魔族少女のエロタナティブ   作:アナリザンド

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音速を超えて

 

 

 

 約一年ほど前。

 グラナト伯爵領で、ラオフェンはリーニエと戦ったことがある。

 あのときは模擬試合に過ぎず、互いに賭けるものもない純粋に魔法を研鑽しあうだけの場に過ぎなかったが、ラオフェンがリーニエの実力の一端を知った戦いだった。

 

 その魔法は、最強の戦士アイゼンの技を模倣し、その力は魔族の膂力によってふるわれた。

 

 圧倒的だった。

 

 まともにぶつかりあえば、ひとたまりもない。

 リーニエは今も巨岩のように待ち構えて、ラオフェンを待ってくれている。いや、その受動的な戦い方とカウンターこそが、リーニエの戦い方の本質なのだろう。

 

――模倣する魔法(エアファーゼン)

 

 それは相手の技すらも即座に吸収し、鏡映しのようにそっくりそのままお返しする。ラオフェンのジルヴェーアですら、模倣可能だ。

 

 よって、力押しは通用しない。けれど、鏡はひとつではない。リーニエは今まで経験してきた戦いの数々を再現しうる。歴戦の勇士を盗み見て、そのすべてを真似ることができる。

 

 弱点らしい弱点もないが、あえてあげるとするならば、リーニエ自身の肉体は、最強の戦士アイゼンのようにダイアモンド並に硬くもなく、純粋な戦士に比べれば脆弱であるという点だ。それも上澄み中の上澄みを見ればの話であって、魔族は基本スペックとして人間よりも力が強い。

 

 力に対するは、竹のようにしなやかな、柔たる戦い方しかない。

 

「さて、と――」

 

 ラオフェンは軽く伸びをし肩をまわすと、リーニエに対して杖を構える。

 

「爺さんたちも行ったことだし、そろそろ始めようか」

 

 リーニエは、小さく頷いた。

 

「おまえの魔法は履修済みだ。あの不可解な術式の蹴りも、もう()()()。一分も持たないよ」

 

 淡々とした声で告げられる。

 自信があるというより、絶対的な事実を述べ伝えているかのようだ。

 

「たいした自信だね」ラオフェンは不敵に笑う。「でもさ、今回は引き分けでも私の勝ちみたいなもんだし。負けない戦いをするだけだよ。それに、リーニエが覚えたのは一年前の私でしょ?」

 

 ラオフェンは愛用の棒状の杖を握り直し、ゆっくりと構える。その動きは、南の山岳地帯で培われた独特の武術の型。くるくると器用にまわして、左手でコイコイと挑発。

 

()()()()()()()()。少しは楽しませてくれそうだ!」

 

 鏡のような言葉と同時に、リーニエの姿がブレた。

 否、ブレたのではない。常人には目で追えないほどの速度で、ラオフェンへと肉薄していた。

 握られた戦斧は巨大で、迫りくる質量は、圧倒的な破壊力を秘めている。

 

 ピピピピピピピ。

 

 HUDが警告音を鳴らす。

 いや、そんな魔法じゃ間に合わない。

 

 ラオフェンは、HUDをあっさり打ち切り、野性的な本能で初撃をかわす。

 巨大な戦斧が、先ほどまでラオフェンが立っていた地面を粉砕し、土煙を巻き上げる。

 あいかわらずの強烈な一撃。まともに喰らえば、一分どころか一秒で戦闘不能になる。

 

「反応速度が、3.7パーセントほど上昇している。強くなってるのは本当みたいだ。でも」

 

 リーニエは無表情のまま、ラオフェンを見つめ、ついで斧に視線をやった。

 

「それも――()()()

 

 リーニエが迫ってくる。俊敏というのもおこがましいほどの猛スピードで、あっという間に距離をつぶし、今度は先ほどよりも強く、速く、必殺の一撃を繰り出してくる。

 

(いや、一撃一撃が全部必殺だ。避けないと)

