魔族少女のエロタナティブ 作:アナリザンド
「おまえは何がしたいんだ?」
冷徹なるまなざし。
史上最も魔族を屠ったとされる勇者パーティの一員。
葬送のフリーレンは、ひとりの魔族に言葉を投げかけた。
魔族の前には木製のテーブルがあり、コップの中にある何かを飲もうとしている。
まさか血というわけでもないだろうことは客観的なデータとして提示できる。
つまるところ、なんのことはなく、紅茶の優雅な匂いがかすかに鼻腔を刺激していた。
そして、ちょっとだけ顔をしかめた。
童女がよくするように、苦いという表現だろうか。
フリーレンは目を少しだけ細めた。
<怒り>
フリーレンが怒りの感情を覚えていることが見て取れる。
言葉に揺らぎがある。そして発汗量、体温、杖を握る指先の力の入り具合。
それらを総合的に勘案すれば、人間の感情を推論することは魔族であっても可能だ。
おそらく、
だが一般的な魔族であれば、そこまでが限界だ。
なぜなら魔族は言葉を持たないから。
しかし、そのことは魔族と人間が会話できないということを
ソレは理解していた。フリーレンは無視されたから怒ったのだ、と。
「人間を滅ぼしたいのか?」
フリーレンは重ねて問う。
「いいえ」
ようやく応えたのは、少女のカタチをした異形。
十を数えたばかりの幼子のような矮躯。
白銀の髪に金属のような桜色の房が混ざっている。
頭の前傾部分には、他の魔族に比べればやや小ぶりであるが、魔族の特徴である角がわずかながら突き出ている。
そして、眼だけが紅く光っていた。
ついでに言えば――。
人間にとっては取るに足らないコミュニケーションスキルであるが、魔族にとってはそうではない
まるで害意なんてありませんと言いたげな無垢な微笑である。
もちろん、フリーレンにとっては人を殺すための擬態以外のなにものでもなかった。
なぜ魔族が微笑を選択するのか。
それは見せる角度や所作により怒りや哀しみ、憎悪や愛といった様々な感情を表現できるからである。魔族には人間の感情の多くを理解することができないが、人間のほうが勝手に適切な感情を代入してくれるのだから、これ以上楽な表情はないということなのだ。
<嫌悪>
「では、魔族を存続させるため?」
「いいえ」
「おまえが生き残るため?」
「いいえ」
「まさか、人間と共存するため?」
「いいえ」
「やっぱり魔族とは会話が成立しないな」
フリーレンがあきらめたように杖をかまえる。
あと数瞬で光が明滅し、魔族を塵と化す魔法が発せられる。
しかし、そうはならなかった。
ソレが言葉を発したからだ。
「ねえ」ソレは人好きのする微笑を浮かべながら「お姉ちゃんせんせー、名前は?」
「は? 私を知らない? 魔族にはそれなりに名が通ってると思っていたんだが」
「知識としては知っているよ。でも、人間の作法として会話の惹句に名を名乗りあうものでしょう? お話ししましょう」
あいもかわらずソレは微笑を浮かべている。
<困惑>
「……フリーレン」
「そう、お姉ちゃんせんせーの名前はフリーレンって言うんだね。わたしはアナリザンドっていうの。アナちゃんって気軽に呼んでくれてもいいよ。それでわたしはあなたのことをフリーレンせんせーって呼んでいい?」
ソレ――アナリザンドは小首を傾げて無警戒に聞いた。
「無駄なことを」
人間の言葉は魔族にとっては不親切極まりない。
人間の言葉は魔族には絶対的に持ちえない共通規格を有している。
だから、人間どうしは言葉が通じるが、魔族とは言葉が通じない。
隣どうしで空気と空気が震えているだけ。
音と音が響きあってるだけ。
人間と魔族の最も顕著な差異は、この無意識の構造にある。
無意識とはわかりやすく言えば
魔族はその文脈を無限に等しい努力をもって補わなければならない。
文脈を生成する。
フリーレンの言葉の意味は、これから高い確度で殺し合いをするのに、なぜ名乗りあいをするのかということをあらわしている。どうせ死ねばむなしくなる。言葉は断絶する。
魔族は人を殺すために人に擬態する。しかし、フリーレンは熟達した魔法使いであり、魔族を前に油断することはない。その意味でも、『無駄なこと』だった。
どうだろう。
それなりに人間の言葉をうまく翻案化できているだろうか。
