魔族少女のエロタナティブ   作:アナリザンド

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ミリアルデ/ルティーネ

 

 

 

――天の御国が人の子にとって最も想像力を欠く夢でありますように。

 

 

 

 

 

 そんな聖典の一節を思い出したのは、これからするお話が、わたしにとっての失敗談だからだ。女神様にごめんなさいしなくちゃいけない話ということになる。

 

 ちなみに聖典と雑に述べたけど、正確には付録みたいなもので、前世ふうに言えば同人誌みたいなやつ。いわゆる使徒の手紙と呼ばれている書記集であり、大昔に女神教徒のお偉いさんの誰かが書いたファンレターみたいなものである。でも、聖典の一部であることにはまちがいはない。

 

 こんなことは恥ずかしいし、消したい過去なんだけど、一度起こったことを書き換えちゃいけない。それを学んだ話でもあるから、わたしにとっての訓戒という意味も込めて、先生たちにはお話しておこうと思う。

 

 

 

 

 

 その日、わたしはミリアルデ院長先生に女神様の杖をプレゼントしてくれたお礼をしにいった。もちろん、杖自体は持って帰られちゃったんだけど(ああ……100兆AP)、贈ってくれたという気持ち自体がうれしかったからだ。

 

 当然のことながら、アポなしで突入するような野暮なことはしない。わたしは吸血鬼のように招かなければ基本的に出たり入ったりはしない生き物なので、そこはちゃんとミリアルデ先生に逢いにいっていいですかと聞いたよ。

 

『せんせぇ。わたしにプレゼントしようとしてくれてありがとう。でも、あの杖はちょっと高価すぎたから、ゼーリエ先生はダメって怒っちゃったけど、もう少し安めなやつなら大丈夫かも。お気持ちが残っておりましたなら、とてもうれしいです。遊びにいってもいいですか?』

 

 こんな感じである。断じて、たかりにいってるわけではない。

 そういう勘違いをされたのなら、わたしは憤死してしまうだろう。

 この言葉の意味は、相手の気持ちを無に帰さないための配慮なのである。

 つまり、人の子として女神様の御心に叶う、とても崇高な言葉なのだ。

 

 返事はすぐにきた。

 

『小鬼ちゃんからお誘いがくるなんて珍しいわね。もちろんいいわよ。ゼーリエには秘密にして来なさいな。おいしい紅茶を用意して待ってるわ。紅茶に合うブランデーもね』

 

 という大人の女性らしい、優雅なものだった。

 

 尻尾ぶんぶん丸状態になったわたしはすぐさま院長先生のもとに跳んだのである。

 

 

 

 

 

 時間はちょうど時計が天頂を指す頃合い。つまり、真昼間だった。

 

 部屋の中は、あのときより少しだけ整理されていて、ミリアルデ先生の着ている服も華美すぎず、しかし夜着のように薄すぎもしない、つまりは普段着という感じだった。

 

 いつのまにか私室には丸テーブルが置かれていて、ちょうどふたりぐらいが座れる大きさだ。わたしが来るから用意してくれたのかな。ちらっとテーブルを見て、それから先生に視線を再びあわせると、あの見るものを全部包みこむような慈愛の微笑みを浮かべていた。

 

 うん。そうだよね。だって、この椅子、子ども椅子だもん! わたしの背の高さに合わせてくれている。少しだけ屈辱的だが、少しだけ嬉しい。そんな紅茶にブランデーを混ぜたときのような複雑な感情が発生する。

 

「約束どおり来てくれたのね」

 

「うん。約束は守らなくちゃいけないから。聖典にも書いてる」

 

「じゃあ、私も約束を守らなくちゃね。まずは紅茶だけど、お砂糖はいるかしら」

 

「欲しいかな」

 

「どれくらい?」

 

「いっぱい」

 

