魔族少女のエロタナティブ 作:アナリザンド
今年の試験は、ゼーリエからしてみれば豊作の一言に尽きるだろう。
受験者たちは一級魔法使いとしての資格は得られなかった者もいるが、それに代替する何かを得て、それぞれの道を歩み始めている。
ただし、それは
ただひとり我が道を行くのは、一級魔法使いという資格も、魔法使いとしての名誉もどうでもいいと考えている、思考のほぼすべてが、びーえるによって構成されている腐り神レンゲである。
普通であれば、他の受験者たちの帰趨がわずかなりとも気になるところだろうが。
――レンゲは違った。
レンゲは膝の上の穢腐ノートから顔を上げることなく、一心不乱にペンを走らせていた。その瞳は妖しく爛々と輝き、口元からは「
そんなレンゲの隣に陣取っているのはメトーデ。
反応の薄い、つまりネタの書き出しに集中していて、抵抗をしない状態のレンゲを撫で繰りまわし、ニコニコ微笑を浮かべながら、幼女成分を補給している。
――軽めに児ポの現行犯である。
ちなみにリーニエは、じっと御側つきのように控え、神の奇跡の御業にただひたすら祈りをささげていた。魔族にしては――人間の模倣をするだけの偽物にしては高等な擬態。
アナリザンドは、というと――。
正直なところ、レンゲにかける言葉はなかった。レンゲが試験に合格する確率はゼロパーセントである。常ならば、そうであってもレンゲが魔法使いとして何かを得られるように動くはず。
しかし、そもそものところ、レンゲにとってはどうでもいいことなので、その意味でかける言葉はないのである。どちらかと言えば、リーニエのほうが合格の可能性は高く、同族として合格してほしいなぁ、なんて考えている。
「メトーデさん。中へお入りください」
ついに、メトーデが呼ばれた。
彼女は、名残惜しそうにレンゲの頭から手を離すと、優雅に立ち上がった。
「では、少し行ってまいりますね。レンゲさん、リーニエさん、アナリザンドさん」
その穏やかな微笑みは、これから絶対者との面接に臨む者とは思えないほど、余裕に満ちている。
メトーデは、出口に向かう途中、ふとアナリザンドの前で足を止めた。
「アナリザンドさん」
「ん? なあに、メトーデ」
「よろしければ、面接の前に、少しだけ抱きしめさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「幼女パワーはレンゲちゃんからもらってるでしょ」
「いいえ。それは違います。レンゲさんの分は先ほどいただきましたので、仕上げにアナリザンドさんの分も、と。そうすれば、完成するじゃないですか?」
優しく微笑むメトーデ。
「完成? なにが?」
メトーデは視線をゆっくりと背後に向けた。
「人間」レンゲちゃん。「魔族」アナリザンド。そして「エルフ」ゼーリエ先生!?
――三位一体の幼女パワーコンプリート。
目指しているのは、そこか!?
アナリザンドは曖昧に微笑んだ。
ミラーリングというわけではない。この一級魔法使い選抜という土壇場になってまで、幼女を追い求めるメトーデに、心の底から驚嘆していたからである。
「ん~。まあ、メトーデの合格に寄与するならいいけど、ゼーリエ先生に勝手に抱き着いたら、怒られるよ。試験も失格になっちゃうかも」
「許可は得ようと思っていますよ。それで、いかがですか?」
「いいよ」
「それでは、失礼して――」
ぎゅー。まるで、クレーンゲームの景品のように抱っこされるアナリザンド。
しかし、カンネのように力任せというわけでもなく、こめられた力は優しい。
匠の技だ。それに、柔らかい。何がとは言わないが。
幼女パワーを補給し、万全の態勢で庭園へと向かったメトーデの背中を見送りながら、アナリザンドは内心で彼女の合格を確信していた。
メトーデの実力は本物だ。合格確率は、限りなく100%に近い。
優秀な魔法使いほど変態という法則でもあるのだろうか。
――しかし。
数分後、扉を開けて戻ってきたメトーデの表情は、予想とは全く違うものだった。
「……残念な結果に終わってしまいました」
メトーデは、深いため息と共にか細い声でそう呟くと、力なく壁に手をついた。
その顔は青ざめ、瞳からは光が失われている。まるで、魂を抜かれたかのようだ。
「えっ!? メトーデが!? なんで!?」
アナリザンドは思わず叫んだ。信じられない。あのゼーリエ先生が、メトーデほどの実力者を見抜けないはずがない。一体、何があったというのだろう。
「ゼーリエ様は、あまりにも……あまりにも、厳しいお方でした……」
メトーデは、震える声で続ける。その言葉に、待合室の空気も重く沈んでいく。
わたしは、彼女に駆け寄り、ものすごく背伸びして、その肩に手を置いた。
さりげに幼女パワーを補給されている!
