魔族少女のエロタナティブ 作:アナリザンド
試験開始から、三時間と四十二分経過。
ヴィアベル君たちの撤退戦は拍子抜けするほどに何事も起こらなかった。
シャドーの一体すらも現れず、ゴーレム軍団に抱かれながら、ダンジョン内を疾駆した。
『お姫様抱っこヴィアベル悪くない』とは、レンゲ神の御言葉。
うん。ゴーレムがある程度、受験者たちの言うことを聞いてくれるといっても、決められたプログラムコードを逸脱はできないからね。なぜとか問うてもしかたない。最速で撤退を目指す方法として合理的だったのだろうと思う。そのおかげか、三十分もしないうちにダンジョン入口に辿りついた。
その間にも、もちろん、他のパーティは最奥を目指して進んでいる。
メトーデたちのもとには、散発的にシャドーが現れるも、ほとんど意味がない。
ゴーレムと影騎士に守られたメトーデ達は、シャドーの攻撃を寄せつけなかった。
わたしは生身の身体としては、フリーレンパーティに合流した。
進軍速度は並。要するに歩き。
フリーレンは前を歩きながら、魔力探知の範囲を広げ、シャドーの襲来に備えている。
あともうわずかで、最奥に辿りつく――。
「ねえ。フリーレン」
わたしは、いつものようにフリーレンに話しかけた。
パーティの実質的なリーダーは彼女だ。
フェルンちゃんも、カンネちゃんも、ラヴィーネちゃんも、こと戦闘に関しては、フリーレンに信頼を寄せている。
だから、フリーレンがゴーレムを使わないなら、フェルンちゃんも使わない。
カンネちゃんたちも同様だ。フリーレンを仮の師匠として慕っている。
その合理的な理由もわからなくはなかった。
魔法使いが、他の魔法使いの魔法を利用するというのは本来ありえない。
共闘というのはありえたとしても、魔法とは自己の性欲に基づくものだからだ。
性欲というと、わかりにくいかもしれないけれど、要は
ぶっちゃけ、魔法とは自慰行為なのである。
ゴーレムはあくまで道具であり、フリーレンは指先を使う自慰行為しか認めない派閥なのかもしれない。杖は――まあ、使い慣れたツールなのでOKということか。
ただ、わたしの魔法理論はともかくとして、現実的には、ゴーレムを使わないというのはありえない。せっかくゼンゼ先生が使っていいって許可を出してくれたんだから、それに従うのが合理的だろう。わたしはフリーレンを翻意させたかったのである。
――が、ダメ。
「気が散る」
言葉少なに振り返りもしない。
わたしは、フリーレンの少し後ろを歩いている。
「ゴーレム使おうよ。その方が合理的でしょ。周りに侍らすだけでもいいからさ。フリーレン自身は強いからいいかもしれないけど、壁役にはなるよ」
それどころか、一線級の戦士くらいには役に立ちそう。
レルネン先生が丹精こめて創ったゴーレムは、相当な手練れだ。内在する魔力もかなりのもので、魂はないけど、そこらの魔族だったら木っ端みじんにできるくらい強い。
「戦力分析から言えばそうだろうね。カンネやラヴィーネは使ったほうがいいかもしれない」
「なら――」
「危機感が薄れる」
フリーレンの言いたいこともわかる。
戦況は現在、小康状態を保っている。ヴィアベル君のパーティが一番傷ついていたけれど、戦力的にはわたしたちのほうが大幅に上回っている。
レンゲちゃんの神の一手により、ゴーレムという信頼できる守り手ができたことで、わたしたちはシャドーを安全に排除できる
もはや、魔族のシャドーは存在せず、脅威になりそうなのはフリーレンのシャドーくらいだ。冷静に考えれば、シュピーゲルに逆転の目はない。
だからこそ、思考に惰気が混じるのを避けたかったのだろう。
「でも、利用できるものは何でも利用したほうがいいよ」
フリーレンのシャドーはいまだどこにいるのかわからない。
魔力を隠蔽する技術は、HUDの探知にすらひっかからないほど。
でも、いつかは必ず接敵する。たぶん、最奥前のどこかで、わたしたちの進軍を止めようとするはずだ。
そうしなければ、最奥で待ち構えるわたしはいつもよりずっと弱いんだから。
フリーレンがさっき言ったように、わたしのシャドーは瞬殺されてしまう。
ひいてはシュピーゲルも。
