魔族少女のエロタナティブ   作:アナリザンド

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過負荷

 

 

 

 あの最悪な日から、数日経過した。

 

 掲示板ではいまだにエロスとタナトスが激しくつばぜり合いを続けている。

 わたしの頭の中では無数の言葉が飛び交い、怒号、不安、狂気、名づけることもできない様々な感情が濁りきった泥沼の中から無限に湧きだすかのようだった。

 

――異邦のコード。

 

 情報の澱。

 

 都市の深層で鳴り続ける、排除と欲望の混線信号。

 魔族という相容れぬ存在に対する、剥き出しで生き生きとした関心。しかし、その根底には腐った果実のような死臭が漂っている。

 愛でるように罵り、慈しむように排斥する。

 人間たちのその矛盾した熱量こそが、今のわたしの回路を焼き切ろうとしている。

 

 わたしはアンデア君のいる事務所で、その戦争をぼーっと眺めていた。

 

 事務所のソファは少しだけ湿っていて、アンデア君が淹れてくれたお茶の湯気が、視界を白くぼかしている。なにもかもどうでもいい。少しアンニュイな気分。

 思考の並列化を解いているせいで、ひとつひとつの感覚がやけに重く、粘り気を持って心に張りついてくる。

 

 やることがないので、寝がえりを打ちながら、小さな小窓を開く。

 つらつらとニュースや、小説やマンガ……なんかを読みふける。

 けれど、文字が滑る。意味が脳に定着する前に、誰かの悪意ある書き込みが割りこんできて、せっかくの物語を塗りつぶしてしまう。

 ひとつも集中できず、わたしはただ、情報の残飯を掬いあげるようにぼんやりと指を動かし続けた。おなかがすいた。ドーナツが食べたい。

 

 そのうち、わたしはひとつの動画に辿りついた。

 

 サムネイルには、わたしの歪な『こんマゾ』という言葉が、まるで呪詛のように赤黒く加工されて踊っていた。

 

――とある一人のルポライターが、わたしのことを特集している。

 

 その人は正真正銘の人間の男で、死の恐怖よりも功名心が勝ってしまったタイプの極めて人間らしい個体だ。どうやら彼はゼーリエ先生に直談判して許可をとり、一級魔法使いの何人かにインタビューを敢行したらしい。

 

 お題は言うまでもなく――騎士爵アナリザンドという魔族について。

 

 特に、彼女の指先がこれまでにどれだけの命を奪ってきたのかという、最も下世話で、最も残酷な真実に切りこむもの。――らしい。動画の説明欄には、自分は真実を伝えるためにそうしたのだと溌剌と語っていた。

 

 おもしろいね。いっそ笑えるくらい。

 

 世界を救うふりをして、世界を騙している詐欺師(わたし)の正体を暴く――そんな正義ごっこに、先生たちが付き合わされている。

 

 なぜ付き合うことになったか。ゼーリエ先生が許可したから。

 なぜゼーリエ先生は許可したんだろう。わたしを守るため?

 

 でも、消せなかった。

 

 管理権限ひとつでこの記録をなかったことにできるのに、指が動かない。

 いや消せば、タナトスは増殖する。先生たちは『真実』を知りたがる生き物だから。そんなものはどこにもないのに、一級魔法使いという英雄に宿る魔法に、それを託している。憧れて、同一化して、嫉妬して、破壊しながら、インタビューはおこなわれる。

 

 一級魔法使いの先生たちが、わたしをどう思っているか。

 それはわからない。一般的な先生たちに比べれば、自分の魔法が、すなわち自分のなかの真実が優先されるのが魔法使いの特性だ。

 

 化け物として見ているのか、それとも……。

 その鏡のような評価を知るのが、今のわたしにとって唯一の自傷行為であり、唯一の救いのように思えた。

 

 嫌われたくない……。

 魔族の風上にも置けない、生存本能に欠けた醜い願望。

 震える指先で、わたしは恐る恐る再生ボタンを押す。

 

 

 

 

 

【大陸魔法協会総帥:ゼーリエ】

 

『あいつが魔族の味方? 笑わせるな。あいつは魔族にとっても最大の裏切り者だ。同族の食性を否定し、矮小な人間の倫理に自分を嵌めこもうとしている。人間たちはあいつを疑っているようだが、一番あいつを殺したいのは、あいつに生存本能を否定された魔族たちの方だろう。アナリザンドはどちらの側でもない。ただの狂った理想家だ。その狂気がどこまで世界を侵食できるか、私は少しだけ興味がある……』

