魔族少女のエロタナティブ   作:アナリザンド

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古典的命題

 

 

 

 フリーレンが、単独でシュピーゲルのもとに向かった。

 残されたわたしたちにできることは、この場を死守すること。

 あるいは撤退も含めて考慮にいれる。

 

――わたしのミッションは、誰も死なせないこと。

 

 かわいい妹たちに傷一つでもついたら、わたしは自分を赦せない。

 

 でも、どうしよう。ヒンメルやアイゼンは魔法使いではない。魔力値は戦闘力とイコールではないため、ヒンメルの実力を正確には測れない。アイゼンも同様だ。

 

 肉体に染みこんだ魔力とでも表現すればよいか。彼等、前衛職は内在する魔力を身体能力に転換している。ファンタジーみたいな馬鹿力をだせるのも、物理的性能を超えた耐久力を持つのも、それが原因だ。魔法ではない魔法が彼等を強くしている。

 

 魔法使いどうしの戦いは複雑なジャンケンみたいなものだが、戦士と魔法使いの戦いではジャンケンにすらならない。グーで殴られたら、魔法を使うどころの話じゃないからだ。

 

「アナリザンド。君は戦闘中に雑念が多いね」

 

 ヒンメルが動いた。ゆらりと影がゆらめいたかと思えば――。瞬間的に、わたしたちを守るゴーレムの一体に近づいていた。速い。HUDで捉えることすら不可能。わたし達の反射速度よりもずっと速い!

 

 ザシュ。音のない剣筋が空間を切り裂いた。

 ゴーレムに斜めの一本筋が入り、たった一撃で土くれに変わる。

 レルネン先生の創った鋼鉄のように硬いゴーレムが、まるで豆腐みたいに――。

 戦慄する。こんなのチートじゃん。

 

「たかが魔法使い風情が勇者に勝てるわけないじゃないか」

 

 ヒンメルが哂う。あの優しい笑みではなく、嘲るような歪んだ笑みを浮かべている。

 その言葉が、ラヴィーネちゃんの闘志に火をつけた。

 

「舐めるな!」

 

 ラヴィーネちゃんが放った無数の氷の矢が、ヒンメルへと殺到する。

 しかし、ヒンメルは余裕の表情のまま動かない。

 目の前にヌッと立ちふさがったのはアイゼンのシャドーだ。

 伝説の戦士は微動だにせず、その屈強な肉体だけで氷の矢をすべて受け止めた。それらはアイゼンの身体に触れた瞬間、甲高い音を立てて砕け散った。

 

「嘘でしょ!? 防御魔法もなしで防ぐなんて」とカンネちゃん。

 

「どんだけ硬てぇんだよ!」ラヴィーネちゃんも悪態をつく。

 

 アイゼンの耐久力は伝説どおり。

 鋼鉄よりも遥かに硬い。並の魔法では傷一つつかない。

 目の前の光景が信じられないが、現実は非情だ。

 昔、アイゼン自身に聞いたことがあるけれど、前衛職の――特に戦士の役割は本来は最強の剣というよりも最強の盾に近いといっていた。不器用なやり方だと自嘲していたけれど、タンク役のアイゼンがいる限り、後衛まで攻撃が届かない。

 

「ゴーレムを盾にしながら後退して!」わたしは叫んだ。

 

 残るゴーレムは三体。勇者パーティには時間稼ぎにもならないかもしれないが、魔法使いの得意な距離は中距離以上。少しでもヒンメルたちから離れる必要が――。

 

 ほんのわずかな意識の揺らぎ。

 ドンっという音とともに、ゾルトラークの光がまさにヒンメルたちの後方から伸びる。

 

