赤井には自負があった。矜持があった。
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精神面には自信があった。
むしろ図太い自覚があった。
独断専行が常だった。マイペースくらい許容しろと開き直った。
いくらバーボンが衝突して来ようと素知らぬ顔を続けたし、寧ろ揶揄って返しもした。
自身の正義感を揺るがされかねない任務ばかり回されようと、卒なく熟すようでなければ潜入捜査官など務まらない。
目的はそれに留まらず、父の身に起きた何かを追うことなのだから。それらは寧ろ前提条件でしかなかった。
自身がそこで躓くなどあってはならなかった。
「悪い。君の車が汚れるな」
言いながらバーボネラが後部座席で返り血を拭っている。
バーボンは血塗れの彼女を置いて先に帰ってしまった。
彼がどこか怒っていたように見えたのは、赤井の負い目のためなのだろうか。
「いや、俺が機能していれば君がこうはならなかった」
忸怩たるものを抱えながら赤井は言った。自身でも声が平坦過ぎると感じる。動揺だった。いっそ可笑しい。狂ったような笑い声でも上げてしまいたい。
数秒、走る車の音しかしない間が続く。
「……機械か何かのような言い方をするなよ。私は君に言った筈だが? 『困ったことがあれば力になると約束するよ』」
赤井は口を噤んだ。
「……意地を張るんじゃない。そもそもが君にだけ負担が掛かり過ぎていた。仕留める役を指定されてる訳じゃないんだ。私だって君と似たような立場なんだぞ。覚悟の上でここに居る。どちらもの安全の為には、知った同士お互いである程度分担すべきだったんだよ。また我々の中からNOCが出たとなれば、次こそどっちも危ういんだからな」
普段そこまで口数の多くない彼女が、言葉を尽くして宥めようとしてくれている。
「……私じゃ命を預けられないか」
その声には少しの淋しさが滲んでいた。
「……そうじゃない……」
搾り出さなければ出てこなかったそれは、赤井自身情けない声音だと感じた。
「自分に呆れている」
「君はもう三年だろう。どんな猛者だって疲れもするさ」
「君はそれ以上だろう」
「そう変わらない。しかも、手を下す部分は殆ど君やスコッチがやってくれていた。負荷が段違いに軽い」
自身に限界が来始めているのを彼女に悟られているのが、更に自身への失望を強める。
「……標的と直に接する者の危険度を考えれば、当然の采配だ」
「往生際が悪いな。だったら私がしばらく狙撃に回る。これでも腕は悪くないぞ。確かめたいなら見せてもやる」
「……俺が標的と円滑なコミュニケーションを取れると思うか?」
「そういう接し方ばかりが手じゃない。効率を理由にすればバーボンは君が前に出易い作戦を練ってくれるはずだ」
「……彼は……」
それは聞いてはいけないし、聞く意味もない筈だった。
「彼も、我々と同じなのか……?」
「知らない」
その即答は赤井自身驚く程、衝撃、だったと思う。
「私は彼と容姿が似ているのを利用してここに居るだけだ。まあ、あの性格だし
彼女はこの国の公安を名乗った。しかも指揮官クラスだ。
スコッチを庇っていた様子も、逃げる手筈を用意していたらしいのも、死亡を匂わせる情報が流れた暫く後に『彼』だなと感じられる者と談笑していたのも、何より、建前があるふうをみせたにしろ、許可無く違法捜査をしてるのでしかないような赤井を、組織に売ろうとしないのも。
信じざるを得なかった。
FBIが把握する警察庁のそれとはコードネームが異なるが、名が知れると変わるものらしいのでおかしいとも言い切れない。かつて『サクラ』とも呼ばれたというから、『ソメイヨシノ』に因むであろうそれが怪しいとも断定できない。
そんな所に居る彼女が知らないなら、バーボンにあるのは他国からの捜査官という可能性になるのだろう。
「だいたい、ここで私が『知らない』と言っても証拠は示せない。好きに想像するといいさ。それにもしそうだとして、調べようが彼ならそうそう尻尾を掴ませはしないだろう。つまりそれは有意義な問いじゃない。……らしくなさすぎだ。弱ってる自覚を持て。自身の仕事を誇るなら、使えるものは何でも使え。それが私や君のような者の責任だろうに」
「……」
彼女の性格からして、利害の一致だのを語っていても、その根底にあるのは赤井への労りなのだろう。
「……っ」
そんな物を今、俺に向けないでくれ。
他に車どころか人影もない小さな道なのも良くない。しかし彼は停めてしまった。
彼は運転席を降り、後部座席に乗り込む。
そこに居るのは彼女で、そして彼女は
彼が彼女の肩を抱き締めた勢いで二人して倒れ込んでしまう。
しかしそれでも彼女は何の抗いもしなかった。
それどころか。
少し遠慮がちに彼の背に彼女の腕が回された。
彼は息を詰まらせる。
「……何故逃げない」