 ミリアルデ先生ほどの方が使ってる砂糖だ。どれだけ高価なのだろうと胸が高鳴る。

 先生は、少し迷ったようだが戸棚から砂糖壺そのものを取り出してテーブルの上においてくれた。

 おお、入れ放題。そういう概念もあるのか。

 

「ブランデーは入れないわよね?」

 

「うん。お酒はちょっとだけ苦手なの。嫌いじゃないけど」

 

「そう。わかったわ」

 

 言って、ミリアルデ先生はカップの中の少量の紅茶の中に、高価そうなガラス瓶の中にある液体を、ドババババッと注ぎこんだ。主客転倒。これはもはやブランデーなのでは?

 

 わたしが驚いて固まっていると、視線に気づいたミリアルデ先生は、そのカップをテーブルの上にそっと置いた。ゆらゆらと揺らめく液体からは、やっぱりアルコールの強い匂いが漂ってくる。

 

「ワインの中に泥水を一滴垂らしたらワインじゃなくなるという話があるじゃない?」

 

「うん。そういう概念もあるらしいね」

 

「だったら、どれだけブランデーを注ぎこんでも、紅茶が主体である以上、これは紅茶」

 

「つまり量が問題じゃないってこと?」

 

「そういうことよ」

 

 大人のレディって難しい。

 

「ねえ、せんせぇ。今日わたしを呼んでくれたのはなーぜ?」

 

 紅茶をすすりながら(もちろん二本指です。レディ所作)、わたしはそれとなく本題を聞くことにした。本題とはつまり、杖の代わりのプレゼント! 100兆APとは言わないまでも、せめて1兆くらいの価値があるものを欲しいです。先生!

 

「呼んだのはどちらかといえば、アナちゃんのほうじゃない?」

 

「そんなつれないこと言わないで。先生はわたしに杖の代わりをくれるんだよね?」

 

「欲しがりさんね。まあいいわ。今日はあなたに私の魔法を見せてあげようと思ったの」

 

「院長先生の魔法?」

 

――それは、なんとなくわかる。

 

 おそらく因果調律に関わる何か。ゼーリエ先生と杖の取り合いをしているときに、バックグラウンドで魔法が実行されていた。わたしはそれを観察している。

 

 完全には理解できなかったけれど。

 

「魔法という言い方は正確ではないのかもしれないわね。これは一種の権能よ」

 

「権能? 資格がいるってことだよね?」

 

 ミリアルデ院長先生は、ブランデー紅茶を飲みながら頷いた。

 

「アナちゃんって、聖典に、暗号がくみこまれていることは知ってる?」

 

「もちろん知ってるよ。女神様のファンなんだし」

 

「どの程度、解読は進んでるの?」

 

「うーん……10パーセント程度?」

 

「じゅ……こほん。だったら、権能は持ってるかもしれない」

 

「どういうこと?」

 

「人間は聖典の解読を今に至るまでほとんどできていないの。聖典がこの世界にもたらされてからおよそ1500年。エルフにとってはたいしたことない時間だけど、人間にとっては長大なそれ。人間はずっと聖典の解読に心血を注いできた。その結果判明したのは――」

 

 ミリアルデ先生は指を三本掲げた。

 

「およそ3パーセント。それがいままでで人間が解読できた女神様の魔法。いや――こうかな?」

 

 四本目。小指も加えて4パーセント程度ってこと?

 

「ミリアルデ先生の権能って、女神様の魔法なんだね」

 

「まあ、語ってしまえば、それだけの話。魔法の名称はないけれど、人間的な言葉をあてはめるなら、過去視ってとこね」

 

――過去視。

 

 全知のシュラハトや南の勇者が、未来視を持っているとすれば、ずいぶんとスケールダウンしているような気がしないでもない。

 

「少し誤解しているようだから、解説を加えるとね。私の過去視はすべての過去が視えるわけじゃないの。千里眼的な特性はなく、対話した人の過去が視えるのよ」

 

