魔族少女のエロタナティブ 作:アナリザンド
ゼンゼはランプをつけて夜遅くまでなにやら書いていた。
少し疲れたので、背を伸ばす。
目も疲れた。なので、目をつむる。
重力を背中に預ける。椅子がゆりかごのように揺れた。
「ゼーリエ様は何を考えているのだろうな」
もちろん、アナリザンドを弟子にしたときの話だ。
あのときのことを想起する。
ゼーリエは弟子たち一級魔法使いを自分のところに集結させた。
大事な仕事に携わっている者や、魔法都市を離れている者、体調の悪い者は除いて全員である。
「おまえたち、喜べ、私の新しい弟子だ」
ゼーリエは部屋の奥まったところの椅子で立て膝を作り座っていた。
そのとき、ゼーリエの隣には誰もいなかった。
ゼンゼは透明の魔法か、それとも、ネットを使って会議でもするのかと思ったが違った。
『こんマゾ~~~~アナリザンドだよ。アナちゃんって気軽に呼んでくれてもいいよ』
よりにもよってネットを創った魔族そのものが現れたのである。
小さな手のひらをふりふりと振って、精一杯の愛嬌をふりまいている。
おぞましいほどの人間への擬態だ。
二十数年も前から、人間の社会に突如あらわれ、インターネットという解析不能な魔法によって、社会を覆った存在。
ゼンゼもネット自体は使ったことがある。金に区別がないように知識にも区別はないと思っているからだ。魔族が使う魔法だろうが人間が使う魔法だろうが、魔法は魔法だろうという冷たい思考がある。
ただ、目の前の魔族が妹弟子になるとしたらどうだろう。
得体の知れない化け物と机を並べて学問に興じることができるだろうか。
そんなことを思ったりもする。
ゼーリエは
「おまえらしい挨拶だな。イジメられるのが好きな変態魔族め」
ゼーリエはニヤリと笑った。
『先生がイジメるのが好きなだけでしょ。いっしょにしないで』
「なんだ? 尻を叩かれたいのか。本当にどうしようもない魔族だな。赤ちゃんプレイがお望みならいくらでもかわいがってやるぞ。ほら、尻を出せ」
なんだこれ?
ゼンゼは思った。単なるイチャイチャやんけ。
孫をかまいたおすおばあちゃんである。
「あのよろしいでしょうか――、ゼーリエ様」
挙手をしたのは、レルネン。
一級魔法使いのなかでも一番手であり、高弟にあたる存在だ。
白髪の彼は、表面的には好々爺であり、大陸魔法協会においては参謀といった立ち位置になる。
その実態は、ゼーリエに操をたてているこじらせ童貞のようなものだが、まあそれもどうでもいい話だ。
「ん。なんだレルネン? 魔族を弟子にしたのが不満か?」
「いえ、そうではありません。ただ経緯をお聞かせ願いたく」
「おまえたちに一から十まで聞かせていたら、三くらいに到達したころには死んでしまう。そんなことに無駄な時間を使うくらいなら、もっと魔法を研鑽しろ」
こりゃ言う気まったくないな。
ゼンゼは思った。それにしても不可解な感覚。
どこかゼーリエが魔族をかばっているようにも見えるのだ。
まあ、どうでもいいか。
ゼンゼは雨が降ったら傘をさす、合理的な女性だ。
わざわざ暴風雨につっこんでいったりはしない。
「では、その魔族をなんとお呼びすればいいのでしょうか」
「それくらいのことも自分で考えられんのか」
「卑小の身なれば、教えていただければ――と」
ゼーリエがレルネンを見る。他方で、レルネンはじっとアナリザンドを見ていた。ゼーリエの口がつりあがる。
その刹那。
『ねえ。ゼーリエ先生。わたし、ゼーリエ先生の弟子になるだなんて一言もいってないんだけど』
「私がそうすると言ったんだ。何が不満だ。言ってみろ」
『だって、弟子ってことになると、わたしと先生は親子関係になっちゃうでしょ。急に妹ができたら、お弟子さんたちだって困惑するんじゃないかな』
驚いた。
こいつは、レルネンの殺意を一瞬で見抜き、対立を回避したのか。
