魔族少女のエロタナティブ   作:アナリザンド

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アナリザンド・ブリッジ

 

 

 

「ロンドン橋落ちた。落ちた」

 

 歌いながら足をぷらぷら。

 

「ロンドン橋落ちた。マイフェアレディ―♪」

 

 んー。歌詞がうろ覚えだけど、こんな感じだったか?

 そもそもマイフェアレディっていったいなんなんだろう。

 わたしの明晰な頭脳が察するにわたしの公平な淑女って感じか?

 でも橋と公平な淑女がどうつながるのかわからん。

 

 渓谷の縁。断崖の袂にわたしは足を投げ出していた。

 そして意味もわからず歌っていた。

 

 ちょっと休憩中である。べつに落ちても問題はない。人間の飛行魔法では崖下に転落したら復帰するのは極めて困難だが、わたしであれば、すぐさま復帰可能だからだ。例えば空間転移をおこなえば問題がない。しかしながら、飛行魔法で渡るには風が強すぎるし、劣化版の空間跳躍をフェルンちゃんが使えるといっても、シュタルク君は使えない。

 

 それこそ橋でもないと、向こう側には渡れない状況だ。

 

「アナリザンド様」

 

 ふと声が響いた。

 フェルンちゃんがわたしの肩にそっと手を添えた。

 落ちないようにしてくれてるのかもしれない。

 そうでなくとも妹タッチの価値は測り知れない。

 

「どうしたの。フェルンちゃん」わたしは振り返って笑った。

 

「底が見えません。危険です」

 

「大丈夫だよ。わたしはフェルンちゃんをアンカーにしているから」

 

 いつでも戻ってこられるのは帰るべき場所があるからだ。

 わたしは土埃を払いながら立ち上がった。短い休憩は終わりだ。

 

「そうですか……ところで」と、フェルンちゃんが続ける。

 

「ん?」

 

「ロンロン橋とは?」

 

「そこ、気になっちゃう?」

 

「もしくは、ロングロング橋なのでしょうか」

 

 わたしの発音クソ雑魚でした。

 舌が短くなってるせいか、どうにもLの発音が苦手なんだよな。

 ロンロンみたいになっちゃってたのは認める。

 それを意味のある言葉にあてはめたのはフェルンちゃんのほうだけどね。

 マイフェアガール。

 

「わたしの脳内にある幻想の橋の名前だよ」と、わたしは取り繕った。

 

 ファンタジーにとっては『現実世界』こそがファンタジーだろう。そもそも、脳内ファンタジーという意味では、どちらもファンタジーだが、今はどうでもよい話だ。

 

 風が視える。

 猛烈に吹き荒れている。岩肌を舐めるように吹いている。

 

「とんでもなく深い渓谷だな。底がまったく見えないぜ」

 

 シュタルク君が身体をわずかに崖下に向けるようにして見下ろした。危ないよ。

 

「三千メートルの大絶壁だ」フリーレンが冷静に言った。「この大陸で一番深い渓谷なんだよ」

 

「それでこれどう渡るんだ?」シュタルク君はフリーレンに方針を聞いた。

 

 旅のリーダーは、フリーレンなのでそのこと自体はおかしなことではない。

 しかし――、フリーレンは一瞬、時間にして数秒ほど考えた。

 まさに、日本語的な訳語として間としか言いようのない幽玄の時。

 そのわずかに空いた時間に滑りこんだのはフェルンちゃんだ。

 

「橋をかけるというのはどうでしょうか?」

 

「橋? いったいどうやってだよ。そんなすげぇ魔法あるのか?」とシュタルク君。

 

「無理だね。風が激しすぎる。魔力で物質を構成しようとしてもイメージが崩れてしまう可能性が高い」フリーレンの冷静な分析。

 

 魔法って、案外繊細なのである。案外というのが玄妙なところ。

 

 分子ひとつひとつの振る舞いまではイメージしなくてもいいけれど、空中の何もないところに糸をひっかけることはできないように、いきなり橋を出現させるというのは、このうえなくイメージしにくいのだ。雨を通さない物理的な遮断機能をもつ結界を薄い膜みたいに張るというのもできなくはないだろうが、同じ理由で崩れる可能性が高い。

 

「わたしにもちょっと難しいかなぁ。大地を隆起させるにしろ、調節が難しくて大地震が起こっちゃいそうだし、ここらあたりの家屋が数十キロ四方にわたって倒壊する恐れがあるからね」

