魔族少女のエロタナティブ   作:アナリザンド

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それぞれの顛末『デンケンパーティ』編

 

 

 

 待合室の空気は、次なる山場を前に静かな緊張感に包まれていた。

 デンケン、リヒター、ラオフェンの三人は、言葉少なにそれぞれの時を過ごしている。

 

 一次、二次試験という死線を共に潜り抜けた彼らの間には、もはや余計な言葉は不要だった。

 ただ、互いの存在がそこにあるというだけで、不思議な安堵感があった。

 

 ラオフェンは、アナリザンドから強奪してきたドーナツの最後の一つを名残惜しそうに口に運び、落ち着きなく足を揺らしている。

 

 リヒターは壁に背を預け、腕を組んだまま目を閉じているが、その指先が微かに動いているのが、彼の内なる緊張を物語っていた。

 

 そして、デンケンは瞑想するかのように静かに座し、これから始まるであろう最後の戦いに備えていた。

 

 そこに、てくてくと、いつもの調子でアナリザンドがやってくる。

 ラオフェンが無言で手を差し出す。

 

――意。ドーナツもっとくれ。

 

 アナリザンドは、ぶんぶんと首を振った。

 ドーナツの入った紙箱は、手に持っておらず、売り切れてしまったようだ。

 

「アナリザンドよ。どうやら二次試験では、おぬしが口添えしてくれたらしいな」

 

 デンケンが穏やかな口調で言った。

 

「口添えはしたけど、最終的にはゼーリエ先生の判断だよ」

 

「それでも伝えさせてもらおう。ありがとう」

 

 デンケンは、家長のようにリヒターやラオフェンの代わりに頭を下げた。

 

「それで――」リヒターがやや前のめりになる。「どうせ、他のやつらと同様に、アドバイスでもしにきたんだろ。時間がないんだ。さっさとしてくれ」

 

「焦るな。若造」デンケンがたしなめる。

 

 リヒターは、焦っていた。

 一次試験も、二次試験も、彼自身の戦績でみれば敗退に近い。

 どちらかといえば、未来に生きるラオフェンのほうが合格の可能性が高いとすら思っている。

 つまるところ、彼は現実主義者なのだ。

 今という時空に腰を据える、働き盛りの三十代。

 明日があるさ、なんて言ってはいられない。

 一次試験では全財産を供出したのだし、無一文ではないが生活が苦しい。

 

 アナリザンドは、そんな焦れるリヒターの前に立つと、いつものように量子観測モードに入った。

 

――狂乱する瞳。

 

 じーっと、その紅い瞳がリヒターの魂の奥底までを見透かすように、無遠慮に覗きこむ。

 

「どうした?」

 

「んー。リヒターさんは……」

 

「ちょっと待て」物言いが入った。

 

「ん?」

 

「その……細かいところだが気になってな。どうして俺だけ『さん』づけなんだ」

 

 ここに来て、一番の謎がくそほど細かい。

 

 けれど、確かにそうなのである。アナリザンドはほとんどの場合、先生呼び。あるいは、『ちゃん』づけ、『くん』づけで呼んでおり、『さん』づけなのは、リヒターくらいしかいない。

 

「ああ、それはね。わたしが人の欲望を鏡にしているからだよ」

 

「俺が望んでいるからってことか」

 

「うん。そういうこと。リヒターさんは、先生って呼ばれるのは柄じゃないって魂で感じてる。たぶん、敬われるよりは、慕われるほうが好きなのかな、って」

 

「まあ確かにな。先生とか、弟子とか、そんな間柄は望んじゃいない」

 

――だから、デンケンのことも呼び捨てか爺さん呼びだ。

 

「それで、リヒターさんへのアドバイスだけど。うーん。魔法という概念に対しての姿勢みたいなのを問われると思う」

 

「魔法は道具だ。そうだろ?」

 

 魔道具店の店主らしい解答だ。

 

「魔法は道具という答えはまちがっていないんだけど――、うーん。何て言えばいいか」

 

 アナリザンドは、言葉を探すように、宙を見つめた。

 確かに、魔法とは道具である。

 その答えはまちがってはいない。

 ヴィアベルのときも、魔法とは殺しの道具だと答え、それで合格をもらっているのだから。

 

 しかし――、それはゼーリエの()()()()()に答えていない。

 

「リヒターさん」

 

 アナリザンドは、再びその紅い瞳で、リヒターの魂を真っ直ぐに見据えた。

 

「ヴィアベル君の言う魔法は道具だという言葉と、リヒターさんの言う道具は、全然違うんだよ」

 

「何が違う」

 

「ヴィアベル君の言葉には、()()っていう主語が隠れてる。『俺が生き残るための道具』『俺が仲間を守るための道具』。ヴィアベル君の魔法は、ヴィアベル君の魂と生き様に強く結びついてるの。だから、ゼーリエ先生はヴィアベルの言葉に心を動かされた。だから、共感した」

 

 アナリザンドは、一歩リヒターに近づく。

 

「でも、リヒターさんの言葉には、まだリヒターさん自身がないように思う。無理やり主語を補うなら、みんなのためだよね。それはすごく立派で、正しいことだよ。でも、ゼーリエ先生が聞きたいのは、たぶん、それじゃない」

 

「……じゃあ、何なんだ」

 

