魔族少女のエロタナティブ 作:アナリザンド
フェルンは九つを数えたばかりの女の子。
そして戦災孤児で両親を失っている。
孤独をその内に抱えながら、これまで生きてこれたのはハイターという育ての親がいたためだ。
愛情はおそらく実の親と同等にかけてもらったと思う。
しかし、それだけでは孤独を癒せるはずもない。
人間は人間を殺せる――。
その単純にして絶対的な真実が、彼女のこころをむしばんでいる。
人間にとって他者は不要なのではないか。
だって、邪魔になれば排除できるのだし。
だから人間は本質において孤独である。
齢が十にも届かない幼子が明確な思考としてそこまで考えたわけではないが、戦争という名の実体験がフェルンのこころを裏打ちしていた。
ハイターに相談すれば、おそらく親身になってくれるだろう。
女神様が傍にいてくださると言ってくれるだろう。
だけれども。フェルンは神様ではなく、人間に問いかけたい。
――どうしてあなたは誰かを殺せるのですか?
まさか人間に問いかけることはできるはずもなかった。
その本質的な問いは、相手方にとっても人間としての約束事を反故にすることに違いないからだ。
要するに、そういうことは言ってはいけないことになっている。
事実として人は人を殺せるし、実際にそういった事象を見てきたのだが、ルールとして人は人を殺してはいけないのである。そんなもの欺瞞にしか思えない。
だから――。
フェルンが目の前に出現した小窓に、人間とは程遠い異形の存在に問いかけるのはさほどおかしいことではなかった。
「こんマゾ~~。今日も始めていくけど、せんせー達も時間があったら見ていってね」
およそ二十年前、突然目の前に現れた半透明の小窓に魔族の少女が姿をあらわした。
――ソレは言った。
人間の前にネットワークに接触する小窓を作った。
右上の×ボタンを指でつっつけば消せるし、またつながりたい場合には、『コギト』と唱えればいい。親切なことに一か月間繋がなかった場合は、接触方法を再び音声ガイダンスするリマインド機能つき。必要のない人にはウザいだけだが、権力者たちがネットワークへの接触を禁止するために情報統制することも考えられたので、やむをえない方策だった。
それでできることは、今のところ匿名での掲示板と、そしてソレのリアルタイムでの状況を不特定多数に見せる行為――配信であるらしかった。その他の機能は今後追加でアップデートされていくらしい。
人は、言葉を覚えると――正確には名前を誰かに呼ばれて、そしてそれに対して応答すると、目の前にウィンドウが出現する。『ハローワールド』という言葉とともに、ネットの世界に誘われる。
それが当たり前になって、人間が既にネットに驚かなくなった世界。
そんな世界にフェルンは生まれた。
魔族については、ハイターに聞いたことがある。
人間のカタチをした獣のような存在。人を殺し、人を喰べる存在とのことだ。
人間との差異はどこにあるのだろう。
人も人を殺すのに。
その配信では中空に出現したキーボードを打鍵することで、コメントを打ちこめる。
森の中で、ハイターに見つからないようにして、フェルンは初めてコメントを書きこんだ。
『アナリザンド様。どうして魔族は人間を殺せるのですか?』
コメントは無数にあり、配信内容はほとんど意味のない雑談だ。
コメントを拾ってくれるかは運である。
だが、フェルンは運がよかった。
あるいは、そのコメントはアナリザンドの興味を引く内容だったのかもしれない。
「えーっと、フェルンちゃんせんせー。いきなり物騒なこと書くね」
『申し訳ございません。魔族の方と話せる機会なんて、そうそうないでしょうから』
「フェルンちゃんは何歳かなぁ。大人じゃない雰囲気だね」
『九を数えたばかりです』
「少女キタコレ! ほらー、先生たち。わたしの配信にもちゃんと女の子いるじゃん。謝って」
他のコメント達が一斉にごめんなさいしていた。
ある意味異様な光景だが、フェルンは少しだけ笑った。
「えっとね。フェルンちゃんの問いかけの意味だけど、もしかすると人はなぜ人を殺せるのかを聞きたいのかな?」
ドキリとした。
