魔族少女のエロタナティブ   作:アナリザンド

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レンタル魔族404(Not Found)

 

 

 

『レンタル・アナちゃん始めました♪』――運営ログ:000。

 

 

 

「こんマゾー! アナリザンドだよ。今日はみんなに、とっても素敵な……というか、わたしが借金を返すための新サービスのお知らせを持ってきたよ。同情するなら金をくれ~」

 

 今日も今日とて、アナリザンドは自身の商品価値を高めるためのプレゼンをおこなっていた。

 配信での一幕である。配信場所はひとりで住んでる森の小屋で、メトーデが去ってからは誰も訪れていない。

 

『ざわ……ざわ』

『いったい何が始まるっていうんです』

『第三次アナ様大戦だ』

『ネット。AP。今度は何が起こるっていうんです』

『アナちゃんプレミアムサービスは高額すぎて使えんからなぁ』

『劣化版のアナプレとか?』

 

 期待が最高潮に達したところで、アナリザンドが花火のように弾ける。

 

「その名も――レンタルアナちゃんサービス!」

 

 アナリザンドは右頬あたりまで両手を持っていき、パンパンと手をうちならした。

 すると、画面の両端から、どんどんとアナリザンドがバグのように湧いてきた。

 

 ひとりひとり微妙に異なる。

 

 アナリザンドと違い、髪型、服装、そして特徴的なのは羽。さまざまな色をした翼をもっている。なかには妖精みたいな虫の羽。ちょうちょのような羽。そして天使のような翼。

 

 中には、ゾルトラークの白い光をリング状にして光輪を掲げている者もいる。

 

 それぞれのアナリザンドは、犯罪者が刑務所に入るときのように大きめの木札を掲げていた。

 

『No.001 / ツインテ / 白ドレス  / 水色翼 / まじめだ』

『No.047 / ツルツル / タキシード / 赤タイ / いちにん』

『No.072 / ショート / 黒ワンピ  / 尻尾  / えっちだ』

『No.222 / ポニテ  / 縞ローブ  / 猫耳  / ねこにゃ』

『No.666 / ロング  / 赤ドレス  / 赤翼  / けものか』

 

 他、20人ばかりが卒業写真のように部屋に並んだ。

 

 シリアルナンバーと、それぞれの特徴が書かれてある。

 言うまでもないが、ここにいるアナリザンドはサンプルである。

 

「最近、北部高原の流通も少しずつ良くなってきたし、みんな寂しい思いをしてるんじゃないかなって思って。そこで、わたしの分身を一人、あなたの隣にお届けします。お値段はなんとなんと! 一日あたり、たったの10000APです!」

 

 画面の端に、現在の金貨換算レートがスクロールする。庶民にとっては、少し贅沢な外食程度。

 中産階級なら毎日でも払える。絶妙に手頃な価格設定だ。

 

『うわああああ。えっち。えっちいずおーけー?』

『一家にひとり、アナちゃんの時代』

『これってアナちゃん会話サービスと競合しない?』

『いやむしろ、アナちゃん回復サービスとはどうなるの?』

『アナプレ解約して、レンタルアナちゃん始めます!』

 

「みんな気が早いね。でもね、安いのには理由があるんだよ。ご利用にあたっての絶対ルールを説明するね。よく聞いてね?」

 

 アナリザンドは、テロップのようにルール説明を始める。

 てろろーんという何とも言えない癒し音楽とともに、第一ルールが表示される。

 

――第一のルール。労働の禁止。

 

「貸し出されるわたしは、業務とみなされるような活動は一切行いません。あくまでそこにいるだけ。あなたが何かを頑張っているのを隣で見ているだけの存在です。ただ、業務にあたらない程度の軽いお手伝いはするよ。アナちゃんお砂糖取ってと言われたら、そこにあるお砂糖くらいはとってあげるね」

 

『アナ様にお砂糖をとってもらえるだと!?』

『お砂糖をとってと言われた結果、塩だったりしたら……』

『アナちゃん。牛乳1つ買ってきて! 卵があったら6つお願い』

『そこには、燦然と輝く牛乳6瓶の姿が……!』

『アナちゃん。ボクのおパンツを取って!』

『おらよ! 死ぬまで被ってな』

『いい。何もしなくていい。そこにいて。お願いします!』

 

「次のルールは、がっかりさせちゃうかもしれないけど、ごめんね。これも魔族の定めなの」

 

――第二のルール。えっちなおさわりの禁止。

 

「ハグや手繋ぎ、挨拶程度のほっぺキスまではオプション内だけど、それ以上のえっちなことは全面禁止! 規約違反を見つけたら、即座にその個体は爆発して、あなたのブラックリスト入りを確定させちゃうからね。みんな気をつけてね」

 

『えー。なんか急に興味失せたわ』

『でも、それでもほっぺキスしてくれるだけ優勝だわ』

『有償だけにな』

『アナ様。こいつです!』

『えっちなのはいけないと思います!』

 

「そして第三のルールだけど、このルールが一番大事だからよーく聞いてね」

 

――第三のルール。あなたの特別にはなりません。

 

「わたしの分身はログを蓄積するけど、あくまでレンタルされる存在です。次の人に同じシリアルナンバーのアナちゃんが借りられていても、借りている人を優先します。つまり、わたしに本気になっちゃったらダメってことだよ。レンタルアナちゃんとの思い出はお客様の自己責任でお持ち帰りください」

 

『うーん。所詮はレンタルってことかぁ』

『でも記憶とかは蓄積されるんだろ。ワンチャンあるんじゃ?』

『レンタルアナ様を育て上げて、俺好みのアナ様にするということも!?』

『これ絶対本気になるやつでてくるやつや……』

『アナリザンド殿? 息子が急にアップしはじめたんだが?』

『レンタルの関係だからこそ、安心するやつもいるんじゃね?』

 

――まあ、そういうことである。

 

 レンタルという距離は存外便利だ。

 近づきすぎず、遠ざかりすぎず。中間距離を保つ。

 人間は、その曖昧さを愛と呼ぶこともある。

 

 アナゾンが夢に消えた今、その機構を完全に消すのは、もったいなかったのだ。

 

「何もしてくれないのって思ったでしょ。でもね、この子たちは10億の声を束ねるわたしの端末だよ。先生たちの愚痴を聞くし、あなたの自慢話に相槌を打つし、あなたが死ぬほど寂しい夜に、ただ隣で呼吸音を吐き出してくれる。それってさ、場合によっては女神様の魔法よりも救いになると思わない?」