「わたしの過去も視えたり?」

 

「視えなかったわ。こんなこと初めて。あなたは時間の外側にいるのね」

 

「ふうん……」

 

 自分がどこにいるのかなんて、わかりようがない。

 たとえわかったところで、それは女神様との関係性をなんら保証するものではないから。

 

「たいしたことがない魔法と思ってるようね?」

 

「そんなことないよ。その人のログを拾えるってすごいことだと思う。先生の立場からすれば、救いの言葉もかけられるんじゃないの。それっていいことだよね?」

 

「まあ確かに――、私の権能を求める人間は、そうしたいからそうしている。つまり同意があるということになるわね。だから、救いの言葉を待っているという言い方もできるわ」

 

「違うの?」

 

「違うわけではないの。ただ、過去は変えられない」

 

 窓から昼下がりの陽光がテーブルに当たった。

 その向こう側にいるミリアルデ先生は影に隠れる形になる。

 

「たとえ過去が変えられなくても、今の時点から過去の自分を見つめなおすことができるんじゃないかな?」とわたしは言った。

 

 聖杖法院と女神様とのつながりがどんなふうなのかはわからなかったけれど、まったく関わりがないわけじゃない。女神教の神父さんなら、その人が救われるように尽力するはずだ。

 

「少し理解の齟齬があるようだから正すわ。私の魔法は単純にその人のログを漁るものじゃなくて、その人が変えたい過去の時点で、違う選択肢を提示するものなの。例えば、アナちゃんは昨日、何を食べたかしら?」

 

「昨日は……えっと、ゼンゼ先生のところでいっしょにシチューを食べたよ」

 

「もし、昨日、ステーキが食べられたら? 私のところに来ていたら、最高級の牛ヒレステーキだったわ。肉汁たっぷりで、一グラムあたり数万APくらいはするやつ」

 

「うああっっ」わたしは頭を抱えた。すぐさま損金が脳内計算される。「で、でもゼンゼ先生と食べたシチューはプライスレスだし!」

 

「あはは、小鬼ちゃんらしいわね。でもまあ、そういうこと――、私の魔法はそのときそちらを選んでいたらどうなっていたかをシミュレートして見せるの」

 

「見せてどうなるの?」

 

「どうもならない」

 

「え? 何も変わらないってこと?」

 

「過去が変わるわけじゃない。その人の因果に介入しているわけではない。ただ、これからの選択肢という意味では、ある意味慎重になるわね。だから、この魔法を使った後に何か言葉をつけくわえるなんてことはしないわ。だって、答えはその人の中にもうあるのだから」

 

 ミリアルデ院長先生はあいかわらず何を考えているかわからないエルフ特有の顔つきのまま、最後の一滴を喉奥に流しこんだ。

 

「実演してみせましょうか?」

 

「どうやって? わたしには効かないんでしょ」

 

「人間なんてそこらじゅうにいるじゃない」

 

 そりゃまあそうだけど……。

 問題発言なのでは?

 

「あなたは知っておくべきなのよ。どうせわたしの権能ももう使えるんでしょう?」

 

「使ったことはないよ?」

 

「望まれたとしても? あなたの妹ちゃんや弟くんが、そうしてほしいと言ったとしても?」

 

「それはわからないかな」

 

「天国は人の子にとって最も想像力を欠く夢でなければならない」

 

「? よくわかんない」

 

「だから教えてあげる」

 

 やっぱり、ミリアルデ院長先生も優しいらしい。

 わたしは、先生の後についていくことにした。

 

 

 

 

 

 実を言うと、聖杖法院は女神教の正統ではない。

 

 そんなことを言うと、宗教戦争になっちゃいそうだから言わないけれど、実を言うと、聖杖法院とは帝国の傘下にある女神教の一派なのである。

 

 主派、つまり聖都シュトラールの原典主義とは異なる教義らしい。

 

