魔族少女のエロタナティブ   作:アナリザンド

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ブービートラップ

 

 

 

 

 雨音が激しくなった。

 

 とはいえ、結界が傘のように覆っている現状では、雨に濡れる心配はない。

 デンケンは年齢を感じさせぬ足取りで、影のように疾駆する。

 そのたびに、鳥や小動物が、デンケン達の鬼気迫る圧力により逃げ出しているのがわかるが、ラヴィーネたちの姿はいまだ見えない。

 

「デンケン……。このままだとこちらの接近に気づかれないか?」

 

 魔力の痕跡を追うこと自体は、リヒターにも容易だ。

 ラヴィーネ達。特にカンネはまだ魔力を隠蔽するに未熟で、動き出す際に、わずかに漏れ出る魔力の残滓が、リヒター達によって捉えられる。

 

「これは圧力だ。追われているのがわかれば、小娘たちはきっと焦る。焦りは油断につながる。我らは盛大に存在を悟らせるがよい」

 

「焦ってるのは、爺さん。あんたのほうだろ」

 

「ぬかせ若造。フリーレンと合流していない今こそが最大の好機。寄る辺をなくした小娘たちは不安に怯えているだろう」

 

「ラオフェンのことはいいのか?」

 

「かまわん」デンケンは振り切るように言った。「短い間ではあったが、儂にとって、あやつは弟子同然の存在。弟子を信じぬ師などおらぬ」

 

「孫だろうが」

 

「おまえにとっても姪御のようなものだろうが」

 

 デンケンの言葉に、リヒターは返す言葉もなく、ただ苦笑いを浮かべるしかなかった。

 確かに、あの奔放さは、昔、片田舎の村にいた親族、もはや二十数年近く逢っていないが、ほんの幼子だった姪と同じくらいの精神年齢に感じられたからだ。

 

 言わば幼き暴君といったところか。しかし、ふとした瞬間には無垢な笑顔を見せる。

 デンケンと同様に、リヒターにとっても、好ましい感覚が知らず湧いていたのだ。

 それを、デンケンには見抜かれていた。

 

「まあいい。このまま追い詰めればいいんだな?」

 

「そのとおりだ。我々はなんの手立てもせずに、森で休んでいたわけではないだろう」

 

 デンケンたちは、一日前の待機する時間、ずっと手をこまねいていたわけではない。

 わずかながら手慰みのように動き、比較的安全と思われる、人の少ないエリアを散策していた。

 もちろん、シュティレを見つけられれば、それに越したことはなかったが、鳥が見つかるかは運次第だった。残念ながら鳥は見つからなかったが、デンケンがなにやらしていた。

 

「ああ……あれか」

 

 リヒターが、少し思い出す。

 

 こんな()()()()()()()に何か意味があるかと思っていたが、ここにきて役に立つとは。

 

 デンケンの老獪さと底知れない知略に、リヒターは、わずかな畏れと嫉妬と、そして悪態に似た感情が湧く。

 

 リヒターにとって、父親とは影が薄い存在だったが、デンケンのような偉大な――いや偉大とも違うが、ともかく超えられないとも思えるような存在がいれば、また違った生き方をしていたかもしれない。

 

 それなりに物事をそつなくこなせるリヒターにとって、父親的存在は超えようとして超えたのではなく、いつのまにやら超えてしまっていたという存在だったのだ。

 

 この一級魔法使い選抜試験という極限状態において、父親のような――頼れるとも違う――超えるべき存在が現れたことに、人知れず、リヒターは嬉しいという感情を抱いていたのである。

 

 絶対に、目の前の男に伝えることはしなかったが。

 

 しかも、デンケンは、この期に及んでも仮想孫のラオフェンのことを心配している。想っている。それでも孫を信じ、ラオフェンのことを振り切るように、目の前の()の追跡に全力を注いでいる。なんて爺臭い存在だろう。

 

「やはり、あの小娘ども焦っておるな」

 

 デンケンは、モノクルの奥の瞳を細めた。ラヴィーネたちの魔力の揺らぎが、通常よりも大きく、そして不規則になっているのを感じ取っていた。それは間違いなく、追われていることへの焦燥感の表れだ。

