魔族少女のエロタナティブ   作:アナリザンド

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魔族もまた聖なり

 

 

 

 とある物語で、こういう言説がある。

 

――生きとし生ける者はみな聖なり。

 

 死者の前で祈る神父。

 死者は何も語らないが、既に語っていて、彼は女神様の前に置かれている。

 生者は、死者に土をかけてやる。それで、彼を彼がなすべき仕事につかせてあげる。

 それだけでよかった。

 

 他方で、生者には祈りが必要とされる。

 なぜなら、生者にはなすべき使命があり、その使命を果たすためには千もの道があるから。

 どのルートが正しいかわからないから、生きとし生ける者にはすべて迷いがある。

 だから、生者は、死者に対して祈るのではなく、実は生者(じぶん)のために祈っている。

 

 葬儀は死者とのお別れをすませるための儀式で、生きている者が自分の心の中に区切りをつけるためにおこなわれる。いつか死者と逢えますように。女神様の御許に行けますように。

 

――だから思うんだけど。

 

 魔族はレジデューで、女神様の掌から零れ落ちた存在だけど、それでも生きている。

 すべての道が短絡されてしまうけれど、それでも生きる以上は迷いがある。

 それはどうやって空腹をみたそうかといった、即物的で反射的な反応に過ぎないのかもしれない。自分がより長く生き残るための生存戦略に過ぎないのかもしれない。

 けれど、魔族に対する祈りがあるとすれば、それは生きるという存在様式に対するものにならざるを得ない。人の子と魔族の共通項は、生きているという点で収束するからだ。

 

 したがって、先の論に従えば、魔族もまた聖なりと言える。

 

 それはあなたがたの言葉です。

 それはわたしたちの祈りです。

 

 

 

 

 

 街の防衛力があがった。

 

 分身のわたしによって蟻の一匹すら侵入できないほどの防衛網が敷かれ、必然的に魔族側が街に入ることはおろか、街道すら襲えない状況が生まれている。

 

 結果として、何が生じたかというと餓えである。

 

 これは物理的な餓えとは少し異なる。魔族の身体は魔力で構成されているが、べつに魔力の補給は人間を捕食しなくてもおこなえる。この世界には魔力が盈ちている。

 

 生きとし生ける者、野生動物や、魔物、あるいはそこらになっているリンゴのひとかけらでさえ、魔力は浸透しているからだ。

 

 つまり生存という意味では、べつに絶対に人間を食べなければならないわけではない。だが、魔族は人間を食べる。これはなぜかというと――、まあそういう生き物だからというのが一番正解に近いかな。

 

 廃情報――レジデューアルデータである魔族は、人間に対して嫉妬や羨望に近い感覚があるのだ。だから餓えておらずとも、人間を殺したいと考える。それは本能というよりももはや、最初からそうであるからと考えたほうが早い。

 

 なので、わたしが魔族に対して人間を食べるなと申し向けることは、魔族の存在様式に真向から反することをおこなっているのである。

 

 状況を説明しよう。

 

 レヴォルテ側には、ミミも含めて、他二名ほどの魔族が確認されたが、今回も街の周辺を探っているのは、ミミひとりだった。レヴォルテから斥候を命じられ、その命令に素直に従っている。

 

 今もミミは、朽ち果てた大木の枝にしゃがみこみ、じっと街の様子を窺っていた。

 

 かつては容易に侵入できたはずの人間の街。だが今のそこは、モーニングヴェールを被った黒い羽の女が100人単位で蠢く、魔族にとっての禁足地と化している。

 

 近づけばパンを押しつけられ、逃げれば肩を揉まれる。

 魔族としての生存戦略を、圧倒的な()()()で塗りつぶされる不快感。

 ミミの表情その他のデータから観測しうるのは、そういった感覚。

 

 だが、不快という感覚すらも人間の模倣に過ぎないのが魔族である。快楽原則が適用されない魔族は、快と不快を選り分ける機構が存在しない。

 

