魔族少女のエロタナティブ   作:アナリザンド

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最後の戦い

 

 

 

 パタパタと雨だれの音だけが響く。

 ゼーリエの結界が傘のような役割をし、雨粒は地上に降りそそがない。

 

 そんななか、フリーレンが、ふわりと地面から浮き上がった。特別な魔法を使ったようには見えない。まるで呼吸をするように自然に、彼女の身体は宙へと舞い、デンケンを見下ろす位置で静止する。その姿は、長年連れ添った相棒であるかのように、風と調和していた。

 

(飛行魔法も魔族並か……)

 

 デンケンもまた、遅れることなく飛行魔法を発動させる。老練な魔法使いらしく、その動きに無駄はない。フリーレンと視線の高さを合わせるように、ゆっくりと上昇していく。

 

(フリーレンは消耗している……それは間違いない。だが、儂とて万全ではない。ならば、精神力の戦いだ。根性なら、老いたりとはいえども、このデンケン。こんな小娘なんぞに負けん)

 

 根性論だった。

 

 もちろん、デンケンは己の魔力がフリーレンに劣るであろうことは理解していた。だが、長年、宮廷魔法使いとして数々の修羅場を潜り抜け、政争の濁流を泳ぎ切ってきた自負がある。

 

 精神力において、この若い(外見はだが)エルフに負けるつもりは毛頭なかった。

 消耗戦? 上等である。 根性論? むしろそれがいい。

 人間が他の生物より有利な点は、その持久力にある。諦めの悪さがそうさせる。

 

 デンケンは、リヒターの勝利を確信していた。いかに魔法はイメージの世界といえども、練度の差がありすぎる、あの世の中を斜にかまえて見ている若造のことが、デンケンは嫌いではない。

 

 ならば、自分がなすべきことは時間を稼ぐこと。

 

「まずは、挨拶代わりといくか」

 

 デンケンは、杖先に魔力を集中させ、鋭い眼光でフリーレンを捉えた。

 

――ゾルトラーク。

 

 一般攻撃魔法が、フリーレンに向かって伸びる。

 当然――防がれる。

 防御魔法を軽く張っただけで、動揺はまったく見られない。

 それどころか、魔力の揺らぎすらも。

 

 ()()()()だ。

 

 デンケンは、フリーレンの揺るぎない防御を見て、内心で頷いた。

 この程度の攻撃で動揺する相手ではないことは百も承知。

 重要なのは、ここからどう揺さぶりをかけ、時間を稼ぐかだ。

 

「ふむ。さすがはフリーレン。挨拶代わりの一撃では、びくともせぬか」

 

 デンケンは、挑発とも賞賛ともつかない言葉を投げかけながら、再び杖先に魔力をこめる。

 

――ゾルトラーク。ゾルトラーク。ゾルトラーク。

 

 今度は連続して、しかし威力は抑えめに、フリーレンの周囲へと散らすようにゾルトラークを放つ。魔力は最小限でいい。このような攻撃でフリーレンを打倒できるとは毛ほども思っていない。

 

 狙いは、フリーレンそのものではなく、彼女の集中力を削ぎ、そして崖の上の戦況を気にさせること。

 

 フリーレンはカンネたちのことを気にかけていた。本当の弟子ではないとも言っていたが、それはデンケンも同じこと。彼もまた、弟子でも孫でもないラオフェンのことを気にしている。弟子の勝利を信じていないわけではない。だが、それとこれとは話が別。

 

 ここではないどこかで戦っているであろう庇護すべき存在を気にかけてしまう。

 それが、師という存在なのだ。デンケンにはフリーレンの心が手に取るようにわかる。

 

 フリーレンが、ほんのわずか、煩わしそうに顔を振ったように見えた。

 

(やはり、気にしておるな。あの小娘たちのことを)

 

 デンケンの口元に、かすかな笑みが浮かぶ。フリーレンほどの魔法使いが、弟子のことを気にかけないはずがない。そして、その気遣いこそが、彼女の最大の隙となり得る。

 

