魔族少女のエロタナティブ   作:アナリザンド

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それぞれの顛末『エーデルパーティ』編

 

 

 

 わずかずつだが、面接室の人物が減っていく。

 カンネとラヴィーネは既に去り、ヴィアベル達もいなくなった。

 

 少しだけスペースの空いた待機室で、エーデルは――()()()()()()()()()

 なにやら、気の抜けた表情をしていて面倒くさそうだ。

 

 正確に言えば、ブライとドゥンストのほうが沈んだ表情をしている。

 アナリザンドの識別記号としてブライは禿、ドゥスントは髭のことであるが(魔族的感性の話である。差別的表現ではない)、ふたりとも活躍の場はそんなになかったと言わざるを得ない。だからこそ沈んでいるのだ。

 エーデルが気のない感じなのは、彼女自身の本性によるものだろう。

 

「早く家に帰って、温かいご飯でも食べておきたいのう」

 

「なに言ってんだ。エーデル。折角つかんだチャンスだぞ!」

 

「そうは言うても、よしんば一級になったとて、ゼーリエに命じられて討伐任務にあけくれるだけじゃ。命令元が変わっただけともいえる。無意味じゃのう」

 

「合格できるなら、それでいいだろうが。ここまで死ぬ思いをしてやってきたんだぞ」

 

「ここまで――か。おぬしも本当はわかっておるのじゃろ。儂らにとって、ここまで来れたのは既に奇跡に近い。これ以上は分不相応というものじゃ」

 

「んなわけあるかよ!」

 

 ブライがそう言うも、彼自身も心のうちではわかっている。

 エーデルは面倒くさがりなわけだが、ただ単に億劫になっているわけではない。

 

 一度は瓶を割った。つまり試験を放棄した身。

 

 アナリザンドが取り持つことで、辛くも二次試験は合格ということになったが、天地がひっくり返っても、ゼーリエの面接を突破するイメージが持てない。まちがいなく、その点について詰問されるに決まっている。

 

 いや――、ブライとしては、もしかすると唯一合格の可能性があるとしたら、この怠惰な姫君なのではないかと思っている。七崩賢の複製体を倒したのは、エーデルなのだから。

 

 なのに、本人のヤル気がないのが、どうにも歯がゆいのだ。

 

 と、そこに――。

 

「エーデルちゃん。おすそわけ持ってきたよ」

 

 いつものように気安く、すり寄ってきたのはアナリザンドである。

 ドーナツをいっぱいにつめこんだ紙箱を両手に、エーデルに近づいてきている。

 

「なんじゃ。アナリザンド。あいかわらずブルジョワじゃのう」

 

「まあ、わたしお金持ちですし」無い胸反らし。「はいどうぞ」

 

 借金倍増の危機にあることはおくびにも出さず、アナリザンドはドーナツを差し出す。

 

 エーデルは気のないふうにドーナツのひとつを摘まんだ。

 ついでにとばかりに、ブライやドゥンストにも配られるが、正直困惑するばかりだ。

 

 なにしろ、ブライもドゥンストも、アナリザンドとの関係は薄い。

 もちろん、ネットを通じて、アナリザンドの配信を見たことくらいはあるが、直接的に会話を交わした経験はない。試験中にわずかに話したくらいか。

 

「アナリザンドさん」ドゥンストが、どこか居心地悪そうに口を開いた。「私たちにまで……ありがとうございます」

 

「なあ、アナリザンド」

 

 ブライが口を開いた。

 

「ん。なあに?」

 

「さっき、他の受験者たちにはアドバイスをしてたろ。俺たちには何かないのか?」

 

「ん~~~~~~」アナリザンドが至近距離からブライを観測している。

 

 膨大な計算量を用いた、量子的な観測をおこなっている。

 客観的に見れば、幼女のジト目。

 

「なんだよ……」

 

 ブライは、そのあまりにも純粋で、しかし全てを見透かすかのような紅い瞳に、思わずたじろいだ。可能性を探っているのだろうか。

 

「……答えは」

 

「答えは?」

 

「ゼンゼ式。かな」

 

「沈黙ってことかよ」

 

「ごめん。ブライ先生のことは、まだよくわからないの。あんまり話もしてないし」

 

「なら合格の確率はどれくらいある?」

 

「……ん。まあ、その……さん、30パーセントくらいかなぁ」

 

 目そらし。

 どう見ても、合格の可能性は低そうだ。

 

「わかってるさ。俺には合格の可能性はたぶんゼロに近いだろうな。だったら、どうしたらいいと思う。一番、合格の可能性の高いやりとりはなんだ?」

 

 ブライの、藁にもすがるような問いかけ。その瞳には、普段の兄貴風な態度とは裏腹の、焦りと不安が浮かんでいる。アナリザンドは、その揺らぎを見逃さなかった。

 

 ブライ自身はサポーターとしての気質が強いようではあるが、彼には彼なりの矜持がある。ひとりの魔法使いとして、できることなら魔法使いの最高峰としての名誉に浴したいと考えている。

 

「ちなみになんだけど」アナリザンドが聞く。

 

「なんだ?」

 

「ブライ先生が、一級魔法使いになりたい理由ってなに?」

 

「名をあげるためだ」

 

「ふむ……誉れってやつだね。わかるよ。理解してる!」

 

 アナリザンドがウンウンと頷いている。そして、ふっと表情を和らげた。

 

 至近距離での観測モードを解除し、一歩下がる。

 そして、悪戯っぽく人差し指を立ててみせた。

 

「いいよ。教えてあげる。ブライ先生が、この絶望的な状況から大逆転できるかもしれない、たったひとつの冴えたやりかたをね」

 

「そんなもんがあったら苦労せんわ」エーデルが水を差す。

 

 だが、ブライとしては疑い半分ではあるが、唯一の希望でもある。

 

「どんなやり方だ?」

 

「うーん。でも、これは超ウルトラ難度の秘策だから、ブライ先生にできるかなぁ。かなりのハイリスクだし、生きて帰れないかもしれない。それでも、いい?」

 

