魔族少女のエロタナティブ 作:アナリザンド
湖上に浮かぶフリーレンの姿は、日の光を浴びてなお、異様な存在感を放っていた。
常ならば、光を身にまとう女神の似姿か、冷徹な戦闘マシーンのように感じられただろう。
しかし、今は異なる。
言わば、迷惑の化身。
正確には、もはや伝説となりつつある芳醇な焼肉の香りが、集まってきた魔法使いたちの鼻腔をこれでもかと刺激し、吐きそうになるくらいの優しくない胃へのダメージと、溢れんばかりの殺意を同時に掻きたてているのだ。
徹夜明けの油っぽいモノはダメと言われる一例である。
「いたぞぉぉぉぉ! いたぞぉぉぉぉ!」
「囲めぇぇぇ! 今度こそ逃がすなぁぁぁぁぁ!」
「問答無用で叩き潰せぇぇぇ! 反撃させるなぁぁぁぁ!」
「オレサマ。エルフ。マルカジリ」
血走った眼で、フリーレンを取り囲む魔法使いたち。
総勢21名。つまり、受験者の実に三分の一にもあたるパーティがフリーレンを打倒するために集まっていた。湖畔や、あるいは魔力を駆使して湖上に浮き上がった魔法使いたちが、口々に怒号をあげながらフリーレンを取り囲む。
試験への焦りと、フリーレンという規格外の存在への苛立ち。そして何より、この強烈すぎるニオイへの憎悪が脳内でグチャグチャにミックスされ、徹夜明けのテンションで燃え盛っていた。
フリーレンは、それら受験者たちを真上から冷たく観察する。
(やれやれ……。最近の魔法使いは、情緒ってものがないね)
フリーレンは内心でため息をつく。向けられる殺気は本物だ。だが、それ以上に彼女が感じていたのは、ある種の
かつて、魔法使い同士が雌雄を決する時――それこそ決闘と呼ぶにふさわしい真剣勝負の場では、互いに名乗りを上げ、己が魔法の流儀や誉れを言葉に乗せてから、杖を交えるのが常だった。
そこには、たとえ敵同士であっても、相手への敬意と、魔法という深遠なる力への畏怖が確かに存在した。魔族でさえもそうなのである。ある種の品性ともいうべきものが、最低限の『礼』という形で、戦いにルールを形作っていた。
(それが今じゃ、まるで戦争だね)
名乗りどころか、挨拶すらもない。ただただ数の力で、力任せの集団リンチで、邪魔な相手を排除しようという意思だけがそこにある。皮肉なことに、襲撃者たちにとってはまぎれもない正義の心で、フリーレンを除こうとしている。
まるで、魔物との戦いのようだ、とフリーレンは思った。いや、魔物でさえ、ボスクラスになればそれなりの美学を持っていたものもいた。これではただの駆除対象になった気分だ。
(まあ、人のことは言えないか)
フリーレンは自嘲する。
魔族を欺き、騙し討ちのような戦術も厭わなかったのは、他ならぬ自分自身だ。ヒンメルたちと共に魔王を討つという大義のためとはいえ、その手段は決して褒められたものではなかったかもしれない。魔法使いの風上にも置けない卑怯きわまる戦い方だった。そう考えれば、今の魔法使いたちの戦い方を一方的に非難する資格など、自分にはないのだろう。
そんな感慨に耽るフリーレンに対し、魔法使いたちの我慢はとっくに限界を超えていた。
誰かが獣のように叫ぶ。
「撃てぇ! 撃ちまくれぇぇぇぇ!」
その号令を皮切りに、多種多様な攻撃魔法が一斉にフリーレンへと殺到した。炎の槍、氷の礫、風の刃、雷の鞭――そして、五級以上なら誰もが使える一般攻撃魔法。それらが複雑に絡み合い、フリーレンの周囲の空間を歪ませ、湖面を激しく揺るがす。
しかし、フリーレンは動じない。
むしろ、その攻撃の雨を冷静に見極めていた。
(今の魔法使いはダメだね。グミ撃ちは弱いって知らないのかな? いやそれよりも)
この試験が、かつての強敵たちとの戦いと最も異なる点は、
フリーレンは、自身を包む魔法結界――あの不死なるベーゼの呪いを応用した、空気すら遮断する鉄壁の繭――を展開し、静かに湖面へと意識を向けた。
有象無象の魔法程度なら、結界に傷ひとつつけられない。
結界は、重力に従って、フリーレンごと湖へと導く。
――ドプン。必然的に水中へ。
フリーレンの身体が、ふわりと沈み始める。
焼肉臭ごと、まるで水に溶けこむかのように。
