魔族少女のエロタナティブ 作:アナリザンド
ひゅるり。ひゅるり。湖の水面を風が揺らす。
湖畔に立つは精神操作魔法の担い手、二級魔法使いのエーデル。
そして、湖上で悠然と見下ろすのは、葬送の二つ名を冠する伝説の魔法使い。
時間がひりつくような緊迫したシーンに、他の魔法使いたちは声すら発せず、事態の推移を見守っている。まちがいなく、フリーレンが勝つ。そう予測はできるものの、決闘に茶々を入れるほど落ちぶれてはいない。いまのいままで、集団戦という名の私刑に近い戦い方をしていたが、根はまだそこまですれていない若者が多かったからだ。
それに、決闘という古式ゆかしい戦いに対する憧れのようなものもあったのだ。
「さて、フリーレンよ。さっそく始めたいところじゃが、その前に一つ言っておくことがある」
「なに?」
グッと溜めをつくり、エーデルはフリーレンに向けて、手のひらを向けた。
開かれた五本指。すわ攻撃かと一瞬だけ構えたが、魔力の流れは発生していない。
すなわち不意打ちではなく、単なる口上。
歌舞伎役者がよくやるような、よくあるかっこいいポーズにすぎない。
「儂はぁぁぁ! 実は一回ゾルトラークされただけで死ぬぞぉぉぉ!」
死ぬぞぉぉぉぉ! ぉぉぉぉ! ぉぉぉ……。
湖畔の皆にも聞こえる威厳のある声だった。
内容は情けないの一言だったが。
「えっと……それで、どうしたいの?」
フリーレンですら困惑している。その表情は『だから何?』とでも言いたげだ。
他の受験者たちもポカンとした表情で、エーデルを見た。
「つまりじゃ。儂はおぬしが思うておるより遥かに弱い! 正直なところ精神操作魔法には自信があるが、それと同時に一般攻撃魔法すら撃てん! クソ雑魚じゃ!」
「なるほどね……。でも、ネタ晴らししちゃっていいの?」
「かまわん。儂の見立てでは、おぬしの動きを数秒止める程度が関の山じゃろ。ゆえに、皆には儂の杖になってもらいたい。ただただ、フリーレン肉し……いや、憎しで、魔法を放つのではなく、儂がつくりだした一瞬の隙をつき、皆のこころを合わせるのじゃ!」
エーデルは、有象無象だった魔法使いに助けを求めたのだ。
これまで受験者たちは、ただ匿名掲示板という集合的無意識の流れに身を任せ、ほんの肩肘でつつくような精神操作に、誘導されてきただけだった。
フリーレンの視点で見れば、それはまぎれもなくアナリザンドの奸計――魔族の呪いであったのだが、他の受験者たちは
ここにきて、エーデルは皆で格上の存在であるフリーレンを打倒しようともちかけている。
受動的で状況に流されるだけだった受験者たちを能動的に変容させる。
(まるで解呪……)
それは受験者たちのこころを穿った。
有象無象のように葬られていくのではなく、一矢くらいは報いたいという想い。
その魔法使いの誇りが、伝染するように広がっていく。繋がっていく。
杖をかまえなおす受験者たちの瞳に覚悟が宿った。
エーデルは彼等に向きなおった。
ひとりひとりと、まなざしを交わした。
「ゾルトラークじゃ。ゾルトラークがよい。皆がバラバラに属性の異なる魔法を撃っておっては、干渉しあって、魔法が届かぬ。一斉に同じ魔法を唱えよ!」
受験者たちは、無言のまま、ただ杖を軽く掲げた。
応答の意。エーデルの言葉は彼等にも届いた。
「それでよいな。フリーレン!」
「それでいいよ。エーデル」
フリーレンは思う。
たった一言で、バラバラだった心がひとつになろうとしている。
たった数分で、怯えるだけだった受験者たちが、こんなにも勇ましい顔になっている。
なぜか思い出したのは、ヒンメルたちとの最後の冒険。
旅の終わりに、老いたヒンメルや仲間たちといっしょに見た
ヒンメルは「綺麗だ」と言った。
でも、フリーレンは、みんなといっしょに流星をまなざすことこそが綺麗だと思った。
――フリーレンは微笑を浮かべていた。
人間という存在は、驚くべきスピードで進化していく。凄まじい勢いで成長していく。
いつか、追い抜かれそうだ。
いや、その考えは感傷的すぎるだろうか。
フリーレンの微笑が、何を意味するのか。
嘲笑か、あるいは慈愛か、それとも単なる興味か。エーデルにも、周囲の魔法使いたちにも、読み解くことはできなかった。
ただエルフはそこに在る。あるがまま、すべてを見通してきた。
フリーレンは、エーデルをじっと観測している。
もはや言葉は要らない。
ただ魔法を交えるのみ!