 アナリザンドは、わざと勿体ぶるように間を置く。

 

「ああ……なんだってやってやる」

 

「じゃあ、言うね。ブライ先生がやるべきことは、たった一つ」

 

 アナリザンドは、にっこりと、天使のような、あるいは小悪魔のような笑みを浮かべた。

 緊張感の高まり。

 沈黙こそが、最も大きな声である。

 ブライは自分の心臓の音すら聞こえてきそうだった。

 

「早く言ってくれよ」

 

「ずばり……、ゼーリエ先生に、プロポーズすることだよ」

 

「はぁぁぁぁぁ!?」

 

 ブライの素っ頓狂な声が、待合室に響き渡った。ドゥンストは持っていたドーナツを落とし、エーデルは口に含んだ紅茶を盛大に噴き出した。

 

「な、何を馬鹿なことを言ってるんだ、おまえは!?」

 

「馬鹿じゃないよ。大真面目だよ」

 

 アナリザンドは、混乱するブライを意にも介さず、自信満々に説明を始める。

 

「いい? ゼーリエ先生は、神話の時代から生きてる、最強で孤高の大魔法使い。欲しいものは何でも手に入れてきたし、敵は全部ぶっ倒してきた。そんな先生が、唯一手に入れていないもの。それはおそらく、敬愛でも親愛でもない、男の人からの真っ正直で野性的な恋心だよ」

 

 おそらくレルネンは、敬愛しすぎて、臆病者だったため、そういったフェイズは訪れなかっただろうと予測できる。他の一級魔法使いは知らないが、基本的にゼーリエファンクラブなので、基本的なスタンスは変わらないはずだというのが、アナリザンドの見解だった。

 

「いや、だからって、なんで俺が!?」

 

 ふふん、とアナリザンドは肩を揺らす。

 

「だからいいんじゃないかな。ブライ先生って見た目堅物そうだし。そんな先生が愛をことほぐなんて、絶対にゼーリエ先生の想像を超えているよ。おまえみたいなやつはいなかった。おもしろい。合格だってなるかもしれないじゃない」

 

 アナリザンドの瞳は、キラキラと輝いている。

 魔族の空っぽな頭の中で、名状しがたい壮大なラブストーリーが完成しているかのようだ。

 

「そんなわけ……」

 

「考えてもみてよ。『ゼーリエ、俺はアンタみてぇな強い女は嫌いじゃねえ。俺の嫁になれ!』って、壁ドンしながら言うの! 絶対、先生の心にグッとくるよ! 今までそんなこと言ってくる男の人、いなかったはずだから!」

 

「殺される! 絶対に殺される!」

 

 ブライは顔面蒼白で首をぶんぶんと横に振る。

 

「大丈夫だよ! それに、もしそれで不合格になっても、伝説は残るよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()として、ブライ先生の名前は、大陸魔法史に永遠に刻まれるんだから!」

 

「墓碑としてな!」

 

 ブライは、もはやアナリザンドの暴走を止める術がないことを悟り、頭を抱えてその場にうずくまった。この魔族、狂乱しまくってる。

 

「アナリザンドさん」見かねたドゥンストが、おずおずと口を挟んだ。「その……。今の策は、あまりにも突飛というか……もう少し、現実的な案はございませんか?」

 

「これ以上ないくらい現実的だと思ったんだけどなぁ」

 

 アナリザンドは、心底残念そうな顔で唇を尖らせた。

 それほどに、ブライの合格の可能性は低いということなのだろうか。

 その時、ずっと黙って成り行きを見守っていたエーデルが、ぽつりと呟いた。

 

「いや、案外、悪くないかもしれん」

 

「エーデル(さん)!?」

 

 ブライとドゥンストが、信じられないといった顔でエーデルを見る。

 

「だって、そうじゃろ? どうせ儂らは普通に面接を受けたところで、不合格になる可能性が高い。ならば、アナリザンドの言う通り、一発逆転を狙うのも一つの手じゃ。それに……」

 

 エーデルは、アナリザンドをじっと見つめた。

 

「この魔族は、儂らが思うよりも、ずっとゼーリエのことを理解しているのかもしれん。この突拍子もない策の裏に、何か儂らには見えていない勝算があるのではないか?」

 

 その言葉は、アナリザンドへの、意外なほどの信頼を示していた。

 アナリザンドは、エーデルの言葉に、ぱあっと顔を輝かせた。

 

「そうだよ! エーデルちゃんはわかってくれると思った! そう、これはただの悪ふざけじゃない。ゼーリエ先生の()()()()()()ことこそが、この試験の唯一の攻略法なんだから!」

 

「わかったよ」やがて、ブライが顔を上げた。「やってやるよ。どうせダメ元だ。恥をかくなら、盛大にかいてやるぜ」

 

 その瞳には、ヤケクソと、そしてほんの少しの挑戦者の光が宿っていた。

 かくして、ブライは人類史上最も無謀な求婚者として、ゼーリエの前へと赴くことになったのである。あ~あ。

 

 

 

 

 

 そして、彼は帰ってこなかった。

 

【ブライ:玉砕】

 

 

 

 

 

「やはり帰ってこなかったのう」

 

 エーデルは、頬杖をつきながら、小さくため息をついた。

 待合室にすら帰ってこないところを見ると、結局ダメだったのだろう。

 何が起こったのかまではわからないが、ブライは無事なのだろうか。

 

「あの、アナリザンドさん」ドゥンストが口を開いた。

 

「ん。なぁに?」

 

「ブライさんは……その、大丈夫なのでしょうか」

 

――もちろん生命的な意味で。

 

 ドゥンストは心配そうに聞いた。

 

 アナリザンドの大きなまんまる瞳が揺れている。

 

「女神様の御許には行ってないと思う。たぶん」

 

「あなたが太鼓判を押してたんじゃないですか」

 

「太鼓判を押したという解釈には、少し語弊があるかな」

 

「どういうことです?」

 