でも、同居人が沈んでいるのだ。この際、無視する。
「大丈夫!? 何を言われたの!? わたし、先生に抗議してくる!」
「いえ、もう……手遅れです……」
メトーデは、涙ぐみながら、絶望的な宣告の内容を口にした。
「わたくしへの褒美は、一日たった十分しか、ゼーリエ様を抱っこも撫で撫でもしていただけないと……! なんて、なんて無慈悲な方なんでしょう……!」
「…………は?」
アナちゃんは、完全に固まった。
待合室にいた全員が、固まった。
重く沈んでいた空気が、一瞬にして宇宙猫レベルの無に帰す。
この女、合格どころか、とんでもない褒美を勝ち取ってやがった。
それを
「……よかった、ね……?」
わたしが、ようやく絞り出した言葉に、メトーデは「よくありません!」と、本格的に泣きじゃくり始めてしまった。そしてさらに抱きしめられる。もはや、手がつけられない。
その、カオスな状況を断ち切るように、ファルシュが次の名前を呼んだ。
――ユーベル。
そして、ラント。
ふたりの面接は驚くほど短時間で終わった。
アナリザンドの予想にも合致している。きわめて順当な結果だ。
ふたりとも、その実力は、メトーデと同等。つまり合格確率はきわめて高かったのである。
先に呼ばれたユーベルのほうが、ラントの面接が終わるのを待ち構えており、ストーカーばりにすぐさま話しかける。
「ねえ、メガネくん。この後ひまでしょ? 祝賀会しよーよ」
「断る。君といると疲れる」
「つれないなぁ。じゃあ、私が負けたら言うこと聞いてくれるってのはどう? 模擬戦しよ」
「どうして僕がそんなことをしないといけないんだ。こう見えて試験が終わってほっとしているんだ。ついてくるなよ」
「メガネくんの大好きなマンガのことについて語らいたいなぁ。そうだ。私をアシスタントとして雇ってよ。こう見えて、手先は器用なんだぁ」
「家までついてくるつもりか。この勘違い女!」
ふたりは言い合いながら、じゃれあうように待合室を後にした。
その背中を見送りながら、アナリザンドは苦笑をこぼす。
結局、この試験で一番の常識人は、ラント君だったのかもしれない。
――ごくろうさま。
【メトーデ:合格(一日十分を限度とする抱っこ権、撫で撫で権を獲得)】
【ユーベル:合格】
【ラント:合格】
次に呼ばれたのは、レンゲだった。
「――レンゲさん、ご準備はよろしいですか? お入りください」
ファルシュの声に、レンゲはようやく顔を上げた。その顔には、緊張など微塵もないはずだった。先ほども述べたように、レンゲには、この試験にかける気概というものは何もないはずだったから。
しかし、どこか様子がおかしい。
顔がわずかに紅潮し、どこか焦ってるような。
「どうしたの。レンゲちゃん?」とアナリザンド。
「体調が悪いのですか?」と、面接が終わったあとのレンゲを捕獲しようとしているメトーデも心配そうに聞いた。
「ン……なんでもない。いってくる」
そんなわけで、どこかぎこちない足取りでレンゲは庭園に向かうのだった。
庭園に辿りつくと、ゼーリエはレンゲに一瞥すらくれなかった。
観測の必要すらない。実際、それほどにレンゲは弱い。
今も、ゼーリエの膨大な魔力にあてられて、まばたきひとつすらできていない。
「小娘。おまえのような戦闘能力皆無の者が、なぜ三次試験に残って……」
「先生、ウンコ」
レンゲは、ゼーリエの言葉を遮り、開口一番、あまりにも率直で魂を賭けた言葉を放った。
