魔族少女のエロタナティブ 作:アナリザンド
いつかの会話。
フェルンはふとした疑問を口にしたことがある。
「アナリザンド様。魔族は人間の言葉を真似ているだけ、つまり動物の声真似と変わらないと言われていますが、それは本当のことなのでしょうか」
「本当だよ」
「例えば、魔族は固有の言語を持っていたのだけれども、それを忘れてしまったとか。あるいは、人間の言葉のほうが便利そうだから、自分の言葉を棄ててしまったとか。そういうことは考えられないのでしょうか」
「おもしろい考え方だね。でも、わたしの体性感覚からすると、その説はまちがってるよ」
「どういうことでしょう」
「バロン=コーエン論に従えば、魔族とはSAMの形成不全であるといえる。SAMとはおおむね人間の持つ統合中枢機構ファルスのことを指すわけだから、象徴界つまり言葉の世界に参入できていないということになる」
「言葉が先に在ったということですか?」
「心の理論と言葉は鶏が先か卵が先かって話で、どちらが先に生まれたかはわからないけど、必ず『在る―在る』という関係なの。心がないのだから言葉はない。簡単な算数みたいな話」
「ですが、スペクトラムという考え方を導入すれば、SAMなるものもそれらしき何かは形成されるのではないでしょうか」
「いいえ。もともとスペクトラムは定型と非定型を連続させる概念ではないの」
「え、そうなのですか? 光を無限に分解すれば、いずれ闇に至るのではないのですか?」
「連続性があるように見えてしまうのは、人間のまなざしのせいだろうね。人間たちは言葉を経済的に加工しうる。つまり自分の見たいように望むままに言葉を変節させる。わたしという存在も都合よく加工されてると思うよ。フェルンちゃん、あなたにはわたしがどう見える?」
「かわいい子猫さんみたいに見えます」
「妹のくせに生意気な!」
「魔族=猫説。ありかもしれません」
「ひっかかれないように気をつけてね」
魔族少女はさえずる。歌う。言葉を知らない鳥のように。
「大好きだよ。フェルンちゃん」
リュグナーは案内された応接室でグラナト伯爵が来るのを待っていた。
第二回目の和議はあらましを伝えてあるものの、具体的な日時までは決定されていない。
その点、アウラはリュグナーに一任していた。
時と場所は適当に選んでいいとのことだ。
――適当。
まさに、これ以上なくふんわりとした言葉であるが、リュグナーは魔族にとっては稀有なことに、言葉の文脈を理解する能力に長けている。――と思っている。
「グラナト伯爵遅いですね」といつものように軽口を叩くドラートの言葉にも、
「人類の外交戦術だろう」と軽口を返した。
中身のない羽のように軽い会話。鳥のさえずり。
「それより気になるのは、あの魔法使いだ。あの顔どこかで……」
(フリーレンなんだけどな?)
後ろに控えている従者は、互いに顔を見合わせる。
けれど、教えてあげる道理もないので黙っている。
リュグナーだけがただひとり思考を進めた。
「言葉の通じない猛獣か。思わず笑ってしまったよ。実に的確な表現だ。この街で
(いやいや、ネットでアナリザンドに説明されまくってるけど……)
ふたりはまた視線を交わす。
沈黙がもっとも雄弁に物語る。
しかしながら、リュグナーの言い分もあながち間違いではない。
アナリザンドがいくら言葉で説明しても、言葉は生まれ堕ちた瞬間に劣化を始める。むしろ劣化として生まれいずるのが言葉だ。
だから魔族の本質を本当の意味で理解している人間は少ないだろう。
理解しようとする前に殺してしまうほうが話は早い。
「ドラート」リュグナーが口を開く。
「はい」
「彼女はおそらく今回の
「わかりました」
ドラートの心の内はよくわからない。
アウラに心酔しているのはまちがいないのだが、リュグナーと同じくアウラの真意について誤解しているのだろうか。アウラにピシャリとお叱りを受けてから、ドラートはアウラと一言も言葉を取り交わさなかった。
そんな時間がなかったというのもある。
リュグナーの報告から、第二の和議まで、ドラートはずっとリュグナーに随行していた。
アナリザンドも、ネットを毛嫌いしているリュグナーの前で、勧誘行為をするわけにはいかないから、ドラートと話す機会はなかったのである。いまもそうだ。
魔族のこころを推定するのはとても危険なことだが、あえて人間らしい思考をしていると仮定すれば、心酔している上司に叱られた彼は、なんらかの防衛機制が働いている可能性が高い。
要するに自分は悪くないという言い訳を心の中でしているかもしれない。
魔族はおおむねプライドが高く傲慢であるが、それは脆弱な精神をプロテクトするための必死の防護結界なのである。
「リュグナー様」コンコンとドアをノックする音が聞こえた。
「どうぞ」と、リュグナーが応えると、人間の小間使いがドアを開けてあらわれた。
「準備ができました。どうぞこちらへ」
え、どっち?