 

 環境破壊はダメだとフェルンちゃんには教えたはずだ。

 

「いえ、そうではありません」

 

 フェルンちゃんはなにかしらの確信があるみたいだった。

 

「どういう方法?」

 

「アナリザンド様は、分身魔法をお使いになられますよね」

 

「うん」

 

「アナリザンド様の身長は……目算で130センチといったところでしょうか」

 

「わたし、175センチを自認してる!」ぴょんぴょんザンドになる。

 

「さすがにサバを読みすぎですよ」

 

「わたし、サバサバした女だから」

 

「ともかく――130センチ程度ですよね」有無を言わせぬ迫力だった。

 

「うむ。まあ、フェルンちゃんがそういうならそれでもいいよ」

 

「そうですか……うーん」

 

 なにか、わたしを見る目が怖い。オブジェクトとして見ているような視線だ。

 それから、フェルンちゃんは遠く向こう岸を望んだ。

 

「崖と崖の間は……これも目算ですが、およそ130メートルほど。つまり、アナリザンド様が100人ほどいれば足りる計算になります」

 

「つまり?」わたしはこめかみから汗を垂らした。

 

「つまり、アナリザンド様がアナリザンド様を肩車していき、100人が乗った状態で崖の向こう側に倒れこむようにする。ビタンと崖に張りつく。そのうえからどんどんアナリザンド様が重なるように積み重なっていけば、いくらでも補強が可能ということになります。できますよね?」

 

――アナリザンド・ブリッジが。

 

 なんてこと言うんだ、この子は!

 

「フェルンちゃん。冗談だよね?」

 

 最近、フェルンちゃんがわたしに対して容赦がないような気がする。

 甘味が。甘味が足りませんでしたか?

 頭に糖分足りてない?

 お姉ちゃんのドーナツ奉仕が足りてませんでしたか?

 

「冗談ではありませんが」

 

 無慈悲。

 小首を傾げるフェルンちゃんがかわいいけれど、恐ろしくも見えた。

 

「無理だよ。100人も肩車するなんて、下のほうのわたしが潰れちゃうでしょ。100人乗っても大丈夫なアナちゃんなんてどこにもいないんだよ?」

 

「いえ。べつに本当に体重をかける必要はないんです。飛行魔法を使って積み重なればいいだけのことですから、魔族の飛行魔法なら簡単なはずです」

 

「ビタンって、向こう側に倒れこむときビタンってなるんだよね。絶対無理に決まってる」

 

「崖の向こう側で接続するアナリザンド様がいればよいのでは? いくら風に流されても最終的に繋がればよいのですから、飛行魔法を使って向こう側に手を伸ばせればそれでよいのです」

 

「フェルンちゃん、ビタンって言った!」

 

 イメージとしては、崖にしがみつくわたしだったはずだ。

 

「ビタンと申しあげましたが、それは少し間違えました。正確な擬音としてはピンが正しいかもしれません。アナリザンド様がピンとなれば解決します」

 

「ピン?」

 

「はい。ピンでございます」

 

 フェルンちゃんがペンギンみたいな恰好でピンと背筋を伸ばした。

 

――なにこれ?

 

 かわいい――。かわいいし、言ってることはわかる。

 ロープが風に流されても、向こう側に向かう推進力さえ維持できれば、最終的に接続はできる。そのあと、ロープ代わりのわたしの分身をピンと張ればいいと言ってるのだろう……。

 

 ピン……かぁ……。

 ビタンよりはマシかもしれないけど、何か根本的に魔族に対する扱いが軽い。

 

 魔族に人権はないんですか!?

 フェルンちゃんに人の心とかないんか?

 ダメだ。ドヤ顔になってる!

 すごいこと思いついちゃったって顔してる!