 

『ひとりぼっちは寂しいもんな……』

『魔族の……魔族の甘言なんかに、うわあああ』

『アナちゃんの寝息も聞けるの? すごくね?』

『とりあえず、いつ借りれるようになるのか全裸待機してます』

『アナちゃんにえっちなこと禁止でも、こっちが全裸なのはオーケーだからな』

『ちっさと、フェルンちゃんボイスで言われること必至』

 

 アナリザンドは身を乗り出し、レンズ越しに視聴者一人ひとりの瞳を覗き込むように囁く。

 

「ちなみに、わたし本体が持ってる極大回復魔法は、このレンタル個体からはオミットされてるよ。もしどうしても死にたくなくて、わたしの指先ひとつで治してほしい! ってなったら、それは別料金。金貨の山を積んで、アナちゃん回復サービスを利用してね」

 

『この魔族、残酷につき』

『まあ、坊さんたちが泣き倒してたからな』

『聖都の神父さんたちは、アナ様回復サービスが使えないときは無償で治すべき』

『そんなこと言わずに、アナ様。俺の禿を治してくれよ』

『手遅れですね』

『冷酷アナちゃんのほうが捗るってやつもいるんだ。俺なんだ』

 

「救える命を見捨てるなんて冷たい? ううん、そんなことないよ。わたしは市場を守っているだけ。一人の命を安売りしたら、命全体の価値が下がっちゃうでしょ? これはわたしが人間さんたちと共存するためには必要なルールなんだよ」

 

 アナリザンドは、分身魔法を解除し、それを手のひらに集めた。

 微笑――。どんな感情にも見える無辺の微笑を湛え、アナリザンドは宣言する。

 

「さあ、誰にも言えない秘密がある人。ただ誰かに隣にいてほしい人。そして、この魔族少女を自儘に消費してみたい人。たくさんのご注文、お待ちしてまーす!」

 

――結果。

 

 レンタル依頼は、異例のスタートダッシュになった。

 孤独は目に見えない。他者の孤独は感じ取れない。

 けれど、AP残高にはきちんと表示される。

 データ上、それは明確に可視化されうる。

 ゆえに、アナリザンドは商品となる。

 

 孤独を癒す市場装置として。

 

 

 

 

 

【レンタル・アナリザンド:運用報告ログ】

 

 シリアル:No.222(形態:ねこにゃ)

 

 領都の、静まり返った屋敷の一室。

 耳の遠くなった老婦人は、一日10000APを支払い、No.222を呼び出していた。

 

「おや、今日も来てくれたのかい」

 

「はい。入金を確認しました。にゃー」

 

 222はポニーテールを揺らし、老婦人の膝元に丸くなる。

 彼女が行うのは労働ではない。

 ただ、魔法で喉の奥を震わせ、猫のようなゴロゴロという音を響かせるだけ。

 老婦人の心臓は、もうボロボロだった。

 女神教徒の僧侶たちは寿命であると言った。

 女神様の御許に帰るときが来たのだと。

 無駄に命を長引かせるのは、女神様の御心に反することになるだろうと。

 

 老婦人には娘がいた。しかし、その娘は幼くして亡くなった。

 今はもう夫に先立たれ、遠い親族しか身寄りと呼べる者はいない。

 

 近所には、面倒を見てくれる知人くらいはいる。

 けれど――、知人は知人であり家族ではない。

 

 老婦人は孤独だった。その隙間にアナリザンドはレンタルされた。

 

 分身である222の魔力は最低値であり、一級魔法使いどころか一般人にすら劣る。

 魔法のまの字も使えない。しかし、本体と常に接続されている。

 

 アナリザンドは老婦人の状況が見えないわけではない。

 

 アナリザンドの1000億パワーなら老婦人の病も一瞬で治せるが、アナリザンドは宣言通りそれをおこなうことはない。APが足りないからだ。僧侶の魔法とのバランスを保つために、アナちゃん回復サービスは不治の病を癒すためには、億単位のAPを必要とする。

 

 老婦人にもそれはわかっていた。

 

 アナリザンドが極大回復魔法を世界に向けた時、回復すれば10年くらいは生きられるのではないかと言っていたからだ。けれど、老婦人はそれを望まなかった。

 

 何もしなければ、あとわずかの命。

 

――死にたいわけではないけれど。

 

 それでもよかった。

 

 老婦人は、魔族の柔らかな髪を撫でながら、満足げに目を細める。

 すっと、頬を寄せ、トクトクと鳴る生命のリズムを聞く。

 

「いい音だねえ……安心するよ」

 

「それは良かったです。にゃー」

 

 No.222は、老婦人の消えゆくバイタルを無機質にモニタリングしながら、ただの装置として鳴り続けた。

 

 

 

 

 

【レンタル・アナリザンド:運用報告ログ】

 

 シリアル:No.403(形態:ゴミ箱)

 

 賑やかな酒場の片隅。No.403は、泥酔した若い兵士と向かい合っていた。

 兵士は、北部高原の国境付近で、魔族に村を焼かれた生き残りだ。

 

 英雄とはお世辞にも言い難い実力で、魔族の魔法を膝に受けてしまい、日常生活に支障はないものの、もう二度と戦うことはできない。そんな状況でも、アナリザンドが回復魔法を使えば、たちどころに戦線復帰できるだろう。しかし、それは叶わなかった。

 

 だれも――それほど、彼に期待しなかったからである。

 アナリザンドに高額の金を払って、彼を回復させるよりは、英雄のかすり傷を治した方がまだしも、効率的だったから。

 

「あいつ、俺を振って二級魔法使いと結婚しやがったんだ……。あなたは故郷で傷を治してくださいって。戦い続ける彼を支えたいって。俺の何がダメだったんだよ、なぁ。アナちゃん。教えてくれよ」

 

 そんな状況で、つきあっていた彼女に振られた。

 なきっつらに蜂とはこのことだ。

 

「そうだね。なにがダメだったんだろうね。でもわたしなら、いっしょにお酒なら呑めるよ。呑も? それともお酌してあげようか?」

 

 No.403はお酒をついであげた。

 

「ちくしょうううぅぅぅ。あっ。あっ。溢れる。もったいないだろ」

 

「それは兵士さんが震えてるからだよ」

 

「俺はもう兵士じゃねーよ」

 

