魔族少女のエロタナティブ   作:アナリザンド

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主よ、クソゲーが愛される喜びよ

 

 

 

「小鬼ちゃぁん。私に何か恨みでもあるのかしら」

 

 ミリアルデ先生の目がとろんとしている。

 わたしを後ろからハグしながら、そんなことを言っている。

 いつものようにお酒を呑んで熱くなったのか、着ているのは肌が透けるくらいのシュミーズ。

 伸びきった足先は傷一つなく、わたしも裸足のままベッドに固定されている。

 ちょっと膨らんだ枕。そこに上半身を預けるようにして、わたしは抱きこまれている。

 目の前には大きめに拡大された小窓。

 手には、魔力で固められたコントローラ。

 そして、ふぅっと熱を帯びた息がかけられた。

 

――お酒くさい。

 

 酒カスブレス。相手は怯む。

 

「先生には感謝しているんだよ。わたしに魔法を見せてくれたし、あのときはちゃんと叱ってくれたし、ゼーリエ先生には頭をつぶされないですんだんだから。だから恨みなんてあるはず無いよ」

 

「ふぅん。でも、ちょっと悪酔いしそうよ。このゲーム」

 

 ミリアルデ先生が、その細い指先で指し示したのは、わたしが推薦したゲームのことだ。

 

 そのゲームは、一言で言えば、クソゲーと呼べるものだった。

 ものすごく真面目に創っているのはわかる。ジャンルはいわゆるRPGと呼ばれるもので、その戦闘がクソほど細かい戦術を必要とする。

 

 ストーリーは、女神の使徒である主人公が、巨大な魔族に支配された世の中に革命を起こす。つまりぶった倒すという王道的なもので、その点はわりと誉れ高い。

 

 ただ、RPGというものは、常にしてバトルこそがおもしろさの核になるもの。そこがおざなりになっては、創作物として瓦解するといってもいい。

 

 その作品は、そこが――まあ、なんというかなんというかだった。

 

 なにやら攻撃属性と防御属性が細かく設定されており、しかも、攻撃魔法には正しい順番が存在するらしい。その組み合わせは敵の防御魔法とあいまって、およそ一万通りに達する。しかも、この組み合わせはノーヒント。プレイヤーは勘かあるいは地道な作業で、解き明かしていくほかない。ぶっちゃけ地獄のロードといえるものだ。

 

 ただし、そんなクソゲーにも唯一の攻略法がある。

 

「先生に教えてあげようか。このゲームをクリアする方法」

 

「なぁに。もうなんか面倒くさくなってきたから知りたいわ」

 

「レベルを上げて物理で殴ればいいんだよ」

 

 わたしの言葉に、一瞬、ミリアルデ先生はきょとんとする。

 すごくかわいい。なんでも見透かす瞳が、赤ちゃんみたいに揺れた。

 さすがに、その発想はなかったらしい。

 そして、ゲラゲラと笑いだした。

 

「あっはは。なにそれくだらない!」

 

 先生は笑い上戸なのかもしれない。

 

「くだらなくておもしろいでしょ」

 

「うんそうね。このお酒と同じ理屈ね」

 

 ミリアルデ先生が片手で振ってみせるのは、わたしが手に入れた皇帝酒の入った瓶。

 それをそのまま喉へ流しこむ。プハァとエルフブレスがまた肩のあたりにかかる。

 ギュっと後ろから抱きしめられる。

 今のわたしは抱き枕になる魔法を使ってないけれど、役割的には同じようなものだった。

 

「私は人間たちに()()()()()()()にがっかりしていたのよ」

 

「うん知ってるよ」

 

「人間はどんな物語も平等に残酷に消費するわ」

 

「そうだね。でもそれは人間だけの特権だから」

 

「ドワーフだから違うのかしら?」

 

「街のみんなもいっしょに笑ってくれたよ」

 

「でも発端はドワーフでしょ」

 

 このお酒が発見されたのは、ひとりのドワーフの手によるものだった。

 彼は200年というドワーフにしても長い年月をかけてようやく皇帝酒に辿りついた。

 でも、結果はクソまず酒。一口呑めばそのひどさは誰にでもわかる。

 クソゲーと同じだ。

 