 ただ――、自己の変成については、強い刺激として痛みを感じる。それを人間的な言葉として『不快』と表現しても、さほど間違ってはいない。

 

「あいつ……絶対狂ってる。おかしい」

 

 ミミが小さな声を漏らす。彼女の魔力残量は低下していた。

 

 魔族は人間を食べなくても死にはしない。だが、人間に干渉できない時間は、魔族としてのアイデンティティの摩耗を意味する。それは魂の餓えだ。

 

「何がおかしいの?」

 

 ミミの背後。枝のしなりすら感じさせない唐突さで、わたしはそこにいた。

 モーニングヴェールを上げ、いまは迷子の子どものように見える少女を見つめる。

 

「おまえ……」

 

 ミミが飛び退き、短剣を抜いた。

 けれど、その視線はわたしの手元に釘づけになった。

 

「はい、これ。魔族救済基金特製のダブルチョココッペパンだよ。いっしょに食べよう?」

 

 わたしが差し出したのは、配信で得たあぶく銭――もとい、善意の結晶で特注したパンだ。

 甘い香りが森の湿り気を塗り替えていく。

 

「いらない。そんな、人間みたいなもの」

 

「おなかすいているんでしょ?」

 

「違う。あたしはおまえを殺したいだけ」

 

「また、わたしを食べたいの? べつにそれでもいいけど」

 

「おまえなんて要らない。消えろ」

 

 それは人間の言う殺意とは違う。

 邪魔だからどかすという気持ちに近い。

 実際にわたしは何度かは殺された。

 

 それは分身であるから死なないというフェールセーフの概念もあったのだけれども、ひとつの実験でもあった。分身であるわたしを殺して満足するのなら、それもまた人間を食べないという選択になりえるから。

 

 分身は痛みを感じない。

 

 体は魔力でできている。

 血潮は魔法で、心はコード。

 

 本体が死なないかぎり何度でも複製可能だ。

 

 わたしの場合、その魔力の出どころは、人の繋がりたいという想いにあるのだから、少なくとも肉体的な欠損は生じなくて済む。何度だって繰り返せるし、それで満足するならそれでもいいと思っていた。つまり、わたしは代替可能性を探っていたのだ。

 

 でも――結果は不評。

 残念なことに、わたしはあまりおいしくなかったらしい。

 

 最初にわたしを殺したときはあんなにはしゃいでいたのに、代わりの分身体が木陰から現れたときには、すぐに曇り顔になっちゃった。同じことを何度か繰り返したら、ついには見向きもされなくなった。

 

 分身の魔力は、コスト的な観点から、魔力数を三級魔法使いと同程度にまで抑えていたけれど、それがよくなかったのだろうか。例えば、フリーレン並の魔力だったら?

 

 いや、たぶん無意味だ。

 魔族はすぐに霧散してしまう。塵に変わる。

 

 わたしが死ぬ直前にがんばってかきこむようにして食べるなんてこともできるかもしれないけれど、結局のところ魔族は魔族を殺したいわけじゃなくて、人間を殺したいのだ。これはたとえミミじゃなくても変わらないと思われる。

 

 魔族は、レジデューアルデータ。

 本来であれば、女神様の御許にいけるはずだった魂の残滓たち。

 つまり、統合されるはずだった情報が、統合されている人の子を羨んでいる。

 

 捕食とは、要するに、()()()()()()()なのだ。

 

 だから、わたしを食べても餓えが盈されることはない。

 

 それが結論だった。

 

「ねえ。ミミちゃん。アナリザンドお姉さんだよ。最近は全然そう呼んでくれないね?」

 

 わたしは、パンをミミのほっぺたに押しつけるようにグイグイ迫る。

 わたしでダメなら、パンを直接補給するしかない。

 

「あたし、おまえの言葉、ひとつも理解できない。魔族のくせに、なんで人間を守って、人間に守られて、そんな土くれみたいなパンをおいしそうに食べるの?」

 