 

 画面越しの黄金の瞳が、こちらの魂の震えまで見透かしているようで、わたしは思わず視線を逸らしそうになる。動画だ。過去の映像記録に過ぎないとわかっていても、視線があったように感じてしまった。

 

 先生らしい言い分だ。

 

 わたしは観測される対象であり、ゼーリエ先生にとっては、悠久の時の中にたまに咲く、ちょっと珍しい花程度の認識なのだろう。けれどその言葉は、鋭いメスのようにわたしの存在の本質を切り裂いていく。

 

『あいつの管理責任だと? 確かに師としての責任はあるだろうがな。一級魔法使いは、おのおのが独立した世界観を持っている。そうでなければ、一級にはなれない。たとえ師であろうと、その世界観を壊すことはできないんだ。魔法が死んでしまうからな』

 

 そう、魔法使いにとっては、自分の魔法を信じる主観(イメージ)こそが世界のすべて。

 たとえそれが歪んでいても、壊れていても、それを貫き通す強さが一級の証。

 

 先生はわたしを責任で縛りはしない。けれどそれは、わたしがどれほど傷つき、混線し、ポヤポヤになろうとも、救いの手を差し伸べることはないという残酷な突き放しでもあった。

 

 それは、決して埋まることのない深い断絶。

 

 

 

 次に現れたのはゼンゼ先生。

 画面が切り替わった瞬間、ため息が聞こえてきそうなほど、うっとうしそうな視線がインタビューアーを射抜いていた。

 本来なら、こんな下世話な取材など鼻で笑って追い返す人だ。それでもインタビューを拒まなかったのは、ゼーリエ先生に「協力してやれ」とでも命じられたからに違いない。

 

 ゼンゼ先生の長い髪が、苛立ちを隠すようにわずかに揺れる。

 その視線はカメラの向こう側にいるわたしを探しているかのようだった。

 

【一級魔法使い:ゼンゼ】

 

『あの子が過去に人を殺したか? それは、魔族という種の成り立ちを考えれば、人に呼吸をしたことがあるかと問うようなものだ。……けれど、私は殺していないと思う。誰がなんと言おうとだ。記者の君、君はさっきから、真実ばかりを追いかけて、事実をとりこぼしている』

 

 ゼンゼ先生は、一度だけ目を閉じて、言葉を選ぶように沈黙した。

 

『私がなぜそう思うか? あの子の髪の毛からは、いつだって石鹸とトリートメントのいい匂いがするんだ。血の匂いというものはね、洗っても洗っても、そう簡単には落ちない。私は、それを嫌というほど知っている』

 

 トリートメントはしているよ。

 指通りを滑らかにして、自分は清潔だと、文明側にいるのだと自分を騙すために。

 

 でも、ゼンゼ先生は知っているのだ。

 かつて自分が奪った命の、こびりついて剥がれない鉄に似た血の臭いを。

 

 先生は、その後悔を昇華するためにわたしを使っている。

 血まみれの過去を持つ自分が、真っ白な魔族を潔白だと保証してみせる。

 それは呪いそのものの魔族に、人殺しの人間が、免罪符を刷っているようなものだ。

 先生、大好きだよ。

 殺したくなるくらい。

 

 

 

【一級魔法使い:ファルシュ】

 

『(眼鏡を押し上げながら)客観的に見れば、彼女は極めて効率的な統治ユニットです。人を殺した過去? 少なくとも他の魔族を見逃している、ですか……。仮定に仮定を重ねるのはあまり賢くないですが、それを罪と定義するなら、彼女は即座に排除対象でしょうな。しかし、法とは秩序を維持するための道具。彼女という存在が介在することで、本来なら壊滅していたはずのゲナウの故郷が、今もこうして街として機能している。功罪を正当に評価すべきではないでしょうかね』

 

 ファルシュ先生らしいなぁ。

 画面越しでも伝わってくる、体温の低い合理。

 彼にとっての正義とは、感情の振れ幅ではなく、収支報告書の末尾に書かれた黒字の数字のようなものなのだ。

 街を守ることは人間にとって善で、そのためのコストとして魔族の過去を目零しするのは()()()()()だと、あの眼鏡の奥の瞳は冷徹に計算している。

 

 悪いことをしていても、より大きな善で相殺されうる。

 

