魔族少女のエロタナティブ   作:アナリザンド

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それぞれの顛末『フェルン』編

 

 

 

「ねえ。フリーレン。ドーナツの穴ってなんで空いてるか知ってる?」

 

「知るか」言葉のゾルトラーク。

 

「ヒント、アナちゃんが持ってるからってわけじゃないよ。千年生きたエルフならわかるよね?」

 

「興味ないと言っている」

 

「みんなドーナツ受け取ってくれたのに、フリーレンだけ受け取らないとかどんだけ社会不適合者なの? ほら、ここに禁断のハチミツ二度漬けしたドーナツがあるんだよ。フリーレンのためにとっておいたの」

 

「魔族との会話は時間の無駄だけど、おまえとの会話は時間の負債だな」

 

「いいじゃん。減るもんじゃなし」

 

「減る」

 

「そんなこと言わずに、どうか。どうか、ドーナツをお受け取りください。これはわたしの魂なのです。もしよろしければ、フリーレン好みの魔導書もおつけいたしますが、いかがでしょうか」

 

「死ね。とりあえず黙れ。気が散る」

 

「お口わるわる! ねえ、フェルンちゃんもそう思うよね」

 

 告げ口する子どもみたいな所作に、フェルンは苦笑を浮かべるしかない。

 それでも、まるで手品師のように、次々とドーナツを取り出しては分け与えてくれる。

 

「あ、そうだ。フェルンちゃんも、もう一個ドーナツいる? もちろん。ただのドーナツじゃないよ。見てて!」

 

 アナリザンドはそう言うと、ストレージから球形のドーナツを取り出した。

 揚げボールみたいな見た目。

 

「見ててね。このふたつをこうして……合体!」

 

 ハチミツを潤滑油がわりにぐにぐにと入れこんでいく。球形ドーナツがリングドーナツの中心に収まり、まるで土星のような奇妙な菓子が生まれた。

 

「名付けてサタニックドーナツ! メルクーアプリンに対抗するために生まれた至高の一品だよ。面接には頭を使うからね。カロリーと甘さが暴力的かもしれないけど、わたしの野望はフェルンちゃんを横軸に育てることにあるんだから!」

 

 ドヤァ!!!!

 

 そのお菓子、悪魔的につき――。

 

「馬鹿みたいなことはやめろ!」

 

 フリーレンがドーナツをひったくる。

 

「見ろ。手が汚れてしまったじゃないか! フェルンをハチミツまみれで向かわせるつもりか?」

 

 普段冷静なフリーレンが、マジ切れしている。

 

「フリーレンが無理やり奪うからじゃん。わたし、ちゃんと紙で包んで渡そうとしてた!」

 

 やいのやいの。

 

 フェルンは――、静かに向こう側の席から、手を振った。

 

 たった三人になってしまった待合室は、どこか無窮の宇宙のようにむなしく広がってる。

 

 でも、寂しくはない。

 

 アナリザンドはあいもかわらず、あの手この手でフリーレンを懐柔しようとし、フリーレンはあいもかわらず塩対応だ。けれど、アナリザンドにはきちんと答えを返している。

 

 フェルンは、ただ視ていた。

 

――くだらない日常。

 

 これからゼーリエ様との面接が控えているというのに。

 このふたりは、いつも通りだ。

 

 知らず、フェルンは笑んだ。

 

 人間にとってくだらない日常は、幸福そのものなのだ。

 フリーレン様との旅は、相も変わらず道草と他愛のない笑い話に満ちている。

 けれど、そのくだらなさが、今は少しだけ愛おしい。

 

 かつて、ハイター様が倒れたあの日。

 私は幸福の中にいながら、その終わりを前にただ怯えていた。

 

――人は死ぬ。

 

 時間という、誰にも止められない流れの中で。

 あの日の私には、覚悟が足りていなかった。

 独りになる覚悟が。大人になるという覚悟が。

 だから、子どもである自分を殺して、無理やり大人になろうとした。

 

『いずれでは駄目なのです』

 

 そう叫んだ声は、今も耳に残っている。

 あの必死さがなければ、今の私はどこにもいない。

 

 けれど、フリーレン様やアナリザンド様の前では、私は永遠に子どもなのだろうと思う。

 それでいい。子どものままでよいのだ。

 少しだけ大人になった今ならわかる。

 

