魔族少女のエロタナティブ   作:アナリザンド

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剣の魔族

 

 

 

 この頃、人間たちはすぐに逃げ出すようになった。

 

 見知らぬ者を見る目が、以前よりも乾いている。

 誰何される回数が増えている。名を聞かれることも多い。

 

 前は違った。

 人間の鳴き声を真似れば立ち止まり、疑いながらも耳を傾けた。

 祈りという行動様式が繰り返される。

 疑念が解消される。

 

 だから、その群れで最初に殺したのは神父だった。

 

 神父は逃げなかった。

 

 女神教の印を見せた。

 形を真似ただけの、意味のわからない記号。

 人間たちがそれを見て態度を変えることは知っている。

 

「旅をしながら僧侶をやっている者です。一晩、泊めていただけませんでしょうか」

 

 声の調子は、計算通りだった。

 かぼそい声。女。僧侶という同一軸にある役割。

 助けを求めるには十分で、疑われるには足りない。

 

 神父は、すぐに頷いた。

 

「遠いところまで、よくぞお越しくださいました。同じ信仰を持つ者同士です。どうぞ中へ」

 

 その言葉を聞いたとき、理解した。

 この個体は逃げない。

 餓えが満たされる見込み。

 

 祈りという奇妙な行為を司る人間。

 祈りでは腹は満たされない。だが、人間にとっては違うらしい。

 手を組み、目を閉じる。すると、他の人間も同じ所作を真似る。

 理由はわからずとも、行動は観測可能だ。

 

 神父は疑わなかった。

 武器も持たず、距離を詰めた。

 神父が微笑という、警戒を解いた信号を送っている。

 信仰が警戒に優先されている。

 

「出逢いに感謝を。女神様に祈りを捧げます」

 

 言って、祈る。目をつむる。

 すぐに目を開けた。それは目をつむっている。

 

 致命的な隙。

 

 だから殺した。

 特別な理由はない。

 そこに食べられる人間がいたからだ。

 

 神父の死体は、教会の裏に残した。

 人間は死体を隠したがる。

 

 翌日、教会に来た人間にこう言った。

 

「神父様は、魔族に襲われて亡くなりました」

 

 怯える声。震える肩。顔を手で覆う。

 泣くという行為を知らないわけではなかったが、その行為を真似るのは難しい。

 だが、成功した。

 

 その人間も、逃げなかった。

 同じように、祈った。

 同じように、殺した。

 

 何度か繰り返して、ようやく理解した。

 この村の人間は、異変に気づいている。

 

 逃げる者は逃げた。

 またか、と思った。

 どこかに連絡を取ったのだろう。

 最近の人間は、そういうことができる。

 

 だが残る者は残った。

 

 残った者たちは祈った。数は明らかに減った。

 

 だから神父の作った墓を真似た。

 形だけをなぞった。

 中身は空だ。

 

 墓は人間の死体を隠す装置だ。

 死を恐れて、死を隠す。

 死が隠れている姿を見て、人間は表情を緩める。

 だから人間は引き寄せられる。

 

 ほどなくして村に人間がいなくなった。

 祈る者は食べた。食料がなくなった。

 

 餓えを感じる。

 

 だから墓は村の中ほどの目につきやすい場所に作った。

 数はあっているはずだ。

 

 だが足りない。

 そのあいだ、次の人間を待つ。

 

 空腹だ。餓えている。

 食べられる人間の数は減っている。

 逃げ足は、確実に速くなっている。

 

 それでも、いずれ次の獲物はやってくる。

 信仰の残り香を辿って。死臭が近くに漂うのを嫌って。

 だから祈りの所作を真似る。

 口角が知らず上がる。

 それでは警戒されると思い直し、人間の期待する形に近づけた。

 

『同じ信仰を持つ者同士』

 

 あの音は、まだ使えるだろう。

 少なくとも、最初の一人を喰べるには十分だ。

 

 

 

 

 

 今回ばかりは、フリーレン様も悪くはないかもしれない。

 

 フェルンは、馬車に揺られながら、強制連行されていく仔羊のようなフリーレンのシオシオ顔を静かに観察していた。

 

 なにしろ、フリーレンはこの城塞都市に入った瞬間から、すぐに出発しようとそわそわしていたのだ。食料品や旅に必要な備品を買いこむ動作が早い。キビキビのフリーレン。

 

 明らかに何かから逃げようと必死だった。

 けれど、人間側が逃がしてくれなかった。

 