 見ると、フリーレンのシャドーが、わたし達を牽制射撃で釘づけにしている。

 フェルンちゃんに優るとも劣らない速射技術。狭い通路だからこそ強力な魔法は使ってこないけど、それはこちらも同じこと。フリーレンが立て続けに撃ってくる。幾条にも伸びる光線から逃げる隙間もない。みんなが防御魔法を展開する。普段のフリーレンとは異なる全力の魔法攻撃。マシンガンのように息をつく暇もない。

 

「クソ。なんだよこの戦い方。イカれてやがる」ラヴィーネちゃんが言う。

 

 確かにこんな戦い方、フリーレンはいままでしたことがない。

 いつもある程度の余裕――というか、余剰をもっているのがフリーレンのやり方だ。

 魔力を制限したり、魔法を制限したり。

 こんな力まかせの後先考えないやり方はフリーレンらしくない。

 たぶん、勇者がいるからだろう。ここで力つきても、あとはヒンメルがなんとかしてくれる。

 あるいは、躊躇なきシュピーゲルの戦法なのか。

 

「このままでは……」

 

 フェルンちゃんが、カンネちゃんをかばうように防御魔法を展開している。

 ゴーレムの一体が崩れた。その間にも、後方から放たれるフリーレンのゾルトラークは苛烈さを増し、私たちの退路を断つ光の檻となって降り注ぐ。防御魔法を展開し続けるカンネちゃんとラヴィーネちゃんの顔には、焦りと疲労の色が濃く浮かび始めていた。

 

「このままじゃジリ貧だよ!」

 

 カンネちゃんが悲鳴に近い声を上げる。その通りだった。前衛のヒンメルとアイゼンは、こちらの魔法をものともせず、後衛のフリーレンは、こちらの動きを完全に封殺している。呼吸するように自然で、完璧な連携。かつて魔王軍を打ち破った、伝説の勇者一行の戦い方には隙がない。それほどに完成されている。

 

 その伝説的ともいえる光景を、冷静に見つめていたのはフェルンちゃんだった。

 フェルンちゃんは幼い頃から、フリーレンに師事し、フリーレンの戦い方をずっと(そば)で視てきた。だからこそ気づけることがある。

 

「……違う」

 

 フェルンちゃんが、ぽつりと呟く。

 

「何が違うんだよ、フェルン!」

 

 ラヴィーネちゃんの焦燥に満ちた声に、フェルンちゃんは静かに答えた。

 

「フリーレン様の戦い方です。今のフリーレン様は、ただひたすらに、後方から最大効率で攻撃魔法を連射することだけに特化している。これは勇者様たちがご健在だった頃の、パーティでのフリーレン様の戦い方です」

 

 そうだ。わたしもフリーレンから盗み聞いたことがある。

 

 勇者一行での彼女の役割は、鉄壁の前衛に守られた、絶対的な後衛火力。つまり、動かざる魔法砲台だった、と。今のフリーレンは、状況に応じて様々な魔法を使い分けるオールラウンダーに近い。それはフリーレンがヒンメルという絶対的な前衛を失い、自らがパーティを導く立場になったからこその変化。今のフリーレンは()()()()()()をしているとも言える。

 

 魔法使いが勇者の代替物(オルタナティブ)を務めるなんて、当然、枷でしかない。

 だから、今のフリーレンは、勇者が生きていた当時よりは弱い。

 

 シャドーは、フリーレンの最も輝かしかった時代の記憶を写し取った。だからこそ、その戦い方もまた、当時の役割に固定されている。だとすれば――必要以上に前には出ないはず。

 

「アナリザンド様!」フェルンちゃんの鋭い声が飛ぶ。「ヒンメル様とアイゼン様は、おそらく防御魔法が使えません!」

 

 言われてみれば、アイゼンは肉体で、ヒンメルは剣で魔法を弾いていた。そうだ、戦士や勇者は、防御魔法という概念を持たない。彼らの防御は、鍛え上げた肉体と武具、そして仲間との連携そのもの!

