魔族少女のエロタナティブ   作:アナリザンド

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いつか見た風景

 

 

 

 アナリザンドの帰りは遅れていた。

 

 夕暮れ前の空気はやわらかく、家の前の花畑には長い影が伸びている。フェルンは縁側に腰を下ろし、膝の上で指先を組んだまま、じっと森の奥を見ていた。そこには静謐と闇が広がっている。

 

 隣ではシュタルクが所在なさそうに石を蹴り、何度目か分からない溜息をつく。

 

「遅いな。なにやってんだ、姉ちゃんたち」

 

「そうですね」

 

 それだけのやり取りで、また沈黙が戻る。

 

 フリーレン様は、聞いたのだろうか。

 アナリザンド様は、言ったのだろうか。

 ふたりの姉たちは、和睦の道を歩みはじめたのだろうか。

 

 これまでの間柄を見ていると、殺し合うような仲ではないとは思っている。

 それでも一抹の不安を抑えることはできない。

 

――フリーレンの殺意。

 

 その正統な継承者は、フェルンである。

 魔族に族滅させられた最後の生き残り。

 そのエルフが、魔族を殺すための魔法を人間に教えた。

 

 この身にある魔法の大部分は、復讐の魔法だけ。

 それは事実だ。

 実感としてもそう思っている。

 

――ゾルトラーク。別称、一般攻撃魔法。

 

 その魔法はあまりにも単純で、魔法使いであればほとんど誰にでも放つことができた。

 

 対象を殺すために最適化された光。

 闇を切り裂く光の魔法と言えば聞こえはいいが、そこには理解も対話も躊躇も無い。

 魔族を殺すために作られ、人を殺すことにも何の抵抗もない。

 起源がそうであるからというわけではなく――。

 ただの()()()()()。だから誰にでも理解できる。

 年端のいかない童女にすら撃ててしまう。

 

 フリーレンは、それを淡々と教えた。

 怒りも、憎しみも、使命感すら感じさせず、まるで算数を教えるみたいに。

 

――魔族は、話が通じないから。

 

 その一言で、すべてを終わらせるように。

 フリーレンは数理的な真実を、フェルンの中にインストールしたのだ。

 

 私は、それを正しいと思った。

 正しいと、信じたかった。

 少しずつ最適化されていく自分に満足もしていた。

 

 だから、撃てた。一番岩を撃ちぬけた。

 二度目も、十度目も。魔物も魔族も躊躇なく葬ってこれた。

 引き金を引くたび、胸の奥にあった何かが削れていくのを感じながら。

 フリーレン様に褒められて、薄暗い喜びすら感じていたのだ。

 

 本当は――、私は人を撃ちたかったのかもしれない。

 戦争で両親が殺される前に戻ることができるなら、なんて妄想を考えたこともある。

 きっと、私は撃つだろう。そこに誰がいようが関係ない。

 

 つまるところ、私は拡大解釈したのだ。

 

――人を殺す害悪。話の通じない相手は『敵』である、と。

 

 その解釈は、混沌としていたフェルンの世界を安定させる魔法の言葉だった。

 ゼロサムゲーム。殺さなければ殺される。

 整然とした論理的構造が、敵は殺すというシンプルな解答へと導かれる。

 フリーレンのことを疑っているわけではない。

 そのシンプルな論理は、少なくともフェルンの生存にとって正しいことだったのだから。

 フリーレンは殺す魔法でフェルンを生かそうとしたのである。

 

 でも。本当にそうだったのだろうか?

