魔族少女のエロタナティブ 作:アナリザンド
光の吹雪が舞っていた。
シャルフの命が燃え尽きて生まれた、鋼鉄の花弁。その一枚一枚が、彼の魂の欠片のようにキラキラと輝き、この絶望的な大広間を、どこか幻想的な空間へと変えていた。魔力の流れは乱れ、ソリテールの魔剣は制御を失い、クヴァールの術式は構築を阻害されている。
シャルフが、その命と引き換えに作ってくれたわずかな希望。
だというのに、エーレの身体は動かなかった。
「シャルフ……」
声が、震える。彼の身体が、まるで糸の切れた人形のようにゆっくりと崩れ落ちていく光景が、網膜に焼き付いて離れない。倒れ伏した身体から流れ落ちる血が、花畑に赤黒い染みを作っていく。
私のせいで。私が、もっと早く動いていれば。私が、もっと強ければ。
後悔という名の冷たい泥が、心臓を鷲掴みにする。
足が、地面に縫い付けられたように動かない。
戦場の空気にあてられて、エーレは身がすくんでいた。
命が軽い。まるで銅貨のように簡単に命がやりとりされている。
死にたくない!
「エーレ!」
ヴィアベルの、鋭い声が私の鼓膜を打った。
ハッと顔を上げると、ヴィアベルは既にエーレの隣にはいなかった。クヴァールとソリテール、二体の魔族の前に、たった一人で立ちはだかっている。その背中は傷つき、血を流しているはずなのに、今までのどんな時よりも大きく、頼もしく見えた。
「シャルフを連れて下がってろ。こいつはまだ死んじゃいねえ!」
「ゴミが転がってちゃ邪魔だものね」
ソリテールはあいもかわらず微笑を浮かべている。
シャルフの英雄的な行動にも一瞥もくれていない。
こいつは心の底から本当にそう思っているのだ。自分以外の価値を認めない。自分の評価軸でしか判断しない。仲間という概念を理解しているわけではないのだろう。
ただ、こちらの動揺を誘っているのだ。
ヴィアベルは答えず、ただ奥底に滲む怒りと悲しみをエーレは感じていた。
「ヴィアベル。あなたも――」
撤退して。そう言いかけたが、
「撤退なんてできるわけねーだろ。――戦うんだよ。仲間が命懸けで作ってくれた舞台だ。この機を逃すわけにはいかねえだろうが」
エーレは言葉につまる。
戦う? たったひとりで? この、七崩賢クラスの魔族ふたりを相手に?
無茶だ。無謀だ。自殺行為だ。
エーレの頭脳が、あらゆる魔法理論が、そう結論づけていた。
「確かにおあつらえ向きよね。花畑に包まれて逝けるだなんて綺麗な死に様だわ。ゴミ屑みたい」
ソリテールが、嘲笑いながら、花畑を踏み荒らす。
「わかっちゃいねえようだな」ヴィアベルも哂う。いつものように軽薄な笑みを浮かべて。「こいつは、シャルフがおまえに対して贈ったもんだぜ。死ぬのはてめえだ」
「あらそう。お姉さんに花束を贈りたかったのね。素敵なプレゼントだわ」
「てめえのお得意の魔法も、もう効果はねえ」
ヴィアベルが、背中で語っている。
このくだらない問答は、猶予の時間が欲しいからだ。
殺すための猶予ではなく、生かすための猶予。
エーレたちが撤退するための時間を稼いでいる。
「ふぅん。時間稼ぎがしたいのね。いいわ。少しつきあってあげる。どうせあなたたちの命は残り僅か。その時間稼ぎは、私にとってもそうなの。HUDがノイズだらけでわからないでしょうけど、他のパーティの戦況はさっきよりもずっと悪くなっているわよ」
ソリテールは、まるで観劇でもするかのように、優雅に腕を組んだ。
その言葉が、エーレの心を締めつける。ヴィアベルは、私のために、そして意識のないシャルフのために、一人で死地に立っている。私がここでぐずぐずしている一秒一秒が、シャルフやヴィアベルの命を削っていく。
あの頃と同じだ。
魔族に村を襲われたあの頃と、何も変わらない。
無力な、ただ守られるだけの女の子のまま。
――いや、違う。
彼の背中が、語りかけている気がした。
信じろ、と。お前の力を、俺たちの力を、信じろ、と。
シャルフが命を賭して作ったこの時間を、無駄にするな、と。
「……わかったわ」
エーレは、震える足に力を込め、シャルフの元へと駆け寄った。彼の身体はまだ、微かに温かい。意識はないが、呼吸はある。まだ、生きている。
涙が溢れそうになるのを、奥歯を噛んで堪える。泣いている暇はない。
エーレはシャルフの身体をゆっくりと壁際まで引きずり始めた。重い。命の重さが、かぼそい腕にずしりとのしかかる。
