魔族少女のエロタナティブ 作:アナリザンド
メトーデは聞きしに勝るロリコンである。
特に小さくてかわいい妹的な存在が大好きなヤベー女である。
その欲望の牙は魔族も人間もエルフも関係なく、小さくてかわいければそれでよかった。
要するにロリであればなんでも喰らう悪食なのだ。
特に、アナリザンドは彼女の趣味のど真ん中を貫いている。
十歳くらいに見える容姿。五歳児くらいに思える精神性。
つまるところ、小さくてかわいい。
ギュっと抱きしめるとニャアと鳴く。アナ吸いすればプルプル震える。
そんな彼女がゲナウの故郷へ向かっているのは、べつにアナリザンドに逢うためではない。
ゼーリエの命令だった。
実をいうと、ゲナウが故郷に向かった少し後、正確にはアナリザンドが炎上した後に、後詰めとして街に入るよう命じられたのである。
弟子の腹が貫かれたことが、よほど腹にすえかねたのだろう。あるいは、アナリザンドによる防衛力に揺らぎが生じたことを、確かな戦術眼で見て取ったから、もしもの時のために戦力を補充しようとしたのかもしれない。
ただ――、それは遅きに失した。
思ったよりも早く事態は動き、結果としてメトーデは間に合わなかった。
それでも、昼夜駆けて街に向かっている。
ほんの少し前は、以下のようなやりとりがなされた。
『メトーデ。街に向かう必要はなくなった。オイサーストへ帰ってこい』
ゼーリエは野営中に申し向けたのであるが、メトーデは固辞した。
「いえ。少し街の様子を見てから、帰還しようと思います」
『もう魔族はいない。残党くらいはいるかもしれんが、街の戦力で問題はないだろう。しばらくはアンデアを待機させるつもりだ』
「いいえ。いいえ! あの街にはまだいるじゃないですか」メトーデは力説した。
『おまえまさか……』ゼーリエが化け物を見るような目でメトーデを見た。
「ええ、ミミちゃんです。あの子を抱きしめてから帰ります。ゼーリエ様はその後でよろしくお願いしますね。報酬の支払いは即決で……。三時間の抱っこ撫で撫で添い寝コラボレーション」
『おまえは今回仕事してないだろう』
ゼーリエは俊敏な動きで玉座の裏側に隠れてしまった。
あの大陸魔法協会の長、大魔法使いゼーリエが怯えている。
ちらっと覗き見るようなゼーリエの姿に、メトーデは頬に手をあててうっとりした。
「いいえ。お仕事をしました。今回の業務内容は請負ではなく委任です。出来高ではなく、街に向かった時点で報酬は発生します」
『おまえは私の弟子だぞ。師である私に報酬を求めるな!』
完全にシャーしている子猫のようだった。
「弟子をねぎらうのは師の仕事ですよね?」
『おまえはしばらく帰ってこなくていい!』
「ご了承いただきました」ニチャア。
メトーデは恐ろしく頭の切れる、ヤベー女なのである。
ゼーリエの顔が恐怖に戦慄していたのは言うまでもない。
ゼーリエがゲナウの帰りを祈り待ちわびていた頃。
メトーデの視線の先にようやく街の門が見えてきた。
早馬で三日がかかる距離を、メトーデは徒歩で走破した。
身体は疲れている。でも心は軽い。
――ミミちゃんがいる。
配信のアーカイブはすでに三十回は見た。
桃色の髪。薄いラズベリー色の瞳。少し尖った耳。
角がある。角がある! なのにかわいい。いや、角があるからかわいいのかもしれない。
変身魔法使いの魔族の女の子。人間社会に突如現れたロリ魔族。
お化粧魔法の共同開発者として、アナリザンドの隣に座っていた。