――ダッハ伯爵。

 

 この街の領主が、正確には執事長を使者として寄こし、自分のもとに呼び寄せたのだ。

 フリーレンは、権力に弱い。そう言うと、権力におもねっているように聞こえるかもしれないが、実際には違う。人間のルールを遵守する必要があると考えているからだ。

 

 それが、エルフと人間の境界線をまたぐための契約である。

 もっと言えば、魔族のように排斥されないための長命種側の妥協といえる。

 

 街は風通しがよかった。軽やかな交流があちらこちらにあった。

 人々の会話は弾み、その声は明るい。

 

 伯爵という地位に就く者は厳粛でいなければならないだろうが、おそらく人格者だろうと思わせる。人格者だからこそ、フリーレンも断りきれなかったのだろう。

 

 その重力をフリーレンの責任と捉えるのは間違いだ。

 

 そして、アナリザンドは、というと――。

 馬車内が狭いという理由で、ちゃっかりフェルンの膝に座っていた。

 

――ぬくい。

 

 子ども体温なアナリザンドのあたたかみを感じる。

 言われなくてもわかる。アナリザンドは、小刻みに身体を揺らし、ぴったりとくっついてこようとしている。胸のあたりを枕代わりに、ご満悦の様子。

 

「ふっふー」

 

 そんな意味のない鳴き声すら聞こえてくる。

 

「フェルンちゃん、重くない?」

 

「いえ、ふわふわの綿毛みたいな軽さです」

 

「抱き枕になっちゃう?」

 

「このままでかまいませんよ」

 

「姉ちゃん。俺の膝でもいいぜ。こっちのほうが硬くて安定してる!」

 

 シュタルクが、膝をパンパン叩いてアピールする。

 アナリザンドは幾分迷っていたようだが、首をふりふり。

 

「シュタルク君。そんなふうに女の子を軽く扱っちゃダメ!」

 

「フェルンだって、姉ちゃんを軽く扱ってるじゃねーかよぉ」

 

「フェルンちゃんはいいの」

 

「差別だぁぁぁぁ!」

 

 そして、すぐにメソる。

 アナリザンドは憐れな弟を手玉にとって遊んでいる。

 まるで気ままな猫姫様のよう。

 

「ふふん。フェルンちゃんの膝は世界一だよ。ずっとここにいさせてね?」

 

「伯爵さまの前ではちゃんと座ってくださいね」とフェルンは冷静にたしなめる。

 

「やっぱり厄介ごとになった。早く終わらせて読みかけの魔導書読みたい……」

 

 エルフ顔のフリーレンが呟き。

 

「姉ちゃん、俺の膝はいつでも空いてるからな!」

 

 シュタルクがさらに膝アピールする。

 

「シュタルク君は、あ、と、で、ね ♡」

 

 そんなわけでいつもの調子。

 一行は馬車に揺られ、やがてダッハ伯爵の待つ城の中へと入っていった。

 

 

 

 

 

 白い長テーブルが視界の端まで伸びる。食事に招かれた。

 

 その長テーブルの頂点席に座るダッハ伯爵は、まだ二十代か三十代を迎えたばかりの優しげな眼差しを持つ領主だった。

 

 フェルンは、対面に座るフリーレンを観察する。

 とても嫌そうな顔をしている。

 

 アナリザンドは、フェルンの横に座り、ただ飯であるステーキを口いっぱいにほおばっている。シュタルクも同じ。このステーキ肉は本当においしい。切り分けるほどに肉汁が滲みだし、山菜のつけあわせは新鮮で、舌が喜んでいるのがわかる。

 

「うんめぇな。これ!」

 

「お肉おいしい。わたし。食べるの。アナリザンド」

 

 アナリザンドは魔族的特性なのか、単に幼児退行しているのか、言葉がおかしくなっている。

 本当においしいものの前では、言葉は破壊される。

 蟹とかいう海産物を喩えて、沈黙こそ雄弁なりと語っていた。

 その実例が、目の前にあった。

 

 フリーレンだけが違った。自分にまとわりつく厄介ごとだと理解していたフリーレンは、ナイフで切り分けるのも忘れて、ただ、しょんぼりエルフになっている。

 

「お招きいただきありがとうございます。ダッハ伯爵」

 

 そして、丁寧語。

 どんだけ嫌なのだろう。フェルンは思った。

 

「フリーレン様。曾祖父の代はお世話になりました」

 