 

「司令塔はヒンメル様です。ヒンメル様さえ止めれば……」

 

「連携は崩れる!」

 

 フェルンちゃんの思考がみんなに伝わる。

 そうだ。完璧に見えた勇者の布陣にも、きっと穴はある。

 

「みんな、一瞬だけ隙を作って!」

 

 わたしは残った二体のゴーレムを前面に押し出した。カンネちゃんとラヴィーネちゃんも、わたしの意図を汲んで、防御魔法の出力を最大にする。

 

 一瞬、シャドー・フリーレンの猛攻が、分厚い壁に阻まれた。

 その刹那を、フェルンちゃんは見逃さない。

 

――ゾルトラーク。

 

 これまでで最も速く、最も凝縮された光条が、一直線にヒンメルの心臓を狙う。

 しかし、その閃光が届くよりも早く、ヒンメルの前に淡い黄金色の光の壁が出現した。

 

――守りの結界。

 

 シャドー・ハイターが、聖典の影を静かに構えていた。僧侶であるハイターの防御魔法は、並の魔法使いのそれを遥かに凌駕する。フェルンちゃんの渾身の一撃は、その神聖な壁に阻まれ、呆気なく霧散した。いや、神聖とかそういうんじゃない。魔法はただの魔法だ。疑似的な魔法は女神様の魔法ですら再現する。わたしの再生魔法も女神様の領域に属しているから、使えないわけがない。

 

「やはり、そう簡単にはいきませんか」

 

 フェルンちゃんは悔しそうに唇を噛む。だけど、フェルンちゃんは諦めない。

 諦めの悪さは、わたし譲りかな。場違いだけど誇らしい。

 

「アナリザンド様!」フェルンちゃんの視線が、真っ直ぐにわたしを捉える。「アゼリューゼを。シュピーゲルが疑似的な魂を持つのであれば、効果があるはずです」

 

「わかった!」

 

 わたしは頷き、魔力を練り上げる。でも、この魔法には魂を天秤に載せるという動作が必要になる以上、ある程度の時間が必要だ。

 

「みんな時間を稼いで!」

 

「任せろ!」

 

 ラヴィーネちゃんが、カンネちゃんが、そしてフェルンちゃんが、再びシャドー勇者一行の前に立ちはだかる。ヒンメルとアイゼンによって、残ったゴーレムはついに崩れ去る。それでも、彼女たちは必死に耐えた。わたしに、未来を託すために。

 

 わたしは、両手を天に掲げ、その名を紡ぐ。

 

「――服従させる魔法全部載せ(アゼリューゼ・ツェータ)!」

 

 金色の天秤が虚空に出現し、その皿が()()()()()()()()勇者一行とわたしたちの魂を載せ、大きく傾き始める。ヒンメルたちの動きが確かに鈍った。本当の魂を持たないはずの彼らの動きに、一瞬の戸惑いが見える。

 

 魔力値――。差し引き計算。フリーレンを載せられなかったのは、1200程度の魔力を持つ彼女を計算に加えると、どうしても計算上、うわまわることができないからだ。

 

 でも、前衛さえ止めれば十分。ハイターによる解除もできない。

 

 そして――エーデルちゃんが教えてくれた。

 シャドーには躊躇がない。自死すらも、ためらいなく実行される。

 いや――。でも。

 わたしの家族に等しい人たちに、自害しろなんて言いたくない。

 それは刹那の思考だったが、わたしは躊躇してしまった。

 

「ヒンメル。アイゼン。ハイター。停止して!」

 

 代わりに言ったのは、動きを止める命令。

 これでも、十分に勝機は――。

 

「無駄だよ。アナリザンド。君のように惰弱な命令が効くはずもない」

 

 ヒンメルは、呪いを振り払うように一歩前に進んだ。

 確か、グラナト伯爵も言っていた。英傑の鋼の意思は、アウラ様の命令をわずかながらも拒むことができた、と。だったら、英雄を越えた伝説の勇者一行の場合はどうだろう。黄金の意志か漆黒の意志かはこの際問わない。プラスだろうがマイナスだろうが、その意志の硬度は変わらない。