 興味がないのでスルーしてたけど、たぶん帝国が宗教的防壁にするために創った一派なのかもしれない。とはいえ、同じ女神様を頂く関係なので、宗派が違っても、同じナカーマみたいな緩い連帯があるのかもしれないなって思ったり。

 

 どこがどう違うかはわからないけど、お酒はどっちも呑んでもOKみたいだしね。

 ハイターもミリアルデもどっちも酒カス仲間だ。

 ハイターが生きてたら、たぶん仲良くなれただろうな。フリーレンのことを酒のおつまみにでもしながら……。そんなことを考える。

 

 わたしは系譜上は、原典主義なのでミリアルデ先生の話につきあいすぎるのはあまりよくないかもしれないけれど、ゼーリエ先生みたいな暴力主義よりは遥かに親和性があるから、まあそのあたりは紅茶を濁しておこうと思う。

 

 さて、目的の場所についた。

 

 先生に連れ出されたそこは、聖杖法院の付属図書館だった。

 帝国の歴史がぎゅっと詰まった場所。過去ログの集積場。

 中に入ると、本の匂いが充満している。インクが錆びたような不思議な感覚。でも嫌な匂いじゃない。お婆ちゃんの背中みたいな匂いがしていた。ゼーリエ先生っぽいって意味じゃなくてね。

 

 図書館は生きた廃墟なのだと思う。

 そこには人間たちの生きた証が、墓石のように積まれている。

 ここには、わたしによって解析されていない、魔法データとして蓄積されていない大量のデータが保管されている。

 

 できないわけじゃないよ。小窓を使ってパシャリと撮影してくれれば、どんなクソ文字でも<わたし>は精緻な活字にして、保存することは可能だ。もちろん画像データとして、クソ文字をクソ文字として並列的に保存することだってできる。

 

 けれど、人間たちは本という形式にこだわる。本が好きだからだろう。

 

 わたしは()()を読みたいなって気持ちになった。

 ミリアルデ先生たち――エルフは人間の時間を食べる。

 他の魔族たちは、物理的なお肉として人間を食べる。

 そして、わたしは人間たちの物語を食べる。そんな存在なのである。

 

「……ミリアルデ様」「ミリアルデ様だ」「今日は酒臭くないな」「え、アナ様じゃん。かわゆっ」「アナミリのおねロリもいいわぁ」「おててつないでる尊い」

 

 そんな声も聞こえてくる。

 ミリアルデ先生が指を口元に持っていくと、みんな静謐に変わった。

 

 手と手は離される。

 対するは、垂れ目でどこか眠そうな司書のお姉さん。

 どことなくゼンゼ先生に似ている。違いは、髪の毛は短いところかな。

 それと、年齢……。まだ若い。ギリギリ十代か、二十になったばかりかも。

 

「ミリアルデ様。図書館にいらっしゃるのは珍しいですね。五年前に借りっぱなしの本をついにお返しに来られたのですか?」

 

「違うわ。ルティーネ。今日はこの子の教育実習」

 

――ルティーネちゃん。

 

 というらしい。

 観察してみると、どことなく戦い慣れた気配を感じる。

 シュタルク君と同じ……戦士なのかな?

 

 こんなにかわいらしい女の子なのに。この世界の人たちは見た目の筋肉と身体能力が一致しない。というのも、魔力が身体能力に転化されるからだ。それを放出して形にできるのが魔法使い。身体能力に特化しているのが戦士なのである。

 

「……魔族を、この聖域に招き入れて大丈夫なんですか?」

 

「こんマゾ! 大丈夫だよ。今日のわたしはおとなしくしておくから」

 

「そうですか。まあ、好きにしてください。どうせ、ミリアルデ様がそうしたいというのなら止める術はありませんから。図書館内では静かにしていてくださいね」

 

 それから、ルティーネちゃんは通常業務に戻った。

 司書席――入口近くのところで、本の貸し出しと返却、その管理をおこなっている。

 