 

「このまま追いこむのか」と、リヒターは聞いた。

 

「いや。未熟とはいえ、フリーレンの指導をわずかながらも受けている可能性がある。油断するな若造。窮鼠が猫を噛むということもありえる」

 

 デンケンは慎重だった。フリーレンという存在の影は、常に彼の思考の片隅にあった。

 なぜなら、デンケンの世代にとって、フリーレンは実感のある伝説の魔法使いだからだ。

 いわば、戦争のことを知らない世代が、英雄のことを聞かされても夢物語であるのと異なり、デンケンにとっては、生身のエルフとして、その脅威を等身大で測りうる。

 

 つまり、デンケンはフリーレンのファンなのである。

 

「油断してるつもりはない」

 

 リヒターは言った。古臭い爺どもは、自分の名誉を最大化するために、敵の存在すら巨大に見せようとする。その類だと思ったのだ。

 デンケンはリヒターの考えを一瞬で見抜き、フンと鼻を鳴らす。

 

「まあよい。予定通り、()は直進せずに、やつらの側面を狙うように動く。ただ追い立てるのではない。やつらに()()()を与えるのだ。人は選んだと思っていた道が、実は選ばされていたのだと気づく時、心が折れる」

 

 デンケンの口元に、老獪な笑みが浮かんだ。

 

「趣味が悪いな。爺さん」

 

「ぬかせ。小僧。二手に分かれるぞ」

 

 デンケンの罠が、ラヴィーネたちに牙を剥く。

 

 

 

 

 

「ハァ……ハァ……ラヴィーネ、もう、ダメ……足に力がはいんないよ」

 

 カンネは、肩で息をしながら、今にも泣き出しそうな顔でラヴィーネの服の裾を掴んだ。シュティレの入った鳥籠を抱える腕も、もう限界に近い。雨音は相変わらず激しく結界の天井を叩いているが、幸い森の中までは届かない。それでも、湿った空気と、じっとりと肌にまとわりつくような緊張感が、体力を容赦なく奪っていく。

 

「弱音を吐いてる暇があったら足を動かせ! この魔力に気づいてないわけじゃないだろう。追いつかれちまうぞ!」

 

 ラヴィーネもまた、息を切らせていた。だが、彼女の瞳には、まだ諦めないという強い意志が宿っている。しかし、背後からじわじわと迫ってくる圧倒的なプレッシャーに、体中の筋肉はこわばっている。明日は筋肉痛確定だ。

 

「ねえ。ラヴィーネ……。ハァ……ハァ……もうさ……シュティレを持って、ラヴィーネだけ逃げてよ。私はここで魔力隠蔽がんばるからさ」

 

「馬鹿野郎。そんなことしたら、あいつらに一瞬で見つけられてみんなまとめて失格だ。いっしょに行くしかねーんだよ」

 

「もう無理……」

 

 カンネの泣き言にいつもの文句をいう気力もない。

 

(くそ……。この老練な魔力の気配……宮廷魔法使いのデンケンだな。いったいどういうつもりだ。わざと私達に気づかせるように、魔力をまき散らしながら追ってきやがる)

 

 魔力探知に長けたラヴィーネは、デンケンたちの意図を測りかねていた。

 

 ただ追い詰めるだけなら、もっと静かに、そして確実に接近してくるはずだ。このあからさまな追跡は、まるで獲物を弄ぶかのような、あるいは何か別の目的があるような、不気味な余裕すら感じられた。

 

「うぎゃ」

 

 突然、カンネが短い悲鳴を上げた。

 カンネの足元にわずか数センチ程度の小石が飛び出し、足をすくったのだ。

 ビタンとコントのように地面に顔をぶつけるカンネ。

 

――小石で躓かせる魔法。

 

 設置式の、民間魔法のひとつで、近づけば、この通り相手を転ばすこともできる。

 いたずら好きの少年が、この魔法を使って、母親にしこたま怒られているなんてこともよくある光景だ。こんなくだらない魔法が――、こんなにも足を止める。

 

