魔族少女のエロタナティブ   作:アナリザンド

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アナロジカル・ギルティ

 

 

 

 野営の火が落ち着いてきた頃。

 わたしは、シュタルク君が魚の串を焚火の周りに突き刺す様子を見ていた。

 

 フリーレンとフェルンちゃんは少し離れたところで既に寝入っていて、シュタルク君が火番をしている。わたしは魚を焼いた香ばしい匂いがフェルンちゃんのほうにいかないように、慎重に風を循環させていた。メカクレちゃんが使っていた攻撃を旋風に変える魔法の応用だ。

 

 ついでに言えば、それを()()()()()()()()()()()ことが肝要である。魔力らしい魔力の匂いを漂わせれば、それもまたフェルンちゃんには届いてしまう。よって、空気自体を緩慢なる魔力のそれに置換する。

 

――霧を操る魔法(ネベラドーラ)の応用である。

 

 ここまでやってようやく一級魔法使いの鼻を誤魔化せる。フリーレンは知らない。どうせ気づいているけど、フェルンちゃんが気づかなかったら、それはフェルンちゃんの実力不足とか思ってそう。フェルンちゃんが怒ったらフリーレンもとばっちりを受けるから言わないだけだ。

 

「姉ちゃん。ほら焼けたぜ」

 

 わたしに焼き串を渡してくるシュタルク君。

 君はわたしを共犯にしようとしているね。

 わたしが如何に君が叱られないように心を砕いているか知らないのだ。

 それがいたずらをしているようで愉しくもある。

 

「夜食しているのバレたら、あとでフェルンちゃんに怒られるよ」

 

「姉ちゃんがいっしょだったら怖くねーぜ」

 

「わたしも怒られるの前提なの? やだぁ」

 

「いつも姉ちゃんにパンもらってるばかりじゃ悪いからな」

 

 魚を釣ってきたのはシュタルク君だった。

 逆に、柔らかパンをいつも供給しているのはわたし。

 だから、これはお返しだったのだろう。

 わたしは魚をほおばる。はふっ。はふっ。あちち。

 シュタルク君はニカっと少年ぽく笑った。

 

 子どもっぽい無垢な笑顔のはずなのに、

 

――おっきくなったね。

 

 というのが、わたしの感想である。思わず笑んでしまう。

 

「おいしいよ」と言った。

 

「やったぜ」

 

 ぐっとガッツポーズするシュタルク君。

 

 実際に――。

 

 大人の男戦士としては普通の体格なのだろうけど、わたしの目線からすると相当に大きい。

 がっしりとした肩幅がある。腕の周りの筋肉が盛り上がってる。首筋が太い。手が大きい。

 わたしは自分の手を見た。それからシュタルク君を見た。

 魔族の成長はきわめて遅く、人間はすぐにでっかくなる。

 

 お姉ちゃん的には少し寂しい。

 けれど、それに倍して嬉しい。

 なんとも不可思議な気分。

 

 ただ、身体の成長は早いけれど、人間の精神はそこまで急速には大人にならない。

 シュタルク君はいつまでも、わたしにとってはかわいい弟のままだ。

 

「ねえ。シュタルク君」

 

「なに、姉ちゃん」

 

「あのね。この前の街で戦ってくれた報酬がまだだったよね」

 

 レヴォルテの配下の魔族と戦ってくれたのは、わたしにとってはありがたかった。

 フェルンちゃんはゼーリエ先生の依頼を受けていたから、それにつきあった形ともいえるけれど、フェルンちゃんひとりでは、あの手練れのふたりを倒せる確率はかなり低かったからね。

 

「べつにいいぜ。姉ちゃんの依頼なら無報酬でも」

 

「それはダメ。わたしはケチな女じゃないの。だからちゃんと払うよ」

 

「パンじゃなくて?」

 

「んー。パンよりやわらかいものかな」

 

 そして、男の子がわりと欲しがるものである。

 

「――変身(ミミーク)

 

 モワワンと闇色の衣がわたしを包みこむ。

 次に現れたときには、わたしの目線はかなり高くなっていた。

 参照したのはメトーデ。肉体的な成長はシュタルク君やフェルンちゃんと同じ20歳前後に落ち着かせ、胸もお尻もそれなりに大きく、お腹のあたりはギュっとくびれる。

 長い髪は腰のあたりまで達して、顔つきもグッと大人のそれに近づいた。

 

