「おまえ喋れるのかよ!?」
パイモンの絶叫が、辺りに響き渡る。
蛍は相棒の心からの絶叫に、心から賛同しながら脱力してしまい、視線を上げればウィンティも顔を引き攣らせてしまっていた。
弓矢の照準を完全に落としてはいないものの、狙いはズレていて弦は幾らか緩められてしまっている。
「あー、うん、喋れる、っていうか、なんていうか……」
渦中の人物、な筈の彼女は、どうにも歯切れが悪い喋り方で、パイモンの絶叫に返事をした。
会話はこれで成立した。意思の疎通が出来る相手だった。
「なんだよ。話せるなら何が目的なのかが分かるよな?」
そしてその緩まった空気が、続くパイモンの言葉によって引き締められた。
では、何故目覚めた直後は、互いに言語が通じなかったのか?
蛍の知る、違う世界の住人が使う言語を何故使っていたのか?
旅人の油断を誘う為に、言葉が通じないフリをした?
それなら突き飛ばさないでいる────あるいは、繋がった手を引き寄せて、ウェンティの矢への盾にでもしてしまえば良かった筈。
より油断を誘う為に、一度は庇った?
それなら尚の事、喋れることを言わずに、注目されるような真似をしない方が、後で追及されずに済む流れになった筈。
何処までも、怪しい状況。
「……もう一度訊くよ。侵略者────このテイワットに、何の用? 返答によっては、容赦しない」
ウェンティの弓はより引き絞られて力が入る。
今度ばかりは、蛍も射線を遮るような行動はしなかった。
彼女の目的がハッキリとしているのなら────あの予感の正体も、分かる筈だから。
もし風神の言う通り、彼女が邪悪な力を持ち、悪意を振りまく存在ならば────それはそれで、勘が外れたというだけだ。
力で抑え込んでから、異世界の言葉を何故使えるのか、改めて問い詰めるだけ。
三者三様の視線が集中する中、その黒髪赤眼の少女は、ゆっくりと両手を上げる。
その行動に、狙いはより精密になり、片手剣はいつでも動けるようにより握り締められる。
両腕が完全に上がりきり、両方の掌は開かれたまま、彼女はゆっくりと喋り始めた。
「あー………………多分、私、記憶がないみたい」
「はい?」「ええ……」「えっ?」
「その……私、自分の名前も良く分からなくて……えーと、タビビト、さん? が、私を守ろうとしている、んだと思うんだけど、合ってる?」
ゆっくりながらも唐突でいきなりな話に、誰もが驚きを隠せず、ウェンティさえも彼女からの問い掛けに頷きを返している。
「うん、それで……いや、まぁ、私が居ることで、彼女に悪い、あー、悪影響? ふ、不利益? とかがあるのなら……投降、というか、自首というか……その、そんな感じ?」
にへら、と顔を少しばかり傾けて、弱々しく笑った。
彼女は辿々しく、初めて逢った筈の蛍に対して────蛍と同じように、庇おうとしている。
両手を上げた格好は、そのまま降参の姿勢だった。
もし、それが人を絆すつもりの演技ならば大したものだと、そんな感想を抱いたウェンティは、警戒を一つも緩めず、いつでも撃てる状態のまま、質問を重ねた。
「……記憶がないというのは、何処をどう信じれば良いのかな?」
「そうだぞ。起きた直後はオイラと会話ができなかったのに、今になってできるなんて、なのに記憶がないなんて、おかしくないか?」