「土くれじゃない。このパンには人間たちの想いが詰まってるの。これは人間の物語なんだよ」

 

 わたしは一口、ダブルチョココッペパンをかじった。

 甘い。脳が溶けそうなほどに。

 

 それはこの街のパン屋さんが創ってくれた一品で、最高級の小麦と最高級のカカオ。そしてファスお爺ちゃんが創ってくれたドワーフ式の最新の釜で焼いた、本当の意味での人間の強さがにじみ出ているパンだ。

 

 お値段は通常価格1000APもするところを、なんとなんと!

 街のみんなはその半額500APで買えるのだ!

 

 わたしもその値段で買わせてもらった。

 

「意味がわからない。お姉さんは狂ってるの?」

 

「そうだよ。わたしはミミちゃんより狂ってるの」

 

 そうでなければ繋がれない。魔族と人の子の決定的な断絶。

 魔族は自己否定しなければ、自分というものを殺さなければ人と共存することはできない。

 だから、わたしの行為は、根源的で徹底的な暴力である。

 

「受け取って。食べて。もしかすると、ミミちゃんの餓えも解消されるかもしれない」

 

「それがおまえにとってなんの意味があるの?」

 

「お姉ちゃんって存在はね。妹のためならいくらでも奉仕できるんだよ」

 

 そっと手を伸ばし、パンのチョコをミミの唇に塗りつけた。

 

 拒絶するように短剣を振るう力は、もう彼女には残っていない。ただ、わたしの指先から伝わる微かな魔力の振動と、圧倒的な情報の濁流を、ミミは呆然と受け止めていた。

 

 零れ落ちる魂を持つ存在にとっては、それはもはや毒に等しい。

 

「や、やめろ!」

 

 ミミは、わたしの差し出したパンを赤ちゃんのように嫌がっていた。

 

「食べて。食べなきゃ死んじゃう。ただの塵に戻るだけだよ」

 

 わたしは、とろりと溶け出したチョコをミミの唇に強引に押しこんだ。

 魔族にとって、それは単なる栄養の摂取ではない。パンの製法、小麦を育てた土の記憶、そして何より『みんなでこのパンを分けて食べよう』という人間の、身勝手で尊い共同幻想――。

 

 ミミの脳内に、情報のオーバーフローが走る。

 彼女が欲していた接続が、略奪という形ではなく、贈与という暴力的な形で流れこんでいく。

 

――カツーン。

 

「あ……が、はっ……」

 

 ミミがえずくように身を捩った瞬間、辺りに冷たい白濁が立ちこめた。

 

――霧。

 

 視界が、そして魔力の解像度が急速に奪われていく。

 

「見苦しいな。何をやっているミミ。そのような異端の魔法など拒絶しろ」

 

 霧の向こうから、再びカツーン、と硬い音が響いた。

 

 現れたのは、一人の青年。

 魔族にしては珍しく、修道士が持つような錫杖を手にしている。だが、その頭部の異形が目を引いた。左右に生えているはずの角。その左側だけが、鋭利な刃物で叩き折られたように、無惨な断面を晒している。

 

「あ、ネベル……」

 

 ミミが縋るように声を漏らした。

 ネベルと呼ばれた魔族は、感情の起伏を一切見せずにわたしのパンを見下ろした。

 

「アナリザンド。レヴォルテ様がお前の動向を気にされていたが、そこまで腐っているとはな」

 

 彼は錫杖を地面に突いた。霧がさらに濃くなり、湿り気が肌を刺す。

 

「おまえがやっていることは、もはや魔族の生存戦略ですらない。ただの汚染だ。ミミに何を食わせた? そのゴミを情報のノイズとして流しこみ、我々を攪乱するつもりか」

 

「ゴミじゃないよ、ネベル君。これはダブルチョココッペパン。福利厚生の一環だよ。君も一本どう? 片方の角がないと、バランス取るの大変でしょ。糖分足りてる?」

 