 

「でもよ。それだと姉ちゃんの背中を踏みつけて渡ることになるんだよな。俺は嫌だぜ」

 

 シュタルク君はパーティの良心だけあって、すぐさまフェルンちゃんの異様ともいえる作戦を否定してくれた。

 

「フェルン。魔族の背中に命を預けるなんて危険だ。物理的な意味でもね。こいつの腕は、そこらに落ちてる棒切れよりも細い。自重すら支えきれないよ」

 

 そしてフリーレンが別解ながらも、わたしを擁護してくれた。

 パーティの多数派から否定されたので、フェルンちゃんはすっかりあきらめたようだ。

 思考の放棄が速いのは、フェルンちゃんの特性である。

 

「では、いかがいたしましょうか」

 

「うーん……。もしかしたら、そろそろ出来てるかも?」

 

 フリーレンが斜め左上のほうを見ながら、顎に手を当てて考えている。

 

「なんの話ですか?」

 

 フリーレンがうっすらと笑った。

 フェルンちゃんに対する視線が、ここ一番に温かい。

 内緒の宝物を見せびらかすような、ほんのちょっとの優越感。

 

――言葉にすればそんな感じ。

 

「とにかく上流を目指そうか。運がよければ、途中で渓谷を渡れるかも」

 

 エルフの記憶は断片化を起こしやすいので、特徴的な記憶を探り出すのに時間がかかる。

 とはいえ、ここに至るまで思い出さないのはどうなんだろうな。

 

 この先の上流に、既に橋はできている。

 わたしはそのことをずいぶんと前から識っていたのだ。

 

 つまり、わたしがフェルンちゃんと魔法漫談を繰り広げたのは、フリーレンが思い出すまでの時間稼ぎだったのである。

 

 

 

 

 

「ゲーエン」

 

 フリーレンがその名を呼んだ。

 

 ドワーフの男だった。橋のたもとのベンチに座り、向こう側を静かに見つめている。

 初老といってもいい年齢のはずだが、眼光は鋭く、豊かな黒ひげがあまりそう思わせない。

 

 もちろん、ここに至る少し前には、既に橋の全容は見えていたのだけれども、橋を渡る人の姿はどこにもなかった。ちなみに橋の全長はおよそ50メートルといったところ。峡谷の狭いところに橋をかけようとしたのだろう。

 

 材質はここらでは無限にとれる木材だ。鉄や石材も少しは使われているけれど、およそ8割程度は木材でできている。

 

 木材だと腐ってしまうと思われるかもしれないが、ゲーエンが200年かけて選定した木は、油分が多く、腐朽菌や白アリの類を寄せつけない最高級品だ。加えて環境も悪くない。木材の最大の敵は水分だが、ここらは乾燥した風がふきあれていて、雨も極端に少ない地域に属する。

 

 人の手で細やかなメンテナンスを加えれば、1000年先でも存在しつづけるだろう。

 

――1000年。

 

 フリーレンの時間。ヒンメルの約束をゲーエンは果たそうとしている。

 ドワーフは義理堅い。勇者も義理堅い。

 だから橋は壊れることなく、そこにある。

 

「久しいな。フリーレン」

 

「無事、橋はできたみたいだね」

 

「ああ」

 

「この人は?」フェルンちゃんが聞いた。

 

「ゲーエンだよ。200年前からここに橋をつくっているドワーフだ」

 

「すごいな」とシュタルク君は素直に感嘆していた。

 

 200年という、人間には理解不能な時間をひとつの橋に捧げた男。

 男の子が好きそうなシチュだね。

 

 そして、ゲーエンの視線がわたしに向かう。

 

「50年前とはすっかり見違えたな。アナリザンド」

 

「そう? 姿かたちはあんまり変わってないと思うけど」

 

「顔が明るい。表情が豊かになった。ヒンメルも草葉の陰から笑ってるだろうさ」

 

 ゲーエンの言葉に、わたしはにこりと微笑んだ。

 

「アナリザンド様は、ゲーエン様とお知り合いなのですか? しかも五十年前ということは、ネットができる前ですよね?」

 

 フェルンちゃんの声に驚きはない。

 ただ、チラリとフリーレンのほうに視線をやった。

 心配や不安。あるいはノイローゼのような症状がフリーレンに現れていないか。微細な魔力の揺らぎを観測しようとしているようだ。

 

 嘘をついても仕方がないので、わたしは真実を述べることにする。

 

「50年くらい前に、わたしはヒンメルと旅をしていたの。その時、ヒンメルといっしょにゲーエンに逢ったよ。橋はまだ未完成だったけどね。だいぶできてた。ヒンメルは喜んでたよ」

 

 フリーレンはわたしのことをじっと見ていた。

 魔力の揺らぎはない。感情の揺らぎもほとんど感じさせない。

 ただ、彼女の中にある時間が、悔恨という名の淀みに置換されていく。

 

「なんで黙っていたんだ?」

 