案内されたのは、とある部屋である。
「ここは?」リュグナーが確認するように聞いた。
「息子の部屋だ」
リュグナーが部屋に視線を這わせた。
観察する。綺麗な部屋だった。しかし、生活感がまるでない。
時間が停止したような部屋。
グラナト伯爵は部屋をゆっくりと横切る。
「出来のいい息子でな。早く家督を継いで儂に楽をさせると生意気なことをよく言っておったわ」
そして、紋章のかかげられた壁の前に置かれた剣を手に取る。
「これは御前試合で陛下から賜った剣だ」
「御子息は今どちらに?」
「10年前に、戦いのなかで闇に消えた」
すらりと剣を引き抜き、グラナト伯爵は掲げるように手に持った。
剣を望む。沈黙。わずかな緊張。溜息。弛緩。
そして――、剣はまた収められた。
グラナト伯爵が鞘を撫でていく。
「この剣も儂の兵士たちが多大な犠牲を払って取り戻してくれたものだ」
「勇敢な方々だったのですね」
称えるように、穢さぬようにリュグナーは言う。
グラナト伯爵は、目を瞑った。一秒、二秒。
結び目をほどくように目を開く。
「儂には英霊の魂をとむらう義務がある。受けた恩義は返さなければならない」
「私達には戦争を終わらせる言葉があります。あなたがたと同じく闇に消えた我が同胞たちも……、
穏やかな表情だった。
ここにきてリュグナーの演技は極まっている。
グラナト伯爵には、リュグナーの姿に息子の面影が重なって見えた。
見た目の年齢がわずかに近いという、ただそれだけの理由で、あるいは父上という言葉に、人間はすぐに同一化させてしまう。
「リュグナー殿、アウラ殿には感謝していると伝えてくれ」
「ええ」
「英霊たちの魂を返してくれてありがとう、とな」
「? 必ずや、お伝えしましょう」
リュグナーはグラナト伯爵の言葉に違和感を覚えたのか、わずかに反応が遅れた。
それでも持ち前の外交能力で、すぐさま精神をたてなおし、適切な言葉を選ぶあたり、さすが外交官という役割を与えられた高等魔族であった。
一方そのころ、わたしは頭を抱えていた。
や ら か し た。
アナリザンドは、グラナト伯爵に伝えていなかった。
アウラに対して説得が成功したことや、そこで鎧や剣や装飾品を交換する案が通ったことも伝えていたのだが、その内諾がリュグナーを通り越して実現されたものであり、リュグナーに和解案が伝えられていないことを伝えてこなかったのである。
不思議なおどりを踊っている暇があったら、リュグナーのことをもっと伝えるべきだった。リュグナーがネット嫌いだから、小窓を透明化して側にいてもいいよねってところでとどまっていた。
内定通ったからって浮かれすぎていた。
いや、まだリカバリは……。
『グラナト伯爵。いますぐ会話をやめて、リュグナー達を客室に案内して』
透明化を解除し、わたしは文書を打ちこむ。
わたしの姿をさらすよりは刺激が少ないだろう。
「ん。アナリザンド殿か」
「あの魔族からの通知ですか」
リュグナーは目を細めている。
まるで汚物を見るような、そんな視線だ。
「ああ……、そのようだが」
『ちょっと言葉足らずなところがあって……和議の前に説明したいなって』
「ふむ……」グラナト伯爵はわずかに逡巡した。「わかった。客室に案内してやれ」
傍らに控えていた小間使いを呼び、そのように命じる。
「なにか不都合が?」と、リュグナーが不思議そうに聞いた。
「いや、こちらの話だ。会議の準備ができたらすぐに呼ぶ。それまでくつろいでいてくれ」
「わかりました。いいお話を期待しておりますよ」
部屋を去り際、廊下に出たあたりでリーニエが聞く。
ネット感染を抑える効力を、アナリザンドと協定しているリーニエはリュグナーの名前も言い放題だ。
「リュグナー様。パパに丸洗いされたことあるの? グラ×リュグ……新しいかも」
「どういう発想なのかな?」
幼いリーニエの瞳は腐りきっていた。
アラートが鳴っている。
わたしの描いた和睦というストーリーラインをキャラクターたちはどんどんはみ出していく。
キャラクターと言っているけれど、生きている、意志のある存在なのだから当然だ。
――わたしは傲慢だった。
魔族らしく、この和睦を統御可能だと考えていた。
ドラートが影を滑るように走っている。
存在感を消した始末人のような動き。
その向かう先は――おそらくフリーレンのもと。
衛兵たちに知らせて……、ダメ、たぶん殺されちゃう。
わたしが出ていけば?