「どうした、フリーレン。やはり弟子御のことが気にかかるか?」

 

「弟子じゃないって言ってるでしょ」

 

 フリーレンの口調はあいもかわらず平らかだ。

 反撃のゾルトラークも、フリーレンにしては、直線的でひねりがない。

 それは、焦りの表れか、あるいは魔力の温存か。

 

(どちらにせよ。好都合だ)

 

 デンケンは、さらに攻撃の手を緩めず、しかし決定的な一撃は放たない。じわじわと、フリーレンの精神を削り取るように、執拗なまでにゾルトラークの応酬を続ける。時折、飛行魔法で位置を変え、フリーレンに的を絞らせないように立ち回る。

 

 追尾式のゾルトラークが、デンケンを追う。

 しかし、その執拗な動きが、むしろフリーレンの焦りをあらわしている。

 

 そして、デンケンは気づいていた。フリーレンの視線が、時折、自分から外れ、この試験区域全体を覆う広大な結界の、特定の一点へと鋭く注がれていることに。

 

(あの視線。そして、あの小娘……カンネとか言ったか。あやつは確か、水を操る魔法を得意としていた。先ほどの霧も、おそらくあの小娘の仕業だろう。霧を発生させるには、相応量の水分が必要だ。だが、この結界は雨すら通さん……)

 

 デンケンの脳裏で、バラバラだった情報が急速に繋がり始める。フリーレンの焦り。カンネの水の魔法。そして、結界に向けられるフリーレンの鋭い視線。

 

(……まさか、このエルフ……この状況で、ゼーリエの結界を解除し、雨を降らせるつもりか!? あの小娘たちのために……!)

 

 その突拍子もない結論に、デンケン自身も一瞬驚きを禁じ得なかった。だが、辻褄は合う。フリーレンほどの魔法使いが、単に弟子たちの戦況を心配して集中力を欠くとは思えない。彼女の行動には、常に明確な目的があるはずだ。そして、その目的が『カンネの援護』であるならば、結界解除は極めて有効な手段となり得る。

 

 だが――。

 

 デンケンはアナリザンドの言葉を思い出す。

 

『フリーレンって、ネットすら使えないんだよ。ありえないよね』

 

 だから、コミュニケーションを測れない。

 だから、気だけが焦っている。

 姿すらみえない弟子たちに手を貸そうと気が逸る。

 なんという純粋な。なんという潔癖症。

 

「貴様の狙いが読めたぞ。フリーレン。結界は解除させん」

 

「!」

 

 フリーレンの冷静さに、初めて明確な亀裂が入った。

 デンケンは、その瞬間を見逃さなかった。

 

 HUDを使った短距離通信。本来声が届かぬはずのリヒターの元へデンケンの指示が飛ぶ。

 

「リヒター! 今だ、突き上げろ!」

 

 フリーレンの背後から、巨大な大地が錐と化す。

 目視しているわけではないから、狙いはHUDを使った大雑把なもの。

 だが、それでいい。フリーレンは一瞬気をとられ、大きくバランスを崩しながら、大地の錐を避ける。

 

 デンケンは溜めていた魔力を一気に放出する。

 

――竜巻を起こす魔法(ヴァルドゴーゼ)

 

 周囲の岩盤を巻きこみながら巨大なハリケーンが出現する。

 

――風を業火に変える魔法(ダオスドルグ)

 

 間髪入れずに放たれた特大級の魔法によって、竜巻に炎がまきとられ、地獄の業火が顕現した。

 フリーレンの白い髪を、炎の竜巻が飲みこんでいく。

 

 

 

 

 

 ヴァルドゴーゼによって生み出された巨大な竜巻は、ダオスドルグの炎を纏い、触れるもの全てを焼き尽くさんばかりの勢いで荒れ狂っていた。常人ならば、その熱量と圧力だけで意識を失いかねない、まさしく必殺の連携魔法。