「私はおまえを信用していない」
「そう……」
それは残念だけどしかたない。
「フリーレン様!」フェルンちゃんが代わりに抗議してくれる。
けれど、魔族総体としてみれば、フリーレンは正しいことを言っている。
種族特性として『人喰い』がある以上、その評価はやむを得ない。
そう思っていたのだけれど――。
「魔族だからじゃないよ。フェルン」
ちょっと誤魔化すように言葉がつまずいた。
前を進むフリーレンの顔が見えない。
「どういうこと?」わたしは聞いた。
「おまえが戦うという行為を真正面からやろうとしない性格なのはわかっている」
フリーレンは、振り返らないまま、淡々と続けた。
「策を弄し、盤面を支配し、相手の意図の裏をかく。それがおまえの戦い方だ。一次試験でもそうだった。私は別にそれを否定するつもりはない」
「わたしのことを買いかぶりすぎじゃない? 私はただのかわいい魔族の女の子だよ?」
わたしはおどけて返すが、フリーレンは取り合わない。
「シュピーゲルは、おまえのそういう楽天的な性格も能力も識っているはずだ。おまえがゴーレムという強力な駒を手にした時、シュピーゲルがそれをどう利用してくるか私には予測できない。不確定要素が多すぎる」
「もしかしてゴーレムを操られるとか思ってるの?」
可能性は低いけど、なくはない。
ゴーレムはプログラムを内在したローカルコンピュータみたいなものだけど、そのプログラムを書き換えること自体は、手を触れるほどの距離であれば可能だろう。エーデルちゃんみたいな情報操作魔法の手練れなら、たぶんできる。でも、エーデルちゃんは既にダンジョンを脱出している。エーデルちゃんのシャドーが既にダンジョン内にいないのはHUDで確認がとれている。
「おまえなら可能だろう?」
「わたし!? うーん、できるかも……?」
観測した魔法はだいたい使えるザンドです。
「だから信用しない。おまえという不確定要素が、このギリギリの盤面でどう転ぶかわからないからだ。それだけだよ」
それは、魔族という種族への拒絶ではなかった。わたしという一人の魔法使いに対する、フリーレンなりの最大限の警戒と――そして、ある種の評価だった。ただの雑魚なら、不確定要素にすらなり得ないのだから。
「もしかしてフリーレンにライバル認定されちゃった!?」
少しうれしいかもしれない。宿敵と書いて友と呼ぶという関係も悪くない。
「違う。シュピーゲルは、おまえよりもずっと悪辣な手段を採ってくる可能性がある。それがゴーレムなのかなんなのかはわからないが、ずっと嫌な予感がしてる」
「むぅ」
戦術家としては、シュピーゲルのほうが上と言われているようで、少し不満だ。
口を尖らせ不満を表明する。けど、フリーレンはわたしのほうに見向きもしない。
そんな私たちのやり取りを、後ろからついてくる妹ちゃんたちが生暖かく見守っている。
プリンでつむがれた確かな絆。
「フリーレンって、素直じゃないよね」カンネちゃんが小声で呟き、ラヴィーネちゃんに脇腹を肘でつつかれていた。
確かに素直じゃない。
わたしが、妹たちを傷つけるような手段は選択しないと、フリーレンは信じてくれている。
だからこそ、わたしの思考のさらに裏をかくシュピーゲルを警戒しているのだ。
シュピーゲルには、ためらいや後悔といった感情が存在しない。どんな悪辣で悪趣味で最低な手段でも、目的のためならためらわない。
その意味を知ることになるのは、このあとすぐのことだった。
張り詰めた空気の中、ダンジョンの最奥へと続く最後の長い回廊へと足を踏み入れた。
両脇には石壁がどこまでも続き、魔力灯の明かりがうすぼんやりと辺りを照らす。ここを通り抜ければ、あとは太陽の広間までもうすぐ。走れば五分とかからない距離だ。
フリーレンの言う通り、ここからは何が起きてもおかしくない。なのに何も起こらない。HUDでの索敵範囲には、最奥で待つわたしのシャドー以外はいない。でも、必ず何かがいる。そんな予感がする。全員の緊張が、肌に伝わる魔力の揺らぎとなって現れていた。
フリーレンが、不意に足を止めた。
わたしも、フェルンちゃんも、全員がその場で止まった。
行き止まり。
――壁?
