魔族少女のエロタナティブ   作:アナリザンド

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エロイカの乙女

 

 

 

 嫌な事件だったね……。

 

 冷静に考えれば、わたしってば、恐れ多くも皇帝陛下から直々に騎士爵をいただいている身である。ヴァールハイトは同じ騎士の先輩にあたるわけで、その先輩をロリコン設定にしたとなれば、騎士の名誉を穢したことになるかもしれない。主犯ではないにしろ従犯くらいの意味で。

 

 どうして従犯なのかというと、わたし自身が創ったわけではないというのももちろんあるが、わたしがゲームの中に登場するからである。

 

 今回のゲームのキャラ配置の話をしよう。

 

 主人公は前作同様、名もなき乙女である。

 ロリではない。成人女性だ。そこは安心してほしい(誰に向かって話しているのか)。

 

 そして、前作にはなかった新要素が加わった。これは素晴らしい発明だろう。

 いわゆるライバルキャラの出現である。

 

 そのライバルの正体はというと――。わたし。

 そう。アナリーとかいう名前の、悪役魔族幼女キャラが新登場するのだ。

 見た目もほとんどわたしであり、紅いぱっちりおめめも、ちっちゃな角も、白銀に桜色の混ざったような髪の毛も全部わたしといっしょ。そして背丈はヴァールハイトの半分くらいしかない。

 

 ヴァールハイト様ルートを選んだ乙女ちゃんの前に立ちふさがるのが、よりにもよって、ちんちくりんな幼女魔族なのである。わたしだった。

 

 なんでや。

 

 いや、理屈はわかるんだよ。魔族にはそもそも人権という概念がないので、フリー素材として扱いやすい。目の前にモデルが存在している以上、オマージュとして出しやすいというのも理解できる。

 

 しかし問題は内容だ。

 

 どこをどう見てもわたしそっくりのキャラに、愛をことほぐヴァールハイト君三十歳。まんざらでもなさそうなアナリー。そして、その様子を木陰からこっそり見て、ハンカチを歯噛みする乙女ちゃん。

 

 うわキツ案件であった。主にわたしがきつい。

 そしてもしも、ヴァールハイト君がこのゲームをプレイしたら、わたしの関わりも一発でバレてしまう。このゲームはわたしの関わりを自白しているようなものだからだ。

 

 クソデカ溜息がでちゃう。

 でも、エーレちゃんが楽しそうだから、まあいいかと抗議の言葉を飲みこんだ。

 エーレちゃんの悩み――死への恐れ。離別の恐怖自体が消えたわけではない。

 創作は、癒しとして機能している。だから水を差すのも戸惑われたのである。

 エーレちゃんのゲームは着々と完成に近づき、そして旅の終わりも近づいている。

 

 さらなる爆弾が投下されたのは、そんなある日の出来事だった。

 

 

 

 

 

「ねえ、アナリザンド」

 

「うん。なあに」

 

「クリエイターには、創作するごとにふたつの勝負があると思わない?」

 

「ふたつの勝負?」

 

「そう。それは客観的に売れるってことと、前作――つまり過去のわたしを越えるってこと」

 

「確かにそうだね。売れない商品に意味はないし、芸術(アート)としては過去の焼き直しはあまり意味がないと言えるかもしれない」

 

「それに、お爺ちゃんの作品も越えたいし」

 

 右手で左手を包みこむ動作。静かな決意が見え隠れする。

 

「売上的には既にエーレちゃんが勝ってるんじゃない」

 

「でも、技術も情熱もまだ負けてる気がするわ。ゲームの創作技術も創作を始めた動機も、ほとんどお爺ちゃん譲りだから」

 

 ふーむ。守破離という話か。

 まずは師の教えを守り、それを破って、離れていく。

 それが自分の作品を本当の意味で、自分のものとするための経路なのである。

 

「つまり、挑戦してみたいってこと?」

 

「そうよ」

 

「具体的にはどうするつもり?」

 

「その……。つまりなんだけど」

 

 エーレちゃんが口ごもる。

 なんでしょうか。わたし気になります!

 

「えっちシーンを入れてみるってどうかしら」

 

「おお……えっちシーンイズゴッド……」

 

 ついに人類はここまで到達したか。趣深い。

 まるでゼーリエ先生のような気分になってしまう。

 

「さすがエーレちゃん。もはや前作越えは確実だね」

 

「そんなに大げさなものじゃないわ。最近、一部の界隈で、とてもお子様には見せることができないマンガが流行ってるじゃない。アウトバーン先生が描いた革新的描写のアレよ」

 

 ああ……あれかぁ!