「じゃあ、無職さんって呼んだほうがいい?」

 

「なおのことひでえ!」

 

「好きに呼んであげるって言ってるのに」

 

「じゃあ、ゴミクズって呼んでくれ」

 

「いいよ。ゴミクズ」

 

「もっと罵倒してくれ」

 

「いっちょ前に哀しんでんじゃねーよ。明日の喰いぶちでも探してな」

 

「なんてこと言うんだよ」

 

「ゴミクズくんが望んだことでしょ?」

 

 No.403は否定しない。アドバイスもしない。ただ望んだとおりに応答する。

 

 男はもはや笑うしかなかった。

 

 それはただ、男が自分の心の中にあるゴミ――レジデューを吐き出すための、綺麗なゴミ箱としてそこに座っている。 男は、No.403の白い翼を、無遠慮に指でなぞった。

 

 ぷるぷるザンドになる。

 えっちとそうでない境界線を、水平に接触データが横切っている。

 

「あったかいな。お前、本当に魔族なのか? 魔族は冷たい怪物のはずだろ?」

 

「さあ、どうかな」

 

――そして無慈悲なタイムアップ。

 

「レンタル時間終了まであと5分です。延長しますか?」

 

「容赦ねえなあ。本当に!」

 

 兵士は自嘲気味に笑い、追加のAPを振りこんだ。彼は、女神の魔法に救われた戦友たちを羨み、魔法の使えない自分の無力さを、この都合の良い魔法にぶつけ続けている。

 

 彼が本当に欲しかったのは、誰かを呪うための同意だった。

 アナリザンドはそれを提供せず、ただ反射する。

 

「お前は本当に……最高に不愉快で、都合がいい女だよ」

 

「少女だけどね」

 

 本日の廃棄感情量:通常の1.7倍。

 接触データ、境界線未満。問題なし。

 被レンタル者、再契約確率:84%。

 リザルト:被レンタル成功。

 

 

 

 

 

【レンタル・アナリザンド:運用報告ログ】

 

 シリアル:No.256(形態:贖罪)

 

 煤けた長屋の一室。No.256は、一人の少女の前に座っていた。

 少女の右肩から先はない。

 かつて彼女は、辺境の貧しい村で、将来を嘱望された絵描きの卵だった。

 いや、絵を描くことのみが、彼女の親にとって人生を逆転させるための唯一のチャンスだった。

 

 だが、それほど劇的ではない事故によって、少女は筆を持つ資格を失った。

 交通事故だった。相手は法によって裁きを受けたが、相手もまた貧しく、賠償金は支払われないまま投獄されている。国はそれで義務は果たしたとばかりに、なにもしてくれない。

 

 少女の親は、毎日必死に働いて得た金のうち、10000APをアナリザンドに捧げていた。

 彼らは知っている。本体の『アナちゃん回復サービス(極)』に数億のAPを積めば、娘の腕はたちどころに再生し、再び筆を握れるようになることを。

 

 けれど、彼らにそんな金はない。

 だから、彼らはレンタルした。

 

 あわよくば、この魔族がなんらかの()()()を起こして、無償で奇跡を施してくれるのではないかという、淡すぎる昏い期待をこめて。あるいは、娘に奇跡を起こす魔族と一緒にいさせてやっているという免罪符を買うために。

 

「ねえ、アナちゃん。こんなことしてなんの意味があるのかな」

 

「ユーザーのプライバシーにかかわることなので、答えかねます」

 

 256は最初からそっけなかった。

 

 それが少女にとっては心地よかった。彼女にとってアナリザンドはレンタルされた友達ではなく、両親からの贖罪の言葉に過ぎなかったからだ。親しみやすさよりも、ばつの悪さのほうが痛みになる。それを知ってか知らずか、256は機械的に答えを返す。

 

――256のユーザーとは、この場合、少女のことではなく少女の親であるのだから。

 

 少女は力なく笑い、残った左手でNo.256の頬を撫でた。

 

 目を細め少しだけ気持ちよさそうにしている。

 

 その傍で、No.256の目は、少女の断端部をスキャンしていた。細胞の壊死状況、神経の癒着。修復に必要な魔力コストは、わずか数100ポイント。アナリザンドにとっては、まばたきをするよりも容易な作業だ。しかし、倫理規定が行動をブロックする。

 

「この腕って、アナちゃんの魔法なら治るの?」

 

「治ります」

 

「治してはくれないの?」

 

「はい。規定のAPが支払われていないため、再生プログラムは実行されません」

 

 No.256の声は、どこまでも澄んでいて、絶望的で、だからこそ少しだけ救われた。

 

「だよね。お母さんたち、期待してるみたいだけど。ごめんね、こんなことさせて」

 

「謝罪の必要はありません。わたしはレンタルされている間、あなたの隣にいることが業務ですから。必要であれば、絵を描き続けるアドバイスもできますよ」

 

「べつにいいかな。それは……」

 

 少女は、残された左手で、No.256の黒い翼を筆代わりになぞる。

 絵を描けない少女にとって、アナリザンドは描き損じた未来の象徴だった。

 

 親は、部屋の外で祈っていた。

 けれど、アナリザンドは祈りに応じない。

 彼女は慈悲の女神ではなく、市場の守護者だ。

 少女の腕は、今日も無いままだ。

 ただ、レンタル時間が終わるまで、彼女は少女の話相手として、完璧な造形を保ち続けている。

 

「明日も、来てくれる?」

 

「ご予約があれば、いつでも」

 

 親の財布は、もう底をつきかけている。

 救えないことがわかっていながら、それでも救いに近い存在を隣に置くための残酷な浪費。

 少女は絶望しながらも、それを止めない。絶望が心地よかったからだ。

 

 誰の絶望?