アナリザンドもかわいい。かわいいとかわいいは重なる。増幅する。団子状態になる。
ああ、世界は尊い。なぜ女神様は『幼い』という属性を創りだしたのだろう。
神の奇跡としか言いようがない。
門番に書類を提示して街に入る。衛兵隊長はメトーデのできる女オーラにすっかり騙されて、だらしない笑顔で通した。颯爽と門を通り、街中へ。
――その瞬間だった。
何かが肩にふわりと着地した。
害意も魔力も何もない。羽のように軽い存在。
メトーデは視線を落とした。
そこには10センチほどの、小さな何かがいた。
アナリザンドの顔をしていた。ちょうちょの羽をまとっていた。
薄いワンピースを着ていて、裸足のあんよが肩に接している。
ちいさな手でメトーデの外套をぎゅっと掴んでいる。
かわいいの粒子――。
「メトーデです?」小首を傾げて妖精ザンド。
「まあ!」
瞬間、目の中にハートマークを浮かべるメトーデ。
もう一体来た。今度は頭の上に着地した。
「メトーデ。久しぶりです?」
ちいさな手が、メトーデの髪をぺたぺたと触っている。
「お元気でしたか?」
また一体来た。胸のあたりに着地。
「あいかわらずぼうりょくてきなやわらかさ」
また来た。また来た。
「まあまあまあ……っ。私は楽園に来てしまったんでしょうか」
メトーデは歓喜に打ち震えた。
実をいうと、この街には今、妖精さんが溢れている。
アナリザンドが100体の分身をさらに分割して、1000体の妖精ザンドを創り出したのである。そのコストは、街の人がパンの一欠けらでも与えてくれれば維持できる。街に悪意が溢れれば、妖精は儚く消える。つまり、街の心模様次第。
――街の天気のバロメータ。
として、妖精さんはここにいる。
パン屋の屋根には妖精さんたちがちょこんと並んで座ってた。スズメの子どものように。
広場のベンチでは、パンをちぎって妖精さんに与えている子どもがいる。
居眠りしている老人の肩には、妖精さんが寄り添うように肩にとまっていた。
天気は快晴。実に平和だ。
「いい街ですね。ゲナウさんもしばらくは滞在すればよかったのに」
「だよな。あいつ、一日もしないうちにさっさと去りやがって。人の心とかないんかって思うぜ」
背後から声をかけられた。
振り向くと、この街の守護者アンデアがいた。
メトーデも、ネットを通じて会話はしている。
だが生身で逢ったのは初めてだ。
アンデアの身体にはたくさんの妖精さんが、まるで装飾品のようにぶらさがっていた。
「お久しぶりです。アンデアさん」
「おう。メトーデ。よく来たな」
アンデアにとってみれば、メトーデの来訪は査察に近い。
そして、守った街を自慢するような、そんな子どもじみた発想も湧く。
街を見せたいという気持ちもあったが、彼は人の心がわかる好青年だった。
「長旅、疲れただろう。宿舎で休憩するか?」
「ええ、よろしくお願いします」
戦闘者であるメトーデにとって、休憩とはとれるうちにとっておくものだ。
それは、パフォーマンスを落とさないための必然である。
宿舎への道すがら、メトーデはきょろきょろと街を見渡した。
妖精が多い。本当に多い。
八百屋の看板の上に三体。水汲みをしている女性の頭の上に一体。
喧嘩をしている男の子ふたりの間に割って入ろうとして、無力なので何もできずにただ両手を広げている妖精さんが一体。いや、二体。
ぷるぷるとせいいっぱい腕を広げている。