 

 デンケンは、荒い息をつきながらも、その光景を凝視する。消耗しているとはいえ、フリーレンほどの魔法使いだ。この程度で終わるとは思っていない。だが、少なくとも大きなダメージは与えられたはずだ。

 

 炎渦の中心で、フリーレンの姿はもはや見えない。

 ただ、ゴウゴウという炎の咆哮と、竜巻が大地を削る轟音だけが響き渡る。

 

 その、刹那だった。

 渦巻く炎の中心から、一点、凍てつくような冷気が迸った。

 それは、灼熱の業火の中にあって、あまりにも場違いな、絶対零度を思わせる冷たさ。

 

「なっ……!?」

 

 デンケンは目を見開く。

 次の瞬間、炎の竜巻の中から、無数の鋭利な氷の矢が、まるで意思を持ったかのように四方八方へと撃ち出された。一本一本が、竜巻の炎を貫き、その勢いを削ぎ、そして周囲の大気を急速に冷却していく。

 

「――氷の矢を放つ魔法(ネフティーア)

 

 フリーレンの、凛とした声が、炎と氷のせめぎ合う音の狭間から、確かに聞こえた。

 それは、先ほど崖の上でラヴィーネが使っていたものと同じ名の魔法。しかし、その規模も、威力も、そして何よりも込められた魔力の質が、まるで違う。ラヴィーネのそれが鋭い氷の針だとしたら、フリーレンのそれは、全てを凍てつかせる吹雪のようだ。

 

 ジュウウウウッ!という激しい音と共に、炎と氷が激しく衝突し、大量の水蒸気が発生する。視界が一瞬にして白く染まる。竜巻の勢いは明らかに衰え、炎の色も赤からオレンジへ、そして黄色へと弱々しく変化していくのが、デンケンにも見て取れた。

 

(あの小娘の魔法を……! いや、それ以上の精度と威力……! この状況で、これほどの魔法を……!?)

 

 デンケンは戦慄した。フリーレンは、デンケンの大技に対し驚くほど冷静に、そして的確に対処してきたのだ。それも、先ほどまで弟子たちが使っていた魔法を、より強力な形で。

 

(まるで弟子たちに見せる指導試合ではないか……)

 

 魔法とはこう使えと言わんばかりに、同じ魔法を使って、事を成す。

 

 持久戦を続けていれば、あるいはフリーレンの焦りをもっと引き出せたかもしれない。

 リヒターがふたりを仕留めきれていたかもしれない。

 

 だが、後悔しても遅い。

 大技を連発したことで、デンケンの魔力は切れかかっている。

 

 ここで仕留めなければ、やられる。

 

――裁きの光を放つ魔法(カタストラーヴィア)

 

 デンケンは自身の持つ最大火力の魔法を放つ。

 

 いや、正確には放とうとした。瞬間、まとわりつく魔力の幻視。

 

 水蒸気の狭間から、翆色の眼差しが、デンケンを貫いている。

 

(まずい……これは!)

 

()()()!」

 

 精神操作魔法。術式は古く、純粋な精神魔法の担い手からすれば、明らかに力業。

 だが、フリーレンの魔力をもってすれば、デンケンを一瞬、拘束することは容易い。

 

「むおおおおお!」

 

 デンケンが全身に力をいれた。いま動かなければ確実にやられる!

 精神拘束を解こうと、必死にばたつかせる。もがく。あがく。

 その姿はお世辞にもカッコいい魔法使いの姿とは程遠い。

 

 だが、それでも良い。それこそが人間の魔法使いだ。

 デンケンがなんとか精神魔法を脱した。

 

 かかった時間は、わずか数秒。

 これほどの魔力を用いた精神操作魔法を数秒で脱したのは、世界新記録だろう。

 

 しかし、フリーレンは既に()()を終えていた。

 

 先ほどの氷と炎の竜巻のぶつかり合い。

 そこに生じた多量の水蒸気。微粒子状の水。

 

 それがフリーレンの頭上に集まり、巨大な水球を成している。

 その巨大な質量体が、津波のように飛来したら――。

 

 水の壁が迫ってくるようなものだ。

 ゾルトラークのようなエネルギーを放つ魔法では、圧倒的質量の暴力に対抗しえない。

 

「――水を操る魔法(リームシュトローア)

 

 フリーレンの静かな声が響く。

 

 目の前に、絶望的なまでの水の質量。

 巨大な水球。

 津波。壁。

 

(まずい……!)