 フリーレンの声は、いつものように抑揚のない平坦な響きだった。

 けれど、その視線は私の顔を通り過ぎ、ゲーエンの背後にある広大な峡谷の虚空へと向けられている。

 

「なにを?」わたしは聞いた。

 

「おまえは橋ができていることを知っていただろう」

 

「本当に聞きたいのはそっちのほう?」

 

「そっちってどっちだ」

 

 まるで言葉遊び。

 指示語が空中戦を繰り広げ、なんの意味もない記号が乱舞する。

 

「ヒンメルと旅をしてたのがそんなに不思議?」とわたしはあえて聞いてあげた。

 

「べつに」

 

「フリーレンの気持ちもわかるよ。この橋は、ヒンメルがフリーレンに贈ったものなんだよね。フリーレンがヒンメルと旅していた時、建造資金が尽きていたゲーエンに、ヒンメルは大金を渡したって聞いてるよ。自分が死んだあとにしか完成しないけれど、フリーレンが渡ってくれるからそうしたんだって」

 

「そんなことは聞いてない」

 

「じゃあどんなことを聞きたいの?」

 

 フリーレンにとって、ヒンメルとの旅路はなによりもかけがえのない記憶のはずだ。

 その言わば聖域とも呼べる場所に、汚泥のような魔族が侵入しているという事実。

 

 フリーレンの気持ちは、わかりやすく言えば嫉妬と呼べるものだったが、50年間ヒンメルを放置プレイしていたという、フリーレン自身に対する嫌悪感も含まれているのだろう。

 

 でも、事実は事実なんだし、受け入れてもらわなくちゃ話は進まない。

 その感情はフリーレンのものであって、わたしのものじゃないのだから。

 

「わたしに悪意はないよ。この橋をフリーレンから奪おうなんて思っていないし、この橋を独占して、通行料をせしめちゃおうなんて、数ミクロンも考えたことないよ!」

 

「嘘ですよね。3ミクロンほどは考えたはずです」フェルンちゃんが手厳しい。

 

「嘘じゃないよ!」

 

「嘘か本当かなんてどうでもいい」

 

 フリーレンがわたしを見た。ようやく、虚空ではなくわたしを。

 

「おまえは、ヒンメルと何をしていたんだ?」

 

 やっと聞いてくれたね。

 

「いっしょに旅をしてたよ。魔王を倒した後のヒンメルは、しばらく各地を回っていたの。勇者の諸国漫遊みたいなやつ。わたしはその旅に、ほんのちょっとの間だけ同行させてもらった」

 

「具体的にはどれくらいだ?」

 

「んー。十年くらいかな。特に目的とかなかったからね。ゆったりとした旅だったよ」

 

「魔族がいっしょに旅をして問題なかったのか?」

 

「勇者といっしょに旅してたからね。誰もわたしを疑わなかった」

 

 疑えなかったとも言えるだろうか。

 もちろん、黒いローブで角は隠していたけれども。

 わたしは、まだこの世界のことをよく知らず、ヒンメルのことも親切な強い人くらいに思っていたからか、そこまでヒンメルという存在の重さをわかっていなかった。

 

 けれど、ヒンメルという存在はどこにいても確かな重みをもっていて、世界中から必要とされていた。わたしはわたしを信じきれなかったけど、ヒンメルのことは信じることができた。

 

 この世界は実在するし、人は確かに生きている、って。

 

「ヒンメルはよくフリーレンのことを話していたよ。いつかもう一度旅することができればって言ってた。嘘じゃないよ」

 

「嘘だとは言ってない」

 

「じゃあ、信じてくれる?」

 

「……」

 

 フリーレンの感情が混線している。わたしの言葉を信じないということは、巡り巡ってヒンメルのことを信じないことになるので、否定しがたい部分もあるのだろう。

 

 なにより、『フリーレンともう一度旅したかった』というのはヒンメルらしい言葉だろうから。

 その素直すぎる申告は、沈黙の中に葬られた。伝えたらフリーレンが傷つくから。

 今はもう聞くことはできない。

 

――裂傷。

 

 気まずい沈黙が流れた。

 フェルンちゃんもシュタルク君も、口を開かない。

 フリーレンがわたしを信じきれるかがこの会話の鍵である以上、誰も口を挟めない。

 

「フリーレン」ゲーエンが静かに口を開いた。

 

 場の空気を読んだのだろう。ドワーフは義理堅いだけでなく、人の機微にも敏い。

 言葉少なに、心を動かす術を知っている。

 