「わたしが提示したのは、あくまでゼーリエ先生の想像を超えうる、期待値が最も高いルートのシミュレーション結果だよ。第一目標は合格ではなくて、想像を超えること。その点において、ブライ先生は完璧にミッションを遂行したと言えるんじゃないかな?」

 

 アナリザンドは悪びれる様子もなく、にっこりと微笑んでみせる。

 

「もちろん、その結果としてブライ先生の社会的ステータスがどう変動するかまでは、パラメータが不足していて予測の範囲外だったけどね。実行者っていう最大の変数がいたわけだし。合格するかは完全に賭けだったよ」

 

「あまりにも無責任ではありませんか」

 

 ドゥンストの、心の底からの、しかし抑えた声が響く。

 無理もなかった。

 彼の相棒は、この魔族の突拍子もない提案のせいで、今まさに生死不明なのだ。

 

「わたしの中の<わたし>が――大変申し訳ありませんでした」

 

 スっと、アナリザンドは一切のよどみなく頭を下げた。

 その動きはあまりにも滑らかで、あまりにも軽やか。

 まるで、床に落ちたドーナツの粉を払うかのような、日常的な所作。

 謝罪という行為に込められるべき重みが、そこには一片も感じられなかった。

 その表情は、反省の色など微塵もなく、むしろ「はい、これで謝罪というタスクは完了しましたよ」とでも言いたげな、晴れやかなものだった。

 

 この魔族、命乞いに慣れすぎている。

 

「やはり、魔族の言葉なんて信じるものじゃないのう」

 

「エーデルさん!?」とドゥンスト。

 

「いまさら四の五の言っても始まらんじゃろ。この試験は己が魔法使いとしての格を問うもの。ブライはブライなりに考えて、選択したんじゃ。その選択を穢すでない」

 

「しかしですね。まさか彼ほどの優秀な魔法使いが命を散らす結果になるとは……」

 

「心配しないで。さっきのシミュレーションの続きだけど、ブライ先生の生存確率は98パーセント以上だよ。ゼーリエ先生は、気に入った玩具をすぐに壊したりはしないから。わたしだって生きてるでしょ」

 

「玩具ですか……」

 

 ドゥンストの顔から、さらに血の気が引いていく。

 その、重苦しい空気を破ったのは、待合室の扉が静かに開く音だった。

 現れたのは、ファルシュ一級魔法使い。

 

「ドゥンストさん、中へ」

 

「え、ブライさんは!?」

 

 ドゥンストが思わず立ち上がって問う。

 ファルシュは、感情の読めない表情で、淡々と事実だけを告げた。

 

「彼は、特務を与えられ百年ほど大陸魔法協会を離れ、辺境の地で修行を積むことになりました。しばらく、こちらには戻りません」

 

「百年ですか……」

 

 事実上の追放宣言。

 

「ゼーリエ様が定期的に報告を受ける予定となっているそうです。その報告次第では、次の機会が与えられるのではと思います」

 

「そうですか……」

 

 ドゥンストは、力なく呟いた。百年という、人間にとってはあまりにも長い年月。一級魔法使いへの道は閉ざされたに等しい。だが、少なくとも生命は奪われなかった。その事実に、ドゥンストは安堵と、それ以上の深い無力感を覚える。

 

 ファルシュは、そんな彼の心中を察したのか、わずかに声を和らげた。

 

「ゼーリエ様は、ブライさんの覚悟を高く評価されていました。だからこその試練なのでしょう。彼を信じて待っていてあげてください」

 

「……はい」

 

 ドゥンストは、混乱したまま、促されるように庭園へと足を踏み入れた。

 

 ゼーリエは、どこか満足げに、庭園の薔薇を一輪、指先で愛でていた。

 たちのぼる魔力は、あまりにも膨大で、息が詰まるほどだ。

 元来、気弱なドゥンストにとっては、今すぐにでも逃げ出したくなるほど。

 足に力が入らない。

 

「ドゥンストといったな」

 

「は、はい!」

 

「おまえの仲間は、よほどの大馬鹿者だな。この私にあれほどの無礼を働くとは――、魔族の言葉に踊らされたか? おまえもそうするつもりか?」

 

 ゼーリエの問いは、氷の刃のようにドゥンストの心に突き刺さった。ブライが犯したであろう無謀を、自分も繰り返すのかと試されている。ドゥンストは、恐怖で震えそうになる膝を叱咤した。

 

――魔法使いの格。

 

 エーデルが言った言葉であるが、自分には一級魔法使いとしてのイメージは持てない。

 それでも、魔法使いとしての矜持は棄てたくはない。

 

「いえ、ゼーリエ様。私は私なりの覚悟をもって、この場に立っております」

 

「覚悟か。おまえごときの言葉などに、なんの意味もない。そこらの羽虫のはばたきに等しい」

 

 ゼーリエは心底おもしろくなさそうに呟いた。

 

「おまえは三級魔法使いだったな。二次試験での働き、悪くはなかった。魔法使いとしては及第点といったところか。だが、小さくまとまりすぎている」

 

 ゼーリエは指先を天に向ける。

 ドゥンストがそろりと視線をやると、てんとう虫が上っていた。

 やがて天頂まで至ると、てんとう虫は大空へと飛翔した。

 

「人間は長ずるにつれて、成長は鈍化し、自らの無限の可能性を殺していく……。たとえ万物を操る魔法使いであっても例外ではない。――おまえには選択肢をやろう」

 

 ゼーリエはそこで一度言葉を区切り、ドゥンストにとって、あまりにも甘く、そして残酷な選択肢を提示した。

 

「この場で二級魔法使いの資格をくれてやろう。ここまで来れた実力と覚悟に免じての、私からの最大限の温情だ。受け取るか?」

 

「……!」

 

 ドゥンストは息を呑んだ。二級魔法使い。それは、多くの魔法使いが一生をかけても届かぬかもしれない栄誉だ。あれほどに優秀なエーデルと同じ等級。

 

――魔法使いとしてはエリートに分類される。

 