 

 デンケンは直感した。これは、避けられない。

 ゾルトラークでは、押し返せない。

 魔力は、ほぼ尽きている。

 

――だが、ここで終わるわけにはいかない!

 

 デンケンは、残された最後の魔力を振り絞る。

 得意な魔法ではない。だが関係ない。

 魔法はイメージ。

 この水の塊を、儂の支配下に!

 

「――水を操る魔法(リームシュトローア)!」

 

 杖を突き出す。

 フリーレンの水球に、デンケンの魔力が触れる。

 

 混ざり合え! 奪え! 支配しろ!

 

 水球の表面が、わずかに揺らいだ。

 

 いけるか!?

 

(儂とて、宮廷魔法使い!)

 

 長年培ってきた魔力操作の技術。

 その全てを、この一点に集中させる。

 

 水球が、歪む。

 

 楕円形に。

 

 フリーレンの魔力と、デンケンの魔力が、激しくせめぎ合う。

 まるで、二つの巨大な意志が衝突しているかのようだ。

 

 ギギギギギ……!

 

 軋むような音が、大気を震わせる。

 水球の中心が、赤血球のように窪んでいく。

 

 拮抗している? いや、違う! 押されている!

 

 あれほどの魔力を放っておきながら。

 あれほどの受験者たちを葬っておきながら。

 

 これだけの余裕があるというのか。

 

(……まだ、だ……! まだ、押し返せる……はずだ……!)

 

 デンケンの額に、脂汗が噴き出す。

 腕が、肩が、全身が悲鳴を上げている。

 だが、退くわけにはいかない。

 

 フリーレンの翠色の瞳が、冷ややかにデンケンを見据えている。

 その瞳の奥に、揺らぎはない。

 まるで、この結果を予期していたかのように。

 

(……くっ……この、焼肉エルフめ……!)

 

 魔力の奔流が、デンケンの身体を内側から焼き尽くすようだ。

 

 限界が近い。

 水球の歪みが、徐々にフリーレン側へと押し戻されていく。

 デンケンの魔力が、フリーレンの圧倒的な魔力の前に、蹂躙されていく。

 抵抗が、無意味になっていく。

 

(……儂の……負け、か……)

 

 ついに、デンケンの魔力が尽きた。

 糸が切れたように、彼の身体から力が抜ける。

 

 ゴオオオオオオオオオオオオッ!!

 

 フリーレンの操る巨大な水の質量体が、抵抗を失ったデンケンを、容赦なく飲みこんだ。

 

 

 

 

 

 水の奔流が収まった時、デンケンは泥まみれになりながら、地面に大の字に倒れ伏していた。見る者が見れば、不格好なムツゴロウのように見えただろう。

 

 かろうじて意識は保っているものの、全身は激しく痛み、指一本動かすことすら億劫だった。魔力は完全に枯渇し、もはや抵抗する力は残されていない。

 

「はぁ……はぁ……ぐっ……」

 

荒い息と共に、口の端から血が滲む。

 

(……ここまで……か……)

 

 デンケンのモノクルはどこかへ吹き飛び、杖もどこかにいってしまった。

 その素顔には、深い疲労と、そして完膚なきまでの敗北感が刻まれていた。

 

 フリーレンは、そんなデンケンを一瞥する。その表情に変化はない。

 彼女は、おもむろに視線を上げ、この試験区域全体を覆う広大な結界の一点を見据えた。

 