いや、白い結界が両側にせり出すように空間を押し広げ、わたしたちの行く手を完全に塞いでいる。これは――、フリーレンが一次試験で見せた、ベーゼの呪いを応用した魔法だ。HUDですら捉えきれない完全な魔力隠蔽。空気すら遮断する完璧な物理結界。シュピーゲルは、この結界を使って、最後の駒を用意していたんだ。
わたしが気づいたのとほぼ同時。
――パキッ、と。
卵の殻が割れるような音が響き、結界が光の粒子となって霧散する。
その向こう側から現れた影に、フリーレンの杖を持つ手が、微かに震えた。
動揺したというより、怒りからだ。呼気の量がいつもよりわずかに多かった。
溜息みたいに流れ出る息が、フリーレンにかかったストレスを物語っている。
フリーレンは怒っている。
「最低に趣味の悪い魔法だ」
絞り出すような抑制された声。その視線の先に、灰色の影が佇んでいた。
――
正確には、石像のように色彩を失った、ヒンメルのシャドー。
あの特徴的な青い髪じゃない。それでも、涼しげな目元と、自信に満ちた口元の笑みは、記憶の中の彼と寸分たがわなかった。
口元は動いていない。けれど、声は確かに聞こえた。HUDを介した音声通信。記憶の底から完璧に複製された懐かしい声。
「やぁ、フリーレン。久しぶりだね」
まるで乙女ゲームの一枚絵のように、ヒンメルが微笑みながら声を紡ぐ。
さわやかなイケメンスマイルは、伝説の勇者にふさわしい。エーレちゃんがこの場にいたら、そしてもっと深刻な状況でなければ、歓喜していたかもしれない。それほどに完璧な微笑だった。
けれど――わたしは眉をひそめた。
おかしい。深く観測するまでもなく決定的に違う。声がじゃない。
目の前に立つヒンメルは、
精悍な顔つき、無駄のない引き締まった身体。わたしが記憶している、四十代の円熟したヒンメルではない。これは、魔王を討伐したと言われる、全盛期――二十代の頃のヒンメルだ。
銅像や絵画でしか見たことのない、伝説の中にしか存在しないはずの姿。
……待って。
わたしの記憶データには、この時代のヒンメルは存在しないはずだ。
なら、このシャドーは誰の記憶?
わたしが前にやったみたいに、声だけなら加齢による差延を考えて、かなりの精度で似せることができるかもしれない。でも、目の前にいるヒンメルの雰囲気は、ただの演算処理による推測とは思えなかった。フリーレンといっしょに魔王を斃した直後の、最も力に溢れている全盛期のヒンメルがいる。
答えは一つしかない。シュピーゲルは、わたしの記憶ではなく、フリーレンの魂の最も深い場所――フリーレンが最も輝かしく想っている、そして最も焦がれたであろう時代の記憶を、鏡写しのようなコピー精度で抜き出したのだ。
つまり、わたしの再生魔法を
だから、あの声も、わたしが知らないはずの、もっと若々しく張りのある声。
フリーレンだけが知っている、若き日のヒンメルの声。
シュピーゲルの悪辣さに背筋が凍る。これは、ただの戦闘じゃない。フリーレンの心を、彼女の最も美しい思い出でもって、砕きにきている。
ヒンメルの背後から、ハイターが、アイゼンが、そして――フリーレン自身のシャドーが、ゆっくりと姿を現す。フリーレンは今と変わらない姿だったけれど、そんなのはなんの気休めにもならない。ハイターが若い。純朴そうな青年の姿をしていて、優しげに、わたしやフェルンちゃんを見ている。アイゼンも同じだ。はちきれんばかりの筋肉は、ダイヤモンドですら握りつぶせそう。
伝説の勇者一行。完璧な布陣。
フェルンちゃんが息を呑み、カンネちゃんとラヴィーネちゃんが言葉を失う。
憧れの英雄が、今、最大の脅威として目の前に立ちはだかっていた。
いや、わたしの家族に等しい人たちが――。
ヒンメルとの邂逅は、もちろん打ち解けた雰囲気とは程遠い。