 

 言わずと知れたフリューちゃんの傑作エロマンガのことである。

 ちなみに、この世界にはないが、アウトバーンというのは高速道路を意味する。

 わたしが考えて、フリューちゃんにあげたペンネームだ。

 

 フリューちゃんが好きなのは、一級魔法使いのタオという先輩にあたる人物らしい。

 フリューちゃんの名前の由来は速さを意味し、タオっていうのは道を意味する。

 だから、ペンネームを高速道路にしたのだ。

 高速道路がこの世界にない以上、誰もその意味を理解することはできない。

 つまりは、ちょっとした悪戯心ってわけ。

 

「でも、エーレちゃんもわかってると思うけど、えっちシーンを入れるということは、乙女ゲームという範疇を越えて、小さな女の子はプレイできなくなっちゃうかもしれないよ。それでもいいの?」

 

「直接的に行為そのものを描写するわけじゃないわ。いっしょに裸になってベッドで朝を迎えるシーンを挿入するとか、そういうのをイメージしているの」

 

 既に朝チュンまで……。

 恐ろしい。人間の進化スピードは魔族やエルフを遥かに凌駕している。

 

「なるほど。それは素晴らしい発明だね。過程は省略して結果だけ見せる。わかる人にはわかるし、わからない人もなんとなく乙女ちゃんと攻略対象が深く結びついたって本能的に理解するわけだ」

 

「そ、そうね……」エーレちゃんが熟れたトマト状態になっている。

 

「でも――、疑問なのは、エーレちゃんがなんで悩んでいるのかって話かな」

 

――わたしに是非を問いかけた。

 

 それは、エーレちゃん自身もまだどうするか決めかねているからだ。

 言ってはみたものの、それが自分のリビドーを毀損することに気づいているのかもしれない。

 

「悩んでるというか……。うまく言葉にできないわ」

 

「簡単なことだよ。えっちシーンを入れるってことは、乙女ちゃんは乙女じゃなくなっちゃう。だからエーレちゃんも悩んでるんじゃない?」

 

 前作ではキスシーンまでだった。

 そこが物語の終わり。ハッピーエンド。

 あるいは結婚式でブーケを投げる。それが幸せの形。

 乙女は穢されることなく、物語は大団円を迎える。

 

 エーレちゃんは黙っていた。

 沈黙はしかし、考えていないわけではなかった。

 むしろ無声の声がけたたましいくらい彼女の脳内で鳴り響いている。

 

――言葉を手繰り寄せようとしている。

 

 わたしはお茶を一口飲んで、待った。

 船が揺れる。波の音。

 

「乙女って、一体なんなのかしら」

 

 やがて、エーレちゃんは根源的な疑問を口にした。

 

「どういうこと?」

 

「キスシーンで終わるのが乙女ゲームの正しい形だって、なんとなく思ってたの。その先を描いたら、なにか大切なものが壊れてしまう気がして」

 

「大切なもの?」

 

「純粋さとでも言えばいいのかしら。主人公がずっと乙女のままでいられる場所。そういうものが乙女ゲームなんだって」

 

 エーレちゃんは聡い子である。

 

 フェルンちゃんが一足跳びに概念に辿りつく天才だとすれば、石をつみあげていく秀才タイプといえる。近似的な言葉を寄せ集めて、形にすることに長けている。

 

 高く高く積みあげて――いつか空に届くように。

 

「ねえ、エーレちゃん」わたしは微笑を浮かべた。「乙女って何歳までだと思う?」

 

「ええと……」思考。

 

 考えすぎる癖。でもわたしは速攻する。

 

「人間的には、まあ、だいたい若い女の子のことを言うよね。でも本質的には年齢じゃないと思うんだけど」

 

 エーレちゃんは眉をひそめた。

 

「幼さを残してるってこと? あなたみたいに」

 

 この子、隙あらばロリで捉えようとするな。

 まあ、好きな人がロリコンだと思っているからだろうけど。

 

「その言葉も概念差延の中に含まれているかな。でも、もっと正解に近い言葉があるよ」

 

「なによ?」

 

「まだ手に入れていないものへの憧れ、かな。乙女は夢見る少女なの」

 

 わたしは脚をぶらぶらさせながら言った。

 