「死なせない、シャルフ……」
ソリテールは、その様子をおもしろそうに眺めている。クヴァールも、シャルフが作り出した光の吹雪の中で、次の攻撃の機会を窺うように静止している。その管制制御をしているシュピーゲルにとって、エーレたちはもはや袋の鼠。いつでも好きな時に潰せると思っているのだ。
――その傲慢さが、私たちの唯一の勝機。
身を隠せるほどの柱の陰までようやく辿りついたエーレは、自分の懐にある瓶を意識のないシャルフに無理やり握らせた。彼の瓶を探ってる時間が惜しかった。
パリンと、瓶はあっけなく割れ、土色のゴーレムが正座をした状態で現れる。
そのまま、シャルフの身体をかつぎあげようとするが、
「応急処置が先よ!」
エーレが止めた。ゴーレムは、レルネンが施したプログラムによって動いている。その命令は使用者の命を最優先に守る。ゴーレムが人間の判断を是とした理由はわからない。ただ、ゴーレムはエーレの言葉に従い、柔らかな回復の光をシャルフにあてはじめた。
これで、シャルフは助かるかもしれない。
ソリテールの放った剣はわずかだが急所をはずれていた。HUDによる精密な操作ができなくなっていたからだろう。とはいえ、傷は深い。このゴーレムの治癒魔法では、気休め程度にしかならないかもしれない。本当なら、アナリザンドの魔法くらいしか、彼を完全に救う見込みはない。
アナリザンドは来れない。
状況がそれを許さないのだ。
道は自分たちで切り開くしかない。
もう、守られるだけの時間は終わりだ。
新たな決意が、エーレの心を燃えあがらせた。
私は、杖を強く握りしめる。もう、足は震えていない。
「あら、ひよこちゃんもようやく戦う気になったのかしら。感心ね。でも、もう遅いわ。そろそろ魔導欺瞞紙の吹雪もおさまる。まったくの無駄死にだったわね、彼」
ソリテールの嘲笑が聞こえる。シャルフが作り出した光の吹雪が、徐々にその勢いを失い始めている。クヴァールの魔力の照準が、再び定まりつつあった。
残された時間は、本当に僅か。
私は、壁を蹴り、ヴィアベルの隣へと駆けつけた。
「エーレ! 何してやがる! 下がってろと言ったはずだ!」
「嫌よ! 私も、戦うわ。一人で死なせるなんて、絶対にさせない」
「……馬鹿野郎」
ヴィアベルは、吐き捨てるように言ったけれど、その口元には、ほんのわずかに笑みが浮かんでいた。欺瞞の花吹雪が収まりつつある。
HUDが新たに示す『勝利確率:1%』の記述。
確かにそうだろう。HUDの管制射撃がなくとも、そもそも魔力総量も魔力操作能力も、すべてにおいて七崩賢に比する魔族のほうが上まわっている。客観的指標において、人間が魔族より強い側面などほとんどない。それでも、
「十分じゃない」
エーレは笑みをこぼす。
それは、ゼロではない。
シャルフが、命をかけてこじ開けてくれた、奇跡への扉。
アナリザンドが、ほんのわずかだけ、その奇跡の隙間を見せてくれている。
その隙間を、今度は私たちがこじ開ける番だ。
後悔と無力感と恐怖を黄金の決意が上回った瞬間。エーレのなかで何かが弾けた。
祖父の教えでも、学校の理論でもない。もっと根源的な、魂の叫び。
シャルフの想いを、ヴィアベルの覚悟を、私の力に変える。
「くだらない足掻きを……」
もう、ソリテールの言葉は、私の心には届かない。
私は、私の全てを、この一撃に賭ける。
杖を、天に掲げた。フェルンとの戦いから数日。一次試験が終わったあと、ヴィアベルとの模擬訓練でも一度も成功しなかった魔法が、このときだけは、発動するという確信があった。
「――
詠唱と共に、私の全魔力が黄金色の光となって迸った。
光は、私の前面に収束し、伝説に謳われる英雄が持っていたという、輝く盾を形成した。それは、シャルフの守る意志を受け継ぎ、私の信じる想いによって形作られた概念の具現化。形としては、盾という形状だが、エーレの身体全体を光の膜が覆っている。
「盾? この状況で防御を選ぶなんて、愚かね」
ソリテールが鼻で笑う。
だが、私はもう迷わない。
盾を構え、痛む足も無視して大地を蹴る。
向かう先は、巨躯を誇るクヴァール。
「エーレ!?」
ヴィアベルの驚きの声が背後から聞こえる。
そうだ。盾は、
盾が守るだけの防具だって誰が決めた。
私はただ守られるだけの小娘じゃない!