その応答は、フェルンが本当に問いかけたかった内容に翻案されていたからだ。
『いえ、私は魔族の方がどうして人間を殺すのか知りたいのです』
「なんてかわいらしい嘘。でもいいよ。フェルンちゃんせんせーの嘘を飲みこんであげるね」
ニコリと画面の中のアナリザンドが笑う。
「まず魔族と人間の違いなんだけど、たぶん質的な差異はあまりないんだと思うよ」
『質的な差異ですか?』
「言葉足らずになったらごめんね。生物には、魔族にも人間にもだけど、死にたいという欲動と生きたいという欲動が抱き合わせの状態にあるんだよ」
『死にたいという欲動ですか』
そんなものは知らない――と思考しようとして、フェルンは思い出した。
両親が死んで、ひとりになったとき。
彼女は自殺しようとしていた。最初から死に向かう欲動をフェルンは知っていたのだ。
「魔族にはそんなのないって見解もあるだろうけど、当事者であるわたしからしてみれば、そういう気持ちもあるよ。さて、この二つのこころの動きだけど、魔族のほうは残念ながら生に向かう欲動が弱いんだよね」
『生きる意志が弱いということですか?』
「そういうこと。ところでこの生きる意志というのは秩序を構築しようとする力の方向のことなんだよ。エントロピーの増大に反抗する力。ネゲントロピー。せんせーたち人間はこのネゲントロピーを魔族よりずっとずっと強く持っている。羨ましいくらいにね」
『ネゲントロピーというのがよくわからないのですが』
「言葉が足りないからね。ごめんね。うーんわかりやすく言えば、お湯を長時間放っておいたらどうなるかな?」
『やがては水になります』
「そう熱的死に近づいていく。これがエントロピーの増大。逆にネゲントロピーは水をお湯にするようなもの。だから生命はあたたかいんだよ」
『少しだけわかったような気がします』
「話に戻るけど、先に述べた理論を敷衍すれば、魔族が人間を殺す理由はネゲントロピーが弱いから、つまりエントロピーの増大に対して寛容的な方向性があるからだといえるよね」
『そうかもしれません』
「生命という名の秩序を維持しようという方向性が人間よりも魔族のほうが弱いんだよ。だから、死に向かうという本性が生に向かう本性を簡単に凌駕してしまう。殺してもよいとなってしまう。自然状態へと回帰するだけだからね。けれど、自分で自分を殺してしまえば、生命にとっての最悪でしょう。その選択を回避するために適当な代替物としてそこらで動いている別のものを殺そうってなるわけ」
自己の崩壊を防ぐための緊急避難的な行為。
弱々しい生への矢印を対象への殺害によって結集する。
つまるところ、魔族は人間に恋しているのだ。
だから殺す。どぅゆーあんだすたん?
『よくわかりません』
「わかっちゃったら、フェルンちゃんは殺人鬼になっちゃうからわからないほうがいいんじゃないかなぁ。で、最初に言ったとおり、それは量的な差異に過ぎないからね。人間も同じだよ。いくらネゲントロピーが機械的スペックとして高くてもエントロピーに敗北する場合だってある。だから人間は人間を殺せるんだよ」
付け足すように、量的な差異が、質的差異に相転移することはありえると述べていたが、それは主論ではないのかもしれない。
魔族と人間には断絶はあるとするのがアナリザンドの説だ。
けれど、フェルンは
アナリザンドは確信していた。
フェルンは、
『では』フェルンはわずかばかり逡巡する。『なぜ
「ふふ。そのコメントは本当にかわいい!」
アナリザンドは興に乗ったのかハイテンションだ。
『かわいい、ですか? よくわかりません』
他のコメントは『魔族の言葉に耳を貸すな』やら、『アナちゃんマジ鬼畜』やら、『正体あらわしたね』やら『おまかわ』やら、よくわからない言葉の羅列ばかりだが、そんな言葉にはフェルンにとっては意味がなかった。
いま、会話しているのはアナリザンドなのだ。
「これはわたしなりの答えになるけど、人は人を殺してはいけないというルールは自然としては存在しないよ。人は人を殺してもいいんだと思うよ。それを幻想によって――嘘をつくことによって殺してはいけないというルールを共有しているだけ。だけって言ったけど、人間が創り出した魔法の中でも十指に入るくらいは強いんじゃないかな」