「長旅だったろう。橋を渡る前に少し休んでいかないか。茶くらいは出せる」

 

 フリーレンがゲーエンを見た。

 それから、わたしを見た。

 それから、橋を見た。

 

「そうしようかな」

 

 フリーレンにしては珍しく素直だった。

 

 

 

 

 

 橋のたもとからほんの少し離れたところに小屋があった。

 山小屋というより、作業小屋に近い。

 長年の風雨に晒されて、壁は黒ずんでいるが、扉だけはやけにしっかりしていた。

 中に入ると、風の音が嘘のように聞こえない。ドワーフの匠の技だ。

 

「二百年の仮住まいだ。大したものはないが」

 

 中に入ると、工具や木材の端切れが整然と並んでいた。

 作業台の隅に、小さな炉があって、鉄のケトルが置いてある。

 フェルンちゃんが素早く周囲を見渡した。

 

「お手伝いします」

 

「ああ。助かる」

 

 ゲーエンとフェルンちゃんが、手際よく茶の準備を始めた。

 シュタルク君は作業台の上に置かれた工具を眺めていた。ドワーフの道具に、男の子らしい興味を持ったのだろう。

 

「これ、全部自分で用意したのか?」

 

「ああ。橋の補修に使う道具だ。最初はヒンメルとの約束だったんで、千年は持つ橋を造ろうと考えた。だが、最初の百年で諦めた。どう考えても今の技術力では千年も持つ橋は造れん。それで考えたのは人の手を加え続けることで永遠に壊れない橋だ。特別な技術は要らん。儂が死んでも誰かが直せるように、あえて簡易な造りをしておる。設計図も描いた」

 

「すげぇな」

 

 シュタルク君が、工具をひとつひとつ手に取って眺めている。

 補修道具は、そのどれも特許をとれるほどドワーフの叡智が詰まっている。

 けれど、心から賞賛したのは、ゲーエンの思想だろう。

 彼は千年も万年も保つ橋を、本当につくりあげてしまったのだ。

 

 わたしはフリーレンの隣に座った。一メートルと五十センチ。

 それが、お互いのパーソナルスペースとしてギリギリの距離。

 旅の間に培われた、わたしとフリーレンの距離感覚だ。

 

 フリーレンは炉の火を見ていた。

 しばらく、誰も何も言わなかった。

 ケトルが小さく音を立て始めた頃、ゲーエンが口を開いた。

 

「橋は完成した。だが、今は渡れん」

 

「魔物か」フリーレンの瞳が鋭くなる。

 

「ああ、三年ほど前になるか。大型の鳥の魔物が近くに巣をつくってな。橋を渡ろうとすると襲ってくるようになった。先日も黄金郷とやらを目指した商人の一団が、馬車ごと飛ばされそうになった。幸いにも黒いローブ姿の旅の魔法使いが現れて、人死にはでなかったがな」

 

 いったい誰なんでしょうねえ。

 

「アナリザンド。礼を言う。儂が造った橋の上で誰かが死ぬのは見たくなかったからな」

 

「うん。わたしも見たくなかったからね」

 

 バレちゃってました。

 いちおう、身長は175センチまで伸ばしてたんだけどね。

 

「でもよぉ、なんかおかしくねーか」シュタルク君がドカっと床に腰をおろして言った。

 

「なにがだ?」

 

「だってよ……。姉ちゃんと知り合いなら姉ちゃんに魔物の駆除を頼めばいいだろ。そうじゃなくても、命知らずの冒険者なんていくらでもいるんだぜ。正当な報酬を払えば誰かはやってくれるだろ」

 

「シュタルク様。ぶしつけですよ」

 

 ケトルを片手に、フェルンちゃんがお盆の上にお茶を乗せてきた。

 あ、これ……緑茶だ。珍しい。ずずずと呑むと落ち着く味。

 

「懐事情は人それぞれですから」しんみりと言うフェルンちゃん。

 

 その言葉はその言葉で、わりと失礼である。

 お姉ちゃんは妹ちゃんに苦労させたくないんだからね。

 

「金は問題ではない。アナリザンドが言うように通行料をとればいいし、そうでなくともここは交通の要所だ。誰かしらは支援してくれるだろうさ」

 

「だったらなんでだ?」

 

「ヒンメルとの約束だからな」

 

「約束……」呟いたのはフリーレン。

 

