魔族少女のエロタナティブ   作:アナリザンド

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要件定義

 

 

 

「お願い。フリーレン。不合格になって!」

 

「はぁ?」

 

 呆れた声が待機室に響いた。

 

 一体何を言っているんだこいつは。

 フリーレンだけでなく、その場にいた全員の顔にそう書いてあった。カンネちゃんも、ラヴィーネちゃんも、デンケンお爺ちゃんすらも、わたしの突拍子もない懇願に目を丸くしている。

 

 無理もない。二次試験ではあれだけフリーレンを助け、仲間として共闘したはずのわたしが、今度は手のひらを返したように「不合格になれ」と泣きついているのだから。

 

 だけど、わたしにはそう言うしか道はなかった。

 ほんの十分前、ゼーリエ先生との圧迫面接で、無慈悲な宣告を受けたのだから。

 

「――つまり、フリーレンが合格すれば、おまえは不合格。フリーレンが不合格になれば、おまえは合格。そういうことだ」

 

 はい無慈悲。

 

 庭園の花を見やりながら、ゼーリエ先生はこともなげに言い放った。

 

「それじゃあ、まるでゼロサムゲームじゃない!」

 

「その通りだ。私は、おまえとフリーレン、どちらか一方にしか一級魔法使いの資格を与えるつもりはない。誰かの勝利は誰かの敗北。逆に言えば、フリーレンが負ければおまえの勝利というわけだ。これ以上ないほどに明らかな証明だろう」

 

「一級魔法使いの試験って相対評価だったの? いま初めて聞いたんだけど」

 

「いま初めて言ったからな」

 

「後だしジャンケンだよ!」

 

「だからどうした。私が決めた基準が不満か?」

 

 これが、ゼーリエ先生の言う『要件定義』だった。つまるところ、要件定義は最初に明らかにしておきましょうという話だ。最初にそうしなかったわたしが悪い。先生もズルいって思うけどね。

 

 先生の言いたいことは、数学よりも簡単な問題だ。

 

 フリーレンの勝利と、わたしアナリザンドの敗北は、コインの裏表のように、分かちがたく結びついている。わたしが勝つためには、フリーレンが負けなければならない。二者択一式のデスゲームである。

 

「わたし、フリーレンとは戦いたくないんだよ。ずっと言ってるよね、わたし!」

 

「べつに、おまえにフリーレンと直接魔法で殴り合えと言っているわけではない」

 

 先生は、楽しそうに唇の端を吊り上げた。その表情は、これから始まる残酷な遊戯を心待ちにしているかのようだ。やっぱりバトルジャンキーBBA……。

 

「フリーレンの面接は、最後にしてやろう。他の受験者たちの面接が終わるまで、およそ三時間といったところか。その間に、おまえのその舌先三寸でフリーレンを説得し、自ら試験を辞退させるか不合格を選ぶかさせてみせろ。それがおまえの勝利条件だ」

 

「せ、説得!? あのフリーレンを!?」

 

 魔族絶対殺すウーマンからは少しは脱却したとはいえ、いまだにわたしのことを敵対視しているフリーレンである。

 むしろ、敗北してねと言われれば勝利を目指すような天邪鬼システムのように思える。

 けれど、わたしに勝ってねとか言ったところで、それもまたアウトオブコントロール。

 すわアナリザンドの策謀かということで、ゼーリエ先生に探りを入れるのは想像にたやすい。

 

「他人を思い通りに動かすなんて難しいよ」

 

 ましてやフリーレンである。

 まだしも魔族にアイラブユーと言わせるほうが容易いように思える。

 

「無論、ただでやれとは言わん」

 

 ゼーリエ先生は、一本の指を立てる。

 その指先には、私の運命を左右する黄金の光が宿っていた。

 

「もし成功すれば、おまえが私に負っている借金、その全てを帳消しにしてやろう。だが――失敗すれば、借金は倍だ」

 

 借金ゼロ。その言葉の甘美な響きと、借金倍増という地獄の釜の蓋が開く音が、私の頭の中で激しく衝突した。先生のお口が鎌の刃先のように歪んでいる。

 

 ゼーリエ先生が、ビンビンに愉しんでらっしゃる!