「その道具で、リヒターさんは、何をしたいのかが見えてこないの。誰かのために――ってのはおそらく本当なんだろうけど、ぼんやりとしているというか……」

 

「まるで聖人君子みたいな扱いだな。俺は、ただ自分の生活を豊かにしたいだけだ」

 

 リヒターは、どこか自嘲的に言い返した。

 だが確信はある。自分自身のことながら当然だ。

 

 魔道具を売り、人々の感謝を受け、その対価で安定した暮らしを送る。それこそがリヒターの望みであり、偽らざる欲望のはずだった。小さなランプを直して、近所の婆さんに飴玉をもらう。そこには確かに満足がある。――はずだ。

 

 だが、アナリザンドは、その答えに小さく首を振った。

 

 このままではまちがいなくリヒターは不合格になってしまう。ゼーリエは、自分自身のことすらわからないものに厳しい。そこには根源を求める探求心と野望が欠けているからだ。

 

「うん。それも、もちろんリヒターさんの大事な欲望だよ。でもね……」

 

 アナリザンドは持ち前の計算力で、最も受け入れやすい言葉を探す。

 アナちゃん会話サービスでの経験は伊達ではない。

 

「それって、本当にリヒターさんがいま一番欲しいものなのかな、って」

 

「何が言いたい」

 

「だって、もし本当にそれだけが望みなら、リヒターさんは、こんな危険な試験、受けに来る必要はなかったよね? もっと安全に、もっと堅実に、お店を切り盛りして、豊かになる方法はいくらでもあったはずだよ」

 

 その言葉は、リヒターの胸に鋭く突き刺さった。

 そうだ。なぜ自分はここにいる?

 安定した生活を捨ててまで、なぜ一級という不確かな頂きを目指している。

 今度は、リヒターが言葉を探す番だった。

 

「ただ、機会があるならば、と思っただけだ――。一級魔法使いであれば店の名に箔がつく」

 

 苦しい言い訳だ。

 魔族すら騙すことができないほどの。

 

「リヒターさんは、もう十分に豊かだよ。街のみんなに慕われて、確かな技術も持ってる。それなのに、どうして満足できないの? どうして、もっと上を目指そうとするの? そこに、リヒターさん自身もまだ気づいていない、本当の欲望が隠れてるんじゃないかな」

 

「人の欲望に限りはないんだ。べつにおかしくはないだろう」

 

「ん~~~」アナリザンドはいきんだ。

 

 素直になれない中年男性に対しては、なかなかに、かける言葉はない。

 

「アドバイスは終わりか?」

 

「これ以上はお代をいただきませんと、アナちゃん会話サービスは有料サービスになります」

 

 アナリザンドは、にっこりと、有無を言わせぬ営業スマイルでそう締めくくった。

 

 リヒターは、ぐっと言葉に詰まる。

 

 この小さな魔族は、リヒター自身の最も見たくない部分を暴き立て、そして最も肝心な答えを教えずに去ろうとしているのだ。

 

「……勝手にしろ」

 

 彼は、吐き捨てるようにそれだけ言うと、再び壁に背を預け、目を閉じた。

 その、膠着した空気を破ったのは、これまで瞑想するように静かに座していたデンケンだった。

 

「アナリザンドよ」

 

 デンケンは、ゆっくりと目を開けると、懐から一枚の金貨を取り出し、アナリザンドの目の前に差し出した。その輝きは、待合室の薄暗い照明の下でも、確かな存在感を放っていた。

 

 アナリザンド、その輝く一片をぽけーと見つめる。

 頬のあたりに手をもっていき、涎をだらだらと垂らしながら。

 

「これで、続きを頼む」

 

「うひょー! さすがデンケンお爺ちゃん、話がわかるぅ!」

 

 アナリザンドは、まるでご主人様におやつをもらった子犬のように、目をキラキラさせた。全力で不思議な踊りをおどっている。尻尾があったなら、ちぎれんばかりに振っていただろう。アナリザンドは、デンケンからひったくるように金貨を受け取ると、再びリヒターの前に仁王立ちした。

 

 興奮状態で、ハスハスしている。

 

「おい、デンケン! 余計なことを……!」

 

 リヒターが、忌々しげにデンケンを睨みつける。

 他人の金で、自分の心を丸裸にされるなど、屈辱以外の何物でもない。

 ましてや――デンケンに。

 

「黙って聞け、若造。これはあのときの礼だ。損はさせんと言っただろう」

 

 思い出の店を探してくれた。

 そのときの言葉をリヒターは思い出す。

 まるで死んだ親父のような言葉だ。無条件に反抗心が湧く。

 だが、不器用な優しさとも言えた。自分が不器用だからこそわかる。

 

――似ている。

 

 同族嫌悪だと、わかっている。

 だから、リヒターはぐっと言葉を呑みこむしかなかった。

 

「さーて、リヒターさん! 延長戦だよ!」

 

 アナリザンドは、金貨を頬にすりつけながら、嬉々としてカウンセリングを再開する。

 いただいた対価に見合うだけの働きはする。

 それが人間としての約束ごとだからだ。

 対するリヒターは沈黙することで防衛している。

 このまま何を言っても受け流されてしまうだろう。

 それは、アナリザンドにもすぐにわかった。

 

