魔族少女のエロタナティブ   作:アナリザンド

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変身

 

 

 

 熱に浮かされている。

 

 言葉が増殖しすぎている。それは風邪のウィルスのように<わたし>のなかで広がり、秩序だった力の流れを妨げていた。

 

 つまりはポヤポヤザンドの出来上がりというやつだ。アンデア君が濡れタオルをかけてくれてるけれど、わたしは知恵熱に浮かされたように、高速でタオルを温めている。

 

――蒸気が見えるくらいの速度。

 

 たぶん、今のわたしはギリギリ一級魔法使い並のパワーしか出せない。

 それほどにネットワークにダメージを受けている。

 

 今、街ではタナトス――死の欲動が圧倒的に優勢な状態だ。

 逃げる者は逃げた。街中にいる人も街の外にいる人もわたしに対する疑念を棄てきれない。

 結果として、わたしの分身たちはただの案山子よりも出来の悪い木偶状態。

 

 三歳児並の知能で今日もむなしく誰にも聞かれることなく「こんマゾ」してる。馬鹿みたいに「敵は来んマゾ」みたいな親父ギャグを飛ばしながら、誰にも声をかけられず、街のみんなにも遠巻きに見られながら、ただ駆動しているだけの存在だ。

 

 でも、おそらく元々そうだったのだ。

 

 ソリテールの実験は、きっかけに過ぎず、わたしは結局のところ魔族も救いたいというどっちつかずな態度のままだったのだから。遅かれ早かれというやつ。それがちょっとだけ早かれになったとしても、あんまり大勢に影響はない。

 

 矛盾しているから。

 

 人を守りたい。魔族も守りたい。

 そんな理想なんて、現実の前では容易く葬られてしまう。

 だったら、ミミがソリテールに殺されてでも、わたしは掲示板ごと消滅させるべきだったのだろうか。それはどうしてもできなかった。ミミは妹だった。過去のわたしだった。だから見捨てられなかった。見捨てたら、今のわたしは死んでしまう。

 

 そして誰かに助けを求めることもできない。

 魔族は孤独な存在であるから。孤独であることで完結しているから。

 

 わたしは今日ここに至るまで、演算処理として、何も対策を施さなかったわけじゃない。

 

 候補としてあげられたのはふたり。

 デンケンお爺ちゃんとゼーリエ先生だ。

 

 でも、わたしの脳内シミュレーションにおいて。

 いずれも正解に辿りつかないのは明らかだった。

 

 

 

 

 

 シミュレーション A:【デンケン】――『情愛という名の引導』

 

 

 

 デンケンお爺ちゃんに、「ミミを助けて、街の炎上も止めて。もう苦しくて、どうしたらいいか分からないの」と泣きついた場合。

 

 おそらく彼は、まずわたしの頭を撫でる。ラオフェンちゃんほどではないけれど、わたしも孫的な何かとみなしてくれているだろうから。

 

 それから静かに言うのだ。

 

「アナリザンドよ。まずは事実を整理しよう」

 

 声は穏やか。感情は波立たない。

 しかし、それは「もう遅い」という言葉を遅延させるための言葉に過ぎない。

 

 結論。ミミは危険因子だと認定されるだろう。ソリテールが背後にいたとしても結論に変わりない。魔族は人を食うのだから。ミミは人を食べているだろうから。いや実際に食べていなかったとしても、掲示板に提示された事実は変わることはない。上書きされることはあったとしても、それは翻案にしかならない。

 

 掲示板は不安を増幅する装置である。

 

 ならば断ち切る他ない。ミミを。

 あるいは呪いで膨れあがった掲示板ごと。

 

「救えぬ命を抱えこめばより多くを失う。わかるかアナリザンドよ」

 

 きっと、お爺ちゃんは寂しそうな顔でそう言う。

 それは間違っていない。

 街の炎上は止まるだろう。

 疑念は沈静化するだろう。

 一級魔法使いの権威が後ろ盾となり秩序は回復する。

 

 わたしは守られる。

 でもそれは、わたしが目指した世界ではなかった。

 

 魔族を救いたいというわたしの理想はそこで切断される。

 現実的ではないと優しく葬られる。

 

 そしてわたしは学ぶのだ。

 

――理想は、持つだけなら許される。

 

――だが守るなら、何かを棄てなければならない。

 

 デンケンお爺ちゃんは間違えない。

 間違えない代わりに迷わない。

 迷わない代わりに、わたしの揺らぎを肯定しない。

 

 だからこのシミュレーションは、成功率が高い。

 

 街は救われる確率87パーセント以上。

 

 わたしは完成に近づき、決して揺らがない何かになって。

 でも、わたしは、きっとどこかで壊れてしまう。

 理想を切り落としたわたしは、今よりもずっと綺麗で今よりもずっと空っぽだ。

 