 

「さあ、どうする? アナリザンド。おまえの交渉術とやらを、私に見せてみろ」

 

 かくして、わたしの人生を賭けた、史上最も困難なネゴシエーションが始まったのである。

 

 

 

 

 

「……というわけなの! だからお願いフリーレン! わたしのために不合格になって!」

 

 わたしは、待合室の床に盛大なスライディング土下座をかまし、フリーレンのローブの裾に泣きついた。プライドも誉れも何もない。あるのはただ借金倍増への恐怖と、借金ゼロへの強烈な渇望だけだ。

 

 いろいろと策は考えた。しかし、いずれも脳内で瞬時に棄却された。

 フリーレンに嘘は通じない。というか、魔族の嘘には一際警戒心が強い。

 

 結局のところ、真正面からぶつかるというのが最も効果的だろうというのが、わたしなりの魔族的判断だった。これ以上ないほどに見事な命乞いだと自負している。

 

 フリーレンは、足元にすがりつく私を、心底面倒くさそうに見下ろしている。

 その翠色の瞳は、まるで道端の奇妙な虫でも見るかのようだ。

 

 だが、()()()()()。その視線には価値判断が含まれている。嫌悪というのは、相手の存在を認めているからこそ生じる価値判断なのだ。フリーレンは会話もなく、わたしを消し去ろうとはしていない。

 

「……おまえは本当に、馬鹿な魔族だ」

 

「馬鹿でいい! アホでも間抜けでも構わない! だからお願い! 一生のお願い!」

 

 喰らえ。ラント君にも効果があった、角ぐりぐりお願い攻撃!

 

 が、ダメ。

 

 フリーレンには効果がなかった。微動だにしない。

 

「一生のお願いは、本当に一生に一度しか使えないんだ。おまえの一生のお願いはそんなに軽いものなのか?」

 

 どこか遠い目でフリーレンが言う。その視線の先には、きっと若き日のヒンメルがいるのだろう。だが、今はそんな感傷に浸っている場合ではない。

 

「わかったよ! じゃあ、わたしの全財産をあげる! APの創始者であるわたしの全財産だよ!? すごいよ! ほんとにすごいよ!?」

 

「おまえの財産は、ほとんどゼーリエへの借金だろう。おまえの財産を引き継いだら、私はその瞬間に借金まみれの破産エルフだ」

 

「うっ……」

 

 フリーレンは単純相続という概念を理解していた。単純相続とは、プラス財産もマイナス財産もなべてすべて単純に相続することになる。つまり、わたしの財産はプラスマイナスあわせてマイナスなので、その借金をすべて背負うことになるのである。

 

 魔族らしい奸計だったのだ。フリーレンには通じなかったが。

 

「でも、わたしにとっては先生との一番強いつながりなの」

 

「だったら、それはおまえのものだろう」

 

 フリーレンは、ふぅ、と長い息を吐くと、わたしのことなど意にも介さず、近くの椅子に腰を下ろし、どこからともなく取り出した魔導書を読み始めてしまった。

 

 完全なる無視。シカトザンドである。

 

「アナリザンド様。先ほどはフリーレン様に合格してほしいとおっしゃっていましたよね。たった十分かそこらで宗旨替えするのはいかがなものかと思います」

 

 フェルンちゃんがちょっとムッスゥ顔になって、わたしを非難する。

 その非難は至極まっとうなものだったが、背に腹は代えられないって言うよね。

 

「フェルンちゃん。これはわたしとフリーレンの魂の戦いなんだよ。しばらく見守っててほしい」

 

「……わかりました。私には得体の知れない深遠な戦いなのですね?」

 

 フェルンちゃん、ほんと素直ないい子。

 

 ともあれ、わたしはまだ完全にフリーレンに負けたわけではない。なぜなら、一見するとわたしと会話を交わさないというフリーレンの待機行動は、勝利への積極性に欠けるからだ。

 

 おそらく十中八九、フリーレンは一級魔法使いになれなくてもよいと思っている。どっちでもいいと考えている。だったら、そこに隙があるはず。

 

 私はむくりと起き上がると、フリーレンの隣の椅子にちょこんと座った。

 そして、作戦フェーズ1『合理的利益の提示』を開始する。

 

「ねえフリーレン。ちょっとだけ聞いてほしいんだけど」

 

「……」

 