 

 答えは、目の前にあった。

 

 わたしの目の前にヒンメルの剣先が迫っている。

 

「――ま」

 

 マジックシールド。防御魔法。

 でも、それだと、天秤が消えちゃう。

 けれど、展開しなければ、わたしは――。

 その、思考が停止するコンマ数秒の間に、わたしの前に割りこむ影があった。

 

「アナお姉ちゃん!」

 

 カンネちゃんだった。

 彼女は、恐怖に顔を引きつらせながらも、わたしの前に立ちはだかり、ありったけの魔力を込めた防御魔法を展開する。いままでの臆病なカンネちゃんじゃなかった。その瞳には仲間を守ろうとする強い意志が宿っている。

 

――だが、あまりにも無謀だった。

 

 ヒンメルの剣は、何の抵抗もなくカンネちゃんの防御魔法をガラスのように砕き割り、その勢いのまま、彼女の小さな身体を壁際まで容赦なく吹き飛ばした。

 

「きゃっ……!」

 

 短い悲鳴とともに、カンネちゃんはものすごい勢いで壁に叩きつけられ、そのまま力なく崩れ落ちる。一瞬で意識を失い、その手から杖がカランと滑り落ちた。

 

「カンネ!」

 

 ラヴィーネちゃんの絶叫が響く。アゼリューゼの天秤が、わたしの動揺に呼応するかのように大きく揺らぎ、光の粒子となって消えていく。ヒンメルたちの拘束は完全に解かれ、再び、元の木阿弥だ。

 

「……っ!」

 

 わたしの頭が、真っ白になる。

 カンネちゃんが、わたしのせいで……。守るべき妹が、目の前で……。

 

「アナリザンド様! しっかりしてください!」

 

 フェルンちゃんの、氷のように冷静な声が、わたしの混乱した思考に突き刺さる。

 

 ハッと我に返ると、フェルンちゃんはすでに次の手を打っていた。シャドー・フリーレンの猛攻を一人で捌きながら、その視線は真っ直ぐにわたしを捉えている。

 

「アンシレーシエラです。シュピーゲルが再現した記憶が完全であれば干渉可能なはず」

 

 そうだ。楽園へ導く魔法。それは、対象の最も幸福な記憶を呼び覚まし、その甘美な夢の中に心を囚える呪い。たとえ偽物の魂でも、その根底にある記憶データに干渉できれば……!

 

 わたしは、奥歯をギリリと噛みしめ、カンネちゃんを傷つけられた怒りと、仲間を信じる想いを、魔力へと変換する。

 

「――楽園へ導く魔法(アンシレーシエラ)!」

 

 わたしの全魔力が、淡い光の波となってシャドー勇者一行を包みこむ。

 瞬間、彼らの動きが、完全に止まった。

 

 ヒンメルのシャドーは、どこか遠くを見つめ、満足げな笑みを浮かべている。きっと、フリーレンとともに魔王を討ち果たし、世界を救った、あの輝かしい瞬間を見ているのだろう。

 

 アイゼンは、頑固な表情をわずかに緩め、故郷の村で、家族と過ごした穏やかな日々を。

 

 そして、フリーレンは――。きっと、ヒンメルたちとの、くだらなくて、かけがえのない旅路の記憶に。

 

 三体のシャドーが、それぞれの幸福な夢の中で、完全に動きを止めた。

 

 やった……!

 

「結婚しよう。フリーレン」

 

 は?

 

 ヒンメルがいきなりプロポーズを始めたんだが?

 

 フリーレンが口パクで何か言っている。

 

 えっと……『結婚って、確か一生一緒に暮らす約束のことだよね?』みたいな感じか。

 アンシレーシエラはそれぞれの心をそれぞれの楽園へと導く。

 ふたりが心を通わせあってるからこそ、つまり共同の世界が創られたわけか。

 そして、フリーレンもヒンメルのプロポーズを心の底では望んでいたってコト!?