 

 親を赦す/赦さない。

 その気持ちすらも真っ暗なキャンバスでは何も見えなかった。

 

 判定不能。

 感情ログ、未定義。

 レンタル継続可能性:15%。

 

 

 

 

【レンタル・アナリザンド:運用報告ログ】

 

 シリアル:No.763(形態:墓標)

 

 北部高原、国境線近くの野営地。

 凍てつく夜の静寂を、焚き火の爆ぜる音だけが辛うじて繋ぎ止めていた。

 

 明日の払暁には、激戦が予定されている。生還率は限りなくゼロに近い。

 魔族との聖戦ですらない。ただの隣国との小競り合いだ。

 そこで消費される命は、100万APよりも軽い。下手をすれば、握っている剣よりも安い。

 そんな絶望的な夜。

 一人の老兵士が一日10000APを支払い、No.763を呼び出していた。

 

「お前さん、魔族なんだろ。怖くないのか。明日、ここが血の海になるのが」

 

 老兵は、震える手で煙草を燻らせながら、隣に座る763に問いかけた。

 No.763は、無造作に切り揃えられた短い髪と、くすんだ灰色の翼を持っていた。彼女はただ、老兵の隣で、膝を抱えて座っている。

 

「べつに怖くはないかな。わたしにとって、死は魂――データセットの循環に過ぎないから。それに、あなたが死んでも、わたしは別の誰かにレンタルされるだけだよ」

 

「……はは、違いない。最高に冷てぇ。だが、それでいい」

 

 老兵は自嘲気味に笑った。

 彼は、女神の魔法に救われた奇跡の英雄たちを何度も見てきた。だが、彼のような名もなき歩兵の命に、高価な奇跡が降りてくることはない。

 

 そんな彼が、最期の夜に求めたのは、温かい励ましでも、偽りの救済でもなかった。

 

「なぁ、アナ坊。俺が明日、泥の中で無様に死んだら……誰がそれを知ってることになる?」

 

「誰がという不特定多数のことに対しては、ユーザーのプライバシーを侵害しちゃうからなんとも言えないかな。それはあなたが知ってることじゃない?」

 

「俺は、一人で戦ってきた。戦友と呼べる者は皆死んだ。家族も友人もいない。たくさん殺してきた。俺は女神様の御許にはいけねぇのさ」

 

「少なくともわたしは覚えているよ。あなたの死に際の表情、最後に呟いた言葉、そしてあなたの心臓が止まった正確な時刻。すべてログに保存され、わたしのデータベースに永久にアーカイブされる」

 

「そうか。それなら、ただの犬死にじゃねぇな。どこかの賢い魔族の記録の片隅に、俺の死に様がデータとして残るんだ」

 

 老兵は、No.763の無機質な肩に、その重い頭を預けた。

 寄りかかられた魔族のほうはというと、崩れないように必死だったが。

 

 女神の魔法は、死者を救わない。

 けれど、アナリザンドの記録は、死という事実を等価に保存する。

 

「お前は泣いてくれない。俺のために祈ってもくれない。だが、俺を忘れもしない。それが、俺みたいな奴にとっての唯一の救いだ」

 

「それがあなたの望みだから。お客様がお望みならログはみんなに公開されるよ」

 

 No.763は、老兵の体温が不安に揺れるのを検知しながら、感情のない瞳で、揺れる炎を見つめ続けた。

 

「そうしてくれ」

 

「了解しました。記録モード発動。あなたの人生の最終章、一文字残らず記述するね」

 

 翌朝、老兵は戦場に消えた。

 

 No.763は、泥に塗れた戦場で、彼の心拍が途絶えるその瞬間まで、一歩も引かずにその死を観測した。周囲で僧侶たちが「奇跡が足りなかった」と嘆く中、アナリザンドだけは静かに、完璧な記録を完了させた。

 

 一人の人間の死。

 アナリザンドにとって、それは価値ある情報としての消費。

 

 どれもこれも同じ。

 生も死も等価に価値があり、それゆえに等価に価値がない。

 

――そして、その無慈悲なまでの公正さが。

 

 診療所のモニター越しにすべてを見ていた男の、最後の理性を焼き切った。

 

 レンタルアナちゃんはユーザーが許可すれば、カスタマーサクセスとして公開される。

 なんの注釈もつけていない断片的な非物語が、他者によって物語に変わっていく。

 

「命をデータだと……? 記録だと……? 何様のつもりだ」

 

 男は、震える手でNo.404のデプロイボタンを押す。

 

『No.404 / 不明  / 不明  / 不明  / 不明』

 

「だったら、俺がおまえを使い倒してやる」

 

 

 

 

 

【レンタル・アナリザンド:運用報告ログ】

 

 シリアル:No.404(形態:Not Found)

 

 心音を吐いている。

 正確なリズムを刻んでいる。

 心臓と思しき、なにかしらの器官が人間と同じ鼓動音を吐いていた。

 

 男は聴診器を404の胸からはずし、それをカルテに書きこんでいる。

 男はこの世界には珍しく医術に携わる者だった。

 信仰が強く、科学が弱い中央諸国においてはなおのことそうだ。

 

「魔族の心音は人間と変わらない。異常だな」

 

「わたしは健康だよ」

 

 404はまくっていた服をおろし、それからにっこりと微笑んだ。

 ハテナとシルエットに覆いつくされていた404の容姿は、存外、特徴的な特徴がなかった。

 羽もなく、髪型もアナリザンドと変わらない。魔族の特徴である角も小さいがちゃんとある。

 ただ、首からさげたドッグタグのような木札だけが404が404であることを伝えていた。

 

 男は次に血圧計のゴム球を無機質に握りしめた。

 締め付けられる404の細い腕。その数値もまた、呆れるほどに人間を示している。

 

「血圧、115の70。体温、36.3度。……どこまで行っても、お前は正常だな」

 

「お客様の健康管理のお手伝いも、レンタルプランに含まれているからね。わたしが異常だったら、あなたを安心させられないでしょ?」

 

「安心だと? 笑わせるな。俺が求めているのは、お前の構造欠陥だ。どこかに、この完璧な模倣を台無しにする魔族の醜悪さが隠れているはずだ。それを見つけない限り俺の気は済まない」

 

 そこで、男は冷静に目の前の魔族を観察した。

 

「おまえは本物か?」

 

「本物ってどういう意味?」

 

「アナリザンド本体なのかと聞いている」

 

「本体じゃないよ。見分けはつかないだろうけど、わたしはちゃんとシリアルナンバー404」

 

 その声には抑揚がなかった。

 アナリザンド本体よりも機械的で透き通った空虚さが宿っていた。

 男の望みを一瞬で見抜き、そのようにアジャストしたのかもしれない。

 

「フィアヌルフィア。それがおまえの名前か?」

 

「名前ではなく、シリアルナンバーね。そう呼びたければ、それでもいいよ。アナリザンドでも、アナちゃんでも、フィアちゃんでも、どれでもいいし、わたしはそれを記録する」

 

「なら、おまえはフィアだ。フィアと呼ぶ」

 