「わかってる。わたしが嫌いなんでしょ。でもさ、これはビジネスの話。フリーレンにだってメリットがあると思うんだ。例えば、フリーレンがここで試験を辞退してくれたら、わたしの借金はチャラになるよね。借金から解き放たれたわたしは、フリーレンの旅をいままでよりいっそう経済的に支援できるよ。もちろん、ネットの管理者であるわたしは情報という意味でも、フリーレンを助けることができる。わたしに勝ちを譲ってくれたら、その対価として最大限の情報を提示できると思うんだ。ね、フェアな取引でしょ」

 

「おまえの助けなんてなくても旅は続けてこれた」

 

「オルデン家では、フリーレンも旅費がなくなって困ってたじゃん」

 

「おまえが稼がなければ旅は少しの間、停滞していたかもしれない。だけど、それだけだ」

 

「旅がスムーズに進む。これってフリーレンにとってはたいしたことないかもしれないけれど、タイパが大事な人間にとってはとても重要なことなんだよ。フェルンちゃんの旅もあんまり長引かせないほうがいいでしょ。それはわかるよね?」

 

「おまえに言われなくてもわかっている」

 

「じゃあ」パァと希望に溢れる顔3を選択。

 

「おまえは、フェルンの旅にピンポイントでしか参加していない。おまえが一級魔法使いになるより、私が一級魔法使いになったほうが、旅はスムーズに進むはずだ」

 

「むぐぐ」

 

 手ごわい。わたしの存在価値自体をあまり認めていない感覚がする。

 

 作戦フェーズ1『合理的利益の提示』は、フリーレンの、より大きく、より現実的な『合理的利益』の前に木っ端微塵に粉砕された。

 

 だが、ここで心が折れる私ではない。

 論理でダメなら、情に訴えるまでだ。

 

 私は、すっと立ち上がると、今度はフリーレンの正面に回り込み、その視界を塞ぐように仁王立ちした。そして、おもむろに、わたしが持つありったけの『妹力』……ではなく、他人の妹力を最大限に利用する、悪魔的作戦を開始する。

 

 作戦フェーズ2『感情への訴えかけ(フェルンちゃん利用編)』!

 

「そっか。フリーレンは、旅を続けるために、一級魔法使いになりたいんだね」

 

 わたしは、わざとらしく肩を落とし、悲しげな表情を作る。

 

 フリーレンは、魔導書から顔を上げ、いぶかしげにわたしを見ている。よし、まずは注意を引くことに成功した。

 

「でもさ、それって本当に、フェルンちゃんのためなのかな?」

 

「何が言いたい?」

 

 フリーレンの声に、わずかな警戒の色が混じる。わたしは、少し離れた場所で心配そうにこちらを見守るフェルンちゃんに、ちらりと視線を送った。

 

「フリーレンが一級魔法使いに()()()()()()理由のほとんどはフェルンちゃんがそれを望んでいるからでしょ。フリーレン自身は試験の合否はわりとどうでもいいって思っている」

 

「否定はしない。だけど、おまえにどうこう言われる筋合いもない」

 

「フェルンちゃんには、ほんのちょっとだけ自分に自信がないんだよ。だから、師匠であるフリーレンが試験に受かるのは当然で、自分は落ちるかもしれないって思ってる」

 

「それはそうだろうね。フェルンはあまり自分を客観視できていない」

 

「だったら、フェルンちゃんのために一歩引くというのが、本当の師匠の在り方として正しいと思わない? フリーレンが不合格になっても、フェルンちゃんはきっと合格する。フリーレンもそうなるって信じてるでしょう?」

 

 フリーレンは、しばらくの間、黙り込んだまま、わたしをじっと見つめていた。

 その翠色の瞳の奥で、高速で思考が巡らされているのがわかる。

 わたしの言葉の真偽を、その裏にある意図を、彼女の千年の経験が値踏みしている。

 

 いやわたしの言葉が嘘かどうかなんてどうでもいいのだ。

 フェルンちゃんをどう感じているか。どう評価しているかが主体なのだから。

 そして、師とはなにかという問題でもある。

 

「フランメならそうしたんじゃない? だって、フランメが存命中も、フリーレンはずっとフランメといっしょにいたわけじゃないんでしょ。弟子を信じて送りだした面があると思うの」

 

 この論理には穴がないはずだ。

 

「……確かに、フェルンなら合格するだろうね」

 

 やがて、フリーレンは静かに認めた。

 その声には、弟子への揺るぎない信頼が滲んでいる。

 

「フェルンは、私が思っているよりもずっと強い。私がいなくても、一人で道を切り拓いていけるだけの力を、もう持っている」

 