「乙女ゲームが輝くのはね、乙女ちゃんが何かを求めているからなんだよ。守られたい。愛されたい。特別な誰かに選ばれたい。その夢が物語を駆動している」

 

「じゃあ、その先を描いたら」

 

「夢が叶っちゃう」

 

「叶ったら、終わりなの?」

 

「終わりじゃないよ」とわたしは言った。「でも、別の物語が始まるの」

 

 人の欲望に限りはない。

 乙女も人である限り、その欲望に限りはない。

 ゆえに、乙女の物語は続く。

 

 エーレちゃんは窓の外を見た。

 灰色の海。揺れる水平線。旅の最果て。好きな人との別離。

 

「夢が叶った先の物語……」

 

「うん。それがエーレちゃんの二作目なんじゃないかな。一作目は憧れの物語だった。大切なひとに大切にされるわたし。でも二作目のコンセプトは――」

 

 たとえ、あなたの一番じゃなくても。

 

「それは憧れじゃないよね。もう覚悟の話だから」

 

 エーレちゃんの手が、膝の上で静かに握られた。

 

「覚悟した乙女は、乙女じゃなくなるの?」

 

「わたしはそう思わないけどな」

 

「どうして?」

 

「覚悟しても、まだ怖いでしょ。まだ胸がどきどきするでしょ。まだ、うまくいくかわからないでしょ。揺れて揺れて。不安で怖くて、でもだからこそ勇気を出すの」

 

 エーレちゃんは何も言わなかった。

 

「そのドキドキが消えない限り、乙女ちゃんはずっと乙女だよ。えっちシーンの前も、最中も、朝を迎えた後も」

 

 長い沈黙――――。

 

 エーレちゃんの耳が、じわりと赤くなった。

 

「いま……最中って言った」ムッスゥ顔のエーレちゃん。レアだ。レア顔だ。

 

「言ったけど……それが何か?」

 

「さらっと言わないでよ。えっち!」

 

「ごめんごめん」

 

 しばらく謝りたおしていると、エーレちゃんはスンとお澄まし顔になる。

 紅茶をたしなむ姿は、さすが一級魔法使いとしての品格があって、清純な乙女といった感じ。

 

「ねえ。アナリザンド」

 

「ん?」

 

「クッキーの食べかす、口元についているわよ」

 

「え。本当? 気づかなかった」

 

 服の袖でぬぐおうとすると止められた。

 ハンカチを持ったエーレちゃんが近づいてくる。ごしごし。

 拭かれちゃった。綺麗になった口元を、今度はエーレちゃんの指先がなぞる。

 

「んう?」

 

 そしてプチふにーんされる。

 

「ふに」

 

 ほっぺたをちょっとだけ伸ばされた。

 友達を毒牙にかけるなんて。

 そんな。そんな……。もっとやってもいいよ!

 

「あなたって女の私から見ても、かわいいのよね」

 

「まあそれほどでもあるかな」てれてれザンド。

 

「えっちシーンを入れようと思ったのは、あなたがライバルキャラだからなの」

 

 なんと……。そんな裏事情が。

 

「わたしがロリだから?」

 

「そうよ」エーレちゃんは少し視線を逸らした。「アナリーって、幼くて子猫みたいにふにふにしてて、メチャクチャにしたくなるくらいかわいいでしょ。あなたそっくりだから」

 

「うん、まあ」なんか恥ずかしい。もじもじザンドになってしまう。

 

「ヒロインの立場から見たら、ロリコン騎士様がかわいい幼女魔族に懐かれてたら、どう思う?」

 

「うーん。ライバルとして最強?」

 

「でしょ。だからヒロインには武器が必要だったの。決定的な形の」

 

 決定的な形。

 つまりそういうことか。

 

「キスシーンじゃ足りないってこと?」

 

「足りないわよ」エーレちゃんはきっぱり言った。「アナリーはかわいくて、ヴァールハイト様に懐いていて、しかも魔族だから年齢も関係ない。そんな相手に主人公が勝つためには、朝を一緒に迎えるくらいのことをしないと釣り合わないじゃない」

 

 理論派的な発想だった。

 

「なるほど。乙女の柔肌を武器にするわけか。ロリ魔族より大人な成人女性の魅力ってやつで」

 

「そ、そういうこと」エーレちゃんの耳がまた赤い。「乙女にとって自分が差し出せる最大のものって、純潔だと思ったの」

 