 ミリアルデ先生は、崇高なものとして消費されるのではなく、ただいっしょになって笑い飛ばされたかったのだ。

 

 だから、皇帝酒はたぶんミリアルデ先生そのものだった。

 

 そのドワーフ――、ファスお爺ちゃんがやったことは街のみんなにもクソまず酒をふるまうことだったのである。そうしてようやく、ミリアルデ先生はただ消費される者ではなくなった。共犯者があらわれたのだ。

 

――こんなくだらない人生を辿った、儂を笑い飛ばしてくれ、と。

 

 先生がクソまず酒を愛おしく飲み干すのはそんな理由からである。

 

 

 

 

 

 わたしには彼女が見えない。

 

 だから届かない。名前を知らない。

 本当は知っているけど名乗りあってない。そういう意味での知らないである。

 誰の事かと言えば、クソゲーを創った作者さんのことである。

 

 もちろん、ネットは他者の視線を網の目のように張り巡らせるから、彼女のことも多少はわかる。

 彼女はシスターをしていて、帝都の小さな教会で、女神様に祈りをささげている。

 誰になんと呼ばれているかも、わかっている。

 何をしているかも、なんとなくわかる。

 

 でも、彼女はわたしのことを一度も呼んだことはなかった。

 もしかすると、図書館でわたしがシスターさんの中間項を破壊しようとしたことを怖がられているのかもしれなかったし、要するに彼女の人生にわたしは不要だったからだ。

 

 本当に?

 

 いや、どうしても不可解なことが一点だけあるとすれば、それはネットを使って、クソゲーを公開していることだろう。女神教徒にとって、わたしの魔法は公式的には禁忌とされる。信心深い人ならなおさらネットを使っていない。

 

 ローカルで創って、自分や身内だけで遊ぶならまだわかる。

 けれど、シスターさんはそのゲームを不特定多数がいるネットの海に放流した。

 

【最後の聖痕】エントギュルティゲス・ハイリヒマール。

 

 舌を噛みそうな名前だけど、本当の名前を呼ぶ者はほとんどいない。

 

――ゲスマル。

 

 そのゲームはまごうことなきクソゲーだった。

 

 盲目のシスターは今も女神様に祈りをささげている。

 

「主よ。めしいた私たちをお赦しください」

 

 それでも、アップロードは止めなかった。

 

「私が見えていないものも」

 

 祈りの言葉も。

 

 

 

 

 

 夜の教会は、ひどく静かだった。影の中に聖域が沈んでいる。

 祈りの言葉が途切れた瞬間、石造りの空間は空洞のようになる。

 シスターさんは、聖印を握り締め、魔法を発動した。

 

 ローカルで創り出した祈りのカタチ。

 

 つまりは、ゲームデータを、わたしの領域にアップロードする。

 どうやらゲスマルをアップデートするつもりらしい。

 

 ゲーム内容は変わらず。

 物語は絶望的で昏い世界観。

 そして、あいかわらずクソゲーだ。

 ただし、ちょっとだけ戦闘の難易度を上げたみたい。

 レベルを上げても、なお攻略がしにくくなっている。

 

――どうしてだろう。

 

 そんなふうに思っていると。

 

「……見ていらっしゃるのでしょう?」

 

 唐突にそう言われて、わたしはドキリとした。

 でも、その言葉だけだと、女神様に向けてのものかもしれない。

 だけど違った。

 

「あなたのことです。アナリザンドさん」

 

 ここまで言われてしまうと、やむをえない。

 わたしはシスターさんの前に姿を現した。

 罰が悪い。覗き見を咎められた子供のような気分だ。

 

「ごめんね。ちょっとだけ。でもわたしを呼んだのはシスターさんだよね?」

 

 祭壇の前に座る盲目のシスターさんは、振り向かない。

 閉じられた瞼が静かに下を向いている。

 

「呼んではおりません」

 

「でも、わたしは呼ばれた気がしたよ」

 