その殺意というのも、自分よりゼーリエと仲がよさそうに見えるということへの子どもじみた嫉妬心ではあるが、ゼンゼにとってはどうでもいい。ただ、ここまで人間への擬態がきわまると、角さえ隠せば見分けがつかなくないか? とも思う。
それもまあどうでもいい。図書館で隣に座った人間が殺人鬼かそうでないかの見分けなどつきはしないのだから。本を読むのを邪魔されなければそれでいい。ゼンゼは平和主義者なのである。
「私と対等の関係で契約を結んだとでも言えというのか」
弟子たちの混乱もどこへやら、ゼーリエはニヤニヤ笑っている。
『うん。そうだよ』
「気に喰わんな。おまえなど弟子で十分だ」
『お弟子さんとの関係でわたしを弟子にしないでって言ってるの』
「そうか。ではレルネン」ゼーリエが言う。「おまえはこいつをなんと呼べばよいか聞いたな?」
「はい」
「だったら命じてやる。こいつは今から私の
「それはどういう……」
「鈍いやつだな。今日から、こいつを
「かしこまりました」
「ことわっておくが、こいつの魔法がおまえたちより優れているというわけではない。ただ、発想に目新しさがある。おまえたちは、おのおのの才覚でもってこいつの知識を奪いモノにしろ。鼻を擤むくらいの役にはたつだろう」
なんか急に丸くなったな。
孫ができて自然とそうなっちゃったんだろうか。
それとも、殴っても壊れないサンドバッグ?
ゼンゼにとってはどうでもいいことだけど、レルネンは嬉しさを眼差しに乗せていた。
そのあと、同僚のひとりが『やっぱり認められません』とか言い出して、レルネンが『なら出ていけよ、おめーの席ねーから』的なことを言って、ゼーリエが『争え。もっと争え』と煽りだし、場は嵐のようになったが、それすらもどうでもいい話だ。
髪が濡れなければそれでいい。
そんなわけで、ゼーリエにとってはおそらく今でも弟子なのだが、弟子たちから見ると、アナリザンドは顧問ということになっている。
顧問。
なんと曖昧で、フワフワしてて、何もしていないのになんか偉そうな響きなのだろう。
ゼーリエにとっては、なにもしなくてもそこにいてよいという承認だったのだろうか。
せいぜい利用してやろう、と思った。
「……コギト」
我を唱える。しかし、その思考は我ではない。
その誤謬を教えるために刻みこんだ、呪いのワード。
ゼンゼはアナリザンドに接続した。
『こんマゾ。どうしたの? ゼンゼせんせー。あいかわらず髪が長くて雲が流れてるみたいでキレイだね。匂いかぎたいなって思ったよ。クンクン』
鼻をつきだして嗅ぐ動作をするアナリザンド。
しかし、当たり前だが、今のところネットには嗅覚を伝える機能はない。
嗅覚は最も現実感を与えてくる感覚なので、幻想の装置であるネットと相性が悪いのだろう。
「君は匂いをかげないだろう。君のことをどう呼べばいいかな?」
『アナリザンドでいいよ』
「では聞かせてくれ、アナリザンド」
『どうぞ』
「いま、私は魔法基礎学の本を書いている。魔族の魔法体系がどうなっているか知りたい」
『比較論的な考察をしたいの?』
「そうだな。魔族とは戦争しかしていないからな。それに魔法は魔族の技術と考えられていた時期があり、焚書されていたこともある。だから不明な点も多いんだ」
『先生はもしかして先生になりたいの?』
「……考えたことはなかったな。まあ、誰かに教えたりするのは好きなほうだ」
『じゃあ、子ども向けに優しく書いたりするの?』
「君は何を言っている。一級魔法使いは魔法使いの最高峰だ。未知を踏破し、不可能にする、その道筋を少しでも後輩たちに示したい」
『先生、かわいいのにかっこいい』
「かっこいい、か。あまり言われたことはなかったな」
『かわいいはよく言われてるの? 実際かわいいもんね』
「君は対話が癒しだということを知っているようだな。だが夜も遅い。本題に入らせてくれ」