 その場を離れ、わたしは先生を見上げる。

 なにやら不敵な顔つきをしている。

 

「ミリアルデ院長先生は、ルティーネちゃんと仲いいの?」

 

「……さあね。君にさっきも言ったとおり、私は人の過去を勝手に覗いたりはしないから」

 

「じゃあ、今からすることは?」

 

 魔法の実演。

 

「もちろん。同意をとるつもりよ」

 

 

 

 

 

 それからしたことは、ミリアルデ先生が図書館内にいる人を、ひとりひとり呼び止めるという、あまりにも実践的な行為だった。以下、こんな感じ。

 

「ねえ、あなた――」

 

「はい。ミリアルデ様。わたくしになんの御用でございましょうか」

 

 三十代くらいの短髪の男性だった。純朴そうで真面目そうな――モブ顔の人。

 雰囲気的にはちょっとだけリヒターさんに似ている感じ。

 ミリアルデ先生がお偉いさんなためか、少し発汗量が多い。緊張していることがわかる。

 

「私にあなたの物語を聞かせてくれないかしら」

 

「わたくしめでありますか?」

 

「そう……。たいした話じゃないわ。昨日は晩御飯に何を食べたの?」

 

「ええと、ハンバーグでありますが……」

 

「もっと具体的にお願いできるかしら」

 

「そ、そうでありますな。わたくしはしがない公務の末席を穢すものでありまして、最近の物価高もあり、生活状況は苦しいものがあります。ですから――豚肉は多めに。それでなんとか糊口をしのいでいる有様でして……。聖杖法院の院長をなされているお方には、大変お聞き苦しかったとは思いますが、このような感じでいかがでしょうか」

 

「ふうん。じゃあ、牛肉が食べたかったの?」

 

「はい。まあ、そんなところです」頭をかいて自嘲している。

 

「本当はステーキが食べたかった?」

 

「できればでありますな」

 

「公務員なら、できないわけじゃないわよね?」

 

「そのとおりでありますが……あの、何かわたくしめが粗相を?」

 

「そうじゃないの。過去の音を聞き取るには、対象からの残響を聞き取る必要があるの。あなたもここに来てるくらいだから、私の権能は知ってるわよね?」

 

「もちろんです。上の方々は決断の重責に耐えかねた時に、ミリアルデ様の魔法を賜るとか」

 

 そっか。決断という拷問に耐えられなくなった時に。

 ミリアルデ先生の魔法がケアとして働くわけか。女神の癒し。あるいは赦し。

 

「あなたにもあげるわ。受け取る?」

 

「それは……もちろん。ですが、わたくしごときが、賜ってもよろしいので?」

 

「もちろんよ。あなたみたいな真面目な人の過去。女神様も興味があるはずよ」

 

 うわぁ。すごい悪女ムーブ。

 ミリアルデ先生っておっとりしてるようで、なんか怖い。

 ともあれ、同意は得られた。

 

 ミリアルデ院長先生は、ターゲットと目を合わす。

 その人の魂は、いま過去のシーンに跳んでるのだろう。

 とろんとした眼差しは夕べのおゆはんの材料を買う場面に向けられている。

 ハンバーグで妥協するか。ステーキを口いっぱいむさぼるか。

 

――選択は目の前にあった。

 

 そう――それは選択を穢していない。

 なんら、干渉しているわけじゃない。あくまでその人の選択。

 だけど、過去は変わらない。でもちょっと不満だった。

 その人が本当に望んでいるなら、それは与えられるべきなんじゃないだろうか。

 

 だって、女神様は人の子を愛してる()()だから。

 何も無根拠に言ってるわけじゃない。

 こんな欠陥品の失敗作である魔族ですら愛してもらえたのだから、それは当然の摂理といえる。

 

 わたしは知らず餓えていたのだ。

 