それから、二匹の妖精さんは目をぎゅっとつむりあってハグしあった。
ほっぺたどうしをくっつけあって、すりすりしている。
「あの妖精さんは何をしているんでしょうか」
「仲裁しようとしてるんじゃねーか。こうしてみろって感じで」
「かわいいが過ぎます……」
「まあ、結果として喧嘩してるやつも気が抜けるから、仲裁は成立してるぜ」
なるほど。
アナリザンドという存在は、徹頭徹尾そういう設計をする。
力で解決しない。笑顔で解決する。
メトーデは肩の上の妖精さんを見た。
妖精さんはメトーデを見上げた。
「わたしのみりょくにめろめろです?」
「ええ……まさに」メトーデも微笑んだ。
それからメトーデはアンデアに向きなおった。
「アナリザンドさんは今日、どこにおられますか?」
「アナちゃんなら逢えるかは運次第だぜ。ふらって現れて、ふらっと去っていくからな」
「お天気さんですね」
「まあ、そうだな」
「ミミさんは?」とメトーデは聞いた。
「ああ、あいつなら168といっしょに宿舎に住んでるぜ」
「宿舎ですか」
「まあ、昼間はたいてい広場にいるけどな」
メトーデの足が少し速くなった。
「休憩は後でもできます。広場に行きましょう」
「さっきは休憩するって言ってなかったか?」
「体力は十分残っています」
むしろ体が欠乏要素を求めている。
幼女エネルギーを一刻も早く補給しなければならない。
妖精さんも小さくてかわいいが、抱きしめると壊れてしまいそうで、少し持て余す。
やっぱり人間サイズのほうが断然いい。
「噂通りだな……まあいいけどよ」
アンデアは溜め息をついた。
溜め息をついてもついてくるのが好青年の性分である。
広場に出た瞬間、メトーデは止まった。
そこには桃色の髪の女の子がいた。
角がある。薄いラズベリー色の瞳。少し尖った耳。
人間とは異なる魔力の匂い。メトーデ式HUDが鋭く観測する。――幼女パワー高し。
傍らの少し離れたところには天使の羽と発光する光輪を持つ168がベンチに腰かけて、こっくりこっくりと居眠りしていた。計算力を落としても大丈夫な距離。信頼。だから天使は眠っている。
ミミの周りに子どもたちが集まっていた。ミミは子どもたちに順番にお化粧魔法をかけていた。ミミは一言も喋っていなかった。でも喋らなくてよかった。子どもたちが勝手に騒いでいるからだ。
「わー、すごくかわいくなった!」
「あたしも! あたしも!」
「ぼくはいいです……」
「男の子もやってもらいなよ!」
「そうだよ。ジェンダーレスの時代なんだから!」
ミミは無表情のまま、次の子の顔を観察していた。
妖精さんが数体、ミミの角の周りを飛んでいた。
ミミは追い払いもしなかった。ただうっとうしそうに角を少し揺らした。
妖精さんが一体、ミミの角にしがみついた。
そこでミミが初めて、困ったような顔をした。むぅっと膨らむ頬。
子どもたちがミミを指さして笑った。
それを見て、ミミもうっすらと――本当にうっすらと微笑を浮かべた。
「…………」
メトーデはその光景に呆然としていた。
肩の上の妖精が、メトーデの頬をぺたぺたと叩いた。
「メトーデ? どうしたです?」
「ああ尊い……。三十一回目の視聴より、実物のほうが尊い……」
メトーデは口に両手をやって、感動に打ち震えていた。
もちろん、それは幼女の戯れにロリコン的に歓喜したからではない!
魔族が人間と平和的に共存する光景に、胸を打たれたからである!