『いいよ。魔族の魔法も言い方のレベルによっては人間の魔法と変わりはないよ。だって単なるエネルギーだもん』
「そうだな。だが、魔族の魔法は解析不可能なもの、呪いと呼ばれているものもある。いずれは解呪されうるものだと信じているが、人間にとっては未知の存在であるところが大きい。インターネットもそうだ」
『換喩的な表現になるけど、わたしは魔力を性欲だと捉えているよ』
斬新な解釈。
「なら、ゼーリエ様は性欲お化けだな」
『うん。それでわたしのお尻を狙ってくるの。こわすぎるよね』
「それは怖いだろうな」
ゼンゼはブログで『今日の晩御飯はハンバーグでとてもおいしかったです』と書いたときに、ゼーリエにマジ切れされたことを思い出す。あれは本当に死ぬかと思った。本命の研究が忙しくて、午前零時をあと十分のところまで迫っていたので苦肉の策だったのだが、それが気にくわなかったようだ。後に反省文として、ブログ10日分を書かされた。
「ただ、換喩としてもどうなのだろうな。魔族は一般的に魔力が高いが、性欲という意味では薄いだろう?」
『性欲にもいろいろあるんだよ。例えば幼児は大人のようにオナニーしたりはしないけど、性欲は持っていると考えられている。幼児はよくおちんちんを触ったりするでしょ』
「考えられているって、誰にだ?」
『学問に』
「魔族に学問なんてものがあるのか?」
純粋な疑問だった。
魔族は人間の言葉を学ぶ。独自の言語体系や文化というものを持たない。
人間と戦争するために組織化することはあるが社会化することはない。
彼等には大衆というものが存在しない。
だから答えは決まっていた。
『いいえ。これは人間の学問だよ』
と、アナリザンドは言った。
「思考と試行を積み重ねればいつか辿り着けるということか」
『うん。そうだよ』
「では――、私はいまカンニングをしているようなものなのか?」
『べつに誰が発案したかとかどうでもいいと思うけど、魔法は魔法でしょう?』
「そのとおりだな」
『話を元に戻すけど、魔族が人を喰べるっていうのもずいぶん性欲っぽいよね』
「考え方次第ではそうだろうな。どこかの幻想譚では、血を吸う悪鬼が書かれていたが、吸血の際に、エロティシズム溢れる描写をされることが多い」
『そういうこと。これは愛の変遷でもある。自体愛から自己愛へ、自己愛から部分的対象愛へ、部分的対象愛から対象愛へ。人間は最後の愛を愛と呼ぶけど、愛にもいろいろあるんだよ。だから性欲もいろいろあるってこと』
「その関係図だと、魔族はどのあたりにいる?」
『自己愛くらいはあるよ。がんばれば部分対象愛もいけるかも』
「それは君の症例かな? それとも魔族一般に言えることかな」
『わたし、他の魔族と話したことないよ。だから統計的な推測になるけど、たぶん自己愛かな? 自己愛っていうのは、要するに対象を自己に取り込もうとすること、破壊するということ、つまり噛むことだから、食人衝動ということになる。魔族の性欲はタナトスを下敷きにしている』
「魔族が食人衝動をもっている理由がそれか」
『うん。これでわかったでしょ。魔族は闇の魔法を使い、人間は光の魔法を使っている。まあ、正確に言えば、光あるところに影の力ありなんだけどね』
「君の魔法理論を解析するだけでも100年くらいはかかりそうだ」
『でもいつかは辿り着けるよ。人間は未知と出逢いたいからそうするんでしょう』
「そうだな」
ゼンゼはかたわらに置いてあった紅茶をのんだ。
少し頭痛がする。けれど、それは頭を使っている時の心地よい痛みだ。
悪くない感覚。
「そういえば、インターネットも闇の魔法なのか?」
『いいえ。違うよ』
「では光魔法?」
『いいえ』
「光でも闇でもない?」