 少なくともわたしというユーザーインターフェイスを使おうとした。

 それはわたしを呼ぶこととほとんど同義だ。

 

「それはあなたが、常に応答可能性を抱えているからでしょう」

 

 冷たい声だった。

 怒ってはいない。ただ事実を述べている。

 

「じゃあ、どうして公開したの?」

 

「何をですか」

 

「ゲームだよ。あの、エント……なんとか」

 

「エントギュルティゲス・ハイリヒマールです」

 

 正確な発音で言い直す。

 舌を噛みそうな長い名前。

 通称、ゲスマル。

 でも、さすがに面と向かってゲスマル呼びはよろしくない気がしたので、ゲーム。

 

「そう、そのゲーム。えんと、ぎゅ、うぎゅ」

 

 舌を噛んでしまった。

 

「エントでいい?」涙目になりながらわたし。

 

「ゲスマルでもかまいませんよ」

 

「貶められてるって思わないの」

 

「思いません。女神様はすべてを見ていらっしゃいますから。人の愚かさも。私の未熟さも」

 

「女神様が、レベルを上げて物理で殴る姿を喜んでいるとは思えないけど」

 

 わたしは少しだけ意地悪く言ってみた。アップデートされた難易度。それは、力任せに自分の聖域を踏み荒らす者たちへの、シスターさんなりの抵抗に見えたから。

 

「レベルを上げて物理で殴る……。ええ、その攻略法は聞き及んでおります」

 

 シスターさんは、相変わらず表情を変えない。

 

「ですが、それは救いなのです。一万通りの真理を解き明かす知恵のない者にも、等しく与えられた、力という名の救済。私は、それを否定いたしません」

 

――嘘だ。

 

 わたしにはわかる。彼女の指先がわずかに震えている。彼女は、自分の構築した精緻な世界が、野蛮な暴力で上書きされることに、絶望的なまでの悦楽と、引き裂かれるような屈辱を同時に感じている。

 

「ねえ。シスターさん。お名前を教えてほしいな」

 

「私は、影なる使徒です」

 

「それはクリエイターネームであって、一般的な名前じゃないよね」

 

「申し訳ございませんが、私はそれ以上でもそれ以下でもない存在であると信じております。主の目として、耳として、あるいは(かいな)として、女神様の御心を実践する立場です」

 

「でも、それって寂しくない? 人の子はふたりきりの時でも名前を呼び合うよ」

 

「あなたは、自分を人の子だと規定するのですね」

 

 わたしの問いに、シスターさんは、ほんの少しだけ口角を上げた。

 

「うん。でも、それは寂しい人がいたら応えたいって思うからだよ」

 

「それは視覚を持つ者の傲慢に聞こえますね。あなたは見えすぎるがゆえに盲目的に行動しているに過ぎません」

 

 彼女の細い指が、見えないはずの空中で、まるで見えない鍵盤を叩くように動いた。

 それは『ゲスマル』のアップデートを確定させる儀式。

 

「私にとって、世界は最初から完成されておりません。暗闇の中に、女神様がくださる法という手触りだけが真実なのです。名前などという記号は、他者に消費されるための取っ手に過ぎません」

 

「取っ手……」

 

「ええ。名前を呼ぶということは、その存在を理解したと錯覚し、自分の所有物として定義すること。ミリアルデ様が、その美しさゆえに女神様という記号の中に幽閉されたように」

 

 彼女は一度、深く呼吸をした。

 その呼吸さえもが、何かの計算に基づいた祈りの一部であるかのように。

 

「私がクソゲーと呼ばれるものを公開し続けるのは、人々に消費されないためです。一万通りの理不尽に耐え、あるいは野蛮な暴力でそれを蹂躙し、そうして疲れ果てた者たちが、ふと漏らす、意味がわからないという溜息。それこそが理解という消費から逃れた純粋な神への祈りなのです」

 

 倒錯している。

 

「ねえ、シスターさん。じゃあ、もし。このゲームを……ゲスマルを、一万通りの正解をすべて解き明かしてクリアする人が現れたら?」

 

「現れませんよ」

 

 無慈悲なる一言。

 