 数秒の時も惜しい、今になって、なぜ。

 

 疑問に思うまでもない。

 慎重に歩いているならまずひっかかることはない単純な罠を、デンケンが張っていたのだ。

 

「早く立て! カンネ!」

 

 やむを得ず、前方に転がった鳥籠を自分が持つ。

 戦力としては劣るカンネが持って逃げたほうがいいと、フリーレンが言っていたが、このままだと、カンネのほうが先に体力が尽きてしまう。

 

「ううう。なんでこんなことに」

 

 涙目になりながらも、なんとか立ち上がるカンネ。その鼻先は赤く腫れている。

 かわいい顔が台無しだ。

 

 ラヴィーネは歯噛みする。逃げ道は、徐々に狭められている。

 

 いっそ森の中にとびこむか。

 いや、魔物とどこでエンカウントするかわからない森の中は危険だ。

 

――どうする?

 

「ラヴィーネ。あれ!」

 

 カンネが前方の道を、声だけで指し示す。

 デンケンの狙い通りと言うべきか、目の前には二筋の道が分かれていた。

 

 一方は、川が枯れて干上がった、幅一メートルほどの細い道。両側は切り立った崖のようになっており、一度入れば後戻りは難しい。だが、道は北へと、まっすぐに続いているように見える。まるで自然が作り出した塹壕だ。

 

 もう一方は、比較的開けた広い道。しかし、それはデンケンたちが迫ってくる側面の森に近く、すぐに追いつかれる可能性が高い。

 

 迷ってる暇はない。

 

「こっちだ!」

 

 ラヴィーネは、一瞬の逡巡の後、塹壕のような細い道を選んだ。

 危険な香りはする。

 罠が多量に待ち受けている可能性は高い。

 だが、だからこそ――、敵はそちらを選んでほしくないのでは。そう考えたのだ。

 

 

 

『―――かかったな―――』

 

 

 

 カンネは黙ってラヴィーネの後を追う。

 足場の悪い、でこぼこだらけの道を必死に駆け抜ける。

 

「カンネ! またあの罠だ。魔力探知をしながら走れ!」

 

 ラヴィーネが振り返りもせず、カンネに注意を促す。

 そうだ。また、あの罠。

 地面から躓かせる程度の小石をぴょこんと飛び出させる悪辣な罠。

 全速力で駆けている今、躓けば無事ではすまない。

 かといって、速度を落とすわけにもいかない。

 

「全力で走りながら魔力探知とか無理だよ! そうだ空を飛べば!」

 

 言うや否や、後方から光条が伸びた。狙って撃ったものではないだろう。敵の姿はまだ見えない。ただ、塹壕の大まかな位置を把握して、そこに向かって直線的な攻撃を加えているのだ。

 

 攻撃の主は、魔力を盛大にアピールしているデンケンのものではない。リヒターが魔力を隠蔽しながら静かに後方に回りこんでいたのである。

 

 空を飛ぶという選択肢は、こうしてあっさり潰されてしまった。空を飛んで逃げれば、恰好の的だ。魔力で劣るカンネたちは、あっさり撃ち落とされてしまう。

 

「私のあとをトレースしろ!」

 

 ラヴィーネが怒号を発する。ラヴィーネも必死だった。落ち着いた場所で魔力探知をするのと異なり、動きながらの魔力探知は、非常に神経を使う。しかも、背後からは断続的にゾルトラークが飛来し、着弾の衝撃が足元を揺るがす。神経が削ぎ落されていくような感覚がする。

 

 カンネは泣き言を言うのをやめ、ラヴィーネの踏んだ地面を、一歩一歩確かめるようにして後を追った。ラヴィーネが避けた小石の罠を、自分もまた回避する。集中力が途切れたら、即座に足を取られるだろう。

 

(フリーレン……助けて……!)