 まずは感謝の意を述べるダッハ伯爵。

 やはり物腰柔らかな言葉遣い。

 

「ご用件は?」フリーレンが警戒心を解かずに尋ねた。

 

「話が早くて助かりますな。実は、家宝の宝剣が魔族に盗まれてしまいましてね……」

 

 ダッハ伯爵は、わずかにアナリザンドのほうに視線を向けた。

 ちょうどそのときは、ステーキ肉のタレがほっぺたについていたのを、フェルンに拭われているところだった。わずかに微笑するダッハ伯爵。

 

「……また、盗まれたのか……」フリーレンの声に力がない。

 

「また?」シュタルクが言った。

 

「曾祖父の代も盗まれている」声が沈んでいる。

 

「盗まれすぎだろ……」シュタルクは幾分呆れたように言った。

 

「領民を守る立場にありながら、お恥ずかしい限りです」

 

「依頼内容は、剣を取り返すってことでいいの?」

 

「はい。いいえ……。フリーレン様もご存じかとは思われますが、わが領都の防衛力は、アナリザンド様の魔法によって近年、これ以上なく高まりを見せております。ですが、剣を盗んだ魔族によって、ひとつの村が潰滅しました。信仰に厚い村でした。その村では、ネットに接続することを穢れだと捉えていたのです」

 

 わずかに悔恨の混ざる表情。悔恨で、哀しみを抑圧している。

 

「アナリザンド様。その村のことはご存じでしたか?」フェルンは聞いた。

 

「知ってるけど、知らないかな」アナリザンドは玉虫色の答えを返した。

 

 ネットに接続しないという態度を、アナリザンドは良いとも悪いとも言わない。

 それもまた選択だと思っている節がある。そして、自分が嫌われてもしかたないと思っている。

 根が孤独な少女なのだ。

 

「ダッハ伯爵さまは信仰を否定なされるのですか?」フリーレンは冷たく聞いた。「少なくとも魔族の呪いに身を任せなかったのは、強い信仰だ。誰にでもできることじゃない」

 

「そうではありません……。ですが、強すぎる信仰が時には毒にもなるということなのでしょう。今、この領都には魔族に滅ぼされる前に逃げのびた人々もたくさんいます。私は彼等に帰るべき場所を――故郷を返す義務がある。それが、領主の仕事だからです」

 

「つまり、私にその魔族を滅ぼしてほしいと、そうおっしゃるのですか?」

 

「ありていに言えばそうです。ですが――、アナリザンド様はどうお思いなのかと思いまして、こちらにお招きしたのです。フリーレン様とともに旅をしているというのは有名な話ですからな」

 

「やっぱりこいつのせいじゃん」小声のフリーレン。

 

「え? わたし?」

 

 突然の問いに、アナリザンドがビクっと反射的に跳ねた。

 

「わたしとしては、その魔族さんにも選択の余地くらいは残してあげたいなって……例えば、その魔族さんが二度と人間を殺さないって約束してくれたら、ダッハ伯爵様は赦してくれる?」

 

「――約束しましょう。私は、もうこれ以上何かを失うのは嫌なのです」

 

 人間らしい告白だとフェルンは思った。

 この因果の始まりは、魔族でもエルフでもない。人間にある。

 

 領主の声には、為政者としての理性よりも、ひとりの人間としての疲労が滲んでいる。守れなかったものの数を、もう数えきれなくなった者の声だ。

 

――フェルンは思う。

 

 この人は、魔族を赦したいわけでも、赦せないわけでもない。

 ただ、これ以上、()を増やしたくないのだ。

 

――死臭が漂うのを嫌って。

 

 それは、かつてハイターが口にした言葉だったか、それともフェルン自身が、旅の途中で自然に理解するようになった感覚だったか。あるいはアナリザンドが伝えた言葉かもしれない。

 

 人間は死を嫌う。正確には、死そのものよりも、死がそこに()()とわかる状態を嫌う。

 

 見てはいけない。直視することに耐えられない。

 愛が無ければ、この虚無に抗することができない。

 

 だから誰かのもとに死の影が落ちたら、人は弔おうとする。花を手向け、土をかぶせ、祈りを捧げ、臭いが消えるまで待つ。そうやって、世界から死の痕跡を消そうとする。無かったことにするわけじゃない。その生を装飾するのだ。

 

 フェルンは、潰滅した村の話を思い浮かべた。

 

 信仰に厚く、ネットに接続することを穢れと考えた村。

 

