魔族少女のエロタナティブ 作:アナリザンド
ラオフェンは、まごまごしていた。
一級魔法使い試験が終わったあと、デンケンは一度帝国に呼ばれ、そのあとすぐに戻ってきた。
そのときは、古巣へ戻るだけのことということで、ラオフェンも納得していた。帝国という大陸の北側の国に向かうことは、それ相応の実力がなければできない。その通り道である北部高原には強力な魔物が跋扈し、魔族も跳梁していると聞く。四方が敵に囲まれていては、実力不足のラオフェンはデンケンに引率されるだけの存在になってしまう。
――ラオフェンよ。すぐに戻る。心配するな。
そう言って、デンケンはリヒターに後を任せた。
リヒターは何のかんのと言いながらも、デンケンに渡された生活費をラオフェンのために使った。路銀はとうの昔に底をつき、ラオフェンには生活基盤を支える術がなかったからだ。しばらくは魔道具店を手伝いながら、適当な冒険者としての仕事をこなす毎日だった。
やがて、デンケンが一度オイサーストに戻ってきた。
帝国から取って返すように帰ってきたのは、亡き妻の墓参りを一刻も早く行いたかったからであろう。
ラオフェンも、まさか自分を心配してなどとは思ってもいない。
ただ、次の旅は危険が伴うという――。
ラオフェンだって、こう見えてネットを使いこなす未来ある若者である。ネットでは一級魔法使いになった宮廷魔法使いデンケンの逸話も、黄金郷のこともすべて書いてある。デンケンの向かう先が死地であることは、天然お気楽娘なラオフェンでもとうの昔に気づいている。
――最後の七崩賢、黄金郷のマハト。
その実力は、七崩賢最強と言われており、かつて一級魔法使いが寄ってたかって攻め入ったときも、一撃すら与えられず、封印するのがやっとだったと聞く。
二級にやっとなれたばかりのラオフェンはついていくことすらできない。ついていけば邪魔になる。それはラオフェンにもわかっている。ただ、その理解の仕方は大昔の生まれる前の戦争のことを聞かされるようなもので、どこか実感の湧かない遠い昔の物語に過ぎなかった。
いや、言ってはみたのだ。
若者らしい特権で、孫らしい健気な物言いで。
「爺さん。私もついていっていい?」と。
「ダメだ」と、にべもなかった。「ラオフェンよ。戦い方には四路五動があると言ったな。そのうち、五番目の行動こそが最も玄妙であると述べたはずだ」
「待機しろってこと? 爺さんが帰るのをただ待っとけって?」
「そうだ。おぬしは考えるより先に行動しすぎるきらいがある」
「爺さん。死ににいくつもりでしょ。私だってそれなりには強いよ。格闘にも自信があるし……。なんでもいいから、爺さんの力になりたいんだ」
デンケンは一瞬だけ優しい視線になった。
だが、家長らしい厳しい目でラオフェンを見つめなおした。
「おぬしはまだ殺し殺される間柄を知らん」
「リーニエとだって戦ったことあるし。故郷じゃ、数えきれないほど魔物も倒してきた」
「それは試合であり、修行だろう」
「リーニエとは本気の戦いだったんだ。……負けちゃったけど」
「リーニエがその気になれば、おぬしはその時に死んでおった。リーニエが人間の娘と友情を育む稀有な魔族だからこそ、今のおぬしは生きておる」
「そりゃそうかもしれないけど、戦いは数でしょ。ひとりで行くよりふたりで行ったほうが絶対安全だよ。なんならリヒターもいっしょに連れていこうよ。そうすれば、爺さんだって安心して戦えるでしょ」
ラオフェンはデンケンの覚悟がわからなかった。いや、わかりたくなかった。子どもが駄々をこねるみたいに、ラオフェンは追いすがった。
長嘆息するデンケン。
「無為に死ぬつもりはない。マハトは儂の魔法の師でもあったのだ」
「マハトが爺さんの師匠だったの?」
「そうだ。まだ20にもならぬ儂が若造だった頃の話だ」
「でもマハトって悪い魔族なんでしょ。何を考えてるかもよくわからない。人間を騙して街を黄金で沈めたって言われてる。数えきれないほどの魔法使いが百舌鳥の早贄のように黄金に串刺しにされたって聞いたよ」