 ここで頷けば、はぐれ者の一族としての立場も、自らの未来も、大きく変わるだろう。

 少なくとも、この試験が無駄にはならなくなる。

 

 人間は、自らの投資が無駄であったと後悔したくない生き物である。

 特に、有限である()()()()()()()を無為に消費することを極端に恐れる。

 

 アナリザンドが、そんなことを配信で言っていたような気がする。

 ドゥンストも愚かではない。ゼーリエと仲が良いアナリザンドの言葉を、聞き漏らすまいと、予習くらいはしていた。

 

「ただし――」

 

 ゼーリエは、悪魔のような笑みを浮かべた。

 

「その温情を受け取るのであれば、おまえは今後、一級魔法使い選抜試験を三回、受けることを赦さん。十二年だ。十二年の間、おまえは二級魔法使いとして安穏と過ごすがいい」

 

 その言葉の意味を、ドゥンストは瞬時に理解した。

 

 手堅く、確実な地位を得るか。

 それとも、その地位を蹴ってでも、不確かながらも最高峰を目指し続けるか。

 

 ドゥンストの脳裏に、百年という途方もない修行に旅立ったブライの姿がよぎる。彼は、無謀な賭けに敗れた。自分まで同じ轍を踏むべきではない。ここで二級の資格を得ることこそ、最も賢明な判断だ。気弱な本性が、そう囁きかける。

 

――だが十二年。

 

 齢六十ほどになるドゥンストにとって、ここで小さくまとまれば、二度と己が一級魔法使いになる姿は思い描けないだろう。自らの可能性をここで永遠に殺すことになるのだ。

 

 ドゥンストは、自らの人生を静かに振り返った。

 

 精神魔法の一族の分家として生まれ、常に本家の顔色を窺い、目立たぬように、波風を立てぬように生きてきた。大きな成功もなければ、大きな失敗もない。安定はしていたが、そこに魂が燃えるような熱はなかった。

 

 そんな自分が、なぜ今ここにいるのか。

 

 ブライという、己より才ある若者に引きずられ、エーデルという、若くとも確かな王の器を持つ少女に出逢い、そして、アナリザンドという規格外の存在に触れた。この試験は、ドゥンストにとって、生まれて初めて自分の意志で大きな流れに抗った冒険だった。

 

(私は……ここで、また元の鞘に収まるのか?)

 

 二級魔法使い。それは、はぐれ者の一族にとっては破格の地位だ。故郷に帰れば、英雄未満であるが最優秀の魔法使いとして迎えられるだろう。残りの人生を、安穏と、しかし退屈に過ごすことができる。

 

 だが、それでいいのか。

 

 あの二次試験の死闘の中で、確かに感じた、生の実感。仲間と共に限界を超えた、あの瞬間の高揚。それを、たった一度の思い出として、過去のアルバムにしまいこんでしまうのか。

 

 ドゥンストは、静かに目を閉じた。

 答えは、もう決まっていた。

 

「ゼーリエ様。そのあまりにもったいないお言葉、心より感謝申しあげます」

 

 ドゥンストは頭を下げ、それから顔をあげた。

 ゼーリエをまっすぐに見る。

 恐怖にかられ、一度もまともに顔をあげることが叶わなかった彼が初めてゼーリエを見た。

 

「ですが、そのお話、辞退させていただきます」

 

「理由を聞こうか」

 

 ゼーリエは半ば予想していたようだ。

 その声は水面のように静かだった。

 

「私は、この歳になるまで、ずっと自分の限界を決めて生きてまいりました。分家の人間として、これ以上は望むべきではない、と。ですが、この試験で、私は自分の限界が、自分で勝手に引いた線に過ぎなかったことを知りました」

 

 ドゥンストは、握りこんだ拳に力をこめた。

 

「十二年後、私は七十を超えます。その時、再びこの場に立つ気力が残っているかは分かりません。ですが、ここで安穏を選んでしまえば、私の魔法使いとしての矜持は――魂は、この瞬間に死んでしまうでしょう」

 

 その言葉は、気弱な男が絞り出した、魂の叫びだった。

 

「私は、まだ飛びたいのです。貴女様が指先で飛ばされた、あのてんとう虫のように。たとえ、その先で力尽きて墜ちることになろうとも、一度も飛ばずに一生を終えるよりは、ずっといい」

 

 ゼーリエは、しばらくの間、黙ってドゥンストを見つめていた。

 やがて、心底愉快そうに、喉の奥でくつくつと笑い始めた。

 

「ずいぶんと青臭いことをいうのだな。おまえにそれだけの才があると思うか」

 

「己が非才は恥ずべきばかりです。それでも――」

 

「もういい」

 

 ゼーリエは立ち上がると、ドゥンストの前に歩み寄り、その肩を強く掴んだ。

 

「不合格だ」

 

 冷徹な宣告。

 だが、ドゥンストの心は不思議と穏やかだった。

 

「だが、その()()に免じ、二級の資格はくれてやる。これは温情ではない。おまえの未来への、私からの()()だ」

 

「……! ありがとうございます!」

 

「三年後、再びここへ来い。その時、おまえのその青臭い言葉が、まだ燃え続けているのかどうか、この私が見極めてやる。もし、ただの老いぼれの戯言だったと分かれば、おまえは羽虫のように炎にとびこみ、燃え尽きることになる」

 

 それは、あまりにも厳しい叱咤激励だった。

 ドゥンストは、溢れそうになる感情を必死に堪え、深々と、彼らしい丁寧な礼をした。

 

「必ずや、ご期待に応えてみせます」

 

 熱は――炎は既に灯っている。

 彼は、自らの手で、未来への扉をこじ開けたのだ。

 

【ドゥンスト:不合格(ただし、二級魔法使いへの昇格と、三年後の再挑戦を命じられる)】

 

 

 

 

 

 待合室に帰ってきたドゥンストは、どこか引き締まった顔をしていた。

 

 エーデルは何も聞かず、ただ彼の顔をじっと見つめている。アナリザンドは「ドゥンスト先生、生存おめでとー! さすがだね!」なんて言いながら、彼の周りをぴょんぴょん跳ねていた。うざがらみザンドである。