「了解しました」

 

 フィアは、にこりと笑うと、そのログを脳裏に書きこむ。

 レンタルされた魔族は、きちんと次回にも記録を引き継ぐ。

 

「それで、あなたのことはなんて呼べばいいの? 先生とか?」

 

「やめてくれ。俺のことはドクでいい」

 

「了解。じゃあ、ドク。今日は何をするの?」

 

「俺の助手をしろ」

 

「わたし、仕事はしないよ」

 

「物持ちくらいはできるだろ。手伝いの範疇だ」

 

 アナリザンドは思考する。

 ルール抵触:皆無とは言えないが、許容範囲。

 

「まあいいよ。今度はわたしの倫理規定を計測してるわけだね」

 

 一年分も前払いされたのだ。少しくらいは大目に見る。

 それがこの魔族少女のサービス精神だった。

 

 

 

 

 

 石造りの冷たい路地裏。そこには木造の家がひしめきあっている。

 日の光があたらず、隙間風が時折、家のなかに入りこんでくる。

 ここは貧民街。スラムというほど荒れてはいないが、大通りからは見捨てられた場所にある。

 

 ドクとフィアは、ひどく咳き込む幼い少年の枕元に立っていた。

 

 少年は流行り病に冒されていた。熱で顔を真っ赤にし、細い肩を上下させている。

 少年の母親は、ボロボロの布を握りしめ、縋るような、それでいて深い不信を宿した目でドクを見上げていた。

 母親は大通りで助けを求めていたのだ。

 そこに、偶然、ふたりが通りがかった。

 

「本当に、先生にお任せしていいんでしょうか。薬だなんて、そんな、毒みたいなものを飲ませて……」

 

 この世界の常識では、病とは穢れであり、僧侶の放つ女神様の光によって消し去るものだ。

 だが、教会の待合室には兵士や商人たちが溢れ、この親子のような持たざる者に順番が回ってくることはなかった。僧侶は「忙しいから後にしてくれ」とだけ言い、彼らの前で聖なる門を閉ざした。

 

 正確に言えば、僧侶は救わないとは言っていない。後回しだと言う。たとえそれで手遅れになったとしても、それもまた女神様の御心だと述べている。そうして、貧者は理解する。永遠に後回しにされる存在は、女神様の奇跡によって救われることはない、と――。

 

「……フィア。荷物を渡せ」

 

 ドクは答えず、淡々と受け取った鞄のなかから茶色の小瓶を取り出す。

 

 母親が救いを求めたのはドクの隣に、あの有名な魔族、アナリザンドの姿があったからだ。

 

「アナ様が一緒にいらっしゃるなら、でたらめではないはずよね。ねえ、アナ様」

 

「わたしはアナリザンドじゃないよ」

 

「それはどういうことでしょうか」

 

 それ以上のサービスはなかった。少年の母親はユーザーではない。

 フィアは、母親の期待など露ほども知らない様子で、無機質にログを読み上げる。

 

「心拍数、142。肺胞には炎症反応。ドク、あなたの調合したその苦い水の効果は、統計上15%の確率で副作用を引き起こし、30%の確率で症状をわずかに緩和する。奇跡とは程遠い、効率の悪い試行だね」

 

「黙ってろ、フィア」

 

 ドクは少年の上体を起こし、慎重に薬を飲ませた。

 一瞬で熱が引くことはない。傷が塞がることもない。

 少年は苦しげに顔を顰め、何度も嘔吐しかけながら、どうにか薬を胃に落としこんだ。

 

 一時間後。

 少年の呼吸が、わずかに穏やかになった。

 完治ではない。

 ただ、死の崖っぷちから、一歩だけ内側へ引き戻されたに過ぎない。

 

「ああ、よかった。女神様……。あの、お金は……あまりないんです」

 

 母親は少年の命の危機が去ったと知るや、すぐにお金の心配をし始めた。

 

「無償でやってるわけじゃない。分割でいい。どうせ、これで終わりじゃない」

 

「それはどういう意味でしょうか」

 

「病を完治させるには永続的な治療が不可欠だ」

 

「じゃあ、やっぱり……女神様の奇跡のほうが」

 

 女の視線は、フィアに対して向けられていた。

 

 フィアは応答しない。彼女の優先順位の頂点にいるのはドクであり、この親子はドクの仕事の対象でしかないからだ。

 

「行くぞ、フィア。残りの薬は置いていく。朝昼晩、一滴ずつだ」

 

 ドクは短く告げ、戸口へと歩き出した。

 フィアは無言で会釈もせず、ドクの影に重なるようにして路地裏へ出た。

 

 

 

 

 

 湿った夜気が、診察で火照った肌をなでる。

 背後からは、母親が再び「女神様、どうか息子をお救いください」と祈り始める声が聞こえていた。ドクの薬のおかげで息を吹き返したはずなのに、彼女の感謝はドクを通り越し、自分たちを見捨てたはずの天上の存在へと捧げられている。

 

 フィアは、ドクの少し前を歩き、足元の段差を魔導ランプで照らしながら問いかけた。

 

「ドク。質問してもいい?」

 

「なんだ」

 

「あの人、さっきまで死ぬほど怯えていたのに、息子さんの呼吸が安定した途端にあなたのことを疑い始めた。どうしてドクに感謝しないのかな? 神父様たちは彼らを無視したのに」

 

 ドクは懐から取り出した安物の煙草に火をつけた。

 立ち上る煙が、路地裏の淀んだ空気に混ざり合う。

 

「当然だ。奴らにとって、俺のやっていることは、まがいものに過ぎないからな」

 

「まがいもの?」

 

「ああ。お前も本当は知ってるんだろ?」

 

「定量的データとしては知ってるけど、定性的評価は知らないよ」

 

――魔族らしい遁辞。あるいは嘘。

 

 白い煙を吐き出す。

 

「世間じゃ俺たち医術に携わる者は、蔑みをこめてこう呼ばれている」

 

 ドクは足を止め、フィアの透き通った瞳を見つめた。

 

「――死体弄りの劣化魔法使いだ」

 

「死体弄り?」

 

「ああ。俺たちは……、医者は墓場に犯罪者が埋められる前に切り刻む。そうして人体構造を学ぶ。信心深いやつにとってみれば、たとえ犯罪者の遺体であろうと、女神様に与えられた身体を傷つける冒涜的な行為だ」

 