 拡大解釈はどこまでも拡大が許される。

 敵という概念は際限なく肥大化する。

 理論的には、両親ですら、その射程範囲に含まれてしまう。

 両親が殺されたのは、誰かの『敵』だったからではないか。

 つまり、それは両親の死ですら、誰かにとっての正義ではなかったのか。

 

 そんなことを言葉にして思ったわけではないけれど、フェルンには迷いがあったのだ。

 

 だからふと――フェルンは停止した。

 

 呼び止められたといった感覚が近い。事実としては、そんなことはなかったけれど。フェルンが勝手にアナリザンドという存在を見つけ、自分とさほど異ならない背格好をしていて、そして魔族だったから、道端に咲く花のように、無意識に吸い寄せられてしまったのだ。

 

 けれど、それすらも、魔族少女の在り方に起因する。

 アナリザンド自身もそう言っている。自分は、人間の欲望の原因にすりかわる性質を持つと。

 

 だから――、事実として。

 あの九歳だった頃の幼い自分は、確かに魔族の少女に声をかけられたのだ。

 

 そして、フェルンは隠蔽した言葉を、ゴミ捨て場に投げ捨てるように言った。

 

――どうして魔族は人間を殺せるのですか?

 

 いま思えば、我ながらなんて幼い言葉なのだろうと思う。

 そして、なんて拙い嘘なのだろうとも。

 問いそのものが、すでに逃げだったのだから。

 

 私は、立ち止まって――。それから……。

 

「なあ、フェルン――」

 

「はい?」

 

 フェルンは返事をした自分の声が、少しだけ遠く聞こえたことに気づいた。

 いつのまにか、思考の海に沈没していたらしい。

 シュタルクが、少しだけ怪訝そうに顔を近づけてくる。

 

 その接近に、わずかな恐怖を覚える。

 でも、シュタルクの優しさを、フェルンは知っている。

 フェルンは、それ以上考えるのをやめて、シュタルクに向きなおった。

 

「シュタルク様。いかがなされましたか?」

 

「あのさ。さっきフェルンが俺を止めた理由ってなんだ?」

 

 聡いのか鈍いのかよくわからない。

 

「この家は――、アナリザンド様が住んでらっしゃる場所です」

 

 迷ったが、フェルンは素直に言った。

 いまさら、真実を告げたところで、結果は変わらない。

 もう少しで、姉たちの会話は終わるだろう。

 

「そっか……だからか。姉ちゃんは何かフリーレンに伝えたがってたもんな」

 

 時々こんなふうに、シュタルクは真実をピタリと言い当てる。

 迷いなく、突き進む。それが男の人だと、アナリザンドは言っていた。

 

「シュタルク様は、家に押し入ろうとすると思っておりました」

 

「おまえん中の俺ってどんなやつだよ!」

 

「……」

 

「なんだよ。何か言えよ」

 

「べつになんでもないです」

 

 少しだけ羨ましい。そんなふうに思ったなんて言えなくて。

 

 シュタルクは溜息みたいな、少し長い吐息を吐いた。

 

「姉ちゃんは信じて待ってろって言っただろ」

 

 そう。やっぱり彼には迷いがない。

 

「待てができるちょっと賢いお犬様ですね?」

 

 だから、ちょっぴり意地悪を言うのだ。

 

「姉ちゃぁん。フェルンがひどいよー」不在の姉を求めて、メソっとするシュタルク。

 

「待てができないと、アナリザンド様に嫌われますよ。分離不安を抱えてらっしゃるのですか? 私でよろしければ、ヨシヨシくらいはしてあげられますが」

 

「ふぇるんぅ」

 

「お座りですよ。シュタルク様」

 

 クスっと――。

 

 憎まれ口を叩きながらも、フェルンの心は不思議と穏やかだった。シュタルクの持つ、この揺るぎない実直さが、思考の海に沈んでいた自分を、確かな現実へと引き上げてくれた気がしたから。

 

 そのときだった。

 

 風に運ばれて、淡い花びらが一枚、視界を横切った。

 ゆっくりと、ためらうように舞い落ちる薄いピンク色。

 フェルンは一瞬、停止した。

 あのときみたいに何かに呼び止められた気がして。

 

――あ。

 

 言葉になる前に、胸の奥がきゅっと縮む。

 フェルンは思わず立ち上がっていた。

 