「自分自身を差し出す。それが愛の証明ってわけか……」

 

「あなたって、時々、とんでもなく恥ずかしいことを言うわよね」

 

「まあそれは魔族ですし」

 

 おもしろいと思ったのだ。

 売れるためでも、前作を越えるためでも、レルネン先生を越えるためでもなく、ライバルキャラに乙女ちゃんを勝たせるために、えっちシーンを入れる。

 

 エーレちゃんは本当に乙女ちゃんの味方なのだ。

 

「ねえ、エーレちゃん」

 

「なに」

 

「今回の乙女ちゃんの物語って、エーレちゃん自身の話でもあるんじゃない?」

 

「どういう意味よ」

 

「だってヴィアベル君の周りにはわたしがいるよね。回復魔法も使えるし、ヴィアベル君との仲も良好。呼ばれたらすぐに駆けつけることができる。エーレちゃんのいないところで仲を深めることもできちゃう。エーレちゃんから見たら、わたしって邪魔じゃないの?」

 

「邪魔に思ったことは一度もないわ。これは私の問題だから」

 

「いっしょについて行かなくて本当にいいの? 船旅が終わったら本当にお別れになっちゃうんだよ。ネットは繋がってるけど……。いつでも話せるけど。触れ合うのは難しくなっちゃう。エーレちゃんも本当は乙女ちゃんみたいに勝ちたいんじゃないの?」

 

 エーレちゃんは黙った。

 答えを探しているのか、答えを隠しているのか。わたしにはわからなかった。

 

――グワン。

 

 その沈黙を海が破った。

 船が、何かに叩きつけられるように大きく揺れた。

 カップが吹っ飛び、安全機構が働いて小窓が自動的に閉じた。

 エーレちゃんが椅子ごと傾いて、わたしは魔法で空中にわずかに飛んで重力の影響を断つ。

 

「な、なに!?」

 

 見ると、船室の丸い小窓(本当のリアルな窓のことだ)から、白くてぬめぬめとした触手が見えた。吸盤が甲板に張りつくように這っていて、そのサイズはさながら大怪獣。触手は、甲板をもてあそぶように舐めたあと、すぐに見えなくなった。

 

 でも、いる! この船を狙っている。

 

「今の触手は……間違いなくイカだ」

 

「クラーケンよ! このままだと船がもたないわ!」

 

「タコだったらたこ焼きいっぱいつくれるのに!」

 

「馬鹿なこと言ってないで行くわよ!」

 

 エーレちゃんがすぐに船室から飛び出す。

 わたしもすぐあとに続いた。

 

 

 

 

 

 甲板は、戦場だった。

 

 クラーケンの巨体が船の半分を覆うように迫っていて、触手が縦横無尽に暴れている。船員たちの怒号と、波の音と、船体の悲鳴が混ざり合って、もはや何も聞き取れない。

 

 でかい。想像より、ずっとでかい。

 船体の二倍くらいの巨体で、目ん玉だけでも小舟くらいの大きさがある。

 その目がぎょろりとこちらを睥睨している。気持ち悪っ。

 

 わたしは即座にHUDを使って索敵した。

 

――ヴィアベル君

 

 甲板の端に立っている。

 でも顔色が死人みたいに青い。

 船酔いのまま這い出てきたらしい。手すりを掴んで今にも倒れそうだ。

 

――シャルフ君。

 

 ヴィアベル君の隣。魔力がほとんど枯渇している。ゾルトラークをさんざんっぱら撃ったあとなのだろう。あのぬるりとしたイカ肌は、魔法攻撃をぬめりで反らすみたい。言わば天然の結界が張られている。そうなれば質量攻撃と言いたいところだけど、周りには花がない。花を咲かせるにしろ木の板のうえに咲かせるイメージは持てなかったのだろう。困り果てた顔をしていた。

 

 つまり――、頼りになる戦力がゼロだ。

 ここにいるエーレちゃんとわたし以外は。

 

「ヴィアベル!」エーレちゃんが叫んだ。

 

「来るんじゃねえ!」ヴィアベル君はかすれた声で言った。「下がってろ。今はちょっと気分がわりぃだけだ。すぐに……おぇぇぇぇぇぇ」

 

 ナイアガラの滝。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 戦う前から満身創痍だった。

 口をぬぐうその様は、虹色の物体じゃなければかっこよかった。

 