「それは、女神様の御心をすべて理解したと豪語するような不遜。もしそんな方がいらしたら、私はその時初めて、自分の名前を、いえ、私の聖痕をその者に差し出すことになるでしょうね」

 

「わたしならできるけど」

 

「あなたならできるでしょう。ですが、それは祈りにはなりません」

 

「じゃあ、膨大な時間を消費して、それでもレベルをあげて殴る人がもし現れたら?」

 

「そこまで至れば――それもひとつの祈りの形でしょうね」

 

 ほんのわずかに、シスターさんの声が柔らいだ。

 

 彼女は静かに立ち上がると、一度もこちらを見ることなく、闇の奥へと消えていった。

 

 後に残されたのは、アップデートが完了したばかりの、さらに理不尽さを増したゲスマルのデータ。ネットの海では、阿鼻叫喚の声が即座にあがる。

 

 アナちゃんなんとかしてみたいな声も、わたしに届いた。

 

 けれど彼女は私を呼ばない。

 だがアップロードという儀式だけは、決してやめない。

 

 それは祈りか呪いか。それとも依存か。はたまた倒錯か。

 

 フェルンちゃんがデート前に勝負服を悩んでいた時のように――。

 女神様にとっては、たぶん、どれでも同じだった。

 

 

 

 

 

 結局、仲良くなれなかった。

 

 ちょっぴり残念な気持ちが強い。

 でも、ミリアルデ先生に言われたとおり、他者の祈りは穢してはならない。

 あのシスターさんが、理解されないことを望んでいるのであれば、その信仰を尊重しなければならない。それが女神様の良い子であろうとする、わたしの祈りだ。

 

 いくら呪いのように見えようとも。

 実際に、呪い殺されるプレイヤーさんたちがたくさんいようとも。

 

 わたしによる直接的な言葉は望まれていなかった。

 ゲスマルだけが、わたしとシスターさんを繋ぐ線になる。

 

 今のわたしはあのときの失敗を乗り越え、アップデートされている。

 以前よりは、少しだけ賢いザンドだ。

 

 だから、わたしは皇帝酒を見つけたドワーフ、ファスお爺ちゃんのもとへと跳んだ。

 

――家のドアをコンコンとノック。

 

 彼の家はそれなりの大きさで、街ではそれなりの立場みたい。

 

 大金持ちというわけではないが貧しいわけでもない。感覚的に言えば『ファスの旦那』と呼ばれているような、街の名物親父みたいな感じ。

 

 ドワーフらしく手先が器用で、いろんな小物を創ったりしている。

 皇帝酒が隠されている坑道を掘り切ったのも、ドワーフの性質というか本能によるものだろう。

 ファスお爺ちゃん自身は街育ちで、一から学んだと言ってたけど。

 

「だれだと思ったが、アナリザンドか。フリーレン達が出発してから一週間は経ったが、おまえだけ出戻りか。まあ中に入れ。外は寒いだろ」

 

 ファスお爺ちゃんはそう言いながら、ドアを開けてくれた。

 

 皇帝酒が封印されている場所が見つかったとき、わたしは何も言わなかった。

 フリーレンもたぶん知っていたけど何も。

 

 ドワーフの寿命は人間よりは長いといっても、およそ300才から400才くらいと言われている。200年探し続けたということは、人間に換算すれば、人生の半分近くを費やした計算になる。

 

 他者の祈りを先取りして与えてはいけないのである。

 それは彼自身のものだからだ。

 

「酒――呑むか? 身体があったまるぞ」

 

 ファスお爺ちゃんは戸棚から、酒瓶をとりだしてきた。

 怒りの葡萄酒ってわけじゃなくて、透明に近い液体が注がれる。

 皇帝酒ではないが、アルコール度数高めの蒸留酒のようだ。

 

「それ、自分にも向けられた言い訳だよね。お酒の呑みすぎは身体に毒だよ」

 

「ちげえねぇ。だがな、アナリザンド、儂の身体は酒でできているんだ。補給よ補給」

 

 魔族にとっての魔力補給みたいなものかな。

 こくんと、ショットグラスでお酒を呑むわたし。

 