「消えた!?」
「湖に潜ったのか!?」
「焼肉臭もしないぞ!?」
魔法使いたちが驚愕の声を上げるが、もう遅い。フリーレンの姿は完全に水面下に没し姿は見えない。たとえ、無数の魔法を放っても、かなりのところ、威力は減衰するはず。
「ずっと水の中にはいられないはずだ!」
「このまま湖面を凍らせれば……」
「いや、結界を張れ。そのほうがずっと――」
「水の中だろうとかまうな。撃って撃って撃ちまくれ!」
連携のまるでとれていない魔法使いたちは口々に一番良い手を主張する。
だからこそ、時間を与えてしまった。
致命的な隙だ。
「マズイ……。HUDの魔力数がッ!」
学生姿の男が言い終わる前に、天高く白い光撃が花火のように撃ちあがる。
――ゾルトラーク。
かつて人間を屠るためにクヴァールが編み出し、そして人類が魔族に対抗する切り札となったその魔法が、今、フリーレンの手によって、人間に対して放たれようとしていた。
(たぶん、死なないはずだ……)
人間の防御魔法もかなり発達してきたし、身にまとう服すらも防御性能が高い。
それに、一級魔法使いの実力はどれほどかはわからないが、ゼーリエの一番弟子なのだ。ゴーレムの防御は、フリーレンの軽く撃った魔法を防ぐ程度はするだろう。
いまと昔では何もかも異なる。
だが――、ゾルトラークの汎用性は、人類魔法史に食らいつくようにして進化してきたという歴史がある。汎用性がある。発展性がある。
だから、光が幾又にも別れ、屈折し、魔法使いたちを狙う。
HUDを使うことすらなく、フリーレンは魔力探知を使って、完全に魔法使いたちの位置を把握していた。
隕石が落ちるようなスピードで穿たれる。
ある者は必死に防御魔法を張り、ある者はギリギリのところでかわした。
が、実力のないひとりの少女。
ツインテールの髪が肩口までかかる、かわいいエプロンドレス姿の彼女は、「あ」と短く声をあげて、一秒後の自分の死を前に、眼をつぶった。
今年16歳になる彼女は、学校に通いながら一級魔法使い試験を受けた、いわゆる通い受験をした者だった。その実力は、四級魔法使いにしては上澄みにあたるほうで、それなりの実力もあったのだが、徹夜明けの焼肉パーティの影響は、幼い身体に悪影響を与えたのである。いわゆる体力気力の限界だったのだ。もしも、十全な体力管理をおこなっていれば結果は違ったかもしれない。
まあ、そんな情報など、なんの意味もないのかもしれない。
光の刃に貫かれると思った瞬間、どこからともなく現れたゴーレムが、少女を抱えこむように片膝をつき、フリーレンのゾルトラークを片腕だけで防御魔法を展開し、完全に防いでいたのだ。
六角形をした薄青のバリアで守られながら、少女の顔は絶望色に染まる。
「うそ。こんなところで」
無情な【失格】の通知が小窓の中に表示された。
そのまま、ひょいっと俵かつぎされて、陸上選手のようなスピードで、戦場を離脱している。
「なにやってんだよ! 離せよ!」
タイをつけたこれまた学生風の少年が、自分にも失格という結果をもたらした少女に怒りをにじませながら、同じくその結果の証であるゴーレムに魔法を放とうとする。
「くそっ! こんなところで終わってたまるか!」
少年は杖を構え、魔力を練り上げる。狙うは、ツインテールの少女を抱え、悠然と戦場を離脱しようとする土色のゴーレム。彼のプライドが、こんな形での敗北を許さなかった。ルール違反かもしれないが、レルネンのゴーレムを破壊するほどの力があれば、あの冷徹な試験官がおもしろがるかもしれない。いや、少年はそう考えたわけではない。ゴーレムに連れ去られる少女を助けようと、騎士精神を発揮したというわけでもない。
ただただ彼には理不尽に思える結果に――子どもがイヤイヤするように怒りの矛先を向けたに過ぎない。
放たれたのは、彼の得意とする炎の魔法。小規模ながらも、それなりの威力を持つ火球がゴーレムの背中に向かって飛翔する。
しかし――。
ゴーレムは、まるで背中に目でもついているかのように、あるいはそんな攻撃など取るに足らないとでも言うように、振り返ることすらしない。ただ、少女を抱えていない方の腕が、張り手のように開かれた手のひらが、軽く動いたように見えた。