「案外大丈夫そうだろ? 声かけてみるか?」アンデアが提案した。
「少しだけ、このままでいさせてください」
アンデアは何も言わなかった。
ふたりは広場の入り口に立っていた。妖精たちはふたりの周りに漂っていた。
そこで、ミミがふと顔を上げた。メトーデと目が合った。
ミミは一瞬だけメトーデを見た。自分が見られていることを覚知している。
けれど、警戒も恐れも何もない。アンデアが傍らにいたからだろうか。
それからミミは再び子どもたちに向き直った。特に何も感じなかったようだった。
「あいつ元気そうだろ」とアンデアが言った。
「ええ」メトーデは静かに答えた。「よかった」
それは本心だった。
ロリコン的感情とは別の、もう少し真っ当な感情として本心だった。
遅れてきたけれど、来た甲斐があった。
メトーデはそう思った。
夜。夕飯時。
今日はアンデアもそこにいる。168とミミ。
そしてメトーデは食卓を囲い静かに食事をとっていた。
完璧な祈りの所作。ごちそうさまという言葉。
168はミミにそれらの言葉を教えたらしい。
ミミはわけもわからず、その所作を真似ている。
くつろぎの時間。
168とミミはソファの隣同士で座り、対面にメトーデが座った。
アンデアは執務机で、書類仕事をしながら静かにペンを走らせている。
話を聞かせてもらおう。
そういう趣旨だったが、まるで家庭訪問をした先生のようだ。
傍らの168は保護者として、理知的な瞳でメトーデを見ている。
アナリザンドより幼女パワー低し。
けれど、お姉さんぶって背伸びしているようにも見えるので、そこはポイントが高い。
メトーデは居住まいを正した。
幼女好きではあるが、彼女は北部高原の魔族と戦ってきた一族のひとり。
人類の盾であり矛でもある。メトーデ自身は思考の柔軟さをもちあわせてもいたが、魔族に対して必要以上に甘くなったりはしない。たとえ、小さくてかわいくても。
「話は聞かせていただきましたが……。この街で妖精の姿が消えないということは、ミミさんは受け入れられているということですね?」
口を開いたのは、168。
ミミは落ち着かないのか、足をぱたぱたさせている。かわいい。
「現時点ではそうでしょう」静かな声。「姉さん――アナリザンドは街の構造そのものを可視化しようと試みました。人々の悪意が物理的に妖精の消失としてフィードバックされるため、住民は無意識のうちに自らの倫理的構造を維持しようと努めます」
お天気はとまらない。
というよりも、人の心は移ろいやすい。
アナリザンドは、それを見える化することで、自律的な秩序を創りだしている。
「下手な干渉よりもよっぽど恐ろしいですね。アナリザンドさんは、人々に善人であることを強制しているわけではありません。ただ、善意の人であり続けなければ、この愛らしい風景を損なうという罪悪感を植えつけています」
「そのとおりです。人は善い人でありたいという人が多数派ですからね」
「これは
「そうとも言えます。あるいは長期的に見れば人間を家畜化しているとも言えるでしょう」
「168ちゃん、言い方」アンデアが言葉をすっと差し伸べた。
「こほん。言葉が過ぎました。ごめんなさい」
「ええ、かまいませんよ」
「言葉を変えれば、妖精は人間をチューニングさせているとも言えます」
「チューニング?」
「その前に、メトーデさんは、言葉というものをどういうものだと捉えてますか?」
「メトーデ」
「はい?」
「メトーデでお願いします」
この女はブレない。
小さくてかわいい女の子にメトーデと呼ばれたい奇特な人間なのである。
わずかに遅延した後、気を取り直して168は口を開く。
「メトーデは言葉をどんなものだと捉えてますか?」
「情報の伝達手段でしょうか」
「そうですね。言葉とは情報の伝達手段です。しかし、魔族にとってはそうではありません」
「どういう意味でしょうか。魔族も戦闘の時に言葉を情報伝達手段として取り扱ってるように思うのですが……」