「ふふふ、お姉さんザンドの完成だよ」

 

 シュタルク君が固まった。

 

「えっ」

 

「えっ、じゃないよ」わたしは笑った。「報酬だよ。しばらくこの姿でいてあげる」

 

「な、なんで姉ちゃんが」

 

「シュタルク君が求めてるから」

 

「求めてねーよ!」

 

「求めてるよ。この姿でお姉ちゃんがハグしてあげようか?」

 

 わたしは立ち上がった。

 焚き火を回り込んで、シュタルク君の隣に腰を下ろす。

 ピトッと肩を寄せてそのまま頭を預ければ、シュタルク君の顔は真っ赤だ。その理由はきっと焚火にあてられたからだけではないだろう。

 

 シュタルク君は串を持ったまま、視線の置き場所に困っていた。

 なんだかそわそわしている感じ。女慣れしていない初心な様子がかわいらしい。

 

「姉ちゃん……その、なんというか」

 

「なに?」

 

「もとに戻ってくれると助かる」

 

「どうして? せっかく変身したのに」

 

「だって、なんか、その」シュタルク君は頭を掻いた。「違う人みたいで、なんか落ち着かない」

 

「そうなの?」

 

「そうなの」

 

「でも男の子って、こんなふうな大人のお姉さんが好きなんじゃないの?」

 

「それは違うぜ。姉ちゃん」

 

 はっきり言われてしまった。

 

「うーむ。このアナリザンドが見誤ったか」

 

 ポンっと音を立てて、いつものわたしに戻る。

 そうすると、シュタルク君は心底ほっとしているみたいだった。

 

「そっちのほうが姉ちゃんっぽくて断然いい」

 

「じゃあ、これでハグしてくれる?」

 

「なんでそんなにハグにこだわるんだ?」

 

「わたしがそうしたいからかも」

 

 寄り添いあって、焚火を見る。

 シュタルク君も、いっしょに見ている。

 ただ時間だけが経過し、薪がぱちりと静かに弾けた。

 

「……ごめんな。姉ちゃん」

 

 やがてシュタルク君が言った。

 

「ん。何が?」

 

「あの目隠しした魔族だけど、救えなかった。だから姉ちゃんは報酬を俺にくれようとしたんだろ? 俺が罪悪感を感じないように」

 

「仕方ないよ。戦いだったんだから」

 

「けどよ……」

 

「お姉ちゃんはシュタルク君が生き残って、ちゃんと強い戦士だったことが嬉しい」

 

「姉ちゃんっていつも優しいよな。その言葉のほうが俺にとってはなによりの報酬だ」

 

「ふっふー。わたし、ケチな女じゃないでしょ」

 

 わたしはおもしれー女を目指している。

 

「ケチのつけようがないよ。姉ちゃんは最高の姉ちゃんだ」

 

「じゃあ、その印として抱っこしてくれる」

 

「わかったぜ。姉ちゃんが望むなら」

 

 ぎゅー。こんなにも恥も外聞もなく抱きしめ合ったのは何年ぶりだろう。

 

「姉ちゃんの頭の匂いってなんか安心するんだよなぁ……」

 

「ふふふ。シュタルク君って小さなころから変わらないね」

 

「俺だって少しは成長してるんだぜ」

 

「知ってるよ。わたし、お姉さんだもん」

 

 そんなわけで、わたしは報酬を渡すことに成功したのだった。

 なお、フェルンちゃんにはバレていた模様。

 あえて描写しないけど、とても怖かったとだけ――。

 

 

 

 

 

 次の日の夜はフェルンちゃんの番だった。

 

「ギルティです。アナリザンド様」

 

「そうかなぁ。わたしは報酬を渡してただけなんだけど。次はフェルンちゃんの番だよ」

 

 実をいうと、シュタルク君と違って魔法使いであるフェルンちゃんはほとんど火番をすることはない。そんなことをしないでも広い魔力探知と、強固な結界魔法があれば、眠っていてもほとんど危険はないからである。フェルンちゃんはわたしと会話するためだけに起きててくれた。

 