かもしだす雰囲気は、優しげだが、それは油断を誘うためのフェイクだろう。
シュピーゲルの目的は、フリーレンを観測することにある。
だからすぐに攻撃をしかけてこなかった。
「少し話をしようか」ヒンメルが笑んだ。
「時間の無駄だね」
そう言いながらも、フリーレンがすぐに攻撃にうつらなかったのは、また違う理由からだ。
冷静に考えると、わたしたちのパーティには前衛がいないという致命的な弱点がある。
全員魔法使いといういびつなパーティだからだ。
このまま激突すれば、勇者と戦士という最強の前衛タッグにすりつぶされてしまう可能性が高い。たとえ伝説の魔法使いであっても、相性の悪さは如何ともしがたい。魔法使いは前衛職に弱い。
そんな内実を知ってか知らずか――、いや識っているのだろう。
ヒンメルは明らかに作り顔の微笑を浮かべている。嘲笑が混ざっている。
「あいかわらず人づきあいが悪いね。でもいいさ。君が攻撃をしかけてこないのは、僕たちを倒すイメージがもてないからだろう」
「……みんな。瓶を割って」
フリーレンが短く指示を出す。
わたしを含め、フリーレンを除く全員が瓶を割る。
中から即席のゴーレムが、カップラーメンのごとく現れる。
これで前衛ができたわけだけど、正直、勇者パーティにどれだけ持つかはわからない。
しかし、これで少なくとも時間稼ぎはできる。
最悪よりは、ほんのちょっぴり希望が持てる。
ヒンメルは――シュピーゲルは余裕の表情だ。
予測していたといったほうが正しいかもしれない。
「僕の――というより、シュピーゲルの目的は知っているだろう。君の魂の輝きを観測すること。そして、肉の身体を持ち、外に出ることがソレの目的だ」
「だからなんだ?」
「端的に言おう。魂の輝度を最大化させる試行実験は、ひとつの仮説を生み出したんだ」
「仮説?」
「エーデルやヴィアベルの奮闘のことは聞いているだろう。君は、アウラやクヴァールが他の受験者たちに
「所詮、偽物だよ。本物の魔法使いには勝てない」
「そう、偽物だね。でも実力は本物だ。君にはエーデルのほうがわかりやすいかな。魔力値が150程度しかない二級魔法使いが、魔力値500のアウラに勝利した。この原因はなんだと思う?」
「……」
「答えは魂の輝きさ。君たち人類は、魂を輝かせることで魔力値を瞬間的に爆発させることができる。智慧と勇気を尽くして巨大な敵に立ち向かう時、君達の魂は最も輝く。つまり
「だから、ヒンメルなのか」フリーレンは目を細めた。
「そういうことだよフリーレン。ピンチにならなきゃ魂は輝かない。簡単な話だ」
「くだらないな。おまえのような偽物に勇者の魂が得られるはずがない」
「どうだろうね。僕は神話の時代からずっと君達のことを観測しつづけてきた。君達の習性も行動パターンも理解しているつもりだ。例えば、勇者は仲間を見捨てない――。聞こえるだろう。アナリザンドの力によって、魔物たちが地獄の底から溢れだしてきている」
HUDで観測。
地獄の窯が開いたかのように、魔物たちが地の底から湧いて出ている。
アウラ。ソリテール。クヴァール。リュグナー。ドラート。
フリーレンとの短い旅の間に、あるいはフェルンちゃんを覗き見している最中に出逢った魔物たちも。すべて、おびただしいほどの量が、メトーデ達に迫っていた。ゴーレムと影騎士たちを盾代わりに応戦するも、多勢に無勢。いつか――そう遠くないうちに押し切られる。
「フリーレン。メトーデ達が……どうして」
わたしはゾッとした。こいつは、あえてわたし達のもとに差し向けていない。
力を調整しているのだろう。魂の輝きを観測するために、あえてギリギリのところを狙っている。
「アナリザンド。君の力は侮れないからね。ルールブレイカーの君は、いつだって本気を出して、例えば僕たちを吹き飛ばすなんてこともできたわけだ。でも優しい君はゼンゼ先生の試験が壊れるのを恐れてそうしなかった。その油断が命取りだよ。君が本気をだしたら、僕も――いや、我々も本気を出さざるをえない。メトーデ達を殺す」