『つまり、人は人を殺していいというのが原則で、例外処理として人は人を殺してはいけないというルールが制定されているということですか』
「そう。その身に潜むネゲントロピーを中枢自我にまとめあげて、エントロピーを強力に制圧する機械が人間には埋めこまれている。だから、原則と例外が逆転している」
衝撃的な回答だった。
フェルンの両親が殺されたというトラウマがその理屈によって癒えるわけではない。
だけど、少しだけ両親の死の意味が理解できた気がした。
言うなれば、アナリザンドに
それを悪意のある言い方をすれば、洗脳を受けていると言い換えてもよいかもしれない。
『なぜそのようになっているのですか?』
「それ魔族に聞いちゃう?」
おかしそうに、アナリザンドは腹を抱えて笑った。
『聞いてはいけませんでしたか?』
「いいよ答えてあげる」
アナリザンドは花が咲くように両腕を広げた。
――花を咲かせる魔法。
魔族が固有の魔法以外を発動させるのは稀だ。
というのも、魔族にとって魔法とは失われた主体の代替物であって、要するに自分そのものを表象するものであるからだ。しかし、フェルンはそこまで魔族に詳しくなかった。
ただ、その花びらに目を奪われた。
――キレイ。
というよりも、先に思い浮かんだのはどんな言葉だろうか。
フェルンは形容しがたい表情を浮かべている。
何かに耐えてそうな、そんな顔。
「どこか儚いって感想を抱く人が多いかもしれないね。実際にこの花は数週間しか咲かないんだよ。少し目を離した隙にすぐに散っちゃう」
小ぶりな枝を持ち、得意げに語るアナリザンド。
まるで何かを懐かしむように枝を優しく撫でる。
『この花は……いえ、木なのですか?』
「そう、遠い異国ではサクラと呼ばれている」
『サクラ……』
「サクラの花には魂が宿るなんて言説もあるね」
『どうして、その花を見せたのですか?』
「いまにわかるよ」
アナリザンドはいくつかにわかたれた枝を手にとると、それを躊躇なく折った。
その瞬間、フェルンの身体がわずかに跳ねたように反応した。
パキリ。「痛い痛い痛い痛い」
ポキリ。「腕の骨が折れた」
パキリ。「助けて。お母さん」
ポキリ。「いやだ死にたくない!」
アナリザンドは抑揚のない声で呪いの言葉を唱えるのだ。
『やめてください』
「そう」
アナリザンドはサクラから手を離した。
もはや枝のほとんどは堕とされ、わずか一つだけになってしまっている。
「フェルンちゃんせんせーは、やっぱり人間だね。あーあ残念」
『どうして』
「こんなことをしたかって? フェルンちゃんが人間が人間を殺さない理由を知りたがってたからだよ。これであますところなく実証できたでしょう」
『意味がわかりません』
「大サービスで人間の言葉に翻案してあげる。あなたがた人間は、言葉も知性もない植物にさえも感情移入してしまえる。あなたがたは魔族よりも死に近しいところにあるから。ゆえに、あなたがたは死にたくないという気持ちが強く、同様の動機において他者の命を尊びえる」
――死にたくない。
その言葉を写し見ることができる。
キレイなキレイな鏡さん。
「ふぅ。人間の言葉はエネルギー使うなぁ。せんせー達にいちおう警告しておくけど、わたし以外の魔族に出逢ったらとりあえず逃げたほうがいいよ。魔族は人間よりもずっと人間を殺すことに躊躇がないからね。フェルンちゃんもいいね?」
『わかりました。けれど、そうだとすれば私はあなたと話をしないほうがよいのでは?』
「そうだねー。今のフェルンちゃんの行為は、毒花に手を伸ばしている行為に近しいよ」
『危険な行為だと?』
「はい。でも、わたしとしては嬉しいけどね」
『なぜですか?』
「あなたがわたしにとって、ピカピカの宝物のように思えるから」
『?』
「あなたのことを
コメントは『百合だー』とか『なんか胸の奥が苦しい』とか『ふつくしい』みたいな益体もない言葉で埋め尽くされたが、フェルンはキーボードに手を伸ばしながら、その指先がかすかに震えていることに気づいた。
それからしばらくして、フェルンはフリーレンと出逢った。