 

 カンネの心からの叫びは、しかし声にはならない。

 ただ、ひたすらにラヴィーネの背中を追いかける。

 

 自分がラヴィーネに実力で劣ることはわかっていた。魔法学校の時代からずっとラヴィーネをライバルのように思っていたが、臆病なカンネの手を引っ張ってくれるのは、ラヴィーネだったのだ。

 

 せめて、足手まといにならないよう、実力の限り――。

 

「うっ……」ラヴィーネが突如呻く。

 

 足元を見ていたカンネの体に、ゴムボールのように空中を跳ねるラヴィーネの身体が当たった。

 なんとか受け止めるカンネ。ラヴィーネの身体は軽い。ラヴィーネの腕は細い。

 健康的なカンネと違い、ラヴィーネは本来深窓のお嬢様だ。体力で言えば、カンネよりも劣る。人一倍の努力と負けん気だけが、ラヴィーネを強く見せているに過ぎない。

 

 その真っ白い頬には、赤い一筋の線が引かれていて、何かに遮られたことがわかる。

 カンネはじっと前方を見た。あった。魔力の糸だ。

 

 左右の崖のような壁に向けると、そこには巧妙にカモフラージュされた、細い魔力の糸が数本、首の高さあたりにピンと張られているのが見えた。

 

 それは、かつてフリーレンが語っていた、アウラの側近であったドラートが使ったという糸ほど強力なものではないだろう。

 

 だが、この速度で突っ込めば、下手すると首を切り裂かれかねない。悪辣な罠だ。

 

(視線を下に向かせて、本命は上ってこと?)

 

 地面の罠に意識を集中させているところを狙った、二段構えの罠。

 

「……完全に裏をかかれた」

 

 ラヴィーネが目のあたりを手で覆っている。肉体的なダメージとしては軽傷の部類だが、精神的なダメージは大きい。

 

 カンネが戦慄する。そして怒りが湧いた。

 ラヴィーネが弱っている。ラヴィーネが傷ついている。ラヴィーネが!

 

「うおりゃああああああああああああ!」

 

 獣のように叫びながらカンネは駆けだした。

 特攻精神を発揮したわけではない。

 手のひらに大きめの防御魔法を展開し、無理やり罠を突破する。

 

 バヂン! バヂン! バヂン!

 

 カンネの防御魔法が、次々と魔力の糸に激突し、火花のような光を散らす。糸は一本、また一本と断ち切れていく。

 

「カンネ! 無茶だ」

 

 他にも罠があるかもしれない。魔力の糸はそこまでの強度ではない。しかし、例えば爆発するようなトラップが仕掛けられていたら、無事では済まない。ゴーレムでも生命を守り切れるか。

 

「もう、このまま一気に行くしかないよ! ラヴィーネは後ろを守って!」

 

「クソっ!」

 

 

 

 

 

 カンネの言葉に、今度はラヴィーネが後を追う形になった。

 後方からのゾルトラークは続いており、どんどん二人に迫っている。

 

 ラヴィーネが防御魔法を展開して、ゾルトラークを防ぐ。

 おかえしに牽制の意味でゾルトラークを放つが、相手に届いているかはわからない。

 いや、もはや塹壕の中にいるだろう。そこに沿うように撃てば、多少なりとも相手の勢いを削げるかもしれない。

 

 そこで、ようやく豆粒のような大きさだが、敵の姿を捉えた。

 

(デンケンじゃない……)

 

 魔法陣を固定砲台のように周りに侍らせ、リヒターが走りながら、ゾルトラークを放っている。

 相手のスピードは、罠を意に介することなく、こちらよりも速い。

 これはラヴィーネ達には預かり知らぬところであったが、リヒターは大地を操る魔法を得意とするのだ。小石につまずくなどという愚行を犯すはずがなかった。呼吸をするより簡単に、大地の違和を感知できる。

 

――小石の魔法を仕掛けたのも、リヒターなのだ。

 

(じゃあ、デンケンはどこに……?)