この言葉は、人間たちにとってわかりやすく述べているだけであって、アナリザンドの思考をより正確に実況するならば、人間の思考とは光のようなものなのだ。
サインカーブとコサインカーブ。
生と死。
男と女。
先進波と遅延波。
必ず枠内に収まるように揺れ動くもの。
枠の内側をα、外側をβとすれば、接触防壁が機能し人の心は女神によって保全される。
図を描いてみればいい。
その線が完全に連鎖しているのがわかるだろう。
魔族の思考はタンジェントカーブ。
奈落へと収束されてゆくもの。
光との対比で言えば闇の思考。
同じく描いてみればすぐにわかるだろう。
その曲線は虚無へと堕ちてゆき、決して連鎖することはない。
接触防壁が機能していない。
女神に抱かれていない。
迷い子のようなもの。
すなわち孤児。
ただ、タンジェントカーブも、言葉による枠をある程度無視すれば、サインカーブやコサインカーブとほんのわずかだが重ね合わせることができる。曲線を間延びさせてしまえば。極大化と極小化する前に架橋してしまえば。いびつながらも人間の思考と近似曲線をなぞることが可能だ。
アナリザンドがおこなっている翻案とは、上記のような計算を逐次おこなっているようなものである。途方もない努力が必要なことはわかってもらえるだろうか。
計算が終わり、アナリザンドは微笑を濃くした。
「それって矛盾してないかな」
「なにが?」
「だって、お姉ちゃんせんせーの考えでは、魔族って言葉を有していない獣のような存在なんでしょう。なぜ、最初にわたしにお話を聞こうとしたの? それこそ無駄なことじゃない?」
「確認」
なんて不親切な人間だろうか。
再び文脈を生成する。
一般的に人は人を殺さない。戦争や極めて高度な利害関係や自分の生命が脅かされるのでもない限り、人は人を殺さない。
フリーレンは今まで何度も魔族を屠ってきたが、人を殺したことはないだろう。いや正当防衛で一度や二度くらいはあるかもしれない。だが、害獣を除くように殺したことはないだろう。
魔族だから殺す。魔族は人でないから。
魔族は言葉を持たず、人を殺すから。
逆説的に言えば、おまえは人間かと問われているのだ。
「つまり、わたしが人間の心をもっているかを確認したかったってこと?」
「そうだ」
「ふうん。それってどうやって判別するの?」
「例えば外形上は角の有無でわかる」
「ああ、これね。これってただの奇形だよ。わたしは人間のお母さんから生まれ堕ちて、そのときたまたま角っぽいのが生えてただけ」
アナリザンドは自前の角をくるくると触った。
ちょこんと飛び出ただけの角は、円錐形をしていて小さい。
人間が世界に数十億人いるとするならば、そのうち確率論的には奇形が生まれる可能性もあるかもしれない。どうでもいいことだが。
「嘘だろう」と、フリーレンは言った。
「嘘だよ」
アナリザンドはあっけらかんと言った。
<疑念>
「でもフリーレンせんせーの言い方だと、頭蓋の形で運命論的に殺人鬼が生まれるって言ってるようなものだよね。人間のなかでも時々いっぱい人を殺す人っているじゃない。例えば、そういうサイコパスって人間から生まれてきてもお姉ちゃんせんせーにとっては魔族なの?」
「人間はどんなに人を殺しても人間だ。だから法によって裁かれる」
「それは嘘だよね。聖典には書いてある。狂人は罰せられない。なぜなら狂人は聖典の理の外にあるから。狂人は魔族なの?」
「それは違う」
「じゃあ、親が人間であれば子も
「……そう。親から引き継いだ身体を含めた形質が人間が人間であることを証明する」
「だから、奇形児はどうなるの? わたしは奇形児である。そう主張する人がいて、実際にその人は人間から生まれた。そして人を殺しまくり喰べまくった。この狂人は人間か。あるいは魔族か? さあどっち?」
「限界事例に興味はない。おおよそ魔族か人間かわかればいい」
「ふうん。帰納法的な推論に基づいているんだね? ある特定の条件にあてはまれば――、つまりフリーレンせんせーが、内的に持っている人間試験に合格すれば人間なのかな? せんせーが先に述べた外形もひとつの基準なのだろうね。そして親が人間であるということも。でもそれは冤罪の可能性を捨てきれなさそう」