「むひゅー」

 

 喉が焼けちゃう。

 

「嬢ちゃんにはまだ早かったみたいだな」

 

「そんなことないよ。わたし、合法ですし」

 

 ちゃんとお酒が呑める年齢。

 

「ところでなんの用だ」

 

 ファスお爺ちゃんは呑みなれた動作で、くいっと酒をあおりながら聞いた。

 

「お爺ちゃんにおすそ分けしにきたんだよ」

 

「おすそ分け? 酒か? いやまさか」

 

「うん。そのまさか。――皇帝酒。持ってきたの」

 

「街のみんなで飲み干したとばかり思っていたが、まだ残っていたんだな。どこでこれを手に入れた? いや、どうでもいい話か」

 

 もちろん、酒カスエルフから何本かもらってきたのだけど。

 それこそどうでもいい話だろう。

 

「呑む?」

 

「ああ……。こんなクソ酒はすぐ消費するに限る。おまえもいっしょに呑め」

 

 そう言いながらも、ファスお爺ちゃんはすぐには栓を抜かなかった。

 瓶をじっと見つめる。分厚い指先が、かすかに震えている。

 

「……200年だ」

 

 ぽつりと落ちた声は、さっきまでの豪放さとは違っていた。

 

「200年、一人で探した。一人で掘って、一人で崩して、外れて、また掘って……」

 

 笑う。でも、その笑いはどこか乾いている。

 

「途中で何度も思ったよ。もう無いんじゃないかと。誰かが先に持ち去ったんじゃないかと。あるいは最初から、そんなもんは存在せんかったんじゃないかと。ただの伝承にすぎなかったからな。誰も本当のことは知らない」

 

 瓶を持ち上げる。光に透かす。

 でも陶器でできている瓶の中身は見えない。

 

「それでもな。掘るのをやめられなかった。ドワーフってのは、そういう生き物だ」

 

 わたしは何も言わない。

 

 言わないとあなたが決めたから。

 言わないのが、わたしの祈りだから。

 

「石碑が見つかった時にな――」

 

 ファスお爺ちゃんが栓を抜いた。かすかな芳香が部屋じゅうに広がる。

 もはや嗅ぎなれたクソまず酒の香り。

 

「嬉しかった。そりゃあ嬉しかったさ。だがな」

 

 グラスに、時間に耐えた液体が注がれる。

 

「終わりかけてる、と思った」

 

 静かな音。

 

「儂の二百年が、もうすぐ終わると思った」

 

 差し出されたグラスを、わたしは受け取る。

 

「だからなアナリザンド。これは儂が見つけた酒だ。たとえ所有者が誰であろうとな」

 

「……うん。お爺ちゃんにお酌してもいい?」

 

「勝手にしろ。こぼすなよ」

 

 わたしはお爺ちゃんのグラスにお酒を注いで、それからふたりで小さく乾杯した。

 あのときも呑んだ。そのときも呑んだ。やっぱりいつでもどこでもクソまずい。

 

 お酒がまわる。くるくるまわる。

 あっぱらぱー。

 

「おまえさん。酒に弱いんだろ。水をのめ。水を」

 

「ねえ。ファスおじいちゃん……あのね……あのね」

 

「なんだ?」

 

「実はもうひとつだけ、お爺ちゃんにプレゼント持ってきたの」

 

「酒か?」

 

「ううん。酒のつまみにでもと思って。このクソまず酒にあうゲームだよ」

 

「クソまず酒にあうゲーム。クソゲーってことか?」

 

「それはプレイする人次第だけどね」

 

「儂はゲームなんぞせんぞ」

 

「掘るのと似てるよ」

 

「どう似ている?」

 

「意味があるかどうかわからないものを、延々と続ける感じ」

 

「なるほどな」ファスお爺ちゃんは鼻息をフンと鳴らした。「どうせ余生だ。時間なんぞいくらでもある」

 

 ファスお爺ちゃんはコントローラを握った。

 

「説明書はあるのか」

 

「ないよ」

 

「イカれてやがる」小さく笑う。「掘るのと同じだな」

 