「それはシグナルです。サインです。私の言っている言葉とはパロールとしての言葉です」
「パロール……」
「わかりやすく言えば、人間の言葉は動的です。発話されるたびに意味が変わる。文脈によって変わる。話す相手によって変わる。同じ言葉でも、昨日と今日では違う意味を持つことがある。言葉は常に動いています。生きています」
ミミが足をぱたぱたさせるのをやめた。
168が優しく「ダメですよ」と叱ったからだ。
「魔族の情報は静的です。個体の中に保持され続ける。伝達を必要としない。魔族は言葉がなくても存在できます。言葉は魔族にとって本来、必要のないものなんです」
「では、ミミさんが言葉を使うのは?」
「バグっているからです」と168は言った。「お化粧魔法は、相手のなりたい自分という要望を聞かなければ成立しません。要望を聞くには、言葉が――つまり動的な情報伝達が必要です。ミミはその矛盾を引き受けています」
メトーデはミミを見た。
ミミはメトーデを見ていなかった。膝のあたりを見ていた。
丸くて白くて小さな膝小僧がかわいらしい。
「魔法を使うたびに、ミミさんは少しだけ人間に近づいているということですか」
「近づいているというより……」168は思考演算をしている。「対称性が破れているということです。魔族は本来、静的な情報鎖として完結しています。すなわち完全な対称性を有している。でも言葉はその対称性を破る。破れが生じると、そこから動きが生まれます」
「動き、というのは」
「変化です」と168は言った。「ミミが何かになりつつあるということです。それが何かは、まだわかりません。計算不能なエラーを吐いています」
「それは魔族にとって苦しいのでしょうか」
168の光輪が刹那の時間、明滅した。
「メトーデは優しいですね。あなたは数多くの魔族を殺してきた。違いますか?」
「違いませんよ。ですが、私は一級魔法使いです。人類の矛であり盾。言葉が尽きれば殺します」
「そのとき、あなたは苦しんでいますか?」
「いえ……。ですが、後悔はしているかもしれません」
「同じようなものです。あなたは伝達不可能な言葉をいま無から手繰り寄せようとした。我々魔族はその言葉を持たない。なので苦しいかと言われても応えられないというのが本当のところです」
168は続ける。
「先の話に戻りますが、妖精は人間の無意識の構造を可視化する装置といえます。わたしは姉さんとは違う個体ですから、情報伝達のためには言葉が必要ですが……。推測すれば、妖精がいることによって本来なら伝えられない魔族の言葉を、パロールへと変換しているのでしょう。それがチューニングという意味です」
「妖精が魔族の言葉を翻訳しているということですか」
「正確には翻案ですね」
168がここで翻案と言うのは、妖精が魔族の静的な情報をそのまま人間に伝えているわけではないからだ。魔族の静的な情報は、そのままでは人間に受け取れない。構造が違いすぎる。だから妖精という形に作り替えた。
すなわち『かわいい』『小さい』『人畜無害』という人間が受け取れる形式に変換している。
――意味は変わっている。でも本質は残っている。
「つまり、アナリザンドという魔族が、
「妖精がいることで街は何か変わりますか? 100年後には――1000年後には?」
「わかりません。あなたがたの進化の速度に比べたら、魔族の進化は非常に緩やかです。ですが、反対称性は魔族にもあります。魔法をかけるとき。誰かに嘘をつくとき。人を殺すときがそれです。その意味すらも翻案してしまえば、魔族も少しずつ変わるかもしれません。1000年後には、今とは違う何かになっているかもしれない」
「魔族も人を愛せるようになりますか?」
「ただいま翻案中です」
「ミミさんも変われると思いますか?」
「それはミミ次第でしょう。ですが、言葉を媒介する者がいれば、困難の多くは排除できます」
「168さんも知的でかわいらしいですね。私好みです。本当にかわいい。ミミさんを必死になって守ってるお姉さんって感じが……すごく刺さります」