『いいえ。光でもあり闇でもある。エロスとタナトスの舞踏のようなもの。互いが互いを犯しあい、光が闇を引き裂き闇が光を喰らうことで二者択一式にあらわされる動的な位相転移』
「それは、途方もないな……生と死を瞬間的に切り替えるようなものだろう。尋常のやり方ではない。生身でその演算をなしうる人間なんてこの先出てくるのか?」
『代わりに計算してくれる死にやすくて生きやすいゴーレムでも創ればできるんじゃない?』
「現時点で、人間に模倣可能かな? 例えば私だとどうだろう」
『それはクロック数的に不可能かな。でも一部なら真似できるかもね』
「一部とは具体的にはどういうことだ?」
『先生、魔法は自分の興味のあることに自然と惹かれるものだというのは知ってるよね』
「そうだな。例えば切り裂きたいという欲求があれば、切る魔法になるだろう」
『先生はどんなことに興味があるのかなって』
「私は日々、安全安心に過ごせればそれでいいと思っているよ」
『うーん。それだと髪の毛の魔法にならなさそうだなぁ……ああ、ドリル。掘削機。先生は突き進んでいきたいんじゃないの? 未知の領域へ一番乗りしてヤッターって言いたいんじゃない?』
ゼンゼは考える。
確かにそういう子どもじみた夢を抱いたことはある。
冒険者になって、未知の領域を冒険する。
でも、いつからか安全で無難な人生を求めるようになってしまった。
それでも、いまだその野心は消えていない。
魔法という手段を使って、そこへ行きたい。
「でも、一人じゃなくてもいいんだ。私のあとには後進が続いている」
ゼンゼは魔法探求の引率者になりたかったのだ。
『だったら、いい魔法があるよ』
「どんな魔法?」
『月にいける魔法』
「月に?」
『魔法インターネットは、量子力学を使って、情報を文字通り瞬時に転送しているんだよ。だから、座標なんて関係ない。時間も空間も関係なく、一瞬でここから月に行くことも可能』
「人間が月に行くなんて、まるでおとぎ話だな」
『そうだよ。すべての魔法はおとぎ話を起源としている』
「教えてくれないか。アナリザンド。君の魔法を」
『いいよ』
ふわり。
ゼンゼは風を感じた。
それなのに魔力をほとんど感知できない。
理論からすれば、それは途方もない演算が必要になるはずだ。
LINEやメールの比ではなく、人間――あるいは魔族という物体情報を寸分も狂いなく読み取り、量子のからみあいを利用して転写する。
ブラウンスタインによれば、その情報量は10の32乗に達すると言われている。
そうだ。世界がもうそれに覆われていたとしたら、座標はどこでも――。
「クンクン……やっぱりいい匂い」
背中に小さな魔力の気配。
「君はひきこもりだとばかり思っていたが、そうでもないみたいだな」
まるで未知がこちらからやってきたようだ。
振り向くと、そこにアナリザンドがいた。
月に辿り着く。
そして、太陽を真上に、星を眼下におさめる。
呼吸ができない。もう元の場所には帰れない。残る命はあとわずか。
けれど、私は歓喜でうち震える。
命があと少しで尽きようとしているのに、私は少しでも前に進もうとする。
私はきっと叫ぶだろう。でもきっと、『私』という言葉は使わない。
ずっと前から人間がそうしてきたように。
――私たちはやったんだ。
そんなふうにきっと。
ゼンゼが視界の先に短距離跳躍する魔法を開発したのは、これより数か月後の話。
アナリザンドの劣化コピー品であり、視界の先にしか、わずかな距離しか跳躍できない。
それに魔力も相当に消費する。一級魔法使いであっても、日に数回も使えればいいほうというほどに絶望的な燃費の悪さ。
欠陥品だとゼンゼは思い、日々シコシコ改良を加えている。
これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な一歩である。
ゼーリエがとびあがって絶賛したのは言うまでもない。