 わたしがフリーレンの知らない情報を持っているのと同様に、フリーレンもまたわたしの知らないヒンメルを知っている。

 

 ゲーエンがかわした約束がどちらの意味なのか判然としない。

 二つの欠片をかけあわせなければ、この謎は解きようがないだろう。

 

――交渉したい。

 

「ねえ、フリーレン。ヒンメルはどんな約束をゲーエンとかわしたの?」

 

「ゲーエンに聞けばいいでしょ」

 

「そうじゃなくて、あなたに教えてほしい。わたしはあなたの中のヒンメルが知りたいの。そうしてくれたら、わたしがゲーエンと逢ったときの約束も教えてあげるよ」

 

 フリーレンは手元の湯呑みをじっと見つめていた。立ち上る湯気が、彼女の無機質な横顔をわずかにぼかしている。二杯目のお茶のために、フェルンちゃんが立ち上がってケトルを炉に配置し、シュタルク君は、フェルンちゃんの隣で何を手伝うふうでもなく、そわそわしている。

 

 ゲーエンは岩のように動かない。

 

「罪な男だな……まったくあいつは」

 

 こぼれた声は、まちがいなくヒンメルのことを指していて、わたしは思わず笑ってしまった。

 フリーレンがわずかに反応し、それから苦い渋めのお茶を呑みこむ。

 

「おまえはズルい魔族だ」

 

「対等な交渉だと思うけど」

 

「私が知らないヒンメルを知ってる」

 

「それはお互い様だと思うけど」

 

「どうして魔族なんかと旅をしたんだ」

 

「それって、今の状況考えて言ってる? フリーレンもわたしと旅してるじゃん」

 

「おまえが持ってる遺言とやらを最後に聞くためだ。ヒンメルにそうさせられた!」

 

 ピキっ。

 

「それって前にちゃんと教えるって言ったよね。フリーレンが拒否ったんじゃん!」

 

「屁理屈を言うな」

 

「意地っ張りエルフ」

 

「うんこ魔族」

 

「ウンコ言う方がウンコなんですー」

 

 遠くのほうで、フェルンちゃんが溜息をつくのが見えた。

 

「なぁ、フェルン……」おろおろしてるシュタルク君。

 

「いつものことです」

 

 ふぅ……オーケイ。オーケイ。

 熱くなるのはここまでにしよう。

 

「じゃあ、わたしが先に話すね。フリーレンが話すかどうかは問わないよ」

 

「……好きにすればいい」ツンとお澄まししたフリーレンだった。

 

「じゃあ、好きに……」

 

 わたしはヒンメルとの旅路を思い出しつつ語り始めた。

 

 

 

 

 

 知らない世界に来てしまった。

 

 その感覚をどう喩えればいいだろう。もしかすると、言葉を知らない外国に、突然放り出された感覚に近いかもしれない。寂しいというより恐ろしいという感覚。

 

 地面に足がついていない。歩いているのに歩いていない。

 そこにあるのにそこにいない。

 

 生まれたばかりのわたしは何も知らず、ここが何処かもわからず、自分が何者かもわからなかった。ただ、どうしようもない餓えに似た感覚だけが脳の奥底にこびりついていて離れない。

 

 わたしは結晶のような石の中から生まれたが、森を彷徨い歩いてるうちにヒンメルに出逢った。

 言葉が通じるかわからないけれど、本能的にどういう音を出せばいいかはわかっている。

 

「助けて……」

 

 そうすると助けてもらえた。

 今になって思うと、このうえなく危険な賭けだったけれど、知らずわたしは賭けに勝っていた。

 もしも、最初に出逢ったのが勇者ではなかったら、その勇者が昔、魔族の女の子を殺したことを悔やんでいなければ……、あるいは今のわたしはここにいなかったのかもしれない。

 

 それからヒンメルと旅をすることになった。

 わたしという異物を取りこみながら、人間の営みに帰属させるのは極めて困難であるし、ヒンメルの立場も危うくしてしまう。旅をしながら、わたしに少しずつ世の中のことを教えていくというのが、ヒンメルの計画だったのかもしれない。

 

 旅をする中で気づいたことがあるんだけど、生まれたばかりのわたしはやっぱり無知で何も知らなかった。魔族には人間という存在を本能的にインストールされているものではあるのだけれども、それでも伝えきれない外部的な智慧――スタティックな情報というものは存在するからだ。

 