 

 横薙ぎの一撃を、杖で受け、そのまま押し流されるように後退する。

 追撃。息をつく暇もない。今度は切り上げるような動作。

 

 なぜか、リーニエが哂っている。「ぼっ!」

 

 振り下ろし。

 

 ただ強力なだけではない。すべてが機械のように正確で精密無比。

 しかも、ラオフェンの行動パターンをインプット済みというふうに、回避の道をつぶされていっている。

 

 横薙ぎ。

 

 このまま地上戦だと不利だ。リーニエが模倣しきれない技を使わないと。

 

 ラオフェンは、迫りくる刃を紙一重で身を屈めて回避。

 

 同時に、握っていた杖の先端から、しなやかな光の鞭が伸びる。その鞭を近くの太い木の幹に巻き付けると、テコの原理を利用して、自身の身体を軽々と宙へと引き上げた。

 

 まるで森の精霊が舞うように、ラオフェンは木の枝から枝へと飛び移る。その動きは予測不可能で、リーニエの強力な攻撃をことごとく空転させる。

 

「ちっ……!」

 

 リーニエはわずらわしそうに舌打ちし、ラオフェンが足場にした木々を、戦斧の一撃で次々と薙ぎ倒していく。轟音と共に巨木が倒れ、森の一部が更地へと変わっていく。環境破壊も厭わないその戦い方は、まさに魔族のそれだ。魔族に環境破壊という概念があるかはわからないが。

 

「森が得意というのは本当だったんだね」

 

 リーニエが間をおいて言った。森は奥深く、木々は無数にある。

 このまま、倒木を繰り返しても無駄だと悟ったのだろう。

 

「もう一分くらいは経ったんじゃないかな」ラオフェンが挑発するように言った。

 

「少しおまえを侮っていた。だけど、それも覚えた。いずれ終わる」

 

「やってみなよ」

 

「言われなくてもそうする」

 

 リーニエが戦斧を消して、投げナイフを召喚した。

 片手に三本ずつ。両手で計六本。黒色をした魔力で生成されたそれは、ラオフェンの姿を一瞬で串刺しにする。ただし、一秒前の。

 

 ラオフェンはギリギリのタイミングで次の枝に飛び移り、リーニエの攻撃を回避した。枝をもって、下の枝へ。鞭を使って、上の枝へ。

 

(あの目だ……)

 

 ラオフェンは跳躍しながら、リーニエを視界にいれた。

 

 数秒の攻防の中、リーニエはラオフェンを観察しているようだった。獲物を狙う鳥獣のような瞳が、めまぐるしく動くラオフェンの行動パターンを解析している。

 

 跳躍の軌道。着地のタイミング。呼吸。間。

 

「逃がさない!」

 

――人を殺す魔法(ゾルトラーク)

 

 リーニエが手のひらを杖に見立て、魔族の中でも広く普及している貫通魔法を放った。

 

 それは、フリーレンやフェルンが使うものとは魔力の質こそ異なるものの、その速度と威力は紛れもなく同等。最も速射性に優れ、最も人を屠ったとされるゾルトラークは、人間にとっても脅威であることに変わりない。

 

 狙うは、枝から枝へと飛び移るラオフェンの、ほんの一瞬の着地の隙。

 

(魔族がゾルトラークとか反則! でも、対処法は知ってる!)

 

 ゾルトラークは人が開発した魔法だ。もともとは魔族が生み出したらしいが、詳しいことは知らない。けれど、対処法もまた人間の手によって編み出されている。

 

 ラオフェンは、迫りくる黒い閃光を、極小の防御魔法を展開して僅かに逸らし、獣が身を翻すようにして回避する。軌道の逸れたゾルトラークが背後の木の幹を抉り、木っ端を撒き散らした。

 

 しかし、リーニエの攻撃はそれで終わりではない。一発目を放った直後には、既に次のゾルトラークがラオフェンの未来位置を予測して放たれている。

 