「でしょ!? だったら、話は簡単だよ! フリーレンがここで辞退すれば、フェルンちゃんは『師匠ができなかったことを成し遂げた』っていう、大きな自信を得ることができる。それは、フェルンちゃんがこれから一人で生きていく上で、何よりも大きな力になるはずだよ!」

 

 わたしは、畳み掛けるように、勝利への道筋を語る。

 弟子の成長のために、あえて負けを演じる師匠。なんて美しい物語だろうか。

 その物語は黄金の光で脚色されている。

 

 聞き耳たててるフェルンちゃんがプチムッスゥというか、なんか複雑そうな顔になってるけれども、姉どうしの魂をかけた戦いに口を出すほど無粋ではないみたいだ。

 

 フリーレンは、ふっと息を吐くと、どこか遠い目をした。

 

「……フランメも、そうだったかもしれないな」

 

 きちゃ! 第三次試験、完!

 

「私の師匠フランメは、私を育て上げた後、私の前から姿を消した。自分の弟子が、自分を超える存在になることを信じていたからだろう。師が弟子の壁になってはいけないと、そう思っていたのかもしれない」

 

 フリーレンの言葉に、わたしは内心でガッツポーズをした。

 完璧だ。フリーレンは自らの過去の記憶と、わたしの提案を重ね合わせている。

 もはや、彼女がこの提案を断る理由はない。

 わたしが勝利を確信し、口元が緩むのを必死に堪えていた、その時だった。

 

「――だけど、私はフランメじゃない」

 

 フリーレンの、きっぱりとした声が、わたしの甘い幻想を打ち砕いた。

 

「フランメは私よりもずっとスパルタ式だったよ」

 

「フリーレン様も、かなりのスパルタ式だったと思いますが……」

 

 フェルンちゃんが小声で反応する。

 そうだそうだ。もっと言ってやって!

 この冷たいエルフに!

 

「と、ともかく――私はフェルンを独りきりにさせるつもりはない。フェルンが不安なら、私が隣に立つ。フェルンが壁にぶつかったなら、私がその壁を一緒に壊す。それが、私のやり方だ。師匠とか、弟子とか、そんな簡単に割り切れるような役割分担じゃない。フェルンはもう私の背中を預けられる対等な仲間だ」

 

「ぐぅ……」

 

 ぐぅの音もでないとはこのことだろう(でてるけど)。

 感情面でも、わたしの言葉を上まわるとは。

 

 このエルフ、成長――いや、進化している。

 

 だが、ここで諦めるわたしではない。

 あきらめの悪さなら、わたしだってフリーレンに負けない。

 

 論理がダメなら、感情で。感情がダメなら、もっと根源的な、フリーレンの魂に刻み込まれた存在で揺さぶるまでだ。

 

 作戦フェーズ3、最終奥義『ヒンメルならどうしたか』理論、発動!

 

「そっか。フリーレンは、仲間としてフェルンちゃんの隣に立つんだね。うん、素敵だと思う」

 

 わたしは、一度大きく頷いてみせ、フリーレンの決意を受け入れたフリをする。そして、ゆっくりと、まるで大切な宝物を扱うかのように、その名を口にした。

 

「でもさ、フリーレン。その考え方って、本当に()()()()()()()のかな?」

 

 ピクリ、と。

 フリーレンの肩が、ほんのわずかに震えた。

 待合室の空気が、一瞬で張り詰める。

 ヤバ。このエルフ、人を殺す目をしております!

 魔族とか人間とかもはや関係ねぇ! 命の危険を感じる。

 でも今更言葉を引っ込めることはできない。

 

「何が言いたい?」

 

「ヒンメルは、いつだって仲間の先頭に立って、誰よりも輝いていた勇者だった。そうだよね? 彼は、誰かの隣に並び立つんじゃなくて、みんなを導く太陽みたいな存在だった。仲間が不安なら、その不安を吹き飛ばす圧倒的な強さとカリスマで、道を切り拓いてきた」

 

 わたしは、フリーレンの記憶の中の、最も輝かしい勇者の姿を言葉で描き出す。

 それは、わたしの中にもある記憶。フリーレンとは異なるかもしれないけれど、ヒンメルは死ぬまでヒンメルだった。勇者だったんだ。わたしはそれを識っている。

 

