斯の存在の名を述べよ   作:千里亭希遊

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斯の存在の名を述べよ。

 それは今にも倒れそうな足取りで歩いていた。

 ふらり、ゆらりと、一歩一歩が難しそうで、全然前へ進めていない。

 ぼろぼろな服のあちこちには少なくない血が滲んでいる。

 

 裏社会の者しか使わないようなこの奥まった路地裏で、そんな様相の人間を構う者なんていない。もう使えない(・・・・)から。塵拾いなんて慈善事業は誰もしないのがこの領域(エリア)だ。

 

 借金のカタに一部か全部を差し出したか。

 何かしらを弄ばれたか。

 何かから逃げて来たか。

 はたまた、人体実験か何かの成れの果てか。

 

 何であれ底辺(ソコ)でボロ屑のように捨てられる人間などそう珍しくもなかった。

 

 だからベルモットも普通なら目に留めなかっただろう。

 

 だが視界の隅で捉えたそれの色合いに謎の既視感を覚え、彼女はそれを少しだけ目で追った。

 

 そしてすぐにその既視感の正体に気付く。

 

 少し銀の色味も感じさせる淡い金色の直髪。彼女自身の輝くような金とはまた違う色。髪質も、きちんと整えさえすればあれ(・・)に近かろう。

 そしてそのあたりの有象無象より多少深みのある肌の色。

 この島国の中であれば珍しいと言えるその組み合わせが、見出したばかりの者とあまりにも同じだった。

 

 彼女が興味(シゴト)で近付いた『 安室透 』という男。

 何やら組織を探っているフシがあるとかでボスに目をつけられた愚かな男。

 彼女が何故か目を離せなかったその男は、つい先ほど接触し、そして分かれてきたばかり。

 

 だからこのタイミングでここに彼が居るはずはなかった。

 何より目の前にいるこのボロ雑巾の身体のラインはどう見ても女性のもので、髪も腰に届く程長い。

 ならばこれは?

 

(血縁者?)

 

 あの見つけたばかりのすました子の個人的な情報を、欠片でも掴んでやれたら少しは愉快かしら。

 彼女がそんなほんの小さな期待で、それの顔を見られそうな位置に潜もうと視線を巡らせた時、

 

 それはパサリと俯せに倒れた。

 ベルモットは顔をしかめる。

 厄介に直接触れたいとする程それへの期待は大きくない。

 普段なら絶対に触らない。

 

 けれど……と彼女は逡巡する。

 周囲にはどんな監視の気配も感じられない。どころか、人の気配自体がない。

 

 もしあの狐か狸かのような食えない者の弱みであったなら、握っておいて損はない。

 

 彼女は好奇心への微妙な敗北感に溜め息をつくと、多少重い足を動かしてボロ雑巾に近付いた。

 足先で肩のあたりを引っ掛けくるりとひっくり返す。息はしているようだ。

 前髪も半端に長かったが金糸の合間に覗くその顔立ちは──。

 

 ベルモットはニィと笑った。

 スマホを手に取り、交換したばかりの番号へ発信する。

 相手はすぐに出た。

 

『はい』

 

 ただ二音で終わるそっけなさにふっと笑う。

 

「hi,puppy.面白いものを見つけたわ。ちょっと顔を貸して頂戴」

『……あまり良い予感がしないのですが』

 

 ベルモットはクスっと笑う。

 

「来ないと後悔することだけは確かよ」

『…………どちらに向かえば宜しいですか?』

 

 迷ったらしい数秒の沈黙を挟み胡乱な声が返ってくる。

 ベルモットはまたクスっと笑った。

 

「外だからGPS情報を送るわ。他に人の気配がしたら私は立ち去るから、急いだほうがいいわよ」

『一体何なんですか本当に……』

 

 彼の不満そうな声を無視して通話を終わらせ、彼女は座標を送る。

 まだ近くには居たようで彼は程なく姿を見せた。

 そして楽しそうに笑う彼女の足元に誰か転がっているのを認め、眉間に皺を寄せながら嫌そうに歩み寄り──。

 

 ボロ雑巾の風貌を把握したらしい彼の目が大きく見開かれた。

 ベルモットはクスクスと心底楽しそうに笑った。

 

「ねぇ、このkittyは一体誰なの?」

「僕が聞きたいです」

 

 彼女の期待に反して再び眉間に皺を寄せる彼に、ベルモットは困惑する。

 

「え?」

 

 ベルモットの喜色は引っ込んだ。彼のこの反応は何だろう?