 そして何を隠そう、今のわたしは、いつもよりさらに幼い、五歳児くらいの姿になっている。

 フェルンちゃんのお膝の上で、静かに丸まっている。上を見上げても空が見えない。とても大きなものが天蓋のように視界を塞いでいる。

 

――デッカ。

 

 そしてそうなってる以上は、わたしの勝利は約束されたようなものだ。

 

「フェルンちゃん。どう? 今のわたしって贖いになってる?」

 

「贖いですか? なんのでしょうか」

 

 頭をなでなでしながら聞いてくるフェルンちゃん。

 ふっ。これは報酬になってるな。

 

「あのね。フェルンちゃんを魔族と戦わせてしまったこと。それで、わたしがどうにもできなくて、フェルンちゃんが相手を殺すほかなかったこと」

 

「それは私が選択したことです。アナリザンド様が罪悪感を覚える必要はございません」

 

「フェルンちゃんならそう言うと思った。でもね。魔族には本来罪悪感なんてものはないんだよ。わたしは数値的なバランスをとろうとしているだけ」

 

「なんの数値でしょう?」

 

「それこそ罪悪感だよ。あるいは後悔と言い換えてもいいかもしれない」

 

「後悔……」フェルンちゃんはわたしの頭を撫でながら繰り返した。「魔族も後悔するんですか。その、アナリザンド様のような方ではなく、一般的な魔族も……」

 

 フェルンちゃんの中では、わたしは異常者だったらしい。

 魔族にとっての罪悪感という概念。あるいは後悔という概念。

 実はこれけっこう難しいのだ。

 

「魔族も後悔はするよ。でも人間の後悔とは少し違うかもしれない」

 

「どう違うんですか」

 

「人間の後悔は、こうすればよかったという感情だよね。未来に向かって修正しようとする。罪悪感も同じ。要するに理想の自分と現実とのギャップが後悔や罪悪感を生じさせている」

 

「そうですね」

 

「魔族の後悔はもっと静的なの。こうだったという事実が、個体の中に刻まれて残り続ける。消えないし修正もできない。ただ、そこにある。なぜなら、魔族には理想と現実とのギャップが存在しないから」

 

 言葉を変えれば、魔族とは後悔や罪悪感そのものなのである。

 だから、後悔や罪悪感を抱くことができない。

 自分で自分を抱きしめることはできないという至極当たり前の道理なのだ。

 

 フェルンちゃんの手が少し止まった。

 

「それは苦しくないんですか」

 

「苦しいという概念も、人間とは少し違うかもしれないね」わたしは空を見た。「ただ、重い、という感じはあるよ。エラーが溜まっていく感じかな」

 

「それを解消しようとして、魔族は人を殺す――食べるというわけですか」

 

「そうだね」

 

「魔族に罪悪感を教えることはできますか?」

 

「なかなかに鋭い質問だね。罪悪感というのは、さっきも言ったとおり、理想と現実とのギャップによって生まれるものなの。例えば女神様の御心に叶っているかという点において、叶いたいという理想の自分と、叶っていないという現実の自分がいる。そのギャップを埋めようとする心の動きが罪悪感なんだよ」

 

「魔族には規範意識がないと?」

 

「きわめて薄いと言わざるを得ない」

 

 なぜなら規範意識とは、内面化した他者の視線によって生まれるものだからだ。

 魔族には他者はいない。なので、内面化できない。規範意識を持てない。

 

「薄いということは、多少はあるということですよね?」

 

 わたしの妹がこんなにも賢い。

 ごろごろしちゃおう。ごろごろ。やわらかいふとももの感覚。

 

「参照値が違うという言い方をすれば少しは伝わるかな?」

 

「参照値ですか?」

 

「人間の罪悪感は、女神様の御心とか、社会の規範とか、大切な人の笑顔とか、そういうものを参照して生まれるよね。内側に取り込んだ他者の視線から、自分を評価する」

 

「はい」フェルンちゃんは言った。「そのとおりです」

 

「魔族の参照値は、()()()()()()()()だよ。強さへの敬意。魔法使いとしての矜持。自分の固有魔法に対する誉れ。それが内面化されている。つまり自己参照なの。フェルンちゃんも何回か聞いたことあるでしょ。()()使()()()()()()()()()()()という言葉」