 あの日の覚悟は、独りになるためのものだった。

 誰かを失う悲しみから、心を閉ざすために、自分を殺したのだ。

 

 でも、今は違う。

 私には、このくだらない日常を守る覚悟がある。

 子どもである自分を殺すのではなく、このままの私で強くなる覚悟が。

 

 だから、

 

――人は生きる。

 

 この愛おしい時間の(そば)で、私は生きている。

 

 

 

 

 

『フェルン』

 

 短くも長いインターバルの後、ついにフェルンはゼーリエに呼ばれた。

 庭園の中は時間の流れが緩やかのようで、まるで楽園のように花々が咲き誇っている。

 

 フリーレンと同じ趣味。

 ゼーリエは、花を愛でている。

 まるで、乙女のような――。

 

 実際にそうなのだろう。フリーレンを見ていればわかる。

 老成された思考と切り離されたところに、エルフの少女の魂はある。

 フェルンは、ゼーリエを視た。

 

 彼女は、漫然と立っていた。そして、静かに口を開く。

 

「合格だ」

 

 予想外の短さに、フェルンは一瞬だけ目を見開いた。

 面接時間わずか五秒。

 わずかに混乱。しかし、すぐに感情を殺した。フェルンにはそれだけの速さがある。

 

「どうしてでしょうか?」

 

「合格を言い渡しはしたが、まだ未熟だな。一級としての総合的能力は、下から数えたほうが早い。まったく、フリーレンは何をやっている。魔法の体系(ビルド)が偏りすぎだ。こんな歪な魔法使いは見たことがない」

 

――殺すための魔法。

 

 フリーレンにとっては復讐の魔法。

 それしか教わってこなかったのか。

 

 ゼーリエはそのように問いかけている。

 

「私は、フリーレン様に魔法を教わって、よかったと思っております」

 

「弟子の意志など関係あるものか。おまえたちは、ただ知識というエサを待つ雛鳥に過ぎない」

 

「それはお互い様です。雛鳥が親鳥を選べないように、親鳥も雛鳥を選べないのでしょうから」

 

「少なくとも、親には覚悟と選択権がある」

 

「だから、私はそれでよかったと申しあげているのです」

 

「口だけは達者だな。フリーレンよりは舌がまわるらしい」

 

 ゼーリエはフェルンを見ずに、視線を落とし、その場にかがみこんだ。

 紫色をしたラベンダーのひとつに目をつける。

 触ろうとして手をひっこめた。

 

――この方は、フリーレン様に遠慮をしている。

 

 フェルンはすぐに察した。

 ゼーリエにとって、花は弟子を仮象するもの。

 おそらく、ラベンダーのことをフェルンだとみなしたのだろう。

 けれど、フリーレンの弟子であるフェルンに手を伸ばそうとしてやめたのだ。

 

 つまるところ、ゼーリエの一連の行動は、完成されたツンデレ所作なのである。

 

「私の決定が不満か?」ゼーリエは不機嫌そうだ。

 

「いえ、そうではありません」

 

 まるで不器用なところが、そっくりで――。

 少しだけ、話を続けたかったから。

 

 ゼーリエは視線を逸らす。

 

「知りたいのは合格理由か?」

 

 まるで講義をする師匠のような口調。フェルンは小さく頷いた。

 ゼーリエは不機嫌なまま。

 

「魔法の練度は研ぎ澄まされている。フリーレン以上に正確で速い。何よりもその目だ。おまえは私を前に恐れていない。魔力の流れに淀みはなく、その瞳の奥には揺るぎない意志が見える。……これ以上、何を試す必要がある? 私の時間を無駄にするつもりか」

 

「ありがとうございました」小さく一礼。「それでは、失礼いたします」

 

「まあ待て」

 

 何をだろう。試験は終わったのでは?

