魔族少女のエロタナティブ   作:アナリザンド

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人でなしは救われない

 

 

 

 街の外縁を越え、石畳が土へ変わる。

 シュタルクは後退しながら、メカクレの刀を受け続けていた。

 

――ガギィン。

 

 火花が夜に散る。

 

 霧は森にも流れ込み、木々の輪郭を曖昧にしている。

 月は出ているはずなのに、光は届かない。

 白い膜が空間を歪め、距離を誤認させる。

 

「逃げ足だけは一級並だな。これもおまえたちの言う生存戦略というやつか」

 

「街では戦わせねえ。おまえは釣られたんだよ。俺に」

 

「違うな。私に切断されたんだ。ひとりで何もできない塵どもが」

 

 メカクレが嗤う。

 

 次の瞬間、消えた。

 否――視界から消えた。

 

 背後に気配。

 シュタルクは振り向かない。

 直感で斧を振るう。

 

――ガァン!

 

 刃と刃が衝突する。

 

「ほう」メカクレの声が耳元で響く。「見えていないはずだが?」

 

「見えてねぇよ。だがな。おまえが剣をふるうとき、おまえの意志が見えるんだよ」

 

「それは誤認だな。我々に意志などない。心などない。ゆえに殺意などない」

 

 言ってるとおり、幽霊みたいな存在だった。幽鬼といったほうが正確かもしれない。

 分類なんかどうでもいい。まるで夢でも見ているような返事だったが、意志は伴っているようでもあった。

 

 ともかく、シュタルクにとって、魔族とは目の前にいる敵で、人喰いの化け物で、優しい姉と似ても似つかない存在だ。けれど人間は連想してしまう。言葉をしゃべり意思疎通が測れるなら、そこにどんな違いがあるのか。

 

 姉――アナリザンドの笑顔。

 敵――メカクレの冷たい顔。

 

 シュタルクは思考しない。沈思黙考するタイプではない。

 信じるのは、手に持った斧で触る世界と、肩に乗った目に見えない重さだけだ。

 

 メカクレの刀は軽い。

 技は鋭い。速い。正確だ。力も強く、魔族の膂力は人間のそれを大きく超える。

 魔力で身体能力をあげた魔法剣士である剣筋は、大木すらも一刀で両断するほど。

 

――ズシャ。

 

 刀からは攻撃が旋風となって駆け抜けた。

 シュタルクの周りの空間ごと切り裂く。体がバラバラに引き裂かれるような感覚がする。

 一撃だけで、無数の傷痕が生まれた。

 これでは嵐の中を、小さな船で渡ろうとするようなものだ。

 

 だが――それでもやはり軽い。

 

 覚悟が軽いのではない。存在が軽い。

 魔族特有の、命を懸けるという概念の欠落。

 他者の命も自分の命も鳥の羽一枚よりも遥かに軽い。

 

 ただ、今はその軽やかさが残虐な刃となってシュタルクに迫った。

 刃が空間を滑るように跳ぶ。曖昧で狂った軌道。シュタルクは身をかたくするほかない。

 

 肩を浅く斬られる。

 

「ぐっ」

 

 血が飛ぶ。遅れて痛みが脳髄を走った。痛みというより熱さ。

 鋭い刃で切り裂かれた肩口からは血がしたたり、指の先から力がぬけていく。

 シュタルクは痛みに遅れじと、斧を落とさないように腹に力をこめた。握った拳を岩のように固くし、さらに斧をにぎりこむ。腕に巻いたギブス代わりの腕巻きがミチミチとうなった。

 

 メカクレの追撃が容赦なく続く。刀が――剣筋が伸びる。伸びる。

 襲い来る両足さばきは妙に白く生々しかったが、まぎれもなく達人のそれで、一呼吸の間に距離をつぶされた。

 

――ドス。

 

 次は肩を射抜かれる。避けようと思ったが避けられなかった。

 

「ぐっ」シュタルクが短くあえぐ。

 

 対するは三日月のような口元。

 メカクレが刀を引き抜き、血のしたたりをわずかに見た。

 目隠しされて視線は視えなかったが、うっとりと――そう表現するのが正しいように、短い戦闘時間では異例なほど長く、二秒あるいは三秒くらいか見つめていた。凝視していた。

 

「殺意がなくともこのとおり、人は殺せる」

 

――ガインっ。

 

 何度目かの斧と刀の衝突。引き絞られた力が、一点で均衡する。

 冷たい夜霧に、明滅する光。

 