 

「羞恥心ですか? 罪悪感とはどう異なるのでしょうか」

 

「罪悪感はね、他者に向かう感情なんだよ。わたしはあなたを傷つけた、という認識から生まれる。だから謝りたくなる。修復したくなる」

 

「羞恥心は?」

 

「自分に向かう感情。わたしはみっともないことをしたという認識から生まれる。それは魔法がアイデンティティである魔族にとって、完全なる自己否定なの。だからそうであることに耐えられない。わかりやすく言えば、恥ずかしくて死んじゃうのが魔族って感じ」

 

「他者への罪悪感と、自己への羞恥心ということでしょうか」

 

 フェルンちゃんは静かに繰り返した。

 頭を撫でる手が止まらない。よい。とてもよい。

 

「そう。魔族には他者がいないから、罪悪感が生まれにくい。でも自分への誇りはある。だから羞恥心はギリギリ持てる」

 

「ギリギリ、というのは?」

 

「魔族の羞恥心は、魔族の規範しか参照しないから。人間を傷つけてもみっともないとは思わない。でも魔法使いとして恥ずかしいことをしたら、みっともないと思う」

 

 だからリーニエちゃんが、全裸配信をかまそうとしたのだ。未遂に終わったけど。わたしがいなければそうなっていた。裸になって恥ずかしいなんて感覚は魔族にはないのである。

 

「参照先が、魔族の内側だけにあるということですね」

 

「そうだね。閉じた羞恥心とでも言えばいいかな」

 

 フェルンちゃんがしばらく黙った。

 

「ミミさんは今、その参照先が変わりつつあるということですか」

 

「気づいてたんだ」

 

「アナリザンドお姉様がミミさんのことを話すとき、声が少し変わるので」

 

 そうか。変わるのか。自分では気づいていなかった。

 めざといな、フェルンちゃん。

 

「ミミちゃんはお化粧魔法を使うたびに、他者の視線を少しずつ内側に取りこんでいる。ユンちゃんの顔。子どもたちの笑顔。大人たちの声。それらが参照値になっていく。閉じていた羞恥心が、外に向かって開き始めている」

 

「それが罪悪感への入口であると?」

 

「そう。ギルティへの、アナロジカルな経路」ギャグではなくてね。

 

「魔族に罪を教えることができると思いますか?」

 

「わからない。けど、やってみる価値はあるよ。残された最後の七崩賢……黄金郷のマハトは罪悪感を知りたがっているらしい。わたしが教えることができれば、マハトも変われるかもしれない」

 

「黄金郷のマハト……罪悪感を知りたがってる魔族ですか」

 

 その言葉が呟かれると同時に、フリーレンのエルフ耳がぴくりと動いた気がした。

 

 

 

 

 

 フリーレンについては飛ばすね。

 あの人、わたしが子猫の姿で出ていったらすぐにゾルトラークを撃ってくるんだから。

 せっかくかわいかったのに! 自信あったのに。話にならないとはこのことを言う。

 

 さて、そんなことより、アンデア君のもとから通信が届いた。

 ミミのことである。なにやら困惑している様子らしい。

 

 ミミの直接の養育者はわたしの元分身であるNo.168に任せている。その168の手にも余るというのはいったいどういうことだろうか。

 

 わたしはすぐに街へと跳んだ。

 

 いつもの執務室。デスクにはアンデア君が座り、ソファには168ちゃんとミミちゃんが仲良く座っている。こうしてみると、本当の姉妹みたいだ。

 

 しかし、168ちゃんの顔は沈んでいた。

 

「姉さん――、ミミが不良になってしまいました」ずううんと沈んでいる。

 

「不良って、そういう言い方したらダメだよ。また何かやっちゃったの?」

 

 対面のソファに座りながら、わたしは聞いた。

 変身魔法事件については、無事解決した。妖精さんという気持ちのバロメータによって街の不安度数とも言えるべきものは可視化されている。街に異常はない。

 

 つまり何かがあったとしても、個別の小さな案件だろう。

 

「168の説明がよくわかんなくて。難しい言葉はやめてよって言っただけです」とミミちゃん。

 