「あんた今戦える状態じゃないでしょ」

 

「うるせぇ! 俺は北部魔法隊の隊長だぞ。こんなイカごとき……うぇぇ」

 

 イカ臭さと船酔いが絶望的にブレンドされた結果。

 小魚に大量のエサをばらまく結果になってしまった。

 

「ああ、もう!」

 

 エーレちゃんは駆け寄って、かかんだ状態のヴィアベル君の背中に手をあてた。

 その隙をクラーケンが見逃すはずもなく、何本かの巨大な触手がエーレちゃんに迫る。

 わたしは魔力を練り上げる。物理攻撃系魔法なら――。

 

「させない。大体なんでも(レイルザイ)……わきゃ」

 

 にゅるん。気づけば足を掴まれてた。

 イカが十本足だってこと忘れてたぁぁぁああ。

 

 わたしは空中に逆さづりされる。スカートが重力に従って落ちるが大丈夫。

 ドロワーズ履いてます。ってそんな場合じゃない。

 

 エーレちゃんに迫る触手。わたしに止める術はない。

 でもさすがは一級魔法使い。エーレちゃんは眼前に迫る巨大な白いにゅるにゅるに怯えることなく、杖を構える。

 

「――英雄の盾(アイギスシルト)!」

 

 エーレちゃんの十八番になりつつある完全無欠の防御魔法。

 

 黄金の硬い殻に、クラーケンは触手をさわさわとまとわりつかせ、どこにも穴がないことを悟ると残念そうに触手を引いた。

 

 エーレちゃんの貞操はすんでのところで守られた。

 

 でも、わたしはそうではなかった。

 また別の触手が、空中にいるわたしの胴体、両手、そして両足をねぶりつくすように絡めとっていく。にゅるんにゅるん。さわさわ。にゅるるるるる。

 

「うわぁぁ、ちょっ、冷たっ! すっごくぬるぬるする!」

 

 吸盤が服に吸いつき、じわりと締めつけてくる。

 

 膨大な魔力に守られたわたしの柔肌は大丈夫だけど、このねちっこい感触は精神衛生上よろしくない。触手はわたしの頬をなぞり、さらには角にまで絡みついて、まるでわたしの魔力を味見しているかのようだった。もはや粘性のある謎の液体で、わたしの顔はべっとべとだ。

 

 ようやくわかった。

 こいつ、()()()()だ。

 触手にとらえようとしたのは、エーレちゃんとわたし。

 男の船員さんたちは要らねとばかりに触手でしばかれていた。

 つまり、女の子だけ! こいつの目的は乙女の柔肌をねぶることにある。

 ある意味、王道的な触手プレイを敢行しようとしている!

 

「今、助けるわ。アナリザンド」

 

「どうやってぇぇ」にゅるんにゅるんザンド!

 

 とんでもない気持ち悪さから、魔力をうまく操作できない。

 

「そいつの弱点を教えて。そこをぶち抜くから」

 

「解析……眉間の間ぁぁ。ひゃあああ。服の中にまで侵入されちゃったぁ。早くぅ。乙女が乙女じゃなくなっちゃうううぅぅぅ」

 

「狙いが定まらない……」

 

 エーレちゃんはおそらく最大の物理攻撃。あのときに見せた乙女弾丸戦法をもう一度おこなおうとしているのだろう。ゾルトラーク推進で、自らを撃ちだすという。

 

 でも、わたしは人質にされている。

 このエロイカはそれなりに頭もいいらしい。

 触手をぶらぶらと揺らし、狙いをそらしている。

 

 エーレちゃんは一瞬、何かを考えたみたいだった――。

 

 

 

 

 

――回想。

 

 話は少し遡る。

 それはエーレたちが船旅を始める直前。陸での最後の夜のことだった。

 港町の外れ。石畳の道が海に向かって緩やかに下っていくあたり。

 ヴィアベルは荷物の買い出しをしていた。エーレはその少し後ろを、理由もなくついていく形になっていた。シャルフは宿屋で瞑想をしている。

 

 明日になれば船が出る。帝都まで数か月の旅だ。

 ヴィアベルはその先、北の最果てに向かう。

 エーレは帝都で降りる。

 道が、分かたれる。

 そのことを、ふたりともわかっていて、でも口にしなかった。

 