 魔法陣が七つ。小さめの砲台のように設置されたそれらから、次々とゾルトラークが放たれる。甚大な魔力を持つ魔族の利点を活かした、ある意味力業ともいえる戦法だった。

 

 しかも、狙いは正確に、少し未来のラオフェンを狙っている。

 

「もっとっ……!」

 

 速くならなければ。

 

 ラオフェンは、光の鞭をさらに別の枝へと巻きつけ、身体を強引に引き寄せた。光の鞭は、ラオフェンの魔力を変形させたもの。魔力を伸縮させれば、木の枝に向かって引っ張られるように移動できる。ただの遠心力や膂力ではなく、そこにジルヴェーアも加える。

 

――立体軌道。

 

 ラオフェンは振り子のように森の中を舞い、次々と枝に鞭をからめ、連続して放たれるゾルトラークの雨を紙一重でかわしていった。

 

 木の葉が舞い、枝が折れる音が響き渡る。鳥が一斉に飛び立つ。中にはオレンジ色をした小鳥も混ざっていたみたいだが、そんなことを気にしている余裕はない。

 

――ゾルトラーク。

 

 リーニエは、表情一つ変えずに、正確無比な射撃を続ける。ラオフェンがどれほど複雑な動きをしようとも、その瞳は的確に彼女を捉え逃がさない。

 

(このままじゃ、いずれ捕まる。あの目、私の動きを完全に読み切ろうとしてる!)

 

 ラオフェンは焦りを感じ始めていた。

 確かに、森の中での立体的な動きはリーニエにとって模倣しづらいだろう。

 だが、リーニエの学習能力は異常だ。このまま同じような回避を繰り返していては、いずれパターンを読まれ、致命的な一撃を受けることになる。

 

「もっと……もっと速く……!」

 

 ラオフェンは、さらに身体能力を引き上げるべく、ジルヴェーアの魔力を瞬間的に高める。光の鞭を操る速度も、跳躍の飛距離も、先ほどまでとは明らかに違う。森の中を、まるで一陣の風のように駆け抜ける。

 

 だが、リーニエの追撃もまた、それに合わせて精度を増していく。

 彼女の脳内では、ラオフェンのデータがリアルタイムで更新され、最適化されていく。

 

「……このままずっと逃げ続ける気?」

 

 リーニエはあいかわらず無表情だったが、明らかに声に不満が出ていた。

 逃げ続けるだけで、反撃のひとつもしてこないラオフェンに業を煮やしたのだろう。

 だが、それでいい。ラオフェンの勝利条件は時を稼ぐことにある。

 そして、自分が失格にならないこと。命を奪われるような一撃をもらわないこと。

 まだ、戦えている。まだ、生きている。

 

「もう、終わらせる」

 

 リーニエが、ふっと息を吐くように呟いた。

 次の瞬間、彼女の周囲の魔力が、再び変質を始める。

 

――模倣する魔法・強化(エアファーゼン・ツェータ)

 

 それは、神に与えられし天啓。

 虚構のキャラである細マッチョアイゼンを模倣する魔法。

 

 

 

 

 

 明らかにリーニエの動きが変わった。

 

 先ほどは、足を止めて遠距離攻撃魔法を撃ち続けていた彼女だったが、今は再び巨大な戦斧を両の手に握りしめ、猛然としたスピードで森の中を駆けている。まるで、全てを薙ぎ倒さんとする風の一陣のようだ。

 

 ラオフェンは、光の鞭を巧みに操り、木々を縫うように立体軌道を繰り返す。そのスピードは、ただ地面を走るよりも当然速い。にもかかわらず、リーニエは信じられないほどの速度で、その複雑な動きに食らいついてくる。木々の間を直線的に突っ切り、時には垂直に近い壁面すらも蹴って跳躍し、ラオフェンとの距離を確実に詰めてくる。

 

 細マッチョアイゼンはスピードタイプなのである。

 

(速い……! さっきまでのリーニエとは比べ物にならない!)