 ガビーンという表情になる168ちゃん。

 そして、その言葉はわたしにも効く。

 ほんのちょっと前、リーニエちゃんにも難しい言葉やめろって言われたからね。

 

「168ちゃん……」と、わたしは視線を投げた。

 

「私のサブルーチン回路は、論理的かつ規範的です。魔族である姉さんから分かたれた身ですが、思考回路としては人間のほうに近いといえます。適度にちゃらんぽらんな姉さんのほうが説明役に適しているかもしれません」

 

 元分身からちゃらんぽらん扱いされるわたしって一体……。

 でも理由はなんとなくわかった。

 要するに168ちゃんは言葉で説明しすぎてしまうキャラなわけだ。人間にとってはわかりやすくても、魔族にとっては体性感覚として否定されてしまうことも多いのだろう。

 

 だとすれば、本人に聞いたほうが早い。

 

「どういうことなのか、お姉さんに教えてもらえるかな? ミミちゃん」

 

「はいわかりました。アナリザンド様」

 

 幼子は素直が一番。でも、お姉さんとは呼んでくれないんだね……。

 こんなにアピールしているのに。やはりいっしょに過ごす時間が大事なのか。

 

 そして、ミミが言うには――。

 

「ユンのお母さんが来たんです」

 

 それだけ言って、ミミちゃんは少し首を傾げた。

 困っている時の仕草だ。どう説明すればいいかわからないといった表情。

 何が起こったかもわからない状態なのだろう。

 

「それで?」

 

「謝られました」

 

「ふむ」

 

 謝罪という言葉自体は魔族も知っている。なんでそうするかはわからずとも音の波形自体は捉えることができるからだ。そして、その他の音との差異も理解はできる。

 

 その意味だけがわからない。

 

「で、ミミちゃんはどうしたの?」とわたしは続けた。

 

 行為の推移なら魔族にも説明可能だからだ。

 

「わからないので聞きました」

 

「何を?」

 

「どうして謝るんですかって」

 

 ミミは、あまりにも自然に言った。

 168ちゃんが、そこで小さく頭を抱える。

 嘆きの天使って感じなんだが、顔はわたしと瓜二つ。

 微妙な気分になってくるのは何故だろう。

 

「それが問題なんです。姉さん」

 

「うん?」

 

「ミミは、そのあともずっと質問を続けて……」

 

「質問って?」

 

 168ちゃんはミミちゃんをちらりと見て、観念したように説明した。

 

「ユンのお母さんが、以前ミミの魔法を否定したことを謝ったんです。でも今はその魔法を使っているからって、申し訳なさそうな顔をして菓子折りをもってミミのもとに」

 

「なるほど」

 

「それでミミが――」168ちゃんは小さく息を吐いた。「自分の魔法を一度は否定したのになんで使ってるんですかって聞いてしまったんです。()()()()()()()()()()()って」

 

――おお。えぐいえぐい。

 

「だって、おかしいです」ミミちゃんは悪びれもしない。「人間は不可解な行動をとってます」

 

「私はダメですって言ったんです」と168ちゃん。

 

「どうしてってききました」とミミ。

 

「もちろん、168ちゃんは理由を説明したんだよね?」

 

「やりました。やったんですよ! 必死に!」

 

 なんかぶっ壊れてんな、この子。

 でも、168ちゃんがミミのことを愛してるがゆえの行動だろう。

 この子はこの子で盛大にバグりちらかしているのだ。

 

「まあ、実際に見てもらったほうが早いかもしれねーな。いいか。168ちゃん」

 

 アンデア君が最高のタイミングで合いの手をいれてくる。さすがゲナウ先生の相棒なだけのことはある。168ちゃんは、頷いた。羞恥にぷるぷると震えているが。

 

 そして、再生される動画。

 

 168ちゃんは、ソファに座るミミの前に立ち、空中に指で幾何学的な魔力図形を描きながら、立て板に水のごとく説明を始めていた。

 

 なにやら教壇の前に立つ、教師といった風情。

 

「いいですか、ミミ。人間の謝罪の言葉を単なる音波信号として捉えてはいけません。それは自己の過去における負の意志を、現在の正の意志によって上書き保存しようとする、極めて非効率かつ崇高な論理的自己矛盾の解消プロセスなのです」

 

「ふえ?」

 