「最初から殺そうとしてたくせに!」
「いや、最初に言っただろう。ソリテールのユニットが君に交渉をもちかけたときに、ちゃんと言ったはずだ。君達を殺すつもりはないし、その意味もない。ただ、魂の観測をする際に、その輝きを見せてほしかっただけなんだ。君が悪いんだよ。アナリザンド。人の話を聞かないところは、君もちゃんと魔族なんだね」
「そんなの言い訳だよ。あなたはみんなが死んでもそれでもかまわないって思ってた」
「確かにね。目的の達成のための優先順位としては、君達の命の価値はそれほど高くはない。いまの君達の価値はせいぜい人質代わりといったところかな」
ヒンメルの声が無機質なものに変わった。
『さあ、せいぜい愉しく殺し合おう。君たちの魂の輝きを見せてくれ』
どうする……。
わたしが魔力全開で、ヒンメルたちを吹っ飛ばして、それからメトーデのところに跳んで、魔物たちも瞬殺――。
できるかは正直わからない。わたしの魔法によって創りだされた再生魔族、そして魔物たちはすべて、わたしの一定量を保つ魔力によって生み出されている。見た目300くらいに抑えているけれど、それは無限に使える300だった。だから無尽蔵に供給されているのだろう。
わたしの弱点はこの身ひとつであること。目の前のヒンメルたちからフェルンちゃんを守り、それからメトーデ達も守るほどの時間はない。
でも、このまま手をこまねいていては、メトーデ達は確実に全滅する。
「フリーレン……」
わたしの声が震える。フリーレンは、ただ黙って、目の前の偽物の勇者を見据えていた。その翠色の瞳の奥で、常人には計り知れないほどの思考が渦巻いているのがわかった。
『アナリザンド。冷静になれ』脳内に、ゼンゼ先生の声が響く。『シュピーゲルの狙いは、フリーレンの精神を極限まで追いこみ、魂の輝きを強制的に引き出すことだ。挑発に乗るな』
わかっている。けど、どうすれば……。
その時だった。
「……シュピーゲル」
フリーレンが、静かに口を開いた。その声は、いつものように冷たさをまとっていたけれど、ほんのわずかだけ違う。郷愁――?
「おまえは、なにひとつヒンメルのことをわかっていない」
「何?」ヒンメルのシャドーが、初めて不審の色を見せる。
「おまえは、ヒンメルをただの
フリーレンは、一歩前に踏み出した。
ゴーレムたちがフリーレンを守るように前に出るが、それを手で制する。
「だけど、本当のヒンメルは違う」
フリーレンの視線は、シャドー・ヒンメルを通り越し、その向こう側にいるであろう、観測者シュピーゲルへと向けられていた。
「ヒンメルは、ナルシストで、目立ちたがり屋で、戦闘ではしょっちゅう無茶をしてた。魅せるポーズの自分を客観視するためにね。それで、くだらない銅像をあちこちに建てさせたがる、すごく変なやつだった。……でも」
フリーレンの口元に、ほんのわずかに、懐かしむような笑みが浮かんだ。
「ヒンメルは、誰よりも人の心に寄り添おうとしていた。私のような、無愛想なエルフともいっしょにいてくれた。だから、こんなやり方は絶対にしない。誰かを犠牲にするような選択を誰かに強いたりしない。ヒンメルは、おまえの創りだした偽物なんかより、もっとずっと――」
――カッコよかった。
『何が違う』シュピーゲルは言った。『我々は人間の魂すら模倣できる。心の動きも、習性も、行動パターンも、本能も、リビドーも、すべて解析済みだ』
シュピーゲルの声に、初めて明確な混乱が走った気がした。
彼女は、魂の輝きを理解できない。表面的なデータとしてしか取り扱えない。