頬に手をあてて、ねっとり笑うメトーデ。
168はぷるぷる震えた。
「なにやら怖い波動を感じます。命の危機です。アンデア君!?」
「自業自得だろ。168ちゃん」
結局のところ――いくら理知的でお姉さん的であったとしても。
168もまた本体の属性を多く引き継いでいる。あたふたザンドなのである。
狂騒の後には、しばらく沈黙があった。
メトーデはミミを見た。
ミミは窓の外を見ていた。夜の窓に、妖精が一体だけ漂っていた。
今の対話もどこか他人事で、遠い世界にいるみたいに窓の外を見ている。
「ミミさん」メトーデが口を開いた。
「なんです?」
「今日、広場でお化粧魔法をかけているのを拝見させていただきました」
「それがどうしたんですか?」
「とてもお上手でしたよ。特に魔法をかけられた女の子たちの瞳がキラキラ輝いて、眼福でした」
「当然です」まんざらでもなさそうだ。「あたしは変身魔法のエキスパートです。人の顔を読むのは得意です。どんな魔法をかければ、小さな人間たちが喜ぶかもわかってきました」
「人を食べるためにでしょうか?」
場の空気がわずかに変わった。
アンデアのペンが止まった。168がメトーデを見た。
メトーデはぴくりとも表情を変えなかった。
戦闘者としての気迫のようなものが言葉に乗っている。
ミミも表情を変えなかった。魔族は人間と言葉を交わせない。
「最初は……そうだったかも? でも違ったかも? です」
「どういうことでしょうか。焦らなくても大丈夫です。あなたは守られていますから」
「わからないです。なぜですか? 教えてほしいです」
数十秒ほど待って出力された応えは懇願に近い。
人間の油断を誘うための甘えに似た言葉。
メトーデは内心でかわいいと思いつつも憮然とした表情を創る。
「ミミさんは、レヴォルテという魔族のそばにいたと聞きました」
「いいえ。レヴォルテ様があたしを近くに置いてくださってたんです」
「そのときも、魔法を自分の意思で使っていたんですか?」
「いいえ。使ってません。役に立つから、レヴォルテ様があたしの魔法を使っていたんです」
「今はどうでしょう?」
「人間たちの言葉はよくわかりません。何の役にも立たない魔法をご馳走みたいに求めているように思います。なぜです? あたし、すごくすごく知りたいです」
好奇心が強い。
けれど、その言葉の意味するところは人を効率的に殺す方法を知りたいだけなのかもしれない。
「お化粧魔法のことをあなた自身はどう思っているのですか?」
「変な魔法です」
「なぜ変なのですか?」
「だって、目的がよくわかりません。骨格も性別も匂いも変えられるのに、そうしないのは不合理です。誰かを騙すためじゃないんですか?」
「部分的にはそうでしょうね。虚飾というのです」
「でも、お姉さんはお化粧してませんよね? 綺麗だからですか?」
「あら、お褒めの言葉を戴いてしまいましたね」メトーデはわずかに笑った。
すぐに真面目な表情になる。
「ミミさん。あなたは今、誰かを騙すためにお化粧魔法を使っていますか」
「いいえ」
「では何のために使っているんですか」
ミミは少し考えた。
「小さな人間たちが、求めるからです」
「求められるから使う。それだけですか」
「いいえ。それがあたしの生存につながります。どうしてかはわからないですけど、人間がそうしてほしいのはわかりますから」
「レヴォルテのそばにいたときも、求められたから魔法を使っていたんですか」
ミミの目が、わずかに動いた気がした。
「いいえ、違います」
「どこが違いますか」
「レヴォルテ様は……あたしの魔法を必要としていました。あたしが役に立つから、そばに置いてくださっていた」ミミは言葉を選んでいる。「役に立てなくなったら、いられなくなる。だからあたしは役に立っていました」
「今は?」
完全な遅延。
「今は」ミミはゆっくり言った。「ここにいさせてもらっています。だから魔法を使っています」
「順番が逆になりましたね」