 とりわけ、わたしが興味を持ったのは、この世界における文字列だった。発話における動的言語ではなく、ある程度の静的な情報鎖。人間が使う固有の文字。わたしが知らない言葉。

 

 人間の街を行き交ううちに、看板の文字が読めない。

 ヒンメルが見せてくれた冒険者への依頼がわからない。

 宿屋に書きこんでいる文字の意味が理解できない。

 

 不自由というより息苦しい。世界から疎遠になっているような、世界から嫌われているような、そんな居心地の悪さを感じる。

 

 自然な流れとして――。

 

 わたしは旅をするなかで、当然のようにヒンメルに文字を教えてくれるようねだった。

 

「ねえ……ヒンメル……文字……教えて。くれると。うれしい。かも」

 

 こんな陰キャ大爆発で、今のわたしとは似ても似つかないキャラだったのだが、それがヒンメルには媚びているように見えたのか。あるいは、ヒンメルが放っておけないと考えたのか、この世界の文字を教えてくれることになったのだ。

 

「いいよ。君が望むならね。だったら、僕は今から君の()()だ」

 

「先生って感じしない。ヒンメルはヒンメルだよ」

 

 ヒンメルが笑った。

 

「でもね、アナリザンド。僕も君と同じで親はいないし子もいない。けれど、先生と生徒という関係はいつだって誰にだって適用できるんだ。君は魔族だけど、それでも他の誰かを先生にして、なんでも学ぶことができるんだよ」

 

()()()()()()()()()()()

 

 この無辺の宇宙に網の目を張り巡らせるための、最初の定点となりうる魔法。

 

――先生。

 

「不満かい? 君が本当に欲しいのはもっと別の言葉なのかもしれないけど」

 

「嘘を本当にするためには、効率的かも……」

 

 わたしが最初に覚えた文字列は、砂の上に書いたわたし自身の名前だった。

 

 

 

 

 

「だから、わたしにとって人間はだいたい先生なんだよ。――そのように<わたし>のなかで定義されている」

 

「話が長い」

 

 ぶった切られちゃいました。

 でも、フェルンちゃんが静かに感動しているので、ペイできたと考えよう。

 

 さて――。

 

 それから先は、たぶんフリーレンが経験したのと同じような、くだらなくも愛おしい旅路だったんじゃないかな。同じようなとは言ったけど、本当のところは同じじゃないかもしれないけどね。

 

 そんな顔しないでよ。

 

 それで、ゲーエンとの約束の話までスキップするよ。

 

「――五十年前の話だよ」

 

 わたしはそう切り出した。

 

「橋はまだ半分くらいだったかな。骨組みはできてたけど、板はまばらで、とても渡れるような状態じゃなかった」

 

 風は今よりも弱かった気がする。

 それでも、落ちれば死ぬ高さだった。

 鳥はいなかった。

 

「ヒンメルはね、すごく嬉しそうだったよ」

 

「嬉しそう?」フリーレンがわずかに眉を動かす。

 

「ゲーエンが橋をかけるのを諦めてなかったから。ヒンメルとの約束をずっと守り続けていてくれていたから」

 

 完成しているかどうかじゃない。渡れるかどうかでもない。

 そこに揺るぎない、千年経っても決して壊れない意志があること。

 それだけで十分だって顔をしてた。

 ヒンメルはそれだけで、この橋が必ず完成することを――そして、この橋が千年経っても壊れないことを確信したんだと思う。

 

「それで、ゲーエンに追い銭を渡した。正確には旅の生活費を全部ね。わたしはヤダって言ったんだけど、微笑みながら迫るの。結局のところ、わたしに渡されていた旅費の半分も全部あげちゃったんだよね……」

 

 ゲーエンは黙って聞いている。訂正もしない。

 ほんのわずかだけニヤリと哂っていたけれど。

 

「自分が死ぬころには完成してるだろうからって。フリーレンが渡るって言ってたよ」

 

「……そう」

 

 短い返事。

 でも、その一音に全部入っている。

 

「でもね、それだけじゃなかったよ」

 

 わたしは少しだけ視線をずらした。

 ゲーエンの小屋の壁。無数の傷。

 時間の層が幾重にも積み重なっている。

 このドワーフはいったいどれだけの時間を、この橋に費やしてきたのだろう。

 どれだけ多くの人間が、この橋が完成するのを夢見てきたのだろう。

 

「ヒンメルは、わたしのほうを見たの」

 