 フェルンは振り返って、ゼーリエを見た。

 

「せっかくだ。世間話でもしていかないか」

 

 時間の無駄とまで言ったのに――。

 

「アナリザンドから聞いていないのか。この面接は、アナリザンドがフリーレンを降す最後の機会だ。すぐに終わらせてしまっては、あいつにとって都合が悪い」

 

「わかりました」

 

 フェルンはそう答えると、庭園の小径に沿ってゼーリエの隣を歩いた。

 花の香りが鼻をくすぐる。

 

「花がお好きなのですね」フェルンは聞いた。

 

「当然だろう。嫌いならば、このような庭園は創っていない」

 

 言葉は短いが、目は優しい。

 フェルンはその光景を静かに観察した。

 庭園の隅っこには、異質な花――彼岸花が咲き誇っている。

 フェルンはその由来を直接聞いたことはないが、なんとなく意味を了解した。

 閃光のように。

 口を開く速さも同等に。

 

「ゼーリエ様は、アナリザンド様のことも気に入ってらっしゃるんですね」

 

 わずかに、ピクリと反応する。

 

「思考が跳躍しすぎているな。魔族的な言葉だ。文脈というものがない。理解しているか?」

 

「そうでしょうか。先ほど、アナリザンド様のために時間を創るとおっしゃっていましたが」

 

 ゼーリエは、フェルンの指摘に答えることなく、ただ静かに花々が並ぶ小径を歩き始めた。

 まるで、フェルンがついてくるのが当然であるかのように。

 フェルンもまた、何も言わずにその半歩後ろを歩く。

 

 師であるフリーレンと歩く時とは違う。

 姉であるアナリザンドとのデートとも異なる。

 静かで、どこか張り詰めた距離感だった。

 

「おまえは、あの魔族をどう見ている?」

 

 不意に、ゼーリエが問いかけた。

 

「アナリザンド様のことでしょうか?」

 

「他に誰がいる」

 

「お節介で、時々、何を考えているのかわからない方です」

 

 フェルンは正直に答えた。

 想起されるのは、いくつもの風景。

 人間にとっては、人生の大半の時間。

 フェルンにとっては、九歳の頃から、ずっと――。

 

「いつも突拍子もないことをして、フリーレン様と喧嘩したり、わたしを太らせようとしたり……。ですが、私たちのことを、いつも一番に考えてくださっています。姉、というのは、そうなのかもしれません。私には、本当の姉はいなかったので」

 

「騙されているとは思わないのか?」

 

「思いません」

 

「根拠はなんだ?」

 

 ゼーリエはわずかに目を細め、フェルンの視線を試すように見つめた。

 

 主観を問われれば、信じているから。

 客観を問われれば、時間を積み重ねているから。

 

 だが、いずれもフェルンは選択しない。

 

「理由が必要ですか?」

 

 他者のこころを知るなんてことはできない以上、信じるという言葉は妄想にすぎない。

 

 時間を積み重ねても、それは単なる観察記録に過ぎず、これから先の信頼を証明するものではない。裏切られる可能性は、常に既に存在する。

 

 それでも、胸の奥にある感覚は否定できない。

 誰も害していない誠実な行動が積み重なっている。

 女神様の良い子であろうとしているのだ。

 そんな不確かな感覚が、フェルンの中で微かに光っている。

 

 だから、フェルンは問いの答えをゼーリエに委ねた。

 

「おまえ自身の言葉はないのか?」

 

「そのとおりです。それは、他者には伝達不可能な、私だけの感覚でしょうから」

 

「フリーレンに似て、頑固なやつだな」

 

 ゼーリエは、どこか懐かしむような目でフェルンを見つめていた。

 フリーレンはネットを使わない。だから、おそらく千年以上の間、直接的には逢っていない。アナリザンドやフェルンが橋渡しになって、伝え聞いてはいるだろうが――。

 

 このエルフは寂しかったのだろうか。

 孫弟子が一度も逢いに来ず。

 

 そして、話題は移る。

 

「ついでに、フリーレンについても聞いておこうか。あいつは最近どうだ。おまえを見ていればだいたいわかるが、魔法の腕は少しはあがったのか?」

 

「私には測りかねます」

 

「では、フリーレンの人物評といこう。おまえはあいつのことを師として尊敬しているか」

 

「はい」

 

 フェルンは淀みなく答えた。それは揺るぎない事実だった。

 

「フリーレン様は、私に想像することすらできない高みにいらっしゃる偉大な魔法使いですから。その魔法も、知識も、私などでは到底及びもつきません」

 

「弟子としては、これ以上ない答えだな」

 