 

「――アイゼンは、しなやかな筋肉をうねらせると、ヒンメルの細腕を引き寄せた」

 

 その言葉と同時に、リーニエの踏みこみが一層鋭くなる。

 追いつかれる!

 

 跳躍。

 瞬間。

 目の前にリーニエ。

 

 戦斧が、ラオフェンが先ほどまでいた空間を、空気を震わせながら薙ぎ払う。ラオフェンはギリギリで回避するが、頬を掠めた風圧だけで肌がヒリついた。

 

(え、今のなに?)

 

 意味不明な呟きと、それに呼応するかのようなリーニエの身体能力の向上。ラオフェンは混乱しながらも、必死に回避を続ける。だが、リーニエは止まらない。

 

「――その逞しい胸板に釘づけになり」

 

 再び、リーニエの口から、状況とは全くそぐわない甘美な言葉が紡がれる。そして、その言葉とともに、彼女の動きはさらに洗練され、力強さを増していく。戦斧の軌道はより鋭く、ラオフェンの逃げ道を的確に潰しにかかる。釘づけになる。

 

(まずい……!)

 

 ラオフェンは、木の幹を蹴り、後方へと大きく跳躍した。

 まちがいなく人生で一番の速さだった。しかし、リーニエはそれを読んでいたかのように、既にその着地点へと先回りし、戦斧を振りかぶっていた。

 

「――熱い吐息が、耳元をくすぐる」

 

 絶体絶命。

 ラオフェンは咄嗟に杖を盾にするが、強烈な衝撃がすぐに全身に伝わった。

 防御魔法を多層で重ね、なんとか耐えしのぐが、既にシールドには罅が入っている。

 

「――ふたりは音もなく足をからめあい」

 

 リーニエが、無表情のまま、しかしどこか恍惚とした響きで言葉を紡ぎながら、追撃の手を緩めない。今度は戦斧ではなく、鋭い蹴りが防御魔法の間隙を縫ってラオフェンの脇腹を狙う。

 

(あのときの仕返し?)

 

 コマ送りのように流れる映像の中、ラオフェンは一年前を思い出す。

 

 模擬試合の時。ラオフェンは最後の一撃として、リーニエに破邪の蹴りを加えた。あの一撃に敬意を払ってくれたのか、それとも本当に効いていたのかはわからないが、リーニエの攻撃は()んだ。

 

――そのときの攻撃が模倣されている。

 

 ラオフェンは防御態勢のまま後ろに飛びずさったが、リーニエの細い足先が追走するように伸びた。わずかに衝撃は殺したはずだが、魔族の膂力は想像を超える。

 

 意識するよりも速く、肋骨が軋むような鈍い痛みと共に、数メートル吹き飛ばされた。

 

「ぐっ……うぅ……!」

 

 地面に叩きつけられ、咳き込むラオフェン。魔力の消耗も激しいが、それ以上に、リーニエの不可解な強さと、あの不気味な呟きが、彼女の精神を確実に蝕んでいく。

 

(なんなの、あの言葉……。アレを言うたびに、リーニエの動きが……速く、強くなってる)

 

 もはや、ジルヴェーアの速度だけではリーニエの動きに対応しきれない。立体機動で攪乱しようにも、リーニエはまるでラオフェンの思考を読んでいるかのように、的確に先回りしてくる。

 

「――君を、喰べたい」

 

 終わりを予感するラオフェン。

 

 リーニエの囁きにも似た言葉が、ラオフェンの鼓膜を震わせた。

 それは、紛れもない捕食者の言葉。魔族の――逃れられぬ本性。

 

 足が子鹿のように震える。リーニエの瞳を見るのが怖い。全身の血が恐怖に粟立つ。

 

 でも、負けたくない!

 こんなわけのわからない魔法でわけもわからないまま終わりたくない!