若者は、伝聞の世界を生きている。すなわち、教育の世界を生きている。直接体験した生の経験が少なく、誰かに教え伝えられた法をうのみにするほかない。人間になる魔法を過剰供給されるのが若者なのだ。
「それはネットに流れる表面上のデータに過ぎん。おぬしはマハトのことを何も知らない。知らない敵と対峙すれば、勝負は時の運となる」
「爺さんは知ってるって言うの? だから負けないって?」
「わからんさ……」デンケンは枯れた声を出した。「マハトが仕えていたのは儂の義父にあたるグリュックという者だ。マハトを真に知る者がいるとすれば、義父上のみだろう」
「やっぱり死ににいくんじゃん」
「そうでもない。儂も数えきれないほどマハトと指導試合を重ねてきた。儂が指導される側だったがな。あやつの魔法の癖もわずかな隙も知っておる」
「私がいれば、少しは隙だって広がるかもしれないよ」
「ラオフェンよ」デンケンは言葉を断った。「おぬしには……未来を任せたい」
「未来?」
「未来のために今は研鑽を積め、ラオフェンよ」
「未来のことなんて誰にもわからないじゃないか」
と、ラオフェンは声が枯れるほど聞いた。
返ってきたのは、優しい微笑だった。モノクルの奥に湿り気を帯びた感情が見える。
「ラオフェンよ。後は任せたぞ」
それだけ言って、デンケンは静かに去った。
それが、およそ一日前であり、デンケンは帝国の外縁を守っていた城塞都市ヴァイゼに向かう準備をしていた。三日もすれば、旅の準備を終えて、デンケンは旅立ってしまう。
デンケンは別れを済ませたとばかりに、ラオフェンのいる魔道具店に寄ろうとしなかった。
「ねえ。おっさん」
カウンターでアンニュイな顔を腕に乗せながらラオフェンが言った。
「なんだ? それと俺はおっさんじゃない。リヒターさんと言え」
リヒターは魔道具を点検しながら、一度だけ顔をあげる。
面倒くさそうな顔だ。
「わかったよ。おっさん。あのさ……」
ラオフェンのまったくわかっていない朧気な様子に、リヒターは溜息をつく。
「なんだ! 暇なら遊びにでも行くなりなんなりしろ!」
「爺さんがひとりで行っちゃっても、おっさんは大丈夫なの?」
「俺に聞くな。そいつはデンケンの問題だ。俺たちが口を出していい問題じゃない」
「それはわかってるけどさ……」
ラオフェンだってそれくらいはわかっている。
うまくは言えないけれど、デンケンは命を惜しんではいない。覚悟しているからだ。
刺し違えてでもマハトを倒し、故郷を解放しようとしている。
あるいは墓参り自体はできるかもしれない。マハトがデンケンの師であるならば、亡き妻の墓参りをする事自体は、許される可能性もある。それでも黄金の呪いから解き放たなければ、喪が明けないと考えている節がある。それは同時に、
殺し合いという手段でしか対話しえないマハトをも魔族という存在様式から解き放とうとしているみたいだった。命を賭しても――。
ラオフェンにはそういった覚悟はまだない。それだけのしがらみもなかったし、単純にデンケンを助けたいという考えだけしかなかったからだ。
でも――、動いてはいけないという状況に身体がムズムズする。
動きたいと身体が叫んでる感じがする。
「おまえは自分がスッキリしたいだけだろう」
リヒターの言葉に胸底が漣のように揺れた。
「そうだよ。悪い?」とラオフェンは反抗した。
「悪い」リヒターは断言する。「ガキのお使いじゃないんだ。じっとしてろ」
「爺さんに未来を任されたの」
ラオフェンは腕を枕のようにしてうつ伏せに目を伏せた。吐息が腕にあたる。
「だからなんだ?」
「未来を任せたって言われても、未来なんて何も見えないじゃないか」
「それは誰だって同じだ。たとえ未来が視えたところで、その未来が本当に到来するかはその時になってみないとわからないんだからな。デンケンはおまえに期待しているんだ。順当に行けば、おまえの方が長生きするだろう。生きていれば未来がある。簡単な道理だ」
「私の何に期待しているの?」
――未来? 生存? 幸福?