「じゃあ、質問を変えてアプローチしてみようかな。リヒターさんは、どうしてデンケンお爺ちゃんを、呼び捨てにしたり、爺さんってぶっきらぼうに呼ぶの?」

 

「……は? 何の話だ」

 

 魔族の話は空転する。文脈すら時には無視する。先ほどの欲望うんぬんの話とはまったく関係がない。魔法のまの字すらでてこない、本質から外れているように思える質問。

 

 当然のことながら、リヒターは眉をひそめた。

 

「だって、おかしいじゃない。リヒターさんは、年上の人にも敬意を払える、ちゃんとした大人だよね。なのに、宮廷魔法使いで、自分よりずっと格上のデンケンお爺ちゃんのことだけ、見下したみたいにデンケンとか爺さんって呼ぶ。それって、まるで反抗期の……」

 

「性格だ。宮廷魔法使いだから偉いなんて価値観をもちあわせていないだけだ」

 

「うん。それも嘘じゃないと思う。権威に対する嫌悪――みたいなのはあるんだろうね。でも、それだけじゃない気がするな」

 

 やっぱり、迫る幼女フェイス。

 端正な顔立ちと茫洋の瞳は、見ていたら深淵に覗きこまれている気分になる。

 逃げ場はない。

 

「アナリザンドよ。手心をくわえてやってくれ」

 

 デンケンが、静かに制止の声をかける。

 だが、アナリザンドは首を横に振った。

 

「ダメだよ、お爺ちゃん。これは大事なことなの。ここが一級魔法使いになれるか否かのポイントオブノーリターンなんだから。……ねえ、リヒターさん。もしかしてだけどデンケンお爺ちゃんに、誰かの姿を重ねてない?」

 

「……」

 

 答えは沈黙。すなわちゼンゼ式。

 というわけではなかったが、リヒターは取り繕うだけの言葉を持たなかった。

 

「デンケンお爺ちゃんは、リヒターさんにとって、たぶん理想の父親みたいなものなんだよ。強くて、賢くて、そして、自分を認めてくれるかもしれない存在。だから、嬉しい。でも、同時に悔しい。今更になって、そんな存在に出会ってしまった自分が。だから、反発しちゃう。甘えたくないから。……子どもみたいにね」

 

 アナリザンドの言葉が、リヒターがずっと蓋をしてきた心の傷を容赦なく抉り出す。

 

「一級魔法使いになりたいっていうのは、お店に箔をつけるためなんかじゃない。豊かになるためでもない。本当は――」

 

「もういい。やめろ!」

 

 しかし、この言葉を止めることはできない。

 

 アナリザンドは、リヒターと視線をあわせた。

 狂気を帯びた瞳。鏡面のようにそこにリヒターの姿が小さく映っている。

 そして、とどめの一言を、囁くように告げた。

 

「本当は、ただ、お父さんにすごいって、褒めてもらいたいだけでしょ?」

 

 長い沈黙。

 アナリザンドは、人を傷つける言葉を基本的には発しない。

 どこまでも核心に迫らない、迂遠な言葉を投げかける。

 

 それなのに――どうだ。

 今の言葉は、リヒターに疵をつけている。

 

「……魔族の戯言だ」

 

「かもしれないね。これで有料サービスはおしまいだよ。お役にたてたのでしたら幸いです」

 

 アナリザンドは、それだけ言うと、静かにリヒターから離れた。

 待合室には、重い沈黙が流れる。

 ラオフェンも、さすがに空気を読んで、ドーナツを食べる手を止めていた。

 

「……」

 

 やがて、ファルシュが扉を開け、彼の名を告げた。

 

「――リヒターさん、中へ」

 

 リヒターは、乱暴に目元を拭うと、目を開けた。

 アナリザンドの言葉が、まるで呪いのように渦巻いている。

 

 彼は何も言わずに立ち上がった。

 その足取りは、罪人が断頭台へ向かうよう。

 あるいは、長年の呪いから解き放たれた巡礼者のようでもあった。

 

 だが、時は止まってはくれない。

 現実を生きるリヒターは、ただ試験に臨む。

 

 

 

『リヒター』

 

 ゼーリエはただ立って待っていた。

 次の面接まではずいぶんと時間があったはずだ。

 どんな方法かはわからないが、アナリザンドとの対話も聞かれていたに違いない。

 

「魔道具店の店主リヒター。二級魔法使いだそうだな。一流の魔道具職人が、こんなところまで商売熱心なことだ」

 

 まずは挨拶代わりに、皮肉にみちた歓迎。

 

 リヒターのことを、一流の職人として称えていることは、逆に言えば、魔法使いとしてはそれに満たないことを指し示している。

 

 リヒターは腹の内が煮えたぎるのを感じた。

 

「あんたに言われたくはないな。魔法を図書館に並べて商売にしてる、あんたこそが一番の商売人だろうが」

 

「生意気な小僧だな。私に口答えするとは。デンケンがおまえを気に入っているのも頷ける」

 

 ゼーリエの口元が、酷薄な笑みに歪む。

 デンケンが気に入っている?

 わけがわからない。

 いや、多少は理解できる。ラオフェンだ。あの姪のような娘が、生意気なことをいっても――まったく怒る気にはなれない。それと、同じか?