 

 そのとき、ラオフェンの脳裏に、故郷の古い伝承が鮮やかに蘇った。

 

(そうだ……。破邪の力。まゆつばだと思ってたけど、リーニエには効いた)

 

 悪しきを祓う破邪の蹴り。

 猟犬の血で清めた足は、魔族の邪悪な力に反発する。ただの伝承に過ぎないが、リーニエは先ほど、破邪の蹴りを忌々しく思ったからこそ、意趣返しをしてきたのだ。

 

 それにもはや、リーニエの動きを通常の方法で回避することは不可能に近い。

 

 ならば、賭けるしかない。

 

 ラオフェンは、最後の力を振り絞り、両足にありったけの魔力を集中させた。そして、一族に伝わる破邪の力をイメージする。

 

 魔力を、リーニエの放つ邪気――魔族としての本質的な魔力――に反発する力へと転換し、それを爆発的な推進力として一気に噴出させる!

 

――高速で加速する魔法(ジルヴェーア・ブースト)

 

 ただし、魔法は足から出る。

 べつに、手からだろうが尻からだろうが、魔法はどこでだって出せる。

 イメージしにくいから、やる人間が少ないだけだ。

 

 ゴォォォッ!!

 

 爆音と共に、ラオフェンの両足から蒼白い光と強烈な衝撃波が迸った。それは、リーニエの放つ腐りきったヘドロ状の魔力と激しく反発し合い、爆発的な推進力を生み出す。ラオフェンの身体は、まるで砲弾のように撃ち出され、一瞬にしてリーニエの眼前から消え去った。

 

「……!?」

 

 リーニエの目が、初めて驚愕に見開かれる。

 

 先ほどまでの舐め腐った余裕は消え、予測不能なラオフェンの動きに戸惑いの色が浮かんだ。ラオフェンの速度は、明らかにジルヴェーアのそれを超えている。それは、リーニエの模倣の範疇をわずかに超えた、未知の加速だった。

 

 この土壇場で、ラオフェンは――進化した。

 人間の成長速度は、エルフや魔族すら凌駕している。

 

「所詮、付け焼刃だ」

 

 リーニエは強がりを言った。

 いや、強がりではなかった。

 ラオフェンがいかに進化をしつづけようと、魔族もまた進化しつづける。

 リーニエは身をかがめ、再び違う模倣を始める。

 

 

 

 

 

 一方、ラオフェンは、ジルヴェーア・ブーストによる急加速で、どうにかリーニエとの距離を稼いでいた。慣性の法則で、速度を保ち、そこに通常のジルヴェーアと飛行魔法を併用する。

 

(やった……! これなら……!)

 

 勝利条件は時間稼ぎ。デンケン爺さんたちがラヴィーネたちを捕獲するまで、あるいは試験終了まで逃げ切れれば、それでいい。もう十分に時間は稼いだはずだ。

 

 あとは、このまま逃げ切るだけ――!

 

 だが、ラオフェンの安堵は長くは続かなかった。

 

――キィィィィィィィィン。

 

 背後から、空気を切り裂く鋭い音が急速に迫ってくる。それは、ただの風切り音ではない。空間そのものが悲鳴を上げているかのような、異様な音。

 

(あれは……?)

 

 振り返るラオフェンの視界に飛び込んできたのは、信じられない光景だった。

 

 リーニエが、まるでオレンジ色の弾丸のように、音速を超えて突き進んでくる。その姿は、先ほど一瞬だけ見かけたシュティレの飛翔そのもの。彼女の周囲には、ソニックブームによるものか、白い衝撃波の尾が引かれている。

 

「――模倣する魔法・神速(エアファーゼン・シュティレ)!」

 

 リーニエの口から、新たな詠唱が紡がれる。彼女は、シュティレの音速飛行能力すらも模倣し、己の力へと昇華させていたのだ。

 

 ラオフェンの敗因は、森という地の利を棄てたこと。

 そして、魔族は飛行魔法が得意という魔法学校で習うような初歩の知識を忘れていたこと。

 