 ミミは首を45度かしげている。

 

「まず、ユンのお母さんの行動を解析しましょう。彼女は以前、あなたの魔法を否定しました。これは当時の彼女の生存戦略において、魔族という不確定要素を排除するための正解でした。しかし、現在彼女はあなたの魔法を受容している。ここで彼女の内面には過去の否定と現在の受容という、矛盾する二つのベクトルが生じています」

 

「べくとる?」

 

「人間はこの矛盾をストレス――つまり不快と定義します。この不快感をゼロにするための演算手続きが謝罪です。彼女が謝ったのは、あなたのためではなく、いえ、それもあるのでしょうが……、大枠としては自分の中に生じた論理エラー、すなわち、罪悪感をパッチ修正するためなのです。あなたが『なぜ否定したはずの魔法を使っているのか』と問うのは、彼女がせっかく適用した修正プログラムを強制終了させるような、極めてデバッグ効率の悪い行為なのです。わかりますか?」

 

「つまり、おばさんは嘘つきってこと?」とミミ。

 

「違います! 嘘ではなく更新です! 人間はパロールによって、過去の自分を裏切り続けながら進化する動的なシステムなのです。対して、我々魔族は静的な情報鎖。一度否定と刻まれれば、それは死ぬまで不変。だからあなたには、人間が過去の決定を謝罪という手続きでゴミ箱に捨てる様子が、故障に見えるのでしょう。ですが、その故障こそが社会という巨大な並列演算ネットワークを維持するためのプロトコルであり…………」

 

 光輪が、幼子に対する教育熱で激しく発光していた。

 この子、伝えるという目的を忘れているな。

 ミミの虹彩がぼんやりと曇っていくのがわかる。

 

 168ちゃんの講義はその後、90分間にも渡って続けられた――。

 

「………………以上の理由から、彼女の謝罪は論理的に必然であり、あなたはそれを不合理だと指摘せずに、ただ承認のシグナルを返すべきだったのです。これで理解できましたね、ミミ?」

 

 ミミは、10秒ほど無表情で168を見つめたあと、窓の外でねむりこけている妖精さんたちに視線を移した。首の角度はもはや90度にせまりそうな勢いである。

 

「168」

 

「はい、なんでしょう」むふー顔。

 

 一分の隙もない論理的説明をやりきったという表情の168ちゃん。

 

「お話が長いです。一文字もわかりません。あと、ユンのお母さんの顔、謝ってる時すごく変でした。梅干しみたいにシワシワで、みっともなかったです」

 

「ガビーン」

 

 168ちゃんは見事に玉砕していた。

 

 

 

 

 

 机の向こうでアンデア君が肩を震わせている。

 

「いやー、いい講義だったぜ。魔法学校でやったら人気出るんじゃねえか?」

 

「笑わないでください! 私の完璧で精緻な論理コードが、わからないの一言でぶった切られるなんて……そんな、馬鹿なことがあっていいはずがありません!」

 

 168ちゃんは顔を真っ赤にしている。

 

「姉さんも何か言ってください」

 

「うーん」顎に手をあてるわたし。「言ってることは極めて正しいよ」

 

「そうでしょう。そうでしょう」

 

 喜びの舞いか?

 純白の羽をパタパタしている。

 

「でも、相手を選ぶべきじゃないかな。フェルンちゃんみたいな子だったら理解できると思うけど、ミミちゃんにはまだちょっと早かったかもね」

 

「ミミは頭が良い子なんです……」しょんぼり168ちゃん。

 

「説得には頭の良し悪しもあるけど、それよりも腹に落ちるという感覚が重要なんだよ。体性感覚。つまり説明の仕方にも向き不向きがあって、ミミちゃんの場合は、純論理的な説明は向かなかったって話」

 

「じゃあ、姉さんだったらどういうふうに説明しますか」

 

「ふぅむ……」わたしはしばし考える。「寓話とかどうかな?」

 

「魔族に寓話がわかるんですか?」

 

「もうミミちゃんは魔族という枠組を逸脱しはじめているかもよ。ミミちゃんはどう思う?」

 

「寓話ですか? 人間たちがよくする嘘の話ですよね。あたし気になります」

 

「じゃあ、お話ししてあげるね」

 