「さあな。爺さんの考えなんて俺は知らん」
リヒターは立ち上がって、奥の戸棚から紙袋を取り出してきた。
おもむろにそれを渡してくる。中を見ると、ラオフェンの好物のドーナツが入っていた。
「なにこれ? 私の好物ばっかり……」
「デンケンが、おまえの好物だと言うから買ってきたまでだ。それでも食って、大人しくあいつの無事でも祈ってろ」
確かにドーナツをほおばってる間は、何も言えなくなってしまう。
デンケンの想いか、リヒターの奸計か、それはわからなかったが、ともかくラオフェンは口を開けなくなってしまった。
「もぐもぐもぐ……くそう……もぐもぐ」
それでも、デンケンのために動きたいというラオフェンの気炎が消えたわけではなかった。
「こんマゾ? ってどうしたのそれ」
『もぐもぐ……アナリザンド……もぐもぐ』
わたしは、ラオフェンちゃんに呼ばれた。
ラオフェンちゃんはいつものように両手にドーナツを持った状態で、さらには口にはドーナツを咥えた状態で、まさかの三刀流の状態だった。曲芸のようにドーナツを空中でまわしながら、うまい具合に口の中に入れこんでいる。
これ以上なく無駄に洗練された無駄のない無駄な動きだ。
やがて、口のドーナツを食べ終わると、ラオフェンちゃんはわたしをじっと観察するように見つめてきた。ドーナツは本来であればラオフェンちゃんの好物。それを食すということは快であるはずだ。だが、彼女の表情は不快な顔つきだった。不満げにちょっと膨らんでいたのだ。
『姉さんって未来が視えたりする?』とラオフェンちゃん。
「未来? 視えないかな。でも高精度の予測はできるよ。短時間だったら正確にシミュレートできる。でも時間が経つにつれてどんどんズレが大きくなるかな」
『高精度な予測かぁ……じゃあ。爺さんが無事に帰る確率はどれくらい?』
「五分五分かな。デンケンお爺ちゃんも言ってたでしょ。お爺ちゃんはマハトのことを完全に知っているわけではないって。敵を知らず己を知らば、一勝一負す。魔族の心性は人間には読み取れない部分もあるよ」
画面の向こうで、ラオフェンちゃんの肩がびくりと跳ねた。
『アナ姉は、爺さんのこと助けてくれないの?』
「もちろん助けたいって思ってるよ。お爺ちゃんは何が何でもマハトを倒さなきゃいけないわけじゃないでしょ。マハトを説得すればそれで足りるわけだから、わたしは翻案のお仕事をしようと思ってる」
『魔族の言葉を人間の言葉に変換するってこと?』
「そう。そうすれば、いずれにしろ情報は得られる。デンケンお爺ちゃんがマハトに勝つ確率も上がるわけだから、いいことばかりだよ」
『でも絶対じゃない』
「そりゃそうだね。未来は
『だったら私が絶対にする。絶対にしたい』
――若者らしい足掻き方だった。
ラオフェンちゃんが盗んだバイクで走り出そうとしている。
この子の魔法って、爆走魔法だからな。
「どうやって?」とわたしは聞いた。
『あのさ。アナ姉は
「ボクっ娘? ラオフェンちゃんなら似合うと思うよ」
むしろ、ときめきのようなものを感じます。
ボクっ娘ラオフェンちゃん。すごくいい。
『そうじゃなくて、山岳の民に伝わる古い占いのやり方。火で炙った大亀の甲羅に水を打って、できた罅で未来を占うんだよ。そこに、爺さんの歩む道を映し出すんだ』
「亀卜かぁ……。珍しい占い方だね。獣骨では足りないの?」
確かそういうやり方もあるって聞いたことがある。
本来は鶏の骨だって、牛の骨だってなんだっていいらしい。ただし、獣骨による卜占は、儀式的な要素が強く、言わば定例会議における指針という要素が強かったようだ。
逆に言えば、亀卜は異例であり、占いをおこなう者の能動的な意志によっておこなわれた。
言わば課金アイテムによるガチャのようなものなのだ。
『獣骨じゃ足りない』とラオフェンちゃんは言った。
「何が足りないの?」
『獣骨程度じゃ、爺さんの運命を支えきれないよ』