 

 ラヴィーネが、咄嗟に上空を見上げる。

 見下ろすような形で、デンケンがいた。

 側面の森を突っ切り、そこから上空を飛び上がって、ついにラヴィーネ達に追いついたのだ。

 

(おいおい。ふざけるなよ)

 

――ゾルトラーク。

 

 力はいらない。

 ただの一般攻撃魔法を、デンケンは下方にいるラヴィーネ達めがけて発射する。

 

「カンネ。伏せろ!」

 

「え?」

 

 ただ前に行くことに注力していたカンネは、デンケンの攻撃に反応が遅れた。

 

 ラヴィーネは咄嗟にカンネを庇い、防御魔法を上に向けて展開。これは防ぐ。

 

 だが、上空に陣取られている状況は最悪の一言。身をひそめる場所もなく、仮に上空に飛び上がっても、熟練の魔法使いであるデンケンに勝てるイメージは湧かない。

 

 つまり――。つまりだ。

 この地獄の道をつっきるほかない。

 

 ゾルトラーク! ゾルトラーク! ゾルトラーク!

 後方と上空からの立体挟撃。

 殺意すらこめられていないソレは、獲物を追いこむための、ただの牽制射撃だ。

 ふたりが絶望ですりつぶされるのを、ただじっと待っている。

 

「うう……もう、無理ぃ……!」

 

 カンネは、もはや半泣き状態だ。

 先ほどの勇ましい姿はどこへやら、泣きべそをかいている。

 

「しっかりしろ! 止まったら終わりだぞ!」

 

 ラヴィーネはカンネの腕を強く引き、再び走り出す。上からはデンケンの牽制、後ろからはリヒターの追撃。まさに四面楚歌。この狭い塹壕は、いつの間にか死地へと変貌していた。

 

 地獄の苦しみは、それから五分……いや、三分。もしかしたら三十分は続いただろうか。

 時間間隔が狂い、はっきりとした経過はわからない。

 

 ようやく塹壕の終わりが見えてきた。

 

 そこで、上空から悠々と見下ろすデンケンが、初めて口を開いた。

 

「お嬢さんがた。取引をせぬか」

 

「取引だと……」ラヴィーネがデンケンをにらみつけた。

 

「言うまでもないが、儂らはシュティレを欲しておる。お嬢さんがたを不必要に傷つけるつもりはない。今、シュティレを手放せば、失格にはさせぬと約束しよう。まだ時間はある。六時間ほどといったところか。二匹目を狙えばよいだろう?」

 

 リヒターがどんどん近づいている。

 包囲が完成したら逃げきれないだろう。

 迷ってる暇はない。だが――、試験合格の可能性はどちらが高いだろうか。

 逃走という名の戦いを続けるか。それとも、一時的に恭順を示すべきか。

 ラヴィーネは迷う。

 

『ふたりに任せたよ』

 

 そう、フリーレンは言っていた。

 任せられたのだ。

 

「誰が従うかよ!」ラヴィーネは言った。言って、カンネも力強く頷いた。

 

 道はもう決まっている。ふたりは駆けだす。

 

「愚かだな。状況判断も碌にできんとは」

 

 デンケンの杖に力が宿る。

 それまでの一般攻撃魔法とは明らかに違い、溜めを必要とする大技だった。

 

――裁きの光を放つ魔法(カタストラーヴィア)

 

 絶え間のない光の矢。

 フェルンが放った飽和ゾルトラークに似た、魔法の連撃である。

 

 楕円軌道を描きながら、光の矢は塹壕の出口に向かうラヴィーネ達の背中を容赦なく襲う。一撃でも当たれば、防御魔法を展開したところで無意味。反撃は不可能だ。身動きすらとれない。それほどにこの魔法には隙がない。

 

――出口。

 

 手が届く。魔法が追いつく。

 

「詰めろ、だ」

 

 強烈な炸裂音が辺りに響き渡り、豪音とともに土煙が広がった。

 

 

 

 

 

 ラヴィーネ達の姿が煙の中に消えるが、そのままデンケンは魔法を放ちつづけていた。

 油断はしない。容赦もしない。それが敵と対峙する際の、彼の流儀だったからだ。

 

 土煙の中で、二人は互いの身体を寄せ合い、必死に耐えていた。

 塹壕の出口には辿りついた。ようやく地獄が終わったかに思えた。

 