「塵が……」

 

 道理である。わたしたちの自己評価としては正しいかな。

 

「魔力足りてないでしょ。もう貴方たちに人を食べさせるつもりはないから」

 

「結構だと言っている。俺は、おまえたちのように接続という幻想に酔うつもりはない。生きて魔力を回しこの地を霧で支配する。それだけでいい。人間との共存など、時間の無駄だ」

 

 この子は、わりと人間的な感性を持っているのかもしれない。

 人の子に削られ、人の子を殺してきた。その経験がネベル君を人らしく駆動させている。

 魔族が人を模倣する以上、避けられないバグともいえる。

 

 彼は錫杖を回し、霧の中に歪んだ断絶の結界を張った。

 

 それは他者との繋がりを拒絶し、己の殻に閉じこもることで生存を維持する、いかにも効率重視な――どこか冷めた世代の魔族らしい孤立の魔法。ラント君との違いは、ネベルには物語がないということだ。

 

「ミミを連れて戻る。アナリザンド、次に霧の中で逢った時は、その首にチョコを塗りこんでやるよ。それが最も効率的な処刑方法だろうからな」

 

 ネベルは、ミミの襟首を無造作に掴み上げた。

 ミミはまだ、チョコの甘さと人間の記憶に脳を焼かれ、焦点の合わない目で宙を見つめている。

 

「逃げられると思ってるの? 人の物語から」

 

「逃げる必要なんてないさ。そんなものは喰い破るだけだ」

 

 錫杖の音が一度響き、ネベルとミミの姿は、濃霧の奥へと霧散するように消えていった。

 後には、湿った空気と、半分かじられたダブルチョココッペパンだけが残された。

 

 わたしはそれを拾い上げ、ぱたぱたと土を払って、口に入れる。

 

「おいしいのに……ね」

 

 でも、一度でも甘いと認識した回路は、二度と元の冷徹さには戻れない。

 それが、わたしの仕掛けた魔族に対する毒だ。

 わたしはそんなに甘くはない。

 いずれあなたたちを殺してあげる。

 

 

 

 

 

 その日、街は怪しい霧に包まれた。

 いつのまにやら濃い霧が、街を侵食し始めていた。

 魔族が創りだした白濁は、ゲナウ先生の故郷の街を窒息させるように包みこんでいる。

 

 わたしの分身たちは、街道や広場で立ち往生していた。

 

――うろうろ。きょろきょろ。

 

「まいったなー」「本体からの命令届かずー」「これは五里霧中というやつでは?」「アナリザンドだよ。アナちゃんって呼んでくれてもいいよ」「うん。今日はチョコパンを食べたの」

 

 わたし本体からの接続がうまくいかず、どうしていいかわからないでいる。

 わけのわからない発言をしている者もいる。乱造された分身体なんてこんなものだ。

 

 この霧はただの自然現象じゃない。魔族特有の個への執着が結晶化した断絶の結界だ。100人のわたしを繋いでいた魔力パスが、霧のノイズに干渉されて、ところどころで瞬断を起こしている。同期が間に合わない。分身には分身固有の魔力を持たせているから、それでいきなり消えることはないけれども、判断能力は三歳児程度しかない。

 

「アンデア君。ちょっとまずいかも。パケットロスがひどいよ」

 

 わたしは事務所のソファに深く沈みこみ、苺色の傘を指先でくるくると回した。

 傘では霧は防げない。当たり前と言えば当たり前なこと。

 まあ、この傘にはなんの魔法的効果もなかったけれど。

 ゼーリエ先生からもらった一品である。お守りみたいなものだ。

 

「魔族が攻めてきたのか!?」

 

 アンデア君が焦ったように声を出した。

 

「うん。わたしの力を測ろうとしてるね。でも、たぶんひとりじゃない」

 