 魔族に殺された人間がいたなら、本来なら、彼らはきちんと弔われるはずだった。

 弔いとは、死臭を消すための、人間なりの儀式なのだから。

 

「ダッハ伯爵にひとつ申しあげたい」

 

 フリーレンの冷たい眼差しがダッハ伯爵に向けられた。

 

「何をでしょうか」

 

「言葉というものは、魔族にとってはただの音の羅列に過ぎない。あいつらは人間を欺くために言葉を磨いてきた。二度と殺さないという約束は、あいつらにとっては、どうしてそうなるかはわからないけれど、経験則上そうなるとわかっている魔法の言葉と同じだよ。たとえ魔族が二度と人を殺さないと誓っても裏切られる可能性が高い」

 

「……でしょうな」

 

 静かに嘆息する。

 

「フリーレン様。それはわかっているのです。ですが、人はそれでも希望を棄てることができない憐れで愚かな生き物なのです」

 

「救われないね」フリーレンは小さく呟く。

 

「だからこそ、救われたいと願う。フリーレン様。お助けくださいませんか」

 

 その領主は――ただの一介のエルフに躊躇なく頭を下げた。

 これ以上なく真摯に、誠実に。

 フリーレンは、その重力に、ヒンメルの面影を重ねた。

 

――困ってる人がいたら助ける。

 

 そんな、単純な人間のルール。信仰。そして約束。

 

「わかりました」フリーレンは席を立った。「報酬は魔導書で」

 

 フリーレンは成約を即座に履行しはじめた。

 

 やっぱり、今回のフリーレンは一味違う。

 キビキビのフリーレンなのである。

 

 

 

 

 

 滅びた村への道すがら。

 

 フェルンの疑問はひとつだけだった。

 フリーレンが依頼を引き受けた理由はわかる。

 ヒンメルとの約束を果たすためだ。

 曾祖父の代に剣を盗まれたとき、フリーレンはヒンメルとともに剣を奪還した。

 奪われたままにしておけば、ヒンメルの生き様を無に帰してしまう。

 フリーレンはヒンメルに脳を焼かれたエルフなのだから、今更という言葉が支配する。

 

 そうではなく――単純に。

 魔族側に向けられた疑問。

 

 フェルンはぴょこぴょこミニステップをしているアナリザンドを見下ろした。

 

「魔族はなんで宝剣を盗んだのでしょうか?」

 

 応えたのはフリーレン。

 

「ダッハ伯爵の宝剣はもともと名のある魔族の物だったからね。魔族にしかわからない魅力があるんだろうさ」

 

「魔族にしかわからない……」

 

 フェルンはジトーっとアナリザンドを見た。

 

「アナリザンド様にはわかりますか?」

 

「んー。たいしたことじゃないし、フェルンちゃんは既に知ってると思うけどな」

 

「そうでしょうか?」

 

「剣が象徴だったからだよ。魔族には象徴がないの。だから象徴を欲しがる」

 

「力の象徴ですか?」

 

「力だけじゃないよ。祈り、信仰、意志、繋がり。女神様から与えられた使命感。そういったものの総称を魔族は求めているの。欠落を埋めようとしてるって感じかな。完成品になりたいからね」

 

「マイナスの方もあるのですね?」

 

 アナリザンドはフェルンに配慮している。

 そのことを察して、フェルンは逆の問いかけをした。

 少しバツが悪そうな表情。

 

「うん。覚えててくれたんだね。死、穢れ、後悔、罪悪感、絶望、そんな象徴も含まれるかな」

 

「でもさ。姉ちゃん」

 

 そこで黙って聞いていたシュタルクが口を開く。

 

「魔族って、賢いんだろ。姉ちゃんも自分のことはしょっちゅう賢い魔族だって言ってるし、欲しいから盗んだってだけじゃなくて、なんか実利的な理由があるんじゃねーか?」

 

「シュタルク君の言うことも正しいかな。魔族的な視点に立てば、象徴が何かというのは理解できなくても、その機能自体はオブジェクト指向として解析可能だからね」

 

「オブジェクト指向?」

 

「ネットゲームがどうして動いているか、シュタルク君は知らないでしょ。でもボタンを押せば、ゾルトラークが発射されて、フリーレンを撃破できることは知ってる」

 

「そうだな」

 

「このクソ魔族……隙あらば、私を弄ってくる」小声のフリーレン。

 