庭園の空気が、完全に凍りつく。
ゼーリエは、一瞬、何を言われたのか理解できず、その金色の瞳をぱちくりと瞬かせた。
「……先生はウンコではない」
やがて、我に返ったゼーリエは、こめかみを押さえ、心の底から疲れたように呟いた。
「今年の受験者に、まともなやつは一人もいないのか……」
「先生トイレいっていい? 漏れちゃう」
レンゲは、もはや一刻の猶予もないといった様子で、その場で小刻みに足踏みをしている。その必死の形相は、びーえるのネタを前にした時のそれとはまた違う、生命の根源的な輝きに満ちていた。
そうなのである。レンゲは、他の受験者たちが面接を受けている間、ずっとネタの書き出しに集中していたのだ。また、メトーデというロリコンに捕獲されていた。だから、トイレに行く機会がなかったのである。
「ありえん。この私の面接でトイレ休憩を要求するなど、前代未聞だ。……三分間だけ待ってやる。さっさと済ませてこい」
ゼーリエは、深いため息とともに許可を出した。レンゲは「ありがとうんこ!」感謝とも安堵ともつかない声を上げると、驚異的なスピードで乙女の花園へと消えていった。
一応言っておくが、ちゃんとトイレである。
三分後。
全てを出し切り、どこか晴れやかな、悟りの境地に至ったかのような表情で戻ってきたレンゲを前に、ゼーリエは改めて口を開いた。
「思った以上に早かったな。さて、仕切り直しだ――」
「先生」
「なんだ。まだ出し切ってなかったのか。私が三分間といったからか!」
ゼーリエはお怒りである。
「違う……。全部出し切った。そうじゃなくて……、先生」
レンゲは、ずっと不思議だったのだ。
ゼーリエのたちのぼる魔力。その情念のようなもの。それは――。
似ている。何とは言わないが、ナニに。
「先生って、おちんちんついてる?」
ゼーリエは口をぽかんと開けた。
庭園の空気が、凍りついたとか、そういう次元ではない。完全に、絶対零度に達した。
神話の時代から生き続け、万物の理を識る大魔法使いの思考回路が、完全に停止した。
ゼーリエの膨大な知識データベースの中に、その問いに対する適切な回答は、一つとして存在しなかった。
「いま、なんと言った?」
ようやく絞り出した声は、混乱の極みだ。
レンゲは、そんなゼーリエの動揺など意にも介さず、純粋な探求者の瞳で、その小さな身体を頭のてっぺんから爪先までじっと観察している。
「だって、魔力が……。男の魔力。すごく強い。興奮する」
レンゲは、自らの芸術的感性の根源を揺るがす、その圧倒的な『雄』の魔力を前に、恍惚とした表情を浮かべていた。
レンゲにとって、ゼーリエはもはや面接官ではない。
観測史上最大級の、至高のびーえる素材そのものだったのだ。
「先生は、ふたなり……? それとも、男の娘……?」
レンゲの口から、ゼーリエにとって未知の、しかし冒涜的であることだけは確かであろう単語が、次々と紡がれる。
ゼーリエは、わなわなと震え始めた。
「ふざけているのか。私にそんなものなどついていない」
「ふざけてなんか、ない!」
レンゲは、初めて声を荒げた。それは、自らの最も神聖な領域――びーえるという概念――を否定されたことに対する、神としての純粋な怒りだった。
神と神の戦いは、危険な領域へと突入する。
「私は物語を紡ぐ者。だから、わかる。先生の魂は誰よりも雄々しく、気高い。まるで野生の美しさを兼ね備えた黄金の獅子のよう」
なんか褒められてる?