クヴァールが、迫りくる私を迎え撃つべく、ゾルトラーク・オメガを放つ。
すべてを無に帰す絶対の貫通魔法。だが、その黒い光は、黄金の盾に触れた瞬間、聖なる光に浄化されるかのように霧散した。シュピーゲルは魂の輝きを消すことはできない。
「クヴァール。防御しなさい」
ソリテールの冷静な指示。クヴァールが、瞬時に魔法リソースを防御に振り分ける。見慣れた六角形の、しかし七崩賢クラスの魔力で構築された鉄壁の防御魔法。私の突進力だけでは、これを破るのは難しいかもしれない。
だけど私は一人じゃない!
「ヴィアベル!」
私は、振り返らずに、ただ彼の名を叫んだ。
それだけで、彼には通じるはずだ。
「……チッ、無茶苦茶しやがるぜ!」
背後で、ヴィアベルが悪態をつくのが聞こえる。だが、その声には確かな信頼がこもっていた。
次の瞬間、私の背中を、強烈な、しかしどこか温かい衝撃が襲った。
ヴィアベルが放った、最大出力のゾルトラーク。
それは、私を攻撃するためではない。
私を、光の速さへと加速させるための、信頼の推進力!
黄金の盾が、ゾルトラークの莫大なエネルギーを完全に吸収し、推進力へと変換する。私の身体は、まるで流星のように、クヴァールへと向かって撃ち出された。
いける!
私は確信し、さらに加速する。
クヴァールの巨躯が、目の前に迫る。
「――貫けぇぇぇぇぇっ!!」
魂の絶叫と共に、私は盾をクヴァールの鉄壁の防御魔法ごと、その腹部へと叩きつけた。
ゴォォォン!!!
聖堂の鐘のような、荘厳で圧倒的な衝撃音が大広間に響き渡る。
クヴァールの巨体は、光の盾に押しつぶされるようにして後方の壁へと叩きつけられた。壁に巨大な亀裂が走り、石片が降り注ぐ。
英雄の盾によるシールドバッシュ。それは、物理的な衝撃ではない。エーレの
一瞬の静寂。
ソリテールが、初めて表情を凍りつかせ、目を見開いている。
その隙を、ヴィアベルが見逃すはずがなかった。
「俺の番だな」
ヴィアベルがワンドを握り直す。血まみれの顔に、いつもの軽薄な笑みが戻る。
「たかが一撃与えたくらいで、勝ったつもり?」
ソリテールの声は、氷のように冷たい。再び浮かび上がった彼女の魔剣は、先ほどよりも数を増し、禍々しい殺気を放っている。シャルフが遺した光の吹雪は、その役目を終えようとするかのように、徐々に輝きを失い始めていた。
壁際では、クヴァールがよろめきながらも立ち上がり、その手のひらに再び黒い光――ゾルトラーク・オメガを宿し始めていた。
まずい。猶予は、もうない。
「シャルフが用意した最高の舞台だ。無駄にはしねえ。エーレ、お前もだ。気張れよ!」
エーレは無言で頷く。もはや魔力はほとんど残っていない。頭がガンガンと鳴り響き、立っているのがやっとだ。まったくひどい英雄がいたものである。こんな状態の私に、まだ戦えと命じるのだから。
でも、そんなヴィアベルのことを、守りたいと思っているのは、他ならぬ私自身なのである。
嬉しかった! 必要とされているようで。
「――
残された最後の魔力を振り絞り、石弾を放つ。狙うはクヴァールではない。ソリテールの魔剣だ。数本の剣を撃ち落とし、地面を波打たせてソリテールの体勢をわずかに崩す。
「人間ごときが! クロック数では、私のほうが上よ」
ソリテールの思考速度は、エーレのそれを遥かに凌駕している。飛来する魔剣が、エーレの攻撃の隙間を縫って殺到する。
だが、その前にヴィアベルが動いた。
「――
ヴィアベルの視線が捉えたのは、ソリテール本人ではない。
宙を舞う
ソリテールは魔剣を子機のように遠隔操作している。ならば、その剣群を一つの『個体』として認識し、彼女との魔力的な接続を切断すればいい。もはやそれは、確立された魔法理論ではなく、暴論に近い。ヴィアベルの戦闘経験が生み出した、極めて高度なイメージの世界だ。