 しかし――塹壕を抜けたからといってなんだというのだろう。

 そこにはまた開けた道しかなかった。多少は回避がしやすくなるだろうが、状況的に変わるわけではない。いや、むしろ――この状況から打開できるのか。

 

 ラヴィーネとカンネはふたりして防御魔法を全面展開している。

 二重の防御魔法がふたりを覆い、一枚が破れたら、次の一枚を。そうやってひとりが崩れたらもう片方がそれを支え、なんとか、この息もつかせぬ猛攻を耐えしのいでいる。

 

(反撃どころか。動けねぇ……)

 

「ダメ……もう、もたないよ!」

 

 カンネの瞳から涙が溢れる。

 

「諦めるな、カンネ……! フリーレンが……!」

 

 ラヴィーネは、意識が遠のきそうになるのを必死に堪える。

 

――そして、ついにカタストラーヴィアの嵐が止んだ。

 

 だが、それは新たな絶望の始まりを意味していた。

 デンケンが、ゆっくりと煙の晴れ間に姿を現す。その手には、再びゾルトラークの光が灯っていた。大技の連発はできずとも、一般攻撃魔法一発程度なら撃てるのだろう。

 

 このクソ爺はどこまで……。

 

「見事だ。あの攻撃を耐えきるとはな。だが、それもここまでだ」

 

 ラヴィーネもカンネも、もはや防御魔法を展開するだけの魔力は残っていない。

 ゾルトラークがラヴィーネに向けて放たれる。防御不能。回避不能。

 

――詰み。

 

 デンケンがかすかに笑みを浮かべる。終わったことへの安堵からか。

 

「耄碌したな。ジジイ!」

 

 ラヴィーネは咄嗟に、抱えていたシュティレの入った鳥籠を盾のように前に突き出した。

 

 ガリン!という硬質な音が響く。

 ゾルトラークは分厚い鉄板に当たったかのように、かき消えた。

 

「なっ……!?」

 

 デンケンが、わずかに目を見開く。

 鳥籠も、そしてその中にいるシュティレも、異常なまでに頑丈なのだ。

 試験官が言っていたことだった。デンケンも忘れていたわけではない。

 だが、デンケンは、小娘たちを必要以上に傷つけないよう、知らず手加減をしていた。

 容赦しないといっても、それには覚悟が要する。

 最後の一撃が、頭部といった即死する可能性のある部位を狙わず、腹部を狙ったのもそのため。

 その致命的な油断を、ラヴィーネはついた。

 

 カンネも――!

 

 ラヴィーネが何をするか前もって打ち合わせていたわけではないが、ふたりは長年連れ添った幼馴染でもある。呼吸をぴったりと合わせ、ラヴィーネが作り出した隙を――驚き一瞬硬直しているデンケンを――ゾルトラークで狙う!

 

 

 

 

 

「むぅ!」

 

 デンケンは防御魔法を展開するが、その顔はいつも以上にいかつい表情をしていた。

 怒り。自身の油断に対する怒りだ。

 

「油断したな。爺さん」

 

「窮鼠に噛まれたのは儂か」

 

 デンケンが、チラリと塹壕に視線をやる。

 

 先ほどの大技のせいで、リヒターは足を止めざるを得なかった。巻きこまれる可能性があるのだから当然だ。追いつくまでにかかる時間は、三十秒ほどだろう。短いが長い。数的有利を放棄して、ここで戦い続けるべきか。それとも、合流すべきか。

 

 ラヴィーネ達の消耗は激しい。あと一押しといったところ。

 だが、今の一撃を防げたのは、運がよかったからだ。

 まかりまちがえば、あわや失格ということもありえた。

 

「いくぞ。カンネ。いまのうちだ」

 

 慎重派の彼は、冷静に状況を分析し、森の中に逃げこむラヴィーネ達を見送った。

 

「なにやってる。デンケン! 逃がしたのか」

 

 追いついたリヒターが、声を荒げる。

 

「もはや抵抗する力はほとんど残っておるまい……。だが、小娘ども。なにか策があるな。このような絶望的状況においても、目に光があった」

 

「そんなものは踏み潰せばいいだろう」

 