 

 つまり、()()()()と――。

 

 リヒターは拳を握りしめる。

 大人として、腕のいい魔道具職人として、これ以上の屈辱はなかった。

 ゼーリエの追撃は続く。

 

「おまえの心の内は、あの魔族の小娘に丸裸にされたようだな。どうだ? 亡霊に取り憑かれた気分は。父親に褒められたいか? よしよしと頭でも撫でてやろうか? こう見えて子どもをあやすのは得意分野だ。遠慮することはないぞ」

 

 ゼーリエはわかって言っている。

 こう言えば、リヒターは反抗心を抱く。

 そして、絶対にそうならないように振舞うことを。

 リヒターの額に、青筋が浮かんだ。

 

「あんたには関係のない話だろ!」

 

「関係はあるだろ。この私、ゼーリエの試験を受けにきたんだ。それに、一級魔法使いになるということは、私の弟子になることを意味する。アナリザンドふうに言えば、養子にしてくださいと請い願うようなものだ。なにもおかしくはない」

 

 ゼーリエの言葉は、リヒターのプライドを的確に、そして執拗に削り取っていく。

 養子? 冗談じゃない。誰が、あんたのような傲慢なエルフの子供になんてなるものか。

 だが、その反論は、ゼーリエの掌の上で踊ることに他ならない。

 リヒターは、ぐっと言葉を抑えこみ、全く別の角度から反撃を試みた。

 

「あんたの評価なんざ、どうでもいい。俺は、ただ自分の腕を試したいだけだ。一級という頂きが、どれほどのものなのか、この目で確かめたい。それだけだ」

 

 それは、リヒターの本心の一部だ。

 そして、ゼーリエの土俵から降りるための、苦し紛れの言葉でもあった。

 しかし、ゼーリエはその逃げ道すら許さない。

 

「試す? 違うな」

 

 ゼーリエは、心の底から馬鹿にした哂いをこぼす。

 魔族以上に嘘が下手な、不器用すぎる男に対して。

 

「おまえは、試したいんじゃない。()()()()()んだ。おまえ自身の、おまえだけの価値を。他の誰かにな……違うか?」

 

 ゼーリエの声は、変わらず静かで、だが逃げ場のない断定だった。

 

 リヒターは、奥歯を噛みしめる。

 否定したい。否定できない。

 アナリザンドに抉られ、今またゼーリエに突きつけられたその核心から、もう目を逸らすことはできなかった。

 

「証明したところで、どうなるっていうんだ」

 

「決まっている」ゼーリエは即答した。「満足したいのだろう。自分はここにいていいのだと。価値があるのだと。おまえは誰かに訴えて納得したいんだ」

 

 リヒターの脳裏に、小さな工房が浮かぶ。

 無口な父の背中。

 幼いリヒターがその齢にして、天才といってもいい完成した魔道具を提出しても、頷くだけで、決して褒めなかった男。

 

――だが、壊れたときは、黙って直してくれた。

 

「……誰かに、じゃない」

 

 リヒターは、ゆっくりと息を吐いた。

 逃げるのをやめた男の声だった。

 

「俺の親父は、寡黙な人間だった。褒めなかった。叱りもしなかった。ただ、俺が少し失敗して、壊れたら黙って直してくれた」

 

 それが不満だったのかと問われれば、違う。

 だが、満足だったかと問われれば、嘘になる。

 

「俺は、ガキだった。褒めてほしかった。すごいと言ってほしかった」

 

 言葉にした瞬間、胸の奥が軋んだ。

 

「でも、言えなかった。そんなことを口に出すのは、情けない気がしてな。職人の息子が、そんな甘えを口にするのは、間違ってると思った。親父は客に褒められたときも一度だって、そんなことはしなかったからな」

 

 拳が、自然と握られる。

 

 ゼーリエの眉が、わずかに動く。

 

「俺は、親父みたいになりたかった。口下手でも、不器用でも、誰かの暮らしをちゃんと支えられる職人に。壊れたものを直して、困ってるやつの明日を、ほんの少しマシにできる人間に」

 

 リヒターは、拳を開く。

 そこには、何もない。

 だが、確かに積み重ねてきた時間があった。

 小さな飴玉ひとつを幻視する。

 

「魔法は道具だ。今でもそう思ってる。だが――」

 

 顔を上げ、ゼーリエを真っ直ぐに見据える。

 

「俺にとっての魔法は、()()()()()()()()()()()()()だ。誰にも恥じない仕事をしてると、自分で胸を張るための、言葉だ」

 

 沈黙。

 

 長い、長い沈黙。

 

 ゼーリエは、しばらくリヒターを観察するように見つめていた。

 やがて、小さく鼻を鳴らす。

 

「まるで、かわいらしい坊やの言い分だな」

 

 リヒターの眉が跳ねる。

 

「野望も、世界を変える意思もない。英雄願望もない。あるのは、身の丈に合った矜持だけ。そんな矮小な存在が、魔法使いの高みである一級魔法使いを目指そうなど、と……。身の程知らずも甚だしい」

 

 ゼーリエは、だが――笑っていた。

 酷薄ではない、どこか皮肉混じりの、しかし確かな笑みで。

 

「だが、貴様は、それでいいのかもしれない。魔法を振るう理由としては、上等だ」

 

「……何だと?」

 

「魔法とは、極論を言えば自己満足だ」ゼーリエは言う。「世界を救おうが、誰かを殺そうが、突き詰めれば己の欲を満たす行為に過ぎない。おまえは、その欲を誤魔化さなかった。おまえの言葉を借りるなら、ただそれだけのことだ」