 ゼーリエは、まるで教科書の正誤を確かめるように頷く。

 

「だが、おまえの目はそう言っていない。もっと別の何かを語っているように思える。言え」

 

 フェルンの紫の瞳が、わずかに揺らぐ。

 尊敬。それは本心だ。

 しかし、フリーレン様に対して抱く感情は、それだけではなかった。

 

「フリーレン様は、お強い方です」

 

 フェルンは、言葉を選ぶように、ゆっくりと話し始めた。

 

「ですが、それと同じくらい、脆い方でもあります。千年という永い時を生きる中で、幾重にも人との別れを繰り返してきたのでしょう。だから、裂傷を抱えないように、人と過度な関わりを持つことを避けてきたのだと思います。ヒンメル様たちと出逢う前までは――」

 

 ヒンメル様の像の前で、蒼い花の冠を捧げて静かに微笑む姿。

 自分の誕生日に、髪飾りを贈ってくれた時の、少しだけ不安そうな顔。

 アウラを討伐した時に見せた赤ん坊のように泣きわめく姿。

 

「もしかすると、エルフという種族はそういうものなのですか?」

 

 どこまでも不器用で、人の気持ちに疎い。

 

 ゼーリエは遠くを見ている。

 過去――千年前。彼女にとっては、瞬きにも満たない出来事。

 

「おまえは、三秒間だけすれちがった人間のことを覚えているか?」

 

「いえ……」

 

「そういうことだ。エルフにとっては、人間も、その他の存在も過ぎゆく風景に過ぎない」

 

 理屈としては、理解できる。

 時間の密度が違いすぎるのだ。

 一瞬で流れ去るものを、いちいち心に留めていては、永い時を生きることなどできない。

 

――だとしたら。

 

 だったら何故、フリーレン様はヒンメル様との記憶を探そうとしているのだろうか。

 思いあがりかもしれないが、自分のことも大事にしてくださっている。

 人間に、これほどまで心を揺さぶられ続けている。

 

 フェルンの内心に芽生えた疑問を、言葉にするまでもなく察したのだろう。

 ゼーリエは、どこか気だるそうに続けた。

 

「何事にも例外というものは存在する。おまえも、一瞥しただけの道端に咲く花に、ふと興味を惹かれることくらいはあるだろう」

 

 花――またその比喩だ。

 

「それと同じだ。言っておくが、切実さや努力といった言葉とは違う。歩み寄りですらない。ただ、そうしたいから、そうする。それだけのことだ」

 

 花に惹かれる虫のようなものだと、言っているのだろうか。

 本能か、それとも――ただ、そう在りたいだけか。

 

「フリーレン様も、同じなのでしょうか」

 

「さあな。同じかもしれない」違うかもしれない。

 

 ゼーリエは、肩をすくめるでもなく、淡々と歩みを進める。

 その背中は、何かを断定することを拒んでいるようにも見えた。

 だから、フェルンは日常という輪郭で、フリーレンを捉えようとする。

 

「ゼーリエ様は炊事や洗濯はなされるのですか?」

 

 という不敬極まる質問によって。

 

「私を誰だと思っている。あの生活破綻者といっしょにするな! あいつは千年前、ほんの数年の間だけだったが、フランメから預けられたこともある。おまえなら想像できるだろう。どれだけあいつが自活する能力がないか!」

 

 お婆ちゃん家に預けられた孫――みたいなエピソードもあったらしい。

 フェルンは小さく笑った。

 

「私がいなければ、きっと三日ももたずに、どこかで行き倒れているでしょうね」

 

 それは溜めこまれた愚痴に等しい。

 だが、その声には確かな愛情と、自分が支えなければという強い責任感が滲んでいた。

 ハイター様から託された、大切な務め。

 

「おまえにとってのフリーレンは師であり、だらしない姉でもあるのか」

 

 ゼーリエは足を止め、フェルンに向き直る。

 金色の瞳に宿るのは、残酷なまでの好奇。

 

「魔族とエルフ――、大陸中を見回しても、おまえほど苦労している妹はいないだろう」

 

 一拍。

 

「ではそろそろいい時間だ。最後に問おう、フェルン」

 