「では、参るぞ!」
エーデルが叫ぶと同時、彼女の瞳が螺旋を描き昏い光を宿した。
不可視の波動がフリーレンへと放たれる。それは物理的な力ではなく、直接精神に干渉し、対象の自由意志を奪おうとする、エーデル一族秘伝の精神操作魔法。
「服従せよ。我が言葉に。
言霊が、フリーレンの精神の深奥へと侵入しようと試みる。エーデルの全魔力が、その一言に凝縮されていた。彼女の額には汗が滲み、集中力の極致で顔は蒼白になっている。
フリーレンの身体が、ピクリと微かに震えた。ほんの一瞬、その動きが不自然にぎこちなくなる。まるで、見えない糸に操られかけたかのように。翠色の瞳の焦点が、ほんの僅かに揺らいだ。
「今じゃ! 放てぇぇぇぇ!!」
エーデルの絶叫が合図だった。
その瞬間を待ち構えていたかのように、周囲の魔法使いたちが、ありったけの魔力を込めたゾルトラークを一斉にフリーレンへと叩きこんだ。こころが一つになった証のように、無数の白い閃光が寸分の狂いもなくフリーレンの一点に集中する。
それはもはや単なる攻撃ではない。彼等の意志そのものの顕現だった。
湖面が爆ぜ、水蒸気がもうもうと立ち込める。
轟音と共に、フリーレンの姿は完全にゾルトラークの奔流の中に消えた。
(手ごたえはあった。じゃが……)
エーデルはぜぇぜぇと肩で大きく息をしながらも、嫌な予感がしている。
フリーレンはあえて眼をそらすこともなく、エーデルの魔法を全身で受けた。
そこに、エーデルもありったけの力をこめた。
しかし――、フリーレンの精神防御を完全に貫けたとは思えない。
(数秒とは大言じゃったわ。せいぜい零コンマ秒の世界じゃな)
誰もが、今度こそ、と祈るような気持ちだった。
立ち込める水蒸気がゆっくりと晴れていく。
そこに現れたのは、爆発的な魔力の奔流を身にまとい、防御魔法を全面展開したフリーレンだった。今までのフリーレンとは、魔力の桁が違う。HUDで観測する限り、その数値は十倍以上に膨れあがっている。熟練の老魔法使い然とした雰囲気は微塵もなく、そこにいるのは
「手加減されておったのか」
もはや身体を支えることもできず、エーデルはその場にへたりこむ。
「違うよ。手加減なんかじゃない。これが私のやり方なんだ」
フリーレンの杖に魔力が宿る。
「しまいじゃな。儂の負けじゃ」
エーデルが観念して、眼をつぶった。
傍らにいた同じパーティの男たちが、エーデルを守るように立ちふさがるが、その手はかすかに震えていた。他の受験者たちも同じようなものだ。皆、そのまなざしには恐怖が宿っている。
それほどまでに圧倒的な、吐き気を催すほどの魔力量。
「うわぁぁぁ! 化け物だぁ!」
「もうダメだ……逃げろぉぉぉ!」
「焼肉エルフこわいよぉぉぉ!」
フリーレンの圧倒的な力の前に、結束していたはずの魔法使いたちの心は脆くも崩れ去った。 一時的にエーデルによって束ねられたとはいえ、所詮は他者に誘導されるくらいの烏合の衆。
恐慌状態に陥って逃げ出そうとする者が続出する。
フリーレンは逃げ出した者たちに容赦なく、ゾルトラークを放っていく。
無防備な背中をさらした者たちに、その猛撃を逃れる術はなく。儚く散っていった。
しかし、そんな中にも、まだ戦意を失っていない者たちがいた。彼等は、エーデルの勇気ある呼びかけに応え、一時的とはいえフリーレンに一矢報いようとした仲間だ。へたり込むエーデルの姿を見て、恐怖に顔を引きつらせながらも、彼女を見捨てることはできなかった。
「エーデルを逃がすんだ!」
「時間を稼ぐぞ! ここで焼肉エルフを食い止めろ!」
「最後くらいカッコよく戦ってやるよ!」
数人の魔法使いが、震える足で踏みとどまり、フリーレンの前に立ちはだかる。その表情は恐怖に歪んでいるが、瞳の奥には仲間を守ろうとする必死の覚悟が宿っていた。彼等は、フリーレンに勝てるとは到底思っていない。それでも、エーデルが逃げるための、ほんのわずかな時間でも稼ごうと、最後の力を振り絞ろうとしていた。
