められた弓の弦は、決して緩められず、今にも彼女へと向かって飛来しそうだ。
そこで、日が差していることにようやく気付く。
いつの間にか、クレーターの周囲に渦巻いていたあの赤黒い粉塵が消え去っている。
そして────蛍を突き飛ばした少女から、その『赤黒い粉塵』のようなオーラが出ている。
漂わせるのではなく、明らかにそのオーラを放出していた。
「侵略者。この地、この世界に何の用だい? ……その邪悪な力を、この土地へ齎すつもりなら、────ボクは容赦しないよ」
「……」
その言葉に何も返さず、少女は弓を構える少年を警戒しつつも、自身の目前に手を翳した。
全身、そして手からも溢れ出ている黒い霧、赤く輝く塵は、少なくとも通常の神の目による力や元素反応とは程遠い、邪悪な印象を受ける。
対するウィンティ、七神の中で最も弱いと自称するモンドの風神────バルバトスは、決意を持って弓を構え、モンドを守ろう意志を見せているのが分かる。
ついさっきまで、風立ちの地で楽しく話した時のウェンティとは、雰囲気が一線を画している。
「ど、どういうことだよ?」
「……君たちも、あの天を切り裂く不吉な閃光を見たよね? 彼女はあの光そのものなんだ。今の見た目は人間でも、決して人ではなく、そして人を害してやまない種族さ」
「ひぇ……」
傍で聞いていても分かる強い口調で、ウェンティはそう蔑んだ。
普段の彼────さっきまでの彼とは全く違う様子の少年に、パイモンは小さく悲鳴を上げる。
その悲鳴を受けて、彼は少し表情を緩めた。
けれども、弓の狙いを下ろそうとせず、柔らかい口調でパイモンに呼び掛けた。
「だから、君たちも早くこっちに来て欲しい。そこにいると危ないからね」
「お、おう。────あれ……蛍?」
パイモンは、ウェンティの忠告通り、彼の元へと動き出した。
蛍は、その敵意を目の当たりにして、尚────少女の前、弓が指す先へ、立ち塞がった。
「ウェンティ」
「……旅人さん」
少年の驚いた、それでいて少しだけ悲しそうな声に、罪悪感が湧く。
つい先程、彼に対して『あの神』とは違う。長い付き合いだから疑わないと、言い切った筈なのに────彼の前に立ち塞がってしまった自分に、酷い居心地の悪さを感じる。
けれども、この直感を無視して、彼女を見捨てることは、何か違うと感じた。
「彼女は、さっき助けてくれた」
「……さっきの攻撃は、君からソレを引き離すためだった。ごめんね。でも、本当に危険だから、そこを避けてくれないかな?」
「何が危険なの? そんな気配はなかった」
「『それ』は人とは相容れない存在なんだ……助けたのは、君をより油断させるつもりなのかもしれない。今、背中から突き刺されてもおかしくないんだよ?」
背後に居る少女が出す、あの赤黒いオーラからは、確かに圧迫感がある。
テイワットに来てからは見たことのない雰囲気を持つ、言葉も通じない彼女に対して背中を見せるのは、確かに危うい行為なのかもしれない。
それでも────いや、ウェンティだからこそ、
「私も、ウェンティの事は信じ続けたい────攻撃を止めて、話し合うことは出来ない?」
後ろの彼女を、友人の『敵』としたくない。
言葉を翻訳できる私が居るのなら、意思の疎通は出来るはず────
「……あの、さ?」
後ろから、中性的な声がする。
ウェンティではない。彼は真正面に居る。
パイモン、でもない。パイモンは少し離れた空中でオロオロとしている。
蛍の後ろには────彼女しか居ない。
「えっと……これ、どういう状態……?」
────彼女は間違いなく、テイワットに普及する言語で喋りかけていた。