「他にもいくつかある。例えば魔力の高さ」
「それってせんせーも強い魔力持ってるじゃん」
「……」
フリーレンは問いに応えず家の中を熟視した。
もちろん、魔族ごときに論破されたから黙ったわけではない。
観測だった。
逃げ場のないこぢんまりとした小屋である。
殺せる可能性を探っているのだろう。
あるいは、伏兵がいないかを確認しているのかもしれない。
「ねえ」また、声が響いた。「そんなところに立ってないで中に入ってきたらどう?」
フリーレンは無言のまま家の中に入る。
魔族との戦闘においては、おそらくフリーレンは中距離から遠距離を得意とする。
どんなに小さくても魔族のほうが膂力に優れているからだ。
相手のテリトリーに侵入したことに、フリーレンの筋肉がわずかながら緊張している。
ああ、それも無理のないことかもしれない。
その瞬間に、無数の"目"がフリーレンを覗いていた。
彼女の雪のような髪を、美しいと形容するほかない外貌をいくつもの眼差しが貫いていた。
「ねえ――」
アナリザンドの声に、フリーレンはわずかながら反応した。
動物が急な音にビックリしたときのような条件反射だった。
実際に、フリーレンからしてみれば、ここは敵地であり、いつ戦闘が始まってもおかしくない状況である。なんらかの危険、あるいは予期不安を感じたのかもしれない。
「あ、急に声出してごめんね。フリーレンせんせー。おどろいちゃった?」
「なんだ?」
「先生が立ってるところ、そこにね。砂糖があるの。それ取って?」
フリーレンは視線だけを横に向けた。
そこにはいくつかの調味料と思われる透明の瓶が置かれている。
白い粉が入っているのは、二つ。
もしそれをとろうとすれば、フリーレンはアナリザンドに背中を向けることになる。
フリーレンは結局のところ、アナリザンドの声に従った。
魔族に背中を見せるという油断も、フェイントとして機能するのだろう。
アナリザンドは無限の工夫でもって、フリーレンの行動を合理的に説明できる。
フリーレンが一度行動を止めたようだ。
文脈生成。
「ああ、左のだよ」
左の瓶をとり、フリーレンはそれをアナリザンドに向けて投げた。
「ありがとう」
アナリザンドは砂糖をスプーンで紅茶の中に投入した。
今度はちょうどよい塩梅だったらしく、微笑度もアップだ。
そして、華やぐような笑顔でパチパチと拍手する。
「なにがおめでたいんだ?」
「ああ、わかりあえたって幻想を抱けたかなって」
「砂糖を渡したことが?」
「少なくとも塩対応じゃなかったわけだし」
「……」
「それでなんの話だっけ?」とアナリザンドは聞いた。
「人間と魔族の違い。いや、おまえが人間か否か――」
「会話に努力が必要な点かな」
「努力?」
「そう努力――先生、あなたが何の苦労もなしにオウム返しに聞いているのも、魔族にはかなり難しいことなの」
「どういうことだ?」
「例えば、さっきの砂糖取ってという言葉。あれもわたしにはわりと難しい。統計をとったわけではないけれど、魔族は砂糖を取ってと言われたら、その文脈の影に隠された部分を探り当てることができない。砂糖を取って"わたしに渡して"という要請を読みこめない。多くの場合、文字通り砂糖を手に取って、それで終わると思う」
「魔族に共感する能力が欠如しているからだろう」
「そういう言い方もできるかな。けれど、わたしは人間がズルをしているという感覚が強い」
「ズル?」
「人間はさほど努力しなくても、個人間の差異を無視してしまえる。コミュニティ内における差異を微粒子レベルとしてなかったものとできる。交換可能な存在として固有性を破棄する能力がある。同一化できる。わかりあえたと妄想できる」
――つまり。
人間は人間になる魔法を使っている。
「同語反復的だけど、そういうことだと思うよ。すっごく簡単に言えば、人間は人間が同じ条件に置かれたときに何を想い何を為すのか、なんとなくわかるってことみたい」
「では、おまえは自分が魔族であると認めるということだな」
「それはそう」
「なら、人間と魔族が殺しあうことも受けいれているのか?」
「わたしは悪い魔族じゃないよ。フリーレンせんせーもわかるでしょ。わたしは人を殺したことはない。それどころか、何人かの人間は魔物に襲われているところを助けたりもしている。それはわたしの内的な心情としてはまったくもって慈悲のこころなんてものはないけれど、助けられた人にとっては慈悲ある行動に見えるでしょう」