 

「誰ですかこれ」

「……どう見てもあなたの血縁者でしょう?」

 

 違うなら一体何だというのか。

 

「そういうのが今も残ってるなんて聞いたことはないんです」

「『今も』?」

「親しいものは全員既に亡くしました。それ以外の親類を僕は知りません」

 

 こう淡々と語るには淋しいはずの身の上に、ベルモットは多少顔をしかめた。

 青臭い虚勢など求めてはいない。

 

「疎遠だっただけなんじゃない?」

「有り得ないと思うんですけどね。知らなかっただけという可能性は無きにしもあらずですが……」

 

 安室は本気で不思議がっているようだった。

 ガードの固い彼のプライベートを多少なりとも突つけるのではという、悪戯心にも似た小さな期待が潰されて、ベルモットは拗ねたような気分になる。

 

これ(・・)は貴女がやったんですか?」

「失礼ね? この状態でふらふら歩いて来て、勝手に倒れ込んだのよ」

 

 彼は多少肩をすくめた後にすっとしゃがみ、仰向けに転がされている女の頭部を探り始めた。

 髪や頬をあちこち強く引っ張り、化粧の度合を確認し、顎や額のあたりを指で辿る。

 変装を想定してのことだろうが、どうやらどれも剥がれるものではなかったらしい。

 具合を看ようとした訳では全くない様子が、ベルモットにはいっそ腹立たしい。

 

 安室は面倒そうに溜息を付いた。

 

コレ(・・)このままここに放って置いちゃ駄目ですか?」

「あら、随分冷たいのね?」

「貴女こそよくこんな厄介そうなのに目を付けましたね。そのうち物好きが拾うか野垂れ死ぬかしてどうにかなるでしょう。僕は関わりたくないです」

 

 ふぅん、とベルモットはいよいよつまらなくなる。

 

「ざあんねん。ちょっとはアナタの鼻でも明かせるかと思ったのだけど」

「何となく気持ち悪い、程度の嫌がらせにはなっていますよ」

「アナタ案外冷めてるのねえ」

 

 安室は肩を竦めた。

 

「職業柄身軽に越したことはないですから。容貌が似てる程度の見知らぬ他人にいちいち構ってられません」

「アナタが知らないだけだとしても?」

「妙に食い下がりますね……だったとしても、これまで知らずにいて支障がなかったような繋がりです。そもそも、血縁だからって仲良しこよしできゃいけないなんてことはないでしょう」

「わざと遠ざけようとしてるの?」

 

 安室は溜め息をついた。

 

「まさか。貴女こそ、一般人に夢を見すぎではありませんか」

 

 ベルモットは口を曲げた。

 

「まあ……残念ながら僕は人の粗探しを生業にするような、後ろ暗い部分に片足を突っ込んでる人間ではありますし……表通りくらいになら、『綺麗な一般人』が居るかもしれませんよ」

「……アナタつまらないわ」

「ご期待に添えず申し訳ありません」

 

 慇懃にお辞儀などして苦笑する安室に、ベルモットは引き続き口を曲げる。

 

「せめてもの罪滅ぼしに救急車くらいは呼んでおきます。貴女のご様子からして僕が留まれば厄介にしかならないでしょうから、その後は任せても?」 

「馬鹿言わないで。それこそ厄介よ」

 

 ベルモットは現状変装しているため、安室は彼女がシャロンだなんて露とも思っていないのだろう。でなければ有名女優相手にこうは放り投げたりしなかっただろう。

 

 しかしベルモットのほうも、どんな追っ手が着いているかも分からないモノを押し付けられるなど御免被る。

 

 口を尖らせる彼女に、安室は気の抜けた「あは」なんて笑顔を浮かべるものだから、ベルモットの機嫌は更に降下する。彼女はそのまま踵を返した。

 

「ほんと、つまらない」

 

 そんな呟きを残し彼女は肩を竦めながら歩き去って行く。

 彼女の背を見送りつつ、彼は来た道を戻る。そして前言通り律義に救急車を呼ぶらしい。しかしその場に留まることはしない。

 

 そして降谷は手を回し、彼女を公安の息のかかった病院へ運ばせた。

 

「……何なんだほんと……耳の形も僕と同じ……?」

 

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 ()存在(モノ)の名を述べよ。

 

 

 

────  v√ν ── ^v√γ ── ……




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時期的には公安配属二年目、というところです。
警察学校でスカウトされて卒業後即の配属な設定。

降谷さんは相手がベルモットだと気付いています。
それも踏まえて変装を施された可能性を疑ったのかもしれません。
しかし耳の形に気づいてからは平静を装うのが大変だった。
後を任せても大丈夫ですよねという振りは、正体に気づいていないと思わせるためのもの。

この捏造世界のベルモットは組織から自分を解放してくれる何かを待ち望んでいて、無意識に『 安室透 』にその期待を向けています。
降谷さんは何かを微妙に悟って「一般人に夢を見すぎでは?」なんて言ってしまって、彼女は図星を掠られた。それでちょっとご機嫌斜め。
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