だが、レンゲの言葉は魔族よりも難解だ。
アナリザンドより何を言っているのかさっぱり理解できない。
そんな困惑をよそに、レンゲは、ゼーリエの前に一歩踏み出した。
その小さな身体から放たれる気迫は、ゼーリエの魔力とは全く質の異なる、しかし抗いがたい力を持っていた。腐力と魔力がぶつかりあい、空間を揺らす。いや、物理的にはそんな現象はなかったが、あくまで魂の目で視ればという話だ。
「あなたは、その身体に『女』という器を選んだだけ。あなたの魂の本質は、全てを支配し、全てを愛でる、絶対的な『男』。つまるところ、それは至高の『攻め』。それを、身体的な性別ごときで否定するなど、自らの魂への冒涜」
「おまえはいったい何を言ってるんだ。私にも理解できるように言ってくれ!」
ついに泣きが入ってしまった。
「先生……、あなたは美しい」レンゲは切々と謳う。「最初、私は面接とかどうでもいいと思ってた。合格とか不合格とかどうでもよかったから。素材の蒐集は完了している」
わずかに現実的な話になり、ゼーリエがレンゲを見た。
「どうでもいいのに、なぜ受けた?」
「あなたに敬意を払うため」
「敬意だと?」
「そう。私は、この試験の本質を理解した。これは、あなたが、あなたという絶対的な男に仕えるにふさわしい、才能と野心に満ちた男たちを選抜するための儀式。あなたは、あなただけのハーレムを創ろうとしている」
「いや、普通に女も合格させているが……」
「魂の性別のことを言っている!」
「そうか……」ゼーリエは理解を放棄した。「続けろ」
「そう。だから、私はこの神聖な儀式を途中で投げ出すわけにはいかなかった。あなたの壮大な夢物語を、特等席で最後まで見届けること。それこそが、同じ
――それが理由。
それが動機だった。
なにはともあれ、レンゲはゼーリエに敬意を払ったのだ。
そのことを理解し――、いや、理解という言葉では捉えきれないのだが、ともかく。
ゼーリエはかすかに哂った。
「正直なところ……、おまえは私の理解を超えている。私には一生かかっても理解しきれる気がしない。する気もない。だが――」
ゼーリエはわずかに口調を緩めた。
「おまえが私の魂の在り方に敬意を払うというのなら、私もおまえの魂に敬意を払おう」
「びーえるを理解できないなんて、人生の十割を損してる。先生、不合格!」
レンゲは不遜にも不合格を宣言した。
「……はぁ」クソデカ溜息。「不合格だ。おまえを魔法使いとして評価することはできない。だが、レンゲ。おまえを、物語を紡ぐ者として認める。大陸魔法協会の全ての情報へのアクセスを許可しよう。おまえが言うところのハーレム計画とやらを、正しく後世に伝える語り部としてな。存分に、おまえのくだらない物語の糧にするがいい」
ゼーリエは、半ばヤケクソで、レンゲの妄想に乗っかることにした。
この神を御するには、それしか道はないと悟ったのだ。
「好きにしてもおーけー?」
「おーけー!」ズドン。
そんなわけで、ゼーリエのお墨つきをいただき、レンゲはナマモノに手を出す権利を手に入れたのだ。ゼーリエの弟子である一級魔法使いたちも、ゼーリエが許可をだしたといわれれば断れない。肖像権やプライバシーなど、神たちにとっては紙屑に等しいのである。
もしかすると、一番の被害者は一級魔法使いたちなのかもしれない。
【レンゲ:不合格(ただし、ゼーリエの公式伝記作家(?)として、特権を授与される)】
レンゲという嵐が過ぎ去った後。
ゼーリエは座りこんで、アナリザンドが咲かせた彼岸花を眺めていた。
ちょっと、お疲れモードなのは、しかたがないところだ。
先ほどの精神的ダメージは、万の年月を生きたゼーリエにとっても相当なものだったらしい。
次に呼ばれたのは、リーニエだった。
彼女は、主であるレンゲから預かった穢腐ノートを大事そうに胸に抱き、静かに庭園へと足を踏みいれた。足並みは静かで、その場にいるのかわからないほど夜の気配をまとっている。