 それはわたしではない。

 

 ゆえに。

 シミュレーションAは却下。

 

 

 

 シミュレーション Z:【ゼーリエ】――『選別という名の正解』

 

 ゼーリエ先生に「ミミを助けたい。でも街も守りたい。どうしたらいいの」と問いかけた場合。

 

 先生は、きっと少しだけ目を細めるだろう。

 それから、面倒くさそうに言う。

 

「ずいぶんと都合のいい魔法を唱えるものだな」

 

 慰めはなく逡巡もない。

 

 ミミは魔族。人を食べる存在。

 人と共存するには、条件が足りない。

 

「可能性はある」とは言うかもしれない。

 

 だけどそれは未達の話。今ではない。ここではない。

 

「今ここで私に証明してみせろ」

 

 先生はきっとそう言うだろう。

 

 救えると言うなら救ってみせろ。

 救えないなら、殺してしまえ。

 そのどちらもできないなら、黙っていろ。

 

 それが一級魔法使いだ、と。

 魔族という理不尽に抗してきた人間の成れの果てだ、と。

 

 先生は情ではなく基準で世界を見ている。

 今という一点に収束される現実で、この世界を測っている。

 

 だから魔族を救う理論が完成すれば採用する。

 完成しなければ、容赦なく切り捨てる。

 ただそれだけの冷たい機構が、エルフという長命種の中で駆動している。

 

 だからこのシミュレーションの結果は明快だ。

 

 ミミを生かすなら、わたしが責任を負う。

 街が壊れれば、それもわたしの責任。

 

「覚悟のない理想は、現実を汚染する魔族の呪いに過ぎない」

 

 たぶん、そう言われる。

 

 先生は間違えない。

 間違えない代わりに助けない。

 助けない代わりに手は貸してくれる。ほんのわずかばかり。

 

 でも、結果責任を負うのはわたしだ。

 

 街の炎上は、五分五分。

 わたしが証明に成功すれば救われる。

 失敗すれば、わたしごと排除される。

 

 先生はそのどちらも受け入れる。

 だから、このシミュレーションは正しい。

 

 もしも失敗したとしても、帰ってくることくらいは許されるかもしれない。

 限界ギリギリまでがんばって、それでもダメだったら、先生はちょっとだけ溜息をついて、それでも側にいることはできる。わたしは人間に嫌われて、みんなのお姉さんではなくなって、あるいはミミが死んで、魔族を救うことはできないという結論を抱えながら、先生の側で朽ち果てるのを待つだけの存在になるだろう。

 

 そんなのは嫌だって思う。

 

 でも今のわたしに何も証明する力はなかった。

 ポヤポヤザンド状態のまますべてを救えると言い張るのはただの虚勢だ。

 幼子すらもっとマシな嘘をつく。

 

 理論は未達。実験は途中。ミミは未検。

 

 ならば結論はひとつ。

 

――今は殺しておけ。今を守るために。

 

 それが先生の正解。

 無論、わたしの正解ではなかった。

 

 ゆえに。

 シミュレーションZも却下。

 

 

 

 

 

 体が熱かった。

 ふたりの巨星のシミュレート結果はもちろんただの演算に過ぎない。

 でも、一度実行してしまったら取返しがつかない。

 それすらも怖くて、わたしは何もできずにいた。

 

 アンデア君が街を巡回している間、わたしはソファでうんうん唸るばかり。

 あるいは他の先生たちに助けを求めるという道もあるにはある。

 けれど、これらは結局、極限化されたふたりのモデルに収束していく。

 

 フェルンちゃんに助けを求めても、エーレちゃんに助けを求めても。

 結局は同じ。誰も――。たぶん。救えない。

 それほどに魔族は救い難い存在。あるいはわたしも――。

 

 そのとき、演算網の端で、ひとつの優先信号が割り込んだ。

 

 最上位権限。拒否不能。

 皇帝陛下より、直々の召喚。

 

――参上せよ、と。

 

 ただそれだけが書かれている。

 

 今、この状況で?