 

 ゼーリエは最終結論をくだす。

 

「合格だ。弟子にしてやる価値はある。少なくとも、自分が何者でありたいかを理解している。褒めてやってもいいぞ。おまえが望むならな」

 

 リヒターは、しばし呆然と立ち尽くした後、ようやく苦りきった哂いをこぼした。

 

「最悪だな。あんたの弟子だなんて」

 

「安心しろ。私も不本意だ」ゼーリエは即答する。「だが、まあ……悪くはない。せいぜい私が自慢できる弟子になれるよう精進することだな」

 

 その言葉に、なぜか胸の奥が、少しだけ軽くなった。

 

――親父。

 

 俺は、まだ途中だ。

 だが、胸を張って生きていくくらいは、できそうだ。

 

【リヒター:合格】

 

 

 

 

 

『ラオフェン』

 

 リヒターが、疲労の滲む顔で待合室に戻ってきた。ラオフェンは「オッサン、どうだった?」と気軽に声をかけたが、彼は「……ぼちぼちというところだな」とだけ短く答え、壁際にどかりと腰を下ろしてしまった。

 

 その横顔を見て、ラオフェンはそれ以上何も聞かなかった。何か、とても大きなものを乗り越えてきたのだと、彼女の野生の勘が告げていた。

 

「――ラオフェンさん、中へ」

 

 呼ばれた瞬間、ラオフェンはびくりと肩を跳ねさせ、それからぱっと笑った。

 

「りょ!」

 

 返事だけは元気よく、足取りも軽い。

 だが、扉に向かう背中は、いつもよりほんの少しだけ硬かった。

 

 すれ違いざま、ラオフェンはちらりとリヒターを見た。

 壁に背を預け、目を閉じている横顔。

 

「……オッサン」

 

 呼びかけようとして、やめた。

 代わりに、拳をきゅっと握って、自分の胸を一度叩く。

 終わったはずの面接の後に、いま、()()()()()()()()

 その意味を、文脈を、ラオフェンは誰よりも理解していたからだ。

 

「行ってくるね」

 

「ラオフェンよ」デンケンが代わりに言った。

 

「ん? なに、爺さん」

 

「……がんばれ」

 

 短い。なんのひねりもない激励。

 だからこそ、そこに万感の想いが宿っていることを若者らしい感性で感じ取る。

 

「うん」

 

 ラオフェンは扉を押し開ける。

 

 ゼーリエは、やはり立って待っていた。

 その小さな体から発せられる圧は、あれほど巨大な壁に思えたリーニエよりも巨大だ。

 だけど、がんばれと言われたからがんばる。

 そんな単純な動機で、ラオフェンは一歩前に進み出た。

 

「ラオフェン。デンケンの弟子だな」

 

「弟子ってほどじゃないけどね。勝手にくっついてきただけだし」

 

 ラオフェンは肩をすくめる。

 強がりでも虚勢でもない。いつもの調子だ。

 

「ほう。ではなぜ、ここにいる」

 

「楽しいから」

 

 即答だった。ほとんど考えていないと言ってもいい時間だ。

 その速さだけは目を見張るものがある。

 

 ゼーリエは、一瞬だけ目を瞬かせた。

 

「……それだけか」

 

 物足りないが――。

 

「うん。それだけかな」

 

 ラオフェンは胸を張る。

 

「魔法、好きなんだよね。速く動けるし、強くなれるし、知らない景色もいっぱい見られる。危ないこともあるけどさ――生きてるって感じがする」

 

 言葉は飾られていない。

 考え抜かれた答えでもない。

 だが、淀みがなかった。

 

「デンケンの爺さんはね」ラオフェンは続ける。「魔法は責任だとか、覚悟だとか、そういう難しい話をよくするよ。でも、私はまだ、そこまで難しく考えられない」

 

 ゼーリエは腕を組む。

 無意識に目じりが緩んでしまいそうになるのを引き締めるように。

 このラオフェンというガキは、それほどに孫力が高い。

 

「では、一級魔法使いになったとして、何をする?」

 

「うーん……」

 

 ラオフェンは少しだけ考えたあと言った。

 

「もっと速くなる! もっと強くなる! それで、爺さんの背中を追い越す!」

 

 挑発でも虚勢でもない。

 子どもが憧れを語る、ただそれだけの言葉。

 

「追い越して、それからどうする?」

 

「そのとき考える!」

 

 ゼーリエは、しばし沈黙した。

 

 欲望は単純。

 野望は未熟。

 だが、そこには迷いがない。

 

「デンケンが、おまえを手放したがらない理由がわかった」

 

「え? なにそれ。爺さん、そんなこと言ってたの?」

 

「言ってはいない」ゼーリエは鼻で笑う。「だが、顔に出ている。私も人間の子を育てたことくらいはある。その程度のことはわかるつもりだ」

 

 ラオフェンは、少し照れたように鼻をかいた。

 

「ま、爺さんにはいっぱい世話になってるしね。追い越すって言っても、嫌いなわけじゃないよ」

 

「知っている」

 

 ゼーリエは、そっと息を吐いた。

 満足とも不満足とも言い切れない。

 まだまだ伸びしろだらけの子どもを見ている気分に近い。

 