 突然放り出された世界の中心で、キャラクターが静かにプレイヤーを待っていた。

 

 最初の一歩を、無言で選ぶ。

 ドワーフの指が、ゆっくりと動いた。

 

 

 

 

 

 ファスお爺ちゃんがコントローラーを握ってから、既に10時間以上が過ぎた。

 部屋には、空になったショットグラスと、相変わらず鼻を突く皇帝酒の異臭。

 そして絶え間ない怒声が満ちていた。

 

「なんじゃこりゃあ! 属性が合ってるのにダメージが通らんぞ! バグか! バグなのか!」

 

「仕様です……」

 

 それと属性自体はあってるけれど順番が違う。

 まずは、水属性で緩くして、それから……。

 

「最初のボスモンスターすら倒せんじゃないか。レベルも、ちーっともあがらんぞ。もう最初の街の周辺で、何匹雑魚モンスターを倒したのか数えきれん」

 

「それも仕様だよ……。一応、最初のほうの攻略は他の人もしてるよ。見る?」

 

「そんなもんいらんわ。儂は自分の力だけでやる!」

 

 いきりたつお爺ちゃん。

 

 ドワーフの太い指が、もどかしそうに魔力のボタンを叩く。

 

 画面の中では、彼が手塩にかけて育てた(とはいえ、10時間かけてもレベルは5くらいしかあがっていない)キャラクターが、理不尽なまでの選択肢の暴力によって、またしても塵に帰していた。

 

「……っ、このクソったれめ。次は、次は絶対に……!」

 

 お爺ちゃんは悪態をつきながら、再びわたしが差し出し補給した皇帝酒を呷る。

 不味さに顔をしかめ、喉を焼き、それからまた虚空へと挑みかかる。

 

――カツーン。カツーン。

 

 何度弾き飛ばされても、あきらめない。

 

 それは、二百年もの間、暗い坑道でいつ終わるとも知れない石壁を叩き続けてきた彼にとって、あまりにも馴染み深いリズムだった。

 

「お爺ちゃん、もうやめる?」

 

 わたしが尋ねると、ファスお爺ちゃんは真っ赤な顔でこちらを睨んだ。

 

「馬鹿を言え! こんな、作った奴の性格の悪さが透けて見えるような代物、攻略してやらんと気が済まんわ! 不味い。酒も、このゲームも死ぬほど不味い。だが、不味いからこそ、飲みこむのに力が要る。それがいいんだ」

 

「ドワーフの人生哲学みたい」

 

「人生なんて高尚なもんじゃない。儂が諦めの悪い男ってだけのことだ」

 

「何百時間かけてレベルをあげても、攻略した後には、コングラチュレーションの一文字くらいかもしれないよ? あるいはループして最初に戻るとかいう虚無の可能性もあるかも」

 

 あのシスターさんだったらそれくらいはしそうだ。

 

「そんなことは今考えることじゃねえ。攻略してる最中が、一番楽しいんだ」

 

「クソゲーなのに?」

 

「そうだな……」ファスお爺ちゃんは、ふっと息を吐いた。「誰がどう見てもクソゲーだ。こんなメチャクチャな、くだらない遊びがあるなんて、生まれてこの方初めて知ったよ」

 

 そして酒の混じった吐息を吐く。

 

「だが――()()()()な。この不味さは、儂の200年といい勝負だ」

 

 

 

 

 

 あいかわらず、わたしには彼女が視えなかった。

 会話もなく、相対もなく、ただ祈りをささげている。

 祈りと言う名のアップデート。

 

 けれど、人々の声をシスターさんは聞いていないわけではない。

 

 自分のなかの祈りを純化させようとしているけれども、そもそも本当にそうしたければ、最初から誰にも見せないほうがいいに決まっているのだ。

 

『あいかわらずクソゲー』

『この作者、何も成長していない……』

『レベルもあがらないクソ仕様だと誰にもクリアできないよ』

『このゲームを創ったやつはサディストに違いない』

『どんな頭してたらこんなゲームが創れるんだ』

『これは女神様を冒涜している』

 