 きっと、ミリアルデ先生に、牛ヒレステーキを提示されて、それを味わうことができなかったことを知らず後悔していたのだ。まるで人間のように。だから――。

 

――無意識に。意識的に。

 

 干渉縞(モアレ)

 

「んん。あれ?」男の人がふと我に返った。

 

「……これは」ミリアルデ先生が驚いているような。

 

「そういえば、昨晩はステーキを食べておりました! どうやらわたくしの記憶違いだったようです。結果的に嘘をついてしまったようで、申し訳ございません」

 

 そう言って、男の人は腰を九十度近く曲げて、回れ右して帰っていった。

 

 なにがなにやら。

 

「ねえ。アナちゃん?」

 

「ん? どうしたの、せんせ?」

 

「まあいいわ。もう少し実験してみましょう」

 

 

 

 

 

 次なる犠牲者は、上品なマダムといった人だった。

 必要以上に華美ではなく、紫色をしたドレスに、厚すぎない化粧。そして真っ白い手袋。

 もしかして、お貴族様ってやつ?

 

「……ねえ、少し話、いいかしら」ミリアルデ先生は貴族だろうが関係ない。

 

「ミリアルデ様。お逢いできて光栄ですわ」

 

「少し、あなたの話を聞きたくて呼び止めてしまったの。ごめんなさいね」

 

「いえいえ、そんなことはございません。女神様に感謝を――」

 

 そして手を組み、祈る。

 人間のよくとる信仰を表明する動作。

 

「私にお話を聞かせてもらえないかしら」

 

 ミリアルデ院長先生も、信徒には丁寧な言葉遣いになる。

 ぞんざいさは鳴りを潜め、そこには信仰の象徴であることの誉れみたいなものを感じる。

 先生だって、人によっては感情の行きどころを違うように処理するんだなと思った。

 

「お話でございますか?」

 

「ええ、あなたはとても素晴らしい年月の重ね方をしているようね。でも――、少しだけ後悔の色が見え隠れしているわ。私でよければ、女神様の耳になって、話を聞いてあげられる」

 

「大変ありがたい申し出でございます」

 

「あなたの過去を聞かせてちょうだい」

 

「はい」

 

 そうして始まった、スーパー懺悔タイム。

 マダムさんは、まだ年若い十代の後半頃に貴族の若旦那と結婚したらしい。

 その年月は、今も重ねられており、配偶者との結婚歴は一度も途切れたことはない。

 

 けれど――。

 

 一度だけ浮気を疑ったことがあるらしかった。それは誤解だったと後になって判明したのだが、年若き頃のマダムは、配偶者を信じきることができずに、結婚指輪を売ってしまったのだとか。

 

「行商人だったと思います。あとになって必死に探したのですが見つからず……」

 

 マダムは視線を落として、本当に後悔してるようだった。

 

「そう、聞かせてくれて嬉しいわ」

 

 ミリアルデ先生が魔法を唱える。

 

 過去が現在という事象に引っ張ってこられる。

 

 これなら……。ここなら、できる。

 

 わたしには因果を逆流させる魔法(クレイジー・アイズ)が使える。

 

 その選択を、本当にしてしまえる。

 

 それは――正しいの?

 

 正しいはずだ。だって、その人の選択を本当のことにするだけで、その人の選択自体に干渉しているわけではないから。

 

 女神様だって、本当はそうしたいはず!

 

「……アナちゃん。あなたやっぱり」

 

 紅い瞳。

 狂乱の彼方より、現実が生み出される。

 

「あら……私は何を申しあげたのでしょう」

 

 マダムは、紫色のドレスの下から、結婚指輪を取り出した。

 

「今日は疲れていたようです。私は指輪を売ろうとはしましたが……売ってはおりませんでした。よかった。本当によかった……。お話を聞いてくださってありがとうございます」

 

 マダムはお礼を言って去っていった。

 

 

 

 

 

「もうやめましょうか?」

 