 

 やがて、ドゥンストは居住まいを正し、エーデルに向かって深く頭を下げた。

 

「結果は不合格でしたが、二級魔法使いの資格をいただくことができました。エーデルさん。あなたのおかげです」

 

「自分の才じゃろ。儂はなにもしとらん」

 

 エーデルは、ぶっきらぼうに答えた。

 だが、わずかに声に喜色が混ざっていた。

 このはぐれ者の姫様は、情に深いところがある。そうでなければ、魔物を飼ったりはしないだろう。仲間の健闘を素直にたたえる度量の深さがある。

 

 その時、ファルシュが再び扉を開け、静かに告げた。

 

「エーデルさん、中へ」

 

 ついに来た。エーデルの身体が、かすかにこわばるのがわかった。怠惰で惰弱で達観した様子は、ダメージを乖離させるためのエーデルなりの便法である。

 

――痛いのは嫌だから。

 

 エーデル自身は無自覚だが、彼女も年頃の女の子なのである。

 人並みの恐怖心くらいはある。

 

 アナリザンドは、ぴょんぴょん跳ねるのをやめ、エーデルの前に回りこむようにして立った。

 

「エーデルちゃん」

 

「なんじゃ」

 

「最後の最後に、とっておきのアドバイスをあげる」

 

 アナリザンドの言葉に、エーデルは訝しげな表情を浮かべる。ブライを辺境送りにした張本人のアドバイスなど、聞く価値があるのかと、その目が言っていた。

 

「いらん。おぬしの策はもうこりごりじゃ」

 

「まあまあ、そう言わずに聞いてよ」アナリザンド、ネゴシエーション発動。「二次試験で、エーデルちゃんは七崩賢を倒したよね。あれ、どうやったか覚えてる?」

 

「儂の全力じゃな。もう一度やれと言われてもできるかはわからん」

 

「それもあるけど、もう一つ大事なことがあったでしょ?」

 

 アナリザンドは、ぐっとエーデルの顔に自分の顔を近づける。

 迫る幼女フェイス。

 精神魔法使いと視線をあわせるなど狂気の沙汰だ。

 アナリザンドは無防備で無邪気な少女の姿態を装っている。

 あいかわらず、この魔族は恐ろしい。

 精神魔法の担い手としては、言葉にできないほどに。

 

「エーデルちゃんは、アウラ様とグラオザームの魔法を、自分自身の魔法で上書きしたんだよ。精神魔法っていう情報戦で、相手の土俵に乗りこんで、ルールそのものを書き換えて勝利した。違うかな?」

 

 違わない。

 

「複製体に心がないからこそできたことじゃな。心といっても超自我のことじゃが、抑制がないからこそ、やつらの精神は脆弱だったといえる。普通であれば抵抗されて十数秒動きをとめるのがやっとじゃ。ゼーリエには数瞬も効かんじゃろうな」

 

 冷静な分析をするエーデル。

 しかし、それだけではアナリザンドの真意が見えてこない。

 

「これはとっておきの情報だけどね。ゼーリエ先生は、ルールを作ることも好きだけど、それを壊すことも大好きなんだよ。試験も、大陸魔法協会も、全部先生が作ったルールの上で動いてる。だから、先生は自分のルールの中で完璧に戦う駒も好きだけど、それ以上に、そのルールそのものをひっくり返しちゃうような、予測不能なプレイヤーが大好きなの」

 

「破壊と創造、か」

 

 まるで荒ぶる神のようだ。

 

「だからね、エーデルちゃん。面接で何を言われても、絶対に先生の土俵に乗っちゃダメだよ。先生が作った合否っていうくだらないルールの上で言い訳したり、媚びを売ったりしないで。エーデルちゃんが、エーデルちゃんのルールで、ゼーリエ先生を面接してやるくらいの気持ちで行っておいで。そうすれば、必ずうまくいくはずだから」

 

「儂が……あの大魔法使いゼーリエを、逆面接するじゃと?」

 

「そう! 相手はフランメを弟子にしてから大陸魔法協会を創るまで、千年くらい引きこもってた退屈なお姫様なんだから。はぐれ者の女王様が、退屈しのぎに話を聞いてやるくらいの態度でちょうどいいよ。きっと、先生もその方が喜ぶから」

 

 魔族の言葉は人間を騙すために存在する。

 欲望の原因たる対象аにすりかわり、その者が参照したい言葉をなげかけてくる。

 だが――いやだからこそ。

 その言葉は、エーデルの心に深く突き刺さった。

 

――精神魔法使い。

 

 それ以外の()()の魔法使いからしてみれば、異端。はぐれ者。

 

 そのはぐれ者の中でも特に優秀だったエーデルを用い、精神魔法使いをスタンダードにおしあげるために、本家の連中が飾り立てただけのお人形。

 

――いままでは、そうだった。

 

 倦怠という名の言い訳で、その真実に蓋をしてきた。

 

 そうだ。儂はもう、誰かのルールの上で踊る人形じゃない。

 儂は、儂自身の国の、唯一の女王なのだ。

 

「……あいかわらずおぬしは」

 

 エーデルの唇に、初めて女王らしい、不敵な笑みが浮かんだ。

 

「わかった。あのゼーリエを、儂がじきじきに面接してきてやろう。どうせ失うものなど何もないからの。もののついでじゃ」

 

 彼女は、もう迷っていなかった。

 胸を張り、堂々とした足取りで、エーデルは自らの謁見室へと向かう。

 その背中を見送りながら、アナリザンドはにっこりと微笑むのだった。

 

「エーデルちゃんの合格確率は――」

 

 

 

 

 

 重厚な扉が、まるで舞台の幕開けを告げるかのように、静かに開いた。

 

 エーデルは、一歩、庭園へと足を踏み入れる。降り注ぐ陽光も、咲き誇る花々も、もはや彼女の心を揺らすことはない。ただ、正面に座す絶対的な存在――ゼーリエだけを、その瞳は捉えていた。