「若者は血気盛んでいかんな。だが、時を稼がれてはたまらんのも確か、か……。いくぞ」

 

 デンケン達は暗い森の中に足を踏み入れる。

 静寂があたりを包みこんでいるが、このあたりは魔力の探知がきわめて難しい。

 

 それほどまでに、

 

――焼肉の臭い。

 

 が、充満している。

 

 このあたりは、フリーレンが昨晩いたところ。北西の付近。

 動物や魔物に、体から良い匂いがでる魔法を使って、デコイ作戦を決行した場所だ。

 

 そこにさらに、白い靄のようなものが辺りを覆っている。

 霧だった。森の中の一区画に、魔力の匂いがかすかに混ざっている。

 

 二重の欺瞞分子によって、HUDどころか、通常の魔力探知もまったく働かなくなっている。

 

「……この霧は、水を操る魔法の応用だな」デンケンが辺りを油断なく窺う。

 

「デンケン。さっきの場所でしとめるべきだった」

 

「そう言うな。おそらくこれが小娘どもの策なのだろう。相手の位置がわからぬのは向こうも同じ。今はじっと身を潜めておる状況だ」

 

「時間切れを狙ってるのかもしれんぞ」

 

「だろうな」

 

「何か策があるのか?」

 

「まあ見ておれ。これほどの霧を発生させるには、ある程度の大きさの水場が必要なはずだ」

 

「森を燃やしつくせばいいだろ。あんたならそれくらい容易いはずだ」

 

「魔力の消費が大きい。それに視認できぬ状態で、森を燃やせば、たとえ小娘どもを失格にさせることができても、シュティレも失ってしまうかもしれん」

 

「霧を消す魔法は使えないのか?」

 

「使えん。若造よ。おぬしはどうだ」

 

「無理だ」

 

「なら、儂の言う通りにするほかあるまい」

 

「そこに今もあいつらがいるとは限らないだろ」

 

「無論。そのとおりだ。儂が狙っているのは小娘たちではない」

 

 ここで言い合っててもしかたないと思ったのだろう。

 リヒターは口をつぐんで、デンケンのあとを無言で追った。

 

 

 

 

 

 デンケンは、時折立ち止まり、杖で地面を軽く叩いたり、あるいは指先で空気の流れを確かめるようにしたりしながら、慎重に進んでいく。その姿は、まるで森の奥深くに潜む獲物を狩る、老練な猟師のようだ。

 

「水脈が地下を流れておる。近いぞ」

 

 そして、ほどなくして見つけた。

 

 そこは背後にある切り立った崖のような場所から、水が滝のように流れ、プール一杯分ほどの泉を形成していた。他の生物の姿は見当たらないが、普段はここが水飲み場になっているのだろう。

 

「やはりいないな。それで、どうするつもりだ?」

 

 リヒターが周りを探知しようとするが、ごく短い範囲でしかHUDは効かない。

 

「若造。覚えておけ。水は方円の器に従い、霧は水の来し方行きしところに従う」

 

 デンケンは杖をかかげる。

 

 ドマイナーな、ある特定の状況下でしか使いどころのない霧を晴らす魔法とは違い、デンケンが使おうとしているのは、魔法学校で習うようなオーソドックスといっても良い魔法。この世界に広く分布し、そして誰もが触れたことのある物質。それを手足のように動かす魔法。

 

 すなわち『水を操る魔法』である。

 

 デンケンの詠唱と共に、杖を中心に魔法陣が広がり、地面から勢いよく水柱が立ち昇った。それは、まるで意思を持った竜のように天へと駆け上がり、周囲の霧を力強く巻き込み、そして霧散させていく。

 

 魔法とはいっても、そのイメージは物理法則に縛られる。

 人間の固定観念が、そのようにさせてしまうのだ。

 逆もまた然り。物理法則が魔法を強化するということもありえた。

 

 霧は、微粒子状の水分子である。水滴どうしを近づけたらまるで磁石のようにくっついて大きな水滴になることは、魔法学校の初等部でも知っていることだった。

 

 だが、その知識を魔法に転用しうる存在は少ない。デンケンほどの知識と経験がなければ、これほどに容易く事は成せなかっただろう。

 