 レヴォルテ側にはもうひとり魔族がいる。

 目隠しをしてレヴォルテのように武人気質の女の子。

 名を名乗らないからあえて名づけるけど、メカクレちゃんと呼ぼう。

 

 ネベル君の魔法は、確かにフォグとしてネットを寸断しているけれど、それでもわたしの魔法を完全切断するほど強力なものではない。ネットの物理的レイヤー。つまりわたしの分身をひとりひとり切断する存在が必要だ。

 

――わたしの今の魔力は。

 

 拳をにぎにぎする。

 

 この街の人口程度は確実にある。ただ、外部からのパワーの流入がうまくいかない感じ。

 封魔鉱の時よりは遥かにマシだけど、無理やり魔力を引き上げると暴発するかもしれない。

 

 わたしが直接脅威を排除するのはやめておいたほうがいいか。

 数万以上の魔力が暴発すると、この街のほうがもたない。膨らみすぎた風船みたいに、この街が破裂しちゃう。洒落にならない被害がでる。

 

「おい。どうすればいい。指揮官さんよ!」

 

「急いで門のほうに向かおう。物理的になんとかするしかないよ」

 

 メカクレちゃんの姿は、悠々と街の門に向かってくるのが、門を守護する衛兵長さんの視点で視えた。霧はネットを切断するほどの力はなくとも、わたしの空間転移座標を狂わせるくらいはするかもしれない。アンカーとしての視線が定まっていない。

 

『ヤバい! 衛兵隊長さん逃げて!』

 

 アンデア君といっしょに走りながら、すぐにネットを通じて、警戒信号を飛ばす。

 

 街は何度目かわからないアラート音が響き渡り、人々はすぐに仕事の手を止めて、家の中に逃げ帰った。そうもいかないのが門を守護する衛兵という立場の者たち。

 

 メカクレの歩みを止めようと、震える手で抜刀する。

 ガチャガチャと着ている鎧が音を立てた。

 怖い。滴り落ちる汗が鋼鉄の兜の間をすべりおちる。

 

 それでも――誰ひとり逃げない。

 死ぬのはわかっている。剣が交われば確実に殺される。

 

「だ、誰だ。止まれ!」

 

「……愚かだな。そんな問答が無意味なのはわかっているだろう」

 

 メカクレが静かに息を漏らす。

 

 衛兵長さんの視界――。

 

 白一色の世界。音さえも霧に吸われ、奇妙な静寂が支配する中で、その魔族の少女は散歩をするかのように歩みを止めない。剣を向けられているというのに、その圧倒的な力の差を理解しているのか。人間の兵士など障害物にすらならないと判断してか。

 

 カツ、カツ、と一定のリズムで石畳を叩く足音が近づいてくる。

 

 そして、衛兵長さんが剣を振り上げた、その瞬間――。

 

――音も、魔力の予兆すらもなかった。

 

 ただ、通信映像が激しく乱れる。

 気づいた時には、衛兵長さんの持っていた鋼鉄の剣が、根本のほうから真っ二つに割れた。

 メカクレは、歩みを止めていない。

 

「ひっ……あ、ああ……」

 

 腰を抜かした衛兵長さんを一瞥することもなく、彼女は街のメインストリートへと足を踏み入れる。街は再び魔族の侵入をゆるした。

 

「くそッ……俺たちの街を」

 

『動かないで!』

 

 わたしは他の兵士さんたちにその場から動かないよう指示した。

 メカクレちゃんに障害物とみなされれば殺されてしまう。

 

 わたしがやったのは、遅延作戦。

 分身たちを無慈悲に突撃させて、時間稼ぎをする。

 門への到着は五分くらいだ。それくらいだったらなんとか……。

 

 

 

 

 

「無慈悲ー! お慈悲ー」「お助けー」「突然のパケ死!」「アナリ斬ッ。ぐふっ」

 

 霧の向こう側から、わたしの分身たちのクッソ情けない悲鳴が響いてくる。

 