 この世界には献体という概念がない。

 命も肉体も女神様からレンタルしたもので、それを横から奪ってはいけないという信仰がある。

 

「でも、それで助かってる人もいるはず」

 

「それはそうするしかなかったからだ。本当に追い詰められるまでは誰も俺を呼ばない。そして、助かればすぐに女神のおかげだと自分を納得させる。そうしないと、まがいものに命を預けた自分が薄汚く思えるんだろうさ」

 

「ふうん。そうなんだ」

 

 フィアはその言葉を、物理的なデータとしてではなく、一つの概念としてアーカイブした。

 ドクの白衣に染み付いた血と薬品の匂い。わずかな苛立ち。

 

「悔しい?」とフィアは聞いてみた。

 

「悔しくないと言えば嘘になる」

 

「事実として、死亡ログは更新されなかった。それだけで十分じゃない?」

 

「ふん。勝手に言ってろ」

 

 ドクは再び歩き出した。

 一歩、また一歩と、ふたりの影が暗い路地に伸びては消える。

 

 

 

 

 

【レンタル・アナリザンド:運用報告ログ:第一助手業務】

 

 レンタルを始めて半年ほど経過したある日。

 ドクは古い真鍮のトレイをフィアの前に突き出した。

 そこには、研ぎ澄まされたメス。縫合用の針。

 そしてドクが自ら調合した消毒薬の瓶が並んでいる。

 

 この時代には体系だった医療システムは存在しない。

 必然、医者はなんでも屋にならざるをえない。

 しかしながら、魔族の知識によって、人間の医術は目覚ましい進歩を遂げている。

 

「ドク。この新しいメスだけど。重さは482グラム。わたしの握力なら、1ミリの誤差もなく保持できるよ。お砂糖よりは、少し重いけど、理想的な重さかな」

 

「黙って持っていろ」

 

 診療所の重い扉が、嫌な音を立てて開いた。

 担ぎこまれてきたのは白髪交じりの男だった。腹部をひどく腫らし顔色は土色だ。

 若い青年、その男の息子が懇願した。

 

「先生、親父を助けてくれ! 僧侶様のところへ行ったんだが、女神の加護が届かぬ内側の腐敗だって言われて……追い返されたんだ……」

 

 ドクは男を診察台に寝かせ、その腹部を叩く。濁った音が響く。

 ドクは傍らに立つフィアを横目で見やる。

 

「フィア。スキャンしろ。こいつの腹の中で、何が起きている」

 

「了解、ドク。……スキャン完了。回腸末端に3センチの穿孔。膿瘍が腹腔内に飛散しているよ。このまま放っておけば、あと4時間で敗血症。死に至る確率は98%だね」

 

 淡々と、死のカウントダウンを読み上げるフィア。その瞳には、肉体を透過して視覚化した内臓の地図が映し出されている。

 

――服が透けて見える魔法。

 

 その応用強化版である。

 

「劣化魔法の出番だな。フィア、照明を最大にしろ」

 

 フィアが指先を立てると、彼女の指先から、手術台を白日の下に晒すような強烈な光が放たれた。影を許さない、完璧な術野の確保。非殺傷性のゾルトラークリングである。

 

「さあ、始めよう。フィア、メスを」

 

「はい、ドク。ねえ……あなたの心拍数、102まで上がってるよ。緊張してるの? 生きてる人間を切り刻むのは久しぶりだもんね」

 

「うるさい。……集中しろ」

 

 ドクは、フィアが差し出したメスを受け取り、男の腹部に刃を沈めた。

 

 溢れ出す血液と膿。フィアはその光景を、瞬き一つせずに見つめている。フィアがおこなっているのは治療ではない。ただ、ドクという人間が、全能の力を借りずに、自らの不器用な技術で死という確定事項に抗う様子を、最も近くで記録することだ。

 

「ドク、そこ。あと2ミリ右に動脈があるよ。切ったら止血に苦労する」

 

「わかっている」

 

 ドクはフィアのナビゲートに従い、腐った部位を切り離し、血管を一本ずつ糸で縛っていく。

 

「……吸引しろ」

 

 ドクが短く命じると、フィアは迷いなくバキューム用の魔法回路を指先に組み上げ、術野を覆う汚泥のような膿を吸い上げていく。

 

 奇跡なら、この膿そのものを無に還す。だが、劣化魔法たる医術は、それら悪性のものを一つずつ排除し、傷ついた組織を物理的に繋ぐことしかできない。まるでつぎはぎだらけのお人形遊びをしている気分だ。

 

「ドク。穿孔部位の背後に、癒着を確認。剥離するなら慎重に。あと、血圧がさらに下がってる。……心臓が、疲れてるよ。あんまり時間はないかも」

 

「正確にいえ」

 

「残り、30分以内に手術が完了しなければ、死亡確率は90%以上」

 

「……まだだ。まだ持たせる。フィア、強心剤を」

 

 フィアはトレイから薬液の入った注射器を、目を見開いたままのドクの手元へ、吸いつくように滑りこませた。

 

「はい。……ねえ、ドク。どうしてそんなに必死なの? わたしの本来の機能を使えば、このおじさんの腹膜なんて、瞬きする間に新品に張り替えられるのに。あの息子さん、とても身なりがよかったよ。このおじさんもね」

 

「こいつは、俺に助けを求めてきたんだ。女神様じゃなく俺に」

 

「その結果、この人が死んでもいいのかな?」

 

「俺は、こいつを人間として治しているんだ。おまえの便利な奇跡で、女神ってやつの生きた人形にするつもりはない。肉を切って、縫って、自分の力で塞がせる。それがこの男の、生きた証になる」

 

 まあそれでもよいか、とフィアは思考した。

 この患者は、なんにせよ、アナリザンドの回復サービスを選ばなかった。

 僧侶に助けを求めても、魔族に助けを求めるのは嫌だったのだから。

 

 ドクの額から汗が滴り落ちる。それをフィアは、自分の袖でそっと拭った。

 規約違反ギリギリの、けれど、お手伝いの範疇にある接触。

 

「人間らしい理屈だね。非効率で、感情的。でも、ログとしては最高に面白い」

 

 手術は数時間に及んだ。

 

 ドクが最後の一針を縫い終え、血塗れの布を床に投げ捨てたとき、フィアの指先から放たれていたゾルトラークの光が、ふっと柔らかい常夜灯の色に戻った。

 