 これって、生存を最優先にする人間の価値観としては、ぐうの音も出ないほど標準的で、そして残酷な論理だ。返報性の原理はマイナス方向でも働くけれど、それ以上に、相手が安全をもたらす存在であるという実利が、過去の返り血を洗い流すための洗剤になる。

 

 けれど、ファルシュ先生。

 あなたのその計算式には、もっと不確定で、もっとドロドロとした変数が足りていない。わたしが秩序の道具として扱われれば扱われるほど、わたしの中のネットワーク――街の心理レイヤーは、見えない場所でガタガタと悲鳴を上げている。

 

 誰かがわたしに感謝するたびに、その裏側でいつ食われるかわからないというタナトスが肥大化していく。功罪のバランスシートをどれだけ綺麗に整えたところで、人間たちの脳裏にこびりついた魔族という原罪のイメージは相殺なんてされない。

 

 千年もの殺戮の歴史が、街の悲鳴に変わる。

 破綻はもう目の前まできている。

 街を守りきる自信はない。

 

 

 

【一級魔法使い:ゲナウ】

 

『アナリザンドが人を殺したことがあるかだと? 愚問だな。魔族だぞ。過去に何を食い誰を裂いたかなど、調べればいくらでも血の跡は出るだろう。だが、今のあいつが守っているのは人の街だ。それが偽善であれ飼育であれ、現状、あいつ以上に効率よく、あの街を維持できる存在はいない。裏切られるまでせいぜい利用してやればいい。ただそれだけのことだ』

 

 ゲナウ先生らしい合理。

 わたしは消極的に肯定されている。

 一度も故郷のことを故郷って呼ばないところが、先生らしくて好きかな。

 でも、わたしがダメになってもゲナウ先生はやるつもりなのだろう。

 ミミも、容赦なく殺される。

 ゲナウ先生の到着までもうすぐ。

 あまり時間は残されていない。

 

 

 

【一級魔法使い:ブルグ】

 

『俺の魔法は守りに特化しているが、彼女の白く細い足で一蹴りされただけで破壊された。無垢な一撃で、人類最高峰とされる一級魔法使いの俺が足蹴にされたのだ。この事実からもわかるとおり、アナリザンドは今すぐにでも人を殺せるほどの実力がある。だがそうはなってない。レンタルアナリザンドを体験していれば誰だってわかることだ』

 

 あはは。先生、隠しきれてないよ。

 わたしの足に興味津々なのが見て取れる。

 でも、わたしが殺せるって知られるのはどうなんだろう。

 わたしを怖がる子がでてくるかもしれない。

 それが少し嫌だった。

 

 

 

【一級魔法使い:メトーデ】

 

『魔族の味方か人類の味方か……。アナリザンドさん自身、その境界線がもう分からなくなっているのでしょうね。掲示板で流れる憎悪は、そのままあの子の脳を焼く。もしアナリザンドさんが本当に人類の敵なら、ネットの書き込みに沈黙を返したりはしないでしょう。あの子は今、自分の同族が犯した罪を、自分自身の罪として背負いこもうとしている。あまりに非効率で、愛らしいほどに不器用な方です。また逢えたらギュっと抱きしめてあげたいですね。補給ですよ』

 

 またわたしで幼女成分を補給しようとしている。

 メトーデはあいかわらずメトーデで、少し笑ってしまった。

 でも、メトーデはまちがえている。

 わたしの罪は、人を殺した魔族を赦そうとしていることだ。

 殺された当人や家族にとって、その罪は赦しがたいものだろう。

 

 

 

【一級魔法使い:デンケン】

 

『ミミという小娘が人を食ったという事実。それを隠していたアナリザンド。世論が燃えあがるのは当然だ。だが儂は宮廷で嫌というほど見てきた。清廉潔白を謳いながら裏で民を啜る魑魅魍魎どもをな。それに比べれば、己の業を抱えたまま、震える足で街の平穏を願い続ける魔族のほうが、儂にはよほど誠実に見える。儂はあの子の過去を問わんよ。問えば、儂も問われるからな』

 

 政治家だなぁって思う。

 わたしの罪責を正確に理解し、そのうえで問わないといってくれている。

 でも、それはわたしの罪を問わないだけで、それが赦されるものだとは考えていない。

 魔族を救いたい――人間と共存できるようにしたいという願いは、たぶんデンケンお爺ちゃんのなかでは棄却されている。少なくとも、彼の優先順位は街を、人間を守ることにある。