 皇帝陛下だってネットにつながる。今この状況を正確に理解しているはずだ。

 もしかすれば、自分の立場さえ危うくなるかもしれないのに。

 

「それでも……呼んでくれてる?」

 

 逃げ場を失った思考が、一瞬だけ止まる。

 無意味だと思った。くだらないと思った。だって、皇帝陛下は皇帝陛下だけど、なんの力も持ってない、魔力もほとんどない、ただの平凡な人間だからだ。

 

 けれど呼ばれている。

 

 わたしはフラフラしながらも立ち上がった。

 足取りは覚束ない。

 熱に浮かされたまま、空間転移し、長い回廊を進む。

 誰にも見とがめられず、すれちがっても、騎士爵がそこにいる。

 わたしに敬礼する兵士さんたち。

 

 ひきずるように歩く。やがて陛下のお部屋が見えてきた。

 横に控える近衛兵さんが扉を開いてくれる。

 

――わたしは騎士爵で、陛下の臣だった。

 

 すべて夢のなかみたいで、陛下の私室の扉が音もなく開く。

 重厚で、静かで、余計な装飾のない空間。

 

 陛下は、そこにいた。

 玉座ではない。執務机でもない。

 ただ、ひとりの人として立っていた。

 なんの力もない平凡な人。

 けれど、その威光は女神様のように強く、わたしは今にも膝を突きそうになる。

 その人は、心配そうに声をかけた。

 

「息災か? アナリザンド。疲れが顔に出ているぞ」

 

「うん……ちょっと疲れちゃって。ごめんなさい」

 

「何を謝っている?」

 

「だって、陛下の誉れを穢しちゃったから」

 

 騎士爵をもらったすぐ後に、掲示板は大炎上。

 アナリザンドは、人類の敵かもって言われてる。

 わたしを騎士爵にした陛下にも類が及んでいるはずだ。

 

 けど――怒り。

 

「余の誉れだと?」陛下は眉を少しだけ上げた。「余の誉れとは何だ?」

 

 問いは静かだが、逃げ場はどこにもなかった。

 わたしはわけもわからないまま言葉を操っている。

 陛下の誉れを穢したのは、今まさにこの時だった。

 演算が間に合ってない。

 

「違うの。ちょっとした言葉の綾ってやつで」

 

 陛下は遁辞を許さない。

 

「ではなんだ? 余の臣が、迷い、悩み、揺らぐことか?」

 

 違う。

 

「それとも」神の子が近づく。「余の臣が、理想を抱いたまま立とうとしたことか」

 

 言葉が胸に刺さる。

 

「夢物語だよ。魔族と人間が仲良く生きるだなんて、最初からできるはずもない幻想だったの」

 

「確かに余の臣のなかでもこれほどのじゃじゃ馬は見たこともない。だが――、そもそも余は馬を飼いならそうなどとは思っておらぬ。草原の広さも知らずに力の限り駆けてもよい」

 

 たてがみを撫でるように、ひと撫でされる。

 ただ静かに、大きな手が乗せられて。

 それは、力のない魔力もない手で。

 だけど、大きくて温かかった。

 わたしの熱が吸い取られていく。

 わたしは叱られた子どもみたいに顔を伏せる。

 

「毅然とせよ」声が落ちる。「顔をあげよ。胸を張れ。余の臣であるならば」

 

「でも、わたし何もできないかも。街も守れるかわからないの」

 

「守れるかどうかを余に問うてはならぬ。余は未来を約さぬ。勝利も約さぬ。成功も約さぬ」

 

 静かに、しかし揺るぎなく。

 

「余が命じるのは、ただ一つ」

 

 わたしの額に、こつんと指が触れる。

 

「膝を折るな。倒れるなら前に倒れよ。選べ。選んだなら揺らぐな」

 

 わたしは息を呑む。

 

「街が滅びるかもしれぬ。そなたの妹が救われぬかもしれぬ。そなたが憎まれるかもしれぬ」

 

 それでも――。

 

「それでもなお立つ者を、余は臣と呼ぶ」

 

 目が合う。魔力はない。だが逃げられない。

 こんなにも強い魔法を帯びた人を、わたしは見たことがなかった。

 

「余の誉れは余が守る。其方は其方の理想を守れ。それで足りぬなら皇帝など要らぬ。余は、そなたの理想の責任までは負わぬ」

 

 静かに強く。

 

「だが立つ背は預かろう。存分に駆けよ、余のじゃじゃ馬よ」

 

 ポタリ……ポタリ……。

 涙が溢れて止まらない。こんな欠陥製品をどうして女神様は創ったのだろう。

 

「陛下……ありがとう」

 

 声が震える。でももう迷わない。

 皇帝は、静かに頷く。

 

「礼などいらぬ。臣として帰れ。そして立って駆けろ。草原の果てまで」

 

 わたしは、深く頭を下げる。

 熱が力に変わる。

 矛盾を抱えたまま、でも毅然と。

 

「はい……陛下。ご下命承りました」

 

 空間を跳ぶ。街へ。

 分身たちの「こんマゾ」が、わたし自身の声に重なる。

 今度こそ、膝を折らない。倒れるなら前に倒れる。

 ミミを救う。街を守る。ソリテールを止める。

 理想を抱いたまま、力の限り駆ける。

 魔族として、人間として、騎士爵として。

 

 陛下の臣として。

 

 わたしは駆ける――。

 

 

 

 

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