(こんなの……どうやって逃げろって言うんだよ)

 

 ラオフェンは心の中で悪態をついたが、空中で移動方向を自在に制御するのは、熟練の魔法使いでも至難の業だ。まだまだ未熟なラオフェンでは、移動方向を切り替えることすら難しい。

 

 ジルヴェーア・ブーストの勢いはまだ残っているものの、それはあくまで直線的な加速。リーニエのように、音速で空を自由に飛び回る相手に対しては、あまりにも分が悪い。

 

 ひとつだけラオフェンにとって有利な点があるとすれば、破邪の力を用いたジルヴェーア・ブーストは、リーニエが近づけば近づくほど、まるで磁石の同極同士が反発するように、その斥力を増すということだ。リーニエが接近すればするほど、ラオフェンは弾き出されるように加速する。だが、それも根本的な解決にはならない。

 

 むしろ音速近くまで速さがひきあげられたことで、呼吸すらままならなくなる。防御魔法を展開し、なんとか速さの暴力に抗うしかない。一分も持たない。

 

 リーニエも同じく防御魔法を展開しているのだろう。

 涼しい顔をしているが、魔力消費は馬鹿にならないはず。

 だが、持久力では確実に負ける。それだけ魔族の魔力は人間の比にはならないくらい膨大だ。

 

『――僕は君の後ろ姿を追いかけた』

 

 口パクで何か言ってるよう。

 

 キィィィン!という甲高い音と共に、リーニエがついにラオフェンに追いつき、ダメージングレンジに捉えた。

 

――ゾルトラーク。

 

 光のスピードで突き進む、音速よりも速いおそらく唯一の攻撃魔法。

 それらをリーニエは魔法陣から撃ちだしてくる。

 

――防御魔法。

 

 もはや、ピンポイントで当てる技術も余裕もないラオフェンは後方いっぱいに防御魔法を展開し、ギリギリ耐えしのぐしかなかった。

 

 未来の戦争では、こんな戦い方が主流になっていくのだろうか。

 

 そんなことを考えてしまうほどに、ラオフェンは追い詰められていた。防御魔法は刻一刻と削られ、魔力も急速に失われていく。ジルヴェーア・ブーストの斥力も、リーニエの執拗な接近とゾルトラークの圧力の前では、徐々にその効果を失いつつあった。あと三十秒。

 

 不意に、ゾルトラークの嵐が止んだ。

 

 だが、それは決してラオフェンにとっての好機ではなかった。

 リーニエが、音速を超える勢いで、一気に距離を詰めてきたのだ。

 確実に葬らんとする殺意のカタマリが、音速を超えて飛翔する。

 

(ぶち当てる気だ)

 

 衝突事故。音速で物体同士がぶつかりあったらどうなるか答えなさい。

 昔、寺子屋のような場所での勉強で、そんなことを学んだこともあった。

 

――もちろん、死ぬ。

 

 そんな思考すら置き去りにして。

 

 ガリガリガリガリガリガリガリガリ。

 

 金属をこすりあわせるような異様音を発しながら、リーニエの防御魔法とラオフェンの防御魔法が激しく衝突する。青い六角形の防御機構に罅が入り、赤熱し、瞬間、バリンと割れた。

 

「――僕は、君を優しく抱きしめた」

 

(なにが優しくだよ)

 

 空の高いところから、ラオフェンの身体が落下していく。

 

「――君は、太陽の昇る空から、僕のもとへ堕ちていく」

 

(ふざけんなよぉ)

 

 ラオフェンはもはや意識を失う寸前だ。

 

 けれど、意識の片隅で考えたのは、ドーナツをおごってくれて、孫のようにかわいがってくれたデンケンのこと。一級魔法使いに臨むデンケンは、秘めたる決意があった。

 

(ごめん。爺さん。私、負けちゃった……逃げろって言われたのに逃げられなかった……)

 

 堕ちていく。

 