「なら、なんで嗤ってるんだよ。てめぇは!」

 

「人間の真似事をしているだけだ。愉しい時、人は笑うのだろう?」

 

「姉ちゃんもよく言ってるけどな。どんなやつでも、行動の起点には何かがあんだよ」

 

「何かとは何だ?」

 

「重さだ。この今、俺とつばぜり合いしている刃の重さだけは、絶対だ」

 

「おもしろい……。戦士特有の勘か? それとも若さゆえの豪胆さか? いずれにせよ悪くはない。貴様はむごたらしく殺してやろう」

 

 魔族は自分の存在を認められたようで嗤った。

 嘲るというよりも、初めて目の前の存在を認めた嗤い。

 

 力ではシュタルクが優位。

 魔族の膂力をもってしても、シュタルクの力を止められない。

 だがそのとき、指の股から血がしたたり落ちた。シュタルクは既に万全な状態ではない。

 結果として生じたのは押し合い。

 長くはない。せいぜい数秒の出来事。相手も必死の表情をしている。普段虚無の表情をしている魔族も、衝突の瞬間には感情の火花が散っている。力――。そのときシュタルクは老ドワーフの教えを思い出す。ふっと力を抜いた。メカクレの刀ができた隙間にすべりこみ、その一瞬だけ力の行き所を失った。メカクレの姿勢が一瞬崩れる。そこをシュタルクが逆ベクトルに押しこむように加速した。つく息も苦しげに、シュタルクは刃を一気に押し返す。

 

「うらぁっ!」

 

 回し蹴り。

 メカクレは吹き飛ばされ、大木に叩きつけられる。

 鈍い衝撃音が夜闇に響き、幹が軋んだ。

 

 だが倒れない。魔族は戦闘する機械のようなもので、その機構が完全に寸断されるまで、戦いを止めるのは稀だ。いや、愉しんでいるのだろう。刃先が自らの体にめりこむ一瞬だけは、彼女たちの性欲も充たされるのだから。

 

 月光が一瞬だけ雲間から差し込み、その刃を銀に染める。

 

「力は認めよう」目隠しごしに視線が紅く光る。「だが、それだけだ」

 

 消える。

 

 今度は真横から。風。

 

――キィン!

 

 一瞬遅れて、斧の柄で受ける。

 衝撃が腕を痺れさせる。

 

――重い。

 

 さっきよりも遥かに。

 違う。重くなったのではない。

 

 踏みこみが深い。

 

 それは、技術的な詰めというより、もっと本能的な、獲物の喉笛を確実に食いちぎるための野性の動きだった。メカクレの今までの戦い方は攻防一体の堅実な戦い方。言うなればヒット&アウェイに近い戦闘スタイルだったのだが、今は自分が負うかもしれないダメージを厭わず攻撃をしかけている。

 

 猛攻。押される。

 シュタルクは流水のような動きで下がり続けたが、呼吸の暇もないほどに連続的に攻撃が続く。耐えるほかない。シュタルクは必死に迫る刃に斧を合わせる。

 

 傷がつく。傷をつける。口をひきむすぶ。哂う。

 

 正真正銘の化け物だ。だが、先ほどよりもよほどわかりやすい。戦闘をただの処理プロセスではなく、破壊欲求に振り向けている。

 

 魔族にスタミナはないかと言われるとそれは違う。たとえ魔法という天地をひっくり返すような力を使えたとしても、自然の理を覆せるほど異常な存在ではないからだ。

 

 やがて猛攻はやんだ。

 

「……なんだよ。殺意はねぇんじゃなかったのか」

 

 シュタルクが血の混じった涎を吐きながら低く唸った。

 斧の柄を通して伝わる震動が、さっきまでとは明らかに違う。魔族の刃に、彼らが否定し続けているはずの個としての熱が宿り始めている。それを刃の感覚でシュタルクは察知する。

 

「言ったはずだ。これは真似事だと」

 

 メカクレは、影が伸びるよりも速く、再び加速した。

 彼女が操る風の魔法が、刀身の周囲で微細な真空の刃を形成する。それは切断という物理現象を極限まで高めるための魔法だ。

 

「だが、おまえがそこに意味を見出すというのなら……。それに応えてやるのが、対話というものだろう?」

 

「殺意がねえってんなら、パン食って生きていけねぇのかよ」

 

「人間はなんのために生きている? パンを食べるためか?」

 