 ヴィアベルが不意に立ち止まった。

 石畳の隙間に、丸い石が挟まっていた。

 特別なものではない。白っぽくて、少し平たくて、角が丸い。

 波に磨かれたのか、風にさらされたのか、表面がすべすべしている。

 ヴィアベルはそれを拾いあげた。しばらく手の中で転がした。

 それからおもむろに、それをエーレに差し出した。

 

「なによ、これ」

 

「石だ」

 

「見ればわかるわ」

 

「船の上では石ころを見つけるのも苦労すんだぜ」

 

 エーレの得意魔法は確かに石を弾丸のように飛ばす魔法だ。

 けれど浪漫もひったくれもないヴィアベルの行動に、エーレは顔をしかめた。

 拾った少しだけかわいくて綺麗な小石を贈る。まるで近所のガキみたいだ。

 

「ゾルトラークがあるじゃない」

 

「かもな」ヴィアベルはへらへらと笑っていた。

 

「宝石でもなんでもない。なんの価値もない石ころを贈ってどういうつもり?」

 

「要らねーなら棄てりゃいいだろ」

 

「棄てないわよ」

 

 エーレはぶっきらぼうに言って、それをポケットにしまった。

 ヴィアベルは何も言わなかった。

 ただ歩き始めた。

 エーレもその後を歩いた。

 夜の港町に、ふたりの足音と波の音だけが聞こえていた。

 

 

 

 

 

――現在。

 

 エーレはポケットに手を入れた。

 取り出したのは、あの石だった。

 白くて、丸くて、何の変哲もない。

 魔力は宿っていない。ただの石だ。

 でもエーレは今日まで棄てなかった。

 棄てきれなかったというのが正しいのかもしれない。

 

 クラーケンはエーレの狙いを外そうと、アナリザンドを掴んだ触手をぶらぶらと揺らしている。

 嘲るような、愉悦しているような、そんな感情が触手の動きからうかがえる。

 表情は――イカに表情なんてものがあるのかすらわからないが、ともかくこいつは驕っている。

 それなりに頭がいいらしい。

 

 エーレは石を強く握った。

 

「アナリザンド」

 

「なにぃぃ」

 

「少しだけじっとしてて」

 

「じっとしてまぁす。でも、こいつ。思ったよりも頭がいいみたい。触手は筋肉のカタマリみたいなものだし、人間の反応スピードをゆうに超えているよおおおおお。にゃははははは」

 

 脇腹まで蹂躙されている。憐れザンド状態。

 

「そうね。あなたを盾にしようとしてるわ。でも私だって()()()()()()()()()()()()精密射撃は得意なのよ。魔法学校の首席だったんだから」

 

――大丈夫。

 

 言い聞かせる。自分に。

 たとえ一番じゃなくても。

 たとえ、小石を棄てることになっても。

 

「大丈夫よ」

 

 エーレはアナリザンドを見た。その目がひとりの英雄のように輝いた。

 

「だって、あなたって、ちっちゃいもの!」

 

 石を握る。空中に放つ。魔法の詠唱は一瞬。

 

「――石を弾丸に変える魔法(ドラガーテ)!」

 

 石が、流星のように飛んだ。

 音速を超え、光のような速さで飛来する。

 アナリザンドを掴んでいた触手に、精確に、これ以上なくジャストタイミングで命中した。

 ぱんっ、という乾いた音とともに、触手の先端が弾け飛ぶ。

 

 ぽてころ状態になるアナリザンド。

 べっとり濡れた状態ながらも、身体的には無事。

 

 クラーケンが怯んだ。

 海面を揺らすほどの振動。船体が大きく傾く。船員たちがよろめく。

 でもエーレは倒れなかった。

 触手の力が、脅えと生存本能によって、わずかに緩んだのを感じ取る。

 その一瞬を、エーレは見逃さなかった。

 

「――英雄の盾(アイギスシルト)

 

 黄金の殻を、エーレの全身がまとう。

 クラーケンはエーレを見た。いや見た気がした。感情を感じさせないドロっとした瞳が、エーレを、小さな人間を脅威として映し出している。

 

 触手を繰り出した。何本も人間の反射スピードを超えて、エーレを止めようとした。

 でも黄金の殻は、触手をことごとく弾いた。

 エーレは止まらなかった。でも、速度が足りない。

 眉間まで、あと十数メートル。

 このままでは届かない。

 

――そのとき。

 

「エーレ!」

 

 ヴィアベルの声だった。

 