「うーん……私も、よく分かんなくて……確かにその、ふわふわ浮いている君が言っていたことは理解できな、うん? ……理解、できる、ね……うぅん……?」
ウェンティに続くパイモンの質問に対しても、彼女の返答は要領を得ない。
頭の中を整理しながら喋っているのか、掲げている両腕は少しずつ下がってしまっている。
「……えーと、今、私が話しているのは、テイワットの言語?」
「ああ、問題なく喋れているぞ」
「で、このテイワットの言語以外に、ひるちゃーる語、っていうのもある?」
「やっぱり言葉が通じるんじゃないか!? オイラの言葉が分かってたんだろ?」
「いや、何と言えば良いかなぁ……後になって思い返してみれば、あれはああ言っていたのか、っていうか……急に分かるようになった、っていうか……」
「んん? よく分からないな……」
「うん、私にもさっぱり……」
「いや、お前が分からないと、オイラたちは何も分かんないぞ……」
いよいよ持って降参のポーズが、お手上げというそのままの意味になりつつある状態の彼女とパイモンの対話に、蛍は呆れて溜め息を吐いた。
それから、腰に手を当てて、呆れた顔は変えずに、振り返ってウェンティへと声を掛けた。
「これでもまだ、話し合えないと思う?」
「……」
対する風神は、それでも変わらずに弦を引き絞ったままではいたが、それまであった筈の緊迫感が表情からは抜けている状態となっていた。
先程まで距離を取っていた筈のパイモンが、話している内にどんどん彼女に近寄っていって、今では蛍と同じぐらいの距離で、その侵略者と話している。
ヒルチャールやアビス達とは雰囲気が異なるから、それから、邪悪な力を持っていると分かっていても、本人からは邪な気配を感じない。だから警戒を止めて彼女に近付いた。
パイモンのその行動が出来る理由は、ある程度分かる。
邪気や、害そうとする気配がないことは、ずっと観察していた事からも分かっている。
それでも、この世界の人とは相容れない存在だ。
「それで、えっと、パイモンさんと、タビビトさんと……ウェンティ、さん?」
「……何かな」
「私が人外っていうのは、まぁ……何となく分かった。この力が良くないものだというのも、分からなくはない。こんな記憶もない奴が怪しすぎるというのも非常によく分かる」
「……」
「いや、よく分かる、っていうのはおかしいか。目が覚める前のことは真っ暗で、何にも覚えてないのに、世界を守ろうとしているあなたに対して、私が知ったか振りで言うのは良くないね」
「……記憶が一切ないにしては、性格が成熟されてるね? 何処から嘘なのかな」
「嘘は言ってないよ。黙っていることもない。えーと、そうだな……」
そこで、彼女は口を閉ざして、再び物思いに耽った。
数秒も立たず、決意に満ちた瞳で、彼女は風神に言い切った。
「死にたくはないけど、それのせいで、私に手を差し伸べてくれた人が困ったり、悲しむような結果、間柄になってしまったりするのは、何となく……嫌かな、って」
「……」
その言葉は、彼が知る彼女の種族としては、到底想像の出来ない答えだった。
悪意を吹き散らし、民草に危害を加え脅かし、命さえも奪う存在の筈。
幾ら記憶がないとしても、そこまでの宣言が出来るものだろうか?
種族としての性格として、さっき知り合ったばかりの人物に、命を賭けれるのか?