ラオフェンちゃんは、無に帰ったドーナツをまだ見つめていた。
砂糖とはちみつでべとべとになった手をこすりあわせている。
『私の故郷でね。亀卜はここぞという時にだけ使われるんだ。年初とか、何か災害が起こりそうな時とか、起こった後とか。亀卜は未来を見通すためのものじゃなくて、これからどうすればいいかを決めるためのものなんだ』
「決める?」
『うん。甲羅の罅は女神様が書いた一本道じゃない。私たち人間が、どう動けばいいかを教えてくれる道の形なんだ。道が無ければ人は歩けないでしょ。でも、道をどう歩くかはその人次第』
「そっか。それがラオフェンちゃんの故郷の考え方なんだね」
絶対的な運命論とも違う。能動的な選択。それがラオフェンちゃんの思想にまで沈殿している。
ラオフェンちゃんが欲しかったのは女神様からもたらされる予言ではなくて、確信の依り代だったのだろう。獣骨では――弱い骨ではデンケンお爺ちゃんの重すぎる運命を乗せられない。その選択を支えきれないと判断したのだ。
合理的な民族なのだなと思う。
「それでは何がお望みなのですか。天使さま?」とわたしは言ってみた。
『姉さんは、タイラントタートルって知ってる?』
「知ってるよ。その名のとおり大亀の魔物だね。分類としてはシュティレに近い魔法生物だと言われていて、緩慢な動きでほとんど人も襲わない無害な魔物だって聞いてる」
データ参照すれば、
――無害であるが、巨躯である。
とのこと。
その質量で踏み潰されればひとたまりもないし、その亀の甲羅はあらゆる物理攻撃、魔法攻撃をはじく。シュタルク君みたいに攻撃力の高い戦士がいれば別だけど、そんな苦労をしてまで狩る必要はない。狩る理由もないからだ。討伐すれば肉は塵となり消える。食べることはできない。
『でも、甲羅は残るんだよね?』
「そうだね。暗黒竜の角みたいに高密度の魔力で形成されているから、甲羅は50年経っても消えないって言われてるね」
それでもいつかは霧散するだろうけど。それは人間の死体も同じだ。
『おあつらえ向きって思ったんだ』
「なるほど。そうかもね。じゃあ、ラオフェンちゃんはデンケンお爺ちゃんが旅立つ前に、タイラントタートルを討伐して、未来を占うつもりなんだね」
『うん、そう。良い結果が出たら爺さんに教えてやろうと思って』
「悪い結果が出たらどうするつもりなの?」
『亀卜は、良い結果が出るまで何度だって繰り返していいんだよ』
――ガチャは望む結果が出るまで何度だって繰り返していい。
悪魔的な誘いだ。
「でも、ラオフェンちゃんにタイラントタートルを討伐できるの? あの亀、HUDで観測するだけでも相当硬いよ。ラオフェンちゃんの得意な格闘術も効かないだろうし。相性が悪いと思う」
『だから――。姉さんに手伝ってほしくて』
ラオフェンちゃんはべとべとの手を舐めて、甘えるような視線を投げてきた。
この子、妹力はあまり高くないけど、孫力は激高だからな。わたしに特効はないにしろ、孫力を妹力に置換すれば、なかなかの破壊力をもっている。
でも、それはわたしに依存しているということでもある。わたしにメリットは一切なく、ただ庇護されることを望んでいる。いざとなれば助けてもらえばいいと思っている。意識的でないにしろ、ラオフェンちゃんは無意識にそう思っている。ずっとそんなふうに育ってきたのだろう。
「討伐した後に、火で炙ったり水を打ったりはしてあげてもいいけど、大亀を討伐したいのはラオフェンちゃんの欲望なんだよね。その欲望につきあう対価として、ラオフェンちゃんはわたしに何をくれるのかな?」
『アナ姉も、爺さんのことが心配じゃないの?』
「それとこれとは話が別だよね。因果の端緒となったのはラオフェンちゃん。やりたいのはラオフェンちゃん。亀を倒しにいくのはラオフェンちゃん。わたしはわたしのやり方で、お爺ちゃんを助けるつもりだよ」
『むぅ』
ラオフェンちゃんのムッスゥ顔だ。激レア。激レアがでましたよ奥さん!