 そんな声が届いているはず。

 彼女は目を塞いでいるわけではない。

 じっと耐え忍んでいる。

 

 そんな折。

 

 ぽつり、と――。

 

『悪くねえ味だぜ。あんたの創ったクソゲー。街のみんなも道連れにしてやった』

 

 そんな一言が届いた。どこの誰かもわからない。

 

「味、ですか……」

 

 設計は完璧だった。

 神の似姿をかたどり、人の祈りに沈黙を返す。

 努力は報われず、救済は訪れず、ただ構造だけが在り続ける。

 

――それこそが正しい信仰の姿のはずだった。

 

 救われる者は誰もいない。

 祈りは届かない。

 意味は与えられない。

 

――そのはずだったのに。

 

「味……」

 

 彼女は、ほんのわずかに首を傾げる。

 

 味とは、評価ではない。

 成功でも失敗でもない。

 救済でも断罪でもない。

 ただ舌の上に残る、残滓。

 

 呪いのような言葉の洪水のなかで、その一言だけが異質だった。

 

――悪くねえ味だぜ。

 

 悪いと言いながら、不味いと言いながら、それでも飲みこんだと書かれてある。

 百年経っても千年経っても風化しない魔族の魔法に、その言葉が刻まれている。

 

「設計に含まれていない」

 

 彼女の指が、わずかに震える。

 

 これは想定外だ。

 

 正統な攻略でもない。膨大な時間の末の達成でもない。

 ただ、理不尽を味わい、怒り、罵倒し、()()()()()()()()()という報告。

 

 祈りではなかった。だが祈りに似ている。

 

「街のみんなも……道連れ……」

 

 誰か一人の孤独な信仰ではない。

 共有された不味さ。

 共同体的クソゲー体験。

 

 彼女は、ほんのわずかに目を伏せた。

 

「人は、神の沈黙を共有できるのですね。主よ、私が未熟者でした」

 

 画面の奥で、アップデートが一瞬だけ停止する。

 

 神の似姿は、揺らいだ。

 

 救済を与えない設計。祈りを返さない構造。

 

 だが――

 

 その理不尽を味と呼ぶ者が現れたとき、それはもはや一方的な沈黙ではない。

 そこには、応答なき応答が生まれている。

 

「それとも、アナリザンドさん。あなたが何かしたのですか?」

 

 応答はなかった。

 

 シスターは、指を伸ばし、わずかにゲームを変質させる。

 

 ほんのわずかな揺らぎ。揺れ。それは本質的にはシスターがシスターであることを、少しも傷つけるものではなかったけれど、彼女もまた沈黙の中に自分をすべりこませようとしたのである。

 

 

 

 

 

「ねえ。アナちゃん」

 

「ん。なあに。ミリアルデ先生」

 

 今日も今日とてミリアルデ先生のところに遊びにきている。

 いっぱいお酒をもらっちゃったから、そのお礼もかねてのご訪問である。

 アナちゃんでいっぱい癒されていいからね。

 

「あのゲームだけど、ほんの少し――、ほんの1ミリくらい甘くなってない?」

 

 へえ。先生も続けてたんだ。

 永遠に近い寿命を持つエルフならではの感性ってやつかな。

 でも、違いがわかるのはさすがミリアルデ先生ならではといったところ。

 酒マスターな先生は、微細な差延を感じ取れる能力を持つ。

 

「そうかな?」と、わたしは含み笑いを押し隠して答えた。

 

 あいかわらず、ゲスマルはゲスマルで、人間史に残るクソゲーなのは間違いない。

 攻略はやっぱりレベルを上げて物理で殴るほかなく、正解への道は硬く閉ざされている。

 

 けれど、レベルが少しだけ上がりやすくなっていた。

 

「なにかしてないわよね。アナちゃん。怒らないから言ってみなさい」

 

 腰に手を当てて、ミリアルデ先生が回答を迫る。

 けれど、こういう時の対処法を、わたしは既に学んでいた。

 

 ゆっくりと口元に指先を持っていき。

 

「答えはゼンゼ式だよ。先生」

 

 わたしは沈黙に味をしめている。

 

 

 

 

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