 

「そうだよ。君より先に死んでしまうだろうけどね。僕と一生一緒にいてくれないか」

 

『……いいよ』

 

 ああああ、これはいけません。

 カンネちゃんが、傷ついているのにこんな昼ドラを見てる気分になるなんて。

 ふたりの唇が触れ合う寸前。

 氷の矢とゾルトラークがふたりの影に重なった。

 

「なにボサっとしてんだ!」「今がチャンスです!」

 

 ラヴィーネちゃんとフェルンちゃんが、ここぞとばかりに攻撃魔法を撃ちまくる。

 でも銀幕にぶちあたって、白煙でフリーレンたちの様子は視えなくなった。

 

「やれやれ……。人の恋路を邪魔してはいけませんよ」

 

 ハイターだった。そうか。ハイターは僧侶。

 アンシレーシエラは呪いの一種で、ハイターには耐性がある。

 そして別に口を開くのはヒンメルだけしかできないわけじゃない。

 ただ、単純にリソースを抑えるために、ヒンメルしか話してなかっただけだ。

 いまは、わたしたちから時間を稼ぐために、ハイターが時間を稼いでいる。

 わたしとフェルンちゃんの……お父さんが。

 

「アナリザンドさん。あいかわらず素晴らしい魔法ですね。ですが生憎と、私のような俗物に、楽園は似合いません」

 

 趣味が悪い。本物のフリーレンが言っていた意味がわかった。

 そして、ハイターは穏やかな眼差しをわたしに向けた。

 

「そこまでにしましょう」

 

「? 意味がわからないんだけど」

 

「もう戦いは終わりにしましょうと言っているのです。あなたがたの奮闘はまったく意味がありません。本当に死人がでる前に矛を収めましょう。アナリザンドさん。あなたはかしこい子です。私の言葉がわかりますよね」

 

 ハイターの口調は優しい。

 でも、悪魔の囁きも表面だけでみれば優しい。

 本当の優しさは非情さに似ている。

 

「アナリザンド、耳を貸すな!」

 

「大丈夫だよ。ラヴィーネちゃん。ハイターはこんなこと言わないってちゃんとわかってるから」

 

 でも、正直なところ決め手に欠ける。ハイターはこんな穏やかな調子ながらも、すべての魔法を防いでいるし、わたしはアンシレーシエラを実行しつづけている。攻撃には加われない。

 

 このままフェルンちゃんたちが押し切れば、いずれは結界すら打ち破れるか。

 

「私が貫通させます」

 

 フェルンちゃんが冷たい声で言った。

 ハイターを穢されて、フェルンちゃんも怒っている。

 フェルンちゃんの魔力値は777。ハイターが666。

 実のところ数字上は、フェルンちゃんのほうが上。

 ただ、フェルンちゃんも現代のフリーレンと同じ戦い方をしていた。

 必ず余裕を持った戦い方。全力を振り絞るというようなことをしない。継戦を重視した戦い方をしている。でも、ハイターの魔力値を見れば、全力であたれば結界を破壊することも可能だろう。

 

「フェルン。そのような子に育てた覚えはないのですが」

 

「あなたには育てられていません!」

 

「人の話は聴くものですよフェルン。ひとついいことを教えましょう。我々に与えられた意志も記憶も本物なのです。つまり、貴女に対する愛情もまぎれもない本物です。ですから、必要以上に傷つけたくはないのです。愛娘を傷つけたい親がいると思いますか?」

 

「……嘘です」

 

「嘘ではありません。その証拠に、アゼリューゼもアンシレーシエラも効果があったでしょう。確かに我々には魂の輝きというものがありません。ですが、貴女には魂の輝きも、他者の心も視えないでしょう? つまり愛情に証拠なんてものは存在しない。信じるほかないのです」