――魔族。
アナリザンドと同じ種族であるが、人類やオレオールと接続しているアナリザンドと違い、リーニエはスタンドアロンなシステムである。
ゆえに、魔族らしい思考。言葉を有している。
かぼそい蜘蛛の糸であるびーえるという概念が無ければ、リーニエは今も言葉という鳴き声を発するだけの人喰いの獣に過ぎない。
ゆえに、庭園に一歩足を踏み入れた瞬間、リーニエの動きが止まった。
肌を焼くような、圧倒的な魔力の奔流。
疲弊しているはずのゼーリエから放たれるそれは、力の序列を絶対とする魔族の本能を直接揺さぶり、叩き伏せる。格が違う。逆らえない。喰われる――。
本能的な恐怖が、リーニエの思考を支配しかけた、その刹那。
彼女の脳裏に、神の言葉が稲妻のように閃いた。
――ゼーリエ先生は、素材として優秀な、男の人だった。
そうだ。この圧倒的な魔力は、恐怖ではない。
これは、絶対的な王が放つ、抗いがたいほどのフェロモン。
全てを支配し、跪かせ、愛でるための、至高のオーラなのだ。
瞬間、リーニエの中で恐怖は興奮へと昇華された。
リーニエは、もはやゼーリエを恐怖の対象として見ていなかった。
ただ、崇拝すべき至高の素材として、その一挙手一投足を見つめていた。
リーニエ。神の敬虔なる信徒。
その使命は、神の素材集めに寄与すること。
つまり、ゼーリエは素材の宝庫である。神のエサだ。
「また、あのわけのわからん小娘の仲間か」
ゼーリエは、心底うんざりしたように、最高レベルの警戒心を持ってリーニエを見据えた。
「おまえも、あの小娘のように、私に男性器の有無でも問うつもりか?」
その声には、明らかな苛立ちが滲んでいる。
だが、リーニエは静かに首を横に振った。
「問う必要はない。ゼーリエ……先生? が、男であることは神の前で確定している。神の言葉を疑うことは不敬にあたる」
「そうか……」
もはや掘り返したくない話題だ。
であれば、普段通りのシーケンスに立ち返れる。
ゼーリエは幾分いつもの調子を取り戻し、問答を続けることにした。
「魔族が、人間の試験を受けるなど前代未聞のことだ。おまえは――、この試験に受かりたいのか。仮に一級魔法使いになったとして、どうするつもりだ?」
「……別に。どうもしない」
魔族の言葉は闇。
魔族の思考はタンジェントカーブ。
「どうもしない? ではなぜ受けた。アナリザンドに言われたからか? あいつは――人間になりたがっていた。おまえもそうなのか?」
「アナリザンドは関係ない。私はべつに人間になりたいわけじゃないからね」
「では、なぜだ。言ってみろ」
「レンゲが望んでいたから」リーニエは呟くように言った。「神が、この試験には素材があると言った。私は神の観測を手伝うだけ」
「くだらんな。おまえ自身の意志はないのか。おまえは、神とやらの操り人形か?」
ゼーリエの言葉は、リーニエの存在の根幹を突いていた。
リーニエは、答えなかった。いや、答えられなかったと言うべきか。
リーニエには、まだ自分自身の意志というものが、よく分からなかったからだ。彼女の行動原理は、神の言葉を模倣し、神が喜ぶであろう行動を予測し、実行すること。それだけだった。
魔族はたったひとつの魔法を生涯をかけて探求する生き物である。
リーニエも、その範疇から逸脱しているわけではない。
――模倣。
神を模倣しているに過ぎないから。
人の紡ぐ物語を模倣しているに過ぎないから。
沈黙するリーニエに、ゼーリエは深いため息をついた。
「やはり、魔族は魔族か。空っぽの器だな。おまえには渇望がない。生きることへの執着も、死への恐怖も、何もかもが希薄だ。ただ、プログラムされた通りに動く人形に、一級の資格を与える意味はない。たとえ、おまえに一級相当の力があろうと無意味だ」