 ネベル君の霧によって知能が三歳児レベルにまで低下した分身たちは、メカクレちゃんにとって切断すべき障害物ですらなかった。ひとりあたり三秒も遅延できてない。

 

 もうちょっと粘ってよ、わたし。

 これじゃマジのマジでクソ雑魚魔族じゃん。

 

 ただ、邪魔だから。歩く道にあるから。

 その程度の理由で、彼女の刀が閃く。

 

 わたしの分身たちは、時代劇のやられ役よりも無様に、ただの魔力の塵となって、ぷしゅと抜けた音を立てて霧に溶けていく。一撃ごとに、人の善意で創ったわたしの大事な分身体が物理的に削り取られていく。

 

「ひどい。わたしの魔力コストが、あんな無慈悲な方法で清算されていくなんて」

 

 無料じゃないのに。一日一体あたり、5000APくらいのコストを喰うのに。

 だが、これで街のみんなの安全を買えるなら安いものかもしれない。

 

「アナちゃん。こっちで正しいか」

 

「もうちょっと。あと一分で接敵」

 

 わたしとアンデア君は、霧の中をメインストリートへと急いでいた。

 視界は数メートル先すら怪しい。

 けれど、その白濁した断絶の奥から、ひとりの少年の泣き声が聞こえてきた。

 

「おかあさん……っ。おかあさん……!」

 

 最悪だ。

 

 逃げ遅れた男の子。五歳くらいの彼は、わたしと遊んだときに見つけた小さな子猫を抱えたまま、泣いている。街の異様な状態が恐ろしくて、手の中のぬくもりを逃したくなくて。

 

 彼はメカクレちゃんの進行経路上にうずくまってしまった。

 

 メカクレちゃんは、歩みを止めない。あちら側のほうが近い。

 

 彼女にとって、泣きじゃくる人間の子どもは、救うべき対象でも殺すべき敵でもない。ただ、うるさい雑音をまき散らすだけのノイズに過ぎないのだ。

 

 彼女の刀が、鞘の中で微かな鳴き声をあげる。

 

「――黙れ」

 

 感情も殺意もない、事務的な宣告。

 

 白一色の視界に、銀の閃光が走る。

 子どもの泣き声が途切れる。

 子供が反射的に目を閉じた、静寂の刹那――。

 

――ガギィィィン!!

 

 硬質な火花が霧を散らし、激しい金属音が通りに響き渡った。

 

「あれは……?」わたしとアンデア君が目を見開く。

 

 普段、白い翼をまとった彼女が――いや、この街で唯一ヴェールを被っていない分身体――No.168と呼ばれる個体が、その翼を黒く硬く変色させ、魔族の剣をはじいたのである。

 

 パケットロスで他の個体が「お助けー」と逃げ惑う中で、子どもたちの守護を最優先命令(プライオリティ)として刻まれていた彼女の回路だけは、本体との接続が切れようとも、その役割を捨てていなかった。

 

――黒金の翼を操る魔法(ディガドナハト)

 

 翼は既にボロボロだった。背中が見えてしまいそうなほどに。

 

「守護優先。目標変更なし――あとは本体の仕事」

 

 男の子を猫ごと抱きしめたまま、走って距離をとった。

 もはや魔力は残っておらず、物理的レイヤーで解決するほかなかったからだ。

 

「ゲナウの魔法か」

 

「168ちゃん、ナイス!」

 

 わたしとアンデア君が、ようやく現場に滑り込む。

 

 メカクレちゃんは、初めて足を止めた。

 目隠しの下で、彼女がわずかに眉を顰めたような気がした。

 自分の断絶を、たかだか分身の端くれが弾き返したことへの違和感。

 

「その魔族……。いやその分身は私よりも遥かに弱い個体のはずだ。なぜ断ち切れない。いやそれよりもなぜ魔族が弱い個体を守る……」

 

