ようやくクレーターを登り切った。
かなり力んで崖を登っていった筈だけど、割とそこまで息切れや汗を掻くこともなく、登り切ることができた。
……周囲の騎士団員は、ほとんどが男性で体格はどの人も私より大きく優れている。私みたいな小柄な体型なのは、斥候のアンバーさんぐらいだろう。その彼女ですら私よりも身長は大きい。
まぁ、騎士団員というからにはそれなりに鍛えているんだろうし、体力切れを起こしている人が居ないのも分かる。
それにしても、少女の体の私が手錠をしたまま、息切れを起こすことなく、この崖を登りきれるのか?
ほとんどが急な坂と段差で、ルートは騎士団の人から都度教えられていたとは言え、だ。
少なくとも、登ってきた崖をもし最下段まで飛び降りるなら、二本足で着地することなんて出来ないだろうし、最悪打ち所が悪ければ死ぬかもしれない高さだ。
自分の訳の分からなさに少し、ゾッとした。
「……シーナさん、大丈夫?」
「え? あ、ああ、アンバーさん、大丈夫……多分」
相も変わらず、身体から溢れている赤黒いオーラの様子に変化はない。
私の感情の機微に反応したり、体力の消耗によって変化したりは……まぁ、もっとよく観察してみないと何とも言えなけど、連動は少ししているかもしれない。
「シーナ。約束は忘れた?」
「……はいはい。『私に関しての報告義務・隠匿禁止』ね」
ウェンティが目ざとく声をかけてくる。
いやまぁ、別に良いけどさぁ……もうちょっと感傷に浸らせて欲しいもんだけどねぇ……。
「別に……身体能力が矢鱈と高いな、って……それだけだよ」
「ふむ? それは自分のことか?」
「え? うん」
私の報告に、ガイアさんが顎に手を添えて考え込み始めた。
彼の方へ振り返って、その気になったことを訊こうかと思ったけれど、
────それまでの考えがすべて吹っ飛ぶような光景が広がっていた。
「おぉ……」
広大な草原、湖の中の島にある都、建物に重なるように落ちていく夕日。
左には雪の積もる山嶺がそびえたち、その更に左手前の低い土地には巨木が揺らいでいる。
遠い向こうには細い切り立った山が並び、中空に浮く小さなのようなもの土地が幾つか見えた。
どこまでも広がっていく開放された空と大地。風が気持ちよく吹き抜けていく。
おとぎの国、ファンタジー、そう言われればそう信じてしまうような光景。
眩しい日の光は、都市の最も高い建築物に重なっていき、段々と周囲は暗くなってきていた。
「……どう? 何か思い出せた?」
しばらく呆然としていた私に気を使ったのか、アンバーさんがゆっくりと声をかけてくれた。
「……ううん。記憶には、何も……こんな美しい光景、見たことない」
記憶を探ろうにも、感動してしまってそんな事を思い付きもしなかった。
そして、言われて照らし合わせようとしても、過去に見た光景を思い出すことも出来ない。
見たことあるかどうかのデジャブ感も、正直、絶景に塗り潰されて感じる間もなかった。
それぐらいに私は呆然としていた。
「へへっ、それじゃあ改めて、モンドへようこそ!」
「おいおいアンバー、一応は重要参考人だぞ」
「むっ、モンドの良いところを見付けてくれたんだから、ちょっとぐらい良いじゃない」
後ろの会話も気にすることなく、私は周囲の光景を楽しんでいた。
そこへずっと黙っていたウェンティさんが近寄ってくる。
「変な奴だね、君は」
「……そうなのかな……ちなみに、それは私の感性? それとも、種族としては、という意味?」
「言わなくても分かるでしょ。そろそろ行こう。騎士団の皆を待たせてるんだから」
「おっと……すみません」
慌てて振り返って、手持ち無沙汰にしていた騎士団員に頭を下げる。
彼らは手を上げて気にするなと言わんばかりに苦笑いしていた。
少なくとも、クレーター内で感じていた、居心地の悪さは少し弱まっていた。
そこまで考えた行動では一切ないけれども、隣の吟遊詩人を名乗る彼は、私のその行動でまた溜め息を吐いたのには、まぁ、そう写って見えたのも仕方ないかな、と思わなくもない。
……ただ、私を見て警戒を強める人は相変わらず居た。
アンバーさんも、さっきまで案内人としての笑顔はいつの間にか消えて、私を警戒していた。
一体どうなってるんだか。
▼▼▼▼▼▼
「それじゃあ、本当に何も覚えてないのか? 名前はどうなんだ?」
「えっと、名前も、正直、コレって言う実感はなくて……でも、違うとも言い切れなくて……そんなあやふやな感覚しかないんです」
道中で、ガイアさんに何度か尋ねられて、正直に回答していく。
「そうか。自分の今の服装について、何か覚えていることは? もしくは、見て感じたことは?」
「服……?」
言われて、歩きながら自分の服装を確かめてみる。
私の着ている黒い服は、そう言えば周囲の騎士団が着ている服装や、アンバーさん、ガイアさん、ウェンティさんとも、全く一致しない様式になっている。
もっと言うならば、旅人さんともパイモンさんとも違う。パイモンさんとはサイズが全く違うけど。
観察していくと、所々に土くれが付いているのにようやく気付く。
旅人さんを庇った時かな? それとも、墜落した時?