物理に弱いわたしがこの人を止められるだろうか。肉塊にすること前提なら可能だろうけど、和睦まであと少しなのにあきらめたくなかった。
結局、わたしには慣れ親しんだ
『停まって。どうしたの。ドラート』
「失敗した。失敗した。失敗した……」
『どうしたの?』
「おまえのせいだ!」
『わたしのせい? なにが?』
柱の物陰に隠れながら、ドラートはわたしをにらみつけた。
「リュグナー様は必ず、英霊たちの魂の正体に気づくだろう。そうすれば、どうしてそうなったか辿り着くのは簡単だ。あのとき、リーニエはネットを遮断していた。必然的に犯人はオレしかいないじゃないか」
ああ……。確かに。
『でも、それがなんでフリーレン暗殺につながるの?』
「リカバリしなくちゃいけないだろう。役立たずは始末されるんだよ。魔族の世界ではな」
『意味がわからない。短絡的すぎる』
「ずいぶんと平和な世界で生きてきたんだな、おまえは」
『アウラ様も平和な世界を願ってくれたよ』
「それはおまえの言葉で語られているにすぎない。騙されるのは人間くらいなもんさ」
確かにわたしはアウラとの会合を動画で流したりはしていない。
それはアウラに対して失礼だと思ったし、使者としての分を越えていると思ったからだ。
わたしは影の立役者であって、あくまで主役はグラナト伯爵とアウラだと思っていたのである。
『ドラートもアウラ様の説明を聞いたよね。あれだけ和睦するって言ってたじゃない』
「
ドラートは冷笑を浮かべる。世の中を斜めに見て、真正面から見ようとしない。
『いいえ。アウラ様は本当の本当に人間と手をとりあって――』
「おまえの戯言はもうたくさんだ。オレは魔族殺しを殺す。アウラ様も喜んでくださるだろう」
ブツ――。
ネットを遮断された。高等な魔族ならやはりネット感染を拒めるようだ。
視点を切り替える。
いま最も命の危機があるのは――。
<衛兵さん。緊急通知です>
「うお。アナ様!」
突然出現した小窓に、一般衛兵イッチはビックリした。
彼は、グラナトの情報を匿名掲示板に書いてしまったことを、グラナト伯爵に報告し、そして罰として地下牢の番として配置換えされていたのである。
恐る恐るイッチは通知をタップする。
すぐにアナリザンドが画面のなかにあらわれる。
とても焦った表情。
『魔族が来るよ。逃げて』
「いや、オレの仕事はここの番だし。そもそも和議中だろ?」
『違う。殺しにきてる。魔力の糸で首がスパーンと飛んじゃう!』
「えぇ?」
『早く早く! グラナト伯爵にはあとで言っておくから!』
「ええと、どっちに逃げればいいんだ?」
『どっちだろう』
「はっきりしてくれ」
アナリザンドは困った顔になった。
地下牢はいくつか一階にあがる階段があるが、いまドラートの姿は見えない。
どちらから来るのか、わからない。
「左か右か?」
『50パーセントの確率であなたは死にます』
「なんてこというんだよ!」
一般衛兵はともかくひとつの道を選んで駆けだした。
そして暗がりの中から、影がひたひたと近づいてくるのが見えた。
「あ。死んだ」
一般衛兵は、死を覚悟した。
というか、生を諦めた。
それほどに、目の前にいる魔族の放つ殺気がすさまじかった。
世のすべてを無価値だと断ずるような虚無の目をしていた。
『待って。ドラート! 殺しちゃダメ』
「黙れ。クソアマ。言葉なんて無意味だ」
指先から魔力の糸が伸びる。
超硬度を持つそれに触れたら、人間の首などチーズのように柔らかい。
一般衛兵は反応することすらできず、その場で立ち尽くしていた。
――首が。
「はえ?」
一般衛兵が見てみると、高圧縮した小窓がリング状になり首を守ってくれていた。
ネットの力は結集される。魔力は重なれば魔力を防ぐ。
「クソ。なんだそれは……突然、魔力があがるだと?」
『ドラート、このままフリーレンに逢うと、あなたは殺されてしまう』
「そんな言葉、誰が信じる?」
『信じなくてもいい。あと五分だけ待ってくれたらアウラ様とつなげるから』
――アウラは、いま排便中だった。
誓って言うが、わたしはその映像を見ているわけではない。プライベートを侵すことのないよう細心の注意は払っている。ただ、GPS機能のように、居場所は特定できてしまうだけ。
なんかこのあいだからずっと、ポンポン痛いって言ってたし、体調不良なのだろう。
「ふざけるなよ。おまえの甘言にアウラ様が乗るものか」
『お願い。待って!』
「オレは強い。オレは優秀だ。フリーレンなんかに負けはしない!」
ドラートは首に絡めた糸をそのまま魔族の膂力で引き寄せた。
「うお!」
衛兵の身体が空を泳ぐ。そして、壁に叩きつけられる。
わたしの視点が消えてしまう。
「ようやくおとなしくなったか。さて――首切り執行の時間だ」
一般衛兵の意識が無くなると同時に、砂嵐のように何も見えなくなる。
そして、一般衛兵の意識が回復すると、牢の中はもぬけの空だった。
フリーレンの姿はおろか、ドラートの姿も見えない。
画面の外で何が起こったのか、わたしにはわからない。
まさか、ドラートとフリーレンが駆け落ちして、ふたりは仲良く暮らしましたなんてことはないだろう。それくらいの常識はわたしも持ち合わせている。
たぶん、おそらく高確率で――。
ドラートは死んだ。
魔族殺しに挑んで殺された。
完全な外交勝利はなくなってしまった。
牢の中では、高圧縮された糸だけが消え切らずに残っていた。
蜘蛛の糸のようなそれは、千切れてすぐに見えなくなった。