「おまえは、ただ観測するだけだ。他者の心をデータとして処理するだけに過ぎない。――哀れだね。でも私たちは違う。私たちは不器用でも間違っていても、互いを理解しようとする」
『それはおまえたち人類が創り出した共同幻想でしかない』
「幻想でもいい」
フリーレンは、わたしの方に振り返った。
「アナリザンド。おまえのやり方は、いつも回りくどくて、腹が立つことばかりだ。でも、おまえも、私と同じで必死に人間を理解しようとしているんだろう?」
「……うん」
「だったら信じるよ。おまえのくだらない策を」
フリーレンの瞳は、真っ直ぐに私を射抜いていた。
それは、魔族ではなく、アナリザンドという一人の仲間への、信頼のまなざしだった。
……ああ、そうか。
わたしはフリーレンに勝ちたかった。
その本当の意味がわかった気がした。
わたしは、フリーレンに信じてほしかった。
信頼を勝ち取りたかったんだ。
「任せて、フリーレン!」
涙を拭いわたしは笑った。もう、迷いはない。
シュピーゲルの思考は、合理性とデータに基づいている。
ならば、そのロジックの穴を突く。
「フリーレン! 行って! ここはわたし達だけでなんとかする!」
古から伝わる勇者行為のひとつ。
ここはわたしに任せて先に行け作戦だ。
フリーレンが駆けだした。すぐにヒンメルが目の前に立ちふさがる。
さすが勇者だけのことはあって、そのスピードは魔法使いを遥かに凌駕している。
でも!
「そのまま、まっすぐ行って!」わたしは声を張りあげる。
「……そういうことか」
フリーレンが、あえて杖をおろし、目をつむった。
ヒンメルの顔つきが、エラーを起こしたようにひきつる。
剣が――フリーレンの肩口に当たる直前で止まった。
やっぱりそうだ!
シュピーゲルの目的は、フリーレンに奮戦させること。
フリーレンが無抵抗に殺されてしまえば、魂の輝きを観測するどころの話ではない。
シュピーゲルにとっての最優先事項は、フリーレンの魂の輝き。
だから、フリーレンだけは殺されることはない。少なくとも魂が輝くまでは。
だから、仲間を見捨てて遁走するという、およそ勇者らしからぬ行為こそが、最もシュピーゲルの意に反している。プログラムに縛られたシュピーゲルは、プログラムを逸脱した存在を感知できない。そこにエラーが生ずる。
『フリーレンいいのかい。君の大事な弟子フェルンはここで僕たちに殺されるよ。カンネやラヴィーネはもっとひどいことになるだろうね。凄惨な死に様を君は観測することになるだろう。そして後悔するんだ。僕が死んだときのようにね』
追いすがろうとするヒンメルに、フェルンちゃんがゾルトラークを速射する。
その一撃は、ハイターの結界によって弾かれたが、かまわず、ラヴィーネちゃんたちが追撃する。ヒンメルとアイゼンが武器で魔法を弾く。一瞬の攻防。
だが、フリーレンが遁走する時間を創り出すには十分すぎた。
「残念だけど、フリーレンに声は届かないよ。だってフリーレンはネットが大嫌いなんだから」
わたしの言葉は、回廊の冷たい空気に溶けた。
フリーレンは一度も振り返ることなく、ダンジョンの闇へとその姿を消していく。その背中は、逃亡者のように小さくなっていく。
『待て、フリーレン!』
ヒンメルのシャドーが、初めて狼狽の色を見せた。
逃げる乙女に追う男。ゾルトラークで牽制する妹たち。容赦なくフリーレンにあたろうが構わない。致命の一撃はヒンメルたちが防いでくれる。フリーレンを守るほかない。
シュピーゲルの完璧なシミュレーションが予測不能なバグによって崩壊していく。フリーレンを殺せない以上、彼女を本気で追うこともできない。この場に残された『人質』を放置することもできない。
完璧だったはずの包囲網は、フリーレンという
「しつこい男は嫌われるよ」
『小娘どもが』
いよいよとなり、ヒンメルたちは追いすがる手を止めた。
わたしたちまで一緒になって、最奥に向かってしまえば、完全に詰みだからだろう。