 振り返ると、手すりから手を離したヴィアベルが、膝をついた状態でワンドを構えていた。顔色はもはや蝋人形のように白く、足が震えている。それでも目だけで何が言いたいかわかった。

 

 あのときの再来。繰り返される物語。

 

 隣にシャルフがいた。魔力はほぼ空だ。でも杖を両手で握って立っていた。

 

「行けよ」ヴィアベルが言った。「俺たちが押してやる」

 

「あんたたち……」

 

「議論は後だ」シャルフが言った。「今度は俺もやってやる!」

 

 エーレは詠唱する。

 一般攻撃魔法。ゾルトラーク。魔法陣を使って自己噴射。

 

 そこにふたりの男の声が重なった。

 

「ゾルトラーク!」

 

 三つの魔法が、重なった。

 エーレの背中を、ふたりの魔法が押しだした。

 速度が、急速に跳ね上がった。速い。速い。速すぎる。

 

 それはまるで――乙女の弾丸。

 速度が力に交換され、一直線に、対象を貫く。

 

 クラーケンは最後の抵抗とばかりに、すべての触手を重ね合わせた。

 脆い。そんなもので私たちは阻めない!

 

 ゴリゴリとドリルのように削る。

 一本。二本。三本。四本。

 

「終わりよ!」

 

――英雄の剣(エクスキャリバー)

 

 光がクラーケンの眉間を貫き、ぶち抜いた。

 断末魔の振動が海面を揺らし、巨体がゆっくりと沈んでいく。

 エーレの身体は数百メートル先まで到達し、ようやくそこで止まった。

 ふわりふわりと飛行魔法で帰還するエーレ。船員たちは手を振って応えた。

 後の世に、エロイカの乙女と呼ばれる伝説的なエピソードのひとつである。

 

 

 

 

 

 帰還するエーレを、甲板のみんなが見ていた。

 船員たちが、呆然と見ていた。

 凄まじすぎる戦闘力を持つ一級魔法使いの実力に皆、息をのんでいた。

 シャルフが、膝をついたまま見ていた。

 完全なガス欠状態で、それでも生存するのはシャルフの強さだろう。

 ヴィアベルが、手すりに掴まりながら見ていた。

 胃の中のものをすべて吐き出したのか、すっきりした表情をしている。

 

 アナリザンドはべっとりねとねとの状態で、お姫様のようにみんなにタオルで身体を拭かれていた。そしてにっこり笑ってる。

 

 エーレは数分後にようやく甲板に降り立った。

 息が切れていた。手が震えていた。膝が笑っていた。

 でも倒れなかった。英雄は倒れない。乙女は折れない。

 

「終わったわ。少し疲れちゃった」

 

 誰に言うでもなく、さらりと言った。

 空になった手を、そっと開いた。

 石は、もうない。

 海の底に沈んでいった。クラーケンと一緒に。

 エーレはその手を、静かに閉じた。

 

――終わったという感覚。

 

 これで、ヴィアベルとの関係も終わる。

 ひとつの物語が終わったあとに、別の物語が始まるのかもしれないが。

 ともかく、これで終わったのだ。

 寂しくないと言えば嘘になるけれど、エーレはふっと息を吐いた。

 

 そのとき、ふと足音が聞こえた。

 ヴィアベルだった。

 手すりから手を離して、ふらつきながら歩いてくる。顔色はまだ白い。足元はまだ危うい。それでも歩いてきた。

 エーレの前に立った。彼はしばらく黙っていた。

 

「石、使っちまったな」

 

「使い切ったわ」エーレは答えた。「返せないわよ」

 

「返さなくていい。最初からそのつもりだ」

 

 ヴィアベルは海のほうを向いた。

 クラーケンが沈んでいった海をしばらく見ていた。

 

「おまえの役に立ったんなら、それでいい」

 

 夕暮れが近かった。海が赤く染まり始めていた。

 灰色の海が、光を浴びて、色々な表情を見せるのはとても不思議なことのように思う。

 

「なぁ。エーレ」

 

「なによ」

 

「おまえ、俺についてくるんだよな?」

 

「何よ急に。そんなこと一言も言ってないけど」

 

「急じゃねえ」ヴィアベルは言った。「ずっと言おうと思ってた」

 

「帝都までもののついでに送ってくれるんでしょ。それは知ってるわ」

 

「そうじゃねえよ」

 

「そうじゃなかったら何」

 