赤井は苦しさを覚える。
「君が弱ってしまえば私だって危なくなるんだ。言ったろう。『力になる』『使えるものは何でも使え』」
赤井はただ、息を詰まらせる。
「……ちょっと君の恋人に申し訳なくはあるが……君のことだから、彼女を捌け口なんかに使いたくないんだろう」
宥めるためにか、バーボネラの掌が彼の背をゆっくりと撫で始める。
「……『仲間』も捌け口なんかにしたくはないんだかな……」
これは、弱音だ。
ふっ、と、腕の中でバーボネラが笑った。
「そう思ってくれるのか」
きっとあの柔らかい表情をしているのだろうと彼は思った。
ふと、返り血に由来する鉄錆のような不快なそれが彼の鼻を掠める。
「……君がこんな鉄の臭いを被るのは似合わない」
「それは舐められてると取るぞ」
「……すまない」
スナイパーなのだからという理由で、命を刈る役を淡々と引き受けていたつもりだった。
けれど、彼女
彼女だって矜持のある立派な捜査官なのに。
「……本当に、らしくない。簡単に謝る君じゃないだろう」
「……俺は余程傲慢に見られてるんだな」
クスっと笑われた。
「それができたのは余裕があったからだろう。できなくなってるのを自覚しろ。君がそんなだと用心深い奴らが疑ってきて、危なくなるのは……君だけじゃない。君の恋人とその妹と、ついでに私とバーボンだ。スコッチの時を見てみろ、酷い任務がどれだけ来た? 二度目ともなれば処刑まで見えてくる」
詰るような声音に、逆に彼女の優しさを感じてしまう。
「……あの胸糞悪い任務も、ほとんど君が刈る役を負ったじゃないか」
気を遣ってくれているのが、分かってしまう。
「……人タラシめ……」
「弱ってる所を誑かされてるだけなんじゃないか?」
「誑かしたいのか」
「ご期待に添えず申し訳ないが、これは単なる保身だよ」
ハッ、と、赤井は苦笑した。
彼女の細かな金色をかきあげるようにして、か弱い月明かりの中に浮かぶその空色を覗き込む。
「……後悔しても知らないぞ」
「危機回避できれば何だって構わない」
「君は……強いな」
「だとしたら、それは多少なりとも君が肩代わりしてたせいだ」
赤井はまた、息を詰まらせる。
そんなことを言ってくれるな。
とどめに。
「……もう独りだけで背負うなよ」
「……」
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自身の弱さを受け入れることで強くなれることも、あるのかもしれない。
その後の彼ら三人の挙げた手柄は群を抜いた。
冷酷無比な所業と嘲笑う者もいたが、どこかの誰かたちのような残虐さだけは、
これまでより直接手を下すことが増えたバーボネラに、バーボンはあまりいい顔をしなかった。
しかし。
「スコッチの分だよ。彼がやってくれてた分だ。それを全部ライに任せるのはちょっと申し訳ないだろう。……二人には言うなよ」
そう言われては何も言えなかった。
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降谷さんがベルモットに対しひたすら「知らない」と言ってくれたように、雪は赤井さんに対しひたすら「知らない」と言います。
日本警察からの潜入者は確かにいるというのには己を示す。彼女もここで公安に従う者ではあるのでまあ嘘でもありません。
実はここまで赤井さんが弱ってるとは思ってなかった雪でした。
ここに強くてカッコイイ赤井さんは居ません。
こちらは彼がコロシの任務に擦り切れていった末に怪しまれてしまえば、老人の姿の某さんに試されることになり云々、という世界です。
赤井さんは『正義感も持ち合わせている』と思しき雪と降谷さんを無意識に守りたいと思ってしまってた。
赤井さんと組んでない時には普通に単独でエグいことさせられてたりするので気休めといえばそれまでではあるけど、雪は負荷が軽くなっていたのは事実だと思ってる。
スコッチのことは丸っきり彼個人の善意からだったと認識したため、己の身も危なくなるのに他所の者を助けに向かおうとしたような彼を好ましく思っています。
過去の自身を恥じる。
何とかしてあげたい。彼がここで崩されなければ大切な幼馴染が死ぬこともないかもしれないという魂胆もあった。
本当は少しずつ歯止めを掛けようとはしている。でも逆効果になった部分すらあったりする。
最終的には、君がそれで落ち着けるなら人肌の温もりくらい提供しよう、と受け入れた。
それ自体は応急処置にしかならないので、雪はしっかりコロシも分担することを要求する。
赤井さんは実際に誑し込まれた手前弱ってるのを認めて折れるしかない。可哀想。
多分降谷さんはそのうち何となく二人の身体の関係に勘付いてちょっとムッとする。でも個人の自由の範囲だからと何も言わない。赤井さんへの風当たりは余計強くなるかもしれない。