「え、どうして? ようやくわかりかけてきたのにやめちゃうの?」

 

「いい加減にしないと、私だって怒る場合もあるのよ」

 

 どうして、ミリアルデ先生が怒るのかわからない。

 だって、これは――人間たちの選択なのだから。

 わたしは何も干渉していない。

 

「わたしは何もしてないよ」

 

「本当にそう思ってる?」

 

「……うん。そのつもりだけど」

 

「ふぅ……」クソデカ溜息。「ちょっとだけゼーリエの苦労がわかった気がしたわ」

 

「わたしって悪い子だった?」

 

「むしろいい子すぎるのが問題なのよ」

 

 そんな折、わたしは見つけてしまった。

 あの全世界に女神様の魔法、癒しの極致――ルミナテールを放ったときに、全盲が治ることを拒否したシスターさんだった。

 

 ととと、と近づき。

 ニコリと笑いかける。

 

「こんにちわ。シスターさん」

 

「この魔力……アナリザンド様ですね。このようなところまでどうかされましたか?」

 

 このシスターさんは魔導探知によって世界を捉えている。

 だから、視界の回復がなくてもいいということだったんだけど、その理由が今ならわかるかもしれない。わたしは女神様の愛を証明したかったのだ。それがわたしを通じて発現するものであってもかまわない。だって、それは現実に起こった奇跡なのだから。

 

「ねえ――、シスターさん。そのおめめ、本当に治りたくないの?」

 

「そうですね。特に不自由は感じておりませんが」

 

「わたしならできるよ。その目を視えるようにもできるし、視えた過去を消すこともできる」

 

 シスターは、静かに首を振った。

 

「その必要はありません」

 

「どうして? だって、視えたほうがいいじゃん。世界はこんなに色があって、形があって――綺麗だよ。だって女神様が創った世界なんだし。女神様だってあなたに目が視えてほしいって思ってるんじゃないかな」

 

「存じておりますよ。すべて、女神様の御心も」

 

 ぴたり、と遮られる。

 

「私は、視ておりますから」

 

 その言葉に、胸の奥がちくりとした。

 

「魔導探知でしょ? それって視るとは違うよ。代替品だよ」

 

「違いませんよ」

 

 断言だった。声色は優しかったが、絶対的に拒む壁を感じる。

 

「私にとって、この在り方は――女神様に愛された結果です」

 

 うぐぐ、と喉が鳴る。

 

「それ、都合のいい解釈じゃないかな? 不便さを意味にすり替えてるだけじゃん」

 

「やめなさい。アナリザンド!」ミリアルデ先生が声をあげる。

 

 でも、わたしは止まらない。

 

 だって、だって――。こんなにも人は愛されているのに。

 わたしよりもずっと女神様に。

 それなのに受け取ろうとすらしない。

 それが嫌で。悔しくて。苦しかった。

 

「だってさ――。その気になれば家族だって取り戻せるかもしれないよ。何かを失った哀しい過去だって、無かったことにできるかもしれない。なりたい自分にいくらでもなれるの。それこそが天国でしょ? 人間の思い描く最高のハッピーエンドじゃないの?」

 

 奇跡の羅列。

 選択肢の洪水。

 

 それでも、シスターは微笑んだ。

 

「それでも拒みます」

 

「……なんで?」

 

「この目が視えないことは、女神様が私を選ばれた証だからです」

 

 胸の奥で何かが軋んだ。

 

 理解できない。

 理解したくない。

 

「でもさ」それでも言ってしまう。「視えたほうが、絶対いいじゃん」

 

――次の瞬間。

 

 ボコン。

 

 鈍くて、遠慮のない音。

 

 視界がぐらりと揺れて、わたしは気絶した。

 

 意識を失う直前、わたしはルティーネちゃんが聖典を両手で持ってる姿を見た。

 あの聖典、くっそ鈍器なんだよね……。

 

「図書館ではお静かにと言ったはずです」

 