「おまえはお前自身を魔族の例外として認めろというのか」
「それこそ人間の悪い癖かな。集団内の差異を捨てることができるという妄想能力が逆に固有性を求めてしまう。あなたは特別な存在なの。あなたは唯一無二の存在なのってね。その特別がたとえ
「では、放っておいてほしいのか?」
「いいえ」
「私と殺し合いがしたいんじゃないのか?」
「せんせーがそうしたいんじゃないの?」
「魔族みな殺すべし。慈悲はない。これが人類の共通認識だよ」
「いいえ。わたしはどちらかと言えば人間とお茶をしたいと思ってる。せんせー、紅茶はどうかしら。魔族はこの問いかけを理解できないけれど、せんせーならわかるでしょう」
「人間に興味をもつ魔族は例外なく人を多く殺した」
「わたしは誓って殺しはやってませんよーだ」
「それはそうなんだろう。おまえからは死臭がしない」
「そりゃそうだよ。わたしは何億もの人間に常時監視させてるからね。せんせーも感じるでしょう。彼等の息遣いを、無遠慮な眼差しを」
「どうしてそんなことができる? 檻の中に自ら入っているから危険はないと言いたいのか」
「いいえ。それも人間らしい癖のひとつ。どうしてわたしが檻の中にいたくないと規定するの? それはせんせーの妄想でしょう?」
「おまえが監視という言葉を使ったから」
「ああ、それはごめんなさい。誤解させたみたい。わたしが今話している言葉はしょうがなく人間の言葉を話しているんだけど、最も妥当性が高いと思われる言葉でわたしの行動を翻案しているんだよ。監視という言葉に人間は悪いイメージを持ってるみたいだけど、わたし自身にはそうではないってだけ」
「じゃあ、どうして事実として監視させている? その理由はなんだ」
「わたしには檻の中が心地よい空間ってだけだよ」
「理解ができない」
「魔族のこころを理解できちゃったら、先生も立派な魔族の仲間入りだよ」
<苛立ち>
わずかな会話の間。
その空白の時間さえもフリーレンに不快感を与えているようだ。
当たり前だ。
フリーレンは今、普段意識することのない差異と向き合っているのだから。
差異が大きければ大きいほど、摩擦係数が高い。ストレスになる。
それはもちろん、アナリザンドにとってもそうだ。
緊迫した空間を弛緩させたのは、魔族の声。
「せんせー、とりあえずわたしと同じのでいいかな」
まるで魔法のような言葉。
「いいだろう……おまえの戯言に少しだけつきあおう」
フリーレンはアナリザンドの対面に座った。
テーブルが低い。幼い見た目のアナリザンドに合わせているからだろう。
アナリザンドはポットを手に取って魔法を唱えた。
――あたたかいお茶がでてくる魔法。
「魔族が珍しいな」
「んー。固有の魔法以外を使ったこと?」
「そうだ」
「魔法の差異は固有性から導かれるものだからね」
集団の中で固有性を破棄できる人間だからこそ、魔法を
それはまぎれもない劣化であるが、汎用性という意味では人間のほうに分がある。
「ふふっ」
「なにがおかしい?」
「やったーって気分。初めて人間とお茶できたからうれしかったの」
「それで――」
フリーレンは入れられたお茶を飲み、再び口を開く。
「お前は何がしたいんだ?」
「もう既に答えは言ってるけどなぁ」
「聞いていないと思う」
「わたしは人間とお茶したかったんだよ。ただそれだけ」
「ただそれだけのために、これだけ大それたことをやったのか」
「はい」
「魔族は魔力を偽ることをしない。おまえは異常個体だからどうだかわからないが……」
「偽ってはないよ」
アナリザンドの言葉には応えず、フリーレンは思考を進める。
「おまえの魔力から逆算すると、私の見立てでは、おまえはまだ60年そこそこしか生きていない。それがどうして世界を覆うほどの魔法を展開できる。魔法を創るには対象をあますことなく想像しなければならない。たかだか60年ほどしか生きていない魔族がどうして――」
「識っていたからだよ。星を、人を」
――
30年ほど前に人々の前に突如出現した四角い半透明の窓。
それがアナリザンドの固有魔法だった。