 鼓動が高鳴るのを感じる。うるさいくらいに自己主張してくる。

 まるで物語の中の告白シーンみたいで。

 エーレは次の言葉を待った。

 

「武器……」

 

「武器?」

 

「おまえにとって石は武器だ。そうだろ」

 

「まあそうだけど」

 

「石、なくなっちまったしな。補充しなきゃならねえ」

 

「何言ってるの。石なんて、その辺にいくらでも……」

 

「帝都じゃ石畳だらけで、ろくな石がねえって聞くぜ。北の果てなら魔法の通りがいい石がゴロゴロ転がってんだ」

 

 その声はいつものぶっきらぼうなトーンだったが、わずかに迷いのような震えが混ざっていた。

 ヴィアベルの顔はエーレの方を向いている。逆光で顔はよく見えない。

 

「俺が探してやるよ。ついてこいエーレ」

 

 ドクン。ドクン。心臓の音で何も聞こえない。

 

「アナリザンドを連れていけばいいじゃない。私よりずっと役に立つはずよ」

 

「俺は戦場にガキを連れていく趣味はねーよ。おまえの方がいい」

 

 波の音。夕暮れ。船のダメージを確認する船員たち。

 そのすべてが消えて、ヴィアベルの顔がようやく見える。

 エーレの耳が、じわりと赤くなった。

 顔全体に赤みが広がるのを、必死に抑えようとしている。

 

「……ばか」

 

「そうかもな」

 

「私、戦えないわよ」

 

「さっきまで戦ってたじゃねーか」

 

「あれはイカだから……。魔族でも人間でもないからできたのよ」

 

「だったら戦わなくてもいい。おまえは俺より頭がいいからな。参謀でも軍師でも、いくらでもやりようはあるんだぜ。それに――おまえは。やるときはやる女だ」

 

「論理が破綻しているわ」

 

「そうでもないぜ。おまえ、さっきまで乙女ゲームにエロシーンいれようとしていたじゃねーか」

 

「盗み聞きしてたの?」

 

「ばぁか。そうじゃねえよ。隣室であんだけデカい声で騒げば、嫌でも聞こえてくるんだよ。こっちは船酔いで死にかけてんのによ」

 

 エーレはしばらく真っ赤なまま黙っていた。

 それから、ヴィアベルをじっと見た。

 

「乙女ゲームの話、全部聞いてたの」

 

「英雄様をロリコンにするのはさすがにひでえと思ったぜ」

 

「えっちシーンの話も」

 

「バッドエンドだと、アナリザンドにネトラレんのか?」

 

「……」

 

「……」

 

「死んでよ」

 

「お断りだ」

 

 シャルフがそっと甲板の端に移動していた。

 賢明な判断だった。乙女の戦いはまだまだ続く。

 

 けれど、結局ヴィアベルについていくことになった。

 そういうことになった。

 

 

 

 

 

 甲板の隅で、わたしはようやく綺麗になった身体で、ふたりを遠巻きに見ていた。

 夕暮れの海が、赤く染まっている。

 

 クラーケンが沈んでいった海が、こんなにも綺麗な色をするとは思わなかった。

 石は海に沈んだ。

 でも棄てたわけじゃない。使い切ったのだ。その役割を終えて海に還った。

 

 宝石じゃなくてよかったのかもしれない。

 宝石だったら、たぶんエーレちゃんは使えなかった。

 ただの石ころだったから、使い切れた。

 ただの石を渡したヴィアベル君も、たぶんわかっていたのだろう。

 自分がどんな男かということを。

 

 わたしはそっと船縁に腰を下ろして、脚をぶらぶらさせた。

 エーレちゃんの声とヴィアベル君の声が、波の音に混ざって聞こえてくる。

 内容は聞こえない。聞かなくていい。聞こうとしなくても聞こえてくるけど。

 

 乙女ゲームの二作目は、きっと傑作になる。

 

 たとえ一番じゃなくても戦えると知ったエーレちゃんが、その覚悟を全部注ぎこんで書くのだから。コンセプトマップの真ん中に刻まれた言葉は、もう揺れない。

 

――たとえ、あなたの一番じゃなくても。

 

 乙女は覚悟しても乙女のままだ。

 怖くても動ける。ギリギリでも届く。

 石ころひとつで、英雄になれる。

 

 そして――。

 

 乙女は、物語よりも恋してる。

 

 

 

 




エロイカとは英雄のことです。イカしてるでしょ?
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