フェルンはその身に潜む殺人衝動を抑えながら、しかし、ハイターによる人を殺してはいけないという薫陶によって、揺らいでいた。もちろん、その薫陶も面と向かって言われたわけではない。人間の言葉は死の欲動を通して迂回路をとる。
――他人には優しくしましょう。誰かが困っていたら助けてあげなさい。
十になるかならないかの少女に対しては、このような言葉が与えられた。
フェルンにとって、ハイターは育ての親であり異性であるから、抑圧
なぜ抑圧しないと感じられるかは、フェルンが少女だからだろう。もちろん、ハイター自身が厳格な父親を想起させるような性格ではなく、彼自身がよく言われるように生臭坊主だからという要因も大きい。ハイターは寛容を旨とする
ともあれ、フェルンはハイターのことを尊敬し敬愛している。
彼の言葉を無視することはできない。
彼に望まれるような自分になりたいと考えている。
だから、ハイターが殺すなと命じれば殺さないし、殺せと命じれば殺すだろう。
いや正直に言えば、あのサクラの花を見殺しにできなかった時点でわかっている。
フェルンは人間であり、人間は人間を殺せない。
その迷いが魔法にも現れて、フェルンの成長は停滞していた。
岩を穿つ前に、魔法が散逸してしまう。
いままでもそうだったのだが、よりいっそう指向性が定まっていない気がした。
山の上の一番岩に杖を向けて、
――魔法を覚えたいと思ったのはいつからだろう。
いや、これもわかっている。
アナリザンドの言葉によって、フェルンは既に理解してしまっている。
人を殺すためだ。
人を殺したかったからだ。
正確には両親を殺した人間を殺したかった。他人にもわかりやすく伝えるならば復讐心といえるだろう。しかし、それは言葉にした途端、なにか偽物になってしまう気がした。
もっと純粋に表現するならば――。
魔法はフェルンの殺意そのものだった。そのように表現したほうがしっくりくる。
「フェルン。魔族は殺さなきゃダメだよ」
フリーレンはまるで宇宙の真理のように優しく教えた。
「フリーレン様。どうしてでしょうか?」
「ハイターも言っていただろう。魔族は人を欺く。魔族の言葉は人を殺すための方便に過ぎない」
「ですが……」
「アレに感化されすぎだな。フェルンが時々森の中でこっそりアレを見ているのは知ってるよ」
バツの悪い顔。
フェルンも薄々悪いことだとは思っていたのだ。
「フリーレン様。アナリザンド様は魔族ではなく人間なのではないでしょうか?」
「それは騙されているだけだよ。魔族の中には嘘をつくのがうまいやつだっている。言葉だけなら魔王は人間との共存を望むとすら言っていたんだ」
「例外はないとおっしゃりたいのですか?」
「そうだよ」
「それはフリーレン様の経験から導かれた答えですか」
「そう。いままで何度も見てきた。ヒンメルといっしょに旅をしていたときに、幾度となく魔族と戦ってね。それでやつらは負けそうになるとけっこうな確率で命乞いをしてくるんだ。それで隙を見せるとやつらは再び襲ってくる。やつらに改心するなんて概念はないんだよ」
「人間だってそういう人はいると思いますが」
「フェルン。私は対処法を教えているんだ。目の前に山賊が現れたら、そして彼等が命乞いをしてきたら官憲につき出すなり異なる対処法を試してみてもいい。分の悪い賭けだが、確率はゼロじゃない。だけど魔族が現れた場合は別だ。対処法は一つしかない。魔族は殺すしかないんだ」
氷のような冷たい視線がフェルンを貫いていた。
そこに乗せられているのは黒炭のような殺意。
「フリーレン様は魔族と何かあったのですか……?」
それは人間らしい思考の跳躍。
魔族ではほとんど辿り着けない文脈の生成。
フリーレンは嘆息した。
「昔の話だよ。私のいたところに魔族が襲い掛かってきた。そのときは同族もたくさんいたんだが、みんな死んでしまった。わたしは一番強かったのに、誰も守れず、ひとりきりになったんだ」
「私と同じですね」
「そう。だから、フェルンにはひとりでも生きていく方法を学んでほしい。いつかフェルンの
「それは……少し寂しいですね」
フェルンの言葉を聞いて、フリーレンは少し寂しそうに微笑んだ。