 次の瞬間、フリーレンの杖先から、巨大な魔力の探針が柱のようにたちのぼり、結界の頂点部分に触れる。まるで精密な機械が作動するように、彼女の魔力が結界の術式構造へと静かに浸透していく。その翠色の瞳は、複雑怪奇な魔力の流れを淡々と解析し、構造の脆弱な一点を特定しているかのようだ。

 

 パリン……という、ガラスが割れるような微かな音が、静寂の中に響いた。

 

 それと同時に、試験区域を覆っていた強固な結界の一部に、目には見えないほどの小さな亀裂が生じた。亀裂は結界全体に広がり、ダムが決壊するように、結界全体を一瞬で破壊した。

 

 ザーッという音と共に、結界の外で降り続いていた雨が、勢いよく試験区域内へと流れこみ始める。まるで、閉ざされていた水門が、一斉に開かれたかのように。

 

 フリーレンは、その結果に満足したかのように、薄く笑っている。

 

 デンケンは、片膝をたてて、なんとか座位は確保した。

 だが、フリーレンはデンケンのほうに視線すら寄こさない。

 もう戦いは終わった、とでもいうように。

 

(油断……)

 

 そう、フリーレンは油断している。

 目標を達成できたことに。

 カンネの放つ魔法が、リヒターを打倒するであろうイメージに。

 確かに、あの水を操る魔法を見れば、誰もが雨の中、勝つイメージを抱くことは難しいだろう。

 デンケンですら、もはやリヒターが小娘どもに勝つイメージは湧かない。

 

(まだだ……)

 

 デンケンは、最後の力を振り絞るように呻き、震える手で地面を押し、ふらつきながらも立ち上がろうとした。杖は吹き飛んでしまった。魔力もほとんど残っていない。それでも、宮廷魔法使いとしての、そして一人の男としての意地が、彼に最後の抵抗を促す。

 

 フリーレンは結界を破壊し、その達成感からか、こちらに背を向けようとすらしている。これほどの油断、これほどの隙を見逃す手はない。

 

「まだ、終わらんぞ……フリーレン……!」

 

 か細い声で、確かな闘志をこめてデンケンが叫び、フリーレンへと手のひらを向けようとした、まさにその瞬間。

 

 フリーレンは、デンケンのその最後のあがきを予期していたかのように、いや事実予想していたのだろう。杖でトンと地面を叩いた。この魔法は設置型なのだ。

 

――小石で躓かせる魔法。

 

 ポコ。

 

 土の中から、わずか3センチほどの小石が盛り上がり、デンケンは態勢を崩す。

 圧縮されたゾルトラークは、左斜め上に逸れ、フリーレンは軽く顔を傾けるだけで、最後の一撃を避けた。

 

「馬鹿な……」

 

 結界を破壊するという大魔法で目を奪い、周到に地にはトラップをしかけていた。

 最後にデンケンが必ず一撃を加えてくると予想して。

 フリーレンは油断していなかったのだ。

 

 デンケンの足が絶望に震える。

 デンケンの口は言葉を失った。

 

 自分の最後の意地が、こんな、あまりにもくだらない、あまりにも単純な魔法で、完全に打ち砕かれたというのか。

 

 もはや、魔力は完全に尽きた。意識が、急速に遠のき、地面が近くなる。

 

 フリーレンが、ゆっくりとデンケンに近づいてくる。

 その濡れた髪が、彼女の白い肌に張り付いていた。雨は勢いを増し、彼女のローブを重く濡らしている。死刑執行の足音が確実に忍び寄ってくる。

 

 彼女は、倒れたデンケンを見下ろし、静かに告げる。

 

「今ここで失格にしておいたほうが、後腐れなくてよさそうだね」

 

 その声は、どこまでも冷徹で、一切の感情を排していた。

 

 フリーレンは、相手が完全に戦闘不能になるまで、あるいは殺すまで、手を緩めることはない。それが彼女の戦い方だった。魔族になら、ずっとそうしてきたのだから。

 