ゼーリエが望むのは、魔法という深淵を覗きこまんとする者。
魔族は、深淵そのものである。
まなざしが前方に固定されている以上、魔族は一級魔法使いにはなれない。
子どもでもわかる論理だ。
ゼーリエは、冷徹に不合格を宣告しようとした。
その時、リーニエが、ぽつりと呟いた。
「……怖い」黒いノートを抱きしめる。
「何?」
「死ぬのは……少しだけ、怖い、と思う」
「魔族も命乞いくらいはする」
ゼーリエはつまらなさそうに回答した。いや、独り言に近い。
その意味は、何度もアナリザンドによって説明されているが、今一度だけおさらいしよう。
魔族には、人間のような快/不快をよりわける機構というものが存在しない。
欲動を欲望に置換するノズルが存在しないからだ。
彼らを動かすのは、もっと生の、剥き出しの欲動そのものである。彼らは、快/不快という二元論で世界を判断するのではなく、ただひたすらに刺激――享楽を求めている。
人間の絶望、怒り、復讐心などはその最たるものだろう。
魔族にとっての死とは、これらの刺激が完全に停止し、絶対的な無に至ることを指す。
要するに、多くの人間が勘違いしているのだが、魔族が命乞いをするのは、快楽を得る機会が失われるからではないのである。もう殺せなくなるから、人間を食べられなくなるから、命を失うからではないのだ。
彼らの命乞いは『生きたい』という積極的な願いではなく、刺激が停止すること、すなわち無になることを回避したいという、欲動に基づいた反射的な行動にあたる。
その言葉に、未来への希望や生への執着といった人間的な感情は一切含まれていない。
極論、死んじゃってもいいのだ。
べつにそれはそれで、タナトスの申し子としては本望なのだから。
だから形ばかりの模倣。
難しい話かもしれないが、簡単に言えば、ゼーリエは勘違いしたのである。
リーニエの言葉の意味を、ただのそこらの魔族の反射行動だ、と。
結論を先急いだ。
――だが、違った。
「たぶん、ゼーリエ……先生? は勘違いしている」
どこかもどかしい響き。
いつものとおり無機質で、感情を感じさせない声色だったが、わずかだが伝えたいという意志のようなものを感じる。アナリザンドに言わせれば、それも受け取る側の勘違いかもしれないが。
「魔族の言葉は伝わりにくい。もっと文脈を重視しろ」
アナリザンドとの長年にわたる成果か、ゼーリエは根気強く聞いた。
「一般的な魔族は、確かに命乞いをする。その意味は、無になることを恐れるから。機械的なプログラムに過ぎない。私が怖いと言ったのはそういう意味じゃない」
「だったら、どういう意味だ?」
「一次試験で、レンゲと離れ離れになった時。もしかしたら、レンゲが死ぬかもしれないと思った。人間は弱くて、すぐに死ぬから」
リーニエは、淡々と語り始める。
「もしレンゲが死んだら? 私は、もう二度と、新しい物語を観測できなくなる。神のいない世界は、私にとって意味がない。それは、無になることよりも、ずっと……」
リーニエは、適切な言葉を探すように、一度口をつぐんだ。
チョムスキー臨界点を、未成の命が突破しようとしている。
そして、絞り出すように、その感情をカタチにした。
「……寒い、んだと思う。死は――寒い」
寒い。
痛いではなく。怖いでもなく。
あまたのびーえる作品から学んだ、リーニエなりの言葉。
模倣ではなく、本物の言葉。
客観的に言えば、それでもリーニエの言葉は魔族の模倣に過ぎないと断じる者もいるだろう。人間の物語から抽出した、幾千、幾万の言葉から、適切な言葉を抽出しただけの戯言だと断じる人もいるだろう。
それでも、魂は震える。
たとえ、大魔法使いであってもその事実は変わらない。
なぜなら、ゼーリエもまた、人類のひとりだからだ。
ゼーリエは、その一言に、目の前の魔族が、もはや自分が知る魔族というカテゴリーには収まらない、全く新しい存在へと変貌しつつあることを悟った。