やぶれかぶれの接近戦。恐怖によって正常な判断をできていないというのもあるだろう。
(逃げ出したやつらよりは、見込みはあるかな)
フリーレンは、そんな彼等を冷徹に見据える。
杖を振るうまでもなく、身のこなし一つ、あるいは最小限の魔力操作で、立ちはだかる者たちを次々といなしていく。彼等の放つ魔法は、フリーレンの展開する防御魔法に触れることすらできずに霧散していく。
――ゾルトラーク。
ひとりの魔法使いを撃ち落とす。
他のパーティメンバーも【失格】になりながらも、フリーレンへの攻撃をやめない。
もはや試験の合否ではなく、この戦いは魔法使いとしての矜持の問題だからだ。
理不尽すぎるエルフが気に喰わないからだ。
しかし、その抵抗も長くは続かない。
フリーレンは、まるで邪魔な小枝を払うかのように、残った魔法使いたちを的確に、そして無慈悲に戦闘不能にしていく。ある者は防御魔法ごと吹き飛ばされ、ある者は巧みな体捌きで攻撃を避けられた直後に放たれた牽制の魔法で動きを封じられる。
湖畔には、もはやフリーレンの脅威に立ち向かおうとする者は、数えるほどしか残っていなかった。彼等もまた、満身創痍で、いつ膝をついてもおかしくない状態だ。
フリーレンは、そんな彼等にはもはや目もくれず、ゆっくりと視線を転じた。その先には、力なく座り込み、戦いの推移を呆然と見守るしかできないエーデルの姿があった。
(そろそろ、終わりにしようか)
フリーレンは内心で呟き、エーデルへと杖先を向けた。残った魔法使いたちが最後の力を振り絞って何かを叫んでいるが、もはやフリーレンの耳には届いていない。
凝縮された魔力が、フリーレンの杖先に収束していく。
白く輝くその光は、先ほどまでの比ではなく、確実にエーデルの受験生命を刈り取るであろう破壊の予感を孕んでいた。
エーデルもまた、その死の光を真っ直ぐに見つめ、静かに運命を受け入れようとしていた。
フリーレンの指が、魔法を解き放つべく、わずかに動いた、その刹那――。
――突如黒い影があたりを覆う。
瞬間的に、アインザームの幻影魔法であると理解した。
夜闇のような黒い空間に覆われて、周りがよく見えない。
視覚情報が遮断され、音すらもどこか遠くに感じられる。不気味な静寂が戦場を支配した。
だが、魔力探知は働いている。フリーレンにとって、暗闇は致命的な障害にはならない。
そのまま、エーデルを屠ることは可能だ。
気にせず、フリーレンは杖に力をこめ、魔法陣を展開しようとした。
『やめるんだ。フリーレン』
凛とした、しかしどこか悲しみを湛えた声が、フリーレンの耳に届いた。
その声と共に、漆黒の闇の中に、ぼんやりと人影が浮かび上がる。
それは、フリーレンにとって忘れようにも忘れられない人物の姿。
――勇者ヒンメル。
しかし、その表情はいつもの自信に満ちたものではない。眉を寄せ、フリーレンの行動を咎めるかのように見つめている。ちょうどアウラによって操られた首無し騎士をふっとばした後が、こんな感じだった。アインザームがその記憶を参照したのはまちがいない。
(でも、おかしい)
アインザームの幻影は、通常、対象の最も近しい者の姿を借り、その感傷に訴えかけることで油断を誘う。甘い言葉を囁き、隙を作り出すのが常套手段だ。
(感傷を促すセリフじゃない。これは、ただの拒絶?)
魔物が、人間を喰う目的ではなく、人間を助けるために魔法を使っているということになる。
フリーレンの思考がバグる。
アインザームが、このような形で幻影を用いるのは極めて稀だ。まるで、本当にヒンメルがそこにいて、フリーレンの行動を停めようとしているかのような、そんな錯覚すら覚える。
いや、これはサリーの意志か。
エーデルを守りたいという想いが、幻影鬼の能力をこのような特異な形で発現させたのか。
魔物が? 人を喰らう化け物が?