 

 ゼーリエは水路の縁に腰をおろしている。

 そして、受験者たちに向かっていつもそうするように――。

 値踏みするようにエーデルを一瞥した。

 

「なんだ。()()()は……ふざけているのか」

 

 対等の者を見る目。

 エーデルもまた多くの受験者たちと同様、ゼーリエに恐怖心を抱いていないわけではない。

 だが、その恐怖を必死に押し殺し、いま、まさに対等な者として立っている。

 

 面接ではなく、対話をしようとしている。

 

 ゼーリエはその意図を一瞬で見抜き、不快の表情を隠さない。

 

「小娘。貴様のことは褒めてやろうと思っていた。だが、やめた――。おまえの望み通りにしてやろう。二次試験では自らの意志で瓶を割り、見苦しく逃げ出したそうだな。その惰弱な精神と実力で、私の前に立つ資格があると思っているのか?」

 

 ゼーリエは黒い薔薇のつぼみを小突く。

 早く咲けと、暴力的なまでに優しく。

 

「おまえの戦闘技能はせいぜいが三級といったところだ。本来なら三次試験に至る前に失格になっている。ここに至ったのは、たまたま運がよかっただけに過ぎない」

 

 先制攻撃。相手の心を折り、支配下に置こうとするパワハラ上司の常套句。

 もし以前のエーデルであれば、この一言で萎縮し、言い訳を口にしていたかもしれない。

 

――それでも、七崩賢を破った、と。

 

 瓶を割ったあとに、ゼンゼによってルールは覆された、と。

 

 だが、今のエーデルは違う。

 

 そんな子どもじみた言い訳は、もはや彼女の口からは出なかった。アナリザンドの言葉が、彼女の中から評価される側という意識を完全に消し去っていた。

 

 今のエーデルは、ただ自らの在り方を、目の前の絶対者に問うのみ。

 

「死んでは元も子もないからのう」あっけらかんと言い放つ。

 

「では、己の力不足を認めるということか?」

 

「試験という枠組みではそうじゃろうな。儂はおぬしの期待に応えるだけの力量をもっておらん」

 

「では、不合格でよい、と? アナリザンドの逆張りにでも乗ったか? 試験からすら逃げ出した貴様らしい小賢しいだけの弱者の選択だな」

 

「くだらん」

 

「なに?」

 

「くだらん評価だと言ったのじゃ」

 

 不遜。あまりにも不遜な物言い。

 庭園の空気が、ピシリと凍りついた。

 ゼーリエから放たれる魔力が、肌を刺すように鋭くなる。

 

「貴様、誰に向かって口を利いているか分かっているのか?」

 

「このような試験、おぬしにとっては茶番じゃからな」

 

「茶番だと? 一級魔法使いという資格はお前たち人間が求めたものだ。それを自ら否定するつもりか。あるいは、アナリザンドのように、貴様はn=1に過ぎないから、自分には責任がないとでも?」

 

「確かに人間側が、ゼーリエ、おぬしを慕っている面もあるだろう。母として師として、貴女以上に適任のものはいない。ゆえに、人間側に大きな甘えがある。それは認めよう。だが――おぬし自身にとってはどうじゃ」

 

「悪くはないぞ。優秀な弟子たちとともに魔法の深淵を覗きこむ。私には劣るかもしれないが、劣るがゆえに、賢しい智慧を働かせることもある」

 

「あるいは――」エーデルは言った。「おぬしは敵を求めているのかとも思った」

 

「まちがってはいない。私は暴力が好きだからな」

 

 ゼーリエは立ち上がり、エーデルに近づく。

 おそらくだが――。

 いや確信に近い感覚だが。

 ゼーリエが指をならせば、あるいは視線だけですら、エーデルの命は容易く摘み取られる。

 それほどに、ゼーリエの魔力は巨大だ。

 その絶対的な力の差を、ゼーリエは隠そうともしない。

 

 だが、エーデルは引かなかった。彼女は、アナリザンドの最後の言葉を思い出していた。

 

――ゼーリエ先生を面接してやるくらいの気持ちで行っておいで。

 

 そうだ。これは面接なのだ。

 儂が、ゼーリエを試すための。

 精神魔法によって、ゼーリエのこころに斬りこんでいく。

 思考を巡らせる。

 ゼーリエは最強だ。力も、知識も、時間さえも手に入れている。そんな彼女が、なぜわざわざ弟子を求める? なぜ試験などという回りくどい茶番を続ける?

 

 答えは、一つしかない。

 ゼーリエは、持たざるものを求めている。

 最強であるがゆえに、決して手に入れられないもの。それは――。

 

 その答えは、アナリザンドが二十年ほど前に辿りついた真実だった。

 ようやく、人間の思考が、魔族に追いついたともいえる。

 

――今日が儂の命日かもしれんのう。

 

 ゼーリエは、エーデルを追い越し、そのまま――振り返ることなく進み続けている。

 エーデルは振り向いた。小さなエルフの背中に向けて。

 

「……ゼーリエよ」

 

 エーデルは、まるで長年の友人に語りかけるかのように、穏やかな声で言った。

 

「貴女は、寂しいのじゃな」

 

「なん……だと?」

 

 ゼーリエの金色の瞳が、初めて純粋な驚愕に揺れた。

 庭園を支配していた圧倒的な魔力が、一瞬、凪いだ。

 そして次の瞬間、揺らぎ、魔力が、吹き荒れる。

 先ほどよりもおよそ十倍ほどの、測り知れない魔力の波動があたりに散らされる。

 

「貴女は、あまりにも永く、あまりにも高く、頂きに独りで立ち続けてきた。全てを見下ろし、全てを識り、全てを手にすることができる。じゃからこそ、貴女は誰よりも渇いておる。己の知らない景色を見せてくれる存在に。己の知らない言葉を教えてくれる存在に。……おぬしは、弟子が欲しいのではない。おぬしが本当に欲しいのは――」

 

「黙れ!」

 

 黙らない!