「おまえを?」

 

「うん。それで、こう言った」

 

――この子がフリーレンといっしょにここを通ることがあったら、そのときはよろしく頼むよ。僕はきっと天国で笑ってるからって。

 

「だから、わたしはひとりじゃ橋を渡れない。渡っちゃダメなの」

 

「……ゲーエン」フリーレンは確認するように聞いた。

 

「ヒンメルの言葉は儂にはわからん。単にそうなればいいと思っただけかもしれん。だが、儂は80年ほど前の、ヒンメルの言葉も覚えておる」

 

「私が対価を受け取る。()()

 

「そうだ。アナリザンドじゃない。おまえだ。おまえなんだ。フリーレン」

 

「だからゲーエンは待ってたの? いつ来るかもわからない私をずっと」

 

「待つのは慣れてる。あの男も死ぬまで待ってた」

 

「だったら、さっさと対価を受け取らなくちゃね」

 

 フリーレンは立ち上がった。

 

「ゲーエン。魔物駆除の対価は?」

 

「"パンケーキを上手にひっくり返す魔法"だ。材料もある。そっちの嬢ちゃんが好きそうな魔法だろう」

 

 フェルンちゃんが小さくガッツポーズしている。

 かわいすぎる。やっぱり糖分が足りなかったんだ。

 

「ずいぶんと用意がいいね」

 

「時間だけはあったからな」

 

「こんな珍しい魔法。どこで手に入れたの?」

 

「たったひとりでひとつの橋に人生を賭けたドワーフがいて、そんなドワーフに興味が湧いたどこかの物好きな魔法使いがいたんだ」

 

 細められた目。

 

「長生きはするものだぞ。フリーレン」

 

「そうだね」

 

 鳥の魔物は、まもなく駆除された。

 戦闘シーンなんて要らない。

 

 

 

 

 

 魔物駆除のあとには、ゲーエンの村で小さなお祭りが行われた。

 橋を造るという共通の目的が、いつのまにか連帯を生み、仲間を生み、村を形成していた。

 

 フェルンちゃんは誘われるままにパンケーキをドカ食いしている。シュタルク君は、みんなと肩を並べて飲み比べしている。フリーレンは、ひとり静かに勝利の余韻に浸っていた。

 

 ゲーエンがわたしの頭を撫でた。

 

「よくやってくれた。これで誰もが橋を渡れるようになる」

 

「ゲーエンはなんで橋を造ろうと思ったの?」

 

「なんだ。ヒンメルに聞いてないのか? フリーレンにも」

 

 ある程度の推測はできる。でも――。

 

「ゲーエンの言葉で聞きたいの」

 

「ヒンメルが造りかけの橋を訪れる前の話だ。近くの儂の村が襲撃を受けたことがあった。その時、一番近くに駐屯していた軍は対岸にいたんだ。橋があったら、みんな助かったかもしれない。それが儂が橋を造り始めた理由だ」

 

「魔族に襲われたの?」

 

「そうだ」

 

「ごめんなさい」

 

「おまえが気に病むことはない。儂の橋は、最初はただ向こう岸へ繋ぎたい一心だったが、今はそれだけじゃない」

 

「ヒンメルとの約束?」

 

「みんなだ。誰もが橋の完成を願っていた。儂はその想いを形にしただけに過ぎん」

 

「魔物をすぐに駆除しなかったのは何故?」

 

「崖下に足を踏み出すなんざ、誰にでもできることじゃない。勇気ある一歩を踏み出したのはあいつだ。あいつは影も形もなかった橋を形にしようと思っていた。儂に諦めない心を教えてくれたのはヒンメルなんだ。だから、順番は守らないといけないだろう」

 

「わたしもそう思ってたよ」

 

 

 

 

 

 次の日。

 風はやはり強く、けれど障害はない。

 フリーレンが先頭に、わたしも橋を渡る。

 

 途中、橋の欄干に当たる場所に、剣先で刻まれた場所を見つけた。

 

 F・L。

 

 誰が刻んだかは言うまでもない。

 

 フェアレディ。

 

 まるで童歌の中の橋みたいだと思った。

 

 落ちることを歌われながら、それでも残り続ける橋。

 この橋もきっと、そういうものなのだ。

 

 ロンドン橋は、今も貴女の側に在る。

 

 

 

 




まあ、フリーレンラブなわけだけど
言うだけ野暮ってもんだよね
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