恐るべき事態だった。アナリザンドと同じように、魔物ですら変わっていくというのか。
その思考は、ほんの刹那。
しかし、そのコンマ数秒の遅れが、運命を分けた。
フリーレンは、迷いを振り払うように、再び杖に意識を集中させ、ゾルトラークを放った。白い閃光が闇を切り裂き、エーデルのいたであろう場所へと正確に突き進む。
だが、その閃光が届くよりも、ほんのわずかに早く。
闇の中から、まるで黒い疾風のように、サリーの長い腕が伸びた。その腕は、力なく座り込むエーデルの身体を、まるで大切な宝物を扱うかのように優しくすくい上げる。
ドォン!という衝撃音と共に、ゾルトラークはエーデルがいた場所の地面を抉った。しかし、そこにエーデルの姿はもうない。
サリーは、エーデルを抱えたまま、驚異的な跳躍力で闇の中へと消えていく。その動きは、先ほどまでの不気味な魔物のそれではなく、主を守り抜いた忠実な騎士のようだった。
「アインザームって走れるんだ……」
フリーレンはもはや何がなんだかわからない。
この世界の神秘に触れた気分だ。
「こりゃあああ。おろせサリー。みんながまだ戦っておるじゃろうが」
そんなエーデルの声も遠くなっていく。従者のような二人の男もいっしょに遁走している。
あえて言うなら、その背中を撃つのは容易い。
フリーレンなら、この距離からでもはずさない。
でも、やめておこう。
そう思ったのは、この戦いが誇り高い魔法使いどうしの名誉をかけた決闘だったから。
決闘で、背中から相手を撃つ卑怯者はいない。
湖畔には、静けさが戻りつつあった。
フリーレンの絶対的な力量の前に、多くの魔法使いが脱落した。
いつのまにか増えていた挑戦者たちや、湖畔で魔物に襲われていた者たちも含めると、全受験者の半数近くが、この場で討たれたことになる。
しかし、なお数人の魔法使いが、満身創痍ながらも、その場に留まっていた。彼等はエーデルを庇い最後まで抵抗を試みた者たちだ。その眼差しには、恐怖の残滓はあれど、どこかやり切ったような、不思議な充足感が漂っていた。
フリーレンは、そんな彼等にゆっくりと視線を向けた。
「……まだ続けるつもり?」
その声色は、先ほどまでの圧倒的な強者のそれとは異なり穏やかだ。
子どもに諭すように。
「今なら見逃してあげてもいいけど」
フリーレンの言葉に、踏みとどまっていた魔法使いの一人が、ふっと力なく笑みをこぼした。顔は泥と汗で汚れ、ローブはあちこちが裂けている。だが、その表情はどこか清々しい。
「……馬鹿言うなよ」
かすれた声だったが、その響きには確かな矜持が込められていた。
「勝ったんだよ……。
他の魔法使いたちも、その言葉に呼応するように、フリーレンを真っ直ぐに見つめる。
試験の結果など、もはや彼等にとっては些事だった。エーデルをフリーレンという規格外の力から守り抜き、逃がすことに成功した。それは、たとえ自分たちがここで敗れようとも、紛れもない『勝利』の証だったのだ。彼等の胸中には、魔法使いとしての、一人の人間としての、確かな自負が刻まれていた。
フリーレンは、彼等の瞳に宿る魂の輝きを、静かに受け止めた。
そして、わずかな沈黙の後、小さく頷く。
「……そう、みたいだね」
負けを認める。
だから、容赦するのは、彼等にとっての汚名なのだろう。
彼等の輝かしい勝利を敗者が穢すわけにはいかない。
「私の
フリーレンはそう告げると、静かに杖を掲げた。
白い閃光が、残った魔法使いたちを包みこむ。すべてが白く染まっていく。
だが彼等の顔には、もはや恐怖はなく、やりきったという表情が浮かんでいた。
水蒸気が晴れた後、湖畔には、再び一人佇むフリーレンの姿だけが残されていた。
――戦いは終わった。
そして、伝説の魔法使いは、名もなき魔法使いたちに、確かに負けたのだ。
その事実は、フリーレンの長い旅路の中で、また一つ忘れられない記憶として刻まれる。
焼肉のフリーレンの名とともに。
魔法使いの歴史にまた一ページ……。