いや、嘘や騙しは彼らの得意分野だ。
「……そうだ。それならこういうのはどう?」
思い直し、警戒すべきという答えを出す直前に、新たに声を掛けられる。
「もしも、今後、私が人々に悪意を振り撒いた、あるいは、害をなすために動こうとしたのならば、その時に、私を殺してでも止めれば良い」
「……それは、自分は殺されないと高をくくっているようにも受け取れるけど?」
「ああ、そうか。じゃあ、それに加えて、信頼・信用できるまで拘束しても良い、かな?」
何処か自分の事でないように語る少女に、より疑問が湧いてくる。
信じられるまで、と言う割には、信じさせようという気配があまり感じられない。
訊いた話の通りならば、彼女の種族はもっと狡猾に信じてしまうような行動を取る筈。
「……人は生きていく上で、嘘を吐く、冗談を言うことは無数にあって……それは、人生を彩るために必要不可欠なことで、悪意のない嘘は、より他人の関係を複雑にしてくれる」
「だから────私はこの三人に、私についてのことで、嘘は言わない、黙らないと、誓う」
「そして多分────あなたがこういった宣言について、最も詳しいと思うんだけどな?」
両腕を挙げたまま、彼女は
「……誰もそんな事は言ってないよ?」
「そうだね」
彼が構える弓から、また引き絞られる音がする。
先程からずっと、彼女は手を挙げて投降している状態の筈なのに────旅人やパイモンには、敵へ果敢に挑もうとする、冒険者のように見え始めてきた。
「でも、ウェンティさんの物言いは、この土地、あるいは、世界を代表するものだったよ。それに、パイモンさんは見た目から別として、彼女と、力の質が大きく違うように視える」
赤眼の彼女は、その光を感じさせない暗さを感じさせる瞳で、三者を一瞥して言い切った。
「嘘は言わない、黙らないと誓ったからね。私が思う感想ぐらいなら、いくらでも言うよ?」
「……そういう感性、勘の鋭さも、ボクが警戒していることなんだけどね? 君、ボクに信用させる気はある?」
「やだなぁ、さっきから言ってるじゃん?」
「死にたくはないけど、記憶が無い今の内に、あるいは、親交がない今の関係のままで犠牲になれるなら、後腐れないんじゃないかな、ってね?」
「そこまでは言ってなかっただろ……」
ウェンティはより混乱した。
彼女は、目覚めたばかりに出逢った旅人をかばうために、挑発までしてきている。
嘘を成立させるため、あるいは、信憑性のない噂を成立させるために、彼女が本来持っている筈の気質を、宣言を遵守しつつ、自分が殺されても構わないと考えて、その能力を使用している。
「パイモンさんは優しいねぇ。いつか裏切られるんじゃない?」
「うわぁ……」
ついに彼女は、パイモンが呟いた言葉にまで反応して噛み付き始めた。
いつの間にか淀んだ赤色になった瞳はパイモンを見つめ、その表情は嘲るような薄ら笑いが貼り付いている。
ただ、彼女からの煽り・挑発には、何か裏があるように感じるのか、パイモンは額面通りに受け取らず、何処か引くような反応をしている。
「お、おい。何とかならないのか? 流石にもう、本当にやるのなら、気分がよくないっていうか……」
パイモンが彼女の視線から隠れるように、蛍の背中に張り付きながらそう囁いてきた。
旅人も、彼女がする挑発の意味が分かっている。
その薄ら笑いが本気で本音にしか見えなくとも────そして、引いたパイモンの動きを見て、失敗したと気付いて、小さく苦笑いをしたからこそ。
片手剣をもう一度握り締めて、再度彼女の前に────ウェンティの射線上に立ちはだかった。
「ウェンティ、殺さない方法はないの?」
「……旅人さん、もしここで見逃したとして、君が旅を再開したとして……彼女が人々を襲い始めたら、君は彼女を止められる?」
「それは……」
「今、消してしまうか、あるいは、常に監視していないといけない……コレはそういう爆弾だよ────それとも、共に連れて行くかい? ボクはそれならそれで、君の安全のために止めるけどね」
彼は薄く、弱く笑って、いつもの彼らしくない表情をしている。
心配してくれているのは、良く分かっている。
振り向いて、両手を掲げたままの彼女に相対する。
目覚めた時に比べて、瞳の赤色はより暗くなっている。
矢を避ける時に転がった所為か、黒髪の一房に土塊が付いてしまっている。
彼女は優しく笑っている。
心配させないように。それでいて、自虐的・自罰的に。
実にどうでもいいことかのように。
天から墜ちてきた。通常の元素粒子ではない赤黒い粒子。人を食った態度。記憶の欠落。
不吉な気配。人間とは思えない邪悪な圧迫感。本人も自覚している、人外・良くない力。
でも、そんな気配はあっても、未だに殺意や悪意は感じない。
人とは相容れない存在……あの世界の言葉を話す存在、なのに?