 そう、わたしがこれから話すのは、超有名な寓話。

 虎になった詩人の話。

 

――山月記。

 

 わたしは、より近くで話を聞かせるために、ミミちゃんの隣に座り直した。

 ソファは長く、わたしたちの体躯は小さい。

 わたしと168ちゃんに挟まれてサンドイッチ状態になってるミミちゃん。

 論理の嵐でカサカサに乾いてしまった空気を、少しだけ湿らせるように声を低くする。

 

「昔々、とっても頭が良くて、能力も高くて顔もいい、プライドの高い詩人を目指した人間がいたんだ。名前は李徴くんって言ってね」

 

「詩人ってなんですか?」

 

 そこからかぁ。

 シェルポエムを時々そらんじるわたしとしては、なかなかに耳が痛い言葉だ。

 

「うーん。じゃあ、魔法使いってことにしようか?」

 

 まあ、魔法も詩もそんなに変わらない。誤差だよ誤差。

 

「それならわかります」

 

「そう。彼はね、ミミちゃんと同じくらい、自分の魔法の才を信じていた。でも、人間社会は厳しくて、彼は思いどおりの結果が出せないことに、ものすごく()()()()()を感じてしまったんだ」

 

 わたしは窓の外、闇の中に溶けこんでいる森を指差した。

 

「彼はね、その恥ずかしさに耐えきれなくて、街を飛び出して闇に駆けこんで……そのまま虎になっちゃったの」

 

「変身魔法ですか?」

 

「ううん。ミミちゃんが使うような綺麗なものじゃないよ。もっと呪いに近い、情報のバグかな。自分の心が、自分を否定するエネルギーに耐えられなくて、肉体のほうが書き換わっちゃったんだね。いわば、内側から魔族になっちゃったようなものかな」

 

 168ちゃんが横で「タンパク質の再構成による不可逆的な変異ですね」と呟いたのを、わたしは手で制した。今はそのモードじゃないんだよ。

 

「数年後、彼の友達が森を通ったとき、虎になった李徴くんが現れた。虎なんだけど、心の一部だけが人間として残っていた。李徴くんは、草むらの中から、姿を見せずに友達に語りかけたんだ。……そこで李徴くんは自分が虎になった理由を明かしたの」

 

「理由ってなんです?」

 

「李徴くんは言ったの。虎になったのは、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為(せい)であるって。自分が特別だと思いたいけど、失敗して笑われるのが死ぬほど怖い。その恥ずかしいという気持ちが強すぎて、彼は人間であることをやめて、獣になっちゃったんだ」

 

 わたしは、ミミちゃんの小さな手をとった。

 

「ユンのお母さんもね、きっと李徴くんと同じだったんだよ。最初ミミちゃんの魔法を否定したとき、彼女は怖かったの。でも後になって自分が間違っていたって気づいたとき、彼女は自分の過去の行いをみっともないと思った。それがミミちゃんが言ったシワシワの顔の理由。羞恥心だよ」

 

「よくわかりません。他の人間に笑われるのがどうしてみっともないんですか?」

 

 魔族らしい応答だった。

 わたしたち魔族は個として完成している。

 ゆえにその羞恥心とは、自分が定めた自分の在り方に背くことへの自己嫌悪である。

 対する人間たちの羞恥心は、理想と現実のギャップから生じる自己嫌悪でもあるが、その大部分は共同体の中での立ち位置が揺らぐことによって生じる恐怖心を源泉としている。

 同じ言葉だけど、中身がちょっと違うのだ。

 

「みっともないという言い方がわかりにくければ、怖いって言い方でもいいよ。人間は群れをなしているから、他の人間に笑われるということは自己の生存に直結する。つまり死にたくないから笑われるのを怖がってるの」

 

「死にたくないというのはわかります。でもそれって弱いからですよね?」

 

「そう、人間はとっても弱いの。肉体的には脆弱だし、魔力もそんなに高くない。ちょっとうまくやれば、ミミちゃんが、人間の中でも最強といえる一級魔法使いのお腹でも貫けるくらいね」

 

「おい。アナちゃん」アンデア君のヤジが飛ぶ。「俺は不死身の男と呼ばれてるんだぜ」

 