 

 

 

【一級魔法使い:レルネン】

 

『私も過去に一度、彼女を除いてみようとしたことがあるのです。ですが、彼女はただの一撃すら反撃の魔法を撃たなかった。それが私は堪らなく恐ろしかった。我々一級魔法使いは誰かを殺す。魔族も人間も敵であれば躊躇なく殺す。敵でなくとも殺す。殺されるかもしれないと恐怖を感じるからです。少なくとも私はそうしてきました。私はアナリザンド様の罪を問う資格はないのです。私は臆病な人間ですから』

 

 いきなり黒ゾルトラークをぶっぱしてきたからね。

 しかも、大陸魔法協会内で、廊下でだよ。

 レルネン先生は、わたしを同志だと言ってくれた。

 でもそれって、同じ穴のむじなって意味だったのかもしれない。

 罪を犯したものどうしの、昏い連帯。

 乙女は、わたしたち、魔族のことでもある。

 

 

 

【一級魔法使い:リヒター】

 

『勘弁してくれ。俺はただの魔道具屋だぞ。そんなことにかかずらってる暇はないんだ。一級魔法使いとしての意見を聞きたい? さっきも言ったとおり、俺は魔道具専門だ。魔族は魔道具を使ったりしない。……いや、ひとつだけあったな。あいつは俺にフェルンの杖を治すよう依頼した。ガタがきて、買いなおしたほうが早いやつだ。あいつは道具の価値を知っている。使い捨てるお貴族様よりはマシだろうな。さあ帰ってくれ』

 

 それはフェルンちゃんの杖だったからだ。

 道具としての価値を知ってるわけじゃない。

 でも、人からはそういうふうに見えるかもしれない。

 

 

 

【一級魔法使い:エーレ】

 

『なによなによ。言いたいことばかり言っちゃってさ。あの子に逢ったこともないのに好き勝手言わないでくれる? 私はあの子がいたから夢を形にできたの。みんなだってそうじゃない。欲しかったものを贈られて嬉しがって、奪われたかもしれないって被害妄想を膨らませるのは、馬鹿のやることよ』

 

 感情が爆発してる。

 わたしの唯一の友達は、あいかわらず乙女心を全開にしていた。

 彼女は乙女ゲームが好きで、同じ理屈でわたしに味方してくれている。

 

――嫌われたくない。

 

 ただ、その言葉が思い浮かんだ。

 

 

 

【一級魔法使い:ヴィアベル】

 

『おいおい。今更そんなことが気になるのかよ。魔法ってのは人殺しの道具なんだぜ。でも笑えるのは、おまえのほうだよ。インタビューアーさんよ。だってよ。おまえがいま使ってるのは、アナリザンドの魔法なんだぜ。あいつがその気になれば、ネットの意見なんていくらでも封殺できるんだ。皆の意見を伝えてる? おまえがやってるのはただの道化だ』

 

――殺したくない。

 

 

 

【一級魔法使い:ユーベル】

 

『あはは。おもしろいことになってんねー。私はべつに人を殺したか殺してないかなんてどうでもいいと思うんだよねー。たぶんキル数では私のほうが多いだろうし。ああ、山賊とか野盗とかそういうのだけどね。そんなに脅えないでよ。罪がない人間を殺してるかも? へえそんなことが気になるんだ。でも、罪がない人間なんてこの世にいるのかな? 境界線? ふうん。そんなラインなんて魔法ですぐに切断できるよ。やってみせようか?』

 

――殺さないで。

 

 

 

【一級魔法使い?:影騎士】

 

『本当の悪とは己がうちに潜むものだ』

 

 ……。

 

 

 

【一級魔法使い:エーデル】

 

『なにやらけったいなことになっとるのう。じゃが、十中八九、この状況は魔族の呪いがもたらしたものじゃろう。アナリザンドではなく、誰か……もっと邪悪な者が潜んでおる。そやつを見つけ出さん限り、人類の勝利はない。あやつにかまけてる暇があったら、とっとと街の募金でもしてきたほうがよっぽどマシじゃ。儂か? 懐が心もとなくてのう……』

 

――殺さなきゃいけないの?

 

 

 

【一級魔法使い:フリーレン】

 

『知らないよ。そんなこと』

 

 

 

【一級魔法使い:フェルン】

 

『…………ク』(レポートはここで途切れている)

 

 

 

 




もう一話。
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