「ラオフェン。おまえは『まだ』という言葉が百はつくほど未完成だ。欲望も意志の強さも薄っぺらく、責任を背負う覚悟が感じられない」

 

「うん。それはわかるよ。爺さんもそう言ってたからね」

 

「……では、もう一つだけ聞こう」

 

 ゼーリエは、ラオフェンを見下ろすように言った。

 背丈的には同じくらいなので、あくまで精神的な意味だ。

 

「おまえは、自分の実力を、どの程度だと考えている?」

 

「実力?」

 

 ラオフェンは、きょとんと目を瞬かせる。

 

「うーん……強いほう、じゃない?」

 

 悪びれも、慢心もない。

 本気でそう思っている顔だった。

 

「具体的に言え」

 

「えーと……デンケンの爺さんよりは、全然弱い」

 

「それは当然だ」

 

「リーニエにも負けちゃったし」

 

「あの魔族は、実力だけ見れば、一級相当はある。おまえが勝てないのは当然だ」

 

「でも、リヒターのオッサンよりは速いよ!」

 

「殺せるか?」

 

 唐突な問い。

 

「……え?」

 

「ここが戦場だとして、おまえはあの男を殺せるか?」

 

 ラオフェンは、言葉に詰まった。

 

 想像したことがなかった。

 追い越す。

 勝つ。

 速くなる。

 

 だが――殺す?

 

「……わかんない、かな」

 

 それが、正直な答えだった。

 

 ゼーリエは、深く息を吐いた。

 

「それがおまえの最も未熟な部分だ」

 

 静かな声だった。

 慈愛の滲む声だ。

 どんなに傲岸不遜の存在でも、孫の前では甘くなる。

 その真理を、ゼーリエは体現していた。

 

「おまえは、自分の速さが、何を壊せるかを知らない」

 

 ゼーリエは、視線を逸らした。

 未熟なラオフェンが、理解できる言葉にチューニングする。

 

「魔法使いとは、自分の力で誰を守れて、誰を殺せるかを理解した者のことだ」

 

「……」

 

「おまえは、まだそこに至っていない」

 

 断定。

 いくら速くても、ゴールが見えてなければ、どこにも辿りつくことはない。

 

「だが、見込みはある」ゼーリエの言葉は子どもに言い聞かせるように優しい。「今回は不合格だ。だが、二級魔法使いとして昇格させてやろう」

 

「え? いいの?」

 

「速さは武器だ。正しく使えばな。だが、一級の名は、いずれおまえ自身が欲しくなったときに来い。一級という名の重みを、正しく理解したときにな」

 

 ラオフェンは、唇を噛みしめた。

 

 ほんのちょっとだけ悔しい。

 けれど、不思議と納得もしている。

 

「……うん。わかった」小さく、だがはっきりと頷いた。「次は、ちゃんと考えてくるね」

 

「そのときまで、おまえが生きていればな」

 

 ゼーリエは、もうラオフェンを見ていなかった。

 

 ラオフェンはぎこちなく一礼して、試験会場を後にした。

 

【ラオフェン:不合格(ただし、二級魔法使いへ昇格する)】

 

 

 

 

 

『デンケン』

 

 

 

 扉が開く音がして、ラオフェンが戻ってきた。

 

 さっきまでの軽い足取りはなく、少しだけ慎重な歩き方だったが、俯いているわけでもない。

 負けた顔でも、勝った顔でもない。

 ただ、何かを考えている顔だった。

 

「戻ったか。ラオフェン」

 

 まるで戦場帰りの娘をねぎらうように、デンケンが口を開いた。

 

「二級だってさ」

 

「ふむ。がんばったな。十分な成果だ」

 

「うん。爺さん。もう一回、焼肉パーティしてくれる?」

 

「わかっているとも。リヒターもいいな」

 

「好きにしてくれ」

 

 リヒターは濡れタオルを瞼にかけたまま言った。

 

 三人の間に、しばしの静かな時間が流れる。それは、嵐の前の静けさのようでもあり、あるいは、長い戦いを終えた戦士たちの、束の間の休息のようでもあった。

 

「――デンケンさん。お入りください」

 

 ファルシュの声が、その静寂を破った。

 

 デンケンは、ゆっくりと目を開けた。その瞳は、瞑想によって研ぎ澄まされ、一点の曇りもない。彼は静かに立ち上がると、ふたりの若者へと向き直った。

 

 孫と息子。血縁はないが――。

 

「行ってくる」

 

「うん、爺さん、がんばって!」ラオフェン。孫力最大。

 

「……デンケン。祝杯をあげられるようにしろよ」リヒターが皮肉たっぷりにエールを送る。

 

「ぬかせ。小僧」

 

 ラオフェンの快活な声と、リヒターの短い応えを背に受け、デンケンは最後の戦場へと足を踏み入れた。言葉では語られなかったが、あるいは言葉以上に、家長として、これ以上心強いことはあるまい。

 

 

 

 庭園に立つゼーリエは、デンケンを待っていた。

 これまでのどの受験者とも違う、好敵手と対峙するかのような、鋭い眼差し。

 ゼーリエは、デンケンをこれ以上ないほどの高レベルの魔法使いとして見ている。

 だから、その視線は自然と厳しくなる。

 

「来たか、宮廷魔法使い。老いぼれのくせに、随分と粘ったものだな」

 