「人類最弱の一級魔法使いとも」と168ちゃん。

 

「さっき笑ったこと根に持ってるのかよ!」

 

「あはは」お笑いザンド。「ともあれ――だけどね。ミミちゃんも人間たちが群れからはみださないように必死なのはなんとなくわかるよね。それが弱い彼らの生存戦略なんだから」

 

「人間は弱い。だから群れる。それは目に見える現象だからわかります」

 

 考えてはくれているようだ。

 わたしはそこで言葉を切った。

 そして、ここからが、この子にとっての架橋の核心になる。

 

「ねえ、ミミちゃん――。お化粧魔法のことどう思ってる?」

 

「どうって……。変身魔法の劣化バージョンです。骨格も魔力の匂いも変えられない、表面をなぞるだけの、魔法使いの風上にも置けない稚拙な魔法です」

 

 ミミは吐き捨てるように言った。

 その瞳には、はっきりとした侮蔑と羞恥心が宿っている。

 それは魔族特有の、自分の美学を汚していることへの自己嫌悪。

 

「そうだよね。ミミちゃんにとって、その劣化魔法を使い続けることはみっともないことだよね。自分の誇りを削って、魔法の格を落としているんだから」

 

「消えたくないから。生きるためにしかたないから」

 

「そうだね」

 

 彼女なりの生存戦略なのだろう。

 魔族にしては弱者であるミミなりの生き方。

 

 わたしは頷き、ミミちゃんの角のあたりを、壊れ物を扱うようにそっと撫でた。

 くすぐったそうにミミの身体が揺れる。

 

「ユンちゃんのお母さんも同じなんだよ。彼女にとっての謝罪は、ミミちゃんにとってのお化粧魔法と同じなの」

 

「あたしの魔法と同じ?」

 

「うん。そっくり」わたしは言う。「謝罪は人間にとってのお化粧魔法なんだよ」

 

「意味がわかりません」

 

「本当の顔を見せるのが怖いから、そうしてるの」

 

 わたしは指で自分の頬をなぞる。

 

「人間は弱いから、自分の醜いところをそのまま見せると、群れから追い出されちゃう。だから表面を整えて綺麗に見せるの」

 

「つまり嘘なんですか?」

 

「うん。半分は嘘。でもね。嘘じゃない部分もあるの」

 

「?」

 

「ミミちゃんはお化粧魔法を使うとき、本当は嫌なんでしょ?」

 

「嫌です。あたしの魔法はもっとすごいのにと思っちゃいます」

 

「でも、ミミちゃんはお化粧魔法を唱えることを選んだ」

 

「生きるためです。だってそうしないとレヴォルテ様みたいに消えちゃうから」

 

「それと同じだよ。ユンのお母さんも人として生きたいから謝罪したの。自分の羞恥心を押し殺して、恥を忍んで頭をさげた。自分が虎になってしまわないようにね。結果としてミミちゃんはこの街にいつづけることができている。それを、人間は優しさと呼んだり、罪悪感と呼んだりするんだよ」

 

「自分を殺して自分を生かす? それって――」

 

「矛盾してるよね。それが人間なの」

 

「じゃあ、あたしがお化粧魔法を使うときに感じる、あの()()()()が、おばさんのシワシワ顔の理由なんですか? おばさんも嫌な感じだったってこと?」

 

「そうだよ。その嫌な感じがわかったら、ミミちゃんはもう半分くらいは人間を理解できているのかもね」

 

 わたしは微笑んだ。

 ミッシングリンクが繋がった。

 魔族の閉じた羞恥心が、劣化魔法という媒介を経て、他者への窓を開いたのだ。

 

「人間って、わざわざ嫌な思いをしてまで、誰かといたいんですね」

 

「そうだよ」

 

 ミミは不思議そうに瞳を揺らす。

 それはそうである自分に対する疑問でもあるようだった。

 

「変な生き物……」

 

 そして追記。

 

「あたしも変だ……」

 

 

 

 

 

 次の日、ユンの母親のもとに手紙が届いた。

 たどたどしい字でこう書かれてある。

 

――ごめんぬさい。ミミより。

 

 今世紀、これより耳よりなニュースはあるだろうか。




羞恥心から罪悪感へブリッジするのがわりと大変でした
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