「その魔族さんも同じだと思うよ。どうしてそうなるかはわからないけど、人間が象徴を大事にしているのは識ってる。だから、象徴を手元に置けば、人間が逃げられなくなるのも理解しているんだよ」

 

 フェルンは頷けなかった。

 だが、否定する言葉も見つからなかった。

 アナリザンドはいつものように微笑を浮かべている。

 

 ととと、と前に行き、振り向く。

 

「だからね。フェルンちゃん――、きっと魔族は()()()()()()()()。象徴が築かれた時点で、人間の逃げ道は塞がれたの。だから、あなたは、その偽物の象徴を否定しなくちゃいけない。それは違うって言わなくちゃいけない。わたしをお姉ちゃんだと思ってくれるならそうして欲しいな」

 

 フェルンは答えを返せなかった。

 

 

 

 

 

 幾日かの旅を経て、ようやく滅びた村に辿りついた。

 夕暮れ時。人の気配はない。

 カラスの声が寂寞とした空間を引き裂き、地面にはお金をいれる小銭袋が転がっている。

 アナリザンドが、猛烈な勢いで駆け寄った。

 

「金貨! 空っぽ……」しょんぼりザンド。

 

 金貨も象徴と言えば象徴だろう。

 フェルンはふと笑いがこぼれそうになるのを我慢した。

 気を引き締める。本能的な恐怖を追い出そうと努める。

 

――死臭。

 

 実際に死肉の臭いが漂っているわけではないが、この村には死の臭いとしか言えない気配が漂っていた。人の笑い声も、ささやかな幸せも、細々ながらも延々と引き継がれてきた信仰も、ここにはない。今はもうない。

 

「この村、ひどい荒れようですね。今もまだいるのでしょうか……」

 

 魔族にとって人間が食料であるなら、エサがなくなればどこかに消えるのではないかとも思える。魔族が合理的であるなら、そうであってもおかしくない。本能的である衝動に身を任せて生きる魔族ならなおのこと。

 

 だが、アナリザンドは象徴を築いているだろうと言ったのだ。

 

 魔族的感性は、魔族にしかわからないが、象徴――手にした力を自己主張するために、魔族は次なる獲物を待っているかもしれない。

 

 数分――歩き。

 

 村の中心部、すぐに目につくところ。

 

 フェルンは、象徴を見つけた。

 

 それは墓だった。綺麗に整列した土が等間隔に盛られ、一抱えほどもある石がその上に置かれている。人のいなくなった村で――墓だけがそこにある。

 

 そして魔力探知――。HUDをつかった精密な魔力探知を行う。

 

「いるね」その前にフリーレンが言った。

 

 墓標の影が、わずかに伸びた気がした。

 夕暮れの空気は澱んでいるが、静止している。

 大きな木の背後から、黒いローブ姿が影に溶けこむようにして現れる。

 

 女だった。

 

 細い体躯。細い腕。僧侶の装束に似た黒衣。

 頭巾を深く被り、そこから覗く冷たい瞳の輝きは見る者を凍てつかせる。

 人形のように綺麗な顔をしていた。

 人間の僧侶にしては、あまりに整いすぎている。

 まるで死に化粧を施したような――。

 

 フェルンもだが、当然のことながら、ここにいる誰もが、この女の正体に気づいている。

 

 しかし、ダッハ伯爵の依頼内容は、剣を取り返すこと。

 そして、できることなら――、誰もこれ以上死なせないことだ。

 

 だから、フリーレンは聞いた。

 

「この村の人?」

 

「いいえ」魔族の定型句。「私は旅の僧侶です」

 

 女は懐から女神教の聖印を取り出した。

 誰かから奪った象徴を壊れるくらい握り締めている。

 

「この村は剣の魔族に滅ぼされました。私は村人を弔っていたのです」

 

 恐るべき擬態。

 

 だが、巧妙ではない。

 

「こいつも魔族だけど、どうでもいいの?」

 

 フリーレンが顔だけでアナリザンドを指した。

 女は、アナリザンドに視線を這わす。

 

「魔族ですか。なんとおぞましい」

 

「こんマゾ~。綺麗な顔してるね。お姉さんの名前はなんていうの?」

 

 そして場違いなほど明るい声。

 

 アナリザンドは、剣の魔族に接続しようとしている。

 名乗りあえば繋がる。それがアナリザンドの魔法だからだ。

 繋がったあとのプランはわかりようもないが、ともかくアナリザンドは手を差し伸べようとしていることはわかった。

 