でも、ここは我慢。真面目ザンドを保ち、ラオフェンちゃんの言葉を待つ。
『アナ姉のケチ! もういい。一人で行く!』
拗ねちゃった。
それは覚悟ではない。ラオフェンちゃんはわたしを説得する時間を
面倒な交渉ごとを打ち切って、自分のドライブに身を任せた。
それはデンケンお爺ちゃんが明日には旅立つかもしれないという焦りからくるものもあったかもしれないが、大部分は、威勢によるものだろう。
感情のコントロールがうまくいかず、身体のほうが先に行きたがっている。
心と身体が一致していない。
「まあ待ってよ。ラオフェンちゃん。ひとりで討伐しに向かっても絶対に失敗するよ。討伐可能性はわたしの見立てでは3パーセントくらいかなぁ。もう少し考えて動いたほうがいい。そのほうが成功する確率はグッとあがる」
『絶対になんて誰にだって言えないでしょ。現にアナ姉も3パーセントはあるって言ってる。その時点で矛盾してるじゃん』
「絶対って言ったのは言い過ぎだったかもしれない。ごめんね。でも、わたしが言いたかったのは、そうなる可能性が高いという予測のことなの。ラオフェンちゃんは勢いだけでなんとかしようって思ってるでしょ。お爺ちゃんも成功率を高めるために、最低でも七つの道を用意してるって言ってたよ」
『じゃあ、どうすればいいんだよ』
ラオフェンちゃんは揺れている。
そわそわと身体を動かしている。
実を言えば、ラオフェンちゃんは自分の命を人質にすれば、わたしを説得することはできた。わたしは妹が傷つくことを望まないし、命を失うのはもっと望まないからだ。でも、ラオフェンちゃんは素直な良い子なのである。愛を人質にすることを好まない。思いつきすらしない。
そんなラオフェンちゃんのことがかわいく思える。
「だからね――。お話ししよう。わたしを説得してみて」
『お金ならないよ』即答に近い速さだった。
「うん。そうだろうね。でも、その調子だよ。交渉は相手のことを知ろうとすることから始まるの。デンケンお爺ちゃんもゼーリエ先生に対してそうしてたよ。マハトにもそうするだろうと思う」
『じゃあ、アナ姉は何が欲しいの?』
人間の――特に若い子の成長は速い。
一足飛びに成長している。
「教えてほしいの? なら、お金をちょうだい」
わたしは愉しくなって言った。
『いじわるしないで』
「冗談だよ。ごめんね」
『謝罪するくらいなら、いっしょについてきてよ。それが対価っていうのはどう?』
「それは要するに、ラオフェンちゃんが自分の価値を高く見積もってるってことだよ。わたしの主観は別にして、客観的に捉えれば、わたしがラオフェンちゃんをからかったことは、ドーナツひとつをおごってあげるくらいの価値と等価じゃないかな。今度おごってあげるね」
『アナ姉は妹が好きなんでしょ。妹がこんなに頼んでるのにダメなの?』
ぐぎぎ。なかなか強い攻撃を繰りだしてきやがる。
でも、わたしはお澄まし表情2を選択した。
「それは理由にならないかな。お姉ちゃんは妹を無限に甘やかす存在だけど、妹の成長を願っている存在でもあるの。ラオフェンちゃんが成長する機会を奪うのは、姉として不出来かなって」
『私の成長……?』
「うん。お姉ちゃんは現在と未来の妹ちゃんを同時に愛してるんだよ」
『みんな。未来、未来って簡単に言うけど……。そんな急には強くなれないよ』
「今、強くなくてもいいんだよ」
『今強くならなくてどうするんだよ。だって、爺さんは明日にでも行っちゃう。守られてるだけじゃ嫌なんだ。何もできないまま終わるのが怖いんだよ』
やはり、感情が先走ってる。
減速させる必要がある。
「つまり、デンケンお爺ちゃんの庇護は、ラオフェンちゃんにとって虐待だったのかな?」
『虐待? アナ姉の言葉、なんか変だよ』