 その声は、もはや世間話の延長ではなかった。

 魂の芯を、正確に射抜く響き。

 

「おまえは、フリーレンとアナリザンド、どちらに一級魔法使いになってほしいと望む?」

 

「……え?」

 

「師か、姉か。どちらか一方しか合格できないとしたら――おまえは、どちらを選ぶ?」

 

「私の答えが、合否に関係あるんですか?」

 

「あるかもしれない」ないかもしれない。

 

 最後の問いは、究極の選択。

 長年にわたる――フェルンの迷いに対する答えが、ついに暴かれる時がきた。

 

 

 

 

 

 風が止み、庭園の音がひとつ、遠のいた。

 

「いいか、フェルン」ゼーリエの声は低い。「沈黙は許さん。そして、私は、どちらもという答えは好きではない。貴様は敬虔なる女神教の信徒でもあるのだろうが、魔法使いは奇跡にすがったりはしないからな。おまえが自分で決めるんだ」

 

 歩みが止まる。

 今度は、はっきりと。

 ゼーリエを中心に、左に紅い彼岸花。そして右には白百合の花が視えた。

 

「おまえは賢い。だが、この問いで賢さは不要だ。自分の本性に従って選べ」

 

 逃げ場は完全に塞がれた。

 

 フェルンは、すぐに目を伏せた。

 

 脳裏に浮かぶのは、ふたりの姿だ。

 並べて比べようとしたわけではない。

 ただ、同時に思い浮かんだだけだった。

 

――フリーレン様。

 

 何も言わずに隣に立っている背中。

 難解な魔導書を前に、眠そうな顔でページをめくる横顔。

 いつも眠そうで朝も遅いだらしない方。

 けれど、決定的な場面では、必ず自分を庇う人。

 

――アナリザンド様。

 

 いつも騒がしくて、ふわふわの綿菓子みたいな声。

 孤独を感じたとき、いつも側にいてくれる方。

 アンコンディショナルな、愛情を常にめいいっぱい注いでくれる人。

 

「……選びます」

 

 フェルンは顔を上げる。

 その瞳には、もう迷いはない。

 ゼーリエは、ただフェルンの言葉を待つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「フリーレン様です」

 

 即答ではない。

 だが、揺れもなかった。

 

 ゼーリエは、何も言わない。

 ただ、答えの続きを促すように、静かにフェルンを見つめている。

 

「アナリザンド様は、わたしの姉です。聖典には、姉と妹は支え合い、助け合うものだとあります。これから先も、ずっと、その関係は変わりません」

 

「だが、師は違う、と?」

 

「はい。弟子は、いつか師を超えなければなりません。そのためには――」

 

 フェルンは、一瞬だけ、唇を噛みしめる。

 その声が、わずかに震えた。

 迷いがあるわけではない。

 ただ、言葉にすれば形が崩れてしまうものがあると識っているだけだ。

 

「いつか、師の背中から、離れなければならないからです」

 

 それは、決別の言葉だった。

 

 フリーレンに合格してほしいと願うことは、自分がいつか彼女の元を去る覚悟を決めることと同義だった。一級魔法使いとして、ただひとりの魔法使いとして、前へ。

 

 それでも離れるのだ。強くなるために。

 

「フリーレン様が、わたしが超えるべき目標として、そこに在り続けてくださるのなら、私は、独りでも、歩いていけます」

 

 その答えを聞いて、ゼーリエは肯定もせず、否定もせず、ただ、どこか遠い目をした。

 まるで、幾千年も待ち続けた瞬間が、ついに訪れたかのように。

 

「ようやく、この時がきたか」

 

 その呟きは、フェルンに向けられたものではなかった。

 フランメへ、そして、これから始まる新しい時代へと向けられた、静かな独白だった。

 

「もういい。行け」

 

 フェルンは、深く、深く一礼すると、一度も振り返らずに庭園を去っていった。

 独り残された庭園で、ゼーリエは空を仰ぐ。

 

「……人間の時代か」

 

 風が吹き、ラベンダーの花が静かに揺れていた。

 ゼーリエは、今度はもう躊躇わなかった。

 そっとその花弁に触れる。

 フリーレンの弟子ではない。

 ただひとりの、覚悟を決めた魔法使いの魂に触れるように。

 

 

 

 

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