「魔族に名乗る名などありません」接続拒否。

 

「わたしはアナリザンドっていうの。アナちゃんって呼んでもらってたりもするよ」

 

「失せなさい。けがらわしい」女はイライラしているようだ。「なぜあなた方は、魔族とともにいるのです。見たところ、冒険者の方々とお見受けいたしますが……」

 

「こいつが勝手にこびりついてくるだけだよ」

 

「魔族とともに旅をするなど、頭がおかしいのですか?」

 

「……ふっ」さすがに笑いをこらえきれなかったらしい。「そのとおりだよ」

 

 そして、ふと女はフェルンを見た。

 ローブ姿からは見えにくいが、首にかかる細い鎖を見つけ――そして破顔する。

 

「あなた様も同じ主を抱く姉妹なのでは?」「……は?」

 

「はい。私も女神様を信じております」

 

 フェルンは、服の下から聖印を取り出して見せた。

 女は喜びに、胸を震わせる。

 

「主のお導きですね。()()()()()()()()()()、どうかあなた様方も祈っていってはくれませんか。魔族に殺された方々が道に迷うことがないように――天国で安らかに眠りにつけるように」

 

 フェルンは一瞬、目を閉じて祈りそうになった。

 頭ではわかっている。目の前にいる女が魔族であることも。

 その言葉が、人を騙すための、喰らうための嘘であることも。

 

 それでも、一瞬の迷いが生じる程度には、その言葉は極まっている。

 

「不出来だね――。おまえの演技は見ていられない」

 

 フリーレンが杖をストレージから取り出した。

 魔力が杖先に集中する。

 

「なにがでしょうか? 私がなにか間違ったことを?」

 

「弔うなら名前を刻む。刻めなくても残そうとする。人間はそういう生き物だよ」

 

――やすらかに眠れ。

 

「その一言すら書けないおまえたちは、人間の言葉を使うことができない、ただの獣だ」

 

「なにか誤解があるようですが、私も旅をする身、時間がなかったのです。それに私はこの村の方々を知りません。あなたがもし同じ立場であったとしても、同じことをするほかないのでは?」

 

「遺品は埋めたのか?」

 

「遺品?」魔族は不思議そうに首を傾げた。

 

「遺品は埋めたのかと聞いている」

 

「魔族は人を食べる種族です。この墓には死体すら埋まっていません。それになんの意味があるのです?」本当に不思議そうに。

 

「そうか。わかったよ――」

 

 フリーレンは、杖を向ける。

 

 魔族ではなく、空虚な偽物の象徴へ。

 

「いけません。フリーレン様!」

 

 フェルンが、フリーレンを停止させた。

 

 フェルンの声は、自身でも驚くほどはっきりと響いた。

 それは様々な象徴的な言葉が一気に連鎖爆発したような声だった。

 

――人間には。

 

 これが必要なんだ。

 

 フリーレンは、杖を向けたまま、ほんの少しだけ視線を動かした。

 無言のまま、フェルンの答えを待っている。

 

「……ここは」

 

 フェルンは言葉を探す。

 うまく言えない。うまく言う必要もない。

 

「ここは、人間にとって必要な場所です」

 

 墓は偽物だ。

 祈りも嘘だ。

 この女が魔族であることも、わかっている。

 

 それでも――。

 

 フェルンは、地面に盛られた土を見た。

 均されすぎた土。誰の名前も刻まれていない石。

 意味のない規則正しい配置。意味のない祈り。

 

 それでも、そこに墓のカタチがあるという事実だけが胸に引っかかる。

 

「人間は……」

 

 言いかけて、やめた。

 人間一般の話をしても仕方がない。

 

「少なくとも、私は」フェルンは、静かに息を吸う。「ここを壊されるのは嫌です」

 

「そう……」フリーレンはゆっくりと杖を降ろした。「じゃあ、どうするの?」

 

 フェルンは口を開かなかった。

 フリーレンが示してくれたとおり――魔族との対話は無意味に思える。

 判定はくだされ、あとは粛々と処理するだけ。

 

 だが――本当に。

 まだ、ほんのわずかながらかける言葉があるのではないか。

 

「フェルンちゃん……」アナリザンドがフェルンの裾を握っていた。

 

 そっと、握りかえし、その手を離す。

 

 迷っている暇はない。これは人間の責任であり、人間の戦いだからだ。

 

 フェルンは剣の魔族に向きなおった。

 