ミミはその言葉を咀嚼するように黙った。
逆。反対。意味の裏側。
「逆ですか? 逆ってなんです?」
「ミミさんはどう思いますか」
ミミはしばらく黙った。窓の外の妖精を見ていた。
いつのまにやらギャラリー妖精たちの数が増えている。
二匹、三匹。どこからかポップコーンをほおばりながら見ている妖精すらいる。
「わからないです」
ミミはやがて言った。
「でも」
でも――。論理的帰結として、すなわちロゴスの正統な行使として。
「食べたら、魔法を使えなくなりますよね?」
瞳には自身の気持ちに不確かさを感じている。対称性が破れている。
メトーデは、ふわりと笑った。
「なぜでしょうか?」
「だって、食べてしまったら、その顔はなくなっちゃうから。もうその子に魔法をかけることはできなくなっちゃうから」
「そうですか……」メトーデは立ち上がった。「それがわかれば今は十分だと思います」
「そう? お姉さんって変な人間」
「よく言われます」
メトーデは笑った。今度は憮然とした表情を作らなかった。
「ミミさん」
「なんですか?」
「抱きしめさせていただいてもよろしいですか?」
ふさぁっと両腕を開くメトーデ。さながらハエとり草のように妖しく優しく。
「べつに、どうでもいいですけど」
ロリコン仕草がわからないミミは、ほとんど何も考えずに言った。
「ありがとうございます」
「お礼を言われることをした覚えはないです」
言質をとったメトーデが、ロリ魔族に近づいていく。
こんなにかわいらしい魔族は、アナリザンド以来――いや、リーニエ以来か。
「ま、待ってください。メトーデ。無垢で何も知らないミミを毒牙にかけるなんて、この168の目が黒いうちは許しませんよ!」
「168さん。では――、あなたがミミさんの代わりに抱っこされるということでよろしいですね? ほら、ここに大きめの安心がありますよ。アナリザンドさんも好きなアレです」
「なんでそうなるんですか。そもそも、わたしは大きな胸に憧れてなんかないです。本体とは違うんです。本体とは!」
「そうですか。ではミミさんにとってはどうでしょうか。この子にはぬくもりが必要だと思いませんか。どうでしょうかミミさん」
「んー。べつに……」
「そんな不純なぬくもりなんてミミには要りません。ぺってしなさい。ぺって!」
「アナリザンドさんも求めたぬくもりですよ。一度経験してみるのも良いかもしれません」
「アナリザンド様も?」
「そうです。あなたのお姉さんも通った道です」
ミミはメトーデが近づいてくるのを不思議そうに見ていた。
特に怖くはなかった。害意がないのはわかる。魔力の匂いでわかる。
ただ、なんとなく、変な感じがした。
「ミミ。逃げなさい」168が静かに言った。「これは罠です」
「罠ですか?」
「そうです。この人間はヤベー女です」
「ヤベーってどういう意味です? あたし気になります」
「語彙が崩壊するくらいヤバいんです」
メトーデはにこにこしながら近づいてくる。止まらない。
「ミミさん。逃げなくていいんですか」
メトーデが最終選択を提示した。
この女はヤバいが、一応相手の選択を求めている。
だからといって和姦無罪とはならないが。なにしろ相手はロリなので。
「逃げる意味がわからないです」
「でしたら合意ありですね♪」
「――
かくして、静かな夜は騒がしい夜に逆戻り。
狭い室内でドッタンバッタン大騒ぎ。非殺傷性の魔法が、部屋内を行き交う。
ミミが魔法に化粧を施し、星のように煌めいた。
――まるで花火みたいだ。
現実逃避をしているアンデアがふと窓の外を見ると、妖精さんたちが窓にびっしり張りついていた。グラサンかけて、ポップコーン片手に、大迫力の魔法戦を見ていたのだ。
「アナちゃん。せめて助けにきやがれ……」
この戦いはログには遺せない。ゼーリエ様に報告なんてできるはずもない。
抱っこ争奪戦なんて。一級魔法使いの風上にも置けないどころか醜聞がすぎる。
――結果報告。