(ごめん。オッサン。怨まれてもしょうがないかな……)

 

 そして、意識が――。

 

 

 

 

 

 フヨン、と。

 

 音にすれば、そんな感じだろうか。

 ラオフェンは自分が何かに包まれているのを感じた。

 ふと見てみると、シャボン玉のような球体に自分の身体が包まれている。

 そのまま、ふわふわとした綿あめが降りそそぐようなゆっくりとしたスピードで地面に近づいてくる。

 

 地上には、小さな猫耳姿の魔族が立っていた。

 両の手を空に掲げて、ラオフェンを受け止めるつもりのようだ。

 このままお姫様だっこは少し恥ずかしいけれど、もはや身じろぎひとつできない。

 

――助けてくれるの?

 

 という気持ちも当然湧いた。全人類妹化計画を推進しているアナリザンドは、ラオフェンにとっても、親愛に似た気持ちが湧く。姉というほどではないが……なんというか近場にいるちょっとだけ仲の良い猫みたいな感じ。

 

 受け入れよう。敗北の結果として。

 失格にならなかっただけマシなのであるし。

 

 そして、ついにラオフェンの腰と首筋あたりに重力の重みが加わり――。

 

「ぐえ」

 

 アナリザンドは支えきれずに、そのまま潰された。

 

「……」

 

「……」

 

 きまずい沈黙が流れる。

 アナリザンドはもぞもぞと立ち上がったが、ラオフェンは起き上がることすらできない。

 アナリザンドは、必死に何事もなかったかのように胸を張っている。

 

「なんで助けてくれたの?」

 

「えっとね。リーニエちゃんが暴走特急みたいになっちゃったのって、わたしが伝え損ねたせいもあったからかなぁって。つまり責任感かな」

 

「べつに放っておけばいいのに。ルール違反じゃないし」

 

「わたしは、人間の歴史には干渉しない主義なの」

 

「干渉しまくってるじゃん」

 

「それには銀河の歴史から説明しなければならないんだけど、干渉といっても、ナッジっていってね。肩肘でつつくって意味なんだけど。人間の無意識に働きかけるのは、強制力がないからオッケーって理論なの。今回のケースは過干渉かなぁって」

 

「また嘘ついてる?」

 

「ついてないよ。本当だよ!」

 

 アナリザンドの目は泳ぎまくっていた。

 結局――もしかしたら――、ラオフェンのことを心配して、介入したということなのだろうか。

 

 考えてもしかたないことだ。

 それに脅威が完全に去ったかは怪しい。リスクという意味でみれば、ラオフェンを失格にさせていたほうが、リーニエが『神』と呼ぶ存在を守るのに都合がいいはずだから。

 

 そう考えた今まさに、リーニエが空から流星のように降ってきて、ヒーロー着地を決めた。

 アナリザンドが立っているのを見て、嫌な顔になる。

 

「また、おまえか。暇なやつだな本当に」

 

「リーニエちゃん。えっと、二時間ぶりくらいだね。こんマゾ」

 

「邪魔する気? そいつを失格にしておかないと、神を守り切れない」

 

「そっちじゃないよ」アナリザンドは言った。「こっちだよ」

 

 なにもない森の方向を指さしている。

 デンケンたちがいる西側ではなく、南東方面のようだ。

 

――神とは、ラヴィーネ達のことではなかった。

 

「本当に?」リーニエは念を押すように尋ねる。

 

「本当だよ。わたしは嘘つかない主義なの」

 

「嘘つきが何か言ってる」

 

「早くいかないと、リーニエちゃんの神さまが困ってるかもしれないよ?」

 

「おまえ、鳥は?」

 

「んー。秘密。心配しなくてもちゃんと安全なところに置いてるよ」

 

「まあいいや。シュティレとかどうでもいい」

 

 リーニエは、アナリザンドを胡散臭そうに一瞥したが、次の瞬間には、ラオフェンには目もくれず、アナリザンドが指さした方向へと、再び音速に近い爆速で駆け出していった。その姿は、まさにレンゲ神へと一直線。神まっしぐら。