「もうおわかりかと思いますが、あなたが魔族であることには気づいています」

 

「そうですか……。この頃の人間は早すぎる……。なぜかはわかりませんが」

 

 女はフードを脱いだ。異形の証がそこにはあった。

 

 

 

 

 

「あなたが村の人を殺したのですか?」

 

 まずは事実確認。

 フェルンは、杖をかまえながら――魔族に問う。

 背後からアナリザンドがジリジリと魔力をあげているのを数値として把握する。

 

 おそらくは示威行為。

 いや――対話するための時間稼ぎをしているのだろう。

 魔族は生存本能が強い。逃げ出すにしろ戦うにしろ、戦況を見極めようとする。

 

 魔族の生存戦略が対話という状況を無理やり選択させている。

 アナリザンドにとっては、それすらも嫌だろう。

 

 けれど、フェルンのために時間をくれたのだ。

 

 果たして、剣の魔族から応答があった。

 

「ええ。そうですよ。私が殺しました」

 

「なぜですか?」

 

「食べるために殺しました。生きるためには仕方がないことだったんです」

 

「人以外も食べられるのにですか?」

 

「おいしいからですよ。あなたにだって好物くらいあるでしょう?」

 

「たとえ私の好物が魔族だったとしても、私は魔族を食べたりしません」

 

「理解できません。なぜでしょうか? 好きなら食べればいいのに」

 

「その方と話せなくなるからです」

 

「生殖行為のことですか?」

 

「違います。そういった場合もあるのかもしれませんが……。私の場合は、ただその人のことを知りたいと願っているからです」

 

「では、あなたが餓えていて、人を食べなければ死ぬという時はいかがですか?」

 

「そのときは餓えて死にます」

 

「不合理ですね。ですが、いずれにしろ、それはあなたの考えであって、私の考えではありません。なんの意味もない問いかけを繰り返す。それが人間の習性のようですが……」

 

 視線が、剣に伸びている。

 機をうかがっている。

 

 どんなに言葉を尽くしても、フェルンのフェイズは魔族とズレている。

 この言葉のズレをどうにかするには、もはや問答無用で黙らせるか。

 

 あるいは――、ひとつの選択を迫るしかない。

 

 それが人間側にできる最大限の譲歩。

 

「私はあなたも滅ぼしたくはありません」

 

「敵ですよ? 何を言っているんです?」

 

「あなたは人間たちの墓を築いてくださいました。それがあなたにとっては何の意味もないことはわかります。人を騙して食べるための嘘だということも知っています。ですが、その墓を築くという行為は、正しかったのだと……救われる人もいるのだと思います」

 

「それこそ不合理です」

 

「では合理的な提案をいたします。あなたが今後二度と人を喰らわないと約束してくださるなら、私もあなたを滅ぼすことはいたしません」

 

「……」

 

 言葉は尽きた。ここが境界線だった。

 人間が必ず死守しなければならないルール。

 獣と人間の境界線。

 

 魔族は、答えなかった。

 

 ただ、あまりにも自然に、剣に指をかけた。

 その象徴を仮託して、万能感に浸って。人間を羨望して。人間を破壊する。

 

 フェルンは理解した。

 人を食べることをやめるという選択肢はこの生き物の世界には存在しない。

 

「そうですか」

 

 フェルンは、もうそれ以上、何も言わなかった。

 

 アナリザンドは、これと同じような問いかけを、一生のうち、いったい何度繰り返さなければならないのだろう。地獄――まるで。地獄のようで。引き裂かれそうだ。

 

 そんな思考すら置き去りにして。

 

 剣が、鞘から離れる。

 夕暮れの残光がわずかにひらめき。

 ほんの、わずかな音。

 

 それすらも遅い。

 

――魔族を殺す魔法(ゾルトラーク)

 

 剣の魔族は剣を引き抜くことすらなく、ただの魔族として塵となった。

 

 

 

 

 

 ハロー。猫姫アナリザンドだよ。アナにゃんって気軽に呼んでくれてもいいよ。

 

 あのあと――、剣の魔族さんを滅したあとなんだけど、旅の雰囲気が最悪でした。

 

 フェルンちゃんが落ちこんでると、わたしの元気もなくなる。

 もちろん表面上はあんまり変わらない。フェルンちゃんは自分の気持ちを隠蔽するのが得意な子だし、あんまり自分をさらけだすほうじゃないからね。

 

 でも、お姉ちゃんだからわかる。

 

 膝上に乗ろうとしても、やわらかく降ろされるし。

 しかたがないので、シュタルク君に乗った。硬かった。びみょい。降りた。泣いた。

 

 それにしても取り返した宝剣である。

 なにかしら魔族を惹きつける要素があるって言ってたけど、確かにすごい。

 

 朝日にとりまかれた剣先は一点の曇りもなく陽光を反射している。

 

 血も穢れも、魔族の欲望すら弾き返すみたいに、美しい!