 

 エーデルは、一歩前に踏み出した。

 その瞳には、憐憫でも、同情でもない、ただ純粋な理解の光が宿っていた。

 

「――()なのじゃろう?」

 

 その一言は、呪いのように、ゼーリエの孤独の核心を貫いた。

 

 ゼーリエは言葉を失い、ただエーデルを見つめている。その完璧な仮面の下で、激しい動揺が渦巻いているのが、精神魔法の担い手であるエーデルには手に取るようにわかった。

 

 エーデルは、呪術師として、異端の魔法使いとして、この言葉だけはゼーリエを超えていたともいえる。脆弱で、ひ弱で、惰弱な魔法使いが、ゼーリエのこころに裂傷を与えていた。

 

「この試験は、優秀な弟子御を選ぶためのものなどではない。おぬしが、自らの師となりうる存在を探すための、絶望的なまでの儀式なのじゃろう。千年かかろうと万年かかろうと、いつか人間がおぬしを超えることを願って、ただひたすらに、そうしてきた」

 

「――だとして」ゼーリエは言った。「それがどうした。その程度の言葉で私のこころを見抜いたつもりか? おまえは何ひとつわかっていない。表層的な記憶をなぞり、わかった気になっているだけだ。おまえが飼っている幻想鬼の主らしい言いざまだな」

 

「そうじゃろうな。いや、そうでなければならぬ。人のこころが見えるなどというのは妄想に過ぎんからの。儂らがやっているのは、ただ見えたことからわかった気になっているだけじゃ」

 

「居直りか?」

 

「そうじゃろうとも。だが――人はわかりあえたという幻想を糧にして生きておる」

 

「結局、おまえは何が言いたい?」

 

「儂がおぬしの師になる、などと大それたことを言うつもりはない」

 

 エーデルは、静かに首を振った。

 

「儂は弱い。おぬしの言う通り、儂の力など三級にも満たない児戯に等しいじゃろう。儂ひとりが百年、千年と足掻いたところで、おぬしの頂きに指一本触れることすら叶わん」

 

 その言葉に、ゼーリエは嘲るような笑みを浮かべた。

 

「ようやく己の分をわきまえたか。ならば、話は終わりだ。不合――」

 

「じゃが」と、エーデルはゼーリエの言葉を遮った。その瞳には、先ほどまでの諦観とは全く異なる、燃えるような野心の炎が宿っていた。

 

「儂は、土壌になることができる。……と思う」

 

「土壌……だと?」

 

「そうじゃ。儂ひとりではおぬしの師になれずとも、儂が師を育む土壌を創り上げることはできる。儂の精神魔法は、個人の心を操るだけではない。儂らの信じる『わかりあえた』という幻想を共有し、知識を伝播させ、才能を開花させ、集団全体の知性を底上げすることができる。儂は、この大陸全ての魔法使いの精神をネットワークで繋ぎ、互いに学び、高め合う、巨大な学び舎を創り上げるつもりじゃ」

 

――精神魔法を。

 

 エーデルの存在そのものといってもいい魔法を。

 

 異端(アノマリー)から、正統(オーソドックス)へ。

 

 かつて、これほどまでに純粋に教育者としての一級魔法使いを目指したものがいただろうか。史上初。いや、これから先も、そのような人間が現れるとは、思えない。

 

 それほどまでに、エーデルの主張は――思想は、ユニークだった。

 

「儂は、その礎となる。儂が創り上げた土壌から、いつか必ず、貴女の想像を超える途方もない才能が芽吹くじゃろう。それは百年後か、千年後か、あるいは万年後か。儂にはわからん。儂は、その花を見ることもなく朽ちるただの土くれじゃ。じゃが――」

 

 エーデルは、一歩前に踏み出した。

 その姿は、もはや惰弱な姫ではない。

 遥かな未来を見据える、一人の女王の姿だった。

 

「儂が創る未来は、必ずやおぬしの渇きを癒す師を生み出す。儂は、その未来という幻想を貴女に約束しよう。儂の魂を賭けてな」

 

 ゼーリエは、エーデルの言葉に、完全に沈黙していた。

 

 弟子でも、師でも、敵でもない。自らの孤独を癒すための()()そのものを差し出してきた人間は、永い永い彼女の歴史の中で、ひとりとしていなかった。

 

――いや。ひとりだけ。

 

 フランメは師ゼーリエのこころを正しく理解していた節がある。

 

 だが、フランメは奥ゆかしい性格だった。言ってみれば師匠であるゼーリエと同じく、ツンデレだったのだ。だから、言葉は形にならなかった。

 

 その言葉が、ようやく今、目の前にあらわれた。

 そんな気分――。

 

 やがて、ゼーリエは、全ての力が抜けたかのように、その場に崩れるように笑い出した。それは、高笑いとは違う、どこか自嘲的で、そして解放されたような、乾いた笑いだった。

 

「おもしろい。実におもしろいぞ、小娘。フランメですら、私にそこまで言いはしなかった!」

 

「ただ言わなかっただけかもしれんのう」

 

 恥ずか死ぬのは、高潔な人間だけだ。

 怠惰であるからこそ、耐えらえる。

 

「いいだろう。合格だ。おまえが望むものはなんだ。言ってみろ」

 

「もらえるものならもらっておきたいというのが本心じゃな。儂は小物じゃからの」

 

 認められた瞬間に、自分を小物扱いする。

 そんな自爆テロなエーデルの在り方に、ゼーリエは哂った。

 

「それと、なんじゃが……。バトルは勘弁願いたいのう。わかっておるとは思うが、戦闘方面はからきしなんじゃ。できることなら、三食昼寝つきで老衰したい」

 

「好きにするがいい。だが勘違いするなよ。今の貴様は、一片の土くれに過ぎん。その土壌が、石ころ一つ芽吹かせぬ不毛の幻想だったと分かれば……」

 

「――わかっておる。儂の魂ごと土くれに還すのじゃろう。望むところじゃ、最初の種よ」

 