――シュン。

 

 旋風によって加速された刀がシュタルクの脇腹を裂いた。

 防いだはずだった。だが、メカクレの刀が放つ衝撃は、受け止めた瞬間に旋風へと変換され、防御の外側から肉を削ぎ落とす。

 

「ぐ、あああ!」

 

 激痛。目の前がちかちかする。

 燃え滾る闘志も、脳内に分泌されたアドレナリンも、生命の危機という危険信号の前では、意味をなさない。シュタルクは、人一倍怖がりなのだ。手が、足が震える。

 

 化け物――。言葉を話す化け物。

 戦士の村――シュタルクの故郷を襲ったやつらと同じ。

 一歩、よろめくように後退する。

 

「命は連なっている。だから切るのが愉しい。死はその余剰だ」

 

「快楽殺人ってことかよ」

 

「違うが、御託はどうでもいいだろう? どうせおまえはもう死ぬのだから」

 

 ここまでひとりで戦った経験はほとんどなかった。竜やトカゲの戦いも発破をかけられて無理やりやらされただけで、自分がひとりで戦った経験なんて無かったのだ。

 

――いや。ひとつだけ。

 

 魔族の少女――和睦の姫君と呼ばれるリーニエとだけは一対一で戦った。

 あのときはすぐに茶番だと判明したが、シュタルクはそれでもひとりで戦うことを選んだ。

 

 あのリーニエが言っていた。「立ってるだけでおまえは偉いんだよ」と。

 理由はよくわからなかったが、師匠のアイゼンも同じようなことを言っていた。戦士は何度でも立ち上がる。絶対に倒れない。立っていれば負けない。

 

 そうすることでしか守れないからだ。何を?

 

 街のみんなの笑顔――なんて言ったら笑われる。

 そんな勇者みたいな気持ちで戦士をやってるわけじゃない。

 フェルンが側にいるから――。

 そうかもしれない。だれかがいっしょに戦ってくれるから、俺も戦える。

 フリーレンが見守ってくれるから――。

 まあ師匠よりもスパルタだけどな。

 姉ちゃん以外でよくやったと褒めてくれるのはフリーレンくらいだ。

 

 そして、姉ちゃん。

 誰も彼も救いたいなんて、シュタルクにも無理だってわかってる。

 だが、その祈りは守りたかった。

 

「重ぇな……。正直しんどいくらいだ」

 

 シュタルクは呟く。

 肩に重さを感じたから。

 

「なぁ。あんた――」

 

 血が喉に絡む。

 それでも、シュタルクは笑った。

 

「なんだ? 末期の言葉くらいは聞いてやるぞ。久々に愉しめた。礼だ」

 

「あんたには俺の重さは切れないよ。やっぱ軽ぃ」

 

「……すぐにわかるさ。切ってみればな。繋がりなど幻想だ」

 

 メカクレは大上段に振りかぶる。

 死は断絶。人を孤独に還す絶対の真理。

 どんな強者も、どんな弱者も、金持ちも貧者も、死の前ではたったひとり。

 

 その断絶こそが、魔族の喜びだった。

 

 風が止む。音が、遠のく。

 振りかぶられた刃の軌道が、ゆっくりと世界を割る予感だけを残して静止する。

 シュタルクは、引き伸ばされた時間の中でゆっくりと息を吐いた。

 

――重い。

 

 腕も、脚も、まぶたも。

 斧の柄に滲んだ血で指が滑る。それでも手放さなかった。

 最後に思い出したのは、名乗り合ってすらいない街の英雄。

 彼も最後まで立っていた。だから俺も立っている。それだけだ。

 

「なに……!?」

 

 刀はわずかに軌道をずらされ、肩を深く切り裂いていた。

 そのまま振りぬかれるはずだった刃は、肉にくいこむようにして止まった。

 

「ほらな……」

 

「なぜだ」

 

 メカクレの声が初めて揺れた。

 確かに断ったはずだった。

 人間たちの言う誇りも願いも繋がりも、純粋な力の前では断ち切れる。

 それが、メカクレの真理であり思想だった。孤独の殻が壊れつつある。腹がねじきれるような不快を感じる。快楽原則が壊れているはずの魔族が、初めて不快を覚えた。

 

 だが、それでもメカクレは冷静だった。

 処理プロセスが遅延させられたが、もはや目の前の戦士に戦う力は残っていない。

 刃を引き抜いて、再度攻撃を加える。そうすれば、相手はむなしくなる。

 