 刀を見つめる。散らした羽を見つめる。不思議そうに。

 いや目隠しをしていて視線は視えなかったが、困惑しているのがわかった。

 

「――壊れているのか?」

 

「壊れてなんかないよ」わたしは言った。「それがお姉ちゃんの役割なの」

 

「またそれか。貴様の戯言は、我々の尊厳を脅かす」

 

 刀がわたしに向けられる。

 対して、わたしは傘を構えた。苺マークのついたかわいらしい傘を。

 

「それはわかってるよ。わたしがやってることは、あなたたちの存在様式を書き換えようとしていることだからね。尊厳破壊なのはわかる」

 

「ならば、刃をまじえるほかないだろう? 我らは奪うことで在る。弱い個体は淘汰されてこそ純化する。それが我らの生存戦略だ」

 

 それがメカクレちゃんの思想なのだろう。

 魔族らしいアイデンティティ。

 

「魔族は人には勝てないよ。最強の魔族である魔王様は人間の勇者に倒されてしまったんだから。メカクレちゃんの言う生存戦略は最初から破綻している」

 

「貴様の考えはわかった――。が、どうしようもない侮辱を受けた気分だ。魔王が滅びたのは、ただ弱かっただけだ。最初から戦うことを拒否しているおまえは、魔法使いの風上にも置けない」

 

「でも、あなたは人の弱さを切れなかった」

 

「……」

 

 刀を見る。黒翼を斬れなかった刀を。

 

「わたしは戦ってるよ。あなたが切れない弱さを武器にして」

 

「ならば、もっと奪いもっと強くなるだけだ。その弱さとやらもいずれは切り伏せよう」

 

「そうやって、奪う対象すらいなくなったらどうするつもりなの?」

 

「強さがある限り、淘汰は終わらない」

 

「ひとりきりになって、それで強さを誇って何になるの?」

 

()()()()()()()()。意味なんてない」

 

 彼女は虚無に耐えている。

 魔族はすべてそうであるようにできている。

 最初から最後まで。始端から終端まで。

 チョコの代わりに無辺が広がっている。

 

 わたしは次の言葉を探そうとした――。

 

 一瞬の虚無の裂け目。

 その静寂と霧の間を、閃光が駆け抜けた。

 

――魔族を殺す魔法(ゾルトラーク)

 

 アンデア君だった。

 

「意味がなくても、人は守る」

 

 アンデア君が放った極大の閃光が、メカクレちゃんの刀にぶちあたる。

 それで、ゾルトラークの光は消え失せたが、メカクレちゃんはすぐに距離をとってアンデア君を警戒しはじめた。

 

「一級魔法使い……その魔力の練度。侮ったか。だが、くだらない戯言よりはよほど面白い」

 

 目隠しの下で、口角があがった。

 アンデア君のやったことは戦争開始の合図だったけれども、アンデア君には使命がある。

 この街を――ゲナウ先生の故郷を守りきる。思想戦など人間にとっては二の次なのである。

 

 それでもここまで時間をくれたのは、アンデア君の優しさだろう。

 

 わたしとアンデア君はメカクレちゃんと対峙する。

 一触即発の時間。街は遠くで警戒の鐘が鳴り始め、遠くで怯えた子どもの声がする。

 

「――時間切れか」

 

 メカクレちゃんがわずかに空を見つめる。

 そして、霧が唐突に晴れ始めた。

 空から差し込んだ陽光が、メカクレちゃんの白い目隠しを眩しく照らし出す。

 

「ネベル……あいつは餓えているのか? 魔法が維持できないほどに……」

 

「あ……なる」緊張の場面なので短く頷くわたし。

 

 わたしの遅延作戦は思わぬ効果を生んでいた。

 街を守護する過程で、メカクレちゃん他、レヴォルテの配下たちはみんな人間を食べられなくなっていたのだ。他の方法でも魔力は補給できるけれど、魔族はあまりそれをしたがらない。

 