パシンッ。
乾いた音が響く。まるで、鬱陶しいハエでも手で払いのけたかのような軽い音。
少年の放った火球は、ゴーレムの分厚い腕に触れた瞬間、まるで水風船が割れるかのように呆気なく霧散した。いや、正確には、ゴーレムの腕が火球を叩き落としたのだ。その動作はあまりにも自然で、あまりにも無駄がなく、そしてあまりにも――侮辱的だった。まるで児戯。
大人が子どもをあしらうかのように。
「防御魔法すら必要ないだと!?」
少年は言葉を失う。渾身の一撃だったはずだ。それが、こんなにも簡単に。
ゴーレムは依然として振り返らない。ただ、その歩みを止めることなく、高速で戦場から遠ざかっていく。その姿は、まるで少年の存在など最初から認識すらしていないかのようだった。
少年の目の前にも、赤文字でデカデカと【失格】の文字が浮かび上がる。
怒りよりも先に、圧倒的な実力差からくる絶望感が、じわじわと彼の心を侵食し始めていた。戦うことすら許されない。相手にすらされていない。これほど屈辱的な敗北があるだろうか。
一級魔法使いとは、これほどに実力差があるというのか。
やがて、ゴーレムの姿は森の奥へと完全に消え、残されたのは、呆然と立ち尽くす少年と、依然としてフリーレンの影を追う他の魔法使いたちの喧騒だけだった。
「……くそぉ……」
絞り出すような声は、誰に届くでもなく、ただ虚しく湖面に吸いこまれていった。
フリーレンは大量の水を引きつれながら、ゆっくりと湖面へと降り立った。
ホバリングしながら、わずかに水面の上空に浮き、周囲を警戒する。
追撃はなさそうだ。今の一撃で、かなりの戦意を削いだ。
(貫けたのは三人か。まあまあの結果だね)
運のよいことに、それぞれ別パーティだったらしく、離脱したのは合計三パーティ。
つまり9人だ。ガックリと肩を落としている者。その場からとぼとぼと去っていく者の姿も見える。ここが戦場であるなら、あり得ない姿だが、どうせゴーレムが防いでくれる。緊張感よりも失望感のほうが優る状況なのだろう。
そんなことよりも気になったのは、ローブの裾から滴り落ちる水滴。
(濡れちゃった。アナリザンドのせいだ)
結界を解除する一瞬、どうしてもそうならざるをえなかった。
(ちべたい……)
フリーレンは冷たいのが苦手である。
春先とはいえ、まだ水温は冷たく、濡れたままで戦わないといけないのはツライところ。
デコイの役目を果たすため、大立ち回りを演じなければならない。
生き残っている受験者たちはフリーレンの実力を身をもって経験したのか。物陰に隠れながら、散発的に魔法を撃ってくる。腰がひけながらの攻撃など、軽く避けるだけで済む。
――反撃のゾルトラーク。
さっと身を伏せる受験者。
「甘いよ」
曲射。バナナのようにグンっとそりかえった光線が、受験者の背後にまわりこみ、その無防備な背中を狙う。彼は振り返り――とっさに防御魔法を展開しようとするが、間に合わない。
やはり現れるゴーレム。
野球の捕手のように、極小の防御魔法を手のひらに展開して、ゾルトラークを防いだ。
【失格】
さすがに、受験者たちも動きを変える。
パーティ戦であることをようやく思い出し、攻撃役と防御役に役割を分担して、フリーレンを攻撃しはじめた。しかし、それでは火力が足りない。
(時間はかかるけど、日没近くまで引き伸ばさないといけないからね)
このまま戦おう。
そう、フリーレンが思い始めた時だった。
「こりゃー! おどりゃフリーレン! いい加減にせんかー!」
エーデル二級魔法使いだった。彼女はわかりやすく怒っていた。
岩陰からひょいと顔を覗かせるエーデルは、まるで子リスか何かのようだ。
だが、その顔は怒りをにじませており、威嚇するようにうなっている。
精神的に成熟しているように見えて、彼女はまだ若い。
――ゾルトラーク。
フリーレンが無表情のまま、魔法を放つ。
「ぴゃぁ」
エーデルがさっと岩陰に身を潜め、ふたりの魔法使い――この場にいるのは珍しい大人の男性魔法使いが防御魔法で彼女を守った。
「いきなり何するんじゃ!」