……私は全く覚えてないけれど、空から墜落してきたってことは、本当はミンチじゃん。
この服が無事なのは異常じゃないか……? いやぁ、そもそも落ちてくること、と言うか、私という存在の全てが異常なんだろうけどさぁ……。
まぁ、何はともあれ、この服を見ても思い出せることはない。
……これ、腹の所の帯で服を巻いて留めてるみたいだけど、私もう一度着れるかな……?
「うん……まぁ、もう一度着れるかどうかは置いといて、見覚えもないかな……」
「そうか。……。それならもっとシーナさんの内面を探ってみるか」
「……ああ、はい……」
……あからさまにガイアさんがウェンティさんの顔を見て、彼が首を振って、何か言葉を濁されたのが分かるんですけど。
いやぁ、分かるよ? ……どこから何が起きるか分からない状態だから、情報を与えないっていうのもさぁ……。
……でも一切隠そうとしないのはどうなんだ……。
まぁ、いいさ。現状を変える力は今の私にゃないんだ。
「『シーナ』という名前の話や、身体能力についての所感を聞いて思ったんだが、思い出せる部分もあるんじゃあないのか?」
「……と、言うと?」
「感性や品性、善悪の判断は今までの経験から行うものだ。言語化出来ていない部分、感想とかも、今までの感覚があるからこそ生まれるものだ。その感覚を辿って、元の形を引き出すこともできるんじゃあないか?」
「……あー……思い出そうとするんじゃなくて、咄嗟に出た判断を優先する、ってこと?」
「ざっくりと言えば、そうだな」
ガイアさんの説明は、少し難しかったけれど、何となく分かった。
名前を思い出す時に感じた、糸が途中で途切れていく感覚。
手繰り寄せることの出来ない糸の先には、私が思い出せない記憶が繋がっていた。
思い出そうとすると、感覚だけが残る。そこから先がなくなってしまう。
それならその感覚を元に、残った感覚をまとめて、過去の私は『こう』だったであろうと、作り上げれるんじゃないか、と。
でも、思い出そうとして、手に入れた感覚はもう戻ってこない。
何度もガイアさんから呼ばれている『シーナ』という名前に、既に違和感がなくなりつつあるように、『今の私』としての感覚は次々と記憶されて更新されていく。
思い出そうとした時に感じたはずの音の感覚は思い出せず、既に
だから多分、一度目だけなら感覚を拾えれる。
二回目以降は、多分今の私の感覚で塗り潰されてしまうだろう。
「……多分、思い出そうとする時に、何処かから拾ってくる感じ」
「うん? どういうことだ?」
「どう言えば良いのかな……ああ、この手錠」
「まだ外さないよ」
「分かってるよウェンティさん……」
良い例え方を思い付いたのに、茶々入れてくるんだもんなぁ……。
やれやれと溜め息を吐いた所で、もう一度説明を始める。
「手錠をしてることを忘れて、手を広げようとする。広げた手で何か物を取ろうとする。指先が物に触れた瞬間、手錠によって手が届かなくなり、指先に押されて物は転がり、そしてどうやっても届かなくなってしまう……みたいな?」
「……思い出そうとすると、その感覚がある、と?」
「まぁ、例え話ではあるけど、そんな感じ、かな?」
「手錠ね……拘束、記憶が封印されてる、とか?」
アンバーさんにそう言われて、ああ、と少し納得した。
封印。なるほど、危険人物だから、とか?