 デンケンは、魔力をほとんど消費することなく、霧を晴らしてしまった。

 先ほどまで白い帳に閉ざされていた森の景色が、再びその全貌を現した。

 

「……見つけたぞ、小娘ども!」

 

 デンケンのモノクルの奥の瞳が、鋭く前方を捉えた。

 

 霧が晴れた先、およそ100メートルほど離れた場所に、息を切らせて立ち尽くすラヴィーネとカンネの姿があった。ふたりは、突然霧が晴れたことに驚き、そしてデンケンたちの姿を認めて、顔から血の気が引いていくのが見て取れた。

 

 ふたりが、なりふりかまわぬ逃走を再開する。

 

「逃がすか!」

 

 リヒターが、デンケンの指示を待たずして駆け出す。

 デンケンもまた、杖を構え直し、ラヴィーネたちへと狙いを定める。その老獪な顔には、獲物を追い詰めた狩人のような、冷たい笑みが浮かんでいた。

 

 リヒターの背後から、曲射した光線を放つ。

 その攻撃は、ふたりには当たらず、大地を穿つのみだったが、足止めするだけで十分だ。

 

「もはや、策は尽きたようだな」

 

 デンケンの声と共に、彼の杖先から再びゾルトラークの光が放たれる。

 

 ラヴィーネは、咄嗟にカンネを突き飛ばし、自身も地面を転がるようにして回避する。白い光線が、先ほどまで二人がいた場所の地面を抉り、土煙を上げた。

 

「カンネ、走れ! あと少しで、()()()()だ!」

 

 ラヴィーネは叫びながら、必死に立ち上がり、再び走り出す。カンネも、涙をこらえながら、その後に続く。シュティレの入った鳥籠が、カンネの腕の中でガタガタと揺れる。

 

「隠れ鬼の次は駆けっこかよ。かんべんしてくれ」

 

 リヒターが追いすがる。オッサンにとってはきつい。

 

 だが、逃走は長くは続かなかった。

 もはや彼女たちに逃げ場はなかった。

 ふたりが駆け出した先は、行き止まりだったのだ。

 

 目の前には、切り立った巨大な崖が、まるで巨大な壁のように立ちはだかっていた。左右を見ても、迂回できるような道はない。

 

 空を飛んで逃げようにも、その瞬間に狙い撃てばいい。

 

 デンケンがリヒターに追いつく。

 どこからどうみても『詰み』だ。投了しないのは、ここまで戦った意地があるからだろう。

 敬意をもって、叩きのめす。それが魔法使いの流儀。

 

 いや――。

 

(あの目は……)

 

 わずかに嫌な予感がする。政治家としていくつもの政争をのりきってきた彼だからこそわかる。

 まだ、諦めていない。

 

 それに――()()()()、とは?

 

「ここまでだな」リヒターが言いながら、地面に手をつける。

 

「ああ、ここまでだ。ようやく辿りついたぜ……F3に」

 

 ふたりは互いをかばいあうようにして、目だけは死んでいない。

 

「何を言っている?」

 

「待て! リヒター!」デンケンが声をかけるが、もう遅かった。

 

――ゾルトラーク。

 

 崖の上、ラヴィーネたちの頭上から、一条の白い閃光が迸った。

 

 大地に手をついているという不利な態勢からは、まともに避けることもできず、リヒターは防御魔法を展開して――、一秒も持たない。割れる。

 

 そのまま数メートル先の樹木に、リヒターは叩きつけられた。

 

「……これが、おぬしらの策だったか」

 

 崖の縁に、一人の人影が静かに立っていた。

 雪のように白い髪が、湿り気を帯びて濡れている。服も体も同様に、肌に吸いつくように、ぴったりとくっついている。

 おそらく水中に身を浸したのだろう。

 それで、わずかながらも脱臭し、周りの焼肉動物のなかにまぎれさせた。

 このような間抜けな罠に引っかかるとは。

 

「待たせたね」

 

――葬送のフリーレン。約束の場所に到着す。

 

 

 

 

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