「何って攻撃だけど。試験でしょ。当然じゃん」粛々と事実を述べるフリーレン。
「そうじゃのうてな。儂らはずっとここでシュティレが飛来するのを待っておったのじゃぞ。それを朝っぱらから台無しにしよってからに。迷惑という言葉を知らんのか」
「相手が煩わしいと思うことをするのが、戦闘の基本だよ」
「そんなことはわかっておる! じゃが、おぬしの焼肉臭に耐えて平和的に合格しようとしてた儂らに詫びのひとつもないのか」
「ごめん」
「謝って許される問題か!」
「どうしろっていうんだよぉ。私のせいじゃないし」フリーレン、しょんぼりエルフ顔。
エーデルは岩陰から再び顔を出し、今度はキッとフリーレンを睨みつけた。
襲撃者たちとは趣の異なる覚悟の表情。
本来の性質は、おそらく臆病なのだろう。
自身に湧き上がる恐怖心を必死に抑えこんでいるのがわかる。
理不尽に思える怒りも、恐怖を抑えるためのカンフル剤のような役割なのだ。
「そこまで言うならば、この遺恨、魔法使いの作法に則って晴らさせてもらおう!」
エーデルは岩陰から一歩踏み出し、胸を張ってフリーレンと対峙した。その隣では、二人の男性魔法使いが訝しげな顔をしつつも、彼女の意を汲んでか静かに控えている。
「聞けい、フリーレン! 我こそは、大陸魔法協会公認、二級魔法使いエーデル! 誇り高き精神魔法を生業にした一族にして、その正統が一人。おぬしに決闘を申しこむ!」
鈴の鳴るような凛とした声が湖畔に響き渡る。その堂々とした名乗りは、フリーレンが先ほどまで内心で密かに嘆いていた『失われた作法』そのものだった。集まっていた他の魔法使いたちも、この予期せぬ展開に一時的に攻撃の手を止め、固唾をのんで成り行きを見守っている。
(名乗り……ね。珍しい)
フリーレンは意外な表情を浮かべた。この状況で、しかもこれだけの人数差がある中で、一対一の決闘を申し込んでくるとは。しかし、エーデルの真剣な眼差しは、それが単なる時間稼ぎや虚仮威しではないことを物語っている。
エーデルは続ける。その言葉一つ一つに、なんらかの不可思議な力がこめられているかのように、フリーレンの意識を引きつけようとする。言葉に重力にも似た力を感じる。
「おぬしのその傍若無人な振る舞い、そして何より、儂のサリーちゃんを惑わすその忌まわしき焼肉の香りは、断じて許すわけにはいかぬのじゃ!」
「魔物、飼ってるんだ……。危なくないの?」
フリーレンの言葉は、みんなの言葉だった。
アナリザンドが連れてきたかと思った幻影鬼は、エーデルのペットだったのである。
「心配せずとも大陸魔法協会にはペットとして申請済みじゃ。儂が厳しくしつけておるから、何も問題はないぞ。接してみれば、案外あやつは気のいいやつでな。恐ろしい化け物の姿であっても愛着が湧いた。儂にとっては最高の癒しだったんじゃ」
「人喰いの化け物なのに?」
「人も人を殺せる。そこにはなんの違いもありゃあせん」
「まあわかったよ。そういう変な人間がいるのは知ってる」
言いながら、フリーレンは感じる。
エーデルの言葉は熱を帯び、その視線はフリーレンの翠色の瞳を真正面から射抜いている。
会話を重ねるごとに、視線を交わす時間が長くなるごとに、エーデルの周囲に漂う魔力が、まるで水面下で渦を巻くように、フリーレンに向けて静かに、しかし確実に流れこもうとしている。
――言霊。
言葉には力がある。イメージ至上主義者が多い、この世界においてもシニフィエとシニフィアンの結びつきは幾万年もかけて積層構造をなしている。
(なるほど……そういうことね)
フリーレンは、エーデルの真の狙いをおぼろげながら察した。
名乗り、会話、そして視線の交差。それらは全て、ある種の儀式。特定の条件下で効果を増す魔法――おそらくは精神操作系の魔法を、より深く、より確実にフリーレンに刻み込むための布石。
決闘という形式は、そのための格好の舞台装置なのだろう。
フリーレンは表情を変えない。否、変えないように努力していた。
少しだけ口元が吊りあがりそうな、楽しさ?
「いいよ。その決闘受けてあげる。
アナリザンドは、今、無の境地をリーニエに教えているところです。