「フェルン?」

 

 シュタルク様の声が背後から聞こえる。けれど、振り返ることはできなかった。足が、勝手に前へ進みはじめていたからだ。理由を考えるよりも先に、身体が知っている方向へ。

 

 見たことがある。

 一度だけ。

 

 家から少し離れた森の縁。人の手が入らない静かな場所。

 そこに――立っていた。

 

 一本だけ、はっきりとした色を持つ木。

 とある魔族少女に心なく手折られてしまって、ここにあるはずのない、遠い異国の花。

 淡く可憐なピンク色をした――確か、そう。

 

 桜の木とアナリザンド様は呼んでいた。

 

 風が吹くたび、枝先がかすかに揺れ、花びらが一枚、また一枚と落ちていく。

 

 胸の奥が、ざわめいた。

 忘れていたはずの感触が、輪郭を持って迫ってくる。

 フェルンは無意識に唇を噛んだ。

 

 これは夢ではない。

 懐かしさでもない。

 

 思い出してはいけない、というより――。

 思い出すと決まっていた記憶だった。

 

 九歳の頃。

 まだ、問いの重さを知らなかった頃。

 

 フェルンは、桜の木の前で立ち尽くしながら、ゆっくりと息を吸った。

 その背後から、駆け足の音が近づいてくることを、まだ知らないまま。

 

「フェルンちゃん」

 

 振り返ると、アナリザンドが立っていた。

 

 

 

 

 

 魔族少女が立っている。

 

 いつものように少しだけ困ったような、でも全てを見通しているような、不思議な微笑みを浮かべている。見ようによっては、どのようにも解釈されうる微笑。

 

「どうしてこちらに?」

 

「フェルンちゃんが迷子になってるかなーって、ちょっとだけ心配だったから」

 

「私はもう子どもじゃありませんよ」

 

「そうかもね。人間は勝手に育っちゃう生き物だから。フェルンちゃんもきっとそうなんだと思うよ。ちょっとだけ寂しいけど、エルフよりはマシかな」

 

 アナリザンドが近づいてくる。

 そして、フェルンを追い越し桜の木に触れた。

 

「フェルンちゃん、魔族はね。何も遺せない生き物なの。なにひとつ継承できず、なにひとつ生み出せない。フェルンちゃんがここに立っているのも、きっとフェルンちゃん自身がそうありたいって願ったからだよ」

 

 それらはすべて優しい嘘だ。

 魔族は、嘘をつく生き物だから。

 でも、その嘘こそがフェルンの魂を生かした。

 

――ここに、その証がある。

 

 これ以上ない証が。

 

 アナリザンド様は、桜の木を治してくださったのかもしれない。

 誰のためかは言うまでもない。

 

「桜の木って、こんなにも大きく成長するんですね。生きて、育って、綺麗――」

 

 フェルンはそっと息を吸い、桜の花びらに視線を落とした。

 指先でひらりと落ちる花びらを受け止める。

 

 フェルンは、ただ、事実を。

 なんの思想も、思考も、哲学もなく。

 ただ、事実だけを共有する。

 それだけが本当の意味で魔族と共有できる唯一の言葉だからだ。

 

「覚えててくれたんだね」

 

「忘れるわけがありません」

 

 それは、フェルンにとって基点となった、魂の出発点なのだから。

 アナリザンドがどんな嘘を言おうと、その真実だけは変わらない。

 

――魔族は人を救える。

 

 何も生み出せないわけじゃない。

 アナリザンド様に育てられたのは、私だ。

 

「ねえ。フェルンちゃん。あの時の問いかけをもう一度してみてもいい? 今度はわたしから」

 

 微笑が深まる。

 あのときの残酷な問い。

 それは、フェルンの感情を鏡写しにしたものだ。

 

「はい。アナリザンド様」

 

「どうして人は人に寄り添えるんだろう。どうして人は家族を、仲間を、他人を愛せるんだろう? フェルンちゃんにはわかる?」

 