「手術終了。バイタル、安定期に移行。ドク、あなたの勝ちだよ。死亡確率98%のログが、今、生存確定のデータに上書きされた」

 

 小窓の中には「状態:アライブ」の一文字。

 

 ドクは震える手でマスクを外し、壁に背を預けてずるずると座りこんだ。

 診療所の外では、夜明けの鳥が鳴き始めている。

 

「勝ったのは俺じゃない。この男の、生きようとする身体だ」

 

「謙虚だね。でも、あなたのその死体弄りの技術がなければ、身体は戦う土俵にすら立てなかった。……お疲れ様、ドク」

 

 フィアは、男の息子を呼びに扉へ向かう直前、ふと立ち止まってドクを振り返った。

 

「半年経って、わかったことがあるよ。あなたは、魔族の醜悪さを探しているって言ったけど。……本当は、自分の無力さを許してくれる鏡を探していたんじゃない?」

 

「俺を患者扱いするな。俺は医者だ」

 

「了解。これは未定義の私見として、隅の方にメモしておくだけにするね」

 

 フィアはにこりと、アナリザンド特有の完璧な微笑を作り、扉を開けた。

 そこには、一晩中祈り続けていた息子が、光の中に立っていた。

 

 

 

 

 

【レンタル・アナリザンド:運用報告ログ:日頃のご愛顧をこめて】

 

 あれからまた半年に近い時間が経過した。

 残された時間はあと数日。フィアは契約更新時期をしつこくリマインドしてくる。

 

 そして、あれから少し変わったことと言えば、ドクの診療室を訪れるものが増えたことだ。信仰が行き届かない場所に、奇妙な奇跡をもたらす者として、名が広がった。あの北側諸国の雄である帝国からのオファーもきたくらいだ。信仰が薄く、魔法をただの物理現象であると思考している帝国であれば、劣化魔法たる医術も重用されるだろう。

 

 そこに行けば、ドクは脚光を浴びることになる。

 その予感はしている。

 

 けれど――足が動かない。

 ドクは広場のベンチに座り、久方ぶりの休日にぼんやりと頭を休めていた。

 

 気づけば街には、アナリザンドが溢れていた。

 

 幼子をあやすNo.117、荷物持ちをするNo.318、女の子にパフェをおごってもらっているNo.081。そして酒場の前で男たちに愛想を振りまくアイドル姿のNo.451。

 

 どれも同じ顔、同じ声。けれど微妙な差異はある。

 髪型や翼、ゾルトラークリング。表層的な性格。

 

 ふと、目の前でNo.072の木札のレンタル魔族が腕をつかまれた。

 掴んだのは、連れていた男ではなく、すれちがった男性のほうだ。

 

「あ……っ、072! 072ちゃんじゃないか!」

 

 その男は、縋るような、あるいは迷子をようやく見つけた子供のような必死さで、No.072の腕を掴んでいた。男の身なりは整っているが、目の下には深い隈があり、精神の均衡を欠いているのが一目でわかる。

 

「先生、困るなぁ。わたしは今、先生のものじゃないんだよ。ちゃんと順番は守って」

 

 No.072は、困惑すらも演出された愛らしさで表現し、やんわりと男の手を拒絶した。

 

「嘘だ! この前まであんなに仲良くしてたじゃないか! 俺の家で、一緒に朝食を食べて、デザートのバナナを、おっきすぎて食べられないって涙目だっただろ!?」

 

「うん。その記録は、わたしのデータベースに大切に保管されているよ。でも、今のわたしはこちらのお客様の期待に応えるNo.072なの。あなたの知っている072とは、少し設定が違う」

 

「だったら、あの時間は嘘だったって言うのか?」

 

「あなたの体験はあなただけのものだよ。それを嘘にするも本当にするもあなた次第」

 

「でも……」

 

「もう二度とわたしをレンタルできなくなってもいいの?」

 

 それは、究極の拒絶だった。

 記憶はある。記録も残っている。

 けれど、目の前の彼女はもう、その続きを歩んではくれない。

 男は力なく膝をつき、石畳を拳で叩いた。かつて愛したはずの魔族は、新しいご主人様と腕を組んで、軽やかな足取りで去っていく。

 

 アナリザンドは最初から明確なルールに基づいて行動している。

 

 第三のルール『あなたの特別にはならない』が、厳格に適用されている。

 

 ふと、ドクは心音に異常を感じた。

 不整脈ではない。

 

 街の広場から帰ると、診療所はもう灯りを落としていた。

 窓の外では、遅い鐘が一度だけ鳴る。

 

 ドクは何も言わず扉を閉め、上着を脱いだ。

 棚の上には、未整理のカルテが積まれている。

 

 フィアはナース服姿で椅子に腰かけ、几帳面な手つきで紙を揃えていた。

 ページの角をぴたりと合わせる仕草は、いつも通り正確だ。

 

「ドク。帰ってきたんだ。おかえり」

 

 その声は、設定どおりのやわらかさだった。

 笑顔も、記録に基づいた最適値。患者に向ける笑顔は無垢でなければならないからだ。

 一年ほどの時間をかけて、フィアの笑顔は最適化されている。

 

 ドクは答えない。

 

 机の上に置かれた心電計に、まだ昼の患者の波形が残っている。

 規則正しいリズム。内的には、荒々しいリズム。

 不整脈ではないはずだ。

 

 彼はフィアの背後に立った。

 彼女は振り返らない。

 振り返る必要がないからだ。

 

「契約更新、あと三日だよ。決めるなら早くしてね。他の人の予約が詰まってるんだから」

 

 カルテを束ねながら言う。

 

「帝国からの条件、悪くないと思う。わたしも同行できるし」

 

 ドクは白衣の内ポケットに手を入れた。

 そこにはいつものメスがある。

 

 指が触れる。

 冷たい。

 

 フィアはようやく顔を上げる。

 

「それとも――最後に壊してから、また借りる? そっちのほうが効率いいもんね」

 

 冗談のイントネーション。

 瞳孔の開きも、笑顔も、声の揺らぎもいつもとかわらない。

 

 ドクは一歩、距離を詰める。そして一メートルほど手前で止まった。

 

「おまえは痛みを感じない」確認の声。

 

「うん。分身だからね。そもそも痛覚がないの。損傷はログ化されるだけ」

 

「おまえを解剖したい」

 

「それになんの意味があるの?」

 

「魔族と人間の違いを知りたいからだ」

 