 

 目的のためなら手段を選ばない、魔族らしい純粋さがそこにはあった。

 

 あっという間にリーニエの気配が遠ざかり、森には再び静寂が戻ってきた。

 ラオフェンは、ようやく全身の力を抜き、ぜえぜえと荒い息をつく。

 

「……助かった、のかな?」

 

 呟くと、アナリザンドが答えた。

 

「まあ、結果オーライってやつじゃない? それより、ラオフェンちゃん。一年前よりずっと強くなってたね。えらいえらい」

 

 アナリザンドは、まるで小さな子供をあやすように、ラオフェンの頭をポンポンと叩いた。

 

「撫でるなぁ」ラオフェンは抵抗しようとするが口だけだった。「そんなことより回復魔法かけてよ。魔力も体力も尽きかけてて指一本動かせないんだ」

 

「んー。いいけど、ラオフェンちゃん、100万AP払える?」

 

「無理に決まってるでしょ」

 

 そんなにお金があったら、今頃ドーナツの山に埋もれているはずだ。

 

「じゃあ、また今度ってことで」

 

 アナリザンドは立ち上がり、その場を去ろうとしている。

 

「薄情だよ。ねえ、アナ姉ってば。待ってよ」

 

 ピタリと停まるアナリザンド。

 その言葉が聞きたかった――とか言い出しそうな雰囲気。

 ニコニコの笑顔を我慢しているのか、ほっぺたがひくついている。

 

「しょうがないなぁ。ちょっとだけね」

 

 ほんの少しだけの回復魔法。

 いつもと違い、オーソドックスな緑色の小回復魔法のようだ。

 それでも、頭の中が少しだけスッキリする。

 

「でもね。ラオフェンちゃん。今回はたまたまパーティ戦だけど、本当にひとりきりで戦う場合は後先考えないとダメなんだよ。わたしが手伝えるのはここまでだからね」

 

 アナリザンドは心配そうにラオフェンを見ていた。確かに、今回はリーニエの足止めという目的があったとはいえ、自分の持てる力の全てを出し切り、結果として動けなくなってしまった。もし本当に一人だったら、この時点で完全に詰んでいただろう。

 

「じゃあ、残りの時間も、ひとりでがんばってね」

 

 アナリザンドは軽く手を振ると、再び森の奥へと姿を消した。おそらく、リーニエが向かった『神』の元へ、様子を見に行ったのかもしれない。

 

 あるいは、また別の『誰か』を助けに。

 

 残されたラオフェンは、ゆっくりと深呼吸をし、痛む身体に鞭打って、近くの木の幹に寄りかかった。アナリザンドの回復魔法のおかげで、少しだけ身体は楽になったが、魔力も体力も依然として底値に近い。

 

「爺さんたちとは……もう合流は難しいかな……。この状態じゃ、追いつけないし」

 

 HUDでパーティメンバーの位置を確認しようとしたが、ヤキニクスキー粒子の影響か、正確な位置は表示されなかった。空にはガイゼル達が悠然と飛び回り、依然として弱者を狙っている。

 

 心細い。ラオフェンはいかにデンケンに、そしてちょっとだけイジワルなリヒターに助けられていたのかを知った。

 

 けれど、いまはひとり。

 でも、自分の身を生かすことが、デンケン達の合格につながる。

 

(たったひとりで耐えきるしかない。これが本当の試練なんだ)

 

 心の中でそう呟き、ラオフェンは静かに目を閉じた。

 今はただ、体力を回復させ、この過酷な試験の終わりを待つしかない。

 そして、もし再び立ち上がることができたなら――その時は、もっと強くなっているはずだ。

 

 デンケン爺さんとの焼肉食べ放題の約束を、絶対に果たすために。

 

 

 

 




そのうちドラゴンボールになっちゃうんじゃ、などと申しており……
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