「なっ……!?」
ソリテールの魔剣が、一瞬、ぴたりと動きを止めた。彼女の支配から切り離され、ただの魔力の塊となって宙に静止する。
「こいつが盾なら、俺は剣だ!」
ヴィアベルは、その一瞬の隙を見逃さない。彼は、床に咲き誇っていた魔法の花畑を、ワンドの一振りで巻きあげた。見ると、ワンドからゾルトラークの光が一メートルほどの剣の形をなしている。イメージは引きずられる。
エーレの英雄の盾から連想されるイメージは、名も知れぬ英雄の剣。
――花薙ぎの剣。
ヴィアベルの魂の輝きが、舞い散る花弁を再び輝かせる。それは、シャルフの『対魔法領域』を、ヴィアベルが自らの剣として振るう、追悼と継承の魔法。
光の吹雪が、再び大広間を覆い尽くす。
「計算が……できない……。個体最小単位であるはずの魂が……混ざりあうというの!?」
ソリテールのシステムが、完全に混乱に陥った。シャルフの魔法を模倣しようにも、その核となっているのはヴィアベルの魔力。二つの異なる魂の力が融合した未知の現象。彼女のデータベースには、該当するデータが存在しない。
その隙は、もはや一瞬ではなかった。
「シャルフ……エーレ……てめえらの想い、確かに受け取ったぜ」
ヴィアベルは、これまで合理的に切り捨ててきた感情――仲間への熱い想いが、何よりも強い力になることを知ったのだ。戦場で生き抜くための冷徹さではなく、守るべき者のために振るう、熱い魂の剣。
――彼は英雄を超えた。
ヴィアベルのワンドから、ゾルトラークの魔力が溢れ出し、それが蒼い光の刃となって数十メートルにも及ぶ長大な剣を形成する。
それは、彼の「仲間を守る」という意志と、私の「英雄を信じる」という想いが融合して生まれた、勇者の剣。シャルフが遺した光の吹雪が、その剣に祝福を与えるように、キラキラと輝きを増した。
魔族は、まばゆい光に恐れおののいている。
魔物である、シュピーゲル本体も、光を畏れる。
光である人の子に、闇である魔族は絶対に勝てない。
切り裂かれる。
「てめえらに、俺たちの魂の輝きが観測できるかよ!」
ヴィアベルは咆哮し、光の剣を二体の魔族ごと、薙ぎ払うように振り下ろす。
黄金の光が、全てを断ち切る。
クヴァールとソリテールのシャドーが、悲鳴を上げる間もなく、その光に飲み込まれて霧散していく。
ソリテールの上半身だけが、花畑の上に転がった。
この期に及んでも、ソリテールは微笑を浮かべている。
「……なかなかに綺麗な輝きだったわ。貴重なデータ……、ありがとう」
「そうかよ」
「でも、所詮は命を燃やして輝きを増してるに過ぎない……。継戦能力がまったくない。いずれは――、あなたたちも死ぬの。そう遠くないうちに……。楽しみだわ……」
「てめえがぶっ壊されるのが先だ」
「ふふふ……できるならやってみればいいわ。きっと……これ以上なく……綺麗な死に様ね……」
ソリテールの身体は崩れるように風に舞った。
広間に、静寂が戻る。
ヴィアベルは光の剣を杖に戻し、荒い息をつきながら、その場に片膝をついた。
私もまた、魔力を使い果たし、それでも彼の背中を見つめ続ける。
床には、光の吹雪が、まるで祝福するかのように、静かに舞い落ちていた。
「立てるか、エーレ」
「……ええ」
私は、ふらつきながらも立ち上がる。もう私の瞳に、怯えはなかった。守られるだけのひよっこは、もういない。ヴィアベルという勇者の隣に立つ、一人の戦士がそこにいた。
私たちは、勝ったのではない。生き残ったのだ。
私は、柱の陰でゴーレムに治療されているシャルフの元へと駆け寄った。
そこには泣きはらした表情の、アナリザンドが待っていた。
戦闘では辛勝。戦術ではボロ負け。戦略では……。