刺激ではなく、意味を。
自己ではなく、他者を。
この魔族は、他者の喪失を恐れることで、初めて個としての輪郭を得ようとしている。
「あらためて問おう」
ゼーリエは立ち上がり、リーニエに近づく。
「おまえの魔法は――模倣だったな。貴様が目指す先はなんだ。人間の模倣か?」
「違う。私が目指すのは人間じゃないよ。面倒くさい」
「なら、模倣であることを選び続けるということか? そうである限り、おまえはずっと偽物のまま。魔族が少しうまく人間を真似るようになっただけだ」
リーニエは視線を落とす。
奈落に落ちこむ魔族の思考は、答えに辿りつくことはない。
でも、ふと握り締めたノートに視線が向いた。
黒いノートには、白い文字で、レンゲの名前が書かれてある。
その下に、執筆協力者として、リーニエの名前が小さくあった。
いままで気づけなかったことに気づけた。
その名前をそっとなぞる。昏い瞳に光が宿る。
「よくわからないけど……私は
断言はできない。
それほどに強固な意志は、まだ『ある』とは言えない。
それでも、リーニエは人間の言葉で伝えた。
彼女の魂が、初めて自ら発した、か細い産声を。
ゼーリエは、その言葉を聞いて、しばし黙りこんだ。
「それが、おまえがまだ死ねない――いや、生きたい理由か」
「そうだと思う。たぶん」
ゼーリエは歩きながら、おもしろそうに、彼岸花に触れる。
――毒があろうがなかろうが関係ない。
そのスペースには、まだ何も植えられていない余剰がほんの少しだけあった。
ゼーリエの笑みが深くなる。
彼岸から、遠くから、口を開く。
「では、私はどうするべきだと思う?」
「どうするって?」と、リーニエは小首をかしげた。
「私はおまえに一級魔法使いの資格を与えるべきか?」
「それを受験者に聞いてなんの意味があるの?」
「あるかもしれない」ないかもしれない。
「……さっさと失格にするならすればいいのに」小声。
それも聞こえている。
「おまえの実力は、一級魔法使いに比肩する。いや、特定の状況下では凌駕すらするだろう。単なる力だけで言えば、合格を与えても何ら問題はない」
「だったら、合格にすればいいんじゃない?」
「だが、おまえは魔法の深淵を求めてはいない。おまえが求めているのは、おまえ自身の本物の魂なのだろう。それは、魔法使いの道とは似て非なるものだ。正直なところ、私は迷っているんだ」
「面倒くさいなぁ、もう」また小声。「好きにすれば?」
「おまえの言う通り、私の好きにさせてもらおう」
「……そう」
「リーニエ。おまえは不合格だ」
「そう。じゃあ、それで」
リーニエは踵を返し、庭園を去ろうとする。
「待て」
「まだなんかあんの。このエルフ暇人か」小声。
「おまえ、どんどん不敬になっているな。貴様には零級資格を与える。その意味するところはアナリザンドと同じではない。――経過観察だ。貴様はどこにいようと何をしていようと、合格するまで、必ず試験を受けに来い」
――おまえが『本物』になるのか、それともただの『模倣品』のまま朽ちるのか。
「その結末を、この私が飽きるまで、じっくりと観察してやる」
事実上の、無限の束縛だ。
そして、歪んだ期待であるともいえる。
「こいつ、うざい」小声。
「それと……、言葉遣いがなっていないな。次に来るときまでに直せ。殺すぞ」
ものすごい魔力の圧力で、リーニエを威嚇する。
とっさに命乞いの言葉がでそうになったが、リーニエはここにきてさらに進化を見せた。
「せんせぇ。そうするね。ありがとう。大好き♡」
「虫唾が走るな……」
零級資格を与えられたリーニエ。
そのことに一番喜んだのがアナリザンドだったことは言うまでもない。
【リーニエ:特例合格(零級魔法使いの資格を授与される)】
本日二度目の投稿ザンド!
久しぶりに、うんこ! と叫べて楽しかった!