なぜだか色彩を失った瞳の168と、なぜかつやつやした顔のメトーデの姿があった。
ミミはやっぱり不思議そうな顔をして、メトーデの腕の中にいた。
明けて翌朝。
街の朝は早い。パン屋が窯に火を入れる音がする。どこかで水汲みの音がする。子どもが走り回る音がする。
妖精さんたちはもう空に出ていた。
メトーデは宿舎の前で荷物を整えた。身軽だった。もともと長居するつもりはなかった。
用事は済んだ。正確には、用事などははじめからなかったが、見るべきものを見た。確かめるべきものを確かめた。それで十分だった。
アンデアが見送りに来た。目の下に薄く隈がある。昨夜の騒ぎのせいだろう。
「もう帰るのか。もう二、三日くらいはいてくれても……はは。いいんだぜ」
「お世話になりました」
「いや、まあ」アンデアは苦笑した。「また来てくれ。歓迎はするから」
「次は戦力として来られるといいんですが」
「次も平和なほうがいいに決まってるだろ」
そうですね、とメトーデは笑った。
168はいなかった。ミミもいなかった。
昨夜の騒ぎの後、ふたりとも先に休んだ。それでいい。戦う者に見送りなど必要ない。
メトーデは門に向かって歩き出した。
妖精さんが数体、ついてきた。
「メトーデおかえりです?」
「早くないです?」
「きのうはすごかったです」
「ちょうすぺくたくる」
「あらしみたいなおんなだ」
「おみおくりのじかん」
「門までですよ」とメトーデは言った。
妖精たちは小さく頷いた。ぱたぱた。ぱたぱた。
門を出たところで、メトーデは立ち止まった。
ポケットの中で、何かがもぞもぞと動いた。
そっと取り出すと、妖精が一体、手のひらの上に乗っていた。
昨夜からポケットの中に潜んでいたのだろう。
「つれていってです?」
妖精が小首を傾げた。
「ふむ……アナリザンドさんは、妖精さんを外にも広げようとしているのでしょうか」
あるいはゼーリエに見せたらどんな顔をするだろうか。
プチっと押しつぶすかもしれない。
あるいは――アナリザンドを呼び出してしかりつけるかも?
「では、あなたは証拠品ということにしましょう」
「なんのしょうこです?」
「この街が正常だという証拠ですよ」
「ここ、ふつうのまちです」妖精が言った。「でも、すてきなまちです」
「ええ、そうですね。いい街でした」
メトーデは妖精さんをそっとポケットに戻した。
メトーデは空中に片手で書ける報告書を取り出す。
ゼーリエに報告するために、記憶に新しいうちにメモに書きとめようと思ったのだ。
――異常あり。
結論からすれば、そうとしか言いようがない。
街は妖精さんで溢れ、魔族がふたりもいる。いつ悲劇が起こってもおかしくない状況。
ほんの数十年前だったら、魔族を滅ぼさずに帰るなどありえなかった。
そのあり得ないことが今起こっている。
外ではなく内側で。
あの魔族、ミミは最終的には人を殺さないことを選んだ。
それがどれだけ奇跡的なことなのか、メトーデには見当もつかない。
配信で見かけたとき以上に、ミミは小さくかわいかった。
振り返ると、門の上に妖精が並んでいた。小さな手を振っていた。
その中に、ふたつだけ妖精ではない小さな手が混じっていた。
桃色の髪。角。
天使の羽。光輪。
ミミと168が門の上に立って、妖精たちに混じって、ぶっきらぼうに手を振っていた。
168はすごく嫌そうな顔をしていたが、ミミの情操教育のために一緒に来たのだろう。
メトーデは目を細め、それから大きく手を振り返した。
ミミはすぐに手を下ろして、そっぽを向いた。
べつに、どうでもいいですけど、という顔をしていた。
168は、黒金の翼でシュッシュとシャドーボクシングをしている。
もう振り返らない。
「本当にかわいらしい街でした」
だから書き直した。ポケットの中の妖精さんを優しく撫でながら。
――天気は快晴。街はなべて異常なし。
アナリンガフランカーみたいなタイトルもいいかなと思ったけど、たぶん意味がわからないと思うので、やべー女になりました。ちなみに女はヤツと呼びます。