「それが魔族の言葉なの。わたしの言語の取り扱い方が必ずしも他の魔族と一致するわけではないけれど、少なくともわたしにとって、愛とは殺意であり、庇護とは虐待なんだよ。言葉が裏がえってるように思えるかもしれないけど、わたしにとってはそうなの」
『なにそれ……』
「だって、デンケンお爺ちゃんはラオフェンちゃんを安全な檻の中に閉じこめたわけだよね。あなたはお爺ちゃんの言葉に縛られて動けなくなってる。ひとつの現象を切り出した言葉として、虐待と言っても間違ってはいないでしょ」
『そんなふうに考えたことはないよ』ラオフェンちゃんは、わたしを睨んだ。
「じゃあどんなふうに考えてるの?」
『爺さんがくれたドーナツはあったかかった。野菜も食べなきゃいけないって言ってくれた。冷たい檻みたいな言葉じゃなかった。私が望んでた部分もあるんだ』
「じゃあ、その言葉に従えばいいじゃない。優しいお爺ちゃんがくれた温かみにくるまれて、冬の日の毛布みたいに求めて、お爺ちゃんが無事帰還するのを震えて待っていればいい」
『待ってられないから未来を占おうとしているんだよ』
ラオフェンちゃんの声には怒りはなかった。置いていかれるのが哀しいという感覚のほうが強い。天然でお気楽なラオフェンちゃんの根っこは、どちらかと言えば、大人しくて優しいのかもしれない。
「じゃあ、問いを繰り返すことになるけど、ラオフェンちゃんはどうするつもりかな。やっぱりひとりで行くなんて無謀なこと言わないでよ。わたしって魔族の中では、ちょろいクソ雑魚魔族って言われてるけど、そんなわたしすら説得できないなら、デンケンお爺ちゃんの助けになれるとは到底思わないけどな?」
わたしの挑発的な言葉にラオフェンちゃんは黙った。
考えているのだろう。何かしたいという善意は本物で、ラオフェンちゃんの想いに穢れたところは一切ない。ただ、その無邪気さが、現実を突き崩すこともまた、ほとんど無いのである。数学的な真理として、わたしははっきり言える。
やがて、ラオフェンちゃんは顔をあげた。
『アナ姉って、クソ雑魚魔族じゃないよね』
「ありがとう。でも今はそこじゃなくて――」
『わかってるよ。アナ姉を説得できなきゃ、爺さんの役には立てないって言いたいんでしょ。それはそうだと思う。この前二級になれたばかりの私じゃ足手まといになる。そんなのはわかってるんだ。でも嫌なんだよ』
「それはワガママだってこと、わかってる?」
『わかってるよ』
「じゃあどうする? わたしといっしょにドーナツでも食べて、お爺ちゃんの帰りを待ってる? 納得できないかもしれないけど一応言っておくと、全然悪い選択じゃないよ。
ひとつに、ラオフェンちゃんはデンケンお爺ちゃんの言いつけを守ったことになる。
ふたつに、無謀な賭けに出なかった賢い魔法使いということになる。
さいごに、未来のあなたは確実に今より強くなってる。悪くないのはわかるよね」
ラオフェンちゃんはまた少し考えた。今度は短かった。
『姉さんにメリットがあればいいんだよね?』
「うん? ああ……対価の話ね。それはそうだよ。わたしは論理的矛盾をあまり好まないから」
『じゃあ私を使っていいよ。これからずっと。未来に渡ってずっと。アナ姉が私に声をかけてくれればできる範囲で手伝う。格闘でも、買い出しでも、荷物持ちでも。お金だってドーナツが山ほど買えるくらいいっぱいあげる。これでどう?』
「それって、ラオフェンちゃんの未来を担保にするってこと?」
あるいは先物取引といったところか。
『うん。私には私の未来の価値なんてわからないけどさ。爺さんも姉さんも、そこに価値があるみたいに言うから……。お願いだから。私を買ってよ、アナ姉』
なんだろう。かわいさで魔族を狂わせるのやめてもらっていいですか?