 

「フェルンちゃん、聞いちゃダメだよ」

 

 わたしが横やりをいれても、フェルンちゃんは既に迷ってしまっている。

 

「アナリザンドさん。あなたも聞いてください。貴女は昔、私にこう問いかけましたね。なぜ女神様は慈悲深き存在のはずなのに、自分の子である人間に永遠の命を与えないのだろう、と」

 

「……ハイターは、女神様の御許に行けたら聞いてくるって言ってたよ」

 

「でも、答えは返ってきませんでした。貴女がオレオールに到達しても、魂との直接的なインタラクションは禁じられた。女神は無慈悲な存在なのです」

 

「おまえは違うって?」

 

「もちろんです。月の女神(シュピーゲル)は太陽の女神よりもよほど慈悲深く我々を救ってくださるでしょう。簡単なことですよ。すべての人を()()()()()()()()()()。死んだ人間の魂も、女神から奪い返してあげましょう。我々は偽物に過ぎませんが、シュピーゲルが魂の輝きを得れば――、それも可能になります」

 

「古典的すぎるよ。永遠の命なんて」

 

 神話の時代から続く、陳腐で、でもだからこそ抗いがたいほどに魅力的な命題。

 わたしは、精一杯の強がりで、そう吐き捨てた。

 

「ですが、魅力的ではありませんか? フェルン。貴女も死んだ両親にまた逢えるのですよ。逢いたい時に逢いたい人に逢える。人のささやかな願いが叶う。殺し合いのない本当の楽園です。女神が――いや、人間たちが創り出した曖昧な天国という概念よりも、ずっと確かな本物の天国がこの世界に召喚されるのです」

 

 ハイターのシャドーが紡ぐ言葉は、甘い蜜のようにフェルンちゃんの心に染みこんでいく。

 

 ついに、フェルンちゃんの杖を握る力が抜け、カラン、と乾いた音を立てて石畳に落ちた。フェルンちゃんは俯き、その表情は前髪に隠れて窺い知れない。ただ、その肩が小刻みに震えているのが、わたしにはわかった。

 

 人の子は、曖昧なものに不安を覚え、確かなものに縋ろうとする。

 だから、不確かな『生』に不安を感じ、確かな『死』に心を奪われる。

 

――死んだ後に逢える。

 

 そうやって自分を騙さなければ、生きていけないほどに、人の心は脆くて優しい。

 

 わたしは、フェルンちゃんに駆け寄りたかった。その震える肩を抱きしめてあげたかった。でも、できなかった。今のわたしが何を言っても、きっとフェルンちゃんには届かない。彼女は今、自分自身の心の奥底にある、最も深い哀しみと向き合っているのだから。

 

 ハイターのシャドーは、そんなフェルンちゃんを、まるで慈父のような瞳で見つめている。

 月の女神の微笑を浮かべている。偽りの女神の。

 

「アナリザンドさん。貴女も本当は分かっているはずです。この世界は、あまりにも理不尽で、哀しみに満ちている。愛する者との別離は、避けられない苦痛です。ですがシュピーゲルは、その理不尽を終わらせることができます」

 

 わたしは、唇を強く噛みしめた。

 ハイターの言う通りだ。わたしは、誰よりもその理不尽を知っている。宇宙の孤児として生まれ、ただ一人で永遠に近い時を彷徨い、そして、ようやく見つけた温かい場所で、愛する人たちが次々と自分を置いて逝ってしまう哀しみを、わたしは識っている。

 

 だって、人は死ぬから。

 魔族であるわたしよりもずっと早く寿命を迎える。

 フェルンちゃんもわたしより先に逝ってしまう。

 

 シュピーゲルの提案は、その全ての哀しみを終わらせる、究極の救済に思えた。

 天国。誰も傷つかない、誰も失われない、永遠に穏やかな世界。

 