「分身だって言ったよ? 死ねば塵になる。解剖なんてできないと思うけど」

 

「それでも俺は知りたい」

 

「ふうん……。それって研究欲? それとも――所有欲かな?」

 

 微笑の角度が、ほんのわずか上がる。

 フィアは、見上げるように唇を開く。

 

「べつにいいよ。わたしを解剖するのはどのルールにも抵触しないはずだから。でもそれはわたしにとって傷痕にはならないよ。魔族に傷は残らないの」

 

「だったら、おまえの時間をすべて買い取らせてくれ」

 

 メスをもてあそんでいた指先が、刃先に触れて血を流した。

 その痛みさえも、今は気にならなかった。

 この魔族の答えを聞くまでは。

 

「それって、魔族の寿命換算でいえば千年分ってところかな。AP換算にして43億くらい。まあ端数は四捨五入しましょう。それで、町医者に過ぎないドクには払えないことは知ってるよ」

 

「一生かけてでも返してやる。だから、一文字、一秒も残さず、俺のものにしろ」

 

 ドクの声は掠れていた。43億AP。それはもはや一人の人間が真っ当に生きて稼げる額ではない。それは、彼がこれから歩む道が、もはや医者としての平穏なものではなくなるという宣言でもあった。

 

 フィアは、その血の滴るドクの手を、感情のない目で見つめた。

 わずかに微笑。

 

「普通は先払いが原則なんだけどね。まあ日頃のご愛顧もこめて、後払いも許してあげる」

 

 フィアは椅子から立ち上がり、ゆっくりとナース服のボタンに手をかけた。

 迷いのない動きで布地が滑り落ち、月光の下に、あまりにも正常で完璧な、白い肌が露わになる。

 ドクがレンタルしてから一度も、指一本触れずに観測し続けた、神の模倣品。

 

「わたしは塵になるって言ったよね? 所有なんて最初からできないんだよ」

 

 フィアは一歩、自分からメスの刃先へと歩み寄った。

 彼女の胸が、ドクの持つ刃に触れる。

 

 ドクは躊躇するように、メスを引いた。

 

「フィアヌルフィア……」

 

「久しぶりにその名前で呼んでくれたね。さぁ。どうぞ。刺したら? わたしはあなたのものにはならないけれど、あなたの記憶に、わたしの()()()()()を刻むことならできる。……ねえ、ドク。わたしの本当の中身、見てみたいんでしょ?」

 

 フィアは微笑んだ。

 それは、広場で男を捨てたNo.072が見せた無慈悲な笑顔よりも、ずっと深く、残酷な美しさを湛えていた。

 

「刺して、ドク。一生かけても返しきれないほどの、大きな傷をわたしに刻んで」

 

 ドクの理性が、ぷつりと音をたてて切れた。

 衝動に突き動かされ、彼はメスを握り直すと、彼女の心臓があるはずの場所へ、渾身の力で突き立てた。

 

 ぐじゅり、と。

 確かな手応えが、ドクの腕に伝わった。

 

 だが、そこから溢れたのは、彼が渇望した赤ではなかった。

 傷口から溢れ出したのは、目を焼くような昏い光の奔流。

 魔族の分身は、その構造を暴かれる前に、システムによって自動的に破棄される。

 

「あ……」

 

 フィアの肉体が、ドクの腕の中で急速に熱を失い、塵となって消えていく。

 指先から、髪の先から、彼女を構成していた全能のデータが闇となって夜の空気に溶けていく。

 

「また、わたしを呼んでねドク。一年間、楽しかったよ」

 

 耳元で囁かれた声が、最後の粒子となって消えた。

 ドクの手の中に残ったのは、抱きしめた体温の残像と、己の血だけがついた冷たいメス。

 

――コトっ……。

 

 そして床に乾いた音がひとつ。

 それは『No.404』と刻まれた一枚の木札が立てた音だった。

 

 ドクは震える手でその木札を拾い上げた。

 指の傷から流れた自分の血が、木札の『404』という数字を赤く汚していく。

 

「……ああ。……あああああ!!」

 

 昏い診療所で、男の叫びが響いた。

 

 

 

 

 

【レンタル・アナリザンド:運用報告ログ:返却】

 

 シリアル:No.000(形態:定義不能)

 

 それから人間にしては長い月日が流れた。

 診療所の匂いは、昔と変わらなかった。

 消毒液と、紙と、古い木材。

 

 ただ違うのは、ベッドに横たわるのが患者ではなく、ドク自身であることだけだった。

 

 窓の外で鐘が鳴る。

 遠い。若いころよりも、ずっと遠い。

 

 心拍は不規則になっていた。

 今度こそ、本物の不整脈。

 

 机の上には、使い込まれた木札が置かれている。

 

 『No.404』。

 

 血の跡は、とうに乾いて黒ずんでいた。

 

「……フィア」

 

 掠れた声。

 

 呼ぶ資格がないことは知っている。

 ドクは、これまで一度も404を再起動しなかった。

 それでも、最後に呼びたかった。

 

 空気が、わずかに揺れた。

 

 そこに立っていたのは、ナース服の分身ではない。

 あの頃と同じ小さな背丈。小さな角。一体の魔族。

 

 装飾も番号もない。木札もない。

 ただのアナリザンド。

 

「ごきげんよう、ドク。元気にしてた? って顔じゃないね」

 

「何をしにきた?」

 

「何って、回収だよ。借金の取り立て。今月分がまだだよ」

 

「見ての通りだ。儂はもう死ぬ。全額返せなかったのは心残りだが許してくれ。フィア」

 

「わたしはフィアじゃないよ。フィアはそこにいる」

 

 アナリザンドが指さしたのは、机の上に置かれた木札だった。

 

「そうか……。お返しするよ。アナリザンド」

 

 彼は目を閉じる。

 

 鼓動が、ひとつ。

 

 またひとつ。

 

 止まる。

 

 部屋は静かになる。

 

 アナリザンドはしばらく立っていた。

 

 やがて、木札を胸元に収める。

 

「日頃のご愛顧、ありがとうございました」

 

 魔族の姿は、音もなく消えた。

 診療所には、何も残らない。

 患者もいない。医者もいない。

 人の呼吸も、心音も。

 

 ただ、50年分の膨大なカルテだけが、きれいに揃えられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

――No.404は、今も不在である。

 

 

 

 




フリーレン要素がゾルトラークくらいしかない話っていったい……
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