「……」

 

 裏返しの質問。

 魔族の言葉。

 

 人を殺し、人を害する人類の敵が、

 

――どうして人は人を愛せるか

 

 を聞いている。

 

 驚きはない。でも、目はわずかに見開かれた。驚くべきはアナリザンドという魔族がその言葉を出力したことではない。むしろ、自分だ。過去の自分の在り様に気づいたからだ。

 

 幼い時のアナリザンドに投げ捨てた質問はまぎれもなく魔族のものだった。フェルンの思考は魔族に近しい冷たい合理を備えていた。

 

 それを人間に引き戻してくれたのは、アナリザンド様だ。

 

「なぜ、そのような質問を?」

 

「んー。いつか女神様の御許に行けた時に、質問されたら困るじゃない」

 

「カンニングしようとしちゃダメですよ」

 

「ダメかな」

 

「ダメです。ですが、私なりの答えでよければ参照してください」

 

「うん。聞かせて」

 

「少し考えさせてください」

 

「うん。待つよ」

 

 フェルンはすぐには答えなかった。

 

 手のひらの上に乗せた桜の花びらを、じっと見た。

 

 やがて、フェルンはゆっくりと顔をあげた。

 その菫色の瞳は、もう迷っていなかった。

 

「もし私が女神様の元に辿りつけて、アナリザンド様と同じ質問をされたのなら、私はこう答えます。女神様、わかりませんでしたって。そして赦しを乞うんです」

 

 素直な気持ちで。

 私はこれ以上嘘をつかない。

 

「わたしと同じかな?」

 

「同じなのかはわかりません。アナリザンド様のように、ネゲントロピーがどうとか、難しいことは、私には一生理解できる気がしませんし、言葉にするのはアナリザンド様のほうがずっとお得意でしょうから」

 

 フェルンは、少しだけ困ったように微笑んだ。

 あの日の、問いの重さを知らなかった頃の少女のような、無垢な笑み。

 あるいは、アナリザンドによく似た微笑。

 

「でも」と、フェルンは続ける。「ハイター様が、そうしてくださいました」

 

 フェルンは、遠い過去を見つめるように目を細めた。

 

「独りだった私に、ただ寄り添ってくださいました。理由なんて何もおっしゃらずに」

 

 そして言う。今という時空を見つめるように。愛おしむように。

 

「フリーレン様もシュタルク様もそうです。理由なんてなく、ただ当たり前のように私の隣にいてくださいます。それだけで私はいつでも帰れる場所があるんだと安心できました」

 

 そしてフェルンの視線が、真っ直ぐに魔族のもとへと戻ってきた。

 

「アナリザンド様も……。あの時、理由もわからず問いかけた私に、ただ、側にいて答えてくださいました。だから私もそうしたいのだと思います」

 

 いただいたから、お返ししたかった。

 言葉にしてしまえば、そんな単純な理屈。

 けれど、それすらも本当ではないのだろう。

 

 フェルンは、手のひらの花びらを、そっと空へと吹き返した。

 花びらは、風に乗り、再び桜の木へと還っていく。

 

「たぶん理由なんていらないのかもしれません」

 

 フェルンは、はにかむように、そっと儚げな笑みを浮かべた。

 右腕を下に伸ばす。そこにイメージできる。

 泣きじゃくっていた幼い自分の頭を、そっと撫でてあげた。

 

「誰かを大切に想うというのは、きっとそういうことなのだと私は思います」

 

 フェルンが言い終えると、ふたりの間に静かな時間が流れた。

 

 アナリザンドは、ただ微笑みを返している。

 言葉は――ない。合格も不合格も。価値観も思想も。

 

 だから謳う。

 桜色をした唇が、鳥のようにさえずり、渡る。

 

「大好きだよ。フェルンちゃん」

 

 それは春風の時。

 いつか見た風景。

 

 

 





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