 

 さすが象徴。さすが宝剣。そう、お宝の剣。

 

「……売ったら、いくらになるかなー」

 

 10億AP? もしかして100億APくらいはいくかもしれない。

 

「盗んじゃダメですよ、アナリザンド様」

 

 即座に釘を刺される。

 フェルンちゃん、顔が真面目すぎる。かわいいかよ。

 

「盗んだりしないよ。これは正当な回収品だしね」

 

「そういう言い回しが、もう怪しいです」

 

 いつもの調子に戻ってきたフェルンちゃん。

 わたしはうれしくなって、つい調子にのる。

 

「じゃあさ、リースってどうかな?」

 

「リース、ですか?」

 

「うん。例えば、この剣をどこかの金持ちとかに一年間くらい貸すの。伯爵様には魔族倒しましたーって言わなきゃ、バレないでしょ? 一年後くらいに今やりましたって顔で持って帰れば、象徴も戻って、めでたしめでたしって――フェルンちゃん?」

 

 すごく怖い顔だった。

 

「アナリザンド様」

 

「はい!」

 

「悪い子ですね」

 

「嘘です。タダの冗談というやつです。冗談だけなら無料なんだから言わなきゃ損だよね」

 

「まったく……嘘つきは泥棒の始まりですよ」

 

 そう言いながら、フェルンちゃんは少しだけ笑った。

 よし。勝った。フェルンちゃんの笑顔を取り戻した。

 

 ちなみに、剣は、ちゃんと返したよ。

 本当にちゃんと。

 

 ダッハ伯爵は、深く頭を下げたあと、ぽつりとこう言った。

 

「村の者たちが家に帰り、村の再建を始めています」

 

 やっとひとつ肩の荷が下りたというように。

 少しだけ顔を緩めている。

 

「信仰は途絶えてしまったのでしょうか?」フェルンちゃんが聞いた。

 

「あの村は閉じた村でした。外に出た者だけが助かった。純正の信仰は途絶えたともいえるのかもしれません。ですが、信仰は引き継がれるものです。村の者が生き延びている以上、途絶えることはないと信じたい」

 

 ダッハ伯爵は、コツコツとゆっくり歩き、窓を開けた。

 柔らかな風が注ぎ込む。人々の声、ざわめきが城の中まで届く。

 

「彼等の信仰のかたちを否定したくはありません。ですが――、小窓のひとつくらいは開けておきたいと考えました。今後、魔族に蹂躙されぬよう、村にはひとり伝令役を派遣するつもりです。無信仰者ですが、受け入れてくれれば、と」

 

 いいセンスだ。

 伯爵さまは信仰を否定していない。時代遅れが滅びたなんて口が裂けても言わない。

 これは商談のチャンスだ。

 

「ねえ伯爵さまぁん」超ねっとりザンド。

 

「ん。なんでしょうか。アナリザンド様」

 

「こちらに、とっても、とぉっても、いい商品があるんですけど」

 

「ほう……」

 

 取り出したるは、リヒターさんに創ってもらった、魔導トランシーバー。

 

「純正百パーセント人間産の魔道具だよ。通信距離は短いけど、村と村を繋ぐには十分なんだ」

 

「魔族由来では……?」伯爵様はためらうように言った。

 

「違うよ。わたしがいなくても大丈夫なやつ。人間の人間による人間のための道具!」

 

「そのようなものができつつあるのですね。時代の移り変わりは早いですな」

 

 伯爵様は、少しだけ考えてから、手を伸ばした。

 その手は、武器を取る手じゃなかった。

 

 道具を受け取る手だった。

 

 そして、その手が、次はきっと誰かに伸びる。

 村の誰かに。外の誰かに。

 

 ひとまずは、魔族と握手する。

 

「少しはまけてもらえるのですかな?」

 

「だーめ。いつだって魔族は勝ち続けたい生き物なんだから」

 

 わたしは剣を握らない。

 

 

 




今回はちょっと哲学的ウンコしてるなぁ……
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