シャーレに戻り、下江コハルの勉強をひとしきり見終え、気が付けば窓の外は暗くなってきていた。
先生は下江コハルを下まで送ると言って今、執務室には私一人になっている。まだ時間的に振り返るのは早い気もするが、今日はいつもに比べれば本当に落ち着いた日だった。いつもなら朝からこの時間もまだ、問題児を追いかけて戦闘しているはずだ。そして大量の書類も私の頭を悩ませる。
ちょっと申し訳ない気持ちになり、デバイスのモモトークを開く。トーク欄の未読メッセージに目を落とすとアコを筆頭に風紀委員のメンバーから今日一日はシャーレでゆっくりとして欲しいという旨のメッセージが数多く届いていた。それが本当にみんなして送ってくるものだから、思わず頬が緩んでしまう。
「何かいい事でもあった?」
振返れば先生が同じように頬を緩ませて私を見ていた。
「風紀委員の皆がモモトークで同じこと言ってくるのが可笑しくて」
勿論、嬉しさはある。海で訓練した時はアコが1人で先走って私を休ませてくれようとしていたけど、今回は皆がそうしてくれようとしている。
「皆、ヒナの事が大切なんだよ。私から見てもヒナは働く過ぎているところがあるし、ゆっくり出来るならした方がいいと思うよ。まあ、結局今日はバタついてしまったけどね」
それでも普段の生活に比べれば、大分落ち着いた日である。それと働き過ぎは先生も同じだ。朝から少し疲れた顔をしていたが、この時間になると先生の顔はさらに疲れを見せている。
「そういえば晩御飯どうする?ヒナがよければ、行きたいところあるからそこに行こうと思ってるんだけど」
それは少し申し訳ない気がしたけど、せっかくのシャーレの当番をここで終わらせるのは少し勿体ない気がして首を縦に振る。私の反応を見てから、先生は頷き、どこかへ電話をかける。もしかして先生、私を予約が必要なお店に連れて行こうとしている?
先生に声を掛けようとしたとき、もしもし?という声がそれを遮る。どこへ行くのかだけでも確認しておくべきだった。
「ええ、では2名でお願いします」
電話を終えて先生がこちらに対して親指を立てる。いや、そういう心配をしていたわけではないのだけど。
「えっと、もしかしなくても高いお店よね?」
確実に先生は無茶をしている。もしくは疲労で正常な判断が出来なくなっているのではないのだろうか。
「ヒナ....君は騙されたんだよ。今日一日頑張ってくれた生徒に労いをするという建前の元、普段1人で絶対に行けない高級店のご飯を食べに行ってみたいという大人の欲望にね!!」
結論、先生は確実に疲れている。でなければこんなことは言わないだろう。それに口ではそう言っているが、この人の心の中には労いの心の方が大きいのだろう。だから私も少し勇気を出して
「そう、私....先生に騙されてしまったのね。じゃあ、今日はこのまま騙されてようかしら」
なんて似合わない冗談を言ってみる。口に出してみてなんだけど、なんだか恥ずかしくなってきた。
先生はそんな私を見ながら頷きをくり返し、満足したのか、私を近くに呼び、まずはシャーレに設置されたゲームセンターへと足を運ぶ。食事に行くのに何故だろう。
「今、誰かいるかいー」
大きな声で先生が呼びかけると、何人かの生徒が顔を出す。何人かのスケバン生徒が先生に呼ばれて近づいていく。普段私たちと戦うような顔つきではなく、まるで友達に会うかのような顔で。
「これから、ご飯食べてくるから、ここの消灯を頼んでもいいかな?」
スケバンたちは素直に頷くが、その内1人が何か企んだような笑みを浮かべる。
「今、片付けたらアタシ達に奢ってくれたりするのかい?」
流石にそれは不味い。これから先生が行く場所は普段先生も行かない場所。それにせっかくの時間を邪魔はされたくない。
「今日は駄目。私にも先約があるからね」