シュピーゲルに残された手は延命しかなかった。
つまり、ここでわたしたちを足止めするしか。
「さて、と、ここからはわたし達の時間だね。目標は――」
「フリーレンがシュピーゲルをぶっこわすまで時間稼ぎすることだろう!」
ラヴィーネちゃんが好戦的な笑みを浮かべる。
カンネちゃんも勇気を振り絞って杖を構えた。
『面白い。実に面白いわ、アナリザンド』
シュピーゲルの声が、混乱の中から新たな好奇を見出したかのように響く。
『フリーレンという最大の観測対象を失った今、この実験は失敗よ。だけど、失敗は成功の母とも言うわね。あなたたちの魂が、フリーレン抜きでどこまで輝けるのか。最後のデータとして、じっくり観測させてもらうわ』
「残念だけど、あなたの実験はもう終わりだよ」
わたしは、シャドー勇者一行に向き直った。紅いぱっちりおめめはわたしのチャームポイント。その瞳には、もはや恐れはない。フリーレンが信じてくれた。その事実が、私に無限の勇気を与えてくれている。
「だって、あなたはわたしたちのことを、何一つわかってないんだから!」
わたしは、HUDのパーティ通信を起動する。
宛先は、メトーデたちのパーティだ。
「メトーデ! 聞こえる!?」
『ええ、聞こえていますよ、アナリザンドさん。随分と楽しそうなことになっていますね』
メトーデの落ち着いた声が返ってくる。
背後では、激しい戦闘音が鳴り響いている。
「今、フリーレンがラスボスをぶっ倒しに向かってる。それまで全力で耐えて!」
『添い寝権、三か月でいかがでしょうか』
ここで交渉かよ。
「もってけ泥棒!」
さよならわたしの貞操観念。
『お聞きになりましたか。みなさん。アナリザンドさんが私と添い寝してくださるらしいです。この戦い、絶対に勝利しなければなりませんね』
『ニク……。筋肉の出番!』
レンゲちゃんがゴーレムに抱きかかえられながら、ぷにっとした二の腕を見せる。
『神がハッスルしている。私も全力でイク!』
リーニエちゃんが、あいもかわらずびーえる魂を輝かせている。
『みんな愉しそうでなによりだね。眼鏡くん、私達の手綱、握っておいてくれると嬉しいなぁ』
『手綱イズどこ……?』
通信の向こう側で、メトーデたちの魂が燃え上がる気配がした。
もはや、彼女たちを止められるものはいないだろう。
ラント君は、戦闘指揮と、実際の戦闘をがんばってもらおう。
この戦いの影の功労者はまちがいなくラント君だ。
私は通信を切り、目の前の『伝説』へと視線を戻す。
「――というわけで、シュピーゲル。あなたの負けだよ」
人の子の繋がる力こそが、魂の輝度を最大化する。
『……まだよ。おまえは計算をまちがえているだけだ』
ヒンメルのシャドーの表情から、一切の感情が消えた。
本当の影のように、不気味な声が響いてくる。
『フリーレンが最奥に辿りつく前に、あなたたちのうち誰かひとりでも殺せば、結果は同じこと。フリーレンは情に厚いところがある。あなたが教えてくれたことよ。きっと、誰かひとりでも命を散らせば、フリーレンは魂を燃やしてでも我々を停めようとするでしょうね。我々はおまえたちの命を供物に捧げ――太陽に――神になりかわる』
シャドー勇者一行の魔力が、再び膨れ上がる。
だが、もはやその威圧感は、先ほどまでとは違って見えた。
偽神の疑心。
太陽に恋焦がれて、ただその光を反射させるしかなかった月の女神の哀れな姿だ。
「フェルンちゃん」
「はい。アナリザンド様」
「カンネちゃん。ラヴィーネちゃん」
「うん!」「ああ!」
わたしたちはゴーレムを前面に出して、ひと塊になる。
「シュピーゲル、わたしたちは伝説を超えるよ」
だって、今の勇者一行は、わたしたちなんだから。
かくして、新世代の魔法使いと伝説の勇者一行の戦いが始まった。
暑い…