「……フリーレン。頼む……見逃してくれ。降伏する」

 

 デンケンは、地面に顔を擦り付けるようにして懇願した。宮廷魔法使いとしての誇りも、何もかも捨てて、ただ生き残ることだけを考えた。

 

――ラオフェンがどこかで戦っている。

 

――リヒターもまだ負けてはいない。

 

 そんな若者たちの希望が、ここで潰えるのは、死ぬよりもつらい。

 

 フリーレンは、その言葉に、ほんのわずかに眉を寄せた。

 その翠色の瞳が、デンケンを見つめている。

 フリーレンの呼吸は普段よりもほんの少し浅い。

 あれだけの激闘を繰り広げたのだ。フリーレンもまた余裕はない。

 

 だから――、ここで禍根を断つ。

 

 フリーレンは杖に光の魔法を宿す。

 

――人を殺す魔法(ゾルトラーク)

 

 殺意をこめて、人を殺す。

 

「そこまでだよ」

 

 闇の中から声が聞こえた。

 

 振り向くと、アナリザンドが音もなく立っていた。

 

 

 

 

 

「フリーレン。人を殺しちゃダメって教わらなかったの?」

 

 どこか場違いなセリフ。

 もはやコントのように、魔族の少女から、人を小馬鹿にしたような言葉が漏れる。

 

「本当に殺すわけじゃない。失格にするだけだ」

 

「そんなに殺意ビンビンにさせて? 嘘をつくのは魔族だけにしてよね」

 

「それで? ようやく私と戦いにきたのか。()()()()と」

 

「うーん。まあそうかもね? デンケンお爺ちゃんはもう用済みなの。フリーレンの魔力はかなり減ってるよね。いまの万全な状態のわたしに勝てると思う?」

 

 アナリザンドは、小首を傾げ、挑発するようにフリーレンを見上げる。その瞳には、自信と、そしてどこか戦いそのものを楽しもうとするような、無邪気な光が宿っていた。

 

 フリーレンは、アナリザンドの言葉に表情を変えることなく、静かに杖を構え直す。

 確かに、デンケンとの戦いで魔力も体力も相当消耗している。

 体から良い匂いのする魔法。ベーゼの結界。焼肉臭の漂う一夜。魔法使いたちとの決闘。水浸しになってしまったお気に入りの服。デンケンとの死闘。結界の解除にも、少なからず精神をすり減らした。

 

 客観的に見れば、アナリザンドの言う通り、状況はフリーレンにとって不利と言えるだろう。

 

 だが――。

 

「勝てるとか勝てないとか、そういう話じゃない」

 

「じゃあ、どういう話?」

 

「やるべきことがあるから、やるだけだよ」

 

 その言葉は、アナリザンドの計算や挑発を、まるで柳に風と受け流すかのようだった。

 

 アナリザンドは、いつもの小生意気な笑みを浮かべる。

 

「へぇ……。相変わらず、フリーレンはフリーレンだね」

 

 アナリザンドの周囲の魔力が、わずかに揺らめき始める。それは、これまでの彼女からは感じられなかった、純粋な闘争心の発露。

 

 デンケンがアナリザンドの魔力を計測する。

 

 100……2500……42000。

 そして、あり得ない数値へ。

 

「化け物か」

 

 だが、アナリザンドは()()()()()()()()()をしている。

 フリーレンの杖の先は、もはやデンケンからはずされ、アナリザンドを狙っている。

 このタイミングで現れたのは、デンケンを助けるためだったのかもしれない。

 

 そう考えると、全身を貫くような恐ろしさが湧いた。

 フリーレンとアナリザンドは、激しい雨が降りそそぐ中。

 

――不敵に。

 

――不快に。

 

 対峙する。

 

 ザバリと、音を立てながら、リヒターが傍に転がった。

 

 

 

 








【悲報】リヒター、ナレ死する
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