 が、シュタルクが斧を取り落とし、違う。意図的に棄てて、刃を握った。

 わずかにひけば、指がおちる。一秒もかからない。

 

「無駄なあがきを!」

 

「そうでもねぇぜ」シュタルクがニィっと哂った。

 

 メカクレが気づく。

 霧がいつのまにか晴れている。ネベルがやられたのか。

 いやそれだけではない。この嫌な感覚は――。

 

――魔力探知外から向けられた殺意。

 

 見上げる。霧が晴れた月光をバックに、小さな光の点が視える。

 その光は、星よりも鋭く、夜空に溶ける魔族の命脈をあざ笑うかのように一点に凝縮されていた。

 数キロ先の夜空の遠く、魔法陣が輝く。

 

『――捉えました』

 

 フェルンの声が、風に乗ってシュタルクの耳を叩いた。

 霧が晴れたことで、一級魔法使いフェルンの眼は、もはやこの森の全域を射程に収めていた。彼女にとって、座標の確定した敵を撃ち抜くのは、もはや魔法というよりは純粋な物理現象の処理に等しい。

 

「あんなに遠く……繋がって……」

 

 メカクレが刀を引き抜こうとする。だが、シュタルクの指が、血を流しながらも万力のような力でその刃を掴んで離さない。

 肉を断とうとする力が、シュタルクの負った重みによってせき止められている。

 

「言っただろ……。あんたには、俺の重さは切れないって」

 

 シュタルクは笑った。

 

――魔族を殺す魔法(ゾルトラーク)

 

 雲間から差し込む光の筋をなぞるように、一条の極大のゾルトラークが闇を裂いて飛来した。

 

――ドンッ。

 

 こうして魔族として、あるいは武人としてはどちらかと言えば雄弁だった彼女は、沈黙のうちに闇に溶けた。

 

 

 

 

 

「終わったようね。結果は識っていたけれど」

 

 ソリテールはやはり微笑んでいる。

 

 時間にしては、30分かそこら――、フリーレンは腰だめに杖をかかえて、長時間その姿勢を維持していたわけであるが、一度も隙らしき隙はなかった。

 

 けれど、この魔族の介入を防げただけでも御の字といえる。戦えば無傷ではいられない。孤立無援の状況で戦うのは、あまり好ましくない。それに、時間さえ経過すれば、フェルンがこちらに気づく。そうなれば、この魔族を葬送することも可能かもしれない。

 

「おまえは人間の強さを見誤った。おまえの観測結果は正しくなかったんだ。なにひとつ」

 

 魔族の精神を揺らす。

 けれど、ソリテールは揺れない。

 

「観測誤差の範囲ね。母数が少なすぎるわ。たった一度の成功を強さと定義するのは、早計じゃないかしら? 人間の寿命――戦える期間はもっと短いから50年かそこらだとして、それまで一度も失敗しないなんてことがあるとも思えない。現にたくさんの英雄が魔族に殺されている。フェルンちゃんもいつかは死ぬかもしれないわね。今がその時ではなかっただけのことよ」

 

「おまえは敵討ちという概念は持っていないのか。クヴァールでさえ持っていたのに」

 

 誇りを踏みにじる。

 けれど、ソリテールは何の痛痒も感じていない。

 

「なぁに。君ってそんなに私と戦いたいの?」

 

「おまえは危険すぎる。ここで排除しておくのが人類のためだ」

 

「いいえ。それはあなたが怖いからよ。あなたは葬送することで、こころの安定を得ているの。そうすることで、勇者ヒンメルの後追いができる。人になれた気がする」

 

「仲間が死んで悔しくないのか?」

 

「仲間? とてもおもしろい言葉ね。私たちにそんな言葉がないことくらい知ってるくせに」

 

 ソリテールは眼下を見下ろす。

 視線は外れたが、それでもやはり確信が持てない。

 

「ただの観測結果よ。それとも言ってほしいの? じゃあ言ってあげようか。お姉さん哀しい。ネベル君もメカクレちゃんも未来がある若者だったのに、人間に無惨に殺されて、ひどい。ひどいわ。殺してやる! って……」

 

「反吐が出る」

 

 本当に反吐がでそうだ。気持ちが悪い。

 

「でしょうね」ソリテールは肩をすくめてみせた。「魔族の模倣は精度が低いの。感情の再現は特に難しい。人間は矛盾が多すぎる」

 