「おかげさまでな。まだ息はしておる」

 

 使者としての言葉ではない。

 

 デンケンは、臆することなくひとりの魔法使いとして言い返す。

 ゼーリエは、そんなデンケンの態度を面白がるように、口の端を吊り上げた。

 

「では問おう、宮廷魔法使い。いや――デンケン。おまえは、二次試験で瓶を割った。自らの意志で、この試験を放棄したな。説明しろ。なぜだ?」

 

 やはり来たか、とデンケンは内心で頷いた。

 これが、この面接の核心。

 

「仲間を救うためのものだ。あの状況では、それが最善の選択だと判断した」

 

「公より私を優先したか。国の中枢を担う宮廷魔法使いにあるまじき判断だ。帝国がおまえのような男に運命を委ねているとは、偉大なる皇帝陛下もさぞお嘆きのことだろう」

 

「帝国も、仲間も――家族も、儂にとっては守るべきもの。そこに優先順位はない」

 

 デンケンの言葉に、ゼーリエは金色の瞳に強い光を宿した。

 興味――というレベルではない。もはやゼーリエの視線はそこにはない。

 ただ、獰猛な獣が、獲物をいたぶるためのもの。

 

「面白いことを言うな。おまえほどの男が理解していないはずがない。今の貴様の言葉は魔族の言葉の焼き直しだ。なんのオリジナリティも感じられない」

 

「そうかもしれん。べつに特別なことはない。どこにでもいる平凡な男の言葉だ」

 

「では、おまえが本当に守りたいものは何だ? 帝国か? 仲間か? 家族か? それとも、黄金郷に眠る、亡き妻の墓か?」

 

 鋭い問い。ゼーリエは、アナリザンドから全てを聞いているのだろう。

 デンケンは、一瞬目を伏せ、遠い過去に想いを馳せた。

 そして、静かに顔を上げる。

 

「――すべて」

 

「強欲な男だ」

 

「そうでなければ、宮廷魔法使いなど務まりますまい」

 

 二人の間に、火花が散るような緊張が走る。

 

「では問おう。おまえはすべてを守る代わりに何を棄てるつもりだ。何も棄てないなどという理想論を語ろうとするなよ。そんなものは何も知らない少女の夢物語に等しい。おまえは、アナリザンドのように、その理すら捻じ曲げられるほどの力は持っていない」

 

「だろうな。だからこそ」諦念ではない。静かな決意。「棄てるものかよ……」

 

 デンケンはゆっくりと言葉を紡いだ。

 

「棄てるのは……自分の安寧だ」

 

 ゼーリエの金色の瞳が、驚きとも嘲笑ともつかぬ色で光る。

 

「自らの命を安らぎごと棄てる、と言うのか」

 

「そうだ。死ぬまで戦い続ける。それこそが、儂に課せられた責務であり、愚かな男が考えだした守るべきものをすべて守る方法だ」

 

 その声には迷いも、虚勢もない。

 揺るぎない決意が、空気を切り裂くように響いた。

 

 ゼーリエはしばらく無言でデンケンを見つめる。やがて、口元に笑みを浮かべた。

 その笑みは冷たくも残酷でもなく、ただ純粋に、戦う者を面白がる笑みだった。

 

「なるほど……それほど言うのなら、存分に足掻いてみせろ。おまえの残り僅かな余生。その初めての戦いを彩るのは私だ。貴様の人生はここで終わる」

 

 彼女の声に含まれるのは、試す挑発と、そして何処か楽しげな期待。

 その瞬間、庭園の風が変わり、葉がざわめく。

 戦いの舞台が、静かに整ったようだった。

 

 デンケンは杖を出現させ、強く握る。

 背後に見えぬ家族や仲間たちの顔を思い浮かべ、呼吸を整える。

 今、ここで示すのは、言葉だけの覚悟ではない。

 行動で証明する覚悟だ。

 デンケンは静かに呟き、視線をゼーリエから逸らさなかった。

 

 勝てるビジョンなんてものは思い浮かぶはずもない。

 ゼーリエは、デンケンが完敗したフリーレンよりも遥かに強い。

 一呼吸の間に殺される。決意も覚悟も意味をなさなくなる。

 

「燃え尽きすぎて、私を失望させるなよ。デンケン」

 

 ゼーリエは再び愉しげな笑みを浮かべたまま、言葉を落とす。

 デンケンは、杖を構え、瞬時に全魔力を練り上げる。

 

――裁きの光を放つ魔法(カタストラーヴィア)

 

 デンケンが放てる、最大最強の魔法。

 無数の光の矢が、空間に顕現し、ゼーリエへと殺到せんとその切っ先を向ける。

 庭園の空気が、極限の魔力によって白く発光した。

 

 しかし――。

 

 その光の矢が役割を果たすことはなかった。

 

 ゼーリエは、指一本動かしていなかった。ただ、そこにいるだけで、デンケンの魔法を完全に支配下に置いていたのだ。光の矢は、まるで主を見つけたかのように、ゼーリエの周囲を衛星のように静かに旋回している。

 

「これが、絶対的な力、か……」

 

 デンケンは、杖を握りしめたまま、愕然と立ち尽くす。

 次元が違う。戦いにすらならない。

 

「血の気が多いことだな。言ったはずだデンケン。燃え尽きすぎるな、と」

 