それなら、墜落する前に居た場所で、その封印を行った人物に何かされた訳になるけど。
でも、
「封印、という感じじゃないかな……」
「違うの?」
「なんだろう……壁があるって感じじゃなくて……引っ張られる? でもないな……途切れる、いや、断ち切られる感じ?」
「感じって言われても……手錠じゃないの?」
「いや、そうなんだけど、そうなんだけども……」
そんなボンヤリとした回答しか出せず、そんな答えにアンバーさんが何とも言えない顔をしている。
ガイアさんは興味深そうにこちらを観察しているけれど、ウェンティさんはこちらを見るばかりで何もヒントをくれやしない。
手錠の例え話は、自分でも割と的確なんじゃないかと思ったけれど……。
……いや、違うな。
ガイアさんの言う通りなら、この『的確と感じた』と思ったことが初回に拾った感覚の筈だ。
一瞬だけ届く。届くけれど、それを引っ張ってやめされられてる。
……この感覚が、一番近いかもしれない。
「何か、思い出せそうな話題、何かない?」
「それはさっき俺が話した、感覚や感想を元に、ということで良いのか?」
「うん」
私が咄嗟に出た感想を言った時に、またあの感覚が出てくるのなら、考察は間違ってない。
もし、『引っ張って止めさせられている』という感覚が、また起きるのなら、それは────。
「それじゃあ、そうだな……好きな果物は?」
「リン………………り? りから始まる、なんか赤いやつ」
「『リンゴ』か?」
「いや、分かんない。というか、りんごっていう果物があるの?」
「ええ?」
咄嗟に出た。
本当に、咄嗟に出て、喋ってる最中に、感覚が抜け落ちていく。
引き寄せることも出来ないまま、強制的にイメージが掻き消されていく。
……うん。分かった。
「……とりあえず、思い出せない理由……いや、どういう症状なのかは、分かった」
「ほう?」
「多分、私が思い出そうとする度に、その記憶を消してる奴がいる」
さっきの理論で言うなら、この『感覚』は当たりだ。
私が感覚を元に思い出そうとすると、その糸を追跡して切っていく奴がいる。
それは私が該当の記憶を全て思い出すよりも早く、糸の先に辿り着いて消し去ってしまう。
言語、身体の動かし方、感想や善悪の判断などと含めて、私が思い出してはいけない記憶と、思い出しても良い経験とを明確に見極めて────そして先んじて記憶を塗り潰して、私が思い出そうとしないようにしている。
これは、明確な、私の敵だ。
至極真面目な顔をして、ウェンティさんに報告する。
けれど、返ってきたのは困惑した騎士団の表情と、理解しようとしない返事だけだった。
「……うん、まぁ、その奴がどういう者なのかは、ボクたちには全く分からないけどね」
「え? ……あ、そうか……」
「お嬢ちゃんが騙そうとしているようには見えないが、少なくともこの騎士団員の包囲を潜り抜けて、俺たちの目の前でシーナの記憶を消す、なんて奴は見えないし、無理だろうな」
ウェンティさんとガイアさんの言葉で、怒りが霧散していく。
人物として扱ったけど、そもそもがそういう欠陥として私に備わっているのかもしれないのか。
うー、でもなー、感覚通りなら、敵という人物、が表現として合ってるんだけどなぁ……。
いや、まだ実験が二連続で正解したってだけだから、まだ確証された訳ではないけどさぁ……。
「もう一度、試してみるか?」
「試すって……何か感覚が思い出せる話題の種でもあるの?」
「さっきと同じ、好きな何かで良いんでしょ?」
「じゃあ、好きなお酒」
「にぉ………………え? お酒、飲むの私?」
ウェンティさんの話題の種のせいで、驚愕の事実が出てきた。
私の背丈、どう見ても未成年だと思うんですけど!?
え、なんでガイアさんはそんなニッコニコなの!? アンバーさんは引いてるし!? ウェンティさんは……え、何その表情、凄い複雑そうな顔してる……どういう感情?
君が振った感想の話じゃん。何その……どう言えばいいのその顔。