「なら、どうして真似をする」

 

「あなたたちと同じ言語で話すため。同じふりをしないと観測が成立しないの」

 

「観測、観測と……」

 

「だってそれが私たちの生存戦略だもの」

 

 目が細くなる。

 

「あなたたちは重さで繋がる。私たちは軽さで切り分ける。どちらが長く生き残るか――まだ結論は出ていないわ」

 

 フリーレンは杖をわずかに持ち上げる。

 

「もう出ている」

 

「そうかしら? あなたには未来が視えるの?」

 

「ヒンメルはもういない。でも、私はいる」

 

 一瞬だけ、ソリテールの視線が止まる。

 

 それは揺らぎではない。

 

 計算だ。

 

「興味深い事象ね。とても興味深い。女神様はなんて不公平なのかしら」

 

 ソリテールは小さく息を吐いた。

 

「ねえフリーレン……。君は私の名前を知っている?」

 

「おまえのことなんか知らない」

 

「ああ……残念ね。本当に残念」

 

「なにがだ?」

 

 ソリテールは微笑む。

 

「未来のあなたは知っていたのよ。私の名前を」

 

 静かな沈黙。ねばりつくような居心地の悪い静けさ。

 フリーレンは、その言葉の真偽を精査しはじめる。

 

「でも今のあなたは知らない。つまり、あなたがあの時代へ渡るのは――まだ先」

 

 細められた瞳が、静かに結論へ到達する。

 

「なら()()()()()()()()()()

 

「……どういう理屈だ」

 

「あなたが生きて、あの時代へ行き、私と出逢う。それが成立している以上、そこまでの未来は時の女神の手によって守られている。あなたの命は保証されている」

 

 くすりと笑う。感情も絶望もなく。

 

「絶対に、とまでは言わないけれど――可能性は常に揺らぐものらしいから。アナちゃんもそう言ってたわ。不確定性原理というみたい。例えば少し前にあなたは過去に渡ったがなんらかの理由で記憶を消されている。あなたが単純に嘘をついている。そうであるなら私は君を殺せる」

 

「だったらここで検証してみればいい。おまえが好きな観測だろう」

 

「いいえ、お断りするわ。シュラハトによれば未来は無数にわかたれたリゾーム構造をしているらしいし、つまりわかりやすく言えば大樹のようなものなの。枝から枝に飛び移るのは難しいというのが本当のところのようね。あの子が言う不確定性原理というのは、人間が理論上壁を通り抜けることができると言っているようなもの。ほとんど起こりえない確率なのよ」

 

 自分を破壊する理屈をすらすらと述べるソリテール。

 

「だったら、今この時は、一方的におまえを殺せる可能性があるわけだ」

 

 フリーレンは瞬時に理解した。

 

 時渡り――そんな不可逆性の理論に反することができるとは思えない。

 だが、ソリテールは理解している。魔族の嘘とも思えるが、それにしてはソリテールは観測結果に満足しているように思えた。

 

「その可能性は非常に高いわね。私は決定論者ではないけれど、因果律による強烈な補正が入ると予想され――」

 

――ゾルトラーク。

 

 フリーレンはすぐさま魔法を放った。

 防御魔法を使って、ソリテールは防ぐ。

 

「魔族の言葉なんかを信じてるの? おかしいわねフリーレン」

 

「逃がさない。ここで決着をつける」

 

「とても合理的選択よ。フリーレン」

 

「おまえは不合理な選択をした」

 

――ゾルトラーク。

 

 観測結果をフリーレンに伝えたのがそれだ。

 けれどそうせざるをえない。魔族は自らの魔法に殉じる生物だからだ。

 ソリテールの魔法は観測。その魔法――観測結果、研究成果を伝えることに無上の喜びを覚えてしまう。享楽してしまう。

 

 ソリテールもまた、魔族の業から逃れられていない。

 だが、なにはともあれ、ここで滅してしまえば話はそれで終わりだ。

 

 異常といってもいい存在をここで取り除けるなら――フリーレンはスッキリするだろう。

 その感情にほの昏いところがあるのは百も承知だ。

 

「あなたって本当にエルフ? 今の君って魔族みたいよ」

 

――ゾルトラーク。

 

 剣が無数に生まれ、攻撃魔法をはじいた。ソリテールは哂っている。

 自分が生死の境を、ひらひらと舞っていることをしりながら、ひとつの恐怖も感じていない。

 軽い――命が――心が――魂が。

 軽すぎる!