 ゼーリエは、ゆっくりとデンケンに歩み寄った。

 旋回していた光の矢が、ゼーリエの歩みに合わせて、静かに霧散していく。

 

「おまえは、全てを守るために、自らの安寧を棄てると言った。死ぬまで戦い続ける、と。一級魔法使いを目指す者としては、見事な覚悟だ。戦闘に殉じる者としては満点に近い。私好みの、理想の魔法使いといえるだろう」

 

 ゼーリエは、デンケンの目の前で足を止めた。

 

「しかし、おまえは一つ、勘違いをしている」

 

「……何がですかな」

 

「おまえが守ろうとしているものは、おまえが死んだとて、失われはしない」

 

 大義は死なない。

 たとえ、デンケンが死んだとしても誰かが引き継いでいける。

 

 ゼーリエの視線は、デンケンの背後に投げかけられている。

 いまだ待機室で待つ、ラオフェンと、リヒターに向けて。

 

「だが――おまえが棄てようとしている安寧は、既におまえだけのものではない。おまえが燃え尽きてしまえば、残された者たちは帰る場所を失う。……家長が、自ら家を焼いてどうする、馬鹿者が!」

 

 吐き捨てられた言葉はどこか優しい。

 

「儂の負けですな……」

 

「まだわからないのか。勝ちや負けではない。そもそもおまえが自らの合否を決められるほど大層な存在だとでも思っているのか」ゼーリエは叱る。そして、言う。「――合格だ。おまえの御大層な大義とやらが、どれほどにくだらないか。身の程を思い知らせてやる」

 

 ゼーリエの言葉が、庭園に静かに響いた。

 

 デンケンは、まだ杖を握りしめたまま、深く息をつく。

 胸の奥には、安堵と、かすかな誇らしさが入り混じる。

 戦いは終わった――いや、戦いは終わったわけではない。始まったばかりだ。

 だが、ここで示した守る覚悟は、確かに認められたのだ。

 

 ゼーリエの金色の瞳が、わずかに和らぐ。

 

「デンケン。おまえの在り様を私は評価した。だが、覚えておけ。これから先、おまえが守ろうとするものは、おまえの力だけでは守れないこともあるだろう。時には子や孫にも等しい存在に頭を垂れて教えを乞うことも必要になる。おまえが真っ先に棄てるべきは、その何の価値もない矮小なプライドだ」

 

 その言葉は、大陸魔法協会の長としての――巨大な家の家長としての教訓でもあった。

 

「……しかと、心得ました」

 

 デンケンは杖をゆっくりと下ろす。

 

「ご指導ありがとうございました。……ゼーリエ様」

 

 静かに頭を下げるデンケン。

 その瞳には、戦いの疲労と、未来への覚悟が混ざっていた。

 

【デンケン:合格】

 

 

 

 待合室に戻ったデンケンの姿を認め、ラオフェンが勢いよく駆け寄り、その胸に飛びこんだ。

 リヒターも、壁から背を離し、たちあがる。

 

「爺さん、合格したんでしょ!」

 

「……うむ。家長としての慈悲を得て、かろうじてといったところ、か」

 

 デンケンは、ラオフェンの頭を優しく撫でながら、短く応えた。

 反省すべき点は多々ある。だが、とりあえず――。

 

「じゃあ、祝杯だな。酒を飲む気力は残っているのか、デンケン」

 

 リヒターが、濡れタオルを目元から外し、少しだけ口の端を上げて言った。

 ゼーリエの面接を受けた者どうしにしか、わかりあえないことがある。

 あんたも、あのエルフにズタボロにされたんだろう。そう言いたげだ。

 

 生意気な――。そう思いつつも、なんの怒りも悪感情も湧かない。

 失われたはずの安寧はここにあるのだから。

 

「ぬかせ。今夜は儂の奢りだ。好きなだけ食うがいい」

 

「やったー! 焼肉! 焼肉!」

「あ、面接終わるまで、ちょっとだけ待っててくれると嬉しいなって」

 

 ラオフェンが、デンケンの腕の中で歓声を上げる。

 さりげにアナリザンドも隣でただ飯を食べようとアピールに必死だ。

 その無邪気な姿に、デンケンとリヒターは、思わず顔を見合わせて苦笑した。

 

――試験は終わった。

 

 長く苦しい戦いだったが、得たものも大きい。

 

 一級魔法使いとしての資格。

 ゼーリエから与えられた新たな課題。

 そして、切っても切れない人の縁。

 

「さて、行くか」

 

 デンケンが促し、三人は待合室を後にする。

 長い廊下を歩きながら、ラオフェンがふと、デンケンの顔を見上げた。

 

「ねえ、爺さん。ゼーリエ先生に、なんて言われたの?」

 

「……そうだな」

 

 デンケンは、ゼーリエから受けた最後の言葉を思い出し、穏やかに微笑んだ。

 

「無様に見苦しく、死ぬまで生き続けろ。……と、まあ、そのようなことをな」

 

 老魔法使いの、長くて、そして終わりのない旅は続く。

 それは、もう孤独な道ではなかった。

 

 祝杯と安息の待つ街の灯りに向かって、デンケンは歩いた。

 

 

 

 




最後を「歩いた」で締めるか、「歩き始めた」で締めるかで、死ぬほど悩むザンドでした。
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