 エーデルもまた、不敵な笑みで応えた。

 神話の時代から続く、孤独な大魔法使いの永い永い探求が、今、未来への確かな礎を得て、新たな物語を紡ぎ始めようとしていた。

 

【エーデル:合格(ただし、一級魔法使いとしての特務(主に戦闘)は免除される!)】

 




 エーデルが、女王としての新たな道を歩み始めた頃。
 待合室の隅で、一人(一匹?)が所在なさげに佇む影があった。

――幻影鬼、サリー。

 主であるエーデルが面接に向かう間、彼女はアナリザンドに預けられていた。アナリザンドはドーナツを分け与えようとしたが、サリーは首を横に振るばかり。ただ、じっと、主の帰りを待っていた。
 やがて、エーデルが晴れやかな顔で戻ってくると、サリーは音もなくその傍らに寄り添った。その昏い瞳が、安堵に揺れているように見えた。

「さて、帰るかの」

 エーデルがそう言って歩き出そうとした、その時だった。

「――お待ちください」

 静かだが、有無を言わせぬ声。ファルシュが、サリーの前に立ちはだかっていた。

「ゼーリエ様が、その魔物もお通ししろ、と」

「サリーを? なぜじゃ」

「存じません。ですが、命令です」

 エーデルは眉をひそめたが、逆らうことはできない。サリーは、少し戸惑ったように主を見上げたが、エーデルが頷くと、覚悟を決めたように、一匹で庭園へと向かっていった。

 ゼーリエは、水路の縁に腰掛け値踏みするどころか、目の前で待っていた。
 時間の無駄――とでも言いたげな表情だ。

「魔物か。試験の場に紛れ込むとは、いい度胸だ。本来なら、合格不合格以前の問題。塵にするのが妥当だが……」

 ゼーリエは、ふぅ、と息をついた。

「私は公平という概念を識っている。私が認めたエーデルが大事な存在であるというのなら、一片の慈悲くらいは見せてやろう。おまえの得意な魔法とやらを。この私に、全力で撃ってみせろ。私の想像を超えるならば塵にするのは勘弁してやる」

 理不尽といっても過言ではない命令。

 サリーは、言葉を発することができない。ただ、その大きな瞳で、じっとゼーリエを見つめ返す。そして、ゆっくりと、その長い腕を上げた。

 特別な詠唱はない。ただ、サリーの生物学的な本能が、空間を歪ませる。

――幻想鬼の本能。

 それは、見た者の望む者を相対させ、聞きたい言葉を言祝ぐ魔法。
 当然のことながら、ゼーリエも幻想鬼の特性くらい、言われるまでもなくわかっている。
 どうせくだらない幻想魔法だろう。そう思っていた。

 ゼーリエの目の前に、一人の少女の幻影が、ゆらりと浮かび上がった。

 それは、ゼーリエが誰よりもよく知る、しかし決して有り得ない姿だった。
 利発そうな瞳、固く結ばれた唇。特徴的なポニーテール。

――フランメ。

 だが、その幼いフランメの頭には、魔族の証である小さな角が生え、その瞳は、アナリザンドと同じ、吸い込まれるような紅に染まっていた。

「……っ!?」

 ゼーリエの表情が、初めて凍りついた。

 幻影――魔族のフランメ(十歳)は、おずおずとゼーリエに歩み寄ると、そのローブの裾を、小さな手でぎゅっと握りしめた。

「……せんせぇ」

 か細い、しかし甘えるような声。

「先生は、わたしを弟子にとって後悔しなかった?」

 そして、ゼーリエの膝に、こてん、と頭を預け、すりすりと頬を寄せ始めた。
 ゼーリエは、完全に硬直していた。
 千年の時の中で、一度として見せたことのない、狼狽。

 その脳裏に、サリーの切実な願いが、言葉を介さず流れ込んでくる。

(――わたしも、あの子のように、愛してほしい)
(――魔物だから、魔族だからと、切り捨てないで)
(――わたしを、ただの道具ではなく、一人の存在として、認めて)

 もはやサリーの言葉は種族すら飛び越えている。
 サリーは、ゼーリエの最も柔らかな部分を、無垢な刃で抉ったのだ。

 やがて、ゼーリエは、震える手で、幻影の頭をそっと撫でた。
 幻影は、嬉しそうに目を細める。

「……この程度の魔法で、私の寵愛を得られるとでも思ったか。害獣」

 ぽつりと、ゼーリエが呟いた。
 幻影が、すぅっと霧散していく。

「……あえて言ってやる。私はフランメを弟子にとって後悔したことはない。たとえあの子が魔族だったとしても、絶対にないと断言しよう」

 ゼーリエは立ち上がると、サリーの前に立ち、その大きな頭を、今度は本物の手で、少しだけ乱暴に撫でた。ものすごく背伸びをして、飛行魔法すら使って。

「……獣にしては、よくやったと褒めておこう。言っただろう。私は公平だと、な」

 サリーは、驚いたように目を見開く。

「サリー。おまえに魔法使いとしての証を認めてやる。おまえはおまえの主よりは素直なやつだと信じているぞ」

 ゼーリエは、懐から一枚の羊皮紙を取り出し、サリーの前に差し出した。
 そこには、五級魔法使いの証が記されていた。
 五級。一人前の魔法使いとしての証。それは人間と同等の能力を認めたに等しい。
 サリーはおずおずと手を伸ばす。

「ただし、条件がある」

 ゼーリエは、その証を引っこめると、口の端を吊り上げた。
 いつものように傲岸不遜に。

「次に会う時までに、人の言葉くらい覚えてこい。それが、おまえへの宿題だ」

 ゼーリエは、優しく、しかし有無を言わせぬ声で告げた。

 サリーは、言葉を発することはできなかった。
 彼女は、大きく細く化け物の手で羊皮紙を受け取ると、人間の少女のように深く、深く頭を下げた。

 それは、はぐれ者の魔物が、初めて『人間』として認められた、祝福の瞬間だった。

【サリー:特例合格(魔物として初めて五級魔法使いの資格を授与される)】
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