 ごもっとも。

 

 

 

 

 

 目を覚ましたとき、わたしはミリアルデ先生の私室の床に座らされていた。

 後頭部がじんじんする。やっぱりあの聖典、絶対に鈍器だ。

 

 ルティーネちゃんの戦闘能力を見誤っていた。

 あれ絶対、一級魔法使いと同程度はあるよ。

 

 視線をあげると、

 

「……起きた?」

 

 ミリアルデ先生は、怒っているようには見えなかった。

 でも、優しくもなかった。

 

「うん」わたしは身を小さくする。

 

「じゃあ、少し話しましょうか」

 

 逃げ道はない。

 それがわかる声音だった。

 

「あなたはね、干渉していないと思っていたのでしょう」

 

「……うん」

 

「事実として、あなたは直接は触れていない。選択も奪っていない。そこまでは正しいわ」

 

 わたしは、少しだけ安心してしまった。

 

「でもね」その一言で、胸が締まる。「あなたは、決断させるという暴力をふるっていた」

 

「決断……させる?」

 

「あなたが差し出したのは奇跡よ。しかも、代価のない奇跡。人間にとって、それは選択肢じゃない。ただの暴力なの」

 

 言葉は静かだった。

 でも、一つも逃してくれない。

 

「視えるようになる。失ったものが戻る。失った過去がなかったことになる。――それを拒むには、相応の覚悟が要る。あなたは、その覚悟を要求した」

 

 喉が鳴った。

 

「それって悪いことなのかな?」

 

「善意でやる分、一番たちが悪いわ」

 

「わたし、悪い子だった?」

 

 それには答えず、ミリアルデ先生は続ける。

 

「あなたは女神様の代行をしたつもりだった。でも実際にやったのは、意味の押しつけよ」

 

 わたしは、何も言えなくなった。

 

「あなたが耐えられなかったのは、人間が不幸であることじゃない」

 

 ミリアルデ先生は、少しだけ視線を落とした。

 

「あなた自身が、愛されていることの証明を、他人にさせようとしたの。わかる? あなたは女神様の御心を試したのよ」

 

 胸の奥が、ひび割れる。

 

「……ごめんなさい」

 

 声が、勝手に小さくなった。

 

「ごめんなさい……」

 

 涙が出た。

 止めようとしなくても、勝手に落ちた。

 

「おいで」

 

「先生は赦してくれるの?」

 

「泣いてる子をあやすには、この方法が一番なのよ」

 

 そうして、わたしはミリアルデ先生に抱きしめられた。

 

 反省してます。本当に。

 

 

 

 

 

 でも、それで話は終わりじゃなかった。

 わたしの失敗談は、なぜだかわからないがエルフネットワークを伝わり、ゼーリエ先生のお耳にもしっかり届いていたのである。

 

――アイアンクロー。

 

 死ぬ! 死んじゃう! アナちゃんの頭がトマトみたいにつぶれ……。

 

「調子に乗るなよ、アナリザンド」

 

「はい! はい!」

 

「はいは一回!」

 

「はい!」

 

「奇跡を振り回すな。世界は玩具じゃない」

 

「存じております!」

 

 ものすごい直角の礼。あの公務員さんがやってたことだ。

 

「二度目はないと思え……」

 

「借金はやっぱり増えたりする?」

 

「今回は、ミリアルデの失態でもある。おまえを御せなかったのは……やつの監督不足ということでもあるらしい。まあ、悪くはない気分だ」

 

 パサリと投げ捨てられたのは、ミリアルデ先生の謝罪文だった。

 

『あまり叱らないであげてね』と書かれてあるのが視えた。

 

 わたしはやっぱり泣き虫になってしまう。

 

 天国はあるんだよ。やっぱり。

 

 でも、信じなくても救われる。

 

 魔族ですら救われるのだから。

 

 

 

 




今日はちょっとクソガキザンドでした。
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