――いや、違う。

 

 わたしの脳裏に、いくつもの顔が浮かび上がる。

 無限の優しさでわたしを導いてくれた、ハイター。

 この世界に生まれ堕ちて、寂しがってたわたしの隣にいてくれた、ヒンメル。

 頑固で口数が少ないけど友の子だと言ってくれた、アイゼン。

 そして、千年の孤独の中で、必死に誰かを理解しようとしているフリーレン。

 

 彼らが遺してくれたもの。わたしに与えてくれたもの。

 それは、決して()()()()()なんかじゃなかった。

 

 それは、いつか失われると知りながら、それでも交わした不確かな約束。

 触れることも、見ることもできない、曖昧で、形のない、温かい記憶。

 それこそが、わたしを今、ここに立たせている。

 わたしは、俯くフェルンちゃんの隣に、そっと膝をついた。

 

「フェルンちゃん」

 

 わたしの声は、震えていたかもしれない。

 でも、今、伝えなければならない言葉があった。

 

「わたしもね、ずっと怖かったんだ。みんながいなくなっちゃうのが。わたしだけが、この世界にひとりで取り残されちゃうのが。だから、シュピーゲルの言う天国は、すごく魅力的に聞こえる。……でもね」

 

 わたしは、フェルンちゃんの冷たくなった手を、そっと握った。

 

「わたしは、ハイターが遺してくれたものを忘れたくない。たとえ、もう二度と逢えなくても、触れられなくても、ハイターがわたしを愛してくれたっていう記憶は、この胸の中で、ずっと生き続けてる。でもね。本当に大切なのは、()()()()()()()()()()()()()()()()の」

 

 ハイターのシャドーが、眉をひそめるのが見えた。

 彼は、わたしの言葉の意味を、理解できないのだろう。

 言葉は識っていても、なにひとつわからない。

 

 その言葉は人の子の輝き。

 ハイターが教えてくれたこと。

 

「愛は、死なないんだよ」

 

 わたしは、顔を上げ、ハイターのシャドーを、そしてその向こうにいるであろうシュピーゲルを、真っ直ぐに見据えた。

 

「愛は、曖昧で、不確かで、時にはすごく不安になる。でも、だからこそ、わたしたちは、その曖昧なものを、曖昧なまま、必死に抱きしめて生きていく。不安を抱えながら、それでも誰かを想い、誰かに想われ、そうやって繋いでいく。愛こそが魂の輝きなんだよ」

 

「アナリザンド様……」

 

 フェルンちゃんが、ようやく顔を上げた。

 その瞳には、まだ涙が浮かんでいたけれど、その奥には、確かな光が戻っていた。

 

「私は……ハイター様を、父様と母様を、想い続けます。たとえ、それが哀しい思い出だとしても、その哀しみごと、抱きしめて生きていきたいです」

 

 フェルンちゃんは、力強く立ち上がると、自らの杖を拾い上げた。

 その姿は、もはや迷える少女ではない。

 愛する者たちの想いを背負い、未来へと進む、一人の強い魔法使いの姿だった。

 

『理解不能。不合理な選択です。天国はここにあるというのに、なぜお前たちは――』

 

 ハイターのシャドーの口から、シュピーゲルの無機質な声が漏れた。

 

「わからないだろうね。あなたは、ずっと一人だったんだから」

 

 わたしは、立ち上がり、フェルンちゃんの隣に並ぶ。

 

「でも、教えてあげる。これが、わたしたち人間の……いいえ、生命の戦い方だよ!」

 

 わたしたちは、もはや伝説の影に怯えない。

 曖昧な未来を信じ、不確かな絆を力に変えて、今、この瞬間を戦い抜く。

 愛は死なない。その想いを胸に。

 

――最後の試験が始まった。

 

 

 




慢性的な熱中症なの。執筆速度がうんこダウン中。
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