「もし、ヒンメルが今のフリーレンと同じ立場だったら、どうしたと思う? 彼はきっと、こう言うよ。『僕が合格するのは当たり前だ。だって僕は勇者ヒンメルだからね!』って。そして、不安がるフェルンちゃんには、『君も僕を信じてついてくればいい。僕がいる限り、君は絶対に大丈夫だ』って、キザなセリフで安心させるんだ」

 

 それは、フリーレン自身が、誰よりも識っているヒンメルの姿のはずだ。

 自信に満ち溢れ、どんな困難も笑顔で乗り越えていく、絶対的な英雄の姿。

 勇者の面影。

 

「フリーレンは、ヒンメルみたいに、フェルンちゃんの絶対的な支えになってあげたいんじゃないの? 仲間として隣に立つなんて、そんな控えめなやり方、ヒンメルは絶対に選ばない。彼は、師匠とか仲間とか、そんなちっぽけな枠組みを超えて、ただひたすらに、フェルンちゃんが信じるに足る、圧倒的な()()であろうとするはずだよ」

 

 わたしは、フリーレンの瞳を真っ直ぐに見つめ、最後の問いを投げかける。

 

「フリーレンは、ヒンメルのようには、なれないの?」

 

 つまるところ――言外に。

 

 ヒンメルの遺言を受け取る覚悟ができたのなら、ヒンメルの振る舞いも理解しておこなえるはずだという理論。なんという悪魔的な狡知だろう。自分で自分が恐ろしい。

 

 まあ、この試験が終わったら、フリーレンはわたしの家に招待しようとは思ってるけど。

 

 フリーレンとも、少しは仲良くなれたと思うし。

 

 でも、試験だけは……。試験だけは勝たせて! プリーズ!

 

 フリーレンは、答えなかった。

 ただ、唇を固く結び、俯いてしまう。

 その姿は、まるで答えを見つけられない迷子のようだ。

 

 わたし、悪い子かもしれない。

 ほんのちょっとだけ人の子としてフリーレンの痛みに共感してしまう。

 だけど、ダメージテストは必須。ヒンメルの遺した言葉はフリーレンを破壊してしまう可能性がある。フリーレンと繋がったあの一瞬。シュピーゲルはなにやら嘘を伝達していたみたいだけど、ヒンメルのディスクリプタは『結婚しよう』なんて言葉じゃない。

 

 もっと、呪いのようで――。強烈な。

 

 フリーレンも薄々感づいているのかもしれない。直感という技能はエルフの超長寿からもたらす経験知なのだろうから。

 

 待合室の誰もが、息を呑んでフリーレンの次の言葉を待っていた。

 フェルンちゃんですら、師の見たことのない姿に、どう声をかけていいか分からず、ただ心配そうにその背中を見つめている。

 

 やがて、フリーレンは、ゆっくりと顔を上げた。

 その翠色の瞳には、もう迷いはなかった。

 だが、そこに宿っていたのは、私が予想していた苦悩や諦めではなかった。

 それは、どこまでも澄み切った、静かな決意の光だった。

 

「……そうか」

 

 フリーレンは、ぽつりと呟いた。

 まるで、長年探し続けてきた答えを、ようやく見つけたかのように。

 

「おまえの言う通りだ、アナリザンド。私は、ヒンメルにはなれない」

 

「……え?」

 

 予想外の、あまりにもあっさりとした肯定。

 わたしは、思わず間の抜けた声を上げた。

 

 フリーレンは、そんな私を一瞥すると、静かに続けた。

 

「私は、ヒンメルのように太陽にはなれない。誰かを照らし、導くような、そんな圧倒的な光は持っていない。私は、()()()()()使()()だ。不器用で、無愛想で、千年経っても、人の心の半分も理解できない、ただのエルフだ」

 

 その言葉は、自嘲のようでありながら、どこか誇らしげにさえ聞こえた。

 

「だから、私は、私のやり方で戦うしかない。ヒンメルが遺してくれたものを、私なりに繋いでいくしかないんだ」

 

「あなたはヒンメルみたいになりたかったんじゃないの?」

 

 フリーレンは、ゆっくりと私に向き直った。

 

「ヒンメルは、私に『勇者になれ』なんて、一度も言わなかった。ただ、『フリーレンはフリーレンのままでいい』と言ってくれた。……そうでしょ?」

 

 その問いかけは、わたしに向けられたものでありながら、同時に、フリーレン自身の心の中にいるヒンメルへと向けられたものだった。

 

 生者は死者と接続している。

 