そう、先生が言うと後ろにいる私にウインクをする。スケバンたちも私の顔を見るなり、目に見えて焦りだし先生を私の方へと向かわせる。
「とりあえずこれでここは大丈夫だから、後は戻ってきてからでいいかな」
どうやら彼女たちはここの常連であり、先生の紹介でアルバイトなどもしているらしく、そのアルバイトまでの時間をよくここで潰しているらしい。ただ、先生としてはキチンとしたアルバイトと言えど夜勤というのは学生の立場からしてあまりして欲しくはないみたい。
シャーレを出て少しづつ暗くなった空は、一日の終わりを感じさせる。そういえば、先生は何処のお店に予約を入れたのだろう。
「先生、これからどこへ行くの?」
私の問いに先生は、秘密。といたずらっぽく笑って返すだけで行き先を答えてはくれない。私としても特に好き嫌いがあるわけではないし、そういった意味ではどこでもいいのだけど、仮に...そう仮にドレスコードのあるようなお店の場合、制服で行くのは忍びないと思ってしまう。
そんな事思いながら、10分ほど歩いただろうか、先生の足が止まる。それにつられて私も足を止める。
如何にも高級そうな、百鬼夜行の様式を主にした建物。一定時間おきに鳴るカコンという音は確か、ししおどしという名前だっただろうか。先生は外観を少し眺めた後、私より先に入口へと入っていく。
「予約したシャーレのものです」
お店の人に案内を受け、靴を下駄箱に入れ鍵になっている札を取る。そこから通された部屋は畳が敷かれた部屋、そして個室。
「うん、これならゆったりできそうだね」
机を挟んで先生と向かい合い腰を下ろす。確かに先生は顔を見ればわかる程に疲れている。だから夕飯はゆっくりした場所で食べるのが正解だろう。だけど、この状況は、私がとても緊張する。
「という訳でヒナ、夕飯は海鮮しゃぶしゃぶです」
先生が、手を小さく広げて喜びを表すように左右に振る。私、この後くるご飯の味解るのかしら?
そんな私の心配を他所に私と先生の前に小さい銀色の鍋が置かれる。それと同時にいくつかの野菜と刺身が乗せられたお皿も運ばれてくる。
「当店ではお野菜は煮込んで、お刺身をこちらのお鍋で通していただくことで美味しくいただけます。お鍋が煮詰まったらこちらのお湯で薄めてくださいね」
そして最後に卓上ポットを机において女将さんは部屋の外へと出て行った。
「それじゃあ、いただきます」
先生が手を合わせるのに合わせてこちらもいただきますと呟き手を合わせる。先程女将さんが話していた通りに野菜を少し鍋の中に入れ、その後でまずは刺身を一切れ、鍋の中をゆっくりとくぐらせる。そのまま、口へ入れるのは熱い気がしたので、一度取り皿の上において湯気の出ている具合から火傷しない温度であると判断して口へとはこぶ。
美味しい。その感想が頭の中をめぐる。適度に噛んでから飲み込み、箸で次のお刺身をとる。今度は少し長めにつけて食べ、出汁の濃さを感じる。その後は最初に入れた野菜を箸で摘まんで口の中へとはこぶ。
口の中で野菜がシャキシャキと音を立てる。そうしてお腹に少し物が入ったお陰か、私は先生の方へ目を向ける。口を動かして味を確かめているのは同じだけど、私の視線に気づくとすぐに笑顔で返してくれた。
「ごめんなさい先生。その何か話さないと面白くないわよね?」
自分でも正直に驚いている。食べる前は味がわかるのか?とか気にしていたのに、いざ食べ始めると周りも見えなくなるほどに夢中になっていた。
「いや、美味しいもの食べてる時ってやっぱり静かになっちゃうよね。それにここはゆっくりとしていい場所だから」
そう言うと先生は次の食材を鍋の中に入れる。どうやら先生も今は食べることに集中したいみたいだ。
「ありがとう先生。じゃあ話すのは食べてからにしましょうか」
そうやって私も再びお皿の上にある食材へと箸を伸ばすのであった。