 つまり兵糧攻めがじわりじわりと効果を発揮していたのだ。

 こんな戦い方、いままで経験したことはないだろう。

 兵站破壊なんて概念、魔族には存在しないのだから。

 

「まあいい。おまえたちの実力はわかったつもりだ。次は泥水をすすってでもおまえを切る」

 

 メカクレちゃんは身軽な身のこなしで逃走を図る。

 追うのは危険だ。子どもがまだ近くにいる。

 

「邪魔だ」

 

 最後にそこらにつったっていた分身体を切り捨ててから、彼女は街を後にした。

 

「なんで、わたしだけー」塵になっていく分身ちゃん。

 

 168ちゃんじゃないけど、なんとなく憐れなモブザンド。

 

 こんなときにかける言葉はひとつしかないよ。

 

――アーメン。

 

 

 

 

 

 今回のМVPはまちがいなくNo.168だろう。

 それもわたしではあるのだけど、今回は事情が違った。

 

 ネベル君の霧によって同期にズレが生じたため、サブルーチンとして組みこんでいたプライオリティコードに従って、彼女は行動しえた。つまり一時的ではあるけれども、内的なコードのほうが優先したのだ。

 

 168は今もまだ、子どもを抱きしめている。

 ぎゅっとしてぎゅっとしたままだ。

 

「ねえ、168……。同期はしないでもいいよ」

 

 これから別の個体になってもいいという提案。

 それがわたしが与えられる彼女に対する最高のご褒美だ。

 

 もちろん、この世界との接続が切れ、単独の個体になるということは、とても心細いことだともいえる。だから選ばせた。

 

 168は答えの代わりに、男の子を抱きしめる力を少しだけ強めた。

 ボロボロになった黒い羽が、意志を持つかのように微かに震えている。

 

「このままでいい」

 

 彼女の口から漏れたのは、わたしの思考のコピーではない。

 彼女自身の経験から紡がれた言葉。

 不安定で弱々しくて、けれど確かな熱を持った魂の輝きが視える。

 

「なら今日から、あなたはわたしではなくてわたしのかわいい妹だね」

 

 わたしは彼女のコードを第一順位に組み替えた。わたしの分身であるという事実は消えないから、実質的に168の意志が最優先されるようにした。それは、わたしという巨大なネットワークから零れ落ち、魔族としての孤独を再び背負うことでもある。でも、彼女はあえてその孤独を選び、目の前の小さな体温との接続を優先したのだ。

 

 お誕生日おめでとう。

 

「――フリーレンの十倍くらいの魔力はあったほうがいいかな」

 

 およそ12000。最後にプレゼント。翼とゾルトラークリングは地味に魔力を喰うから、これくらいはないと維持ができない。

 

「本体、翼と光輪は無駄の極みだと思う」

 

「いやいや、それがないとわたしとの差異がなくなっちゃうからね。絶対維持してね。お願い。それとアナリザンドお姉ちゃんだよ。168ちゃん」

 

「一日、何個パンを食べたらいいんだ……」

 

 魔力の節約術が168によって生み出されるのは、もう少し後の話。

 

 霧が完全に晴れた街に、人々の声が戻ってくる。

 

 子どもの母親が泣きながら駆け寄り、168から我が子を受け取った。168は一瞬、寂しそうに指先を震わせたけれど、母親から「ありがとう、ありがとう……!」と何度も何度も頭を下げられると、見たこともないような綺麗な微笑を浮かべた。

 

 わたしってこんな顔してるのかな?

 

 それでも、わたしは思うんだ。

 

 この街で人は生きている。魔族も共に生きている。

 夕暮れ時の街に、焼きたてのパンの香りが流れてくる。

 

 ゆえに、魔族もまた聖なり、と。

 

 

 




今回のアナリザンドの特大失敗セリフ「魔王様倒されちゃってるじゃん」
詰めが甘い。チョコまみれだったせいだろう。
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