 フリーレンは死者の声を聴いている。

 

「私は、ヒンメルを真似るんじゃない。ヒンメルと対話するんだ。ヒンメルならどうしたか、と考えることは、ヒンメルの模倣をすることじゃない。ヒンメルの想いを汲み取り、その上で、私自身の答えを出すことだ」

 

 フリーレンの瞳が、真っ直ぐに私を射抜く。

 

「そして、今の私の答えは、変わらない。私はフェルンの隣に立つ。勇者としてではなく、ただひとりの魔法使いとして。それが、ヒンメルが私に望んだことであり、私が選んだ道だ」

 

「それはあなたが妄想したヒンメルであって、ヒンメルじゃない」

 

 わたしは最後の抵抗を試みる。

 

「そうだよ」

 

 フリーレンは、こともなげに、あっさりとそれを認めた。

 

「え……?」

 

 今度こそ、わたしは完全に言葉を失った。わたしの最後の切り札は、まるで空を切ったかのように、何の手応えもなかった。魔族の言葉は空転する。意味をなさない、単語の羅列。

 

 フリーレンは、そんなわたしを見て、ほんのわずかに口元を緩めた。それは、まるで幼い子供に真理を説くような、穏やかな笑みだった。女神様によく似た。

 

「私の中にいるヒンメルは、私が創り出したヒンメルだ。おまえの中にいるハイターが、おまえだけのハイターであるように」

 

 そんなこと言わないで。

 寂しくて泣いちゃうから。

 

「ヒンメルはもういない。ハイターも。私が直接、ヒンメルたちのこころを知ることは、もう二度とできない。遺されたのは、思い出という、曖昧で、不確かな欠片だけだ」

 

 フリーレンは、窓の外に広がる空を見上げた。

 

「でも、それでいいんだ。私たちは、その不確かな欠片を拾い集めて、自分の中に、大切な人の姿を創り上げていく。忘れないために。ずっと一緒に旅を続けるために。それが、私たち生者が、死者に対してできる、唯一のことなんだから」

 

 青い空。輝く太陽。魂のライン。

 

「おまえもそうなんだろう。アナリザンド」

 

 その言葉を聞いた瞬間、私は、自分が完全に負けたことを悟った。

 勝てるわけがなかったのだ。

 

 わたしは、フリーレンの心を揺さぶろうとしていた。だけど、フリーレンは、その揺さぶりすらも、自らが信じるものへの確信へと変えてしまった。彼女は、死者との関係性において、わたしよりもずっと、ずっと先に進んでいた。

 

 わたしのほうが絶対にお姉さんだと思ってたのに!

 

 わたしは、その場にへなへなと座り込んだ。

 もう、何も言う気力もなかった。

 

 ああ、借金が借金が増えていく。絶望的な未来予測が、私の頭の中をぐるぐると駆け巡る。ゼーリエ先生の愉しげな顔、ミリオンバーガーの幻、そして、永遠に続くかのような労働の日々……。

 

 もうだめだ。おしまいだ。

 

「アナリザンド様……」

 

 フェルンちゃんが、心配そうにわたしの肩に手を置く。

 抱き着いて、フェルンちゃんにうずもれる。

 

「フェルンちゃん。わたし、負けちゃった……」

 

 フリーレンは面接に行き、そしてきっと合格するだろう。

 わたしは借金地獄に堕ちるのだ。

 

――あれ? でもそれって今とそれほど変わらないような。

 

 でもでも、フリーレンに負けたら先生は褒めてくれないだろう。

 それがチクリと針のように胸を刺す。

 やっぱり嫌だって感覚がわたしのなかに満ちていく。

 

「アナリザンド。おまえはひとつ誤解している」

 

 不意に、頭上から静かな声が降ってきた。

 顔を上げると、フリーレンが、いつもの無表情でわたしを見下ろしていた。

 

「誤解って、なに?」

 

「ゼーリエは私を合格させる気はないよ。私が私らしい答えを返せば、必ず不合格にする」

 

「慰めてくれてるの?」

 

「違う。ゼーリエの思考を推測しているだけだ」

 

「ゼーリエ様の思考ですか?」フェルンちゃんは疑問顔。

 

 わたしも同じく疑問顔だ。顔の横にハテナマークを浮かべる。

 

 ゼーリエ先生が、フリーレンを合格させない?