ラオフェンちゃんがお爺ちゃんキラーな神髄がここにある。孫の『これ買って』攻撃に勝てるお爺ちゃんはいない。妹に対する姉も同じである。
「それはもらいすぎになるかな。自分の時間って人生のなかで一番大切なものだよ」
『だから出せるんだよ』
「だから出せる……?」
オウム返しは魔族的な特性のひとつ。
でも、この場合は促しでもある。
『私は今、爺さんのために動きたい。それが一番大事なことで、そのために私が差し出せる一番大きいものを出してる。筋は通ってるでしょ』
「確かにね」
感情で押してきていたラオフェンちゃんが、いつのまにか交渉の構造を理解していた。
デンケンお爺ちゃんが仕込んだのか。それとも、この子はもともとこういう子なのか。
それはわからなかったけれど、わからなくても問題はなかった。
ともかく、ラオフェンちゃんは凄まじい勢いで前進しているのだ。
「ひとつだけ聞いていいかな?」
『なに?』
「ラオフェンちゃんは、亀卜が悪い結果を示したら、どうするつもり?」
『さっきも同じこと聞いたよね』
「うん。さっきも同じことを言ったよ。だから聞いてるの」
ラオフェンちゃんは一瞬、きょとんとした。
それから、当然でしょというように答えた。
『もう一回やるよ』
「良い結果が出るまで?」
『そう。亀卜はそういうもの』
「それって、占いに都合のいい結果を求めてるだけじゃないの。ラオフェンちゃんは本当はもう、デンケンお爺ちゃんを送り出すって決めてるよね。亀卜は理由が欲しいだけじゃないかな」
『そうかもしれない。でも、それでいいと思ってるんだ』
「なんで?」
『私は爺さんを信じてる。信じてるから送り出したい。でも信じてるだけじゃ怖いんだ。だから、道の形を見たいんだよ。亀卜は答えをくれるものじゃなくて、自分が信じてることを形にするためのものなんだ。だから何度だってやっていい』
それは祈りだ。
ラオフェンちゃんは占いの話をしているのに、いつのまにやら祈りの話をしていた。
わたしがやってきたことと同じ。
「わかった。いいよ。そうしよう」
ようやくわたしは素直に言えた。
ラオフェンちゃんが提示した良い結果が出るまで繰り返すという理論は、魔族からすれば、システムを狂ったように叩き続けるデバッグ作業に近い。
でも、それこそが祈りの正体。
魔族の祈り。わたしの祈り。
不確定な未来という海の中で、自分が納得できる
だとすれば、わたしにラオフェンちゃんの祈りを否定する資格はなかった。
最初から、ラオフェンちゃんのことも助けるつもりだったけど、今は論理的に見てラオフェンちゃんを手助けするほかなくなってる。
本格的にわたしの負けだった。
『え……っと』
突然、わたしが受け入れたように視えたのだろう。
ラオフェンちゃんは困惑している。わたしはそれを観測する。
先行する者はいつだって寂しい。遅れてくる者はいつだってかわいい。
「保険として傍にいることにするね。原則として手は貸さない。本当に危なくなった時はわたしが判断して動く。それでいい? 対価は――さっきからかったことへのお詫びと相殺でいいよ」
『急に折れちゃった。やっぱりアナ姉ってクソ雑魚魔族?』
「あはは。ラオフェンちゃんが強かったからだよ」
そんなわけで大亀討伐任務にでかけることになったのである。
同じく二級で少女で、かわいい妹たち――カンネちゃんとラヴィーネちゃんも呼んで。
気分は、妹ピクニック。引率することが既に報酬みたいなものかもしれない。
強欲なお姉ちゃんでごめんね。
――さぁ、忙しくなるぞ!
亀は遅いが、人間の足はわりと速い。
お爺ちゃんがオイサーストを去るまでに、望む未来を手に入れるんだ。
未来のことは何もわからない。
なんせ、次の話なんて一文字も書いてないからね。
ふふふ。怖いか(わたしは怖い)。