 

「――背中の痒い部分を掻く魔法」

 

 ソリテールが民間魔法を唱えた。

 ぞわり。なんの意味もなく魔法の手によって背中をひと撫でされる。

 攻撃魔法ではなく殺意もない微細すぎる魔力の動きに、フリーレンは探知が遅れる。

 

――ゾルトラーク。

 

「――かき氷が出てくる魔法」

 

 無意味な魔法だが、唱えてる魔法とは違う魔法が生じる可能性もある。

 防御魔法を頭上に張って、粉雪みたいなそれを防いだ。

 瞬時――切り替え。

 魔力上昇。座標固定。発射。

 

――ゾルトラーク。

 

「――温かいお茶が出てくる魔法」

 

 空間から現れたお茶が噴水のようにふりかかる。

 今度は無視。火傷するほどの熱さじゃない。

 だが、フリーレンは確実に攪乱させられているのを感じていた。

 民間魔法は、どれもくだらない魔法だったが、人間たちが創りだした何よりも人間らしい創作物だったからだ。フリーレンはそれらを蒐集するのが趣味だった。

 

「フリーレン。あなたの集めているくだらない魔法も使いようね」

 

「おまえは魔法を穢している」

 

「いいえ。有効活用してあげてるの」

 

――ゾルト。詠唱停止。

 

「――花畑をつくりだす魔法」

 

 ちょうどその時。

 月光が崖の上にさしかかり、ソリテールの創りだした花畑を照らし出した。

 そして、フランメが好きだった魔法。

 フリーレンに受け継がれたくだらない魔法筆頭。

 一瞬だけ、ほんの一瞬だけ目を奪われたのは確かだ。

 魔族が創りだしたものとはいえ、花は花だったから。

 今は消え去ってしまった風景たちと重ねてしまったから。

 

「殺意を感じる。怒ってるのね。うれしいわ……とてもうれしい。ねえ、ここらで、名乗り合うのはどうかしら。これから殺す相手の、名前も知らずに殺すなんて野蛮だわ。獣にも劣る」

 

「おまえが私を殺せるか知る、マーカーのひとつを失うことになってもか」

 

「どうせここまで知ってしまった以上、あなたはたとえ過去に渡っても渡ってないふりをするでしょう。そのほうが合理的だから。でも、哀しいと思わない? 始めましてのご挨拶ができないなんて、人らしくないわ」

 

 遅延。理屈のうえでは、フリーレンはソリテールの名を知るほうが有利だ。

 そんなことは誰に言われずとも理解できる。ただ、感情が反抗していた。

 こいつと名乗りあうなんて、魔族と対話するなんて。

 そのくせ、この魔族は両手を組んで、祈祷のような姿勢で、じっとフリーレンを見つめていた。

 理屈――冷静に。

 

「……葬送のフリーレン」

 

「私はソリテール。人類のお姉さんになるのが夢なの」

 

 気持ち悪い。

 

――ゾルトラーク。

 

 闇夜と同じ色をした漆黒のゾルトラークがソリテールに伸びる。

 フリーレンの脳内は、怒りでも復讐心でもなく、敵愾心ですらない。対象に対する嫌悪感でいっぱいだった。邪魔だから殺す。それ以外の意味はない。

 

 それが魔族の心性と何が違うのかと問われれば、違うところはなかったけれども、少なくとも客観的に見れば、今、この汚物を排除するのは人間的に見て正しい行為だ。

 

 その時、そう考えたわけではなかったけれど、コンマ数秒遅れてフリーレンはそう思考した。

 

「まだ途中なのに、ひどいわね」

 

 ソリテールの声はすぐ背後から聞こえた。

 

――空間転移。

 

 弟子であるフェルンも使える魔法だが、超高難易度の魔法で、実はフリーレンのほうが使いこなせていない。ネットを使いたくないフリーレンは術式をポン出しされている場所から学ぶのがどうしても嫌だったからだ。あまりにも簡単すぎる。

 

 魔法は探求であり、長大な時間をかけて学ぶものという確信があったから。

 

 フリーレンが振り返る。

 その時には、もうソリテールの姿はなかった。

 

「逃げられた、か……」

 

 崖の上には花畑だけが残された。

 風に吹かれて、花弁がひとひら頭に吸いつく。

 フリーレンは、うっとうしそうに、それを払った。

 

 

 

 

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