 

 そんなこと、あるだろうか。確かに二人の間には千年の確執があるかもしれないけれど、ゼーリエ先生はフリーレンの実力を誰よりも認めているはずだ。二次試験の時だって、フリーレンの魂の輝きを観測したがっていたシュピーゲルのように、どこか楽しみにしている節があった。

 

「どういうこと? フリーレン。先生があなたを不合格にする理由なんてないじゃない」

 

「あるよ。……というか、私とゼーリエはずっとそうだった」

 

 フリーレンは、どこか遠い目をした。その視線は、千年以上前の、まだ彼女がフランメの弟子だった頃の記憶を辿っているかのようだ。

 

「ゼーリエは、いつだって私に問いを投げかけてきた。『おまえはなぜ魔法を学ぶのか』『おまえにとって魔法とは何か』。そして、私が私なりの答えを出すたびに、あいつは決まってこう言うんだ。『くだらん。おまえの魔法は児戯に等しい』ってね」

 

「それって、ただのパワハラじゃ……」

 

「そうかもしれない」フリーレンは、あっさりと認めた。「でも、私は、ゼーリエがなぜそんなことをするのか、最近になって少しだけわかった気がするんだ」

 

「なにを?」

 

「ゼーリエは、私に()()()()()()()()()()使()()になってほしいんだ」

 

 そんなことがあるのだろうか。

 あの傲岸不遜の。自分とそれ以外という基準でしか切り分けることができない万年エルフが。

 先生がさみしがりやなのは知ってるけど。

 

「ゼーリエは、神話の時代から、たった独りで魔法の深淵を覗きこんできた。その孤独は、きっと私の千年なんかとは比べ物にならない。だから、あいつは探し続けているんだ。自分と同じ景色を見て、自分と対等に語り合える、ただ一人の魔法使いを」

 

 わたしではダメだったみたい。

 先生にとってのわたしってなんだろう。

 不出来な弟子。あるいはペットみたいなものかな。

 それ以上の存在になりたかったけれど、わずか六十年しか生きてない赤ちゃん魔族じゃダメだというのもわかる気がする。

 

「だから、ゼーリエは私を合格させない。私が、あいつの想像の範囲内の答えしか返せない限り、絶対に。あいつは、私が『フリーレンはフリーレンのままでいい』なんて、分かりきった答えを出すことを、とっくに見抜いている。そして、それを『甘えだ』と一蹴するだろう」

 

 フリーレンの言葉に、わたしは息を呑んだ。

 

 だとすれば、このゼロサムゲームは、最初から勝敗が決まっていたということになる。フリーレンは、どう足掻いても不合格になる運命だったのだ。

 

「……じゃあ、どうして……。どうして、さっきまで、あんなふうに……」

 

 わたしと、真剣に戦ってくれたの?

 真剣にこたえをかえしてくれたの?

 

「気に喰わなかったからだよ」フリーレンが珍しくも悪戯っ子っぽい表情を浮かべる。「あいつの掌の上で踊らされるのは、もううんざりだからね。だから、おまえを利用させてもらった」

 

「り、利用!?」

 

「前哨戦だよ。おまえはゼーリエの魔法としてここにいる。気づいてないのか? やっぱり魔族はダメだね」

 

「ひ、ひどい! 人の純情な乙女心をもてあそんで!」

 

「別に。おまえが勝手に踊っていただけでしょ」

 

 フリーレンは、悪びれる様子もなく言い放つと、面接室の扉へと向かった。

 いつのまにやらすべての受験者たちは面接を受け終わっている。

 

「フリーレン。じゃあ、あなたはどうするの? 不合格になるってわかってて、面接に行くの?」

 

「当たり前でしょ」

 

 フリーレンは、振り返り、にやりと笑った。

 ゼーリエ先生に似た傲岸不遜エルフ顔。

 

「ゼーリエに、千年分の文句を言ってくる。そして、あいつが想像もできないような、最高のくだらない答えを、叩きつけてやるんだ」

 

 その姿は、もはや迷えるエルフではない。

 師の師である大魔法使いに、千年越しの反抗期を叩きつけにいく、一人の魔法使いの姿だった。

 その背中を見送りながら、わたしは、ただ呆然としていた。

 そして、なぜか、腹の底から笑いがこみあげてきた。

 

「……あははっ! あははははは!」

 

 ほんと、馬鹿みたい。

 きっと魔法使いはみんなそうなのだろう。わたしも含めて。

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