【ねぇ────あなたのお名前は?】
【っ!! ……びっくり。本当にテイワット語じゃないんだね。コレ】
【え?】
【いや、本当に、私からしたらいつも通りに喋ってるつもりだったんだけど……こうやって喋ってみると、まるで違うね。どうなってるんだか……】
【私も、テイワット語はそんなに流暢な方じゃないから……この言葉もだけど】
【そう? 綺麗に喋れているように聴こえてるけど……】
「お、おい? 何を喋ってるんだ……?」
質問した筈なのに、それよりも大きく驚かれてしまい、結局話がそれてしまった。
間違いなく、彼女はあの世界の言葉・言語を使えている。
今の会話で、テイワット語と区別して使い分ける事もできることが分かった。
出身があの世界なのかどうかは分からない。
ウェンティが危惧・警戒している、人と相容れない存在が、本当にあの世界に居たのかどうかも、今となっては分からない。
けれども、もしあの世界の住人だとしたら。
【もう一回訊くけど、あなたのお名前は?】
【本当にごめんね……思い出そうとしてるけど、全く覚えてないんだ】
【この言語に関しても?】
【うん。なんで使えてるのか……どうやって覚えたのか、聞き馴染みはあるのに、まるで分からない】
【……この言葉を使う世界には、『名前で縛る』っていう術・誓約がある】
【……へぇ?】
名前で縛る。名を与えて、繋がりを作る。使役する。操る。下賜して存在を確立させる。
【私を拘束するために使う、って訳?】
【うん。これなら、もしもの時でも……それに、約束してくれるんでしょう?】
実際の所、蛍はその誓約の結び方、術の発動のやり方を知らない。
今から行うことは、見様見真似ですらない、話に聞いただけのデタラメ。
ただ、それでも、このまま見過ごすことはできない。
────彼女には、何かがある、から。
【目を閉じて。何でもいい。心の奥底から、聴こえてくる単語はない? あなたの元となるような、聞き馴染みの強い言葉……音はない?】
【………………────────────】
彼女は、目が覚める前までに記憶は、確かに無い。
ウェンティの言う通り精神が成熟されていたり、異世界の言葉を使えたり、おかしい部分はあるし、テイワット語が急に分かったり、旅人とウェンティの力の質が異なることに気付けたり、おかしい部分が多くある事にも気付いていた。
それ以外にも、名前で縛る術について。
空から墜ちてきた少女は、その術についての一切を知らない。
▼▼▼▼▼▼
────その術を使ったことがあった。
そして、使われたこともあった────その感覚だけ、覚えていることを思い出した。
今、タビビトさんが行っていることが、その術を全く同じものなのかは分からない。
使い、使われた、そして、その先を思い出そうとすると、途端にその感覚が霧散していく。
でも、掴めない記憶の糸があっても、手繰り寄せれない紐があっても、
繋がっていた、私という大本の感覚は、今確認することができた。
内側に深く入り込もうとしても、その先に何も残っていないことは分かっている。
自身の大本の記憶の海は、何処までも澄み切っていて、何処までも見落とせるのに、暗い色で塗り潰されているかのように、何もなくて……何かを思い出そうとしても、起きたばかりのさっき見た光景だけが思い浮かんでくる。
それでも、繋がっていた、という過程は残っている。
心の奥底、記憶の海の底、自身が繋がっていた感覚だけがある、無地の海底。
呼ばれたことはないのに、その
いつの間にか、閉じてしまっていた目蓋を開く。
心配そうに見ている目の前の彼女。
横で飛びながらこちらを伺っているパイモンさん。
その奥で弓を降ろして様子を見ているウェンティさん。
名前はハッキリとは思い出せてない。糸の流れをなぞるようにして、音に合わせて口を動かす────その前に、タビビトさんが先に喋りだした。
「────あなたのお名前は?」
痕は輪郭となり、物理的な実体となり、
「……し……な……?」
「んん? シーナ?」
「あっ」
「え?」
まぁ、結果的に、名付けたのはパイモンさんとなってしまった訳だけど。
クロスオーバーの予定は今の所ないです。